【完結】ONE PUNCH MAN 最弱のヒーローと時間泥棒 作:春風駘蕩
「……よう、大丈夫か?」
目の前でばさりと大きく広がる、真っ白なマント。
黄色いスーツに赤い手袋とブーツ、そして眩しく光り輝く頭。
なかなかに目立つ組み合わせで、一度見れば忘れそうにないほど強烈な強さを持ったその男が、少女の前で盾となり立ちはだかる。
―――覚えていたのは、ある傷だらけの背中だけだった。
ボロボロの格好になったその男の後ろで庇われるミライはしかし、男の後姿にひどい既視感を覚え、同時に全く異なる姿を重ねて見てしまう。
今とは全く比較にならないほど豊かに生えた黒髪に、一般人と変わらない平凡な格好の、彼の姿を。
―――そこにいた人たちはみんな、自分が助かることばかり考えていて…。
ドジを踏んで転んだ僕を助けようと思う人なんか、一人だっていなかった。
僕だって、もう助かりっこないって諦めて。
何もかもを投げ出そうとしていた。
片っ端から奪い取られ、網目のように穴だらけになっていた自身の記憶。
かすかに残ったその一部、か細く残ったその残滓が再生され、ミライの脳裏に走馬灯のように流れる。
それを見ているうちに、ミライの瞳に輝きが灯り始めた。
「邪魔だって言ってんだろ……このハゲがぁ‼︎」
獲物を狩る邪魔をされたことに怒り狂う牙王が、立ちはだかるヒーローに向けて高密度のエネルギーを纏った刃を振り下ろす。
放たれた斬撃は地面をえぐるが、ヒーロー本人に一切の傷を刻むことなく、衣服のみを切り裂くのみだった。
―――でも、一人だけ。
たった一人だけ、そんな未来をぶっ壊してくれた人がいた。
ミライの視界にノイズが走り、記憶の中の彼と目の前にいるヒーローの姿が混じり合い、一つになっていく。
そして、ミライの中の記憶の穴が、瞬く間に埋め尽くされ始めた。
―――どれだけ恐ろしい敵がいたって、どれだけ傷ついたって一歩も逃げない。
そんな強い人がたった一人だけ、僕の前に現れてくれた。
薄っぺらい、誰かのためっていう偽善のためでも、称えられるためでもない。
自分が自分であるためだけに、その人は僕に背中を向けたまま、一歩も動こうとはしなかった。
それは疑いようもない、本当のヒーローの姿だった。
僕がなりたかった、目指したかった未来の僕だった。
弱く、惨めで、泣いてばかりだったかつての自分。
運もなく、毎日のように襲い掛かる不運や悲しみに縮こまるだけだった自分が抱いた、変わりたいという願い。そのきっかけを与えてくれた彼の姿が、ミライの失われた記憶を次々に蘇らせていく。
戦士として見出された時、後の仲間達との出会い、時に激しくぶつかった戦友との遭遇、そして、数々の困難を乗り越え続けた想い出。
その全てが、ミライという少女を作り上げてきた全てが、取り戻されていく。
―――その出会いがあったから、僕は立ち上がった。
差し出された手を掴んで、自分の力で立ち上がることができた。
そして無意識のうちに、僕はあの人の後を追いかけていた。
躓いても転んでも、一度だって立ち止まらずに歩き続けることができた。
それが全ての始まり、僕の原点。
だから僕は、ここにいる。
自分という存在そのものを奪われ、弱かったころに引き戻されても、決して忘れることがなかった大きな背中。
その姿を映すミライの瞳が、星のように強く輝かしい光を宿した。
「今度こそ……死ね!」
スーツをズタズタにされながら、決してその場から動くまいと鋼の意志を見せつける邪魔なヒーローに、牙王は焦れた様子で舌打ちし手のひらを向ける。
今牙王を止める者はいない。牙王の怒りを買い、標的となったサイタマが、今度こそ歴史から消し去られ用としたその時だった。
がしりと、邪悪な力を宿した牙王の腕が、華奢な手に掴み取られた。
「…⁉ てめぇ…」
またしても、邪魔者を排除する邪魔をされた牙王が、うっとうしそうに自分の腕を掴む少女を睨みつける。
だが、少女の顔がゆっくりと上げられ、スッと瞳を向けられた途端、牙王の背中を得体の知れない悪寒が走り抜けた。
「……返せ」
息を呑む牙王に向けて、ミライは短く告げる。
その声はこれまでの様な、弱々しく不安気で掻き消えそうなものではない、固く強い意志を秘めた鋭いもの。
多くの人と時間を救ってきた、歴戦の戦士のみが持ちうる覇気を纏った声だった。
「返せ、それは僕の道標だ‼︎」
「ぐっ…ぐおおおお⁉」
ミライが牙王に向けて吠えた瞬間、牙王は自分の胸をかきむしるようにし、苦悶の声を漏らし始める。
牙王の胸の内側に五色の光が灯り、外へ飛び出そうと暴れるように点滅を繰り返す。見覚えのあるその光をミライは凝視し、牙王の腕をグイッと引っ張りもう片方の手を伸ばす。
直後、光は勢い良く牙王の中から飛び出し、ミライの胸の中へ吸い込まれるように消え、衝撃が迸った。
「うお…何じゃありゃ」
ミライが発した衝撃に押され、仰向けに転んだサイタマが目を丸くしながら、今度は自分を庇うようにして立っているミライを凝視する。
思わず目を瞬かせてしまうほど、サイタマは驚きをあらわにしてミライを見つめてしまう。それほどまでの劇的な変化が、彼女に起こっていた。
「がはっ…な、何だ……⁉︎」
「……へっ」
解放され膝をついた牙王は、自身に起こった以上に驚愕し、それを起こしたであろうミライを腹立たしげに睨みつける。
しかし当のミライは牙王に背を向けたまま、小馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべて仁王立ちする。いつの間にか髪を両サイドで束ね、逆立った前髪に赤いメッシュを流した少女は、くるりと振り返り自分を親指で指さしてみせた。
「俺、さんじょ……わーいわーい! ミライが復活した〜! やった〜!」
不敵な笑みを浮かべたまま、まるで歌舞伎役者のような派手なポーズを決めようとしたミライ、いや、ミライに乗り移ったモモタロス。
だがその途中でいきなり紫の光が入れ替わり、ミライの格好と表情が一変する。じゃらじゃらと過剰にストラップをつけたカジュアルな格好とキャップに、ウェーブのかかった紫のメッシュを持つ無邪気な雰囲気へ変貌したのだ。
「ちょっとリュウタ、はしゃぎすぎだよ! いかにも決戦な雰囲気だったのに台無しじゃないの……ええやないか喜ぶくらい! 俺はもうどうなることかと心配で心配で……うるせぇ! お前ら人の名乗りの途中で邪魔すんじゃねぇよ‼︎ ……全く、相変わらず騒がしい連中だな……手羽野郎! 何お前まで入ってきてんだよ⁉︎」
変化はそれだけでは終わらず、青や黄色や白と次々に光が走り、コロコロとミライの格好も一変していく。
眼鏡とレディススーツを着たクールな青メッシュになったかと思えば、次の瞬間には着物を纏った黄色メッシュの涙もろいポニーテール、そして次には豪奢なドレス姿の高飛車白メッシュと、別人のように外見が変化していく。
最後に変化した赤メッシュ勝気ツインテールが怒鳴りつけると、そこでようやく牙王が再起動を果たし、信じられないといった様子で声を上げた。
「てめぇら…! なんで…⁉︎」
「あぁ? へへへへ……わかんねぇのか? ミライが自分で、てめぇが奪ったものを取り戻したからに決まってんだろ!」
「だからそれがありえねぇっつってんだろうが‼︎」
自身の理解が追い付かない事態が気に入らないのか、牙王は平静さを完全に失いながら吠える。
自分の計画の最も大きな障害であった分岐点、彼女から力の全てを奪い、自分の者にしたはずだった。だが今目の前で、この少女はそれを自らの力で奪い返してみせた。それがどうしても理解できなかった。
「そのガキは戦いの記憶全部を俺に奪われて、ただの腰抜けの抜け殻になってただろうが…! なのになんで……なんで立ち向かってきやがるんだよ⁉︎ 何で折れねぇんだよ⁉︎ 俺は牙王! お前らを食う最強最悪の存在だぞ‼︎」
「知るかよ、そんなこと」
激昂する牙王に向けて、憑依されたミライこと、Mミライは面倒くさそうに吐き捨て、じろりと敵の親玉を睨みつける。
長々と語る気も、答え合わせをしてやるつもりはない。この男は自分の大事な仲間を傷つけ、彼女が守ってきた全てを滅茶苦茶にしようとしたムカつく相手なのだ、許す道理は彼らには一切なかった。
「細けぇことは俺にだってよくわからねぇ。だがたった一つだけ言えることがある……それは」
またしてもにやりと笑ったMミライは、牙王に向けてビシッと指を突き付け、真正面から挑発する。
牙王が怒りのボルテージを急上昇させていくのをひしひしと感じながら、そんな悔しそうな顔を見られたことに満足感を抱き、Mミライはフンッと鼻息を荒くした。
「てめぇが馬鹿笑いできる時間はもう終わりで、こっからは俺たちのクライマックスだってことだ‼︎」
言いたかったことを全て言い切ると、Mミライは一度赤い光とともに引っ込む。
本来の自分の姿に戻ると、ミライはベルトを片手で掲げ、自分の胸にもう片方の手で触れる。そこに宿っている五人の仲間の存在を噛みしめるように、目を閉じて笑みを浮かべた。
「……もうあんたには、何も渡さない。平和も、命も、未来も、全部返してもらう‼︎」
ヒュンッ、とベルトを振るい、ミライは自分の腰に巻き付ける。
牙王はその余裕綽々と言った態度にさらなる苛立ちを覚え、仮面の下でギリギリときつく歯を食いしばる。
たかが女のガキ一人、簡単に始末できてしまえるはずだったのに、簡単に世界の時間をすべて破壊できるはずだったのに、その尽く妨げられた。その事実が牙王の怒りを膨張させ、理性の鎖を引きちぎらせた。
「クソ……ガキがぁぁぁぁぁ‼︎」
癇癪を起した子供のように、牙王は剣を振り回して怒号を撒き散らす。手ごろにある瓦礫を片っ端から粉砕し、親の仇でも見るようにミライを、ミライたちを睨みつける。
そんな牙王に、ミライはわずかにも表情を変えず、凛とした態度で相対した。
その手に、新たな赤い携帯電話のような道具を持って。
「さて…じゃあ、そろそろ反撃といこうか?」
【モモ・ウラ・キン・リュウ】
『いいねぇ!』『よっしゃいくでぇ!』『てんこもりだ〜!』『存分に見せてくれよう!』
ミライの指が、並んだ四つのボタンを押していく。そして、電話の横に着いたボタンを押した途端、軽快な音楽が鳴り響き、ミライの全身を光の欠片が覆い、黒いスーツと赤い鎧を纏わせた。
ミライはさらに、携帯電話の画面部分をベルトの中心に取り付け、ボタン部分を押し込み、画面部分の上部分から二本の角を生やさせた。
【
ベルトが声を響かせると、ミライの周囲に四つの仮面が出現し、肩と胸、背中に順番に回転しながら装着されていく。
最後にミライの後頭部から桃の形の仮面が線路を走るように現れ、展開して髪留めとなる。おまけに表面部分が浮き上がり、皮がむけるようにスライドされる。
ものの数秒で、ミライは五つの仮面を全身に纏う、奇天烈な格好の戦士へと変身を遂げてみせた。
「うわ、派手」
あまりにカラフルなミライの格好に、サイタマは若干笑いをこらえるように感想をこぼす。頭には二つに分かれた桃、胸には竜の顔、右肩には亀の甲羅、左肩には金の字、背中には翼を模した仮面が貼りついた鎧など目立ちすぎて仕方がなかった。
「俺達、参上‼︎」
ミライたちはそれに構わず、獣のような咆哮を上げる牙王に不敵な笑みを浮かべ、もう一度自分を指さし、お決まりのポーズを取ってみせる。
その声に応じるように、五つの仮面がカッと眩しい光を放ち、牙王に挑戦の意志を示した。
「さんざんやってくれやがった分……まとめて返してやるぜ!」
雄々しく吠えたミライは、腰に備わった四つのパーツを組み合わせ、十字の形に組み合わせていく。
その先端からは赤い刀身が伸び、電流をまといながら刃を輝かせた。
「いくぜいくぜいくぜぇえええ‼︎」
雄叫びとともに、剣を手にしたミライは翼を翻し、最強最悪の敵に挑みかかっていった。