【完結】先人紅葉は一般人である   作:兼六園

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廿弐・日陵月替

 霞むピントが白い天井を捉え、見慣れた状況から何度目かの入院だと理解する。

 手術でもしたのだろう、麻酔と投薬からか体が気だるく、()()()()左腕が動かない。

 

「……無理があるか」

 

 紅葉の口許に被せられた酸素マスクに遮られくぐもった声が隙間から漏れる。

 不思議と、などとは誤魔化せない。左腕──厳密には肘の少し先から指先までが、ピクリとも動かない。肘を動かして腕全体を持ち上げても、だらりと前腕から指先が床に向けて垂れている。

 

 前腕の包帯の奥では、麻酔では消しきれない、じくじくと侵食しているような鈍い痛みが蠢いている。しかし意識が覚醒したことは知らせるべきだろうと、ナースコールに右手を伸ばそうとして、右腕も動かないことに気付いた。

 

「────」

 

 まさか右腕までもが──と考えて、首を上げて視線を下ろすと、そこには、紅葉の腕を枕として使い眠っているひなたの姿があった。

 

「……おい、起きろ」

「…………、んう、ぅ」

 

 ゆさゆさと、ベッドと頭に挟まれた右腕を揺する。無理やり起こされたひなたは、上体を起こすと寝ぼけ眼で紅葉を見て──

 

「──! ぇっ、づ、な、あっ!?」

 

 寝起きの頭を必死に回転させて、大慌てで立ち上がる。部屋から出て誰かを呼ぼうとし、やはりナースコールを押すべきかと踵を返す。

 

「ひなた、ひなた。落ち着け」

「っ……は、あ、紅葉、さん」

 

 酸素マスクを外して、紅葉は傍らのリモコンでベッドのリクライニングを上げて座るような姿勢を取りながら、ひなたを落ち着かせた。

 すると、ひなたは紅葉を見下ろしながら、堰を切ったように涙を溢れさせる。

 

「なん、で、貴方は……そうやって……!」

「──そうだな」

「もう……こんな無茶はしないでください!」

「ああ、もうしない。というより、出来ない」

 

 ベッド脇のパイプ椅子に座り直しながら、紅葉の右肩に額を預けてすすり泣くひなたに、そう言いながら左肘に力を入れる。

 ぷらぷらと力無く揺れる左前腕と指先を見せながら、紅葉は言った。

 

「左前腕から指先までが動かない」

「────」

「千景にざっくりやられたからな」

 

 淡々と事実を告げる紅葉に、ひなたの顔は蒼白になる。そう言えばと続けた紅葉は、おもむろにひなたへと質問を飛ばした。

 

「当の千景はどうしてる」

「……今は、謹慎という形で寮から出られない状態です。した事が事ですから」

「そうか。なら、今すぐ病院に呼べ」

「話を聞いてましたか?」

 

 当然のように点滴を引きちぎりベッドから降りる紅葉が部屋から出る後ろを慌てて追いかけながら、ひなたは言葉を返す。

 

「謹慎なんてそれこそ形だけだろう。大社は勇者を神聖視してるからな、下手したら千景から勇者システムを剥奪したがる筈だ」

「それは……」

「責任を取って辞めろとでも? 政治家じゃあるまい、使えるものは何でも使うべきだ。反勇者派を潰した俺の行動を黙認したようにな」

 

 病衣のまま裸足でぺたぺたと廊下を早歩きしている紅葉は、その歩みを徐々に遅らせ、それから少しして、廊下のベンチに座り込んだ。

 

「っ……ふぅ……流石に体力が落ちてるな」

「当たり前じゃないですか!」

「……いいからさっさと、千景を呼べ」

「っ~~~、もうっ!」

 

 もはや呆れてものも言えないと、ひなたは言葉を飲み込むと携帯を懐から取り出した。

 

「──もしもし、若葉ちゃんですか? ……はい、はい。紅葉さんが起きました。それで……はい、千景さんを連れてきてほしいんです」

 

 小声で電話をするひなたを横目に、ふと視線を感じて顔を背ける。視線の先には、廊下に設置されているカップ飲料の自販機からカフェオレを取り出して啜っている友奈が、まるで死人が甦る光景を間近で見たかのような顔をしていた。

 

「…………うわ」

「人の顔を見て第一声がそれか」

「いやあ、うわあ、……やっぱりなんらかの加護を受けてるみたいだなあこの人

「なにか言ったか」

「なんでもなーい」

 

 飲み干したカップを離れた位置のゴミ箱に投げ入れると、友奈は紅葉の傍に駆け寄ってくる。電話を終わらせたひなたが友奈の気配に気付き、振り返ると挨拶をした。

 

「友奈さん」

「やっほーヒナちゃん。紅葉くんも起きたみたいで良かったねぇ」

「良くはないですけどね……」

「あ、キレてる」

 

 額にうっすらと浮かぶ青筋を見て、友奈はそれとなく後ずさった。

 

 

 

 

 

 ──十数分後、病院の奥、大社の関係者だけで固められた一角に、フードを被った少女が二人やって来た。頭を隠しているそれを取った二人は、それぞれ金髪と黒髪をさらけ出す。

 

「すまない、大社の監視を振り払うのに手間取ってしまった」

「……だからって変身して私を抱えて近くまで跳ぶのはやりすぎじゃないかしら」

「仕方ないだろう、千景の端末は没収されているんだ。そうするしかあるまい」

 

 あっけらかんと言い放つ若葉に、千景は呆れた顔をする。合流した二人に、ひなたはハンカチで目許を覆いながら嘘泣きの演技をした。

 

「よよよ……あの若葉ちゃんが不良のようになってしまいました……」

「嘘泣きはやめろひなた。それに不良なんて人聞きの悪い、紅葉さんじゃないんだぞ」

「誰がなんだって?」

「…………っ!」

 

 ベンチに座っていた紅葉が立ち上がると、若葉たちに近付く。

 ビクリと肩を跳ねさせた千景が咄嗟に若葉の陰に隠れようとして、距離をとられた。

 

「千景、隠れないで紅葉さんに向き合うんだ。ここで逃げたら、何に立ち向かえる?」

「……それは、わかってる、けど」

「何を怖がってるかは知らんが、別に俺はお前を糾弾しようとは考えていないからな」

 

 若葉とひなた、友奈が壁際に寄り、紅葉が千景に近付く。服の裾を掴んで防御の体勢を取る千景に、紅葉は更に続けた。

 

「家庭と村の事情で不安定だった心を精霊の精神汚染で悪化させた結果こうなった。──どこにも、お前の責任は無い」

 

「っ──そんなのっ……貴方がそう言ったって、私は納得なんか出来ない! 

 どうして罰しないの……? どうして……貴方が傷つく必要があるのよ!」

 

 千景は自分の胸元を掴み、皺が出来る程に力強く服を握る。よりにもよって、自分達を守ろうとしてきた人を傷つけてしまったという罪悪感から、彼女は罰を求めていた。

 

「ずっと傷付いてきた千景がこれ以上傷つく必要はない。既に罰を受けているようなものだ。それに……俺がこうなっているのはな、ただただ、なるべくしてなったというだけの話だ」

 

 千景の額を右手で小突くと、紅葉は動かない左腕に一瞬視線を向けると彼女に言う。

 

「たまたま俺がこうなる予定だったというだけ、仮に俺がこの場に居なくても、どこかの誰かが俺と同じ立場で同じ事をしただろう」

 

「そんなの、うっ、詭弁じゃない、うっ」

 

「そうだな。要するに、この会話はするだけ無駄ということだ。……というか、お前が俺にしたことに対する罰が必要だと言いたいなら、それこそ最後まで戦うべきだろうが」

 

「ちょっと、うっ。やめなさ、うっ」

 

 近い身長差で自分を見上げる千景の頭に何度も手刀を落としながら紅葉は語る。

 流石に苛立ちが勝ってきた千景は紅葉の右手を払い、怒りに任せて口を開く。

 

「~~~~!! 分かったわよ、やれば良いんでしょう!? うっ、やめなさいったら!」

「それでいい。言質は取ったからな」

 

 吹っ切れた──否、吹っ切れさせられた千景は、乗せられたことを理解しながらもその流れに乗った。それから長話で立ち眩みのようにふらついた紅葉がベンチに座り、深くため息をつく。

 

「……どちらにせよ、球子と杏が居ない以上、千景から端末を取り上げるメリットは無い。近いうちに返却されるだろうし、されなかったら俺から交渉してやる」

「紅葉くんの場合脅しって言わない?」

「俺はいつも平和的に交渉してるだろうが」

「紅葉さんが交渉はすれど、平和的に何かをした所を見たことが無いのだが……」

「は?」

 

 友奈と若葉にそう言われ、紅葉は眉を潜めて抗議するように言葉を返す。

 その光景を見て、もしかしたら二度と見ることは叶わなかったかもしれない光景を見て──千景は小さく笑みを浮かべた。

 

「──ふふ」

「何がおかしいんだよ」

「! ああ、ごめんなさい。ただ、その」

 

 友奈を、若葉を、ひなたを。そして紅葉にもう一度目線を向けて、千景は呟く。

 

「──安心できるな、って」

 

 

 

 悲願の果てに、少女は愛されていることを知り、そして安寧の居場所を手に入れた。

 本来の歴史からズレた世界の中で、勇者たちは──最終局面を迎えることとなる。

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