以前、pixivで投稿したものです。

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かけがえのない日の記憶

 夢と現実の狭間にある都市――〈ロクス・ソルス〉

 

 

 君がこの都市に訪れるのは、二度目のことだ。

 

 

 いきなりこちらの世界に飛ばされたかと思えば、リフィル達が5人の〈ロストメア〉と戦っており、君もその戦いに助力することになった。

 

 

 〈ロードメア〉達は初めて襲撃してきてから、絶えず動きを見せていた。しかし、こちらの戦力を削ぐためにレッジを狙ってきたが失敗に終わり、それ以降は消息を絶っている。リフィル達と協力して捜索したものの、しっぽすら掴めない状態が何日も続いた。

 

 

 そして、来る日も来る日も朝から黄昏時まで捜索していては身体に負担がかかるということで、一日二人ずつ、交代で休養を取ることになった。

 

 

 朝も9時を過ぎ、君は朝食を簡単に済ませ、部屋でボーッとしていた。

 

 

 出来ることなら今日も〈ロードメア〉達の捜索を行いたかったが、オフの日程がくじで決まってしまった以上、やはり休養はしっかり取るべきだろう。いざという時に疲れが理由で足を引っ張るわけにもいかない。ある意味、休むことも仕事だ。しかし、特にすることが思いつかなかった。また、〈ロードメア〉達のことも気になり、ゆっくり休もうという気分にもならない。

 

 

 どうしようか、と君が頭の中でぐるぐる考えていると、ウィズが小さな身体で器用に部屋の窓を開け放ち、椅子に座っている君に向き直った。

 

 

「せっかくの休みなのに、ずっとそうしてるつもりかにゃ?」

 

 

 ウィズはそう言うと、軽い身のこなしで開けた窓からベランダへと出ていく。

 

 

 どこか行くの?

 

 

「私は散歩に行って来るにゃ。まあ、休みをどう使うかはキミの自由だけど、少なくとも私は部屋にいるより外に行く方が、心身ともにリラックスできると思うけどにゃ。」

 

 

 夜には帰ると思うから、それじゃあにゃ、と言うと、ウィズはベランダから都市に降りて行った。

 

 

 外に出た方が良い――か。確かにそうかもね。

 

 

 どうせ部屋に居ても、何もすることはない。落ち着かない気持ちも外に出れば、幾分かマシになるだろう。

 

 

 もしかすると、〈ロードメア〉達の情報も入って来るかもしれない。

 

 

 そうと決まれば外出の準備をしようかな、と君は誰にいう訳でもなく呟くと、身支度を始めた。

 

 

 ♦

 

 

 初めてこの都市に来た時、流れで〈メアレス〉の仕事を手伝うことになった。仕事を手伝いさえすれば衣食住は保障されるので、右も左もわからない状態で放り出される異界の中では、この世界はかなり安心感がある方だ。

 

 

 まあ、その〈メアレス〉の仕事が結構大変で、〈ロストメア〉が現れればオフの日だろうが仕事に駆り出される。今回も連日、都市を奔走していた。そのため、ゆっくりする機会はあまりなく、都市の散策をすることも少なかった。

 

 

 最初の来訪時、初めて取ることになったオフの日に、ルリアゲハが市内観光に連れて行ってくれるという話があったが、家ほどあるかという巨大な〈ロストメア〉の出現でなくなってしまった。

 

 

 せっかくだし都市の観光でもしようか、と考えたとき、はたとあることに気づく。

 

 

 観光をすること自体はいいと思ったが、出来ることなら都市のことをよく知り、案内をしてくれる人が欲しかった。一人でぶらぶらするのも悪くないが時間は限られているため、半日の内に出来るだけ一つでも多くの場所に行ってみたい。

 

 

 案内してくれる人はいないかな、と思考を巡らせる。そして、自分と同じように、くじによって今日の〈メアレス〉の仕事がオフになった人物のことを思い出す。

 

 

 自分がこちらの世界に滞在している間、ルリアゲハの招待で住むことになった借家であるアパート。

 

 

 ルリアゲハと同様に、ここのアパートの部屋を借りている、この世界で最後の魔道士と言われる少女。

 

 

 けど、今日もバイトしてるかな?

 

 

 彼女は、普段から自分の生活のために〈巡る幸い亭〉でバイトをしている。妖精の噂が都市中に広がったことで店には客が押し寄せ、とても忙しいと、つい先日に言っていたばかりだ。

 

 

 〈メアレス〉の仕事が休みとは言え、貴重な生活費を稼ぐためのバイトを休むとは思えない。

 

 

 まあ、一度、部屋に行ってみようか。

 

 

 過度な期待をしてはダメだった時にがっかりするから、あまり期待はしない。そう思い、身支度を済ませると、部屋を出て、目的の人物が住まう部屋に向かった。

 

 

 ♦

 

 

 朝食を済ませたあと、何をするわけでもなく、私はベッドの上に寝転がり、部屋の天井を眺めていた。

 

 

 来る日も来る日も朝から黄昏時まで、見つからない〈ロードメア〉達を捜索していては、身体に負担がかかるということで、一日二人ずつ、交代で休養を取ることになった。

 

 

 疲労を取るためにも、身体を休めることは大切だと思う。

 

 

 それ自体は悪いことじゃない。

 

 

 〈メアレス〉の仕事が休みなら生活費を稼ぐために、一日中〈巡る幸い亭〉のバイトを入れようと思っていた。

 

 

 しかし、店長に――いつも仕事を頑張ってくれているから、こちらとしても凄く助かってる。君は、本当に仕事がよく出来るから。でも、ここ最近、働き詰めだから一度しっかり休みなさい。従業員は他にもいるからね。――と言われ、休みを貰うことになってしまった。

 

 

 本当ならバイトに入りたかった。私にとってバイトは、貴重な収入源だ。生活の柱を担っていると言っても過言じゃない。

 

 

 ――とは言え、店長は私の〈メアレス〉の仕事に合わせて、バイトの日程や勤務時間を調整してくれている。普段からとても良くしてくれる人だ。

 

 

 その人の厚意を無下にするわけにもいかず、休みを貰うことになった。

 

 

 けど、そのおかげで何もすることがない。

 

 

 〈メアレス〉の仕事が休みでもバイトがあり、バイトが休みでも〈メアレス〉の仕事があった。

 

 

 何もない完全な休日はいつぶりだろう?

 

 

 バイトを始める前は、そういう日も何度かあった。しかし、久しぶりすぎて何をしたらいいのか分からない。

 

 

 けど、何もしないで一日中このままって訳にもいかないわよね。

 

 

 ベッドから降りて寝室を出ると、台所が真っ先に目に入った。

 

 

 新作料理を試すのもあり、か。

 

 

 幼いころから父に教わった料理。どれだけ安く、かつ美味しい料理を作れるか。それが節約生活での一つのモチベーションだった。けど、最近は新しい品を作っていなかった。

 

 

 時間はたっぷりあるし、丁度いいかもしれないわね。

 

 

 乱れた髪をとき、台所に向かおうとした時――

 

 

 こんこん

 

 

 ――と、私の部屋の扉を控えめに叩く音がした。

 

 

 誰かしら?

 

 

 そして、もう一度、扉を叩く音がしたかと思えば――

 

 

 リフィル、いるかな?やっぱり、いないかなぁ。

 

 

 ――と、最近また耳にするようになった、異世界の魔道士の声が聞こえてきた。その声は、どこか諦めの念を帯びているようだった。

 

 

「魔法使い?」

 

 

 私は部屋を訪ねてきた人物に会うため、玄関に向かった。

 

 

 ♦

 

 

 やっぱり居なさそうだ、と君は思い、その場を後にしようとした時、リフィルの部屋の中から物音がした。

 

 

 そして、程なくして扉が開くと、不思議そうに君を見るリフィルがいた。

 

 

「何か用?あなたが私の部屋に訪ねてくるなんて、珍しいけど。」

 

 

 あれ、いたの?

 

 

 勝手に、いないだろうな、と思っていたため、君はリフィルがいたことに驚き、つい声に出してしまった。

 

 

 君の言葉に、リフィルは眉をひそめる。

 

 

「私だってあなたと同じで、今日は休みなんだけど?あなたも知ってるでしょ。それに、訪ねてきたくせに、いたの?――って、どうなのかしら?」

 

 

 いや、バイト行ってるんじゃないかと思ってたから。

 

 

 顔をしかめるリフィルに、君は咄嗟に弁解する。

 

 

 すると、ああ、そういうこと、と納得したように呟くと、リフィルは短くため息をついた。

 

 

「本当ならバイトに入るつもりだったんだけど、店長に言われて、休みを取ることになったのよ。けど、特にすることが思いつかなくてね。」

 

 

 君は、思わず目を白黒させる。

 

 

 じゃあ、今日、暇だったりする?

 

 

「えぇ、暇と言えば暇だけど…。」

 

 

 君にとっては、リフィルの返事は朗報だった。ダメ元で訪ねたのだが、部屋に居ただけでなく、バイトもなく、暇であると言う。

 

 

 天は我に味方せり、とはこういうことか、と思いつつ、君はリフィルに話を切り出す。

 

 

 リフィルさえ良ければ、都市の案内をしてくれないかな?

 

 

「都市の案内?どうして私が?」

 

 

 首を傾げるリフィルに、君は経緯を説明する。

 

 

 今までゆっくり都市を散策したことがないこと、都市を案内してくれる人を探していたこと、〈ロードメア〉達の情報も掴めるかもしれない等々。

 

 

 君の説明が終わると、リフィルは少し考えるそぶりを見せた後、決心したように顔を上げた。

 

 

「わかったわ。私も暇だし、今日は付き合ってあげてもいいけど。」

 

 

 ありがとう!

 

 

 君はリフィルの了解を貰い、喜んでいると――

 

 

「ただし、一つだけ条件がある。」

 

 

 リフィルは右手の人差し指を立て、キョトンとしている君を見る。

 

 

 条件?

 

 

「そう。都市は案内してあげるけど、代わりに昼食をおごること。拘束料ってところね。」

 

 

 無理難題でも突き付けてくるのかと思っていたら、かなり普通の条件だった。

 

 

 そんなこと?むしろ案内してもらえるなら、最初から払うつもりだったし、と君は条件を提示したリフィルに言う。

 

 

「じゃあ、交渉成立ね。支度するから、ちょっと待っててくれるかしら?」

 

 

 リフィルは、準備をするために自分の部屋に引き返していった。

 

 

 ♦

 

 

 〈ロクス・ソルス〉の街並みは、クエス=アリアスや他の異界とはまた違った雰囲気を持っている。

 

 

 丁寧に舗装された石畳の路地、背の高い煉瓦造りの建造物、屋根の上にはもくもくと煙を上げる煙突。

 

 

 幻想的ではないが、とても優美な印象を受ける都市である。

 

 

 ゆっくりと見て回ることがなかったが、今日は休みである。君は、まだ見たことのない都市の景色に心を躍らせる。クエス=アリアスより科学技術が進歩しているので、露店などに置かれている品物でも興味を惹かれるものも多い。普段は〈メアレス〉の仕事に気を取られていることが多いため、都市も見ているようで見ていない場所が多くあり、街並みを見ながら、ただ歩くだけでも楽しかった。

 

 

 〈ロードメア〉達の情報が入って来るかもしれない、などという考えは完全に頭から抜け落ちていた。

 

 

 都市を散策していると荘厳で、どこか神秘的な雰囲気を醸し出す建物が目に入った。この都市の住宅も結構背が高いが、それ以上に高く、そして、大きかった。

 

 

 君はその建物に、どこか懐かしさを覚える。

 

 

 あの建物は?

 

 

 君は建物を指さし、隣を歩くリフィルに尋ねる。リフィルは君が指さす方向に目を凝らすと、あぁ、と声を漏らした。

 

 

「あれは、この都市で唯一の教会よ。行ってみる?」

 

 

 懐かしさを感じたのは、あの建物が教会だったからのようだ。

 

 

 そうだね。見てみたいな。

 

 

「わかった。じゃあ、行きましょうか。」

 

 

 君とリフィルは、ずっしりと佇む教会に足を進めた。

 

 

 教会に向かって歩いていると、昔のことを思い出し、懐かしさから自然と笑みがこぼれた。

 

 

 リフィルは一人で笑っている君を見て、怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 

「…どうして笑ってるの?」

 

 

 え、笑ってた?

 

 

「えぇ、嬉しそうにも見えたけど。教会に何か、思い入れでもあるの?」

 

 

 前に暫く教会でお世話になったことがあったから、ちょっと懐かしくてね、と君は過去の出来事をかみしめるように答えた。

 

 

「へぇ、どうして教会の世話になったの?」

 

 

 君は城壁の街ロレンツィオでの出来事をかいつまんで、リフィルに話した。

 

 

 話し終えると、リフィルは、ふーん、と相槌を打ち、君をじっと見つめる。

 

 

「あなたも色々苦労してるのね。」

 

 

 かもね。だけど、少しでも力になれたのなら嬉しいかな。

 

 

「あなたらしいわね。」

 

 

 満足そうに笑う君につられ、リフィルも自然と口元が緩んだ。

 

 

 しばらく、教会の子供達には会っていない。ベルナデッタが言うには、街の人々にも受け入れられ、子供達の方も心を許しているらしい。

 

 

 元気にしてるかな、と思っていると、目的の教会に辿り着いた。

 

 

 教会を眺めて、魔法使いは感嘆の声を上げた。

 

 

 薄々気づいてたけど、近くで見ると凄く立派な教会だね。

 

 

 自分の知っている教会と比べているのか、上から下まで見渡している。魔法使いの視線は、教会に釘付けになっていた。

 

 

「外でも結構有名みたいね。ここの教会で結婚式を挙げるために、外からわざわざ来る人もいるとか。」

 

 

 私は、自分の知っている情報を魔法使いに教える。すると、珍しいものでも見たかのような表情で、魔法使いは私の顔を覗き込んできた。

 

 

「何よ、その顔?」

 

 

 いや、ちょっと意外だなと思って。そういう話は、興味ないんじゃないかとばかり。

 

 

「普通に生活してたら、都市の情報くらい耳に入って来るわよ。」

 

 

 別におかしいことはないと思うけど、と呟いていると、閉じていた教会の扉が開き、中から礼服に身を包んだ人々が続々と現れた。

 

 

 教会から出てきた人々は、花が咲き誇ったかのような笑顔を浮かべながら、道を作るように二列に並ぶと、誰かを待つように教会の入り口を見つめている。

 

 

 もしかして、結婚式をしてるのかな?

 

 

「多分、そうでしょうね。」

 

 

 少し離れたところから、私たちも教会の入り口を見つめる。

 

 

 しばらくすると、教会の前で待つ人たちの歓声とともに、純白の衣装に身を包んだ男女が姿を現した。

 

 

 花嫁と花婿と思われる二人の顔は、とても幸せそうだった。そして、家族や友人と思われる周りの人々から、たくさんの祝福を受けている。

 

 

 あんな幸せそうな顔見てると、こっちも嬉しくなるね。幸せのおすそ分けって言うのかな?それをされてるみたいで。

 

 

 魔法使いは、まるで自分のことのように嬉しそうにしている。

 

 

 私が今まで出会った中でも特にお人好しで、善良の塊のような人。こんな人も中々いないだろう。

 

 

 ともに過ごした時間は、それほど長くはない。けど、他人の幸せを自分の幸せのように感じている姿を見ると、この人らしい、と自然にそう思えた。

 

 

「そう…かもね。」

 

 

 私は、取り合えず相槌を打つ。

 

 

 正直、私には幸せを体現している、その光景がとても眩しかった。夢を持たない自分には、恐らくひとつの夢――人生の岐路になる重要なひとつの夢――を叶えたであろう二人の笑顔が、あまりにもキラキラして見えたから。

 

 

「そろそろ昼食にしましょう。お腹が空いた。」

 

 

 あぁ、確かにもうお昼だしね。

 

 

 魔法使いは、都市の時計塔も見上げる。時計の針は、まもなく正午を指そうとしていた。

 

 

 私たちは昼食を取るために、教会を背に歩き出す。

 

 

 少し前までは夢なんて見なくていいし、見る必要もないと思っていた。けど、魔法使いと出会って、ただの魔道士であることに満足出来なくなった。今は、自分にしっくりくる生き方を探している。夢がないなりの生き方を――

 

 

 けど、夢を持っていたり、叶えたりしている人を見ていると、たまに考えることがある。もしかしたら私も、いつか夢を見ることがあるのだろうか?――と。

 

 

 ♦

 

 

 教会を後にした君とリフィルは、近場にあった定食屋に入った。いつも〈巡る幸い亭〉で食事を取る君には、別の定食屋はとても新鮮に感じた。

 

 

 中は結構洒落ており、お昼時なこともあって、店内も多くの客で賑わっていた。

 

 

 料理も〈巡る幸い亭〉に引けを取らず、また、人の温かみを感じるような優しい味だった。

 

 

 リフィルは一口ずつ料理を口に運ぶたび、ぶつぶつ言いながら、味を探るように食べており、時折、店員を呼んでは自分の頼んだ料理について、あれこれ質問していた。

 

 

 あとあと、新作料理の参考にするらしい。

 

 

 以前、ルリアゲハからリフィルは節約生活の果てに、どれだけ安く、美味しい料理を作れるかということにハマっていると聞いたことがある。

 

 

 熱心に料理について尋ねるリフィルを見ていると、のめりこめるようなものがあるのは、すごく良いことだなぁ、としみじみと感じた。

 

 

 昼食を食べ終わると約束通り、リフィルの分の代金も支払い、店を出る。

 

 

 そして、近くにあるという理由から、次はアーケード街に向かうことになった。

 

 

 アーケード街に着くと、都市のあちこちからやって来た人々で賑わっていた。

 

 

 ガラス張りの屋根の下に立ち並ぶ商店を運営する人々は道行く人々に、ぜひ見て行ってくれと、声を張り上げている。

 

 

 活気あふれる光景を目にし、自然と気分が高揚する。今日は観光目的だ。そんな感情も手伝ってか、早く喧噪の渦に身を浸したいという衝動に駆られた。

 

 

 リフィルとともに、君はアーケード街へと足を踏み入れる。

 

 

 肉や野菜を売っている店が多かったが、中には服やアクセサリー、食器などを売る店もある。

 

 

 君は、ついキョロキョロとあちこちを見回してしまう。

 

 

 本当に色々な店があるんだね。

 

 

「そうね。私は、よくここに買い物に来るわ。バイトのおつかいの時もあるけど。あなたはそんなに来ないの?」

 

 

 うん。そんなにないね。

 

 

 この都市にいる間、あまり買い物をすることがなく、様々な店が集まるアーケード街には、それほど立ち寄ったことがなかった。

 

 

 〈ロストメア〉を探すため、通ることはあっても、アーケード街を見ることが目的ではないため、じっくり見物することはなく、通りすぎることがほとんどだった。

 

 

 仕事も多忙のため、娯楽に興じる暇もなく、アフリトから支給されている生活費もそれほど使うことなく、持て余している。

 

 

 生活費をよく使う食事でも、昼食や夕食はほとんど〈巡る幸い亭〉で食べ、朝はアパートの近くにある店で保存のきくパンを買い、適当に済ませることが多いため、肉や野菜といった食材を買うために街へ行くこともなかった。

 

 

 通りを進んでいると、多くの人が列を作っている店が目に入った。

 

 

 並んでいる人々は、買い物かごを下げた中年の女性や、老紳士、幼い子供を連れた夫婦、リフィルと同世代と思われる若い女性、コピシュくらいの少年達、カップルであろう男女など、年齢や性別もバラバラだった。

 

 

 あそこの店、随分賑わってるけど、何の店なんだろう?

 

 

「あそこは〈巡る幸い亭〉の出張店舗よ。期間限定で出店しているの。」

 

 

 リフィルから、思わぬ返事が返ってきた。

 

 

 〈巡る幸い亭〉の出張店舗?

 

 

 君は行列ができている、その店を凝視する。

 

 

 確かに看板には、〈巡る幸い亭〉の字が書いてある。しかし、食事をするための卓などは見当たらない。また、並んでいる客も店員から小包を受け取ると代金を払い、再び人混みの中に消えていく。

 

 

 定食屋である〈巡る幸い亭〉の店舗には、見えないけど。

 

 

 君は受けた印象をそのまま感想として口にする。

 

 

 うーん、と唸っている君に、リフィルはよく通る声で話し始める。

 

 

「あの店は食べ歩きを主眼としているのよ。」

 

 

 食べ歩き?

 

 

「そう。だから、店で出すような定食とかじゃなくて、サンドイッチとか、歩きながらでも食べられるような品を中心に置いているの。買い物のために、あちこち店を見て回っていると、小腹も空いてくる。けど、片手で簡単に食べられるものがあれば腹を満たしつつ買い物ができるし、私たちのように買い物ではなく、店をただ見て回ることを目的としている人でも、ちょっとした食事や間食をしながら楽しむことができる。あと、買い物のついでに買って行ってもらうために、タルトとかのスイーツも置いてあるわね。うちの店はスイーツとかも結構評判いいけど、一人で店に入ることが憚られるような人もいる。でも、ここは露店だから、そんなこと気にせず、気軽に利用できるという利点もある。」

 

 

 リフィルは淡々と、しかし、至極丁寧に、食べ歩きを主眼とする店舗の狙いを説明する。

 

 

 さながら、先生の講義を聞く生徒のような気分になった。そう言えば、コピシュに先生と呼ばれてる時もあったっけ?

 

 

 人通りが多い商店街という立地を利用した、理にかなった戦略という訳か。

 

 

 君はそう呟きながら、店で注文の品が入った小包を受け取る人々を目に映す。

 

 

 食べ歩きを主な目的にしているというだけあり、代金を支払って、小包を受け取ると、すぐさま封を開け、中身の品を片手に歩いていく人もかなり多い。

 

 

 そんな人々の手に持つ品よく見ると、同じものを持っている人が多かった。

 

 

 長方形のワッフルのようだ。

 

 

 しかし、何か赤みがかったソースがかかり、果物も載っている。

 

 

 ワッフルを買っている人が多いみたいだけど、あのソースみたいなのは何?

 

 

 現在進行形で、〈巡る幸い亭〉のバイトをしているリフィルに疑問をぶつけた。

 

 

「あれはベリーソースね。定食屋の方と差別化を図るために、ここにしか置いていない商品もいくつかある。あの黄昏ベリーワッフルもそのひとつ。人気商品なのよ。」

 

 

 並んでいる多くの人が購入しているのを見る限り、人気商品と言われているのは伊達ではないようだ。

 

 

 そこまで多くの人を魅了するワッフルを、君も食べたくなってきた。

 

 

 ちょっと買いに行っていいかな?

 

 

「いいわよ。私は、その辺の店を見てるから、買い終わったら声かけて。」

 

 

 リフィルは右手をひらひらと翻しながら、喧噪の中に混ざっていった。

 

 

 君は目当てのワッフルを買うために、多くの人が並ぶ列に加わった。

 

 

 ♦

 

 

 列は見積もりよりもかなり早く捌かれたので、思っていたより待つことなく、ワッフルを買うことが出来た。

 

 

 君はワッフルの入った小包を片手に、リフィルを探す。

 

 

 ほどなくして、すぐそばの青果店で野菜を手に取りながら、真剣な表情で目利きをしているリフィルを見つけた。

 

 

 おまたせ、と君はリフィルに声をかける。

 

 

 リフィルは君の姿を認めると、手に持っていた野菜を戻した。

 

 

「あら、もう買えたの?」

 

 

 うん、思ってたより早かったよ、と君は小包を見せる。

 

 

 そして、小包を開け、紙ナプキンにくるまれたワッフルを取り出すと、リフィルに差し出す。

 

 

 はい、リフィルの分。

 

 

「――?私に?」

 

 

 リフィルは、どうして?――と言った顔で、自分を指さしながらワッフルを渡そうとしている君を見る。

 

 

 一人で食べるより、二人で食べる方がおいしいからさ。自分の分はちゃんとあるから、遠慮せず受け取って。

 

 

 リフィルは、しばらく沈黙を守っていたが――

 

 

「そう言うことなら頂くわ。あとで代金請求されても払わないわよ。」

 

 

 ――と言い、君に手を差し出した。

 

 

 そんなことしないから、大丈夫だよ。

 

 

 君はリフィルにワッフルを渡すと、自分の分のワッフルを取り出す。

 

 

 そして、リフィルと再び肩を並べて、アーケード街を歩き出す。

 

 

 君は手に持ったワッフルにかぶりつく。

 

 

 生地は柔らかめで、ほんのり甘い。そこにベリーソースの酸味や甘みが加わり、焼き菓子特有の香りと、ベリーの甘酸っぱい香りが鼻を抜ける。また、小さく切られた果物が味だけでなく、食感にもアクセントを与えていた。

 

 

 凄く美味しいね。

 

 

「いひぃひょうふえうじひょおひんはほの。わはひもほのふぁえふぁっは。」

 

 

 え?何?何て言ったの?

 

 

 ワッフルを頬張りながら喋っているせいで、何を言っているのか、正直サッパリ分からない。

 

 

 リフィルはワッフルをペロリと平らげ、ナプキンで口元を拭うと、疑問符を浮かべる君に向き直る。

 

 

「私もこの前買ったって言ったのよ。」

 

 

 そっか…。

 

 

 出来れば話すか、食べるかのどちらかにしてほしい、と心の中でぼやいてしまう。

 

 

 君も残りのワッフルを口に運ぶ。ベリーソースの程よい酸味が、口の中を甘くなり過ぎないように調整してくれている。

 

 

 ベリーソースを舌の上で転がしていると、以前、リフィルが〈巡る幸い亭〉でベリータルトを食べていたことをふと思い出す。

 

 

 多少なりとも出費になるスイーツ。それを節約生活が板に付いているリフィルが買うのは、少し不思議に感じていた。

 

 

 しかし、実際、食後にベリータルトを食べているのはよく見かける。いや、ベリータルト以外のスイーツを食べているところはあまり見なかったが、今回、ベリーワッフルを買って食べていたことが分かった。

 

 

 もしかして――

 

 

 リフィルって、ベリー系のスイーツが好きなの?

 

 

「えぇ、まあ…そうね。」

 

 

 リフィルは少し歯切れが悪そうに答えた。

 

 

 極力、節約をしていても、食べたいほど好きなものがリフィルにもあったことに、君は親近感を覚えた。

 

 

 また、それがスイーツだったということに、微笑ましい気分になる。

 

 

 結構女の子らしいところもあるんだね。

 

 

 君が、ふふっと笑いながら言った瞬間、リフィルの動きがピタリと止まるや否や、ギロリと凄く睨んできた。

 

 

「何それ?私が、女じゃないみたいに聞こえるんだけど?」

 

 

 え?あ、いや、そういうつもりで言ったわけじゃ…。

 

 

 リフィルのことを、女の子と思っていないわけじゃなかった。

 

 

 リフィルは、料理上手、倹約家、値切りなどの交渉上手(脅迫現場にしか見えなかった)。そして、ルリアゲハに聞いたところ裁縫も出来るらしい。

 

 

 他の異界の言葉を借りるなら、女子力なるものの塊だ。

 

 

 しかし、リフィルの性格は今まで会った男よりも男らしいところがある。ピンチの時には皆を鼓舞したり、塞ぎ込んでいる仲間の背中を押したりと、他の〈メアレス〉達の精神的支柱を担っているとも言える。

 

 

 そのためなのか、性格が女の子らしいと感じることは妙に少なかった。

 

 

 けれど、先ほど、新しい一面を知り、自分としては何気なく言った言葉だった。

 

 

 しかし、その一言が気に障ってしまったらしい。確かに、リフィルの反論も最ものように感じる。少々軽率な発言だったかもしれない。

 

 

 明らかに不機嫌そうにしている。

 

 

 リフィルに謝ろうとした時、道端から少年が近づいてきて、君に紙束を突き出した。

 

 

 紙束の正体は新聞だった。どうやら買ってくれということらしい。

 

 

 君はポケットから硬貨を取り出し、少年に渡すと、代わりに新聞を受け取った。

 

 

 リフィルは君が受け取った新聞を見ると、記憶を辿るように口を開く。その声には、怒気は含まれていなかった。

 

 

「そういえば、あなた達、印刷機のこと知らなかったのよね。」

 

 

 え?あぁ、うん。クエス=アリアスでは印刷の手段は書き写しか、字や絵を掘った板に塗料をつけて、そこに紙を押し付ける――

 

 

「木版印刷のことかしら?この世界でも、数世紀前までは主に用いられてた印刷技術ね。」

 

 

 そうなんだ。

 

 

 君は購入した新聞をまじまじと見る。相変わらず載っている情報量は凄まじく、硬貨一枚で購入できるようなものにはとても思えない。

 

 

 クエス=アリアスでこれほどのものを同じ部数作ろうとしたら、人件費や時間的なコストも相まってかなりの値段になるだろう。だからこそ、大量に、かつ安く書物を作ることが可能になる印刷機は、夢の技術だった。

 

 

 やっぱり印刷機欲しかったなぁ、と叶わぬ夢を抱いたことを振り返る。

 

 

「猫も印刷機を買おうと燃えてたけど、値段を知ったら早々にしょぼくれてたわね。猫なのに本が好きだなんて、妙な話だけど。」

 

 

 今は猫だけど、元々人間で自分の師匠だからね。

 

 

 君の言葉に、リフィルはキョトンとした。

 

 

「猫が元々人間で、あなたの師匠?え、どういうこと?」

 

 

 信じられない、と言ったようにリフィルが目を見開くと同時に君は、あっ、と声を漏らす。

 

 

 流れでウィズが人間であることを、うっかりリフィルにバラしてしまった。

 

 

 リフィルは混乱している様子で、詳しく説明しろ、と言った視線を君に送っている。

 

 

 異界で出会った人々はウィズが元々人間であることなど、殆んど知らない。深く聞かれないということもあるが、ウィズが喋っていても自分たちの常識にはめ込んで、一方的に納得するケースが大多数を占めている。

 

 

 そもそもクエス=アリアスでさえ、ウィズが人間であることを知らない人が多い。出会ってきたギルドマスターの中でも、未だにウィズのことをただのペットと思っているライオンもいるくらいだ。

 

 

 そのことを考えると、リフィルは数少ない、ウィズの正体を知る人になってしまった。

 

 

 バラしてしまった以上、ちゃんと説明するべきだろう。もともと、口を滑らせた君にも責任がある。それに、リフィルに話しても特に支障はないように思う。

 

 

 君はウィズが元々人間で、クエス=アリアス筆頭の四魔道士の一人で、自分の魔道の師匠であること。とある事件で猫になってしまい、元に戻すための方法を探すために旅をしていることをリフィルに話した。

 

 

 当のリフィルは、しばらく呆気に取られていた。

 

 

「確かに猫はあなたの師匠だって言ってたけど、ただのホラだと思ってたわ…。」

 

 

 それは普通だと思うよ。

 

 

 そもそも猫が喋ること自体奇妙なことだ。

 

 

 それに、喋る猫の言ったことを信じる人の方が少ないだろう。

 

 

「猫はあなたの世界で〈四聖賢〉と呼ばれる最優の四魔道士みたいだけど、あなたはどうなの?」

 

 

 かつてのウィズの魔道士としてのレベルの高さを知り、弟子である君の実力はクエス=アリアスでは、どれほどのものなのか気になったらしい。

 

 

 欠員が理由で〈四聖賢〉に勧誘されたけど、断ったよ。地位や権力に縛られると、気ままに旅ができないからね。

 

 

「本当に旅が好きなのね。」

 

 

 屈託のない笑顔で言う君を見て、リフィルは穏やかな表情を浮かべた。

 

 

 ♦

 

 

 ウィズの正体をバラしてしまった後はリフィルの問に応えつつ、ウィズの話――愚痴も少々――に花を咲かせていた。そして、あちこち散策していると、都市の象徴と言える門がある広場に来ていた。

 

 

 君はふと、少年が新聞を売りに来たために、リフィルに謝り損ねていたことを思い出す。

 

 

 さっきはごめん。気に障ること言っちゃって。

 

 

「――?あぁ、別にいいわよ。私の方こそ、あんなことで怒って悪かったわね。けど、このまま、ただ許すのもね。」

 

 

 リフィルは口元に手を当て、少し考え込むと、良いことを思いついたのか、意味深な視線を君に向ける。

 

 

「じゃあ、お詫びとして明日から二日間、ベリータルトを夕食におごること。これで綺麗さっぱり水に流すことにする。どうかしら?」

 

 

 じゃあ、ベリータルトを三日間おごることにするよ。

 

 

「三日?二日でいいのよ?」

 

 

 自分の要求よりも多い日数を提示した君に、リフィルは首を傾げる。

 

 

 お詫びは気持ちが大切っていうからね。

 

 

 機嫌を損ねることを言ってしまったのは事実なので、自分なりの誠意は尽くしたかった。

 

 

「真面目な人ね。そう言うことなら、遠慮はしないわよ。」

 

 

 リフィルは微笑みながら、わだかまりのない澄んだ声でそう言った。

 

 

 ちゃんとリフィルと仲直りが出来たことに、君はホッと胸をなでおろした。

 

 

 ふと上を見ると、都市を覆う空は少しずつ黄金に色づき始めていた。

 

 

 もうすぐ黄昏時か、という君の隣でリフィルも空を見上げる。

 

 

「一日って、案外早いものね。」

 

 

 二人で並んで、空を見上げていると――

 

 

「そこの珍しい服装の方と、金髪のお嬢さん、少しよろしいでしょうか?」

 

 

 ――と、声をかけられ、君とリフィルは後ろを振り返る。

 

 

 そこにはキャスケットをかぶり、グレーのベストとズボンを身にまとった、70前後と思われる男性がいた。白髪で、丁寧に整えられた口ひげを蓄えており、肩からは両手で抱えなければいけない程の大きさの箱と、少し大きめな鞄を下げている。

 

 

 珍しい服装って自分のことかな?

 

 

「普通に考えてあなた以外いないでしょ。ハロウィンみたいな恰好だもの。」

 

 

 だよね…。

 

 

 世界が違えば服の文化も変わる。そのため、他の異界に飛ばされると、その世界の住人から不審な目で見られることはよくある。そんな目で見られること自体はもう慣れているが、声に出して言われると結構心に来るものがある。

 

 

 生活費も余っているし、この都市に滞在している間に着る服でも買おうかな、と考えつつ、君とリフィルは話しかけてきた男に歩み寄る。

 

 

「私たちに何か用かしら、おじいさん?」

 

 

 リフィルに問われた男は帽子を取ると、ニッコリと笑う。

 

 

「良ければ一枚、写真を撮らせて頂けませんでしょうか?」

 

 

「写真?」

 

 

 君とリフィルは、同時に声を出す。

 

 

「はい。わたしは写真家を営んでおりましてね。」

 

 

 男は肩から下げていた箱を地面に置き、それを開けると、中から黒い直方体を取り出した。

 

 

「このカメラで、様々な場所の景色や人を撮るために旅をしているんです。」

 

 

「はぁ…。」

 

 

 これがカメラ?

 

 

 どうしたものか、と言った様子のリフィルの傍らで、君は男の持つカメラを見る。異界で見たものは、片手で持てるようなコンパクトなサイズだったが、目の前のものは両手で持たないといけないほど大きかった。

 

 

「この街には、あの門を撮りに訪れたのですよ。」

 

 

 男は都市の象徴である門――〈デュオ・ニトル〉――を指さす。黄昏時が近づいてきていることもあり、徐々に開き始めている。

 

 

「門は、もう撮り終わったのですが、あの時計塔に目を奪われましてね。」

 

 

 男は次に、悠然と時を刻む時計塔を指さした。

 

 

「あれほど立派な時計塔は、中々ありません。なので、あの時計塔を背景に写真を撮りたいと思っていたところ、そちらの御仁と見目麗しいお嬢さんが、先ほどから仲睦まじくしておられたものですから、つい声をかけてしまいました。どうでしょうか?一枚だけでいいのですが。」

 

 

「私は――」

 

 

 リフィルは断ろうとしたが――

 

 

 あの、今まで撮った写真とか持っていますか?

 

 

 ――男の持つカメラをまじまじと見ていた君に、言葉を遮られた。

 

 

「えぇ、もちろんありますよ。ご覧になられますか?」

 

 

 お願いします、と言う君をリフィルは肘でつついた。

 

 

「ちょっと、魔法使い。何のつもりなのよ?」

 

 

 いや、あのカメラで撮った写真がどんなものなのか、気になって。

 

 

 今まで見たことのないタイプのカメラだったため、どんな写真が撮れるのか、純粋に気になったのだ。

 

 

 君の要望を聞いた男は鞄を漁り、中から数冊の本の様なものを取り出した。

 

 

「どうぞ。」

 

 

 男は君とリフィルに、それを手渡す。

 

 

 その本を開くと、写真がビッシリと収められていた。

 

 

 君とリフィルは、パラパラとアルバムをめくり、綺麗に収められている写真に目を通す。

 

 

 城、清流、湖、山、崖、街行く人々など、様々なもの写した写真が並んでいた。

 

 

 見ているだけで、旅をしている気分になってくる。

 

 

「これは、凄いわね。」

 

 

 リフィルも感嘆の声を上げ、アルバムに収められている写真を一つ一つ、丁寧に目を通していた。

 

 

 どうして、こんなに色々な写真を?

 

 

 「わたしは30年ほど前から写真家をしていたのですが、7年前に妻が病で亡くなりましてね。」

 

 

 あ、ごめんなさい。いけないことを聞いてしまって。

 

 

 頭を下げる君に、男は、気にしないでください、と優しく言う。

 

 

「写真家の仕事は、わたしにとって夢でした。記憶はいつか色あせてしまいますが、写真は記憶を――思い出を目に見える形として、残すことができます。わたしは、そこにとても魅力を感じました。だから、懸命に働いて、お金を稼ぎ、やっとの思いで店を開いたんです。しかし――」

 

 

 男はカメラを、ギュッと両手で握った。

 

 

「妻が亡くなってから、その夢だった仕事に身が入らなくなりました。いつの間にか、わたしの夢は、ただ写真家でいるのではなく、妻とともに写真家の仕事を営むことに変わっていたんでしょうね。何をすればいいのか、しばらくわからなくなったんです。けど、生前の妻の夢を思い出しましてね。」

 

 

「その夢は何だったの…?」

 

 

 アルバムに目を通し終わったリフィルが、真剣な表情で男に尋ねる。

 

 

 男は、懐かしむように目を閉じた。

 

 

「わたしと一緒に世界中を旅し、写真を撮ることです。そのための資金を作るために、わたしも妻も、毎日必死に働いたのですが、夢を叶える前に、妻は逝ってしまいました。だから――」

 

 

 男はゆっくりと閉じていた目を開いた。

 

 

「わたしが、妻の夢を――妻が見られなかった景色を、このカメラに収めようと思ったんです。世界中の写真を撮り、その写真を収めたアルバムを妻の墓前に持っていき、見せることが、ずっと支えてくれた妻への恩返しであり、今のわたしの夢なのです。こんな年になって夢だなんて、お恥ずかしいことですが。」

 

 

「そんなことない。」

 

 

ハハハ、と笑う男を、リフィルはまっすぐな瞳で見据える。

 

 

「夢は誰もが見れるものじゃない。けど、誰にだって見る権利はある。年なんて関係ない。素敵な夢だと、思う。」

 

 

 リフィルは、心の底から絞り出すような声でそう言った。

 

 

 うん、とても良い夢だと思います、と君はリフィルに続いて言う。

 

 

 男は君とリフィルを見て、ニッコリと微笑む。

 

 

「ありがとうございます。あなた方は、とてもお優しい方々だ。」

 

 

 男は小さく、しかし、感謝の気持ちを表すように、丁寧にお辞儀をした。

 

 

 君とリフィルは顔を見合わせると、お互いの意思を確認するように、頷く。

 

 

「写真、撮って貰ってもいいかしら?」

 

 

 自分たちで良ければ。

 

 

「ありがとうございます。ぜひ、取らせていただきます。」

 

 

 今度は深々と、男は頭を下げた。

 

 

 ♦

 

 

 私と魔法使いは時計塔を背に、三脚に乗せられたカメラの前に並ぶ。

 

 

 写真を撮ることになったけど、私は今まで写真に写ったことがなかった。

 

 

 〝リフィル〟に、写真なんて必要じゃなかったから。

 

 

 だから、初めての写真撮影に、ガラにもなく緊張してした。

 

 

 以前の私なら、おじいさんの話を聞いても、自分には関係ない話だと、断っていたかもしれない。

 

 

 けど、夢を持たない私でも誰かの夢の助けになれるなら、引き受けてもいいと、そう思った。

 

 

 きっと、魔法使いの影響を受けているんでしょうね。

 

 

 私は、ふと隣にいる魔法使いを見ると、随分ソワソワしていた。

 

 

「どうかしたの?」

 

 

 何だか、こっちまで落ち着かない気分になってくる。

 

 

 いや、写真撮って貰うのは初めてだから、ちょっと緊張して。

 

 

 そう言う魔法使いの表情は少し堅かった。

 

 

 私だけじゃなく、この人も初めてなのね。

 

 

「自然体でいればいいのよ、きっと。」

 

 

 そっか…。うん、そうだね。

 

 

 魔法使いは一度深呼吸すると、気合を入れるように自分の顔を両手でパンッと叩いた。

 

 

「じゃあ、撮りますよ。」

 

 

 カメラ越しに、おじいさんの声が響く。

 

 

 私にとっては初めての写真撮影。そして、隣には同じく写真撮影が初めての魔法使い。

 

 

 始めは緊張していたけど、今は不思議と落ち着いている。

 

 

 もしすると、あなたが隣にいるからかもしれないわね。

 

 

 戦いの時でも、あなたが隣にいると、頼もしくて、何だか、とても安心するから――

 

 

 ♦

 

 

「とてもいい一枚が撮れました。本当にありがとうございます。」

 

 

 無事に撮影が終わり、おじいさんは晴れやかな顔をしている。

 

 

 これで少しでも、おじいさんの夢の助けになれたのだろうか?

 

 

 私がそう思っていると、隣にいる魔法使いは何か考え込んでいた。

 

 

 そして、決心したように頷くと、おじいさんに歩み寄った。

 

 

 カメラの使い方、教えてもらえますか?

 

 

 唐突な魔法使いの申し出に、おじいさんは目を丸くする。

 

 

「カメラの使い方ですか?」

 

 

「どうして、そんなこと聞くのよ?」

 

 

 私もおじいさんも、魔法使いの質問の意図がわからず、首を傾げてしまう。

 

 

 さっき、アルバムを見せてもらいましたけど、おじいさんはどこにも写っていませんでした。だから、おじいさんの写真を撮りたいんです。奥さんに見せるアルバムには、おじいさんもいた方がいいと思うから。

 

 

 魔法使いの話を聞いたおじいさんは、信じられないものを見たように驚いた表情をする。そして、心底嬉しそうに目を細めた。

 

 

「そんなことを言われたのは、初めてです。ありがとうございます。では、お願いできますか?」

 

 

 はい。

 

 

 魔法使いは満面の笑みで返事をすると、おじいさんからカメラの使い方の説明を受ける。

 

 

 昔は色々ややこしかったらしいけど、今は技術が発達したことにより、シャッターを押せば、誰にでも撮影出来るらしい。

 

 

 そして、フィルムを使いきったあとは、製造元の工場に送ると、現像された写真と、新しいフィルムが入れられたカメラを送り返してくれるサービスもあるんだとか。

 

 

 私は、おじいさんから熱心に説明を受けている魔法使いを見つめる。

 

 

 この人は本当に、今でも驚かされるぐらい人が良い。

 

 

 けど、誰にでも親身になって、接することが出来るから、きっと色んな人に好かれるんでしょうね。

 

 

 カメラの扱い方を聞き終わった魔法使いは、カメラのレンズ越しに、時計塔を背に、カメラの前に立つおじいさんを見る。

 

 

 おじいさん、ちょっと表情が…。

 

 

 魔法使いが遠慮がちに、おじいさんに苦言を呈する。

 

 

 カメラの前に立つおじいさんの顔は、誰が見てもわかるほどこわばっていた。

 

 

「いやぁ、長年、写真家として写真を撮っていたのですが、写るのはどうにも苦手でして…。」

 

 

 昔のカメラは、撮影するのに10分かかることもあったらしい。そのため、10分以上静止しないといけないから、無表情の写真が普通だったみたいだけど、技術の進歩によってカメラの性能が上がり、シャッターを押すと、すぐ撮影出来るようになったことで、表情豊かな写真の撮影も可能になった。

 

 

 そのことがきっかけで、自分がカメラの前で上手く笑えないことに気づいたらしい。

 

 

 しかし、写るからには、ちゃんと自然な表情で笑ってほしい。

 

 

「楽しかったことを思い浮かべれば、笑えるんじゃないかしら?奥さんのこととか。」

 

 

 ぎこちない表情のおじいさんに、私なりに思った言葉をかける。

 

 

「妻の事ですか…。」

 

 

 おじいさんは遠い記憶を辿るように、空を見上げた後、ゆっくり目を閉じる。

 

 

 しばらく黙っていたけど、記憶を掘り返したのか、上げていた顔を戻すと、目を開き、優しい目つきでカメラを見る。

 

 

 その顔は明るくて、見ていると安心するような、穏やかな顔だった。

 

 

 撮りますね。

 

 

 黄金に染まりきった空の下、都市の人々が憩う広場に、パシャリと、シャッターの音が響いた。

 

 

 ♦

 

 

「本当にありがとうございました。写真を撮らせて頂くだけでなく、わたしまで撮って頂いて。」

 

 

 いや、いいですよ。こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

 深々とお辞儀する男に、君も感謝の意を表すために頭を下げる。

 

 

「写真が出来ましたら、あなた方に直接お渡ししたいので、住所を教えていただけませんか?」

 

 

「別に郵送でもいいんじゃないかしら?大変でしょう?」

 

 

 リフィルの気遣いの言葉に、男は首をふるふると横に振る、

 

 

「撮った写真は出来るだけ、自分の手で渡したいんです。長年、写真家を営んできた、わたしのちょっとしたこだわりです。」

 

 

 君とリフィルは男の気持ちをくむことにし、住所を教えた。

 

 

「少し時間がかかるかもしれませんが、必ずお届けにあがります。今日は、本当にありがとうございました。では、わたしはこれで。」

 

 

 男は被っていた帽子を取り、小さく頭を下げると、ゆっくりとした足取りで開いた門へと歩いていった。

 

 

 都市を覆う空からは徐々に黄金の色が抜け始め、夜の到来を感じさせる。

 

 

 今日も、もう終わりだね。

 

 

 君は空を見て、ポツリと呟く。

 

 

 気づけば、あっという間に一日が過ぎてしまったことに、君は少し寂しさを覚える。

 

 

 リフィル、今日は付き合ってくれてありがとう。おかげで、楽しかった。

 

 

 君は、案内してくれたリフィルにお礼を言う。

 

 

 きっと、リフィルがいなければ、ここまで充実した一日は過ごせなかっただろう。自分の頼みを聞いてくれたリフィルには、感謝しかない。

 

 

「まあ、私も良い暇つぶしになったわ。〈ロードメア〉達の情報は、結局手に入らなかったけど。」

 

 

 〈ロードメア〉?

 

 

 何のことだと言わんばかりの顔をする君に、リフィルは眉をひそめる。

 

 

「外に行けば〈ロードメア〉達の情報が入るかもって言ったの、あなたでしょう?まさか、忘れてたの?」

 

 

 ごめん。完全に忘れてた。

 

 

「まったく…。」

 

 

 苦笑いする君にリフィルは呆れたように頭に手を当て、ため息をついた。

 

 

 ある意味、余計なことを忘れるほど楽しんでいたと言える。

 

 

 ウィズの言う通り、心身ともにリラックス出来た気がするな、と思う君を不意に空腹感が襲った。

 

 

 お腹空いてきたなぁ。

 

 

 手で腹を抑える君を見て、リフィルは何か思い立ったかのように、口を開いた。

 

 

「じゃあ、夕飯一緒にどう?私の手料理でもいいって言うのならね。」

 

 

 え?

 

 

 君は、予想外の提案をしてきたリフィルの顔を見る。まるで、キツネにつままれたような気分だ。

 

 

 リフィルの手料理?

 

 

「えぇ、どうする?」

 

 

 君には断る理由がどこにもない。それにリフィルの手料理なら気絶するほど不味い料理を作るバロンとは違い、味は保障されている。〈巡る幸い亭〉でリフィルが作っている時の料理は絶品だ。出来ることなら、店のメニュー以外の料理も食べたいと思っていた。

 

 

 お願いします。

 

 

「わかった。あぁ、あとで代金はきっちり貰うわよ。」

 

 

 あれ?ごちそうしてくれるんじゃ…?

 

 

「ごちそうするとは、一言も言ってないけど?」

 

 

 どうやら世の中、そんなに甘くないらしい。

 

 

 けど、リフィルの料理なら、お金払うことになってもいいかなぁ、と悶々と考える君を、リフィルはクスリと笑った。

 

 

「冗談よ。ちゃんと、ごちそうするわ。昼間にワッフルをおごってもらったもの。私も何かしないとフェアじゃないでしょ?」

 

 

 君は、昼間におごったワッフルを思い出す。しかし――

 

 

 釣り合い取れてるかな?

 

 

 ワッフルは、店に売っていたものを買っただけ。値段もそれほどしなかった。しかし、夕食を作るとなると時間も手間もかかる上、使用する食材の値段だけでも、ワッフル一つなど軽く超えるだろう。明らかに、釣り合いが取れてないように感じた。

 

 

「そこまで払いたいって言うなら、遠慮なく取るけど?」

 

 

 ごちそうになります。

 

 

 君は、すばやくリフィルに頭を下げた。

 

 

「決まりね。まあ、ワッフルをおごってもらったこともあるけど、昼間の店で聞いた調理法を参考に、新作料理を試したかったからって言うのが、本音だけどね。」

 

 

 つまり、新作料理の味見役として、白羽の矢が立てられたようだ。それでも、リフィルの手料理を食べられるということに変わりはないだろう。新作料理の味はまだわからないが、リフィルなら安心できる。

 

 

 今日は何から何まで、良いこと尽くしの一日だった。

 

 

「にゃはは、リフィルの手料理が食べられるなんて、私は運がいいにゃ!」

 

 

 唐突に聞きなれた声がしたかと思うと、ウィズが君の肩の上へ飛び乗って来た。

 

 

 ウィズ!?

 

 

「猫!?」

 

 

「ただいまにゃ。」

 

 

 リフィルの手料理にゃ!――とウィズは、ご機嫌にはしゃぐ。どこかで君とリフィルの会話を聞いていたのだろう。

 

 

 しかし、突然、リフィルがウィズをガシリと両手で掴み、まじまじと見つめる。

 

 

「リフィル、急に何するにゃ!」

 

 

「これが元人間…。」

 

 

 リフィルの言葉に、ウィズは大きく目を見開く。

 

 

「にゃにゃ!?何でそれを…、あ、キミ、もしかしてばらしたにゃ!?」

 

 

 ウィズは、自分の真実を知る弟子に注意を向ける。

 

 

 口が滑っちゃって。

 

 

 君はウィズに軽く謝罪した。

 

 

 リフィルに掴まれたウィズの顔色は、どんどん悪くなっていく。リフィルは、かなりの力でウィズを締め付けているようだった。

 

 

「リフィル…、苦しいにゃ…。」

 

 

「え?あ…。」

 

 

 リフィルも自分では気づいてなかったようで、慌ててウィズを離した。

 

 

「ひどい目にあったにゃ…。この前のリピュアの料理と言い、最近ロクなことがないにゃ…。」

 

 

 ウィズは君の肩の上でぐったりして、力なく呟いた。

 

 

「悪かったわね。お詫びに、猫の分の料理も作ることにするわ。」

 

 

 あぁ、ウィズの分は作る気なかったんだ。

 

 

「猫には特に何もしてもらってなかったもの。」

 

 

 まあ、確かに。

 

 

 彼女の言葉を借りるなら、フェアじゃない。

 

 

 しかし、これでウィズもリフィルの料理にありつけるようになった。

 

 

「さて、料理を作るにしても、まず食材を揃えないとね。あなたにも手伝ってもらうわよ。」

 

 

 わかったよ。じゃあ、買い物に行こうか。

 

 

 君とリフィルは新作料理に使う食材を求めて、暗くなり始める空の下、市場へと向かったのだった。

 

 

 ♦

 

 

 5人の〈ロストメア〉との戦いが終わり、魔法使いが都市を去ってから、数か月が経っていた。

 

 

 今日は、12月24日。

 

 

 俗に言う、聖夜だった。

 

 

 季節もすっかり冬になってしまい、都市にも冷たい風が吹き抜ける。しっかり着こんでいないと、風邪を引いてしまうだろう。

 

 

 今日の〈メアレス〉の仕事は休みだったけど、朝から〈巡る幸い亭〉のバイトがあった。

 

 

 聖夜は家で家族と過ごす人も多いけど、〈巡る幸い亭〉は、いつも通り開店した。

 

 

 従業員の中にも家族や恋人と過ごすために休みを取る人もいたけど、私には関係のない話だった。

 

 

 しかし、店長も家族と過ごすために店はいつもより早い、21時に閉店した。

 

 

 バイトが終わり、私は住んでいるアパートに戻るため、帰路に就く。

 

 

 都市には冬を象徴する雪が降っていた。積もるほどではないけど、石畳の路地や煉瓦造りの都市に白という彩を与えていた。

 

 

 アパートに戻り、自分の部屋に急ぐ。冷えた身体を暖めるため、暖炉にあたりたかった。

 

 

 風邪を引いてしまっては、〈メアレス〉の仕事も、バイトも出来ない。

 

 

 そんなことになっては、生活が行き詰ってしまう。体調管理も立派な仕事だ。

 

 

 アパートに戻り、私の部屋がある階に着くと、部屋の扉の前でコートに袖を通し、帽子をかぶり、丁寧に整えられた白い口ひげを蓄えたおじいさんが立っていた。

 

 

 見覚えがある。この人は、前に私と魔法使いの写真を撮ったおじいさんだ。

 

 

「おじいさん、どうしてここに?」

 

 

 私に気づき、おじいさんの顔はパッと明るくなった。

 

 

「お久しぶりです、お嬢さん。以前、撮らせていただいた写真を届けに来たのです。遅くなって申し訳ありません。」

 

 

 おじいさんは、帽子を取ると小さくお辞儀する。前にも思ったけど、よく頭を下げる人だ。

 

 

「もしかして、ずっとここで待ってたの?」

 

 

 私は、恐る恐るおじいさんに聞く。正直こんな冷える日に、ずっと待っていたことはないと思うけど。

 

 

 おじいさんは案の定、私の問に首を横に振った。

 

 

「実は昼に訪ねた時に、お嬢さんなら出かけているけど、22時には戻るだろうと、瑠璃色の珍しいドレスを着た方に教えてもらい、時間になるまでこの街の写真を撮っていました。」

 

 

 おじいさんの言っているのは、恐らくルリアゲハの事ね。それにしても、こんな寒い日にも写真を撮っていたなんて、本当に元気なのね。

 

 

「そう言えば、あの方の部屋も訪ねたのですが、居られませんでした。今はどちらに?」

 

 

「あの人は色々なところを旅してるから、いつ戻るかわからないわ。」

 

 

 間違ったことは言っていない。実際、あの人は色々なところを旅してるし、いつ来るのかわからないもの。

 

 

 私の話を聞き、おじいさんは残念そうな表情を浮かべる。

 

 

「そうですか…。出来ればあの方にも、もう一度お会いしたかった。」

 

 

 おじいさんは自分の鞄を開け、中から赤い紙で包装された箱を二つ取り出した。

 

 

「では、あの方が戻られた時、お嬢さんの手から渡してくださいますか?中にはあの日、撮らせて頂いた写真が入っております。」

 

 

 私は、写真の入った箱をおじいさんから受け取った。

 

 

 箱を渡し終えたおじいさんは、私を見て目を細めた。

 

 

「長年、多くの写真を撮って来たので、写真に写る人の顔を見れば、お互いに対して、どんな感情を抱いているのか、何となくわかるのですよ。」

 

 

 おじいさんの目は、まるで全てを見透かしているようだった。

 

 

「私たちは、おじいさんの目にはどう見えたの?」

 

 

 確信に満ちたように、おじいさんは口を開く。

 

 

「お互いの事をとても信頼している。そう見えました。特に――」

 

 

 おじいさんは、私に優しく微笑んだ。

 

 

「お嬢さんにとって、あの方は何か、特別な存在のように感じました。」

 

 

「…そう。」

 

 

 当たっている。私にとって、あの人は言葉では言い表せないような、そんな存在だった。

 

 

 おじいさんは、魔法使いを思い出すように、話し始める。

 

 

「何やら不思議な魅力を感じる方でした。きっとあの方はお嬢さんにとって、宝になる人だと思いますよ。あの方とのご縁、大事になさってください。人を見る目には自信があるんです。」

 

 

 ニカッっと歯を見せて、おじいさんは笑った。

 

 

「えぇ。そうね。」

 

 

 きっと、もう宝にはなっている。あの人と出会えたこと、そのことが私にとって、何よりもの宝であると――そんな気がしていた。

 

 

「では、わたしはこれで失礼します。」

 

 

 帽子をかぶると、おじいさんは階段を下りて行こうとする。私は、お礼を言っていなかったことを思い出し、慌てて振り返る。

 

 

「おじいさん、ありがとう。写真、届けてくれて。」

 

 

 私は、写真の入った二つの箱をおじいさんに見せる。

 

 

「お礼を言うのはこちらです。本当にありがとうございました。あなた方に会えてよかった。またいつか、お会いできる日を楽しみにしております。」

 

 

 おじいさんは帽子を取り、軽くお辞儀をすると、階段を下りて行った。

 

 

 私は扉の鍵を開け、部屋の中に入る。

 

 

 そして、おじいさんから渡された箱を開ける。

 

 

 中には時計塔を背に、ニッと笑う魔法使いと、思っていたより自然に微笑む私が写った写真が、写真立てに収められていた。

 

 

 聖夜に、白いひげを蓄えたおじいさんから渡された、小さな贈り物。

 

 

 それは使命に囚われていた私に、新しい道を指し示してくれた、大切な人と過ごした日の記憶。

 

 

 一緒に都市を見て回り、食事をして、少し腹が立つこともあったけど、私にとって、かけがえのない一日だった。

 

 

 そのひとときを写した、思い出の一枚。

 

 

「思い出を目に見える形に――か。」

 

 

 私は寝室の机に、写真を置く。

 

 

「悪くないわね。」

 

 

 その日、私の部屋に新しい思い出が増えた。

 

 

 

 

 

 

 

〈終〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 清々しいほどに空は晴れており、サンサンと太陽の光が大地に降り注ぐ。

 

 

 ある墓の前に、男が屈み込んでいた。

 

 

 墓前には、何冊ものアルバムが置かれている。

 

 

 男は一枚の写真を持ち、妻に優しく話しかける。

 

 

「どうだろう?上手く笑えているだろうか?」

 

 

 男は、写真を妻に見せる。

 

 

 その写真には優しく微笑む男、本人が写っていた。

 

 

「この写真を撮ってくれた人達が上手く笑えないわたしを見て、君のことを思い浮かべたらどうだって言ってくれてね。」

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

「相変わらず貴方は、写真だと笑うのが下手ですね。」

 

 

 君は上手く笑えないわたしの写真を見ると、いつも楽しそうに笑っていたね。

 

 

「せっかくの素敵な笑顔を写真に残せないなんて、本当にもったいない。」

 

 

 もったいないと言われても苦手なんだから仕方ないじゃないかと、君にそう言われるたびに思ってた。

 

 

「あなたの笑顔の写真、ちゃんと見てみたいですね。そして、私にください。」

 

 

「え、どうしてかって?だって――」

 

 

 今でも鮮明に憶えているよ。君の言ってくれた言葉。

 

 

「写真があれば、いつでも、どこでも、あなたの笑顔を見ることが出来るでしょう?私が一番好きな貴方の笑顔を――。だから、いつか貴方が私に笑顔の写真をくださるの、待っていますからね。約束ですよ。」

  

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

「遅くなってすまないね。」

 

 

 物言わぬ妻に、持っていた写真を渡す。

 

 

 妻の顔を見ることも、声を聞くことももはや叶わない。

 

 

 今もどんな表情をしているのかはわからない。

 

 

 それでも男には、約束の品を受け取った妻が喜んでくれているように思えた。

 

 

「それにしても、旅というのは良いものだね。最初は少し怖かった。けど、今は旅をしていて本当に良かったと、心からそう思うよ。」

 

 

 男は一冊のアルバムを取り出すと、パラリと表紙をめくり、最初のページに目を落とす。

 

 

「とても素敵な人たちに出会えた。」

 

 

 そこには君とリフィルの写真が、唯一収められていた。

 

 

 男は、墓前に置いていたアルバムを鞄にしまい、立ち上がる。

 

 

「また来るよ。今度、新しい写真を持って来るから。」

 

 

 男は、妻に一時の別れを告げ、歩き出す。

 

 

 まだ見ぬ世界と、新しい出会いを求めて――

 

 



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