「よし……ちゃちゃっとタバサ拉致り返して帰るぞ」
昼前にアーハンブラに着いた俺たちは一応宿をとった後、二手に分かれ情報を集め始めることにした。俺は連れてきた使い魔を使い、アーハンブラ城の構造や周辺に何か異変が起きていないかの調査を、キュルケは町で最近何か変なことでも起きていないかなどの情報収集をし、あたりが暗くなり始めた夕暮れ過ぎに部屋へ戻って調べてきたことを話し合い始めた。
その結果、数日前からアーハンブラ城に不審な人物が滞在しているということがわかった。その人物はこの町についた日に、城に近い酒場に来て『数日の間城に滞在するので食事を届けてほしい』と言ったらしい。店主も怪しくは思ったそうだが、小奇麗な身なりと高貴な雰囲気をしており、王家の紋章が入った手紙を持っていたので言われた通りにしているのだそうだ。まあ、金払いが良かったからというのが本音でしょうね、とキュルケは言っていたが。
タバサの拉致が計画的なものではなく、かなり急だったせいだろう。俺がアーハンブラ城を調べた限りでは、少なくとも外には誰もいなかった。もちろん城内に護衛か何かがいるという可能性はあるが。まあ、見張りなどの人がいないのはこちらにとってかなりありがたいことだ。できれば見つかりにくい夜中にでも忍び込んでタバサを助け出したいところだが、時間に余裕があるわけではないので情報が集まってすぐの、夕暮れ時に忍び込むことに決定した。
何の根拠も無いがさらわれのお姫様というものはたいてい一番奥か、一番高い所にある部屋にいるものと相場が決まっている。都合のいいことに天守へと登るところの手前に中庭があったので、俺とキュルケは城の周りに誰もいないことを確認し、そこへシルフィードで空から侵入することにした。
「きゅい……」
シルフィードが中庭にある天守への階段近くに降り立つと同時に、俺とキュルケはすぐさま杖を構え周りを見渡した。使い魔ごしに確かめたことだが、やはり誰もいないようだ。ありがたいことだが、人の気配がしない城というのも不気味なものがある。……長居したいようなところじゃないな。
周りに誰もいないことを確かめた後、俺とキュルケはできるだけ物音を立てないようにしてシルフィードから降りた。
「さあ、急ぐわよ。とっととタバサを連れ帰って、残りのバカンスを楽しまなくっちゃ」
「そうだな。……よし、タバサを連れてすぐに戻ってくるからシルフィードはここにいてくれ」
俺がシルフィードにそう言ったときだった。
「悪いがそういうわけにもいかぬ」
俺の背後、つまり城の天守の方から透き通ったよく通る声が聞こえた。振り向くと天守への階段の上にいつのまにか一人の男がいた。片手に本を持った長身に細見の、頭に帽子をかぶった金髪の男。杖や武器の類を持っていない以上、本来ならばメイジが二人もいるこちらが恐れる相手ではない。しかし、こんなところにいる以上只者ではないだろう。知らず知らずのうちに俺とキュルケは杖を握りしめていた。まだ何もされていないというのに握りしめた手が汗ばんできたことを感じる。
男は一段一段、ゆっくりと優雅ささえ感じる雰囲気で降りてくる。
「あまり正体をさらさぬほうが良いのだが……その韻竜と共にいるということはすでに知っているのだろう。隠しても仕方がないだろうな」
階段を降り切った男が俺たちと対峙する。走りよればすぐにでも手が届くような距離。そんな距離で自分に杖を向けたメイジ二人と向き合っているというのに、本を片手に立つ男に緊張の色はない。
「ああ、そういえばお前たち蛮人との挨拶の際には帽子を取るのが礼儀だったか」
そう言ってなんでもないことのように男はかぶっていた帽子を取った。そして現れたのは、物語の中でしか見たことのなかった長く尖った耳。つまりこの男は……。
「わたしはエルフのビダーシャル。悪いことはいわぬ。素直に……」
「ウォーター・バレット!!」
相手がエルフだというのならば遠慮はいらない。俺が呪文を唱え、杖を振るのと同時にいくつもの水の弾が男を襲う。しかし男にぶつかる直前、まるで何か見えない壁でぶつかったかのように跳ね返ってきた。
「なっ! つっっ、あっ!!」
とっさのことで防御の魔法を唱えることもできず、顔の前で腕をクロスさせ自分の放った水の弾丸をくらう。跳ね返されたのがたいして強くない魔法だったのが幸いだが、体中に鈍い痛みが走る。なんだ、これは!? 魔法を跳ね返す魔法なんて聞いたことねえぞ! これが、先住魔法か?
話の途中でいきなり攻撃されたエルフは、少しだけ憐れんだような表情で話を続ける。
「……話くらい聞いてからにしたらどうだ。まあいい、説明の手間がはぶけた。今の行為でわかっただろうが、お前たち蛮人では我に決して勝てぬ。大人しく去ること……」
「キュルケ! やれ!」
「え、ええ!」
急に出てきたエルフに少し戸惑っていたキュルケだが、俺が声をかけると同時に呪文を唱える。俺はそれと同時に、杖を左手に持ち替え、空いた右手をグッと握りしめエルフに走り寄る。
昔っから魔法に強かったり、魔法を反射してくる奴は物理攻撃に弱いというのがお約束だ。
キュルケが振った杖から火球がエルフへと飛んでいくのを横目で見ながら、俺はそのまま飛びかかると右手で殴りかかった。しかし、こぶしが直撃する手前でまるではじかれたかのように、跳ね返された。その勢いのまま後ろへと吹き飛ばされる。背中からは地面でこすったひりつくような痛みが、腕からは関節が軋んだような鋭い痛みが伝わってくる。
「っっっ!」
痛む右手を抑えながら、素早く起き上がる。と言っても、余裕の表れなのか何なのかエルフはこちらに近寄ってきたり、攻撃を仕掛けてくる様子は無い。俺の隣へとキュルケが走りよってきた。魔法が跳ね返されるのを事前に見ていたため、戻ってきた火球を冷静によけられたようだ。やけど一つ無い。
小声でキュルケと会話をする。
「大丈夫!?」
「ああ、右手も痛いだけで動かすのに問題はない」
「良かった。で、どうする? 私の火の魔法もあなたの水の魔法も効かなかったし、あなたを見る限り直に攻撃するのも効かないみたいだけど」
「……二手に分かれて城に突入することにしよう。俺たちの目的はタバサだ。あんなのを倒す必要なんて無い」
「……わかったわ、行くわよ」
「ああ。いち、にの」
「「さん!」」
そう言うと同時に俺はエルフの右側を、キュルケは左側を全速力で走り抜ける。
「……………………」
何やら後ろでぶつぶつと呟いているエルフの声が聞こえるが、後ろを振り向くわけにもいかない。俺はわき目も振らずに階段へと走り寄った。
「きゃあっっ!」
キュルケの声につい立ち止まりそちらを見ると、歪にせりあがった地面とそれに躓いたらしいキュルケがいた。非情かとも思ったがすぐさま前を向き、再び走り出す。キュルケならば一人でも自分の身くらいは守れるだろう。
階段にたどりついた俺はそのままのスピードで、階段を一段飛ばしで駆け上がる。しかし、後ろからキュルケの叫ぶような大声が聞こえた。
「危ない!! アシル、避けて!!」
その声に反射的に振り向く。するとそこには無数の石礫が俺に俺に向かって飛んでくるという、嫌な光景が広がっていた。
「はあっ!? う、うおっ! あ、あだだだだだだだだだ!!」
その光景に驚いた拍子に、俺は階段を踏み外し転げ落ちてしまった。といっても五段かそこらだったので大した怪我は無かったが、おもいっきり尻を打ってしまい非常に痛い。骨、折れてないだろうな? くそっ、肋骨ならともかく戦いで坐骨骨折は恰好がつかないにも程があるぞ。まあ、石礫をよけられたんだ、結果オーライか。
しかし、これじゃあいつを無視してタバサを助け出すというのも難しいな。なんとかして倒す方法を考えなくては。
「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する」
エルフが手を掲げ、そう唱えると城を形作っていた石がはがれ、巨大なこぶしへと変形した。
「去れ、蛮人よ。我は戦いを好まぬ。このまま去るのならばこれ以上、一切の手出しはせぬ。しかし、まだ続けると言うのならば容赦はしない。我もこのような争いなど早く済ませてしまいたいのだ。何せ読書中だったのでな」
……冗談だろ? あれだけ悠長にしているってことは、あの攻撃用の魔法を使っている時も反射の魔法は続いているってことだろう。どれだけなんだよ、エルフってやつは。
あんな馬鹿でかい石の拳を食らったら、さすがにただでは済まない。タバサを諦めて帰るつもりなんざさらさら無いが、エルフにも話は通じるようだし少し落ち着いて戦い方を考えた方がいいな。
「……待ってくれ、わかった。俺たちではエルフには敵わないみたいだしな。大人しく帰るとしよう。連れを説得したいので少し待ってもらえないだろうか?」
「賢明な判断だ」
そう言って軽く手を振ると同時に、石の拳は消えた。そしてエルフは俺から視線をそらし、手に持った本を読み始めた。……完全にこちらをなめくさってながるな。
俺は痛む体を動かしながら、キュルケに近づき顔を寄せる。すると不安と怒りが混ざったような表情で、キュルケが俺に小声で話しかけてきた。
「……まさか本当に逃げ帰るつもりじゃあないでしょうね。それはさすがに見損なうわよ」
「命かけても助けるつったろ、んなことしねえよ。それより聞いてくれ。先住だろうとなんだろうと、この世に無敵の魔法なんてあるわけが無い。あの反射してくる魔法にだって必ず死角はあるはずだ。ざっといくつかそれをつけそうな方法を考えたから、これから俺が指示した通りに戦ってくれ」
「わかったわ……信じてるわよ」
俺は懐からとっておきの秘薬の入った壜を取り出すと、蓋を開けて中身を飲み干した。そして背中にキュルケを隠すようにしてエルフと向かい合う。
「……話は終わったのか?」
目線を本に落としたままエルフが俺にそう問いかける。
……よし、いっちょ気合を入れてエルフ退治を頑張ることにしますかね。
どこかで友人達の声が聞こえたような気がして、タバサは読んでいた『イーヴァルディの勇者』という本から顔を上げた。しかしすぐに軽く頭を横に振ると、再び本を読む行為に戻る。彼らがこんなところに来るわけが無い。
『イーヴァルディの勇者』の物語。始祖の加護を受けた勇者が亜人や怪物、ひいては竜や悪魔などと戦う英雄譚だ。貴族ではない勇者が活躍する、子供でもわかるほど単純明快で勧善懲悪な物語。この物語が平民の間で人気なのは、現実における自分たちのように、虐げられている者達が幸せになれることが約束されているからだろう。しかし、現実はそう甘くはない。
そういったことを考えていた時、タバサは視線を感じた。ベッドの上に横たわっている母親からのものだ。考え事をしていたせいで、本を読み上げるのを忘れていたせいだろう。
「ごめんなさい、お母様。ではシャルロットが続きを読みますわ」
なぜだかはわからないが、『イーヴァルディの勇者』を読んでいるときは母の様子が落ち着いているのだ。もちろんそれは正気に戻ったというわけではなく、ただ暴れずにいるというだけなのだが、自分に敵意を向けて攻撃をしてこない。それだけのことにタバサは喜びを感じていた。
あの自分たちをむりやりここに連れてきたエルフの話によれば、自分がこうしていられるのも今夜限りだ。あのエルフは薬が完成したと言っていた。明日自分がそれを飲めば、自分も母のように心を壊されてしまうのだろう。そして、杖を奪われた自分にそれを防ぐすべはない。
シオメントは、イーヴァルディに尋ねました。
『おお、イーヴァルディよ。そなたはなぜ、竜の住処へ赴くのだ? あの娘は、お前をあんなにも苦しめたのだぞ』
物語の中ではイーヴァルディが娘を助けるために、竜の住処へと来たところだった。この話はすでに何度も読んだものだったが、仮に読んでいなかったとしてもこの後どうなるかはわかっただろう。勇者イーヴァルディは勇敢にも竜を倒し、娘を助け出すのだと。そしてその文章を読み上げるとともに、タバサは自分の中に自分自身に対する一種の呆れのような感情がこみあげてくることを感じた。
ああ……自分はこの物語の中の少女のようになりたかったのだ、と。誰かを助けるために己をも犠牲にして戦い続けるのではなく、誰かに助け出される囚われの少女に。一人で戦い続けた自分に、そんな甘く夢見がちな願いがあったのかと。
しかし、現実にはそんなことは起こりえない。
囚われの少女は竜に食べられ、哀れな平民は貴族に虐げられ……そして、自分は心を失うのだ。そこまで考えた時に学院で良くしてくれた親友と、母を治すために力を貸してくれた友人の顔が思い浮かんだ。しかし、すぐに二人について考えることをやめた。
仮にあの二人が助けに来てくれたとしても、エルフには敵わない。ならば結局自分は助かることはないのだから。どうせ明日心を失うのなら、おぼろげな期待などしたくはない。期待をすればするほど絶望は深くなるのだから。
もうこれ以上、幼い少女のような夢見がちな希望を持つことはやめよう。そう心に決めたタバサは、本を読むことに集中することにした。これが最後ならばせめて、母のために本を読んで終わりたい。母の壊れた心に届くように、本を読み上げる。
イーヴァルディは竜の住む洞窟までやってきました……