ある日、紅葉が通されたプレハブ小屋で、いやぁ……と切り出した少女がカラカラと笑う。
「大変だったな、お互い」
「『大変』の度合いはかなり違うがな」
幾らか遮断されてはいるが、小屋の外から聞こえてくる工事の音が耳障りな空間で、少女──鷲尾詩織はカップの紅茶をズゾゾと啜る。
「それで、なんだ。鉄工所は潰すのか」
「まーねぇ。両親居ないし、私のやったことじゃないとはいえ脱税の件でめっちゃ怒られたし、ここらが潮時なんだよねえ~。工場跡には屋敷でも建てよっかな~なんて」
「──粗茶です」
「どうも。……なら、もうお前に銃を頼むことも出来なくなるわけだな」
「あー、何丁かは取ってあるからまた誰かにぶっぱなすなら持ってきなよ」
「そうか。まあ、暫くは誰も襲ってこないとは思うがな。そんな余裕は互いに無い」
「──お茶請けです」
「どうも。……………………ん?」
会話の合間に差し出される紅茶とクッキーを見て、紅葉は横から手を伸ばして机に置いてきた本人に視線を向ける。
そこに居たのは、いつぞやに殺しあった、反勇者派を率いていた男の部下──恐らく最も強かった相手であるメイドの女性だった。
「お久しぶりです」
「……生きてたのか」
「あれ、なに。知り合いだった感じ?」
「知り合い、と言いますか……」
「こいつは反勇者派側の一人だぞ。お前……いったいどこで拾ってきた」
──え、マジ? と言って、詩織はメイドの女性こと柏崎・E・ヴァレンタインを見上げる。
「はい。
「へぇ~~~。まあ、お互い生きてるならそれで良いんじゃないの?
腹に鉄パイプ刺さったまま川を流れてたのを拾ったら生きててたまげたけど……ああ、だから病院には行けないって言ってたのかあ」
「危機感が……」
額に手を添えてため息をつき、紅葉もまた目線を柏崎へと持ち上げると口を開く。
「──とはいえ、一応助けられてるからな。互いにもう手出しは無し……ということにしておこう。わざわざ戦うのも面倒くさい」
「そうですね。私も貴方に庇われたことは覚えておりますので、貸し借りは無しにしましょう」
「仲良いね君ら。言っとくけど紅葉くんに銃を渡したのと柏崎ちゃんの傷を縫ったのも私だから、つまり両方の恩人なんだからね? この中じゃ私が一番上だからね?」
詩織の言葉は無視しつつ、怪我人同士でまた拳を交える必要もないと、二人は一言二言で和解を済ませる。ほっ、と一息ついて、柏崎が返す。
「戦わずに済んで良かった。まだ腹部の穴を縫って日が浅いので、今ここで殴り合われたらもしかしたら負けてしまいます」
「ふ、もしかしたら、か。なら傷が塞がったらまた手合わせでもするか」
「どうでしょう、鷲尾様の話を聞くに、私たちの拠点で暴れる前からよくお怪我をされていたようですし……傷が塞がる暇は無いのでは?」
「どうだかな──、ん」
おもむろに紅葉の懐の携帯が震える。取り出したそれの画面には、高嶋友奈を示す名前としてシンプルに『アホ』と書かれていた。
「悪い、電話だ。──なんだ」
『あー、紅葉くん? 合ってる?』
「俺の番号はお前の携帯の一番上に登録してある筈だから、俺の筈だ。で、なんだ?」
──子守りか? と呟く詩織にコイントスのようにクッキーを飛ばしながら、紅葉は電話を続ける。それから電話口の向こうから聞こえてくる友奈の声に、眉を潜めていた。
『ヒナちゃんがねぇ、
「そうか、わかった」
『……ねえ、紅葉くん』
「どうした」
友奈の声が曇り、一拍間を置いてから紅葉へと不意の質問を投げ掛ける。
『──もしかしたら死人が出るかも』
「そうか」
『……もうちょっとこう、ないの?』
「ない。俺には何も出来ないんだから、何を言おうがどうにもならんだろうが」
『そりゃまあ、そうだけどさ』
「──だから、お前に頼るしかない。確かもう一つの切り札の調整はしてあるだろう」
『……してあるよ』
友奈の切り札・一目連は暴風がごとき機動力と拳の回転力を生む力だが、それに続くもう一つの切り札を彼女は所持している。使用を憚られる精霊の中でも、特にハイリスク・ハイリターンであるそれを紅葉は話題に出して告げた。
「──使うべきだと思ったら迷わず使え」
『……使うけどさあ、アレ使うと私もまあまあ反動来るから嫌なんだけど……』
「それでも躊躇いはしないのがお前だろ」
『誰も彼もが君みたいに自分の命をベット出来るわけじゃあないんだよ紅葉くん』
呆れたような顔を容易にイメージ出来る声が返ってくると、紅葉は一言付け加えてから電話を切り、出されたクッキーと紅茶を全て口に含んで席を立ちながらコートを羽織る。
「じゃあ、すぐに戻る」
『うーい』
「そういうわけだ、悪いがもう戻る────」
──瞬間、世界が静止する。
紅葉たちにとってはほんの一瞬。しかし常人とはどこかがズレている紅葉だけが、世界の静止に引っ掛かり、
「っ──、もう始ま──いや、終わったのか」
自分の関与できない世界での戦いが始まると同時に終わる感覚。
紅葉の反応から勇者たちの戦いが起きたのかと察した詩織と柏崎が表情を険しくする。
「えっなに……まさか勇者たちが戦ったの?」
「ああ。まったく、あのアホが……なにが『そろそろ』だ、もっと早く連絡をしろ」
愚痴をこぼしながらコートに携帯を仕舞おうとした紅葉だが、手に持つそれが震え、着信を知らせる。額に青筋を浮かべながら電話に出ようとした紅葉が画面に映る『ひなた』の名前を見て、深呼吸を挟んでからようやく出た。
「──すぐ丸亀城に戻る」
『紅葉さん! 球子さんと杏さんが────』
──
しかし、僅かなズレが別のズレを生み、大きなズレを作り出し、世界は分岐した。
一つは、球子が針を真正面から受け止めるのではなく、横に逸らそうと角度を付けたこと。
これにより背後の杏もろとも胴体と胸に穴が空く末路を避けられた。
二つ目は、紅葉というイレギュラーの存在。
紅葉が巡りめぐって友奈に第二の切り札の使用を促したからこそ──
「ぉぉぉぉぉぉおおおるるぁあああああ!!」
ドドドドドン!! という連続した爆発音。
針を繋ぐ数珠のような尾を叩く友奈の拳の連打が、小さな波紋を大きな波へと変化させるようにして、二人へと殺到する針の軌道を横へとずらすことに成功していた。
「っ、ぶぇ、おぉお……滅茶苦茶しん
額の角、全身を包む甲冑のような装甲、そして両手を覆う手甲。大妖怪・酒天童子を切り札として使用した友奈は、針に左の脇腹と肩をそれぞれ抉られ気絶した球子と杏を見て、辛うじてだが生きていることにほっと胸を撫で下ろす。
「……なるほど、こう分岐するのか」
酒天童子の反動で鼻から血を垂らし、そして手甲の中の腕を赤くしながら、彼女は感心するように紅葉を思い浮かべて呟いていた。