―――平家物語
「痛たた……」
明石に殴られた頭をさすりながらつぶやく。
殴られた後は謎の説教を受け、半ば放り出されるように医務室へと向かわされた。
何故か明石は笑いながら怒っており、「私と初春ちゃんの事も考えろ」とか「もっとよく言葉を選んで発言しろ」とか、いわれのない言葉を浴びせられたのだ。
初春さんの将来を思って、しっかり考えて発言したというのに、その言い方はないんじゃないかな……
一ノ瀬さんについても、鼻血出して体調悪そうだったし、医務室に連れて行こうとしたのは間違ってないだろ……
これだから明石は苦手なのだ。普段はこっちに心を許しているようなのに、いきなり機嫌が悪くなることがある。思春期特有の不安定な精神状態なのだろうから、仕方ないことだとは思うんだけど……やっぱり苦手なものは苦手だ。
……もちろん明石は思春期だとか、情緒不安定だとか、そういった精神状態にあるわけではない。
むしろ彼女の精神年齢は、艦娘の中でも高い方に分類される。
明石は度々あのような態度に出ることがあり、そしてそれは毎度鯉住君が原因であり、彼女にはなんの非もないことは誰もが知っている。
しかし当の本人は乙女心をまったく理解する気がないので、その事実に気づくことはない。実に残念な男である。
「まぁ明石があんな調子なのはいつも通りだし、仕方ないか……」
ぼやきながら医務室を後にし、鎮守府外の港を散歩する。
自分もある程度酔っているし、あの混沌空間にそのまま戻るのは怖い。というわけで、酔い覚ましも兼ねて夜の散歩に出向くことにした。
大将は何故か俺の送別会とか言っていたし、周りには本日の主役と思われてるから、抜けるのはどうかと思ったけどね。戦略的撤退である。今戻ったら何されるかわかんない。
・・・
今の時期は夜風が気持ちいい。
少し肌寒くはあるが、アルコールが入って火照ったカラダには丁度いい加減だ。
堤防に沿って散歩すると、波打つ水面が青白く幻想的に光るのが目に入る。夜光虫というプランクトンが、波による刺激で発光しているのが原因だ。
春から夏にかけて見られるこの景色はお気に入りの一つ。
満天の星空に、吹き抜ける爽やかな風。漆黒の水面では、波が冷光の形をとって、そこに在ることをささやかに主張する。
漣の心地よい響きも相まって、現実と夢のはざまにいるような感覚に包まれる。
今この瞬間にも、多くの戦いが繰り広げられているというのが信じられないな。目の前のひそやかな風景と、硝煙の臭いに満たされた戦場が、この海の先で繋がっている。
……まるで悪い夢のようだ。目が覚めたらあの平和だった時代に戻れるんじゃないか、なんて錯覚を覚える。
「……釣りでもするか」
先ほどまでの喧騒を忘れ、気分も落ち着いたところで、釣りをすることを思いついた。
別に魚を釣りたいわけではないが、今のこの心地よい瞬間を、少しでも長く楽しんでいたいのだ。このまま帰って寝るではもったいなさすぎる。
艤装メンテは空き時間が多く発生する仕事であるため、時間つぶしのために、ロッカーに本と釣り道具を常備している。もしもの備えはこういう時に役立つのだ。幸いロッカーはここから近くにあるため、10分とかからず持ってこれるだろう。
・・・
堤防で釣り道具を展開し、釣り糸を垂れる。流石に生餌は常備していないため、人工の餌で代用する。パワーイソメというやつだ。
当然生餌よりも魚の食いは悪くなるが、今日の主目的は数釣りではないし、大物釣りでもない。釣竿を垂れて、魚を待つ。この時間が確保できている時点で目的の大半は達成している。
「……」
ボーっとしながら水面に浮かぶウキを眺める。
ちなみにウキ部分には、小型のサイリウム(お祭りの夜店とかで売ってる光る棒のこと)を取り付けてあるので、暗闇の中でも見失うことはない。
こういう時間はとても大切だ。何もしていないようで、何かをしているという状態。休日は無意識に予定を詰め込んでしまうので、何もしない、という行為は結構重要なのだ。
それにこういう時間には、普段考えないようなことを考えることもできる。ボーっとしていても頭は動いている。他の人はどうなのかよくわからないけど、俺に関してはそういう性分なんだ。
「……」
……今の世の中はどうにもおかしい気がする。
深海棲艦の脅威で国家間のつながりは細くなり、生活水準はそれ以前よりも下がった。
技術水準はギリギリのラインで保持できているようだが、それも資源の入手がままならない今、どこまで維持できるかという議論がされている。
しかしそれはもう仕方がないと思う。
多くの恩恵を受けて豊かな生活している俺が言える立場ではないが、現状を見ると、深海棲艦出現前の発展途上国に比べてよっぽどマシな水準なのだ。生きていけないわけではないし、恵まれていると思う。
メディアはしきりと騒ぎ立てる。
深海棲艦は悪だ。我々は在りし日の栄光を取り戻さねばならない。
それは本当だろうか?
海軍が海域を解放すれば囃し立て、海域を失えばバッシングする。
一体何を伝えたいんだろうか?
最近はインドネシアからの輸入が増えたから果物が安い。
工場の海外展開が増えたから就職先が増えた。
他の先進国ではこういった服装が流行っていて、首都圏でもブームになっている。
メディアが教えてくれるのは、即物的で、刹那的なことばかり。
今を生きることに焦点を当てる。みんなそのほうが安心するから。
皮肉にも資源に制限ができたことで、技術は進歩した。
金属や繊維のリサイクル率は60%を超えるところまで向上し、少ない輸入でも賄えるようになった。
自然エネルギー利用もどんどん増え、必要とする石油量は半分以下になった。中東からの輸入も極端に抑えられ、日々航行するタンカーは、最盛期の30%にも満たなくなった。
本当に人類は以前の栄光を取り戻すべきなのだろうか?
深海棲艦というプレッシャーが、エネルギー利用技術を発展させた。
コインの裏表と一緒だ。良いことと悪いことはいつだって表裏一体。
いや、表裏一体に『しようとする』生物なのだ。人間って生きものは。
何が良くて何が悪いかなど、簡単に決めていいことではない。
そもそも深海棲艦出現以前の世界は素晴らしかったのか?
世界的な人口爆発。圧倒的な国家間格差。食いつぶされていく地下資源。
あの世界に人類の輝かしい未来はあったのか?
もしもこの戦争が終わったらどうなるんだ?
深海棲艦が消え、艦娘が残ったら、彼女たちはどうなるんだ?
共通の敵が消え、残るは艦娘という強力無比な存在。
そんな状態で人類は欲望を抑え、帝国主義の時代に逆戻りする未来を回避できるのか?
そもそも深海棲艦と共に現れた彼女たちは、この世界に残ってくれるのか?
『海域の解放』なんておこがましくないか?
人類の危機を地球の危機とするのは、間違っているのではないか?
好き放題振る舞うのは当然。強いから。本当に?
深海棲艦の放つ負の感情は、人類の何に向けられている?
……深海棲艦とは何なのか?艦娘とは何なのか?
俺たち人間は、この世界において何なのか?
何か 大切なことが 見えていないのでは。
・・・
「……ふう」
いけないいけない。
1人でものを考え始めると、勝手に悪い方向へ思考がとんでいってしまう。
こんないい夜に、そんなことばかり考えているんじゃ根暗すぎるよな。
目の前に広がる穏やかな景色を堪能しないとあっては、釣りを始めた意味もない。
「さて……おっと、お前たちいたのか」
思考の渦から抜け出て何の気なしに横を見ると、そこには妖精さんたちが座っていた。
もう宴会は楽しまなくていいのか?
(だいじょうぶ)
(わたしたちのしゅじんはあなたです)
(つきあうよ)
「……そうかい。ありがとよ」
ひとりの時間を邪魔されてはたまらないが、隣で静かに同じ景色を見るのは大歓迎だ。
なんというか、ひとりだけどひとりじゃないという感じ。
幸い妖精さんたちはその塩梅をわかってくれているようで、おとなしくしてくれている。
普段からそうやって俺の気持ちを汲んでくれれば、言うことないんだけどなぁ……
うとうとしながら再度ウキに集中していたところ、妖精さんのひとりが徳利とお猪口をどこからか取り出した。
(これのむです)
(くすねてきました)
(ほうしょうさんひぞうのいっぴん)
「おいおい……大丈夫か? 俺は鳳翔さん怒らせたくないぞ?」
(ちょっとくらいばれない)
(みんなものんでた)
(きょうはんです)
「怖いこと言うなよ……ま、いいか。一杯くれ」
妖精さんが器用に酒をお猪口に注ぎ、こちらに差し出す。
俺はそれを苦笑しながら受け取り、口をつける。
「……うまいな」
若干冷えていた体を温めるにはちょうどいいかもしれないな。体の芯から熱がまた生み出される。
「……」
(((……)))
とても静かな時間。
4人で酒を煽りながら、ただただおとなしくウキを眺める。至福のひと時というやつだ。
みんなで楽しむ宴会もいいが、こういう酒もまたいい。
「……釣れてますか?」
「……え?」
なんだ?もしかしてここは夢の中なのか……?
急に話しかけられた、この声。そんなはずはない。ありえない。
「いい夜ですね」
ウソだろ?やっぱり夢を見てるのか?
「……」
「お久しぶりです」
なぜ?そんなバカな。
でも……間違いない。間違えることなどできない。
「5年ぶりですね」
「そんな……なんでこんなところに……」
「まだ覚えてくださっていますか?」
「忘れるわけ……忘れられるわけないじゃないですか……!」
俺の目の前には、5年前とまったく同じ微笑みがあった。
心の底から安心感を与えてくれる微笑み。
あの日、あの時、深海棲艦に襲われた俺を、絶望の底から救ってくれた微笑み。