樹海での戦闘が長引いたことで発生した災害の一部を受けた鷲尾鉄工所跡地。
燦々と太陽の光が降り注ぐなか、紅葉は鷲尾詩織と顔を合わせていた。
「酷いことになっている」
「そーっすねぇ、まあ竜巻がプレハブ小屋の屋根を持ってったくらいだから大丈夫でしょ」
「お陰で眩しいわけだがな」
上を見ると、以前まであった筈の屋根が綺麗に剥がれていた。コトリとカップをテーブルに置いたメイド・柏崎が、おもむろに問い掛ける。
「──ところで、勇者様方が敗北なされたのが災害の原因と聞きましたが」
「……誰からだ?」
「あー、こないだ
「
「……機密保持ってものを知らんのか」
「急にブーメラン投げるじゃん」
舌を打つ紅葉に、あっけらかんと返してからからと詩織は笑う。とはいえ、現状の紅葉が抱える悩みの種は、それだけではなかった。
「まあ、お前たちなら……消しやすい……信用してるから問題ないか」
「今なんて?」
「──前回の戦いで勇者……若葉たちが負けた、というのは、厳密には『試合に勝って勝負に負けた』ようなものだ。バーテックスを倒すことは出来たが、勇者二人が瀕死の重傷に加えて武器を破壊されて戦えなくなったんだよ」
「へぇ、そりゃまた…………ヤバくね?」
顎に指を当てながら思案し、それから冷や汗を垂らしながら詩織が返す。
「そうだな。戦力が一気に5分の3まで落ちたわけだ、向こうも渾身のバーテックスが
「……お、どしたん?」
重苦しいため息をつくと、紅葉はプレハブ小屋から出ようとして踵を返しながら言う。
「嫌な予感がしてきたから帰る」
「そう。んじゃ、生きてたらまた会おう」
あまり冗談には聞こえない別れの挨拶で手を振った詩織に紅葉は一瞥する。──が、ふと聞こえてきた携帯の着信音に目尻を痙攣させた。
「……、ああ。…………ああ、わかった。──あの馬鹿野郎には俺がとどめを刺す」
「すげぇ物騒じゃん」
「友奈がまた切り札使ったらしい」
「あっ……ふーん……」
額に青筋を浮かべながら、携帯を砕く勢いで握り締めて、紅葉は苛立ちを隠そうともせずに扉を荒々しく開いて出ていった。残された二人のうち、柏崎は詩織に小声で質問を飛ばす。
「もしや、先人様は、
「だろうね」
次に用意するべきはお茶請けではなく胃薬か、と考えながら、詩織は手元の紅茶を啜った。
──大社の息が掛かった病院での診察を受けた千景は、廊下で待機していた若葉とひなたに迎えられる。どうだった、という若葉の言葉に、苦々しく表情を歪めながら答えた。
「……切り札の使用は控えろ、ですって」
「千景も同じか。行き詰まっているな……」
かぶりを振って悩む様子を見せる若葉。それもそうだろう、大社は情報の隠蔽が出来なくなってきていることから、勇者二名──球子と杏の負傷と戦線復帰が不可能であることと災害による事故がバーテックスであることを明かしている。
その結果、すべからく人々の間に不安が芽生え、伝播し、自殺者の増加や治安の悪化が目立っている。どうしたものかと呟く若葉に、暗い表情で千景が声を荒らげた。
「──あいつらは分かってないのよ。
だったら言われた通りに切り札を使わないで戦ってやる……!」
ギリ、と歯を擦るように食い縛る千景。若葉たちと違いネットに精通しているからこそ、彼女は必要以上に匿名の悪意を見てしまっていた。
「それでどれだけの犠牲が出るか、身をもって知ればいいのよ!」
「千景、それ以上は言うな」
「いいえ、いいんですよ。少しでも気が楽になるなら、私に聞かせてください」
「────」
若葉の言葉を遮るようにひなたが言う。その慈悲深い表情に千景は眉を潜め、その
そっと握られた手を払い除けて、千景は吐き捨てるように言った。
「放っておいて。……安全な場所にいる巫女には、関係ない話よ……」
千景の八つ当たり気味の言葉は、遂には若葉の琴線に触れる。立ち上がって肩を掴むと、若葉もまた千景に対して声を荒らげた。廊下に響く売り言葉に買い言葉。次第にヒートアップした口論は──千景が若葉を突き飛ばす形で終わる。
「っ……!」
観葉植物を入れていた大きな鉢が割れ、破片で手の甲を切る若葉を見て、千景は逃げるように病院から出て行く。待て、という若葉の声は届かず、遅れて現れた紅葉が声をかけた。
「──おい、何があった」
「紅葉さんっ! あの、若葉ちゃんと千景さんが……えっと……」
「……どうせ
「当たりが強くないか……?」
切った手を庇いながら立ち上がる若葉は、改めてベンチに座り直す。どこか苛立った様子の紅葉は、その理由を口にする。
「切り札を使ったせいで傷が開いたあのアホの寝顔を見てたら無性に苛ついただけだ。
ともあれ、あの様子なら明日には目を覚ますだろう、呆れた頑丈さだ」
「人の事を言えないだろうに……それで、だな……千景のことなんだが、いつにも増して苛立っているようだった。どうなっているんだ?」
「……お前が言うな。じゃあ聞くが──お前もいつにも増して苛立っているようだな」
「────!」
客観的に鑑みて、言われてみればと若葉はハッとする。呆れた顔をして、紅葉は懐からダブルクリップで留められた紙の束を投げた。
「ぶっ」
「帰ってそれでも読んどけ、明日までには大社から
「あっ……は、はい」
顔で受け止めた紙束を掴み、若葉は白紙の表紙を見て訝しむ。
「今は球子と一緒に昏睡状態だが、前回の戦いの前に纏めていたらしい杏の資料だ」
「っ! 杏が……?」
「……友奈のついでにあいつらの病室も見に行ったが、二人は
「──そう、だな」
それだけ言うと、小突くように手の甲で額を軽く叩いて紅葉もまた病院から出る。発破を掛けられたと理解した若葉の表情を見て、ひなたは安心したように胸を撫で下ろした。
──翌日、杏のレポートと大社の報告で、若葉は感情が荒くなる理由を知った。
曰く、切り札である精霊をその身に降ろす行為は、肉体への反動だけではなく精神の汚染にも繋がる事が判明したらしい。
攻撃性の増加、自制心の低下。心が弱り、それが言動の荒さに繋がるとのこと。
切り札を使わせないようにしていた杏の心配はそこから来ていたのだと悟った若葉だが──おもむろに自室の扉が合鍵で開けられ、片手に防刃ベストを抱えた紅葉が開口一番に言った。
「高知に行くぞ、千景が危ない」
──若葉がレポートを読み終わるよりも前、紅葉は掛かってきた電話に起こされる。意識が夢との狭間で揺れながらも、電話口から聞こえてきたのは、慌てた友奈の焦った声色だった。
『紅葉くん!』
「……起きたのか、頑丈な奴だな」
『ぐんちゃん今何処に居るの!?』
「……確か、高知の実家に帰ってるが」
普段のムードメーカーを気取った様子ではない本気で何かを危惧している雰囲気に、紅葉はベッドから起き上がるとスピーカーに切り替えながら手早く着替え始める。
「なぜそんなに慌てているんだ」
『──紅葉くんが分岐させたことで、タマちゃんとアンちゃんは生き残った。それでもターニングポイントは
「……何を言っている」
10代の少女から出たとは思えない覇気のある声に、電話越しの紅葉は警戒を強める。
『ぐんちゃんは私たちよりもずっとメンタルが弱く、他者の悪意に敏感で、それをダイレクトに受け止めてしまうから……切り札で脆くなった心はどんどん悪い方向に揺れていっている』
「……つまり?」
『今動かないと、ぐんちゃんは死んでしまう。若葉ちゃんなら止められるけど、それでは何も変わらない。他でもない紅葉くんじゃないと──郡千景は勇者ではなくなってしまう……!』
──こいつは友奈ではない、という直感。けれども紅葉は、クローゼットから警察支給の防刃ベストを取り出しながら首と肩で挟んだ携帯の向こうにいる友奈へと返した。
「おいアホ」
『は……!?』
「お前はお世辞にも賢くないんだから、無理して偉ぶった態度なんか作らなくていい」
『────』
「友奈……お前は
携帯の向こうに居るのは恐らく
そんな友奈は、声を震わせて呟いた。
『…………ぐんちゃんを助けて』
「最初からそう言え」
プツリと電話を切って、数回深呼吸を繰り返し、紅葉は外に出るべくドアノブを捻る。
皮肉にも雲ひとつ無い快晴の下で、紅葉は観念したようにため息混じりに口を開く。
「──今度こそ死ぬかもな」
──外に出た若葉とひなたは、紅葉から友奈との電話の内容を掻い摘んで説明される。
「わかった、すぐに向かおう」
「でも若葉ちゃん、紅葉さんを抱えて向かうにはただ勇者に変身するだけでは……」
「ああ。だから……これを使う!」
「──! 若葉ちゃん、待っ──」
若葉はそう言って、ひなたの制止よりも早く、神樹にアクセスして切り札を使う。その背中に翼を生やし、羽ばたき一つで暴風を生む。
それは酒天童子に並ぶ大妖怪をモチーフとした、義経に次ぐ若葉の切り札。その名は、大天狗。
「──これで飛べば、30分と掛からない」
「若葉ちゃんっ! 切り札の危険性を知っているのに、容易に使うなんて……!」
「分かっているなら自制できる。それに……千景が危ないなら、守るのが仲間の役目だ」
「……時間がない、若葉」
「しっかり掴まっていてくれ、人体が耐えられる程度に、且つ最速で飛ばす」
防刃ベストを左腕に巻いた紅葉を、若葉が抱えてひなたを下がらせる。
ばさり、ばさりと翼を羽ばたかせ、体を宙に浮かせると──高知の方角を定めて、音と暴風を置き去りにしてその場から姿を消した。
「っ──、若葉ちゃん、紅葉さん……」
残ったひなたは、携帯で大社に連絡をする。せめて刃傷沙汰になってしまった場合に備えて、すぐにでも医療班を向かわせられるようにと。
そして、その心配は──的中してしまう。
──高知の千景が暮らす村の上空でホバリングする若葉。彼女から離れて飛び降りる紅葉は、左腕の防刃ベストをキツく閉め直して駆け出しながら若葉へと指示を飛ばす。
「お前が止めようとしたら千景は激昂する可能性が高い。俺がなんとか止めに入るから、若葉は大天狗を解除して陰に隠れていろ」
「わかった」
「俺で駄目なら、改めてお前が止めに入れ。万が一にも千景が村人を傷付けでもしたら、あいつも勇者の立場も全てが終わる」
そこまで言うと、村の奥から、不意に悲鳴が聞こえてくる。飛び出そうとした若葉だが、千景から毛嫌いされている事実を加味しても紅葉の案が最適だろうと判断して家屋の陰に隠れた。
そして、現場に到着した紅葉は──今にも少女を斬り殺そうとして大鎌を構える千景を視界に捉え、迷う余裕もなく反射的に割って入る。
「死ね──!!」
眼前の少女しか見えていない千景は、振りかぶった大鎌を止めることなく振り下ろすが──
「──っ、ぐ、おおぉあああッ」
「──ッ! な、んで……!?」
その刃は少女ではなく、少女の襟首を右手で掴んで後方に投げつつ、左腕で受け止めた紅葉へと深く突き刺さっていた。