腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
素朴な木造の家屋は、リアトリスの曽祖父が作り上げたものだ。長い年月が経っているにも関わらず、材質の良さなのか基礎の造りが優れているのか……もとからの丈夫さと日々の行き届いた手入れにより、長き年月を経てなおリアトリスの家族を守ってくれている。
あまり大きくはないが、良い家だ。
その一室にて。
色鮮やかな端切れを縫い合わせた布細工は母の手製。それがかけられた長椅子に体重を預けてすっかりとくつろいだ様子を見せているのは、鮮血のごとき赤髪の貴人である。リアトリスに言わせてみれは奇人だが、その佇まいだけは優美なものだ。
「…………」
両親、特に母が目で「早くご挨拶をしろ」をすごんできたが、先ほど叫んだっきり言葉が上手く出てこない。文句と恨みつらみをぶつけてやっても良いのだが、それを躊躇させるのはすさまじい苦手意識だ。いざ直に対面すると、心の準備も出来ていなかったことからそれが前面に出てしまう。
リアトリスは無言のままにしばらく元上司を見つめていたが、控えめに腕を引っ張られて男に張り付けていた視線を動かした。
「な、なあリアトリス。今クソ上司って……。ってことは、あいつが……」
どこか不安そうに揺れる青眼に見つめられて、「しっかりせねば」という庇護欲が芽生えリアトリスは少し持ち直した。が、頭の回転はどうにも鈍い。
「え、ええとねジュンペイ。ちょっと待ってもらっていい? 最悪を想定するにしても、アリアデス様が来る感じかしら~って考えていたから……してやられたというか……こん畜生がっていうか……不意をつかれたというか……」
「やあ、ごきげんよう! 君が……いや、あなたが腐敗公であらせられるか! お会いできて光栄だ。私の名はエニルターシェ・デルテ・アルガサルティス。このアルガサルタの第四王子という身分に居るが、フフッそれはあなたにとっては些事でしかないだろう。どうかお見知りおきを」
リアトリスの言葉をさえぎって嬉しそうに声を上げた男、エニルターシェの勢いにビクッとジュンペイの肩が跳ねる。そんな彼に構うことなく長椅子から立ち上がり、そう広くない室内で迷いなく一気に距離を詰めるエニルターシェ。そしてリアトリスが止める間もなく…………優雅にジュンペイの手をとり、その甲に口づけた。
本来ならば振り払うはずだが、その厭らしさのない完璧で流麗な動きについついジュンペイも受け入れてしまう。強引にも関わらずこれは「相手を敬っている挨拶」だと、その動きだけで示されたからだ。
しかし。
「ああ、これが腐敗公の御手……」
一瞬にしてがらりと変わった雰囲気。ねばつくような陶酔を秘めたその声に、ジュンペイの背筋がおぞけ立った。すぐに手を振り払い叩き落そうとしたが、相手の方が全てにおいて行動が早い。
真横に居たリアトリスがまたもや止める間もなく、エニルターシェはうっとりとした様子で口を開き……
パクリ
ジュンペイの指をくわえ口内に取り込み、ねっとりと舌を絡めるようにその白い指に這わせた。
「ぃきゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「だらっしゃあッッッ!!」
瞬間。絹を引き裂くような悲鳴と荒々しい怒声、重く鈍い打撃音が重なる。
そして悲鳴は続いた。
「おま、リアトリスぅぅぅぅぅ!? 学習って言葉知ってるか!? 知ってるか!? お前以前の行動から学びは得なかったのかよ!? 馬鹿なの!? いや馬鹿だったわ! 今目の前で証明されたよなぁ!? なあ馬鹿!!」
「っせぇ!! 今のはこいつが悪い!! どう見たって悪い!! う、ううううううううううちの子に、なにを!! つーか離しなさいよオヌマぁッ!」
「がふッッ」
フーフーと荒く息を吐き、我が子を背にかばう野生の獣のごときリアトリス。拳を振り抜いた体勢の彼女を、オヌマが後ろから羽交い絞めにする。しかしすぐに肘鉄を食らってうずくまるはめとなった。
かつてリアトリスを腐朽の大地まで運んだ兵士たちがこの光景を見たならば「よくぞ一瞬とはいえ止めた!」とオヌマを持ち上げ英雄のごとく誉めそやしただろう。が、残念ながら彼らは今ここに居ない。オヌマは一人空しく痛みに耐えた。
「ちょ、お姉ちゃん!? また腕力強くなった!? 今王子様すっごい吹っ飛んだけど!」
「あああ、もう! 腐敗公の花嫁にされた経緯をなんとなく察したわよこのバカ娘!! だから昔から我慢を覚えなさいと……というか家の壁が傷むでしょう!? あのね、何度も言うけれどこの家は曽おじいちゃんが丹精込めて作った大事な……」
「………………」
リアトリスの家族もまたそれぞれ反応を見せるが、当然である。今まさに目の前で自国の第四王子たる貴人を、自分たちの家族であるリアトリスが殴り飛ばしたのだから。
それにしては内容にやや緊張感が無く、父親に至っては無言のまま「とりあえず落ち着こう」とばかりに王子に出した茶をすすっていたが。
殴られた貴人……エニルターシェはといえば、殴られた勢いで部屋の端まで吹き飛び、強かに背を打ち付けていた。そのままずるずると壁を伝い床に倒れこむ姿を見て、みぞおちをおさえたままのオヌマの顔色から一切の色が抜けて紙のように白くなった。
そんな中、クスクスと可憐に笑う声が響く。
「ジュンペイくん、また守ってもらっちゃったんです? 相手はリアトリスさんの宿敵とも言うべき相手なんですから、前に出て背にかばうとかしてほしかったですね~。旦那様なら」
「……ッ! ッ! あのなぁ! お前さぁ!」
「なんです? なにか言い返せます~? うふふ」
「ぐ……!」
混沌を極める室内でちゃっかり入り口寄りの壁に退避し様子を見ていたユリアが、愉快そうにジュンペイを煽っていた。ジュンペイはエニルターシェの口に含まれた指を気持ち悪そうにぶんぶんをふりながら、恨めしそうにユリアを見ている。しかし言われた内容に対しては思うところがあったのか、言い返せずに口をもごもごさせていた。
「ごふ……ぐ……。あれ、待ってくれ。この中で一番……まともな反応してるの……俺……? ご家族、もっと他に言う事が……つーか、まって……王子が怪我したら今度それ護衛の俺の責任問だ……」
強烈な肘鉄と精神への打撃で今にも吐きそうなオヌマが、うめくようにつぶやくが室内でそれを気に留める者はいない。オヌマは自分を供に選んだエニルターシェと、精一杯懇願したのに無慈悲に送り出したアリアデスを恨んだ。
カツン、と。木の床を踏んだ踵の音が反響する。
「どういうつもり? いや聞くまでも無かったわね。ジュンペイはあんたのおやつになんかさせないわよ!」
周りのいっさいの声を無視したリアトリスが、ずかずかと床に倒れこんだエニルターシェに近づき、烈火を秘めた目で見降ろした。すると非常に楽しそうな、低い笑い声が赤髪の男から零れ始める。
「くく……ふふふ……はは……ふふふふふふふ。ふふふふふふふふふ!」
「…………」
「ぐぅッ!」
リアトリスは無言でエニルターシェの腹に蹴りを叩き込んだ。周囲から再び悲鳴があがるが、リアトリスとしてみれば一度も二度も同じである。それに非常に癪だが、この男の場合はいくら痛めつけようとリアトリス自身はともかく彼女の家族には手を出すまい。そういう苦手意識の他に妙な信頼があるものだから、余計に腹立たしいのだ。この男は。
「ひほいひゃないか、わはひのはわいいまひゅひゅひ。へっはふのはいひゃいはほひうほひ」
殴られた、蹴られた事実もなんのその。何事も無かったかのようにすっと立ち上がったエニルターシェだったが、その口から紡がれたのは先ほどまでの明瞭な声と言葉ではなく、ひどく不格好なそれ。
しかしリアトリスはその内容が理解できたのか、眉根を寄せて強い語調で言い返した。
「お前のものではないしお前自分の行動顧みてもの言いなさいよ。誰が可愛い魔術師だって? 冗談。せっかくの再会ぃ? 私にとっては最悪の再会よ! それに殴ったは殴ったけど、一応守ってもあげたのよ? 感謝してほしいわね。……そもそも相手が腐敗公であると知っておきながら、指を口に含むなんて奇行を犯す方がおかしいのだけれど。オヌマに一通りの話は聞いているんでしょうに」
言われてから初めて気づいたように、エニルターシェは自身の頬に触る。殴られた方とは逆側だ。
「ほや……」
その場所に本来あるはずの肌が無い。あるのはなにやらねばつく個体とも液体とも言い難い物体で……その先に指をすすめ自身の舌に触れたところでやっと、エニルターシェは頬に穴が開いていることに気が付いた。ねばついた物体は溶けた自分の頬肉である。
しゅうしゅうと音を立てて肉が爛れるその様子に、以前ジュンペイに手首を溶かし落とされたオヌマが青い顔を更に青く染める。どうやら防衛本能を発揮したジュンペイが、指を口に含まれた一瞬でエニルターシェを溶かし殺そうとしたようだ。本魔物としてはそれに気づく余裕も無かったようで、たった今「あ」と可愛らしい声でつぶやいたのだが。
しかし第四王子は痛みを感じていないかのようにほほ笑むと、くいくいっと指で穴を示す。「治せ」ということらしい。それもまた正しく意味をくみ取ったリアトリスは、初めて腐敗公に噛みつき味わった時と同じくらい顔をしかめた。苦虫百匹を噛み潰した程度では足りないような、見事なまでのしかめっ面である。
「図々しい……。けどまあ、いいわ。このままじゃ話しも出来やしない」
リアトリスが渋々了承すれば、エニルターシェは実に嬉しそうに目を細める。それを見ていたジュンペイは、かつてオヌマに抱いたものなど生ぬるい……非常に不愉快な気分に苛まれた。
大嫌いな相手でありながら、意味不明な相手の言葉を意図を、リアトリスは理解した。それがとても嫌で嫌でしかたがない。
嫌そうにリアトリスがエニルターシェの穴の開いた頬に手を添える。思わず駆け寄ってその手を掴んでやめさせたくなったが、原因は自分である。治療するという結果をもたらす魔術を使えないジュンペイに代わり、嫁であるリアトリスが尻拭いをしている状況なのだ。
……気に食わないが今は静観するしかあるまいと、仄暗い感情を飲み込んだ。
『優麗なる白螺の御手よ、その指で虚ろを撫でてゆけ』
そんなジュンペイの気持ちに気付かぬままに、リアトリスはさっさとエニルターシェの治療を終える。ふいっとあてがっていた手を手前に引くように動かすと、爛れていた肉の間に数多の白く細い糸が現れ瞬く間にそれが元の状態へと肉を再構築していく。
わざと極端に術を短縮し、治る際苦痛を伴うように調整してやったが……。ぴくりと眉を動かしただけでエニルターシェはそれを耐えた。
悲惨な見た目だった顔が再び整ったものに戻ると、彼は怒るどころか満足そうに頷く。
「やはり君は素晴らしいな、リアトリス。以前より格段に腕をあげている」
「そんなこたぁどうでもいいのよ」
元上司からの賛辞をばっさり切り捨てると、リアトリスは先ほどまでエニルターシェが腰かけていた長椅子にどかっと腰かけふんぞりかえった。
「で? 話を聞かせてくれる気はあるんでしょう? 聞いてあげるから話しなさいよ」
殴ったことで吹っ切れたのか、その態度は清々しいまでに不遜である。だがエニルターシェが気にすることもなく襟を整えると、窓の外を見た。
「構わないとも。しかしこれ以上ご家族を緊張させてもいけないだろう? 外で話さないか」
「いいわ。……どうせ潜伏している兵なんていないでしょうしね」
もしそんな者たちが居るならば、リアトリスがエニルターシェを殴った時点で行動を起こしている。信じられないがこの男、オヌマのみを供として単身ここまで来たようなのだ。
「ふふ、よくわかっている。……腐敗公と、そちらの聖女様もよろしいかな?」
急に水を向けられてうろたえそうになるが、そこをなんとか堪えたジュンペイは「おう」とだけ答える。ユリアの方はツンっとすまして顔をそむけたが、その後すぐにそそそっとリアトリスに近づいて腕を絡めたのでついてくる気はあるようだ。特段その態度に機嫌を悪くした様子もなく、エニルターシェはただただ胡散臭い微笑みを浮かべている。
「では、行こうか。今後の世界の話をしよう」