腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
アリアデスの館を出て、数日の旅程を経たのち。リアトリスとユリアは、ジュンペイが待つ腐朽の大地の淵へとやってきていた。
眼下に毒の霧で霞む、生き物の成れの果てで形成された死の大地が見える。久しぶりに目にしたその光景に、不思議なことにリアトリスはおぞましさよりも懐かしさを感じていた。我ながら図太いなという気持ちと、慣れとは恐ろしいという諦念がない交ぜになる。複雑だ。
「まさか自ら腐朽の大地に来る日が来るだなんて……」
「私は二度目ねぇ。その時にユリアに会ったわけだけど、まだ大して時間も経ってないのにそれも随分前の事のように感じるわ」
「ふふっ、そうですね」
「……それにしてもなんというか、結果的にはあの小僧が望んだことを実行してるわけよね。花嫁はルクスエグマの望み通り、腐朽の大地に戻ってきたんですもの。まあジュンペイ連れてすぐに出るわけだけど」
数日前、ユリアを腐朽の大地へ再び生贄に捧げんと襲撃してきたルクスエグマの魔戦騎士達。用事をすませればすぐに出るとはいえ、状況だけ見れば聖女ユリアは自らの足で彼らの望みを叶えた形となる。とはいえ、夫もとい生贄を捧げる先の魔物については、すでに双方合意で離婚しているため無意味なのだが。
「そういえばこの崖、どうやって下まで降りるんですか? もしかして、リアトリスさん空も飛べたりしちゃいます!?」
心なしか声を弾ませるユリアに、リアトリスは苦笑しながら首を緩く横にふった。
「残念ながら、まだ空を飛ぶ魔術はこの天才リアトリス様にも開発出来ていないのよねぇ……。移動となると大気を巡る魔力の支流が、どうしても邪魔をしてしまうのよ」
「へえ、そうなんですか……。よくわかりませんが、リアトリスさんに出来ないってことは空を飛ぶのは並大抵の魔術では無いってことは理解しました」
「まあユリアったら、私の凄さをよくわかっているじゃない! そう、この超天才魔術師リアトリス様にも難しいの! つまり他の魔術師にはまず不可能! ……まあ、楽しみにしていなさい。いずれそんな壁、軽く超えてやるわ。いつか空を一緒に飛ぼうじゃないの」
「きゃー! さっすがリアトリスさん! 素敵! 私を空へ連れてって~!」
「ほほほ! まかせなさいな!」
死がはびこる大地を目前にしているとは思えないほど賑やかな女性二人(両方元生贄)を、岩にとまった一羽の黒い鳥が呆れたように眺めている。うるさい動物がいるなとでも思っているのだろう。
なにしろこの腐朽の大地付近には、生き物は殆ど生息していないしそもそも近づかない。静けさに支配されているこの場所を賑やかす生き物は珍しいのだ。
「ま、それはまたいずれ……。見てなさい、面白いものを見せてあげる。きっとルクスエグマの魔術師にだってこんなこと出来ないわ。多分!」
自信満々に言う割には特に根拠のない自信を振りかざすリアトリスだったが、この場には彼女を持ち上げることに長けた少女しかいないため問題ない。案の定ユリアは興奮気味に「流石です、流石ですリアトリスさん!」と、やんややんやの喝采を送っている。そのためリアトリスは非常に気分よく目的の魔術を行使することが出来た。
「ふっふっふ。じゃあ期待に応えちゃおうかしら?」
胸を張り自信ありげに手を添えふんぞり返ったリアトリスは、その後前屈みになり腰を下ろして地面に膝をついた。そして申し訳程度に短い草が生えた赤茶けた大地に手のひらをあてる。
『…………我が声よ響け。我が声を聞け。我が声に応えよ。その雄大なる身を今しばし、薄氷がごとく崩されよ』
いつも自信たっぷりで、生気に満ちた声のリアトリス。そんな彼女の声が、今は驚くほど静謐な空気を纏っている。正規の魔術を知らないユリアにも、その術に相当の集中力が必要とされることが窺えた。
リアトリスの腕からは青白い光の粒が零れ落ち、それはまるで雨のごとく乾いた大地に吸い込まれてゆく。水ではないため地面が湿ることは無いが、代わりとばかりに同質の光が円を描くようにリアトリスの手のひらを中心に地面へと広がっていった。
やがてリアトリスの声は途切れ、結びとばかりに何かしらの呪文が大きな声で紡がれた。ユリアはそれを意味として受け取れなかったが、声をきっかけに大地に大きな変化が現れる。なんと腐朽の大地に面して屹立している崖の側面が、薄く砕けたのだ。だが変化がそれで終わるわけもなく、その砕けた岩盤は宙へと舞い見事な螺旋を描いていく。そして出来上がったのは、崖下へと続く石の階段だ。
まるで薄い花びらが重なった様を思わせる意匠は非常に繊細だが、その階段に足をのせて確かめるように飛び跳ねるリアトリスを見るに、おそらく見た目と違って頑丈な作りなのだろう。
「まあ、こんなものね。用は変形魔術の応用なのだけど、ここまで美しく、そしてここまでの質量を変質させられるのはきっと私くらいのものだわ! 師匠だったらもっと武骨な仕上がりになるだろうしね! あとねユリア、これね! 絶妙な配置で石の力点が作用してるから、下に柱とかなくても崩れないのよ! 凄いでしょう!」
「詳しいことは分かりませんがリアトリスさんが凄い事は分かりました! こんなに長くて美しい階段を腐朽の大地に降りたたせた人なんて、きっとリアトリスさん以外にいませんよ!」
熱心に語るリアトリスに、ユリアもまた頬を紅潮させ身を乗り出すようにして言葉を募らせた。それに対し満足そうに頷くリアトリスは、自らが形成した階段へ、谷底……大地に穿たれた毒壺のような腐朽の大地へと続く道へと踏み出した。その手は未だ崖の上に居るユリアにのばされる。
「本当はそれこそ空を飛ぶか宙に固定を伴って浮く魔術を開発したかったんだけどね。……まあ、これはこれで私にとってもいい修行になったわ。さ、それじゃ下に降りるわよユリア! その前に加護の結界を張るからいらっしゃい」
「はーい!」
元気に返事をしたユリアは、腕をとるどころかそのままリアトリスの胸に飛び込み抱き着いた。しかしリアトリスはここ数日ずっとユリアがそんな調子だったため慣れたもので、それを受け止めるとぱぱっと軽く手を動かして呪文を紡ぐ。そして結界で包装したユリアの肩をぽんっと押した。
「はい、完成」
「むう……。リアトリスさんは反応が淡白すぎます。もっとドキドキしてくれていいんですよ!」
「ドキドキって……。もう、好きにしてくれていいけど私はジュンペイのお嫁さんよ? そこのところ、忘れないでよね」
「そんなこと言って、旦那様扱いしていないくせにー。私はリアトリスさんの愛人の座を諦めませんからね!」
「いつそんな話になっていたのかしら!? 初耳だけど!」
「今言いましたから!」
「なるほどわかった! いや分からないというか受け入れるつもりはないけどね!?」
「そこをなんとか! 愛しているので!」
「残念。一生涯の愛についてはもう先にもらってしまっているの。ふたつめは受け取れないわ~。男とか女とかは関係なくね。友人としてなら、もちろん歓迎だけれど」
熱心に愛の言葉を紡いでくるユリアをひらひらと手をふってかわすと、一足先に階段を降りだしたリアトリス。それを見て慌ててユリアも後を追ったが、かなりの高所から下へ向けて降りていく階段……それも手すり無しでは流石に恐ろしかったらしく、下から吹き上げてくる風に体勢を崩しかけていた。
「うきゃあ!?」
「ああ、ごめんなさいね。ほら、捕まって」
リアトリスが差し出した腕にすぐさま飛びついたユリアだったが……怖がっていた表情も体の震えもなんのその。すぐに顔を赤らめて、うっとりとした表情を浮かべる。
「リアトリスさん、やっぱり素敵」
「あら、ありがとう。嬉しいわ」
「もう、さらっとかわしてくれちゃいますね! 私はこんなに好きなのに!」
「その気持ちは嬉しいけど、愛人だのなんだのは飛躍のし過ぎよ。一回、愛に騙されて懲りたでしょう? ……そのねぇ、自分で言っちゃうのもなんだけど、私にはあなたの力を利用したいって考えがあること忘れてはいけないわ。もちろんユリアも私を利用する気で居て頂戴。愛情に即した不確かな信頼よりも、よほど安心できるでしょうよ。そういった利害を前提にして、あなたとは良い関係を築いていきたいの」
「何やら煙に巻かれているような……」
「巻くどころかかなり明瞭に言っているつもりだけど!? 私も、あなたの事を気に入ってきているのよ。最初から嘘はついていないけど、こうして盲目的に感じる時に釘を刺す程度には」
「気に入っているのに釘を刺すんですか?」
「ちゃんとあなたの目が正しく周りを見れるようにね。ほら、親切でしょう?」
段々と話の本質が迷子になってきたことを感じつつも、リアトリスはつらつらと言葉を紡ぐ。好意を向けてくれることは結構だが、盲目的になられては逆に重荷だ。本心からユリアの事が嫌いでないだけど、適度な距離は保っておきたい。
「…………。しょうがないですね、今はそれでもいいですよ。でも、私がこの世界に居る限りずっとそばにいてくれますか? それだけちゃんと約束してくれたら、嬉しいです」
「むしろ歓迎よ。まあ、友人としてだけどね。それに最初に一緒に行きましょうって言ったのは私よ。途中で放り出すような無責任なことしないわ」
うっとりと呆けたような表情から一転。心細さを投影したような表情を見せたユリアに、リアトリスは安心させるように言葉をかける。そして、"もう一人の寂しがりや"を脳裏に描いた。
(あの子、寂しがってないかしら。本体はあんなに図体でかいのに、心は本当に繊細だものね。めそめそ泣いて、せっかく居住区にした生命樹が汚泥で埋まっていたらどうしよう)
最初から独りぼっちだった、長い孤独を過ごしてきた腐敗公。見知らぬ世界に放り出され、偽りの愛に騙され放り出された聖女様。
……つくづく奇妙な縁もあったものだが、リアトリスはこの旅を楽しいと思い始めていた。もともと嫌なわけでもなく、むしろ自らの野望のため精力的に挑む心持だったが……ようやく「楽しむ」余裕を自覚出来てきたのだ。
(どうせ旅するなら、楽しい方がいいものね! そしたらさっさとジュンペイ迎えに行って、そのあとは……やっぱり金策ね。旅するなら名物名産娯楽各種、楽しまないと損だわ!)
打算が第一その他は二番。だがリアトリスは手を抜く気は毛頭ない。
「さ、早くジュンペイを迎えに行きましょうか! そのあとは適当に盗賊か魔物でも狩ってお金を稼ぐわよー!」
気合を入れて進む先は死の領域。だがすでにそこは、リアトリスにとって懐かしき旦那の実家である。恐怖などあろうはずもない。
うら若い乙女はこうして二人、毒の霧逆巻く大地へ降り立つのだった。
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一方、嫁の迎えを待つジュンペイだったのだが……。
『なんで、こういう時に!』
一度は待とうと思いふて寝(気分)していたのだが、あまりにも寂しかったためついつい自ら腐朽の大地の端の方までその巨体を移動させてきてしまっていた。方向はこの腐朽の大地をアルガサルタ付近に向けて出る時、リアトリスと共に通ったものを選んだ。うまくすれば迎えに来てくれているリアトリス達と途中で合流できると思ったのである。
正直腐朽の大地で唯一まともな足場のある中心地区から動くのは、リアトリスに怒られるかもしれないとも思った。だがこの腐朽の大地は魔術師の魔力を分解する作用があるため、自分からの補給が無い状態のリアトリスに負担をかけないためにも早期の合流はけして悪い手ではないとも思っている。……といってもそれは建前で、本当は少しでも早くリアトリスに会いたいだけなのだが。
…………だが、ジュンペイの本体。世界に腐敗公と恐れられる大魔物が、腐朽の大地の中心から移動することは実に十数年ぶりである。"彼ら"にとっては。
一年前もリアトリスを迎えに動いたが、その時は移動方向が彼らの検知範囲に無い場所だった。
腐敗公の移動、それすなわち人間及び魔族の領土の侵食に繋がる大災害。……よって、自分たちが守護すべき領域に彼の大魔物が近づいていることをいち早く検知した者達が行動を起こした。
すなわち、腐敗公討伐隊の襲撃である。
「世界に仇成す魔物よ! 貴公をこれ以上進ませるわけにはいかない! たとえこの命燃え尽きようとも、ここで貴公を食い止めて見せる!」
「ええ、その通りよ! ……この先の領土、私たちの国をこれ以上飲み込ませない。今年はただでさえ不作で民は困窮しているわ。これ以上苦しませるものですか!」
「勝てるなどと思っていないが……それでも! 俺は戦う! 国と、愛する家族のために!」
(や、やりづらい……)
何やら使命感に燃える瞳で対峙するのは三人の人間。討伐隊、と称するにはあまりにも少ない数だろう。この間魔族から助けた冒険者たちと同じ程度だ。腐敗公に差し向けられる討伐隊としてはあまりにも脆弱であるが、彼らの言葉から推測するにこの三人は国の命令などではなく、自分たちの意志で出向いてきたのだろう、ということがなんとなく察せられた。満ち満ちる正義感は、常識が育まれたジュンペイにやり辛さを感じさせる。
リアトリスに出会う前は攻撃してくる人間や魔族など、問答無用で溶かしつくしていた。自分はもともと戦いたくなどないのに、話も聞かず攻撃だけしてくる手合いにかける慈悲などありはしない。
……だが、ふと思う。
(でも、俺もいつのまにか……対話そのものを諦めていたのかも)
最後に襲撃者に対して「攻撃しないで」「話をしよう」と話しかけたのは何年前だっただろうか。……何十年前かもしれない。諦念に支配された思考は、いつの間にか努力を放棄していた。
仕方のないことかもしれないが、せっかく新たな転機を得たのだ。これまでと同じでいてはいけない気がする。
(……よし!)
ジュンペイは一つ決意すると、汚泥をこぼしながら触手を手のように動かした。それに対し襲撃者の三人は身構えるが…………ジュンペイがとった体勢……というより形と、ハキハキとした声質で伝わってきた思念に思わず体を硬直させる。
『あの! 俺、ジュンペイといいます。攻撃しないので、まず俺の話を聞いてくれませんか!?』
可憐な少女のような声と、二本の触手を頭上にあげた……まるで降参するような姿。
それを見た襲撃者である男女三人は腐朽の大地に分解されていく魔力とは関係なしに、妙な脱力感に襲われるのだった。