腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
熱気と湿気で揺らぐ空気に、黒く固まったでこぼこの岩の地面。全身から体力を奪っていく、うんざりするくらい似た景色が続く道中……それを乗り越えた先は、目が覚めるような青色だった。
「み、水が青い! 絵みたいだ……」
そんな素直な感想をこぼしたジュンペイに、同じ気持ちを抱きつつ「絵なんて見せたことあったかしら?」とリアトリスは首を傾げた。目の前の鮮やかな光景を絵で表現するには、それなりに高価な絵具を使わなければ不可能だろう。それこそ王宮に飾られているような絵画でなければ、なかなかお目にかかれない。
時々、ジュンペイは腐敗公として過ごしただけでは持っていないはずの知識を無意識に口にする。会った時からそうだったが、ここ最近は特に多いように思えた。
それもユリアが言うように前世の記憶とやらに起因するものなのだろうか。そんなことを考えながら、リアトリスもまた眼前の光景に感嘆のため息をこぼす。
アグニアグリ山脈中腹。そこに開けた視界は、武骨な岩肌で囲まれた山中とは思えないほど清涼なものだった。
途中までは本当にこの先に人が住む場所があるのか、と疑わしく思えるほどの険しい道のり。それが突如途切れ整備された石畳が現れたかと思えば、真ん中に幅広な石橋が渡された大きな湖。
まず目を引くのは湖の色だ。
まるで空を落として溶かし、鍋で煮詰めたかのような鮮烈で密度の高い青。更にはその湖に流れ落ちる水に目が行く。何処から流れ落ちているかといえば、それは天然の滝などではない。人工物だ。
赤茶色の崖に挟まれその岩肌から伸び、石橋の終着点である門を挟むように整然と格子状に組まれた石の柱。四角い穴が等間隔で並んでおり、それが一段、二段、三段。あるいはもっと。水はその穴から流れ落ちているようで、さながら水の壁である。
水が落ちた先では横一直線に激しく飛沫が舞っており、湖の一部が白く霞んでいた。
「なかなかの迫力だろう。ちなみにこの青い水だが、この辺りは星幽界との境界が薄くてな。あちらの事象が零れ落ち、こういった色に染まっている。時間によって色が変わるから、余裕があれば他の日も見てみるとよい」
「あ、そういう魔法的な変化なんですね!?」
アリアデスの解説にユリアが瞳を輝かせた。「北海道の青の池とはちがうのか……!」などと言いながら、何やら噛みしめるように感動している。
「へぇ、すごい。こういう事象があるとは聞き及んでいましたけど、実際に見るのは初めてですね……。もう、師匠ったら教えてくれたらいいのに」
「この感動は事前知識なしで味わうものだよ」
「ああ……なるほど。それはそうかも、ですね」
ふっと笑って湖に目を向ける。まだ熱気に包まれてこそいるが、湖の上を渡ってきた涼やかな風が頬を撫でた。
「橋の入り口が境界ですか」
「ああ。ここから結界が張られている」
明らかに周囲から隔絶されている空間。もとからの自然環境、星幽界との境界を利用していることもあるのだろうが、なるほど優れた結界だとリアトリスは興味深げに湖と人口の滝を見渡した。
「門がありますけど、通行証は要りませんでしたよね」
「うむ。ここはドラゴン信仰の巡礼地でもあるからね。たどり着けば、それが通行証だ。門戸は平等に開かれる」
アリアデスに確認すると、ならばとリアトリスは鼻息を荒くしながら両拳を握りこむ。
「じゃあ、さくっと入ってさくっと宿をとってさくっと温泉入りましょう温泉! 温泉温泉温泉ー! もう、全身べっとべとよ!」
「そうですね! ええ、温泉。そう、温泉! ふふふふふ! さぁ早く参りましょう!!」
「ならば宿の前に公衆浴場へ行くかね? その有様で宿へ入るのも嫌だろう。門をくぐればすぐに巡礼者が身を清めるために用意された浴場がある」
「出来る事でしたら是非!」
一刻も早く身綺麗にしてくつろぎたいリアトリスと、なにやら別の理由も含んでいそうな勢いで賛成するユリア。ジュンペイはそんな二人を横目に見つつ、湖の岸辺で「青いけどすくえば普通に透明だ……。不思議だなぁ」と手で水をすくったりちゃぷちゃぷかき回したりと遊んでいた。
そんな呑気にしている場合でなかったと気づくのは、温泉郷の入り口に足を踏み入れてからすぐのことである。
「ダメだってば!!!! 俺、だから男!!!! 女湯なんて入らないからな!!!!」
石で設えられた公共浴場。その入り口で悲鳴のような怒号のような少女の声が響いて、なんだなんだと道行く人々の視線が集まっている。
そこにはいやいやと首を振る黒髪の美しい少女と、それをひっぱるくすんだ金髪の女性。不審げな視線はすぐに「どうやら事件性はないようだな、お風呂嫌いの子を中に入れたいのかな?」といった類の物に代わった。その視線はどこか生暖かい。
ちなみに黒髪の少女の主張内容は誰の耳にも届いていない。届いていたとしてもあんな可憐な少女が男だなんて、そんなまさかと聞き間違いですまされただろう。事実、体だけなら少女は少年でなくしっかり少女である。その心はともかくとして。
公共浴場へつくなり男湯へと入ろうとしたジュンペイをとっつかまえたリアトリスは、かれこれ十分ほど旦那様との攻防を続けていた。
本当に門をくぐるなりすぐに浴場がどんっと構えていたため、景色を楽しんだりと温泉郷へたどり着いた感慨はまだない。リアトリスとしては感慨第一段のために、出来ればすぐに噂の温泉に入りたいところだ。
「も~。その人化させた体、老廃物は出ないけど埃とか普通につくんだからね? 特に髪の毛。今までだって梳いたり濡れ布で拭いたりしてたでしょ。せっかくたっぷりの湯なんて贅沢なものがあるなら、入って洗わなくてどうするのよ。山中の道を歩いて来たんだし、すっごく気になってたんだから! さあ、隅から隅まで洗うわよ~!」
壁に噛り付くようにひっついて剥がれないジュンペイを、リアトリスが呆れたようにたしなめながらぐいぐいと引っ張っている。だがジュンペイの意志は固い。
「だーーーーめーーーーだって! ひっぱらない! あのね、その、前も言ったけど軽率に裸とか見せるのよくないというか、段階があるというか! 俺たち一応結婚式とかまだなわけで! それにお嫁さんのリアトリスはよくても他の女の人もいるだろ! 俺がそれ見ちゃ駄目だろ!!」
「真面目か! いいわよ今さらよ! 気にしないわよ私も周りも!」
「俺が気にするの! あとリアトリスにとっては今さらでも他の人は知らないでしょ! 男が女湯入ったら嫌でしょ!」
「言わなきゃばれないし知ってても気にしないってその見た目なら!」
「そうですよ~。あとジュンペイくん、男湯に入った方が事案ですし」
「それもわかるけどだったら俺は入らなくていいから!!」
自分で言ってから分かってしまうのが悲しくなったジュンペイである。
「ええ~? もったいないじゃない」
不満そうに頬を膨らませるリアトリス。あまり見ない、どちらかといえばユリアがしそうな表情に「あ、かわいい」と一瞬気が緩みそうになったジュンペイはぶんぶんと首を横に振った。ここでほだされてはいけない。
「ふむ。ならジュンペイくんは宿をとってから、そこの部屋風呂を使ったらどうかね? ここらへんの宿には大なり小なり、風呂がついている部屋は多いよ」
「!! それで! それでいいです!!」
アリアデスから差し伸べられた救いの手にすぐさま飛びついたジュンペイは、これ以上リアトリスにごねられる前にとすぐさま「俺あそこの足湯で待ってるから!!」と浴場隣りの休憩所へ避難した。ユリアがふふんっとばかりに見てきたのが気に食わないが、こればかりはジュンペイの倫理観が許さない。
人との親交がほぼほぼ皆無だった自分が倫理観などと笑ってしまうが、ここを譲ってはいよいよ性別が分からなくなりそうなので踏ん張った。
ただでさえ「男である」という自意識以外、腐敗公というどろどろ魔物が正体の自分は性別が曖昧なのだから。
「はぁ……。なんで、こう。リアトリスもユリアも恥じらいが無いの……。服なんてほとんど着たことない俺の方が気にしてるの変だよ……。はぁ……」
簡素な屋根の下、近くで売っていた瓜をかじりながらため息をつく。やけ食いである。
足元の水路を流れるお湯は心地よく、これに全身浸かることが出来たら気持ち良いだろうなとは思う。けど少なくともここでは駄目だろ、とジュンペイは眉根をよせた。
すでにリアトリスの裸は見たことがあるが、その時も魔物姿のジュンペイ相手とはいえあまりにも堂々として恥じらいが無かった。この姿に至ってはジュンペイを丸洗いする気満々だったようだし、その時の距離感を考えると頭が痛いような錯覚を覚える。痛みなど感じたこと無いはずなのに、その感覚は容易に想像することが出来た。
「はぁ……」
「お嬢さん、お嬢さん。ため息なんてついてどうなさった?」
再度のため息。その時、ぬるっと影がさし声がかけられた。気落ちしていたジュンペイは警戒する前に何気なくそれに答えてしまう。
「え? いや、べつに……」
「おおっと! これはこれはよく見たら小さな歌姫さんじゃないの! 奇遇だねぇ」
陽気に話しかけられたと思えば無遠慮に隣に座られて、少しむっとするも妙に人懐こい声色に警戒心が緩んだ。
その内容が気になった事もあり、文句を飲み込んで相手を見る。興行した時見ていたお客さんだろうか、と。だとすればあの町からは結構遠い。確かに奇遇だ。
声をかけてきたのは人好きのする笑みを浮かべた男。
ぱっと目を引いたのは色濃い緑の髪で、ジュンペイとしては初めて見る髪の色だった。三白眼のつり目に収まる瞳は
どちらも自然と目を惹きつける。
「前に町の中で声をかけたのお忘れかい? 次に会った時は案内させてねって約束したのに」
その言葉にジュンペイは「ああ」と記憶を掘り起こす。
「約束はしてないけど、なんか裏路地で……あった人?」
「そう! でもって僕たちはこうして再会したわけだ。僕はこの温泉郷についても、とても詳しい! 今度こそ案内させてくれないか? そして、出来たらまた僕の知らない歌を教えておくれ!」
興奮気味に前のめりになる男にジュンペイは少し引く。この男、上背があるので少し動くだけでも圧があるのだ。
「あ、あの歌は、歌ったのは俺だけど教えてくれたのは仲間の女の子だよ。新しいのが聞きたいなら、また習わないといけないからすぐには無理」
「へぇ! そうだったのか。ふむふむ。いやでも、しばらくここに滞在するんだろ? ならその間に聞かせてくれたらいいからさ。その代金と思って、案内させてほしいんだ。どう?」
まったく引く様子の無い男にジュンペイは押し黙る。
実のところ彼は孤独だった期間が長いだけに、好意的な感情を前面に出されると弱い。たとえそれが初対面の相手でも、人に慣れてきたジュンペイにとって好意は素直に甘美だ。
「う~ん。でも、俺一人では決められないよ。仲間が出てくるまで、ちょっと待ってて」
結果、突っぱねることは出来ず保留した。
「うんうん、いいよいいよ! あ、僕の妹もちょうど浴場に入ってるんだ。一緒に待つ待つ~」
「へぇ、妹さん。……ん? というか、あんたその耳。あと頭のって……?」
何故今さら気づいたのかというような、髪の毛や瞳の色などよりよほど目立つ特徴。それを口にすると、男は「おや」と目を見開いた。
「あれ、見えちゃってる? おかしいな。警戒させても悪いかなって、隠してたんだけど」
つんっと先がとがった耳と、緑の髪から覗く小さいながら硬質さを感じさせる黒光りする角。笑った口からは、発達した犬歯が覗いていた。
「お嬢さん、亜人は初めて?」