彼女がこの船から姿を消したとき、正直もう駄目だと思った。
本社から交戦の許可が出て、彼女の願いは叶ったはずではなかったのか。
どうして何の罪もない人間がその身体を侵蝕させ、
未来への踏み台とならなければいけないのか。
――本来報いを受けるべきは、この私のはずなのに。
■■■
薄い浅葱の光を放つ大太刀と惣闇をたたえる髑髏が、海底にて対峙する。
若い女と初老の男の間を色鮮やかな魚の群れが通り過ぎてゆく。
透き通るエメラルドの海は、あたかも両者の殺気を隠すように見えた。
タール状の淀みを漏らす武結晶を拾うため、ライラックは海面を蹴った。
2歩ぶんほどアクウィットと離れながら、ゆっくり降下する武結晶を掴む。
視線は相手を捉えたまま、それを腰に差し直した。
いま対峙しているのは、
人間を捕食する『貪欲なる飽食者』と
刃が通りにくい『名づけられざるものの妻』という2本の触手。
いずれも彼女は巡洋船スプラッシュガーデンで、穴があくほど資料を見てきた。
髑髏から生えている、一番獰猛であろう『貪欲なる飽食者』には大きな亀裂を入れておいた。
これで攻撃をしのぐのは、だいぶ楽になることだろう。
体の緊張を解き放つように、ライラックは大きく息を吐く。
アクウィットの顔が上下に歪み、口角がつり上がった。
彼が右手で黒い髑髏を揺すると、
漆黒の毛皮で覆われた触手『名づけられざるものの妻』が
上から『貪欲なる飽食者』を丸のみした。
髑髏の穴から生えた触手同士が喰いあう姿に、彼女は絶句する。
2、3度『名づけられざるものの妻』が痙攣したあと、咥えた触手を吐き出した。
異臭を放つ液体にまみれた『貪欲なる飽食者』は、
傷一つない艶やかな表皮をあらわにしていた。
「致命傷を与えなければ何度も復活してしまう……。
流石は『波動晶の御手』ね、使用できるエネルギー量がケタ違い」
大太刀を持ち替えようとして、ライラックは左肘に鋭い痛みを感じた。
かろうじて関節部は生き物の形を留めているが、
そう遠くないうちに痛みすら体感しなくなる程度には、彼女の肉体は蝕まれていた。
「水晶だらけのこの身体、そう長くは持たないでしょう。
持久戦に付き合っている余裕はないの」
ライラックは大きく一歩踏み込み、一気に距離を詰めてゆく。
横に構えられた大太刀の刃が、流れのままに海へ溶けていった。
アクウィットは後退するが、ライラックの前進する速度の方が速かった。
透過する女の刃は『名づけられざるものの妻』を捉えるが、手ごたえはない。
黒い絨毛が大太刀を撫でるように受け流し、表面を滑るまま刃は海を斬った。
2度ほど薙いだが、うまく当てることができない。
「無抵抗は命取りになるというわけか。やはり抵抗させず絡め取るのが最善手」
ライラックの頭上から『貪欲なる飽食者』が勢いをつけて伸びてきた。
それを大太刀でかわしつつ、ライラックはとっさに海底を蹴った。
■■
日輪の民の祖であると称する初老の男は、薄い笑みを浮かべたままだ。
口元以外ほとんど動くことのない表情を睨んだまま、
ライラックは眉間に皺を寄せる。
「やりにくいわ……とくに目を開かないところが。
顔の微細な筋肉の動きでは、なかなか思考まで辿り着かない」
ライラックの右目には、視線の先にある対象の思考を読み取る
『共感透視』という力が宿っていた。
大脳の発達した知的生命体ならば、主に瞳を覗くことで
相手の記憶をイメージとして複写することができる。
アクウィットを見据えた右目の瞳孔が、一瞬だけ開いた。
しかし敵の行動を予測するには、全くもって情報が足りない。
「日輪の民の父というのも、存外大したことはないのですね。
総合商社の一兵卒に圧されているようでは」
理屈など何でもいい、まずは相手を動かさなくては。
普段は決して話し好きとは言えないライラックだが、
この勝負への決意が、彼女を饒舌にさせた。
「そういえば、あなたは一兵卒にも満たないアルバイトに深手を負わされたのでしたか。
人を喰らう一撃とて、かわせるならばやり様はあるもの」
アクウィットの表情は固まったままだ。
ライラックは少し考えて、自分が知っている数少ない情報を相手にぶつけることにした。
弟以外で彼女が一番気にかけているのは、やはり直属の上司であるラティスのことだった。
「あの1年前……チーフは夕星戦役の総合参謀チームに所属していた。
当時はマネージャーだったから、弟を直接任せられると思っていたけれど。
もともと役員候補とはいえ、彼女が参謀に入らないといけない特別な理由があるの……?」
アクウィットの顔から、ふと笑みが消える。
ライラックにとっては少し声の大きい独り言だったが、
黒い髑髏から生えた触手達は、大きくうねり咆哮をあげた。
とっさに彼女は大きく動いた触手を凝視し、共感透視を開始する。
『貪欲なる飽食者』から断片的にイメージが流れてきた。
夕星の戦役で弟の仲間を吸い尽くしたこと、迫る一水四見の刃に切断されたこと。
どうやら触手自体にも、ものを記憶するだけの知性はあるらしい。
『貪欲なる飽食者』はエナメルのように艶のある躰をライラックに叩きつけるが、
彼女は一呼吸の余裕をもって、これをかわした。
「あの触手に思考力があったとは……予想外の収穫です。
しかし行動パターンが分かった以上、もう当たることはありませんよ」
2つの触手は絡み合うようにライラックを追撃するが、彼女の動きに迷いはない。
『名づけられざるものの妻』が時折腕をとらえそうになるものの、
元々の素早さの違いからか、ライラックが攻撃を受けることはなかった。
アクウィットは髑髏を抱かない手で顎をさする。
「特殊能力者……悪さをしているのは、右の眼か。
未来視、いや、このレベルの能力者は統計的にもごく僅か」
『貪欲なる飽食者』と『名づけられざるものの妻』を攻撃から引かせ、
穏やかな男は策をめぐらせる。
「それに未来視を持っているなら、あの戦いに身内を行かせるわけがない」
少し間を置いて『名づけられざるものの妻』が、
海底を這うようにして後ろからライラックを襲う。
ライラックは大太刀で薙ぐようにはじき返すが、
死角から伸びてくるものに、左手を取られてしまった。
左肘から下の空白には、水晶の腕を噛み砕く『貪欲なる飽食者』の姿。
「なるほど。私が直接制御するならば、行動を読まれることはないようだ」
肘より下の腕を失ってしまったライラックは、
形勢の立て直しを図るため、近くの岩場に身をひそめた。
■■
相手が本気を出したなら、岩の影などすぐに更地になるだろう。
気まぐれで与えられた一時の間に、ライラックは考えを巡らせる。
刃の重量を調節すれば片腕でも大太刀の武結晶を振うことは可能だが、
力で薙ぎ払うような戦い方はむずかしい。
装甲の薄い場所を作りだし、引き裂くようにして触手を絶つ方法なら負担も少ないだろう。
「身体中が水晶に蝕まれている上、片手しか使えないのが今の実情。
最初に処理するべきは、回復役ね」
海底の砂を撒き散らす音で、ライラックは思考を中断した。
勢いをつけて迫ってきた『貪欲なる飽食者』が、岩場ごと飲み込もうとする。
あらかじめ地を蹴って上に浮かび、彼女はこれをやり過ごした。
大太刀の先で『貪欲なる飽食者』を浅く斬り、
自分の体を押し出すようにして『名づけられざるものの妻』へ向かっていく。
泳ぐ軌道を修正しつつ、遅れて向かっていた黒い毛皮の触手と交差する。
『名づけられざるものの妻』のすぐ横で刃を水平に添わせ、
相手の動きを利用して触手を剃毛してゆく。
表面を撫でられるだけでは痛みを感じないのか、触手側が気づく様子はない。
触手の中腹あたりを集中的に剃毛すると、青白い肌のようなものがあらわになった。
ライラックは片手で慎重に大太刀をあてがい、
体を回転させる遠心力を利用して一気に触手を切り裂いた。
熊のような野太い咆哮が、海流にかき消されてゆく。
水の流れに乗り、墨色の血液を吐く傷口に重なるよう何度も斬りつける。
深々と抉られた『名づけられざるものの妻』の傷は、
少しずつ隆起を繰り返すものの、ライラックの刃が侵蝕する方が早かった。
「思ったより回復が遅い……。
私が考えている以上に、あの男は深手なのかもしれないわ」
体を半分ほど裂かれた触手から離れるときに、腰に差した武結晶がかすかに震える。
彼女の脳裏には、かつて『波動晶の御手』相手に戦った弟のことが頭によぎった。
「この調子なら、しばらくは自身の治癒で手一杯。
今のうちに厄介な怪物を始末してしまいましょう」
ライラックは右手で握る、浅葱色の細長い刃を垂直に構えた。
「一水四見は唯識所変の境を表すもの。
主体が変われば水の如き刃にも、炎の如き殺意にもなる」
背中から「貪欲なる飽食者」の気配を察知する。
体を左に90度回転させて、触手とアクウィット両方に備えた。
「ブースト、トリプル。モードチェンジ、ヘルファイア!」
大太刀の刃が赤く染まり、海水を蒸発させてゆく。
ライラックは白い煙を纏った大太刀を構え、黒光りする触手に向かおうとした。
その刹那、ガラスを砕くような硬質の破裂音があたりに響く。
ライラックは体の中枢に痛みを感じ、視線を落とした。
薄れつつある意識で確認できたのは、両胸の間から生える玉虫色の触手。
ライラックの手から、一水四見の武結晶がすべり落ちる。
彼女自身もゆっくりと、海底まで沈んでいった。
■■
アクウィットは黒い水晶髑髏を抱えたまま、海底に倒れる女を眺めていた。
「即死は免れたか、全身を水晶に蝕まれていたのが幸いしたようだな。
だが呼吸器官を破壊されては戦うこともできまい」
ライラックを貫いた玉虫色の触手は、腰に帯びた武結晶から伸びていた。
この戦いで初めて見る3本目を見て、
相手は最初からいつでも自分を殺せたのだと、彼女は察する。
「近づけると……思ったんですけどね……」
「水晶腫瘍が心臓の位置を変えていなければ、楽になれていたものを。
あの者達の下僕らしく、姉弟揃って鬱陶しいものよ」
「……鬱陶しいとは……考えていたんですか……」
「なぜ弟に拘るのか。新しい秩序、理想郷の前に、
慣習や伝統、血縁など無意味だ。未練にしかならない」
この男にしてはめずらしく饒舌だと、ライラックは感じた。
最後のチャンスを掴むため、力を振り絞って右眼をひらく。
「弟を悪く言うのは……やめて……くださいな……。
あなたに深手を……負わせたのは……弟なのですから」
「深手? あいつは逃げていただけではないか」
「弟は、その身を犠牲にして……冷凍庫に誘導……した、
弟の罠に嵌ったんです……」
「そんなことはない!!」
日輪の民の父は瞼をこじ開け、甲高い声で激昂した。
「どうせ、TZPの狗どもの差し金に決まっている!
小汚い口を慎め、鼻先を飛ぶ虻どもが!!」
初老の男はヒィヒィと息を切らしながら、呼吸もおぼつかない女を罵る。
人間は図星を突かれると感情的に相手を罵倒するという俗説を思い出しつつ、
ライラックはアクウィットの眼を覗きこんだ。
『共感透視』の能力を通して、夥しい情報量が彼女の意識に入り込んでくる。
霞がかる頭に全てを留めておくことはできないが、
ライラックが一番知りたかったことは、理解することができた。
「……皮肉なものです……。
あなたも……失って、いたんですね……大切なものを……」
「なん、だと?」
「いま、はじめて同情できました……かわいそうなひと……。
でも、だからこそ、わたしはあなたをゆるさない」
彼女は右手を伸ばし、ほのかにトラフィックが残る自分の武結晶を掴む。
「無駄なこと、戦うことができると思っているのか!?」
「できますよ……わたしは、さいしょから、
こうやって、たたかうつもりだった……んだから……」
その言葉とともに、武結晶とトラフィック接続が完了した。
制御しきれていないトラフィックが砕かれた左腕から漏れ出し、
浅葱色の煙とともに水晶化が加速する。
右半身が完全に水晶化したころ、アクウィットは彼女の目的に気が付いた。
「いろいろ、つらかったけど……この瞳を持って、よかった……。
あなたに……勝利の……鍵を……!」
3つの触手を呼び戻し、ライラックの体を粉砕しようとして、止めた。
水晶化を早めるメカニズムが分からない以上、
症状が著しく進む生身に触れるのはリスクが高いと判断したのだ。
「血縁は……人の繋がりは……無意味なんかじゃ、ない……。
私の眼には、確かに見えているもの」
数少ない生身であった、両目も無機物に変わっていく。
すでに生物学的には口など動かせないはずなのに、
ライラックの唇は、最後の言葉を紡いだ。
『きっとこの勝負、私が勝つわ』
声なき言葉が終わり、その場にあるのは水晶の塊。
その内側から、ほのかな浅葱の光を放っている。
水晶髑髏から生えた黒光りする触手は、人型の水晶を打ち砕いた。
しかし水晶の欠片はゆらゆらと漂いながら、再び1か所へ集まっていく。
日輪の民の父は欠片を全て吸い上げようと試みるが、
欠片達は螺旋を描いて水面に舞い、そのまま天へ還って行った。
アクウィットは茫然と顔をあげた。
ライラックの花を思わせる藤色の小魚が、群れをなして視線の先を通り過ぎた。
To be continued......
【次回予告】
「どうすんのさ、優秀な部下も、虎の子の武器も失って」
「勝ちたい……仇を討つためにも……!」
「あれ……? やっぱ見つかっちゃった……?」
「馬鹿だなー、ヒーローっていうのは、
遅れてやってくるもんだって決まってんだよ!」
6話 波動晶の御手
※2018年春のうちに公開できればいいですね……はい……。
次回予告はキャラプロフィール欄にも掲載しています。