飛龍隊戦記-ストライクウィッチーズ1937-   作:はまっち

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できる限り続けていきます


26-08.01
第一話 上渝水城


 空にあこがれていた時が、昔はあった。

 青くて高くて、どこまでも見通せそうな蒼穹も。暗くてどんよりと落ち込みそうなほどの曇天も。

 紅くて広くて、遠く戴天の山を望まんばかりの夕暮れも。岷江の水かさを思い切り持ち上げる荒天も。

 雪や雨で大地を潤し、だけども黒く分厚い雲で太陽を隠したり。

 かと思えば雲一つない青天にお日様を浮かべて私たちをカンカンに照り付けたり、山並みの向こう側でごろごろと雷鳴を轟かせたり。

 そんなくるくると移り変わる空模様が、それも含めた天空が大好きだった。

 

 だから私は、大空を目指したんだ。

 父のいない房子を守るために? 青天白日の旗を守るために?

 いいや、それはきっと――――

 

「……おい、いい加減に起き給え」

 ゆさり。大きく右肩を揺さぶられて、少女の意識はぷかりと湧き上がる。

 暖かく、春の日差しの中にいるかのような安寧だけが閉じた瞼の外側から伝わる、そんな気がした。

还不快起床(おーきーたーまーえー)、そろそろ着くぞ」

 今度は複数回、連続した揺れが右肩を中心に引き起こされる。

 丁度今誰かに起こされているんだろうか、少し訛りの入った言葉が耳に入っては出ていく。ぼんやりと寝ぼけた脳の中には一言たりとも入らずに、だ。

「うーん……もう少し…………」

 青灰色の肩を震わせて、少女はおもむろに左側を向き肩を寄せる。

 泥のような眠りを妨げに来る魔の手から逃げるように、寝ぼけ半分で丸く青灰色の軍服の中で腕と腕とを寄せ合った。

 はぁ、何があっても起きようとしない姿勢に業を煮やしたのか、丸まった少女の肩から暖かい手が外れる。直後、大きなため息と一緒に、すぅ。と肺のすべてまで空気をいきわたらせる音がした。

 

起来吧(起きろ)!!」

 

 耳元に息がかかるほどの距離から、怒号が響く。ゆったりとした心地よさとは無縁の声が少女の脳髄を突き刺してその瞼を有無を言わさずこじ開けた。

「わわわっ!! ――――が、(ガオ)志航(ヂーハン)少校!? 敬礼っ!」

 少女は突拍子もなくつい先ほどまでの薄い眠りから叩き起こされる。そのまま条件反射的に慌てて立ち上がったはいいものの、勢いのあまり低い天井に頭を打ち付けた。

 硬い木製の屋根と黒い髪に覆われた頭頂部とが直接ぶつかり、ゴチンと火花でも散るのではないかと見まごうほどの衝撃を双方に与えた。

 (ガオ)は涙目になって床の上に蹲った彼女を一瞥すると、先ほどまでの剣幕は何処へというかのように平然と口を開く。

「おはよう、(リウ)哲生(チーシェン)少尉」

 (リウ)と呼ばれた少女――(リウ)哲生(チーシェン)はあ痛たたと小さくうめきながら、竹製の座席に座る黒色の軍常服に身を包んだ女性――高志航を見上げた。

「おはよう、ございます…………もう少しマシな起こし方は」

「知らんね。そもそも頭を打ったのは君が慌てすぎたからだろう」

 志航はくすりと笑い、頭を抱えて床の上に蹲る哲生に立ち給えとばかりに手を差し伸べた。

 ありがとうございますと目尻に涙を浮かべながらも頭を下げる。志航がうむと小さく頷いたのを見て、その厚意に甘んじることに決めた。

 自分よりは数年上の、大きな右手に右手を重ね合わせる。

 妈妈(お母さん)というよりは爸爸(父上)だな、内心でぽつりと独り言ちて、将校特有の白い手袋の滑らかな感触を掌全体で感じた。

 哲生はいそいそと身だしなみを整えると志航の隣に置かれた椅子にちょこんと腰かけ、はぁと嘆息する空軍少校の横顔を恐る恐る覗く。

「全く、私よりよほど“航海”を楽しんでいたようだな」

「し、失礼しました! しかし、本日はまことにお日柄もよく…………」

 中央航空学校の癖が抜けきっていないのか、上官の言葉にはついつい声を張って返してしまう。船室の中ではそこまでの声量が必要というわけではないのに。

 ちらりと横目で見た先には燦燦と昼時の陽に照らされ、ほのかな温かみを持った書物が、木製の小さな机の上に載っている。哲生が持ち込んだ覚えのない書物――恐らく志航の持ち物なのだろうと結論付けて、彼女の返答を待った。

 志航はふぅと一つ息をつくと、哲生の緊張に凝り固まった顔をしげしげと眺めてまたため息を溢す。

「まぁ……解らんでもないが、頼むから暁角の音くらいは覚えてほしいものだよ」

 えへへ。したたかに打ち付けた頭を撫でながら、哲生は小さく笑った。痛みをこらえるように頬を上げ、目尻をそっと親指で拭う。

「高小……高志航少校、任地はまだでしょうか?」

 少女は狭い部屋をきょろきょろと見渡し、二人分の荷物と質素な調度のみを認める。小さな体を包み込む青灰色の軍装が、殺風景な部屋にはやけに映えた。

 ふむ。鼻を鳴らした志航は墨を吸ったように黒い軍常服を少しずらして、腕時計へ目をやる。

「もうすぐすぐだ」

 途端、汽笛がぼぉ、と高らかに鳴いた。

 一定の、ゆったりとした揺れしか返してこなかった床が。椅子が。若干の緩急をつけてその波を変える。

「わあ……!」

 哲生はガラス張りの船窓に顔を張り付けるように近づけて、外の様子を窺った。

 青い空に白く輝く太陽。濃緑に萌える四川の山並みのところどころに、灰色の煙花が漂う。

 遠くに見えるのは四面山、目の前の山には革命の英雄が隠居しているとかいないとか。

 茶色く濁った川の上を行く何艘もの小舟の上から、編み笠を被った漁夫たちがこの大きな鋼鉄の塊へ向けて。少女たちに向けて大きく手を振ってはまたもとの生業に戻っていく。

 

 中原大陸の二大大河のひとつ、揚子江。

 故郷の河川をみんな束ねて流れるこの川は、軍艦が通れるほど深く、広い。古の軍隊が渡ることができずに降伏したという話も、逆に天下分け目の決戦が行われたという話も数多く残る、まるで長大な城。

 近頃、つい1ヶ月前から活発化しているという怪異の群れも、この川を超えては来ない。かつての帝王が怪異に敗北したのち、父祖は広東、四川、雲南などほんの少しの大地にこびり付くことを選んだ。その名残の、数少ない安住の地。

「機械化航空歩兵――――私はウィッチとして、きちんと戦えるんでしょうか」

 少女の手に、思わず力が入る。ぎゅっと固く握りしめられた拳が青灰色の袖の下で震えた。

 志航はふっと口角を緩やかに上げると、哲生の肩をポンと叩いて腰を浮かした。よっこらしょと独り言ちながら日向へ。木製のテーブルに無造作に乗せられた小さな本を手に取る。

「君が青天白日の心で戦うなら――じゃないかな」

 李白と掠れた字で書かれた表紙を白い手袋越しに撫で、徐に鞄へと押し入れる。

 怪異の群れからこの大漢の民を守る気概があるのなら。小さく付け足して、志航は低い天井に気を付けながら立ち上がった。

「将に『思君不見下渝州』…………ってことかもわからんね」

 そうしてくつくつと志航は笑った。汽笛は再び高く嘶き、旅の終点だと伝えてくる。

 

 怪異の姿なんて見えないまま、船は渝州へ下りていく。

 

 

 古の都へ。今の都へ。大漢民国という朽ち果てた龍の背に乗って。

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