飛龍隊戦記-ストライクウィッチーズ1937-   作:はまっち

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第一一話 省非礼負荊

「……ん」

 哲生は小さく呻いた。

 うすらとぼやける視界の中に、丸い窓枠へとぴったり収まった金網が見える。錆びた索条に水滴が浮いては赤銅色のしずくになって、そのまま結節の方へと伝っていた。

「……暑い」

 顔をしかめて呟く。からだの節々が重く、痛い。

 体温が毛布一枚の下に隠って、じっとしていても汗が吹き出してくるようだ。長袖の中山服がうっとうしくて適わない。

 ぼんやりとした視界にうつるのは木製の(寝台)に、布切れのように薄い被子(掛け布団)。小さな黒い木のブロック――枕头()が後頭部に堅い感触を押し返している。

 いやな湿り方をした首筋に、肌に貼り付いた中山服がべとりと気持ちの悪い冷たさを突きつけた。

「ここは…………?」

 身を起こし、瞼を擦る。上半身が毛布から取り払われ、朝の冷たさを含んだ大気へと触れた。

 牀に差し込む朝日がうすらとぼやけて、光が滲む。長い雨の後のようなほんのりと重くしめった匂いをかぎ取って、ああ霧か。と結論づけた。 

 ズボンの上に掛かっている毛布を剥ぎ取り、牀からすぐ下の床へと飛び降りる。

 板間に素足がぺたりと音を立てて貼り付く。やけに重い身体の節々に首をかしげながら、哲生はゆっくりと木製のドアノブを押し下げた。

「おっと」

 ふと。押し込んだ廊下の側から声がする。危なげなく、飄々とした低めの声色で扉を受け止めた。

 声の主はコツリと踵をならして板の廊下を一歩移動すると、戸先の散りに手をかける。

 将校用の白い手袋に、炭のように黒い軍常服の袖。細い首にあてがわれた詰襟に、金糸の2本入った一つ星。

 少女は、ふっとドアノブを握る手から力を抜いて破顔した。

「おはようございます、高志航少校」

「おはよう、柳君」

 志航は、扉の前に立つ哲生に小さく微笑んだ。

 失礼。おもむろに隙間から軍靴のつま先が差し出される。少女はこくりと頷いて外開きのドアを押す。短い髪が舞い、小さな房子の中で踵を返す。

 こつりと軽い音が、その瞬間に外界から閉ざされた部屋に響いた。

「昨夜はよく眠れたかな」

「……え?」

 ぽつりと問われた言葉に、思わず返す。

 昨夜はよく眠れたかなと言っているんだ。

 志航は続けた。

「…………もし枕子が合わなかったりとか、羽虫が夜うるさく飛んでいたとか、蒸し暑くて眠れないとかあれば出来る限り言ってくれ給え」

「い、いえ。それは大丈夫なんですが……」

 簡易的な牀に腰かけて、俯く。

 水灰色の中山服とズボンが牀と粗末な毛布を背景にして視界に映る。哲生の隣に腰かけた志航の長い黒髪が視界の端に映るたび、少し気恥ずかしさと緊張感が増したような気がする。いてもたってもいられず、脱力させていた両腕を膝の上にのせてその指を絡ませた。

「なんだね、言いにくいことか?」

 不安げに顔を覗き込もうとする。ちらりと目をやって、哲生は皺を寄せた眉毛を元に戻した。

「……ここはどこでしょうか」

 ぽかんとした志航の顔が目に浮かぶ。今尋ねるべきではなかったか。若干の後悔を胸中に漂わせながら哲生は俯く。

 志航はふむと一つ鼻を鳴らして、牀から腰を上げた。

 ふとつられてその顔を見上げた哲生に笑いかけると、白い将校用の手袋に包まれた人差し指をまるで西洋乐队(オーケストラ)の指揮棒のように目の高さまで持ってきて、にこやかに口を開いた。

「ここは大漢民国空軍航空委員会第三処第八科所轄の奉節防空監視哨隊舎だ。場所はわかるかね?」

 長ったらしい正式名称を、陀羅尼か六甲の秘祝(呪文)のように羅列する。

 奉節防空監視哨――どこだったかと思考が揺れる。最近どこかで聞いたような、でも思い出せないような。微妙なもどかしさ。ぐるぐると目を回す哲生に目を向けて、くつくつと彼女は笑った。

「ええと……奉節県には甘皇后廟と永安宮と灩澦堆(くとう)くらいしかなかったような…………」

「悪い悪い。ええと、どう説明すればいいかな。ここは奉節防空監視哨と呼ばれる大漢民国の基地だ。昭烈帝の没した……白帝城を改修して簡易的な前哨基地にしている」

 ただ名前があまりに長すぎるおかげで、大漢民国の誰もが大昔通りの白帝城と呼び続けているんだ。

 明白了吗(わかったかね)? ちらりと覗かれた視線に、哲生はこくりと頷くことで返した。

「でも、なんで白帝…………あ」

 哲生はふと頭を巡らせ、つい昨日のことを思い出す。上官反抗と、単独哨戒。怪異に撃ち落とされ、そうしてその結末のことも。

 思い出したかね。志航は静かに口角を上げ、反対に哲生は顔を下に俯いた。

「……あ、あの節は本当に」

你不必道歉喔(やーめーたーまーえ)。昨日も言ったが、気にする必要はないんだ」

 対不起(ごめんなさい)。その言葉を塗りつぶすように、彼女は笑った。

「覚えちゃいないかもしれないが、それは私もよく通った道だ。気にしてはいないさ」

 志航はくつくつと楽しげに笑み、ちらりと哲生に目をやる。

 ごくり、唾を飲む。絡まった指が自然とほどけて握り拳にかわり、伏せたままの顔をゆっくりとあげた。

「…………諒をして非礼を働いたこと、吾身に省みます」

「うん。むしろ謝ってもらうより先を見据えて精進を積んでもらえるならば、第四大隊隊長としても大変喜ばしいことだ」

我才懂了(なるほど)、それはそれは誠に喜ばしいことですね」

 低い、低い声が響く。少女が無理矢理声を低めたような、声。

 志航の頬が固まる。ぽとりと、金網を伝って水滴が落ちた音がする。

 痛いくらいの静寂の中、第三者は木製の戸を思い切り引き閉めてから切り出した。

「ところで私のストライカーの所在を知りませんか。昨日の昼からなぜか見当たらないのですけれど」

 被子についた腕に力が籠もったのか、簡易な牀がぎしりと鳴いた。

 哲生は腰掛けていた牀の端から立ち上がると、ごくりと唾を飲み込んで“第三者(ディーサンジャ)”へと視線をやる。

 それはカーキ色の詰め襟の少女。昨日出会った楽少尉……以純と同じくらいの年に見える背丈。その体躯に纏った軍服は中山服とは少し違う装いで、鉢巻が無くシンプルな――悪く言えば堅苦しい制帽と相まって冷徹な印象を漂わせる。

 そう、どちらかと言えば大漢民国と言うよりは海の向こう――扶桑皇国の軍装に近い。

「私の蒼鷹(ツァンイン)を知らないか。と聞いているんです。心当たりがあるなら早急に吐いたほうがよろしいのでは?」

 こつりと軍靴が音を立てて一歩近づく。早口で捲したてるその顔は、その声は、大漢のものだ。

 少女は焦りを顔に浮かべている志航をちらりと一瞥した後、哲生の目の前に立つ。

 話は全て聞かせて貰いました。

 そう少女は前置いて、鋭く尖った視線を目の前の哲生に向けた。

「……あの、蒼鷹は」

 小さく息を吸い込んで居直った哲生の言葉を遮るように、少女は強く睨みつけてその水灰色の中山服の胸ぐらを掴み上げる。

 ぐいと、哲生の顔が少女に近づけられる。敵意を剥き出しにしたその眦に息を呑み、哲生は一歩、下がろうとした。逃すまいと力強く衣を巻き込んだ拳が胸にめり込み、哲生はけほりと咳き込む。

「やめろ李君! 柳君は……」

「高少校は黙っていて下さい!」

これは仙女(ウィッチ)仙女(ウィッチ)の話です。立ち上がって二人の間に入り制止しようとした志航を少女は睨みつけると、すごすごと引き下がった彼女に目をやってから哲生を向き直る。その細い腕に強く強く力を込めながら。

「説明義務があります。官姓名の後にこの事態発生までの経緯と発生後の顛末等を詳細に答えて下さい」

 ほら、早く。

 その少女は貼り付けたように口元をゆがませる。左頬だけを大きく上げ、右側を無表情に抑えた、奇妙な笑い方。

 ぎりと啼いたのは少女の歯軋りか、それとも締め上げられる中山服の悲鳴か。

「あなたは、誰……ですか」

 苦しげに呻く。肺腑が圧迫されて、練れる気も練れない。細まった視界の中でカーキ色の軍服が揺れた。

 少女はチッと舌打ちし、哲生の青灰色の中山服を突き放す。

「柳君!」

 円窓と金網に肩がぶつかり、水滴が飛び散った。哲生はけほりと小さく咽せて、カーキ色の少女を睨みつける。

「私は(リー)文驊(ウェンファ)、階級は中尉。航校2期卒」

 ぶっきらぼうに言葉を垂れ流す。きっと冷たく目を細め、口を真一文字に結ぶ。

 文驊(ウェンファ)はその堅苦しい制帽を正した。

 

「では、あなたは誰ですか。小西烧饼(くそったれめ)

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