彼女達が、俺の希望の光になったように―――。
柏崎の佇まいを例えるなら、城塞である。
そして、その城塞から放たれる砲弾がごとき拳が、掌が、肘が紅葉へと殺到する。
「これも耐えますか。 …………であれば、そろそろギアを上げていきますよ。」
「ふざ、ける、なよ……ッ!」
バンッ、バンッと爆発のような、炸裂する音が両者の手と腕から響く。
掌底、発勁、肘撃、合間に震脚を挟んで、放題な運動エネルギーを蓄え放つ。
「ギアを上『げ』」の部分で動きが更に加速し、ヂッと革手袋の一部が紅葉の防弾コート越しに腕を掠めた。 たったそれだけで、腕から嫌な感触が危険信号として発せられる。
腕や手の甲で辛うじて受け流せているが、それらを柏崎の手が掠める度、ギシギシと骨が軋むのが分かる。直撃すれば間違いなく折れるだろう。
「……おや。」
「―――シィ!」
バチンと乾いた音を立てて柏崎の右手が流される。 初めて見せた明確な隙を前に、紅葉は渾身のストレートを顔面に捩じ込んだ。
低くも鈍い音が鳴り、一瞬の静寂が場を包み―――――――握り拳の小指の横から見える眼窩から、ギョロリと黒目が動いた。
「―――それで?」
柏崎は震脚を極めている。 故に、地に足が着いていれば、車が追突でもしない限り動かすのは容易ではない。 正しく不動。
そして柏崎が、静かに深く息を吐いた。
「しまっ――――。」
「0.7秒遅い。」
離れようとした紅葉の自身へと叩きつけた方の腕を掴むと、引き寄せながらロングスカートの中で足を大きく持ち上げる。 次いで、先程とは比にならない大きさの振動が施設を揺らす。
打ち出す動きと引き寄せる動きが重なり、無防備な紅葉の胸に、右手のひらという名の砲弾が打ち込まれ―――――。
「ごぼ、ぉっ……!?」
「……私の発勁は、強化ガラスを
それはつまり、衝撃が全体に拡散するのではなく、一転集中で対象の体―――または物を手の形に貫通すると言うことになる。
密着状態からの本気の発勁により、ボンッと内臓がグチャグチャにミキサーされたような感覚と、遅れて口から深紅の液体が漏れ出る。
衝撃が胸から背中へと抜け、スポンジを握り潰して水を絞り出すように、鮮血が口から溢れて柏崎のメイド服の袖を赤く染めた。
――――感触からして肋骨を砕いた。 心臓と肺を背中側に押し込むように潰した。 なのにまだ生きている。 胸に叩きつけた掌を支えに立ったまま脱力する紅葉を見て、柏崎は呟いた。
「ここまで頑丈だと、なんと言いますか、気持ち悪いですね。 まるでその形から崩れないように、無理やり押さえ付けられているようで。」
「…………知った、ことか……。」
予期せぬ返事に、さしもの柏崎ですらギョッとする。 コールタールのように光を反射しない黒目が、柏崎の黒目と交差した。
「ごぶっ…………あいつらが、必死に戦ってる横でぐちぐち文句しか言わねえ馬鹿も、げほ、不安を煽って武器を持たせるお前たちみたいなテロリストも、あいつを不安にさせることしか出来ない俺も…………。」
そこで途切れる言葉を他所に、柏崎は、紅葉の左手が何かを握り、その何かを太ももに突き刺して注入していることに気付いた。
「――――貴方……っ!」
「皆等しく、死んでしまえば良い。」
命の灯火が消えかける寸前と言っても過言ではなかった紅葉の心臓が、熱い血液を循環させる。 脳から何かが溢れて痛みが鈍り、口どころか鼻や耳からも血液が垂れ流されていた。
死ぬ間際だった紅葉が命を盛り返す要因となっている、軍用の注射。 空になったそれを横目で一目見て、柏崎は劇薬だと気付く。
「(イースの偉大なる種族の言う通りなら、どうあがいても最後には負ける。 だとしても、これを前に『負けろ』は、些か理不尽が過ぎる……!)」
紅葉が柏崎の腕を払い、拳を握る。 柏崎もまた、僅かに上げた足の裏で床を踏み砕く。
「――――ッォオ!!」
「スーーーッ、フゥ……!!」
柏崎の顎に紅葉の右フックに打ち抜かれるのと、紅葉の左肩に柏崎の肘撃が突き刺さるのは同時だった。 ミシリと紅葉の骨が軋み、ぐにゃりと柏崎の視界が歪んだ。 脳を揺すられ、三半規管が狂い、酔ったような感覚が襲う。
それでも、半ば無意識に震脚を行う。 地中に根を張るように、足を深く床に叩き付けたが、それが失敗だと数拍置いて悟る。
「(――――脳が揺れた今の私が不動でいたら、単純なサンドバッグに……っ)」
顔の横から伸びた影を頼りに、顔を背けてフックを避ける。 続けざまに放たれたボディブローを腹筋に力を入れて耐え、
「…………不思議です、私は今、貴方に勝ちたいと思っている……!」
「勝手に思ってろ……ッ!」
双方の左頬に、掌底と拳が当たり、殴り抜ける。 ガクンと顔を揺らして仰け反る二人は、同時に踏ん張ると、金槌でもぶつけるように互いの額で額を割らんと頭突きを繰り出す。
「貴方に、勝つ……!」
「お前を殺す……!!」
額の皮膚が割れ、血が滲む。 紅葉も柏崎も、最初にあった冷静さと無表情は無く、獰猛な猛禽類のような表情を浮かべている。
紅葉の膝蹴りを両手の平で包むように防ぎ、返す刀で放たれる肘撃をダッキングして避ける。
後ろに回り込んで柏崎の膝裏を蹴り、足を地面に突かせた紅葉が、腰の尾てい骨側に隠していたグロック26で確実にトドメを刺そうとするが、引き金を引く僅かな音を頼りに首を傾げられ、弾丸が床に穴を空けた。
バネを伸ばすように立つ柏崎に再び発砲するも、手の甲で弾かれ、革手袋から火花が散った。 防弾加工で鉄板でも仕込んでいたのか。
「接近戦で銃などと……!」
「弾くか……化物め。」
更に数発撃ち込むが、さも当然のように手で弾丸を払い、挙げ句掴んで止めた柏崎は、接近して紅葉の右手のグロック26を右手ごと掴む。
咄嗟に手を離した紅葉は柏崎の掴みから逃れられなかったグロック26が、グシャグシャと嫌な音を立ててスクラップにされて行く様子を見届けた。
「化物とは……貴方程でもありません。」
「冗談はよせ。」
そう言いつつ、膝を曲げ、伸ばす勢いで紅葉は駆ける。 ズン、と地下施設を揺らす震脚で待ち構える柏崎を前に、素早く回り込んだ。 背後を取った紅葉は右手首のブレードを展開しようとスナップし――――――。
「――――靠撃。」
ポツリと呟いた言葉と共に、背中を向けたまま踏み込む柏崎を見て、紅葉の背筋に怖気が走る。 脊髄反射でブレードを出す直前の右腕を盾として構え、両足を床に接地した紅葉に対して、柏崎は背中から倒れるように紅葉にタックルした。
――――靠撃、すなわち鉄山靠。 わかりやすく言えば背中や肩で行う体当たり、或いはタックルなのだが、これを柏崎は不動故に背後に回るだろう相手へのカウンターに利用している。
まるでB級映画の安いワイヤーアクションかのように、または乗用車に追突されたように、紅葉は壁際まで面白いほど大きく吹き飛んだ。
肩が右腕に触れた瞬間、
紅葉にもう少し格闘技の知識があれば、受けるのではなく避ける事を選択しただろう。 仮に友奈が相手であったら受けたうえで反射するが。
「……っ、ぅ……ひゅぅ、う。」
肺から空気が抜け、呼吸が出来ない。
かつかつと踵を鳴らして迫る柏崎を前に、呼吸を荒く整えながら動かない右腕を庇いながら左手で壁を支えに立ち上がる。
「いっそ、死んだ方が楽なのでしょうに。」
「……全員、殺すまで……死ね、るか……。」
「守りたい相手が居て、それが戦う理由になっている。 それはなんとも、
眼前の
だから、羨ましいと思った。 そして同時に、今こうして先人紅葉と戦っている事が、楽しいとまで思っていた。
―――故に考える。 もし、自分を助けた相手が、彼でなくこの男だったら―――――と、そこまで考えて、不意に廊下の天井に備え付けられたスピーカーから声が聞こえてくる。
『――――お前はいつまで侵入者と乳繰り合っているんだ、柏崎。』
「……イース。」
中年の低く、しかし人を人として見ているようには思えないような見下した声色で、柏崎がイースと呼んだ男が喋り出す。
『柏崎、お前は自分の立場を理解しているのか? なにも気まぐれで拾ってやった恩を返せとは言ってない。 だが、殺せと命じられたら、殺せ。 …………出来ないからこうなる。』
スピーカーの奥で、キーボードを叩く音が聞こえてくる。 次いで、淡々としたイースの声がした。
『そこは確か……Bの3じゃなくて…………F区画の2番通路か、じゃあこれだ。』
タン、とエンターキーを指で叩く音がした。 次の瞬間には、壁から躍り出る過程でピンがワイヤーに引き抜かれた、紅葉にとっては見慣れている黒い物体が幾つも落ちてきて床に転がる。
『負けるも死ぬも同義だろう。 じゃあな柏崎、お前の淹れるお茶は何度飲んでもクソ不味かったぞ、いつも茶葉入れすぎなんだよ。』
ブツン、とスピーカーの音が消え、遅れて数えるのも馬鹿らしい量の手榴弾が一斉に起爆して二人を巻き込んだ。
◆
スプリンクラーが作動する廊下を、血まみれの男が歩いていた。 左手にはメイド服の女性の襟首を掴み、引きずるように連れている。
「……味方ごととは、薄情な奴だ。」
「……私とあの男は味方ではなく、敵ではないというだけです。 切り捨てるチャンスがあれば、裏切られる前に殺すのは当然でしょう。」
「お前、仕える相手を間違えたな。」
「ええ……そうでしょうね。」
ふらふらと軟体生物のように揺れる右腕には感覚が無い。 そして左手には柏崎という荷物がある。 腰のグロック34を抜くには苦労するだろう現状、爆発に気を取られて誰も近寄らないのは幸運に他ならなかった。
折れた鉄パイプに深々と腹部を貫かれている柏崎は、床を伝う血液がスプリンクラーの水に流されている様子をぼんやりと眺めていた。
「……何故、庇ったりしたのですか。」
「理不尽を前に『仕方ない』と諦めた顔をしたお前に苛ついただけだ。 お前も少しは、死ぬ気で足掻いてみろ。
足を止めた紅葉が肩で扉を押し開け、薬品保管室らしい誰もいない部屋に柏崎を運び入れる。 固く冷たい床に横たわる柏崎を他所に、紅葉は部屋を出ようとしていた。
「俺はあの男を殺しに行くが、お前の生死はどうだって良い。 もし仮に、お前が生き残ったとしても――――どうせ会わないだろう。」
「……お元気で。」
「お前が言うな。」
どうにか棚に背中を預ける柏崎は、紅葉を見送り、水が蒔かれる廊下を見ている。
その瞳に光は無く、垂れ下がった腕には力が入らない。 消える直前の蝋燭のように、ゆらゆらと、命の灯火が揺らめいていた。
去年の私「のわゆ編なら20話くらいで終わるでしょ、へーきへーき余裕余裕。」
16話今「まだ中盤…………?」