Etheric Crystal   作:刹那 澪

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2話 夕星の戦役

2話 夕星の戦役

 

 

――回廊都市 ケマラプームン。

 

武装商社TZPマテリアルホールディングスの本拠地がある北エリアと

名目上は統治空白地とされている南エリアとを隔てる大河の上に、その街はあった。

ほんの30年ほど前には地の利を生かし、物流と交易で栄えた場所である。

 

「マネージャー、うちの弟がお世話になります。足を引っ張らないといいのですが……。

 不束者ですがよろしくお願いいたします」

 

大太刀を背負った淑女が、深々と頭を下げる。

彼女に頭を押さえつけられたアルビノの少年は、一応お辞儀はしたもののすぐに顔を上げた。

 

「足を引っ張るなどシツレイな、俺はこう見えてもスラムでは一目置かれた強さを誇る――」

「一人前の口をきくのは、自力で就職してからになさい」

「……ライラック、そろそろ向こうのchiefに挨拶しに行った方がよくない?」

 

ラティスは目の前の姉弟のやりとりから、手元のタブレットに視線を落とした。

そこにはライラックの推薦で今回の臨時戦闘員に採用された、

弟であるトール・O・カットフェの資料がうつっている。

 

「16歳と若いけど、アルバイトにしておくには勿体ない身体能力だわ。

 ありがとうライラック、彼のことはまかせて頂戴」

 

上司の言葉を聞いて、ライラックははにかむように微笑んだ。

彼女が去るのを確認して、トールが口を開く。

 

「心配性なんすよ姉ちゃんは……そだ、今回の仕事って何やるんすか?

 俺、姉ちゃんから戦争の手伝いとしか聞いていないんすよ」

 

就職のコネを作るためとはいえ、ざっくりと説明しすぎだろう。

ラティスはうっかり本音を漏らしそうになるが、喉から出かかったところで飲みこんだ。

 

「まずは先に渡しておいた、武結晶について話しましょうか。

 使うのは多分、はじめてよね?」

「いや、姉ちゃんに教えてもらったっす。ほらよっと!」

 

トールは腰のベルトに差してある短いステッィックを勢いよく振った。

すると、スティックの上から脇差程度の光る刃があらわれた。

 

「初心者はうまく起動できなかったりする場合もあるけど、上手に出来たわね。

 その汎用武結晶ならば、起動しっぱなしでも

 命を削るほど生命エネルギーを消費することはないでしょう」

 

武結晶には持ち主の生命力をトラフィックという具現力の高いエネルギーに精製する機能がある。

そのトラフィックを消費して、武具を形成する。

トラフィックの量はこのエネルギー変換の効率の良さで決まっている。

 

武結晶はTZPマテリアルホールディングスが所有する『波動の核水晶』の欠片で作られる。

固有に命名されるような武結晶は高機能かつ扱いも難しいが、

トールの持つ汎用武結晶は、誰にでも扱えるよう出力は低めに設定されていた。

 

「そうね……この戦争のいきさつから説明した方がいいかしら?」

「あざっす! お願いしまっす!!」

 

華奢で鋭い見かけによらずノリは軽いが、本気で聞く気はあるらしい。

ラティスはタブレットに、いくつかの画像を表示した。

 

「私達のcolony、アクロトインテントが内戦状態なのは知ってるわよね?」

「この河から南側を『日輪解放同盟』が占領してるんすよね。

 たしかここも敵の陣地だっつー話で……」

 

『日輪解放同盟』は、南エリアの組織で

アクロトインテント内部でも破壊活動をするテロリスト集団だ。

ニュースでよく見かける名前なので、

社会問題に疎いトールでもある程度は知っていた。

 

「記録では国父を名乗る男が建国を宣言したのは、25年前ね」

「でも俺の記憶じゃあ昔からいましたよね、『日輪解放同盟』って。

 25年間放っておいたのに、今になって攻め込むんすか?」

「……ようやくここで起こった『虐殺』が認定されたからよ」

 

はじめて聞く情報に、トールは首をかしげる。

ラティスは表情を変えないまま、この場所の地図を見せた。

 

「ケマラプームンは、3年前まではアクロトインテントの独立自治区だったの。

 だけどある日『日輪解放同盟』の襲撃を受けて、住民が消失した」

「住民が、しょうしつ?」

「言葉の通り消えたの、被害者は申告されているだけで3157人だと報告されているわ。

 証拠となる遺体が存在しないものだから、いろいろな可能性が疑われた。

 あなたが全く知らないのは、報道規制が敷かれたからね」

 

ケマラプームンで行われた『虐殺』は、当時の首脳を大いに混乱させた。

『日輪解放同盟』が関わっていると当時からラティスは確信していたが、

彼女の進言が受け入れられるまでには、2年以上の月日がかかってしまった。

 

「報道規制って隠しちゃうのか、3000人以上も消えておいて……」

「付近の街は順番に難民を受け入れるのが手一杯だもの。

 もし報道されていたら、パニックで暴動が起こってもっと状況が悪化していたでしょうね。

 そうでなくとも、テロリストの浸透戦術に手を焼いているところなのに」

「浸透戦術……?」

「民衆の中に子供のテロリストを紛れ込ませるの、『日輪解放同盟』がよく使う方法よ」

 

トールは、最近テレビで報道されている事件が

『日輪解放同盟』のものであることを思い出した。

子供たちはその場で自殺する者が多かったが、

自殺する前に逮捕された者は、口々に国父を賛美したという。

 

「それにしてもあの、国父っていうのは正気っすか?

 なんか変な名前を名乗ってて……アレ……」

「『日輪の民の父』」

「そうそう、それ! どう考えても新興宗教でしょヤバいっすよ」

 

身震いするトールを見て、ラティスは溜めていた息を吐いた。

 

「ここは主犯のアジトであるリプラントヤゾゥから遠いから、

 そんなヤバい奴と会うことはないでしょう。

 街を奪還するのは他の部隊がやるから、あなたの仕事は家屋の掃討になるわね」

「あれ? マネージャーと一緒に行動するんじゃないんすか?」

「私はこの作戦の責任者の一人だから、申し訳ないけど随行はできないの。

 装着してもらっている受信機から、作戦を指示することになるわ。

 細かいことは、直接のchiefから聞いてね」

 

ラティスのタブレットには、アルバイト部隊を指揮するチーフから連絡が届いている。

トール以外のアルバイトは、すでに合流しているらしい。

 

「もうchiefは現場に到着しているようだから、移動した方がいいわ」

「あ、そうだ。最後にこれだけ聞かせて欲しいっす!

 もし民間人を見つけたら、どうしましょう?」

 

会社から支給された汎用武結晶を両手に持ちながら、トールが尋ねた。

ラティスはタブレットをリュックにしまう手を止める。

 

 

「この場所に民間人は存在しないわ、みんな戦闘員だと思いなさい」

 

 

ラティスの声は低く、澄んでいた。

今まで見せなかった彼女の冷徹な一面に、思わずトールは唾を飲みこんだ。

 

 

■■■

 

 

ケマラプームンの市街地は、まさしく廃墟だった。

何十年も放置された建物は劣化がひどく、一部が朽ちているものも珍しくない。

 

トールが合流したアルバイト部隊は本隊が進むメインルートを迂回し、

倉庫が集中する街外れの様子をうかがっていく。

もともと寂れた進路のうえに街全体が規則正しい回廊なので、

目立った遭遇もなく、湾口近くまで部隊は進んだ。

 

人の気配が感じられないコンテナヤードを二手に分かれて探索は続く。

 

6人の部隊が別れたうち、隊長のいないグループにトールは属していた。

戦争とはいっても戦う必要がない部署は楽なものである。

メインバンクに振り込まれるであろう莫大なアルバイト代をどう使おうかと、

彼は暢気なことを考えていた。

 

 

しかし先を見たその刹那、目の前の仲間がふと視界から消えたのだ。

 

 

何かの見間違いかと思い、トールは仲間のいたコンテナの影に駆け寄る。

無意識に力を入れて踏み込んでしまったので、水の上である足場がしばらく揺れた。

 

クゥルルルル……クゥルルルル……。

 

コンテナで遮られた先から、甲高い鳥の鳴き声が聞こえる。

トールは何者かの存在を確信し、そのまま物陰から顔を出した。

 

 

視界に入ってきたのは、人の頭より大きい漆黒の髑髏。

両の目と口から生えている3本の奇怪な触手、

そのうち黒い毛に覆われた触手に絡まれている仲間の姿だった。

 

 

仲間はトールよりも体格が良かったが、抵抗するでもなく触手は軽々と持ち上げている。

髑髏の右目から出た漆黒の毛は艶を帯び、まるで生き物のようにトールには感じられた。

 

その毛の触手より少し細い、エナメルのような質感の黒い触手が

左目より伸びてきて、仲間の口を蹂躙する。

とたんに仲間の肉体は吸い尽くされ、武結晶と防具だけが地に落ちた。

 

トールはすぐさま頭をひっこめ、通信機でラティスに連絡を入れる。

恐怖のあまり手が震えたが、幸いボタンひとつで通信は可能だった。

 

「あ、あれは、何ですか……!?

 ばばば、化物が、な、仲間を、吸って、黒いやつが……!」

 

我ながら支離滅裂な報告だとトールは思ったが、相手の反応は早かった。

 

「今すぐそこを離れなさい」

「は、はな?」

「確認を取っている余裕はないの。まずは身の安全を確保して」

 

考える前にトールの体は動いていた。

左足で足場を蹴り後ろに飛んだところで、さっきまで側にあったコンテナの一部を炎が焼く。

紙一重でかわしたことで安堵したのもつかの間、

別の軌道でやってきた氷の刃がトールの右脚を貫いた。

 

何が起こっているのか理解できなかったが、止まるわけにはいかない。

感覚が薄れてゆく右脚を引きずってでも逃げようとしたところで、

水中から伸びてきた3本目、玉虫色に輝く触手がトールの右脚を捕らえた。

 

「右脚が光るやつに捕まりましたあぁ!!」

「斬りなさい、迷えばあなたも同じ目にあうわ」

 

ラティスの言葉に反発を抱きつつも、意識は不思議と冷静になってゆく。

トールは武結晶を持ち替え、一気に自分の右脚を斬り落とした。

 

■■

 

少年は左脚で器用にバランスをとりながら、コンテナをつたって移動してゆく。

最初のうちは玉虫色の触手が追いかけてきたが、

3度ほどかわした後は追撃して来なくなった。

 

「触手が追ってこないっつーことは、巻けた?」

「射程外に出たんでしょう、きっと本体が追いかけてきているわ」

 

まだ追いかけてくるのかと、トールは苦虫を噛み潰した。

 

「そういや右脚から血とか出てないんすけど、俺って大丈夫?」

「ストレージボディが一時的に傷口を塞いでいるはずよ。

 それも自分のトラフィックが尽きたら終わり」

「俺そんなにトラフィックねーはずなんだけど……」

 

戦闘に臨むときは、自分の肉体をストレージボディという仮想戦闘体でコーティングする。

これは強化スーツに分類されており、

ストレージボディを纏うことで身体能力を超えたパフォーマンスが可能になるのだ。

ストレージボディは伸縮可能であり、

一部が欠損したら欠損箇所を補強するよう設定されている。

 

ストレージボディで戦う際には、トラフィックを消費する。

武結晶を通したエネルギー変換価は人それぞれであり、

トールはあまり効率が良い体質とは言えなかった。

 

「……この戦争が終わったら、いい義足もらいてぇな……」

「安心して。私が責任をもって労災申請を通すから」

 

やはり義足生活になるのかと、トールは心の中で毒づいた。

だが今はその前に、確認しておかなければいけないことがある。

 

「マネージャー、なんか現場にいないのにアンノウンに詳しいすね」

「……そうね。詳しいからこそ、この作戦の責任者になったんだけど」

「どうせ答えてくれそうにないから聞かないけど、

 正直な話、俺って助かると思います?」

 

ラティスの言葉は、しばし途切れた。

頭に嫌な予感が走るなか、ふいに人の気配がしてトールは我に返る。

コンテナを空けるための取っ手を握り、体を急停止させた。

 

すると目の前に、短刀のような武器を持った子供が落下してきた。

このまま移動していたら、間違いなく刺されていただろう。

痩せ細った子供は短刀を構えトールに向かおうとしたが、すぐに動きを止める。

 

「さーせん! ギョロ目の少年兵に襲われたんすけど!?」

「その子と交戦しているんじゃなくて?」

「立ち止まったままです。

 なんかしゃべっているみたいだから、連絡でも来たっすかね」

「ええ、襲ってこないなら別方向へ移動した方がいいわ」

 

何しに来たのかと思いつつ、トールは少年の黒髪に目をやった。

漆黒の髪に一筋流れた緋色が、妙に印象深かった。

 

「そろそろ眩暈がしてきたんすけど、ダメすかね俺」

「……想定する相手が奴ならば、無事でいられる可能性は低そうね……」

 

ラティスの声は沈んでいた。

トールは片脚で左90度ほど方向転換をして、体のバネで巧妙に飛び出した。

 

「じゃあ冥途の土産がわりに教えてください、あいつ何者すか」

「もらった情報だけでは断言はできないけど、

 仲間を吸った化物はおじさんに操られていなかった? 小太りな感じの」

 

情報を与えられて、トールは骸骨の持ち主を思い出す。

確かに小太りで頭髪の気配がしない、冴えないおじさんが持っていた。

骸骨の印象が強くて、今まで意識はしなかったけれど。

 

「確か、そんな感じ。白い地味な服に黒いマフラー、ツートンカラーで地味だったっす」

「……それなら、間違いないわ。

 奴はアクウィット・H・アイジット、『日輪解放同盟』の国父よ」

「は?」

 

突拍子もない名前を聞き、トールは間抜けな声をあげる。

思わず体勢が崩れそうになったが、腕に力をこめてなんとかやり過ごした。

 

「ちょっ……どうして大将首がこんなところにいるんだよ!?

 こんだけ武結晶持った兵隊と砲台が集まってんのに、

 オッサンは頭おかしいでしょう!?」

「そうでもないわ、あいつは『波動晶の御手』を持っているもの。

 あなただって見たでしょう? 漆黒の水晶髑髏を」

 

『波動晶の御手』については、姉のライラックから話を聞いたことがある。

自分達が使う量産型の武結晶とは違い、

莫大なエネルギーと特性を持ったオリジナル。

その威力は1小隊で抑えられるものではなく、

同じ『波動晶の御手』の使い手をもってしないと勝つことは難しいという。

 

絶望のあまりトールは声がでなかった。

だが少し間があいたあと、ラティスは意外なことを言い放った。

 

「でも対策はあるのよ。

 あの触手は高熱で焼き切れるし、低温だと凍らせることも可能なの。

 どんな特殊性があるにせよ、素材はストレージボディだから

 温度の耐久力は人体とあまり変わらないのね」

「じゃあ……!」

「ただそれ以外の環境だと、まずあなたを助けることは不可能だわ」

 

少しだけ見えた光明が、自分からはとても遠い。

自分も無事では済まない高温や低温をどう用意するというのか。

トールは少しだけ考えたあと、口を開いた。

 

「俺はたぶん、とても運が悪いんすね」

「……」

「それとマネージャーは、何故だか分かんないけど奴の倒し方を知ってる」

「……」

「だったら俺、ひとつ作戦があります」

 

トールは擦りきれそうな声で、自分の作戦を説明する。

説明が終わったあと、彼は大きく息を吸った。

 

「約束して欲しいっす。

 この戦いに決着がついたら、マネージャーについて教えてくださ……」

 

全て言い切る前に、玉虫色の触手が足場を撃つ。

あわててトールは、自分の体を逸らしてこれをかわすのだった。

 

■■

 

足場からはずれた水面には、うっすらと蛇のような影が見える。

目標が近くにいることをトールは察した。

 

ここからが本番だと、トールはすぐさま通信を呼びかけた。

しばらく通信機からは雑音だけ聞こえたが、少し間をおいて聞き慣れた声が流れてきた。

 

「目標を発見、近くにいい場所はないすか?」

「あなたの位置情報を取得したわ、

 すぐ先に大きな灰色のコンテナがあるでしょう?

 ロックは解除しておくから、あそこに入って」

 

なるほど、トールの視線の先にはひときわ大きい灰色のコンテナが見える。

直線で行ける場所なので、すぐにたどり着くだろう。

上司の手際の良さに、少年は少し安堵した。

 

トールはあたりを見回し、近くにあった細い鉄パイプを水の中に投げた。

水面に映った影が、大きな波紋を描いて揺れる。

自分の足元から何かが動く音を確認して、すぐさま移動を開始した。

 

2度ほどの襲撃をなんとかやりすごし、コンテナの目の前までやってきた。

扉は自動で開き、そのまま中に侵入する。

コンテナの中は若干冷えていたが、息が苦しくなる程度ではなかった。

 

「……来ますかね?」

「必ず来るわ。奴は完璧主義者だもの」

 

ラティスの声は聞き取りにくく、震えていた。

緊張するのはこっちだよと思いながら、少年は扉の横にあるバールを手に取る。

そこそこの重さがあり、体を支えるには申し分なかった。

 

目の前の空間には小型コンテナと工具が少しだけ散らばっていた。

倉庫として改装中だったのだろうが、道具に積もった埃が往時を感じさせる。

中央に移動して少ししたところで、入口から人の気配がした。

 

「さっきから何の用だよ、おっさん」

 

黒い髑髏を両手に掲げた男は、無言のまま近づいてくる。

トールは左手に武結晶を持ち、短い刃を展開させた。

 

「腐った林檎は、箱ごと捨てる主義でね」

 

そう言って、男は笑みを浮かべた。

とても喜んでいるとは思えない薄い微笑みに、少年は身を震わせる。

そして警戒が解けた一瞬の隙をついて、黒い毛の触手がトールの身を縛った。

 

「哀れな子だ、君も日輪の民ならば穢れることもなかろうに」

 

全身が軋むように、強く縛り上げられる。

触手が体をしっかりと固定したところで、トールは声をあげた。

 

「……アイツをとらえました……!」

 

胸ポケットに入っていた通信機から、上司の擦れた返事が返ってくる。

 

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……っ!」

 

その言葉の直後、男の後ろにあった扉が閉まりガチャリと音をたてた。

次に部屋の四隅から、勢いよく冷気が流れこんでくる。

この状況になってようやく、男はここが冷凍庫であったと気づいた。

 

通信機から聞こえる声は嗚咽混じりだった。

トールはそれを聞きながら、わずかに口元を綻ばせた。

 

 

■■■

 

 

「いいかいラティス、私達はこれから歴史を綴ってゆく。

 泣いてはいけない。泣くのは未来を憂いているからだ。

 笑ってはいけない。笑うのは過去を懐かしんでいるからだ。

 決して忘れてはいけないよ――」

 

懐かしい声を思い出しながら、ラティスは目を覚ました。

すぐ近くにある机からは、ほのかに木の香りがする。

無垢材の香りをかぎながら、自分は居眠りをしていたことを思い出した。

 

「ようやくお目覚めですか? 探しましたよ」

 

顔をあげると、見慣れた部下が心配そうな表情をしていた。

ラティスはライラックを見て、びくりと肩を震わせた。

 

「顔色が悪いですよ、疲れを溜めすぎでは」

「いいえ大丈夫、その……弟さんのことを夢に見て」

「……ああ、夕星の戦役、ですね……」

 

お互いに気まずい空気が流れる。

その後、凍らせていたはずの首謀者、アクウィットは姿を消していた。

 

ライラックの弟、トールは凍っていた上半身だけ切り取られ、

会社所有の安置所でコールドスリープ処置が施された。

かろうじて死んではいない状態だが、下半身がないので復帰も難しい。

 

「本当に……ごめんなさい……」

「顔を上げてください、チーフ。

 貴女に非がないことは、私の『眼』が教えてくれましたよ」

 

ライラックの右目には、『共感透視』の力が宿っている。

これは相手を視ることで、その記憶や思考を知ることができるのだ。

彼女はその特殊能力で、12歳からTZPマテリアルホールディングスに雇われていた。

 

目の前の上司が涙を拭いているのを見て、とっさに顔を逸らす。

ライラックが視線を外した先には、この場に相応しくない厚着の男が佇んでいた。

その男は黒いマフラーをしたまま、大盛りのサラダボウルを貪っている。

 

「チーフ、このカフェを出ましょう。オーバーワークはいけません」

 

よそを向いたまま、ライラックは声をかける。

ようやく落ち着いたラティスは、彼女の言葉に頷いた。

 

珍しく部下の前で醜態を見せたラティスだが、

いくら感傷に浸っていても、ライラックの瞳の瞳孔が細まったのは見逃さなかった。

ライラックが何を視ているのか気になったが、

素直に教えてもらえるとは思えなかったので、黙ってラティスは席を立つ。

 

昼前に入ったはずの窓辺はとっぷりと日が暮れ、

カフェ内はすでにバーの空気に変わろうとしていた。

 

 

To be continued......

 

 

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