随分間が空いたこともあって、何か変なところがあるかもしれません。何か思うところがあれば言ってもらえるとありがたいです。
意識が浮上する。
鉛が入っているのかと思うほど重いまぶたを開けると、そこには馴染みのない光景が広がっていた。薄暗い視界に広がる一面の汚れた茶色い布。
……テントの中か?
なぜ自分がこんなところにいるのか、わからない。気付けば湿りきった空気の中には、濃い血の匂いさえ漂っている。身体は地面に張り付いているかのようだ。
いったいなぜ、こんなことに?
頭の片隅に浮かんだ疑問はそのままに、しかし重さに任せて再びまぶたを閉じる。そしてそのまま体中に色濃く残る疲労と睡魔に身を任せようとして……今の状況を思い出して飛び起きた。
その瞬間、体中を激痛が走る。
「……たっ! あたたたたっ……!」
「ああ……気が付いたか、隊長」
俺の呻き声で起きたことに気付いたのか、男が一人テントの中へと入ってきた。右手にはタバコだろうか、煙をくゆらせたパイプを持っている。
テントの外はもう暗くなっていた。空気は冷え込み、気付けば体もすっかり冷たくなっていた。
鳥肌の立つ腕をこすりながら思う。いったいどれほど、気を失っていたのだろうか。
「起きない方がいいぞ。随分動いたみたいだし、体痛いだろ」
「……悪い、そうさせてもらう」
「ああ、そうしたほうがいいな。あと悪いな、煙かったら言ってくれ」
筋肉痛だろう、ぎしぎしとした痛みを感じながら、身体をもう横たえる。ドーピング薬の副作用である頭痛はもう治まっているようだが、ここまで筋肉痛がひどいんじゃあプラスマイナス差引ゼロだ。それにしても筋肉痛なんてそんなすぐでるもんでもないはずだが。
「俺が倒れてどれくらい経った?」
「ちょうど一日、ってとこだな。まあ、あいつらと戦うだけじゃなくて、追手を撒くのにも随分苦労したって話だし、一日で済んで良かったんじゃねえか?」
「……そうか」
一日、か……。
俺の記憶が確かなら、俺が気を失ったのは重傷者の治療中のはずだ。全員見たわけではないが、俺を案内した隊員の話からすれば、そんなに保つ状態ではなかったはず。なら……
「……なあ」
「あん?」
胸に何かが詰まったかのように、息苦しい。痛む右手で服の胸元を握りしめる。
「お、俺が治療してた人たちはどうなった……?」
「ああ、あいつらな……」
彼はそこから先を口にすることを躊躇うかのように、パイプを口に付けて深く吸った。そして大きく一つ、煙を吐いた。
「4人死んだ」
一瞬、息が吸えなかった。
「残りの3人は、まあ、生きてるな。細かいことはわからねえが、容体も落ち着いたらしいから、あとは安静にしてりゃあなんとでもなるって話だ」
4人、4人死んだ、か……。
右手に力を強くこめる。知らなかった。失恋だのなんだのしたとき使われる、胸が痛いっていうあの表現。本当なんだな。心臓が縮み上がっているのだろうか。
比喩でもなんでもなく、今、耐えきれないほど、胸が痛い。
「……治療ができなかった二人と途中だった一人はわかる。あと一人は?」
「合ってるのは前半だけだな」
「え?」
首筋をがりがりと掻きながら、彼は続けた。
「治療ができなかったっていう2人がダメだったってのは、その通りだ。治療中だったってやつは、とりあえず血が止まったのがでかかったらしくて、それでなんとか峠を越えた。……後二人は、まあ、あれだよ」
「…………」
彼の言葉に返事をすることもできなかった。
左腕で目を覆う。鼻の奥が熱くなる。きっとタバコの煙のせいだろう。
「……」
「……」
俺は全力を尽くした。事実何もしなければ間違いなく死んでいた人間を二人救ったんだ。
それにあいつらが怪我したのは、死んだのは敵のせいだ。俺に責任が全くないとは言わない。でも、悪いのは敵だ。……俺のせいじゃない。
頭の中で必死にそう繰り返す。俺のせいじゃない。間違ってはいないはずだ。
でも、それでも、俺の口から溢れたのは、
「……ごめん」
なぜか謝罪の言葉だった。
「ああ。でもな……それだけはやめとけ」
しかし、そう返された彼の声に籠っていたのは、俺の謝罪に対する否定の意志だった。
そして彼は俺が寝ているすぐ横にしゃがみこんだ。俺も体を起こし、彼と顔を合わせる。
「自分でもわかるだろ? 隊長は悪くない」
そしてしっかりと俺の目を見て彼は続ける。
「あんたがとった行動は最善じゃあ、もしかしたらなかったのかもしれねえが、少なくても次善ってやつではあったはずだ。他の誰かが隊長でも、今、これ以上はなかっただろうよ。みんなだってそれはわかってる。だから隊長が謝る必要はねえんだ」
その言葉に少しだけ、心が軽くなった。
しかし……だけどな、と彼は自分の胸を親指でつつく。
「理屈とコレは別だ」
「一緒に酒を飲んだ奴が死ねばつらいもんがある。頭では敵のせいだ、他の誰のせいでもねえ、ってわかっていても、それで気持ちがおさまるもんでもねえ。誰でもいいから、誰かにそれをぶつけたくなる奴もいる」
そう言って、彼は視線をテントの入口へと向けた。
耳を澄ませば小さなざわめきが聞こえた。他の隊員たちの声だろう。
「あんたが頭を下げたらそんな奴らに大義名分を与えちまうし、それ以外の奴らにとっては気を揉ませるだけだ。どちらにせよ何の解決にもなりゃしねえ。言っちゃあ悪いが、隊長」
そして俺へと視線を戻した。
「それはあんたが楽になるだけさ」
「……そんなもんか」
「そんなもんさ。面倒くせえだろ、隊長って」
まあ俺はやったことないからよくわからねえんだけどよ、と言って彼は明るく笑った。
「……ゴホッ」
タバコの煙にむせ、咳き込んでしまう。そんな俺を見て彼は申し訳なさげに眉を寄せると、立ち上がった。
「ああ、悪いな。まあ、ゆっくり……できる状況じゃあないが、のんびりしてくれ。なんか用があったら、しばらくはテントの近くにいるつもりだから言ってくれりゃあいい。もし俺がいなかったら適当に他の奴に声かけて……ってんなこと言われなくても大丈夫だよな」
じゃあな、と言い残し彼はテントを出て行った。
「……」
ゆっくりできない、か。
俺は痛む腕で軽く足を揉む。
「つっ……」
攣った時のような痛みが走るが、覚悟さえしていればそこまでひどいものでもない。そのままゆっくりと立ち上がる。
「あたたたた……」
そしてそのまま軽くほぐすようにして体を動かす。確か筋肉痛の対処法は休養を取る以外はこんな軽いストレッチをするとか、そんなもんだったはずだ。……詳しくは知らんけど。
……それにしても、これからはどうしたもんか。
軽く体を動かしたので一息つく。
打って出るのか、それとも籠城戦か。今の状況がわからないから何とも言えないが、打って出れば返り討ちされそうだし、籠城戦しようにもそもそも城ないし。森の中に籠ったところで、正直戦略的に何か意味があるとも思えない。だいたい援軍が来る望みが無いのに、時間稼いだって仕方がないって話だ。
……となると一点突破しかないわけだが、これもどうだろう。突破したところで追いかけられたらかなりまずいし、それ以前にそもそも突破できるのか、ってのもある。
……まあ薄い可能性とはいえ、それをなんとかする方法もなくはないが。
「隊長、今大丈夫ですか?」
俺がそう考えていると、テントを潜り一人の隊員が入ってきた。
顔に見覚えがある。色々細々とした雑務を手伝ってくれていた、副官のように感じていた彼だ。小脇には地図を抱えている。
「ああ、どうした?」
さすがに顔に疲労の色は色濃く出ているが、見た所大きな怪我などは無い。
「いえ、現状の報告と今後の方針について少し。見張りに出ていた者が今しがた戻ってきたので」
「あ、ああ、わかった」
俺の返事にゴホン、と咳払いを一つして彼は話し始めた。
「まず現在の状況ですが、見張りからの報告ですと囲まれている、とのことです。敵の内訳としては亜人と、その、先日私たちと交戦したような状態の兵士たちが主のようです」
「囲まれてる、って森をか?」
おいおい、敵さんどれだけの数いるんだよ……。
だが俺のその考えを否定するように、彼は俺の前に地図を広げて話を続ける。
「いえ、私たちが森へと入ってきた方面のみです。覆っている、といった表現の方が確かでしょうか。他の方面に対してはわかりませんが、調べていない理由としてはそれ以外の方向は馬車が通れるほどの道が無いこと、また」
そう言って地図上の今俺たちがいる森を指さす。俺たちが入ってきたシティ・オブ・サウスゴータ方面から広がるようにして、森が描かれている。かなり大きい森のようだ。
「このように、私たちが入ってきた方面以外の方から、森の外まで出るのには時間が非常にかかる、という理由からです」
「なるほど……」
少しの間地図を見ながら考える。そして否定されることを承知の上で、一つの考えを述べた。
「俺達自身がこちらの、森の奥へと逃げるというのは?」
「いえ、現実的ではないように思います。まだ大丈夫ですが、食料などにそれほどの余裕がありません。また今の状況から考えても援軍が来る可能性が低いので、逃げたところで先は無いかと」
「……だよなあ」
額に手を当て、大きくため息をついた。
「外にいるっていう敵の数は?」
「それが……可能な限り敵に発見されないよう、距離を取って見てきたということなのでよくわからないと。ただ10、20ではきかない数なのは間違いないようです」
「泣ける話だな」
何それ、ほんとに泣きそうなんですが。10,20できかないって何人だよ。これで21人とかだったらありがたいんだが。……まあどれだけ楽観的に考えても、今のこちらの人数よりかは多いだろうな。
「逃げてもダメ、かといって正々堂々ぶつかったら力負けか」
「……そうですね」
「するとあれか」
「……はい」
「薄いところをなんとか突破して、そのまま逃走か」
「……正直現実的とは言えないかもしれませんが、他に方法はないですね。少なくとも私には思いつきません」
「だな」
結論は出た。痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がる。
囲まれていると分かった以上、時間をかければかけるほど不利だ。
「ばらけてる奴らを全員呼び戻してくれ。集まり次第、動くぞ」
「わかりました。隊長は?」
「……少し隊の様子を見てくる」
そう言い残し、俺はテントの幕をくぐり外へと出た。
外は日の出前なのか薄暗く、辺りは濃い瑠璃色に染まっていた。木々の合間から見える空には雪の一つもなく、視界には一面の黒色に青い絵の具を垂らしたかのような色の空が、小さく切り取られて映る。冷えた静謐な空気が張りつめていて、呼吸をするたびに肺に冷気が染み渡る。
こんな状況でさえなければ、小一時間でも見上げていたくなるような景色だ。
火を焚けば場所がばれてしまうからだろう、皮膚を刺すようなこの寒さの中、見張りをしているのだろう隊員たちは毛布や布で耐え忍んでいた。ランプの薄暗い灯りの中、傷だらけの彼らは一段と悲壮に感じた。
俺はふらふらと自分が気を失ったところ、怪我人が寝かされていた馬車へと歩み寄った。
「あ……隊長」
そこでは一人の隊員が馬車の中を布のようなもので拭いているところだった。
怪我人のそばに付き添っていた隊員だ。
ランプの灯りでぼんやりと照らされた馬車の中には、三人の人間が横たわっている様子が薄らと見えた。
「なんとかあいつらも落ち着いたみたいで……。今は寝ているんで、起きたらお伝えします。本当にありがとうございました」
俺の目線から悟ったのか、そう言うと軽く頭を下げた。
「……四人は?」
「四人? ……ああ」
俺の問いに困ったような顔をして、視線を逸らす。
「その、森の奥の方に……」
彼の視線が動いた方へと、自然と目を動かす。
その先には鬱蒼と生い茂った木々と、小さなけもの道のような小道が続いていた。
埋まっているのかどうかなんてわからない。でも……捨てられているのか、あの先に。
「……」
無意識のうちに唇を開く。そして思わず溢れそうになった謝罪の言葉をなんとか喉の奥へと追いやった。
「……隊長? どうかしましたか?」
俺の様子を不審に思ったのか、彼がそう問いかける。その言葉に俺は笑ってごまかした。
「いや、なんでもない」
謝るな、か。そうなんだろうか? 今、俺の目の前にいる彼も、俺が頭を下げることで俺を憎むようになるのだろうか。……そうなるような気もするし、そうはならないような気もする。俺はいったいどうするべきなんだろう。
……情けない話、もう、何が正しいのか俺にはよくわからない。
……やっぱダメだな。できる限り見ないよう、考えないようにしていたが、限界がある。
別に俺は悪くない。おそらくそうであることはわかっている。それでも、取らなくてはいけない責任と言う奴はきっとある。……少なくとも俺の中には。
「あ、隊長、どうかしましたか? 集まるようにという伝達ならば、先ほど人を遣ったのでしばらくすれば来ると思いますが」
テントの中にはまだ、副官役の彼が残っていた。何やら難しそうな顔で地図とにらめっこをしている。
「いや、なんでもない」
そう返すと、俺は彼の対面へと腰掛けた。
「……ところでさっき出た作戦に、問題点が多いことはわかってるよな?」
今出ている一点突破して、そのまま逃走するという案。大きな問題点は突破できるかどうかということと、突破した後逃げ切れるかどうかという点だ。
俺のその確認するような急な質問に、彼は戸惑ったように答える。
「え、ええ。何か改善案でも?」
「ああ」
そして俺は皮肉げに笑いかける。
「多少はマシにする方法がある」
俺がそんな作戦を取った理由。それは信念とかそんな綺麗なものではなく、ただの意地と、自棄と、言葉にできない何かのせいだった。
次話の投稿もできるだけ早くするつもりです。正直このままのペースだと完結が怪しいので。
ただ次話ですが、アシル視点とでもいうのか今回の話のようにストーリーを進めるつもりですか、もしかしたらアラベル視点で主人公の掘り下げをやるかもしれません。いい加減疲れたんで緩い感じのもやりたいですし。
とりあえず不定期投稿で頑張っていきます。