腐敗公の嫁先生~人外夫をうっかりTSさせまして~【完結】 作:丸焼きどらごん
リアトリスは肩をこきこきと鳴らしながら、靴を囲うように風の魔術を編み上げる。温泉郷という場所と星幽界の境界が薄いためか、それは常に比べ非常に滑らかに行えた。
そのままトーン、とひとつ飛び上がる。すると逆巻く風は音もなくリアトリスを上空へと押し上げた。
瞬く間の出来事に、おそらくそれを視認した者はいない。飛び上がった後のリアトリスは、地上から豆粒の様にしか見えないだろう。
(初めてやったけど、ん。いい感じ)
連日にわたり移動のための風魔術を多く使用していたこと。更にはきっかけとして、師を相手取った縦横無尽の戦闘経験。それが頭の中で考えていた理論に結び付き肉付けがされ、新たな魔術の公式へと相成った。リアトリスがそれを結実させたのはつい今朝の事である。
十分な休息の後、ぽんっと頭の中で生まれたのだ。
世界規模で見てしまえば当然更に才ある者から劣りもするだろう。だが彼女は自己評価だけでなく、紛れもない天才だった。それもまた事実。
新たな魔術により足を踏み入れることを許された方向は縦のみ。横の移動となれば大気を巡っている魔力の支流が今まで通り邪魔をして飛行とまではいかないし、滞空時間もわずか。だが限りなく飛行に近いものを作れたのではないかとリアトリスは考えている。
少なくとも、これならばわざわざ足場を作らずとも腐朽の大地の崖もなんなく攻略できるだろう。
ともあれ、今はその成功を喜んでいる場合でもない。
上空へと身を躍らせたリアトリスは眼下に望む光景の中……ひときわ異質なものに目を向ける。
かつてレーフェルアルセの集落で対峙した蛇のような下半身、節足動物のような足を持つ魔族。それが温泉郷入り口の門の手前で文字通りとぐろを巻いていた。
この距離から視認出来るその大きさは、以前見た時より更に大きくなっているように感じる。
そんな場合ではないが日常生活に支障はないのだろうかと疑問に思う。最初に対峙した時は、全長はともかくリアトリスとそう変わらない体躯だったはず。それがいきなりあんなに大きくなれば、不便なことも多いだろう。
「やっぱりあいつか……」
見れば魔族が来たであろう方向は、その巨体が一直線に抜けてこられるように整えられたような……否、魔族が自らの体で無理やり整えてきたであろう、障害物の一切がなぎ倒され破砕された山路。
どうやらかなりの力技でここまで来たようだ。もし以前のように人間の協力者がいたとしても容易についてはこられまい。
ルクスエグマの天馬隊が残っていれば違ったかもしれないが、以前その天馬は壊れたアリアデスの館の修繕費、慰謝料として売っぱらっている。
先日気勢を上げて再度挑んできたアッなんとかは新たな天馬を引き連れていたようだが……上空から見回す限り、それらしき影は無い。
魔族は一人、先行してきたと見て良いだろう。
魔族は魔物避けの結界ごと入り口石門を破壊したようだが、結界はそこそこ複雑に構築されたものだったらしい。蜘蛛の巣に絡まった羽虫のように、魔族は結界の残滓で身動きを鈍くされていた。それもまた引きちぎろうを蠢いているが、余計に絡まっている。
もともと結界にそんな絡まるような効果は無いのだが、これは巨体が仇となったと見てよいだろう。中途半端に強化された結果があの様では、実力はたかが知れている。
さてどうしたものかとリアトリスは腕を組む。
体調は良好。魔力はそこそこ。気力は絶好調。
しかし相手は謎の復活を遂げてきた未知数の敵。侮りすぎるのも良くはない。
「……うん。まずは、ここから引き離しましょうか」
リアトリスは手を前に付きだし構える。そのまま文言を紡ぎ詠唱を始めると、ふわりと彼女の腕に絡みつくように二体の小竜が顕現した。
竜たちはするすると腕の先へと移動し、たがいに身を絡ませ合う。すると竜は硬質な質感を伴い変化していき、やがてリアトリスの手には大きな白銀の槍が収まった。
「何はともあれ、先手必勝ってね!」
言うなり、急降下。
槍を構えたリアトリスは犬歯をむき出しにして笑いながら、魔族に向かって落雷のように強襲を仕掛けるのだった。
「ここの坂を上れば集落だよ」
「みなさ~ん! ようこそー!」
坂の上から大きな声で呼びかけ手を振るラルに、ジュンペイとユリアも手を振り返す。
リアトリスと別れたのち、ほどほどに観光名所を案内しようとするラドを急かして集落まで案内をしてもらった。
亜人の集落は少々複雑な自然の道を進んだ先で、歓楽街からは結構な距離があった。亜人たちの身体能力をもってすれば多少険しい道でも問題ないらしいが、その立地のせいか人間はほとんど来ないらしい。
ラドは立派な体躯を持つアリアデスはともかくとして、見た目だけは可憐なジュンペイとユリアを気遣った。が、二人ともこの程度の道など苦にするはずもない。温泉郷に至るまでに通ってきた道の方がよほど険しかった。
「さて……」
ジュンペイ達が坂を上り始めた事を確認すると、ラドはゆったり来た道に体を向けそのまま歩き出した。
「? 何処に行くんだ?」
「ちょっと買い出しを頼まれててさ。案内し終わったら行こうと思ってね~」
「途中で買ってくればいいのに……」
「だって君ら、ほんのちょびっとな名所の案内もそこそこに集落まで連れてってくれって言うじゃないか。そんなに急ぐなら寄り道も悪いと思ってさぁ」
「う……! それは、ごめん」
「あ、怒ってるわけじゃないからいいよぉ。まあさくっと行ってさくっと帰ってくるからさ。仲間たちの歓迎を受けて待っててよ」
そう言って笑ったラドは、ひらひら手を振って来た道を軽快な動きで戻って行った。その姿はあっという間に見えなくなる。
あまりの速さにユリアはぽかんと口を開けた。
「早いですね……」
「亜人は身体能力でいえば、魔族をしのぐ者もいるからね。人族と比べたら明らかに能力値は高い。……。しかし彼は……」
「ほらほら、皆さん早く行きましょう~。みんな楽しみに待ってますよ!」
何か言いかけたアリアデスの背中を、坂の上から降りてきたラルがにこにこ笑顔のままに押す。その腕の力は華奢な見た目のわりに強い。アリアデスも特に抵抗するでもないので、なすがままに押されている。
そうなれば彼の前に居たジュンペイとユリアは、迫ってくる筋肉の壁を前に進むしかないわけで。
「リアトリス……」
ジュンペイは一度嫁が向かったであろう方角を見たが、ふるふると頭をふって集落へ顔を向けた。
その頃。
愛らしい旦那様の心配などよそに、リアトリスは絶好調だった。
「がァっ!!」
身動きままならない魔族の背に、白銀の槍が突き刺さる。
巨体に対してその槍はあまりにも小さい。だがリアトリスがぐんっと体重をかけ、突き刺さった位置からざりざりと魔族の背中を削り下降するものだからたまらない。
槍の穂先はもとの姿が竜のためか鋭利な鱗をびっしり纏っており、それらがつける傷は見た目以上に複雑だ。よく切れる剣で一思いに切られた方がよほど痛くないだろう。
魔族は人間に近い上半身もところどころ鱗で覆われているが、リアトリスは上手い具合にその隙間を突いた。狙いを定めた位置に見事に攻撃を決めるあたり、戦いへの慣れを感じさせる。
突然の巨大魔族の襲撃に入口付近で慌てふためいていた旅人が、その勇姿に歓声をあげた。
実のところ魔族は世界を守る? ために腐敗公を狙う者であるので、彼らやこの世界の生き物にとって現状真の敵はリアトリスと言えるのだが。
「ふん、間抜けが! 結界にひっかかってんじゃないのよ。ばーかばーか」
「貴様ァァァァ!!」
一度目の大敗、二度目の逃走。魔族にとってリアトリスは新たに帯びた使命など関係なく怨敵に他ならない。
血走った目がリアトリスを捉えると、下半身の筋肉を大きく震わせる。すると鞭のようにしなる蛇の胴体がリアトリスを襲った。節足動物のごとき足が地面をえぐり支えとしているため、その威力は高い。
だがリアトリスはひらりとそれを避ける。
「ジュンペイ、ユリア! 今のうちに逃げなさい!」
そして仕込んでいた魔術を発動させると、振り返って今ここに居ないはずの二人の名を呼んだ。
敵の攻撃を眼前に視線をはずす愚行。だがリアトリスがそれをしてまで気にかける相手を察すると、魔族は怨敵の視線の先を追った。
門前湖の向こう側……無残にも魔族の移動で瓦解している橋を越えた先に、小さく動く人影が二つ分。それは紛れもなく本来魔族が追い求めるべき腐敗公の分身と、以前も見かけたその仲間の少女だった。
「チィッ、囮か! 小癪な!!」
(あ、助かる~。こいつめちゃくちゃ単純だわ……)
あまりにもあっさり信じてくれたので少々拍子抜けする。冷静さを奪う意味もあって手痛い傷を負わせてやったのだが、もう少し疑われると思っていた。
現在逃げるそぶりをしているジュンペイとユリアだが、当然ながら本人達ではない。順調に行っていれば、二人は今頃亜人の集落だ。
リアトリスは魔族の視線がそちらにむいている隙に後ろへ飛び距離を取るが、どことなく動作がぎこちない。よくよく見ればその動きは、片足のみによるものだと分かるだろう。
……というのも、靴に隠しているが今のリアトリスには、片方の足首から下が無いからだ。
偽物のジュンペイとユリアは、切り離して遠隔操作しているリアトリスの足首に幻影魔術をかぶせたものである。
(動き辛いし戦いながらは神経使うけど、その辺は魔術の補助でどうとでもなるしね。なにより手だと見えるし目立つ)
そういった判断の元、ジュンペイに施している分身を動かす魔術ともとを同じくするそれで魔族をかく乱する。
現在の目的は倒す事でなく、この目立つ襲撃者を温泉郷から引き離すことなのだ。
「あんたの相手はこっちでしょ!!」
まずそのために偽物を偽物と気づかせてはいけない。リアトリスは我ながら迫真の演技だと自画自賛しつつ、炎の魔術で魔族の傷を軽くあぶってやる。するとすぐさま魔族は牙をむいてリアトリスに襲い掛かってきた。
その攻撃をひょいひょい避けながら、徐々に温泉郷から引き離していく。結界に絡まっていた魔族も引くことで解放され動きが早くなっているが、それでも攻撃はなかなかリアトリスに当たらない。
小さい的ということもあるが、単純にリアトリスが早いのだ。彼女の周囲を風の魔力が補助している様を見て、魔族は忌々し気に舌打ちした。
リアトリスは逃げる二人をかばうふりをしつつ、頭の中にアグニアグリ山脈の地図を展開させた。さて、どこへ逃げたものか。
最良は山脈から逃げたものと思わせつつ身を隠せるような場所。そうすればリアトリス一人なら温泉郷へどうとでも戻れるし、ジュンペイ達との合流も可能なのだが。
「下山……すっか!」
そのためには山の上をうろうろしていても無駄だろうと、リアトリスは大胆な下山を決意する。
何故大胆かといえば、目指すべき場所に定めたのは垂直に近い崖のためだ。山路を足で下るよりよほど早くて良いように思える。
追い詰められたふりをして、偽物のジュンペイ、ユリアともども落ちてしまえばいい。まっすぐに下へと続く崖の高度はかなりのもので、遠回りして追いつこうとすれば時間がかかる。あの魔族も後を追って飛び降りてくれば話は別だが、その時はその時だ。
リアトリスならば着地に問題は無いし、相手は崖下で死体が見つからなければ他へ逃げたと思い込むだろう。少なくともこのままじりじり攪乱しているより効果を見込めるはず。
そうと決めると、リアトリスは切り立った崖を目指して移動を開始するのだった。
一対一の追いかけっこは、もうしばし続く。