□水晶病(疾病名:ヒト細胞水晶化症候群)
ヒト細胞水晶化症候群とは、ヒト細胞が波動型水晶に変質するまれな病例である。
アクロトインテントに居住する20代から40代にかけて
発症することが報告されており、原因は不明。
通常手足などからの発症が多く、腫瘍が見られる場合もある。
細胞の水晶化が内蔵に達すると機能停止に陥り、
発症後6ヵ月内における20代患者の致死率は71%にも及ぶ。
治療は結晶阻害剤の静注療法だが
皮膚表面から内蔵の結晶化に至るまでの進行が早く、早期発見が求められている。
――TCTメディカルマニュアル30版 TZPマテリアルホールディングス監修より抜粋
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滞在予定日数の半分近くを消費し、テリメインのデータは集まりつつあった。
アクロトインテントとは系統の違うエネルギー源として
スキルストーンのサンプルを収拾しつつ、着々と戦いに備える。
資源調査のための駐在員と現地で出会った少女達を乗せた船は、
日が沈んだあとの朱色の海に向かって、進路を取っていた。
いま進んでいる海域は、海中島の海《アトランド》と呼ばれていた。
未開地域にも遺跡は見られたが、それよりもさらに多い生活の痕跡。
誰が言ったか「島が海底に沈んだ」と表現する者もいるらしい。
もともとラティス達の目的は、エネルギー源の確保。
何もなければ多少の観光気分が味わえるのだが、
アトランドでは幸か不幸か、彼女達の仕事は多かった。
ラティスは甲板の上で沈みゆく夕日を見ながら、
戦闘後に計測した熱量データなどを報告書に書いていた。
そこに、見知った声が聞こえてくる。
「ねぇ、最近ライラックがおかしいと思わんか?」
ラティスは一瞬社用PCのキーボードを叩く手を止める。
「だってさぁ、このクソ暑いのに分厚い長袖の水着着てんだよ?
ダイバーかっつーの」
ラティスの手が再び高速で動き出したのを見て、
甲板に上がってきたヘイゼルは声を荒げた。
「あんたさ、どの水着を着るのも人の自由だって思ってんでしょ!?
ああそうだよ? でもね、
ライラックは数日前までは、探索用の薄い水着を着ていたんだ」
この話は世間話じゃないと判断したラティスは、
書きかけの報告書を保存し、後ろにいるヘイゼルに向き直る。
「探索用水着から、長袖の水着に変わったの?」
「そうそう。最初はさ、探索用水着がいいって譲らなかったのね」
「ライラックの持ち味は軽快な身のこなしですもの、
自分の長所を活かしたかったのでしょう」
「それがさ、数日前から長袖で野暮くてぶっとい水着に早変わり。
ここは仕事とはいえバカンス地だよ?
そんなエアロビ仕様の水着きなくたって、ねぇ」
ライラックの戦闘スタイルは、
相手の出方を予測し敵の攻撃をかわしつつ、必殺の一撃を叩きこむヒットエンドラン戦法だ。
海底探索協会が販売している重鎧などよりは軽いかもしれないが、
腕まで生地で覆われる水着では、動きにくいだろう。
「あとさ、傷の手当を避けるんだよね。やっぱおかしいよ、あの子」
「そうね……ちょっと探してみるわ」
書類漬けの毎日だったということもあるが、
ライラックに会う回数が減った気がすると、以前から彼女は考えていた。
完全に闇色に染まりつつある空を見ながら、ラティスは溜まった息を大きく吐き出した。
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メインステートに戻ったところで、シャワーの水音が聞こえた。
これは好都合と思い、ラティスはトイレスペースを突っ切って
ガラス戸の隣にある壁をノックする要領で叩く。
「ライラック、突然水着を変えたりするものだから
みんなが心配しているわよ?」
ラティスの声は穏やかで、決して怒気を含むものではなかったが
シャワールームの中からは、絞り出すような悲鳴が聞こえた。
「どうしてそんなに怖がっているの? 何かあったのなら教えて頂戴?」
ガラス戸越しに見えるライラックの影は、
シャワーを止めることなくその場にうずくまっていた。
状況が飲みこめないラティスだが、
ライラックの腕のシルエットが、こぶのように盛り上がっているのが見える。
ラティスは嫌悪を感じると同時に、ガラス戸を力いっぱい開いた。
そこで出会ったのは、両腕に水晶腫瘍を抱え腕本体も水晶化しているライラックの姿。
お互い視線が合ってひと時の間絶句していたが、
先に正気を取り戻したラティスが口を開いた。
「どうしてこうなるまで放置しておいたの!?
こんなの戦えるわけないでしょう!?」
ラティスの言葉は、嗚咽まじりの悲鳴のように聞こえた。
ライラックはすぐさま着替えとバスタオルを持ち、
駆け足でシャワールームかた立ち去ってしまった。
ラティスは何度も引き留めようと説得するが、
ライラックは足を止めることなく外に出て、夜の闇にまぎれていった。
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ラティスはすぐさまヘイゼルを呼び、探索の指示を出す。
そして再びフライブリッジへ戻り広範囲の視界を確保しつつ、すぐさま上司に電話をかけた。
自分が探しに行ったほうが断然早いのだが、
ラティスには確認しなければならないことがあった。
「オイ、いま何時……」
「ライラックに水晶病の発症が確認されました。
プロジェクトから外し即座に帰還させますが、よろしいですね?」
上司の言葉もろくに聞かず、ラティスは矢継ぎ早に話す。
「帰すってお前ね、何日かかると思ってんだよ。あのお嬢さん、ステージいくつだ?」
「ステージ2……いえ、腕部分が完全に水晶化していたから
もしかしたらステージ3かも……」
ライラックの二の腕は、両方とも完全に水晶になっていた。
彼女の変わり果てた姿を思い出し、ラティスは奥歯を噛みしめる。
「それじゃ治療セットに入っている結晶阻害剤だけじゃ足りねぇよ。
こっちに帰っている間に水晶人間になって終わりだ」
「なら、緊急高速艇を寄越してください! こういう時のためのものでしょう!?」
TZPマテリアルホールディングスは、
ワープポートを瞬時に移動する緊急高速艇を何艇か所持していた。
莫大な運用費が必要だが、社員がワープポートを立ち上げている限り、
自社のポートから瞬時で移動することができる。
「それは、できない。彼女の意思を無視することになる」
「ライラックの意思? どういうことですか!?」
「あいつは自ら望んで水晶になったってことだ」
レイスの言葉を聞いて、ラティスは一瞬、めまいをおぼえた。
この血の気が引いてゆくという感覚は、何年ぶりのものだろう。
「ラティス、オペレーション・コンタギオンについて覚えているか?」
「……。人類が唯一、偶然を介さず『波動晶の御手』を創り出す方法。
情報管理はコロニー会議で厳しく制限されており、
オペレーション・コンタギオン発動には何重もの申請と認可がないと不可能……」
説明をしながら、ラティスは喉の奥が渇いていくのを実感していた。
いくら計画的に『波動晶の御手』を作るといっても、気軽に量産できるものではない。
『波動晶の御手』は、内在するトラフィック量の高い人間が
自分の体を水晶化して得られる、総合エネルギーの結晶体。
核水晶を削って作る通常の武結晶と比較すると、
エネルギー変換価が10倍から100倍にもなる文字通りの化物である。
製作過程が非人道的であることから、何重もの規制が施されている。
『波動晶の御手』にはその力に足るだけの材料が必要なのだ。
「ライラックは、オペレーション・コンタギオンの参加を希望していたのですか?」
「約1年ほど前に申請があった、ちょうどお嬢さんの弟がコールドスリープした頃だ。
どうしても許せなかったんだろう」
「だから、だからって……自分の命を犠牲にすることはないでしょう!?」
ラティスの絞り出すような叫びは、波の音とともに沖へ流れていく。
電話口の男は、冷静な声で続けた。
「こっちだって止められるモンならやってる。
でもな、社則19条出されたらこっちだって拒否できないっつーの」
「……社則19条……」
社則19条とは、労働義務範囲外かつ会社側が主権を持つ事象において、
労働者から要望があった場合、会社側は原則その要望を受け入れないといけないと定めた規則。
元々は戦場での仮人事などに使う、TZPマテリアルホールディングス社則のひとつだ。
こんな規則を使ってまで、ライラックは自分が水晶化する道を選んだ。
自分の死と引き換えに『波動晶の御手』を作る、彼女の本当の望みは何なのだろう?
液晶電話を握ったまま思考停止しかかっていたラティスの耳に、
ヘイゼルの甲高い声が突き刺さった。
「ラティスやばい、ライラック全部通信機遮断した!!」
自分の体を犠牲にしてまで一矢を報いたい、その相手は――?
その答えが思い浮かんだと同時に、ラティスの体は動きだしていた。
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しばらく物陰に身をひそめていたライラックだが、
ヘイゼルの気配が遠ざかるのを見計らって、後部デッキに近寄った。
少しの間なら、潜水できる準備は整えてある。
「私には、時間がないもの」
声を震わせながら、最後まで起動していたチーム共用の通信機を切る。
小さなイヤホンとともにまとめ、デッキの隅に置いておくことにした。
「ディレクター、オペレーター、そしてチーフ……今までありがとうございました」
困難を極めるであろう自分の選択に、仲間を巻きこむわけにはいかない。
誰かが後部デッキに来る前に、ライラックは惣闇の海へすべり落ちていった。
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昏い海の中には、透き通る月光が差し込んでいた。
光の当たる部分だけ鮮やかになる幻想的な光景は、
まるで自分がお伽噺に紛れ込んだかのような錯覚をおぼえた。
ライラックは、弟の武結晶を起動させて進んでゆく。
武結晶の中に存在する淀みを『餌』にして、相手をおびき寄せるためだ。
どこに隠れているか分からない者を手当たり次第探す体力は、もう残ってはいなかった。
「本当に、どうしてこうなってしまったのだろう?」
もう過去には戻れないと知りつつも、どこかで悔いている自分がいる。
自分の命は惜しくない、元よりそう幸福な星の元にはうまれなかったのだから。
家族が生きていくため、天から授かった厄災を金に換え、
一生モルモットとなる生き方を選択したのも自分。
家族で住める温かい家と仕事が与えられ、十分幸せだった。
こんなに幸せでも悔いるのは、モルモットとしての人生が、予想外に穏やかだっただけ。
だから現時点での最適解が分かっていても、心が揺らぐのだ。
「ケマラプームンの奪還計画は、秘密裡に進められたと聞いていたわ。
元々あそこは、住人のほとんどが行方不明でほぼ無人。
最低限の私兵がいるのは予想できたけど、どうしてあいつがいたの?」
あの男さえいなければ、弟は無事だったはず。
ライラックは内側から湧き上がる憎悪に、奥歯を噛んでなんとか耐える。
「あんな大物が動いていたなら、恐らくこちらの斥候が気づく。
つまりは、こちらにとっても予想外だったってことよね。
ケマラプームンは少人数で守るには不利な場所、多人数で攻められたら一旦は手放すしかない。
それなのに危険を承知で姿をあらわしたのは、なぜ?」
アクウィットがいくら『波動晶の御手』の使い手だとしても、
さすがに自走砲の集中砲火に耐えられるはずがない。
戦いは基本的に、物量が多い方が有利な事実は変わらないのだ。
「それとも、どんなに危険でも姿をあらわさないといけない理由があったの?」
そう呟いた瞬間、左手の武結晶がひときわ大きく震えた。
ライラックは弟の武結晶を目の前の水と月光が合わさるポイントに放ち、
彼女の大太刀で勢いよく斬りつける。
武結晶の表面が割れ、中から少しずつ淀みが漏れ始めた。
黒いすじが海面に広がるさまは、コールタールを思い起こさせる。
そのコールタールに忍び寄る影がひとつ。
ライラックは視線の端でそれを捉え、大太刀を構え直した。
黒く光沢のある触手が、武結晶を掴まんと下側から伸びてきた。
渡しはしないと、ライラックは大太刀を武結晶に向かって振う。
武結晶が元にあった場所から浮き上がり、触手の追跡を逃れた。
「これは弟の武具ですもの、あなたには渡しません」
ライラックは方向転換して距離をつめ、漏れた淀みを吸おうとする触手を一閃した。
刃がどこにも見当たらず避けることも叶わなかった触手が、斜めに切り裂かれる。
「太刀筋が見えないでしょう? これが私の武結晶『一水四見』の刃なのですよ」
大太刀を構えながら、ライラックは海底に降り立つ。
目の前にいたのは頭部の欠けた黒い髑髏を持つ、アクウィット・H・アイジットその人であった。
『波動晶の御手』に操られた3つの触手が、ライラックのほうへ向く。
『波動晶の御手』に勝つことができるのは、『波動晶の御手』だけ。
会社の新人研修で嫌というほど暗記させられた、戦闘規則が頭をよぎる。
しかしこの結末を選んだのは、自分なのだ。
「ライラック・C・カットフェ、参ります」
次の世代に繋ぐため、今できることをやらなければならない。
ライラックは雑念をしばし止め、柄を握る手に力を込めた。
To be continued......