腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
自分が言い放った言葉を聞いて固まった腐敗公を見ながら、リアトリスはふむを腕を考えて思考を巡らせた。
先ほどまでリアトリスは腐朽の大地の主である腐敗公を打倒し、罪人生贄人生から人類の英雄への華麗なる転身を狙っていた。思いがけないきっかけでその腐敗公と和解を果たした彼女だったが、その際自らに起きた事象は実に衝撃的だった。
この腐朽の大地という場所は、どういうわけか魔力が他の土地より早く消費される。そのためこの地に花嫁として捧げられる生贄は、いくら加護の結界を施されても長く持たない。結界そのものの魔力もすぐになくなり、消えてしまうからだ。
腐朽の大地は生き物の魔力も術式の魔力も、分解し全てを枯渇させる。これは人間族にとっても魔族にとっても非常に恐ろしいことであり、腐朽の大地が恐れられる要因の一つだ。
保有する魔力が常人より遥かに多いリアトリスも例外ではない。ただでさえ呼吸するだけで魔力が消費されていく土地で、しかも全力で腐敗公に戦いを挑んだのだ。あの少しで…噛みつく…などという選択肢をとっていなければ、彼女は力尽きて死ぬ運命にあった。
だがリアトリスは現在生きて腐敗公と対峙している。それはリアトリスの魔力が回復したからにほかならない。
たった、ひと口。たったのひと口だ。
腐敗公の眼球に噛みついた時にリアトリスの口内へ流れ込んできた、苦く酸っぱく最高にまずい液体。それをほんのわずかに飲み込んだ。それだけで枯渇しかけていたリアトリスの魔力は回復したのである。
それは異常な事だった。少なくとも他の魔術師から回復のために魔力を譲渡されたとしても、リアトリスの魔力保有量を満たすためには軽く見積もって五人分の魔力は空になる。それをたった一舐めの液体が満たした。
それを体感したことでリアトリスがまず思った事は「もったいない」だった。
(こんな魔力の塊を持っているのに、使い方を知らないですって? なんて宝の持ち腐れよ)
聞けば腐敗公は膨大な魔力を有しているにもかかわらず、なんとそれを行使する方法を知らないらしい。実に勿体ない。
だがリアトリスはそれを聞くと同時に、これは人生最大の好機ではないかと思い至った。
────────こいつを使えば世界の覇権も夢じゃない
そんな大望が、ふと脳裏をよぎる。
(いや、それはどうでもいいわ! 世界規模は面倒くさい! でもこれだけの魔力なら、大抵の望みは叶うってものよね! これを逃す手は無いわ……!)
が、すぐに捨てた。
思いついたばかりの不穏な考えを容易く放り投げると、リアトリスはより現実的な未来にむけて打算的に考え始める。世界の覇権などという、何の旨味があるのかいまいちわからない展望など彼女にとってはお呼びでないのだ。
リアトリスの明るい人生設計が「人類の救世主」から「凄い魔力を持った魔物を利用して悠々自適な楽々生活」に変わった瞬間である。
リアトリスは元々、特別な魔術師の家系でもなんでもなく、ただのしがない田舎娘だ。それが紆余曲折あったものの、自分も他人も利用してここまで成り上がった。
今でこそその地位も砂上の楼閣となり果てたが、確かに一度は成功をその手に収めたのである。
…………ふと一瞬、成功のために師匠に弟子入りする際蹴落とした魔術学校の同級生が脳裏をよぎる。が、どうせ自分がこんな苦労をしていることも知らず呑気にしているのだろうと、すぐに考えを振り払った。
(まあここを無事脱出できたら、記念に奢らせてでもあげようかしら)
自分が奢るのでなく奢らせることを当然のことのように考えつつ、リアトリスは打算的な考えを再開する。
ともあれそんな人生を送ってきたリアトリスは、自分の欲求に素直な人間だった。
そしてそんな彼女の望みが何かといえば、それ自体は何のことは無い普通の事。美味しい物を食べて、いい物を着て、いい場所に住んで、いい暮らしがしたい。自分の実力を認めさせたい。
そんな物欲と承認欲求にまみれながらも、普通の域を出ない単純な望みこそリアトリスの生きる目的だ。
そのために今、何が必要か。答えは目の前に存在している。
美味しい物どころか食べ物すらなく、身に纏うのは汚泥にまみれたボロボロの花嫁衣裳。
見渡す限り座る事すら躊躇する、臭くて汚くて屋根すらない最悪の土地。
極めつけは魔族の王すら近づかない、この腐り切った大地を凝縮したような醜くて強烈な腐臭を放つ化け物が自分の夫ときた。
考えうる限り最悪に近い状況が今ではないかと言われても否定できないだろう。だがその劣悪な環境をひっくり返して欲しいもの全てを手に入れたら、いったいどんな気分だろうか。自分を貶めてくれた連中にどんな顔をさせられるだろうか。
それを考えた瞬間、リアトリスの顔は喜悦に歪んだ。
(ふっふっふふ……面白いじゃない。あいつらをぎゃふんと言わせて、私はこいつの魔力を利用して快適な暮らしを手に入れる。……完璧だわ! 流石稀代の天才魔術師! 私最高! ふふふふふ、これは楽しくなってきたわね!)
リアトリスはうんうんと頷いて自分の考えを心の中で盛大に自画自賛すると、先ほどからこちらの様子を窺っている単眼の化け物を見上げる。
相変わらず醜い上に臭くてかなわないが、これから自分の人生を幸福に彩ってくれる相棒だと思えば少し可愛く見えてくるから不思議だ。
リアトリスはにやけていた顔をキリッと引き締めると、相棒こと自分の夫となる化け物を真っすぐに見上げた。
「ごめんなさい、待たせたわね! 悪いけど、あなたが今までどういった魔物生を過ごしてきたか聞かせてちょうだい。さっきの話を詳しくする前に、私まずあなたの事をもっと知りたいわ!」
それを聞いて喜色に満ちた気配を放った魔物。まずはこの相棒の事を知らなければ。
『前の花嫁と一緒にもらった宝物の中に、おとぎ話の絵本があって……。その絵本にも俺と同じように、化け物だからって怖がられてる奴がいたんだ。でもその化け物はある日、運命の乙女と出会って心を通わせてた! そして二人は愛し合って……なんと、乙女の真実の愛のキスで化け物の呪いが解けて、化け物じゃなくなったんだよ! だから、だから俺もいつか、あんなふうにって……!』
まるで思春期の少女のようにうっとりと澄んだ瞳を輝かせて、理想を語るのは動く汚泥こと腐敗公。
腐敗公はリアトリスに自分の事を話してほしいと頼まれると、真っ先に自分の中で最も楽しかった記憶を掘り起こした。それは腐敗公なりにリアトリスと友好的な関係を築こうとした、精一杯の努力である。
リアトリスはそれを聞きつつ、うんうんっと優しそうに頷いていた。だが口を開いた途端…………悪鬼のごとき容赦のなさが発揮された。
「いや、無理でしょあんたの場合。少なくともあんたはさ、その姿じゃどうあっても無理だって。もう一回言うけど、無理。第一そのおとぎ話って、私も知っているけれどまずあんたとは前提条件からして違うじゃない? あんたは生まれつきだけど向こうは元々は人間で、しかも正体が王子よ王子。財力半端ないっつーの。それだけで多少欠点に目を瞑ってもいいくらいには魅力的だわ。ま、現実の王子がどうかって聞かれたら少なくとも私はクソって答えるけど、それはいったん置いておくとして。……話し戻すけど、それに比べてあんたはどうよ? 財力権力さっぴいても、あんたはさ、なんかドロドロしてて臭い上に普通に生物にとって有害な正真正銘の化け物じゃない? あの王子はさ、王子だけあって教養あるからひねくれた性格を直せば総合的に考えて超優良物件なわけよ。だけどあんたは性格は良さげだけど、物を知らないから常識の違いで何して来るか分からない怖さとかもあるし。うーん、まあとりあえず、あんたの理想に対する私の考えはこんな感じ? あ、怒らないでね。相互理解ってやつよ相互理解。何が言いたいかって、私にその夢物語を求めないでって話」
初めてまともに自分の身の上話を聞いてくれる相手とあって、意気揚々と自分の理想を語った。願わくば自分にとっての運命の相手が彼女であれば……そんなことすら思っていたのに、突き付けられた言葉は悪鬼が振り下ろした鉈のごとき代物。あまりのことに、怒るどころか衝撃に言葉を失う。
しかしリアトリスは腐敗公の様子など気にも留めず、自信満々に胸を張って自分の考えを主張した。
「まあ、話はそこで終わりじゃないから安心して! そこでこの私様なわけよ。いい? よ~く聞きなさい?」
(私様って言った……)
「つまりあんたが幸せになるためには、私に師事する事が必須事項なわけ! あんたの膨大な魔力と私の魔術があればだいたいの事が出来るわ。お互いに幸せになるための近道は、すぐ真ん前に転がっているのよ。世界はおとぎ話みたいに優しくない。その現実を見据えたうえで、最高の好機を逃す手はないわよね?」
そこでいったん言葉を切り、リアトリスは巨体に向けて手を差し出した。
「待ってても清らかで優しい乙女は来てくれないわ。でも、あんたには私が来た! この幸運を! 幸福を!! つかみ取りなさい!」
自信満々に自分を売り込んでくるリアトリスに、腐敗公は戸惑った。
何度も夢想し、いつかこうなったらいいと願っていた自分の夢。それを情け容赦なく砕いたと思ったら、力強く手を差し伸べられた。
この手を取って、幸せになれと。自分を幸せにしろと。
その動揺が現れたのか、腐敗公は体を激しく震わせた。すると普段よりも大量の汚泥がその体から噴き出て勢いよく地表に流れ落ちる。……その結果どうなったかといえば、汚泥の津波がリアトリスを飲み込んだ。
「おぶぐぁっ!?」
『わ、わあああああー!? ご、ごめん! あれ、どこ? 何処に行ったの? 返事してぇぇぇぇ!』
その後本日三度目の生死の境をさ迷いつつも、なんとか腐敗公が体から出した触手で回収されたリアトリス。
ぜえぜえと呼吸を繰り返す彼女を前に、腐敗公はその巨体を縮こまらせていた。
『ご、ごめん。本当にごめんなさい』
「い、いいのよ。ふふっ、気にしてないわ事故だもの……と思うことにするわ……」
『ごめんなさい……』
リアトリスは汚泥の海から脱した後、胃の中身をひとしきり吐いた。そして現在は粘性のある汚泥を水の魔術で落とそうとするも、うまくいかず四苦八苦している。
「ああ、ダメだわ。うまく汚れが落ちないし、第一こんな場所じゃ落ち着かない! ねえ、何処でもいいからここよりましな場所ないの?」
『そ、それなら俺の家に行く? 一応、俺だってお嫁さんに早死にして欲しいわけじゃないから、整えた場所があるんだ。……王子様のみたいな、お城では無いけど……』
「あーあー、いいって。お城じゃなくたっていいわよ。ここでそんなもの求めるほど馬鹿じゃないわ。じゃあ話をするためにも、まずそこに案内してくれる?」
『う、うん!』
人が初めて自主的に自分の住処に来てくれる。腐敗公はそれだけで舞い上がるような気持ちになった。しかも来てくれる相手は自分のお嫁さんだ。嬉しくないはずがない。
腐敗公は先ほどのリアトリスの提案に、まだ頷いてはいない。しかし推測するに、彼女の中ではすでに腐敗公が了承した事になっているのだろう。
その自信がどこから湧いてくるのか分からないが、しかし腐敗公はそれが嫌では無かった。
まだお互いに事について、ほとんど知らない。
それでもこの出会いはきっと、彼女が言うように幸福なものになる。
腐敗公はそんな予感に胸を躍らせつつ、それが幸せへの第一歩であることを願いながら。
自らの花嫁を、自身の住み家へと案内するのであった。
2019/7/17修正