おき太「お、驚くわけないじゃないですか……」
「これは………中々凄いですね。」
感心、感嘆。
それが沖田がこの世界に対して抱いた最初の感想だった。
沖田の眼前に広がるのは、飾りっ気の無いアパートの一室でもなく、馴染みのある日本の風景でもない。
沖田は知る由も無いのだが、煉瓦や石造りの建物が建ち並んでいる、言うならば中世ヨーロッパのような街並みが広がっている。
「これが現実ではなく『げーむ』の中だと言うのですか……。私には良く分かりませんね……。」
自分が着ている服を所々摘まみながら沖田はそう呟く。
この服も中世ヨーロッパの雰囲気を模した物なのだろうが、この事も当然沖田は知る由もない。
ソード・アート・オンライン。
此所はそのゲームの中であるという。
ノッブから一通りの説明は受けたもののいまいち良く理解できていないのが、正直な所である。分かったのは、兜のようなものを被るとゲームの中に入れるということ。
説明を受けても中々に受け入れがたいことではあるが、沖田の視界の右上に常に映っている緑色の棒がこの世界が現実出ないことを沖田に再認識させる。
「さて、ノッブは何処にいるんでしょう……。」
ともあれ、ノッブと合流しない事には何も始まらない。
MMORPG、そもそもゲームの初心者である沖田はこういうゲームで何をどうやるのかさっぱり分からないのだ。誘ってきたノッブはすぐ慣れると豪語していたが、取り敢えずはノッブと会わなければならない。
そう思って、宛もなく街を歩き回ろうとしたその時だった。
突然沖田の周りに青い光の柱が何本も現れた。
「なっ、何ですか、これ!?敵ですか、斬って良いんですか!?」
こんなゲーム世界での唐突な出来事を沖田が理解できる筈もなく、辺りを一瞥しつつ腰にぶら下がっている刀とは少し違った剣に手をかける。
しかし、その青い光の柱から現れた物を見て沖田は剣を握る手の力を弱める。
光の柱から現れたのは人だった。恐らく沖田と同じようにこの場所に転移してきたであろう人々。
だが、何処か様子が可笑しい。
自らの境遇を理解できていないのかあたふたするもの、良く分からない怒号を発するもの。何というか、沖田からすれば全体的に殺伐としているように見える。
「──上!」
誰かがそう叫んだ。
その声を聞き取った沖田も言葉につられて夕焼け色に染まる空を見上げる。
何の変哲もないオレンジ色の夕焼け空にポツンと存在している赤い物体。その小さな赤い異物はみるみる内にオレンジ色の空を埋めつくし、その空を真っ赤に染め上げた。
「何が………」
真っ赤に染め上げられたその空から何やら赤い血のようなドロドロとした液体が溢れ出してくる。
その液体は空中のある一点に収束し続け、やがてその液体は巨大な赤い布を頭から被った巨人へと姿を変貌させた。
「ゲームマスター?」
「何がどうなって………」
『──プレイヤーの諸君、私の世界にようこそ。』
その異様な光景に更に混乱を増したこの広場に巨人の声はやけに大きく響き渡った。
その巨人が語り始めると同時に、次第に周囲の喧騒は止み始め、そして全ての人々が話すことを止めて巨人の言葉に静かに耳を傾けた。
『──私の名前は茅場昌彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ。』
この時点で沖田の頭の中には疑問符が生じ始めた。
──世界をコントロールってどういう事でしょう?げーむの中だとそういう事も出来るのでしょうか?
沖田は思考を必死に巡らせてみるものの、中々答えには辿り着けない。むしろ考えれば考える程こんがらがっていくような気もする。
『──プレイヤー諸君は既にメインメニューからログアウトボタンが消えている────』
「……あ、もう無理ですね。」
沖田の頭の中で何かがプチっと切れた。
そして、キャパシティーを越えた沖田の頭は理解することを諦めた。
◇ ◇ ◇
「ふざけんなよっ!!!!!!」
「此処から出せよっ!!!!」
「こんなゲームやってられるか!!!!」
沖田の耳にさっきとは比べ物にならないほどの怒号が数え切れないくらい飛び込んでくる。
その喧騒に理解を放棄して半分フリーズしていた沖田の脳は次第に現実へと復帰を果たしていく。
「もう……本当に何がどうなってるんですか。こんな事になるならやっぱり断っとくべきでしたかね……。」
沖田はあからさまに大きくため息をつきながら空を見上げてそうぼやいた。
空はもう異様な赤色から元の平和な夕焼け空に戻っていた。その空の下は全く平和な状況では無い訳だが。
しかし、理解を放棄していた沖田に当然今の状況を理解する術は無い。やはりノッブを1秒でも早く見つけ出すことが先決であろうと考えた沖田は改めて周囲を見回す。
そして、以外に早い段階でノッブらしき姿が視界に入った。いつもの特徴的な帽子はかぶっていないものの、地面に座り込んでいる長い黒髪の少女は何となくノッブだと沖田には分かった。
「はぁぁ、これでやっと…………ノッブー!!」
第一目標を達成した沖田は安堵のあまり笑みさえ浮かべながら座り込んでいる黒髪の少女に駆け寄った。
「やっと見つけましたよ、ノッブ!もう、何処行ってたんですか、お陰でこっちは──」
「わしに何か用か!!!!………って、なんじゃお主か、脅かすでないわ。」
「それより、色々聞きたい事があるんですよ。まず、今の状況から教えて下さい。」
沖田がノッブにそう尋ねると、ノッブは腕を組み少し黙りこんだ。そして、座り込んだままやけに真剣な目付きで沖田を見つめる。
「のう、沖田。」
「なんです?」
「……八つ当たりしてもよ──」
「三段突き喰らわせますよ。」
最早取り付く島も無かった。
「……だってだって、わしの渾身のアバターが一瞬にして消されたんじゃぞ!?!?!?これが、八つ当たりせずにいられるか!!!!サル、酒を樽ごと持てぃ!!」
「知りませんよ、そんな事。そんな事より色々説明をしてください。ノッブが此処に連れてきたんですから。」
「うーん、説明することが多過ぎて面倒臭いんじゃが。それにお主理解力ないし。」
「帰りますよ。」
「帰れないから皆騒いでる訳なんじゃが……。まぁ、此処に突っ立っていても何も始まらんからのう、取り敢えずは次の街まで移動するぞ。諸々の説明はそこでしよう。」
首を気だるそうにコキコキと回しながらノッブは沖田にそう告げた。
「……何か色々と釈然としませんけど、分かりました。今はノッブに従っておく事にします。」
「で、あるか!それでは、いざ行かん大冒険の旅へと!!」
「おー。」
──そういえば、このげーむはどういうげーむなのか教えて貰ってませんでしたね…。結局ノッブは仕組みの説明しかしてくれませんでしたし。
広場の外に向かって走っていくノッブを追いかけながら今更ながらに沖田はそんな事を考えるのだった。
◇ ◇ ◇
どうせ対して広くは無いだろうと思っていた街は意外にも広かった。
街から外に出るのに走って10分程もかかるというのは相当な物だろう。
そして、街から出た二人の前に今広がっているのは、果てという概念を感じさせないほどに広大な一面の草原だった。
「……もう沖田さんは驚きませんよ。えぇ、驚きませんとも。」
「……その割には目が見開かれておるんじゃが。」
「ノッブの目が腐ってるんです。」
二人は草原の中の一本道を走りながらそんな会話を交わす。
そんな強がりを言ったところで沖田の本心はやはり驚愕の一言に尽きるというもの。まさか街だけではなく、こんな広大な地形さえも再現しているとは考えもしなかった。悉く沖田の常識を軽々しく超えてくるこの世界に早速目眩のようなものを感じ始める。
軽く額を抑えている沖田に、隣からノッブの比較的呑気な声がかけられる。
「おぉ、これはちょうど良い所に。沖田、このゲームの初めのレクチャーをしてやろう。」
「……??」
こんなだだっ広いだけの草原で何を教える事があるのだろうかと首を傾げる沖田に、ノッブは顎で前を見るように促す。
沖田が視線を前に向けると、そこには少し前に街の広場で見たような青い光に包まて現れた狼のような動物。
「あれを斬れば良いんですか?」
「まぁ、端的に言えばそういう事なんじゃけど……。後このゲームにはソードスキルという技があるんじゃが、お主は使わない方が良いじゃろうな。」
「…?良く分かりませんけど取り敢えず斬れば良いんですね。」
そう言って沖田は腰の剣に手をかける。
沖田が使い慣れている日本刀とは違う形状をしてるものの、それはさしたる問題ではない。
弘法筆を選ばずとも言う。
その道の名人や達人と呼ばれるような人は、道具や材料のことをとやかく言わず、見事に使いこなすということである。嘗て天才剣士として名を馳せた沖田にとって剣が少し変わった所で何も問題は無いのである。
どちらにせよ、敵は一刀の下に斬り伏せるのみ。
道の真ん中に陣取っている狼は、ある程度まで近付いてきた沖田を待ちわびていたかのように咆哮と共に勢い良く飛び掛かってくる。
「──グルァッ!!」
「──速攻で方をつけます!!!!」
─無闇に生き物を殺生するのは気が進みませんけど…。まぁ仕方ありませんよね、敵ですし。
等と比較的呑気な事を考えながら、地面を蹴りつける。
そう、それほどまでに簡単な事の筈だった。
何一つ苦労することなく一瞬にして方がつく筈だった。
「──なっ!?!?」
地面を蹴りつけた瞬間、沖田の体に強烈な違和感が走った。
剣の形状等比べ物にならないほどの強烈で無視出来ないような違和感。
その違和感を狼と交錯する直前に察知した沖田は剣を抜く事を止めて、倒れ込むように斜め前に向けて前回り受け身に切り替える。
その咄嗟の判断により、狼を斬ることは叶わなかったにしても、狼を避けることには成功した。
互いに攻撃を外した沖田と狼はすぐに互いに向き直り、互いを牽制する。
「……体が、動かない………?」
沖田が感じた違和感の源は沖田自身の体だった。
本当に体が動いていない訳ではない。だが、本来の沖田の速さからすれば、
そして、自分の体の調子は至って良好だ。吐血もしていない。
故に、だからこそ、理解出来ないのだ。
この信じられないほどの遅さが。
「ノッブ、どういう事ですか!?!?」
自分に原因が無いのなら、それはこの世界のせいだろうと直感で悟った沖田は、少し離れた茂みで呑気に観戦しているノッブに使って声を張り上げた。
「あー、そういう事か……。」
「1人で納得してないでちゃんと説明してくださいよ!」
「んー、つまりじゃな、この世界は一般人用に作られたものじゃから、この世界の初期設定の走る速さも一般人より少し速いくらいの速度になっとるんじゃよ。わしはギリギリ対応出来とるけど、お主は流石に無理じゃったかのぅ……。」
「そういう大事なことは最初に言って下さいよぉぉ!!!!」
剣を半ばやけくそ気味に鞘から抜き放ちながら、沖田はノッブに向かって思いっきり叫んでいた。
結果から言えば無事に狼は倒す事ができた。因みに狼の正式名称なんて沖田は知らない。英語表記とか読めるわけがないのである。
しかし、倒す事は出来ても余りにも時間がかかりすぎた。
少なくとも、
「もう飽きてきたんじゃが。」
とノッブが草っ原で寝転がってしまう程には。
「ぜぇ、はぁ……こんな、疲れたの、久し、振り、です……。」
そんなノッブとはうって変わって沖田の方はただ事では無かった。
剣を杖代わりにしながらノッブの隣まで移動した沖田は電源を切られたロボットのようにガクッと草っ原に倒れ込んだ。
「そうじゃ、今のうちにフレンド登録しておくか。ついでにパーティーも組んでおかんとな。」
「全部ノッブやっといてください。どうせ私は分かりませんよーだ。」
「お主も動かないと出来んのじゃが。」
「えー。」
仰向けに倒れていた沖田は渋々上体を起こし、ノッブに言われた通りに良く分からない画面を操作していく。
「──後は出てきた画面の○ボタンを押せば終わりじゃ。」
「ふっふーん、これくらいなら沖田さんでも楽勝ですよ♪」
ふんす、と鼻を鳴らしながら沖田は得意気にノッブに剥けてドヤ顔を決める。
その様子を見たノッブは深くため息をつく。
正直な所、この操作さえ出来ない場合は本当にこれからどうしていくべきかを本気で考えなくてはならなくなる所だった。沖田がそこまでの機械音痴では無かった事を今はただ安堵するのみだ。
そして、二人がフレンド登録の画面に改めて顔を向けたその時だった。
「「………んー?」」
二人から同時に怪訝そうな呻き声が出る。
「これは………不味いですね。」
「不味いのう…………」
二人は渋めた顔を見合わせながら、小さく呟いた。
ノッブの画面に映る1つのプレイヤーネーム──
沖田の画面に映る1つのプレイヤーネーム──
───もうお分かりだろうか。
「真名隠すの忘れてましたぁぁぁ!!!!」
「真名隠すの忘れとったぁぁぁ!!!!」
「言い出しっぺのノッ…魔人アーチャーが何でこんな重要な事忘れてるんですか!?」
「お主も人の事言えんじゃろ!?先にノッブとか呼んできたのお主じゃからな!!」
沖田(桜セイバー)とノッブ(魔人アーチャー)が、不毛な言い争いを始めようとしたと同時の出来事だった。
彼女らが転がっている草っ原の隣の道を1人のプレイヤーが通り過ぎていった。
チラッと二人の方に視線をやった黒髪で細めの男性プレイヤーとノッブの視線が交錯した。だが、互いに言葉を交わすことはなく、黒髪のプレイヤーは慌てたようにノッブから目を反らしてそのまま走り去ってしまった。
だが、ノッブと沖田にとってはそう簡単に終わらせる訳にはいかない問題なのである。
「のう沖田、今の話聞かれたやも知れぬぞ。」
「ダメじゃないですか。」
そして、二人は互いに顔を見合わせて、示し会わせたように同時に頷いた。
二人は無言で立ち上がる。
何故?
──追い掛けるため。
誰を?
──走り去っていくプレイヤー。
目的は?
──口封じ。
「「………待てぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」」
「え!?ちょっ、まっ……!!!!」
幸い他の目撃者はいなかった。
しかし、二人と憐れな男性プレイヤーの鬼ごっこは次の街に着くまでノンストップで繰り広げられたらしい。
良ければ感想とか評価とかお願いいたします……(超小声)