腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
「たよる……」
短い言葉だというのにかみ砕けていないのか、リアトリスは珍しくもどこか舌足らずに繰り返す。
「うん。だって俺……いや、俺達のことなのに、リアトリスは自分から俺にどうしてほしいって一言も言わないじゃん。ちょっとした事はともかくとして。確かに分身体の俺は今、魔力の節約をしてることもあって出来ることは少ないけどさ。俺はリアトリスの旦那さんだよ? 守られる子供じゃない。リアトリスがこの姿に思い描いた、理想の娘なんかじゃない」
「あ……」
目から鱗とはこのことか。
リアトリスは言われて初めて、世界最強の大魔物に対しての自分の振る舞いに思い至る。
いや、分かっていたつもりだった。だがそれはまさしくそう思っていたつもりにすぎなかったようで。
娘が居たらこんな感じがいいな~という理想をたっぷり詰め込んだ外見は、思った以上にリアトリスを盲目にしていたらしい。
人外魔物を美少女にしたうっかりは、更なるうっかりを呼んでいたというわけだ。
「リアトリスは最初、自分の事も利用していい代わりに俺の事も利用するつもりだったでしょ。理想の夫になれって要求してきてさ。まあ、隠してなかったし俺もそれを受け入れた。なのになんで今は、それをしてくれないの。今の俺がまだ導かれる立場だとしても、未熟だとしても……もっと利用して。もっと頼って。疲れてるなら疲れたーって言って、寄りかかって。見栄なんて張らなくていいよ」
そこまで一息に言い切って、少し間が空く。
次に告げられた言葉は懇願にも似て、しかしどこまでも真摯な響きを伴っていた。
「俺は引っ張ってもらうんじゃなくて、リアトリスの隣を歩けるようになりたいよ」
言いながらジュンペイはおずおずと手を湯の上に出し、リアトリスの方へ差し出す。
誘われるがままにリアトリスはその手を握った。
「だから俺、恥ずかしくってもお金を稼げた時は嬉しかった。ちょっとは役に立てたかなって」
はにかむように笑ってリアトリスの手を握るジュンペイは何処からどう見ても可憐な美少女であるが、その中にはわずかに背伸びした少年の姿が見えた気がした。
「リアトリス……は、さ。俺の事、好き?」
視線を顔より下に落とさないように気を付けているのか、手を握ったまま潤むように輝く碧眼がまっすぐにリアトリスを射抜く。
それに少しドキリとしつつ、咳払いして茶化すように答えた。
「なによ改まって。というか、好きでもない相手にさっきみたいなこと言わないわ。一緒に居るために、世界に喧嘩を売ってもいいとかさ。好きよ」
「んー……。でもそれ、単純にリアトリスが世界の態度が気に入らないってのも入ってない?」
「うぐ……」
なかなかに痛いところを突かれた。
その前提にはジュンペイが大事に思えるからこそというものがあるので、単純に気に食わないから世界相手にも喧嘩を売るという無謀な試みではないのだが。
以前も考えたがもしこの事態の渦中がジュンペイでないのなら、リアトリスは一個人でなくさっさと自分の住む世界を取っている。
しかし本人からそんな風に言われると、図星を突かれたような気になって一瞬言葉に詰まった。
その様子を見たジュンペイは怒るでもなく、「わかってる。ちゃんと俺を大事に思ってくれてるからだよね」とクスクス笑ってあっさり流す。
からかう側とからかわれる側。先ほどまでと立場が逆転している。
「……まさかジュンペイにからかわれる日が来ると思わなかったわ」
「ふふふん。俺だって成長してるんだよ? 立派な先生のおかげでね!」
「むむ……」
笑い方まで少し自分に似たようで、少し唸る。これを世間は似たもの夫婦とでも呼ぶのだろうか? と考えながら。
しかしリアトリスは、ふと先ほどの問いかけに対して考える。
(そういえば……。ちゃんと言った事って、あったっけ?)
ジュンペイはすでにその言葉を幾度か口にしてくれている。
だが、自分は?
リアトリスが何やら考え始めた事に気が付くと、ジュンペイは握っている手をわずかに顔に寄せた。
湯にぬれていることもあるのだろうが、温泉のおかげか乾燥気味だった嫁の手はしっとりしている。
「ごめん、からかって。……もう一度、聞いていい?」
「……どうぞ?」
互いにほんの少しの緊張の後、言葉がひとつ落とされる。
「リアトリスは俺の事 好き? 好きだとしたら、その好きって恋?」
(質問が二つに増えた……)
その問いかけに、リアトリスは頭を抱えたくなった。
分かっているのだ。どういった気持ちで聞かれているのかは。しかしリアトリス自身どう話せば正しく言い表せるのか分からないのである。
若気の至りの錯覚、と割り切った数少ない恋愛経験しかないこの身が恨めしい。
そこまで考えて、はたとジュンペイに話していないことがあったなと思い至る。
話すつもりはなかったし、この場面で話すのもどうかと思うが……。今はなんとなく話してもいいかなという気分になっていた。
「ねえ、ジュンペイ。そういえばあなたに言ってないことあったわ」
「言ってないこと?」
え、今? とでも言いたげな不満顔に少々気まずくなるが、この瞬間を逃せば話す機会は無いだろう。別にわざわざ話す必要もないのだが。
ただこれは温泉でほぐれた心と、この真摯な旦那様に少しでも誠実でありたいと思ったリアトリスの心の表れである。
「うん。嘘ついたとかじゃなくて、言ってないこと」
なんとなく嫌な予感がしたジュンペイは、ちゃぽっと乳白色の湯に顔の半分ほどまで沈む。目で何やら訴えてくるジュンペイを見て数瞬迷うも、ここまで言って今さらやめるのもな……と覚悟を決めて口を開いた。
「あのね、腐れ縁でも間違いないんだけど……。オヌマって、学生時代の恋人だったのよ」
「ちょっと待っててあいつ溶かしてくる」
「ちょいちょいちょい」
一瞬の間もおかずざぱっと湯から立ち上がり全裸のまま出ていこうとするジュンペイを、リアトリスが握ったままの手を引っ張って後ろから羽交い絞めにする。
……そんな体勢になれば当然、当たる所が当たるわけで。
「ぎゃみゃぁぁぁぁああああああ!?」
「あ、ごめん」
猫が潰されたような悲鳴をあげるジュンペイをぱっと離し湯に沈みなおすリアトリスだったが、その手はしっかり旦那様の手を握ったままだ。
背中全体でしっかり嫁の柔らかい色々を感じてしまったジュンペイは、真っ赤な顔で大人しく湯船に戻る。ちなみに涙目だ。
「…………ほんと?」
話の続きを促してきたので、リアトリスもそれに応える。
「ええ、忌々しい事にね。私はまあ、なんというか。人と接することに関して結構不器用でね?」
「うん」
「そこで素直に相槌打たなくても!」
「だって今この瞬間がすでに不器用だよ! なんでこのタイミングでって思ってるもん俺!」
「ぐっ。まあ、あれよ。初対面の時私とオヌマの関係気にしてたでしょ? あの時、別に嘘ついたつもりはなかったけど……。なんとなく今言った方がいいような気がして!」
「…………」
ジュンペイからの視線が刺さる。だがこのまま中途半端に終わらせる方が座りが悪い。
リアトリスはこほんと咳払いした。
「え、えーとね。田舎から出て王都の魔術学校に入学したころは、とにかく不安ばっかりよ。家族から短気を起こすんじゃないぞってのも言われてたし、慎重だったわ。……その結果あまり友達できなかったわけ」
「あまり? 全然じゃなくて?」
「なんでそこでもつっこむの!?」
「だってオヌマもシンシアさんも、リアトリスは友達少なかったって言ってたし……」
「それちゃんと覚えてるのね! ああもう……まあいいわ。で、まあ人見知りに加えて私って優秀で天才かつ勤勉な超優等生だったから孤立しちゃったのよね。表情も我ながら暗かったわ」
「そこでちゃんと自分を上げるのがリアトリスだよね」
「事実を述べているだけよ! ……で。まあ私だって寂しいと感じる心があるわけよ。でもってオヌマの奴はあの調子じゃない?」
言われて初対面時の事を思い出す。ジュンペイが腐敗公だと知っても気さくに接し、手首を解かし落としたにも関わらず笑顔で接してくれたし世話も焼いてくれた。性別確認のために股間を触るという暴挙はやらかしてくれたが。
だが、いい奴ではある。
「優しくされて、うっかり。ころっと。ちょろいわよね私も」
「別れたのはなんで? アリアデスさんの弟子争いをしたから?」
「浮気」
「やっぱり溶かしてくる」
ぎゅっと眉根を寄せたジュンペイにリアトリスはけらけらと笑う。
「いいのいいの。当時散々叩きのめしたもの。それでも縁が続いてるのは、我ながら不思議だけどね。お金借りたり、なんだかんだ世話にもなったし」
「でも……!」
「そういう奴なのよ。あいつ、悪気無くそういうことするし、複数の女に粉かけてるからね。いい奴ではあるけどそういう無神経さがほんと嫌。恋人なんてもってのほかで、腐れ縁くらいがちょうどいいわ」
ふんっと鼻息荒く言い切ってから、肩をすくめてジュンペイを見る。
「……とまあ、自分の唯一の恋愛経験を掘り起こしてみたわけだけど」
「ゆいいつ……」
喜んでいいのか、たった一人でも自分以外の恋人がいたことに嘆けばよいのか。
複雑な心境を顔に滲ませるジュンペイを横目に、リアトリスは空を見上げた。露天風呂から立ち上る湯気が天の闇にゆるりと溶けて消えていく。
「恋とはどんなものかしら」
まるで歌劇の一節の様に、言葉を並べる。
しばし無言の時間が流れ、先に口を開いたのはリアトリスだった。
「私はジュンペイのこと好きよ。でもね、これが恋かどうかって言われるとわからないの」
「…………。わかってる」
「そう? あ、そうだ。逆に聞くけれど、ジュンペイの持つ気持ちは恋なの? あなたは私に恋してる?」
「恋だよ! 俺はリアトリスの事が好きだ!」
「愛でなく?」
「え……」
「アリアデス様や私の家族の前で。あなたは私の事、愛してるって言ってくれたわよね。でも愛って恋なのかしら」
「ええ? うーん、えーと」
以前ユリアにリアトリスに恋をさせてみろ、と煽られはしたもののジュンペイ自身が抱く感情が果たして恋なのか。いざ問われると、考えてしまう。自分でもアリアデスに対しリアトリスに惚れてもらえるよう頑張るなどと宣言していたが、そもそも恋とは?
何百年も嫌悪以外の感情を向けられたことが無いのだ。好意的な感情の違いなど、ジュンペイが種類を把握し言い表すにはあまりにも経験が乏しい。
しかし……。
少し迷った後、ジュンペイはリアトリスの手を自分の胸元にぺたりと添える。薄っすらとしたふくらみの、やや下のあたり。
そこでドクドクと脈動する鼓動が、リアトリスの手に伝わった。
「恋だし、愛だよ。……これでわかってくれると、嬉しい」
「お……っと」
「なに、その声」
「いやぁ~……。ちょっと、予想外というか」
もにょもにょとごまかすように目をそらすが、その頬にジュンペイのもう片方の手が添えられ、ゆっくり正面に戻される。
「リアトリスが俺を大事に想ってくれてる。今はそれでいいよ。恋とかそういうのは、そう思ってくれるまで俺が頑張るだけだし。でも俺からの気持ちは知っててほしい。本当にわかってる? リアトリスが俺にくれたものの大きさ」
自ら問いかけた言葉で逆に迷ってしまった事が恥ずかしい。
そう思いながら、ジュンペイはリアトリスに告げた。
「これだけは胸を張って言わせて。俺はリアトリスのことが大好きだって」
息をのみ、しばし固まる。
そのまま少しして……リアトリスは笑みを浮かべた。おそらく本人も自覚していないが、彼女が生きてきた中で一番甘やかで、柔らかな笑顔。
一瞬の事で、すぐにいたずらっ気を含んだそれに代わってしまったが。
「じゃあ、私からも愛してると伝えていいかしら? 旦那様」
「ふぇっ」
「恋かどうかわからなくても、愛しているわ」
いざ正面から言われると、それまでのやや凛々しい様子は何処へやら。
ジュンペイは慌てふためく美少女にもどってしまった。
「あはは! ちゃんと言ったこと無かったもんね。そっか~。そんなに慌てちゃうか~」
「リアトリス!」
「ふふふ。……あのねジュンペイ」
今度はリアトリスがジュンペイの頬に手を添える。
「これが恋になってもならなくても、きっと私は今の行動を後悔しない。でも、これからはちょっぴり頼らせてもらうわね?」
「ちょっとと言わず、たくさん頼ってほしいんだけど……」
「気持ちはね! まぁ今その体で無理スンナっていってんのよ」
「それはそうだけどさぁ」
頬を膨らませるジュンペイの子供じみた仕草に少し安堵しつつ、はたと気づいた。
ジュンペイは心臓の鼓動を伝えてあなたに恋してると示してくれた。なかなかに情熱的だ。
だけど何かおかしいような……。
「…………。はぁ!? 心臓!?」
「あ、そうそう」
ジュンペイはばつが悪そうに頬をかくと、何でもないように言った。
「どうも今は俺の中核、これみたい。弱点、できちゃった」