腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
しんっと静まり返った廊下をぺたぺたと歩いてゆく。
生き物の気配はするものの、そのほとんどは夜闇の
宿の者に聞いたところザリーデハルトが使用した魔術による流星を、魔術師でない一般人は「奇跡の光景」として受け止めひどく沸いたようだ。その興奮が疲れとして作用したのか、今日はいつもより早く寝室へと人が引いたとのこと。
それに加えてずいぶん遅くに無理を通してもらったのだから、この時間に人がいないのは当たり前かもしれない。
ラドたちには出会って早々に世話になりっぱなしである。
「ちゃんと歌の練習もしなきゃな。お礼だし」
灯されている照明も最低限。というより、ほんのりと壁自体が一部光っているようだった。どういった材質の物なのかリアトリスに聞けばわかるかもしれない。
新しい場所に行くたびに目新しいものがあり、無知が既知へと変わってゆく。その感覚は甘美で、出来ればもっともっと知りたいし教えてほしい。
どんな状況でも、リアトリスが居ればそれは可能なんじゃないかと思っていた。力だけはあるくせにひどく落ち込みやすい自分を、強引に引っ張ってくれる彼女が居れば。しかしそこに甘えすぎていた、という自覚も確かにあって……。
ユリアに言われるまで、背中を押されるまで。行動できなかった自分がもどかしい。
「ここかな?」
宿の内部を少しだけ迷った後、なんとか浴場らしき場所へとたどり着いた。引き戸を開けて中へと入ればそこは脱衣所。奥の方に大きな扉が二つ、別々の場所に備えられている。
ひとつは屋内の浴場。一つは外へと続く扉で、その先には露天風呂があるそうだ。名前の通り、天が露になった風呂である。
説明文を薄暗がりの中、指にほんのり魔術の光を灯してなぞるように読み取った。この程度ならば使っても魔力量に問題はない。
(文字を読めるのも、リアトリスのおかげなんだよな……)
しみじみと考えに耽りながらするする服を脱いで畳んでゆく。こうした些細なことも全て教えてもらった。
……この少女の体に関しては、一年ほどほぼ丸裸で過ごしていたので裸体に関して思うところはない。
旅に出た後……今まで捕らわれてきた腐朽の大地という場所から出た後に目にしたものは、もちろん全て素晴らしかった。今までいくら手を伸ばそうとも溶け腐り、届かなかったものに触れられたし囲まれたのだから。
しかしジュンペイの視界はそこへ行く前、リアトリスと出会った時に色づいていたのかもしれない。
文字や魔術、生活知識。それらを教えてもらった、二人きりの一年間。本来生物など存在できないその場所での暮らし。
リアトリスに負担をかけたことは今でも心苦しいが、目の前に存在してくれる。話しかけてきてくれる。見てくれる。……手を握ってくれる。
そんな相手が出来た時点で、実情はともかくジュンペイの心は腐朽の大地と、腐敗公の体という楔から解放されていた。そう思える。
そんな相手に、自分はまだなにも返せていない。
「な、何話そう」
いざ直前になると情けない言葉が転がり落ちるが、ぷるぷると顔を横に振って両手で頬を叩く。
「俺は、リアトリスの旦那さん! よし!」
なにがよしなのか自分でもよく分からないままに、しかし気合だけは入れて外へと続く扉に手をかけた。
そのとき、視界の端に揺れた自分の髪色に気付く。
「あれ……もどってる?」
きらりとわずかな光源を照り返すのは黒髪でなく金髪。リアトリスが魔術の上掛けをした心ばかりの変装が解けている。
ジュンペイは首を傾げながらも、今度こそ扉を開けて外気に身を躍らせた。
そのころ。
リアトリスは露天風呂に誰もいないのをいいことに、内にためていたものを吐き出していた。
「あー! ……もう。最低」
状況そのものに対して、ではない。リアトリスの言う最低、の前には「私」とつく。
ぐりぐりと眉間や額をもみほぐすと、リアトリスは勢いよく湯船に顔を突っ込んだ。そのまま重々しいため息を湯の中に落とす。この感情もろともすべて溶けてしまえばいいのに、と思いながら。
刃を交えることはなかったが、先程の状況は相手が寛容だっただけ。リアトリスの態度も面白がられはしたが、ああいった状況でその態度が適切かと言えば零点を振り切って下方へ転落する。落第生だ。
昔からの悪癖である短気は封印すれば爆発時にそれまで築き上げてきたもの全てを壊し、解放したらしたで再度の抑制がなかなか出来ない。
被害を被るのが自分だけならいい。どんな状況になったって自分を棚に上げまくって、誰が相手でも噛みついて胸倉掴んでやる。
しかし今回は自分だけでなく周りまで巻き込みかけた。その事は思っていた以上にリアトリスへのしかかる。
そのうえで相手はリアトリスが無意識下で目をそらしていたことまで、ご丁寧に突きつけてきてくれたのだ。伸し掛かる重りはその分、重量を増していた。
ああして食事を挟んでの対談は今までもあった。というか、何か行動する時の起点に必ずそういった機会があった気がする。
オヌマに金を借りに行ったとき。アリアデスに挨拶に行ったとき。ジュンペイを家族に紹介し、元上司に今の世界の情報を突きつけられたとき。
そして先ほどの、魔皇との対談。
昔なじみのオヌマ、信頼する師であるアリアデスに対した時や、忌々しく思うもののそこそこ性格を理解をしているエニルターシェの時とは違う。
初対面のジュンペイに襲い掛かった時は、それこそ自分一人だった。だから無謀ともいえる賭けに全てをぶちこめたし怖いとも思わなかった。
だが性格も実力も未知数の格上を前にして、大事にしたいと思う相手を横にしての横柄な態度は軽率の極み。しかもそれに考え至ったのは、こうして一人になって考える時間が出来てからだというから笑ってしまう。笑えないが。
こんな感情をうちに抱えていることに気づきもせずに、迷惑な連中に怒りだけを募らせていた先ほどまでの自分がいかに滑稽か。
「あああ……ああ~!」
油断すれば口から情けない声が絞り出される。とても連れ達には聞かせられないが、今はまだ湯につかったばかり。歌の練習をしている彼女たちは、まだ今しばらく来ないだろう。
そのことに安心して再度湯に顔面を浸ける。吐き出すため息は全てぶくぶくと空気の泡となって、リアトリスの顔を包み込んだ。
(のぼせそう……)
いっそ湯だってなにも考えられなくなった方が、今は楽なのかもしれない。
リアトリスの世界は広いようでいて、その視野は狭かった。それを今嫌というほど思い知らされている。
『世界を天秤にかけてまでの娯楽に乗ってくれる相手はそう居ない』
エニルターシェの何気ない言葉が脳裏によみがえる。いや、あの王子の事だ。意図的かもしれない。
今、その天秤とやらを手にしているのはリアトリスだ。なにしろ現在名実ともに世界の中心となっている腐敗公ジュンペイが信頼を寄せているのだから。
リアトリスの望み次第でこの状況をどちらへ傾けることも出来る。しかし天秤をもって立っている場所は、腐朽の大地へ落とされた時のようなぎりぎり崖っぷち。その崖から落ちるとなれば、天秤がどちらに傾いたとしても他の誰かが道連れだ。その誰かは世界全ての人間か、周りの親しい相手全てか。
…………余裕などありはしない。
自分は慢心していなかったか? 世界最強の魔物を連れ歩いていたことに。自分の才能に。
特に後者など容易く組み伏せる相手などたくさんいるくせに、烏滸がましくも。
そんな自分らしくもない考えを抱いてしまう事自体に、心の奥の部分がざらついた。それはけして開けてはいけなかった箱の蓋を持ち上げ覗いてしまったような……そんな感覚。
気づいてはいけないもの。それを認めてしまったら、きっと自分は馬鹿みたいに弱くなってしまう。それだけは分かる。
「駄目ね。やっぱり疲れてるんだわ。……考えないといけないのに。ああ、もう!」
考えないといけないのに、考えたくない。
リアトリスはそんな矛盾を抱える自分にイライラしながら、少し落ち着こうと息を深く吸い込んだ。
肺には温泉から立ち上る湯気と共に、夜気が流れ込んでくる。見上げれば星を張り付けた夜の天幕。
現在リアトリスが入っているのは屋内でなく、ユリアにおすすめされた露天風呂だ。湯はとろりとした乳白色で、これは温泉郷入り口で見た魔力がもたらす現象でなく、温泉そのものにとけこんだ成分の色だという。
心なしか肌がしっとりつるつるしてきたようで、少し気分が浮ついた。
「ふふふん。時間があれば、あの馬鹿上司の言っていた泥の美容法も試してみたかったわね。あ~あ。もっと観光したかった。結局、地元でも観光地でも全然遊べてないわ」
「そうだね。俺も一緒に、もっと色んなところ見て回りたかった」
「ね~。声かけるにしても、空気読んでもう少し後に……。…………」
つい返事をしてしまったが、はたと気づく。今受けごたえをしたのは誰だろう。
いや、分かってはいるのだ。なにせ毎日聞きなれている声。
ただその人物がこの場に現れることに違和感があり、一瞬思考が停止する。
「ジュンペイ?」
「……あ、うん」
ざぁっと強い風が吹き抜け、一瞬湯気の膜が取り払われる。
薄明りの中でもその蜂蜜のような、黄金のような眩い巻き毛は艶やかに輝いて見えた。
愛らしい少女の見た目をした旦那様は、恥じらうように体の前を布で隠しながら露天風呂の淵に立っている。
そういうところがいちいち乙女なんだよな、という感想を抱きつつ見上げる形だったリアトリスはしばし固まった後、あることに気が付く。そのままこちらは乙女とはなんぞや? という勢いよく立ち上がった。
「あれ、黒髪どうした!? うっそやだ私としたことが気が緩んでた!? ちょっと待って今すぐにかけなお……」
「うわあああああああああ!? り、リアトリス!! 立たないで! 立たないでー! 見えちゃうから!!」
「いや何を今さら。ここに来たのはジュンペイでしょ? お風呂よ。裸に決まってるじゃない」
「そうだけど、そうだけどー! ううううう」
裸体の嫁から必死に目をそらすと、ジュンペイはわたわたと髪を結いあげてからお湯の中に飛び込んだ。
「わぶっ」
跳ねた湯をもろに受けた嫁を気にする余裕が無いのか、ジュンペイはそのまま縮こまるようにしてリアトリスに背を向ける。
リアトリスにそのつもりはないが、この場合こういった反応をするなら自分ではないか? と思わなくもない。
「あんた……なにがしたいの?」
「……リアトリスとお風呂に入りたいけど恥ずかしいから裸は見たくない」
「それって嫁として私はどう受け取るべきなのかしら……」
「わ、わかんない」
自分で入って来ておいて分からないとは。
リアトリスは首を傾げつつも、とりあえず湯に肩までつかることにした。
自分が立っていては、この旦那様はうまく話せないようなので。
「お湯の中、入ったわよ」
「ご、ごめん」
「いいけど」
おずおずと振り向いたジュンペイはリアトリスの体が湯に隠れたことを確認すると、ゆっくりそばへ寄ってきた。どうにもお湯の濁り具合を確認し、うっかり見えてしまわないよう位置を探っているらしい。
おもしろい生き物だなぁというような気持で、リアトリスはその様子をしばし見守った。
湯が露天風呂に流れ込む音や、ちゃぽんっと跳ねる水音が耳に届く。
「………………」
湯に身を預けながら、ちらりとジュンペイを見る。リアトリスの視線の先でぱくぱくと口を動かしている旦那様は、そういう動きをする玩具みたいで愛らしい。先ほどからずっとこんな調子だ。
リアトリスはそのまま自分から「どうしたの?」と問うことなく眺め続けた。時間は流れる。
「あ、……」
「あ?」
小首を傾げる。これは少し意地悪だろうか。
そのまま数秒が経ち……。形になりかけた不格好な言葉は、ため息となって小さな唇から吐き出された。
「ダメだな、俺……。頑張るとか言っておいてこれだもんな」
「あら、やっと喋ったと思えば独り言?」
「ち、違くて!」
慌てたように前のめりになるジュンペイに、リアトリスはクスクスと笑った。その様子にへにょっと眉尻を下げながらも、ジュンペイもゆるく笑う。
「……リアトリスをさ、励ませる言葉を探してたんだ」
「励ますって……私、そんなに落ち込んだような顔してた?」
「落ち込んでるっていうか、疲れてると思った」
それを聞いてリアトリスは内心ほっとする。今こそ驚きにより持ち直しているが、先ほどまでらしくない落ち込み方をしていた。それが他者に悟られていたとするなら、リアトリスとしては非常に恥ずかしい。
我ながら見栄っ張りだなとは思うが、こういった面が自身を支えているのもまた事実として受け止めている。ゆえに、それを悟られないように何でもないような声を出す。
「ふぅん。それで、優しい旦那様は疲れてる私を労って、元気づけに来てくれたと」
「ん。でもいざとなったら、何て言っていいか分からなくなっちゃって。だってリアトリスが疲れてる原因、俺だしさ」
「それは」
その言葉にはムッとなって眉根を寄せるが、リアトリスが何か言う前にジュンペイはぶんぶんと顔を横に振る。
「あ、待った! ええと、後ろ向きな意味じゃなくて! 事実として、言ってるだけ。ここで俺が落ち込んでもリアトリスは元気にならないし、俺なんか見捨ててくれていいよみたいなこと言っても、怒るだろうし。というか嘘でもそんなこと言いたくないし! これがわがままだとしても、俺はずっとリアトリスと一緒に居たいから!!」
叫ぶように必死に言葉を絞り出したジュンペイは、虚をつかれたように目をぱちくりさせているリアトリスを目にしてはっと我に返る。そして頭を抱えた。
「うわああああ! 俺の馬鹿! 結局自分のことじゃん! こんなこと言うつもりじゃなくて、もっと気の利いた……」
「ふふふ」
「……リアトリス?」
「ふふ……あはっ、あはははははははは!」
先ほどと違い大きく口を開けて笑い出したリアトリスに、今度はジュンペイが目をぱちくりさせる。
今自分はとてつもなく身勝手で、とてもじゃないが励ますなんてお世辞でも言えないことを叫んだのではなかっただろうか。しかし嫁は楽しそうに笑っている。
「あはは……ごえん、ごめん。いやぁ。結構私の事を理解してくれてるんだなぁとか、なんか私に似てきたなーとか思ったら、おかしくなっちゃって。……別に気の利いた言葉なんて期待してないわよ」
「うっ」
「あ、悪い意味じゃないのよ。だってあなた私よりずっと年上だけど、ずっと一人でいたんだもの。一年そこらで気の利いた事言えるようになってたら、逆に生意気って思うわ」
「それはちょっとひどくない!?」
「ひどくない。だって私だって気の利いたことなんてこれまでの人生でろくに言えたこと無いのよ。だから早々に先を越されたら悔しいじゃない。……それより私は、一緒に居たいって言ってくれたことの方が嬉しいし元気出るわ」
「そんなことで? だってこれは俺の……」
言いかけた時、ジュンペイの鼻先が指ではじかれる。
「わぷ!?」
「自分のわがままだって? 馬鹿言わないでよ。私もあなたと居たいって思ってるわ。世界に喧嘩売ってもいいって思えるくらいにはね」
ぱちんっと片目を瞑って笑いかけてくるリアトリスは頼もしい。しかしジュンペイはほんの少し……本当に少しだけ見えた陰りに気付く。
そのまま言葉を探しあぐね……ほんの少し、ちゃぽちゃぽ湯の中を移動した。
陣取ったのはリアトリスの真横。体の位置は先ほどより近い。
「リアトリスってさ」
「うん」
ようやく励ましの言葉とやらを思いついたのかな? と、少し楽しみに思って相槌を打つ。
だが。
「見栄っ張りだよね」
「はぁ!?」
「わわわわわ! こっち向かないで!!」
予想とは違う方向で、しかも先ほど自分でも思っていたことを言われてつい勢いよくジュンペイの方に体を向ける。その際に湯が波打って胸元が見えそうになり、ジュンペイはぎゅっと目と瞑ってやり過ごした。
目を瞑ったことで暗くなる視界。すると不思議なもので、緊張がするりとほどけて言いたかった言葉が見つかった。
これを逃してはいけないと、リアトリスが何か言う前に……ジュンペイは思いっきり、自分の気持ちが詰まった言葉を解き放った。
「もっと頼ってよ」
「…………。え?」
うっすら目を開けば、きょとんとした嫁の顔。
真っ赤になっているだろう自分の顔が想像できて「締まらないな」と落ち込みながらも、やっと言えた言葉にジュンペイはへにゃりと笑うのだった。