静謐で、澄みきった朝。おれは静かに部屋を出る。
同居人はぎりぎりまで眠っているのが常で、おれはシャワーを浴びて、適当なティーシャツを着たラフな格好で食堂で早めに朝食を摂る。だだっ広いそこにはきまって人がいない。人が来はじめるのはおれが食べ終わる頃で、食事中におれは誰とも喋ることなく、ただ一人の時間を過ごすことが出来る。箒やセシリアたちが一緒に食事を摂ろうと提案してきたが、勿論断った。おれはずっと前から朝食を一人で摂っているし、これからもそれを変えるつもりは無い。特に彼女たちを嫌う理由は無いし、嫌っている訳でも無いのだけれど、それだけは譲れない。
ニューズウィークの電子版を拡張現実に出しながら、ガラス張りの向こうをぼうっと見る。南スーダンで鎮静化した紛争が再燃して、首都で虐殺が起きた、という記事がガラスに反射している。鏡のように。
虐殺だ。ジェノサイドだ。人道に対する罪だ。
字面が強烈だな、と思った。刺々しいとも。
清々しいほどにおれはその記事に現実感を持てなかった。赤茶けた土の上を骨董品の戦車が偉そうに走って、これまた百年近く使われているAKを手にしている遥かに年下の子供が映るムービーを見てもそれは現実でないフィクションの世界の出来事のように感じられる。万人が遠いアフリカで死のうが、日本の──厳密には何処の国の主権も及んでない──海上、隔絶された人工島にいるおれたちには痛みは来ない。五感に働きかけないから実感しない。もっともらしく、語るコメンテーターは竹のようなガワだけの言葉をだらだらと流すだけで本当にそう思っている訳では無いのだ。戦争は、流血はいつだって非現実的で、現実的だった試しなど一度もない。少なくとも、この国や
そうは言っても、おれはそれを非難している訳じゃ無い。賛同することも無い。事の善悪を論じる気はさらさら無い。少なくとも、おれは世界を知らない。本物を知らないおれは、間接的な、ニューズウィークのムービーや寝る前のニュースの向こうに世界を見ていて、それしか知らない。熱いコーヒーを飲みながら見る、切り抜きされた見世物。そんなおれが、らしい貌をして議論するなんて、噴飯物だ。冗談が過ぎる。
詳しく見れば、これもありふれた流血の一つに過ぎなかった。
大昔から連綿と続く、馬鹿の一つ覚えみたいな中東のスタンダードなモデルケースを踏襲している。肝が違うだけで、同じように消えたと思ったら燻ってて、支援した連中が調子に乗って幅を効かせる。そういう話だ。
受け継がれる狂気とぼろぼろのベレー帽。濃縮されて発酵する宗教。子供が抱えるおおきな鉄砲。不変のグローバルスタンダード。ユニクロだか、ギャップのような、外すことの無いファストファッション。見識の狭い、半フィクションの現実を見ているおれにだって分かることだった。
皿の上を平らげて、変に濃いコーヒーを胃の中に流し込んでいると、おれの向かいに誰かがトレーを置いた。白米と焼き鮭と味噌汁。よく見る和食のセットメニュー。
「おはよう、一夏くん。置いてくなんて、酷いわ」
「別に起こせとは言われてなかったので。おはようございます、会長。今日は早起きですね」
同居人だった。この学園の生徒会長、囚人の長、或いはおれを監視する看守の一人。
ルベライトの瞳は眠気を孕んでいなかった。完璧な人格を完璧に演じに入っている。ご苦労なことだと思う。普通なら気疲れしそうだけれど、その欠片すら悟らせないからこそ、こんな場所で生徒会長なんてことが出来るのだろう。ぞっとする話だ。
まるで歯車のよう。有名な物だが、マックス・ウェーバーは理想的な官僚とは、憤怒も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間のことである、と言った。彼女は官僚では無いけれど、一つの部品としてはとても有用な個なのだと思う。外面はぴかぴか光る鍍金に覆われているが、その実、核心は酷く冷徹なシステムなのだ。最大多数の幸福を念頭に、滅私出来る類いの
「南スーダン……ジュバの虐殺のニュースね。朝から刺激の強い物だこと」
「見たくて見ている訳じゃないですよ。まぁ、人が来たらスクリーンは閉じるつもりでしたよ……、人前で見るようなニュースじゃないし」
「少年兵と戦場。国連軍の介入直後、政情の安定化が固まった直後の急転劇ねぇ……。米軍は大慌てよ」
「世界の警察だから」
そうかもね、と彼女は行儀よく鮭をほぐして口に入れた。何時まで、増え続ける人類を効果的に取り締まれるだろうかとか、飯を食ってる彼女の頭の中にそんなことは無いだろう。おれがふと思っただけで。彼女の美しい箸使いは一層、得体の知れない無機質さを際立たせる。きっと、昨夜一緒に見た「コードネームUNCLE」の中身だって忘れているはずだ。ナポレオン・ソロたちがヴィンチグエラのパーティーに潜り込んだ辺りで彼女はおれの肩に寄りかかって寝ていたのだけれども。
「最近、妹さんとはどうです。うまくやれてますか……」
「おかげさまで。今週末デートするの。あなたもどうかしら」
「慎んで、御遠慮させていただきます」
空は高くて、アオの純度が高い。蒼とも、碧とも見える不思議な色合いはおれの心にすぅ、と風を吹き込ますようだ。
いろんなことがあった。
もう、秋だ。おれが見世物になってから、生殺与奪の七割を握られて半年が過ぎ去った。休日に出掛けたイベント会場でやっていた打鉄に触れるブースに並んだ結果として訪れた不幸は、好奇心は猫をも殺すという言葉をおれに思い出させて、一つの教訓として二度と体験型のブースには行かないという戒めを刻んだ。
春先の決闘だって好きでやった訳じゃない。前日に遅くまでブラックホークダウンを見ていたせいで、おれは眠かった。そこに高圧的な言葉を投げられて、つい、黙れよライミーなんて言ってしまったのだ。結局は互いに痛み分けのような終わり方を迎えて、良い塩梅のところに着地した。今では
自分の専用機が阿呆のように素敵な性能だったり、行事に無人機が乱入してきたり、本来自衛隊と米軍が対処するような案件に引っ張り出されて死にかけたり、見知らぬ女から謂れのない因縁を吹っ掛けられたりと、賑やかなことこのうえ無く、退屈出来る暇はない。楽しむ暇もない。これまでの自分の人生も短くはあるがさほど平坦なものではないと思うのだけれど、それでもこの半年は賑やかすぎた。
運命というものがあるとするなら、おれは余程そいつから嫌われているらしい。二十年に満たない生を振り返ってみても、好かれているとは思えない。少なくとも何度も死にかけている。流石にジョン・マクレーンほどでは無いにしろ、おれは命の危機という隣人と距離が近い。だから、休日には元自衛官の警備員に徒手格闘の手解きを受けているし、ここに入る前には個人的にシラットのスクールに通っていたりもした。射撃訓練だって山田先生に頼んで、始めた。あの人が何でもそつなくこなしていたから、という訳では無いけれど、おれも大抵のことは出来るようになりたいと思っている。が、まぁ、実際はおれもそう簡単には死にたくないという訳で、生き延びられるだけの術を身に付けている最中なのだ。
「これでも、あなたには感謝してるのよ。また昔みたいにあの子と接することが出来るなんて思ってなかったから……」
「きっかけに過ぎないですよ。おれが間を取り持った訳じゃない。どうせ、収まるところに収まってましたよ」
それでもよ、と彼女は言っておれを見る。
「きっかけ、起因という物は思うより大事なの。それがどんな物であれ。全てのことには起因と帰結があるのだから。そこに理由が付随される」
「持論ですか。それなら、この起因は妹さんが持ったあなたへの強烈な劣等コンプレックスですかね。あるいは、あなたの言葉。帰結、おれはとばっちりを受けた、と。理由はどうとでもなる」
「ええ。そして、解決の起因はあなたの言葉。そんな劣等感をおれに塗りたくらないでくれ、間に合っているんだ、ってすごい言葉。いくら初対面で因縁つけられたからって、あんな強烈な返しするとは思わなかったわ。眠かったんでしょう……、あなたってそういう所あるから」
その通りで、おれはまたしても遅くまで映画を見ていた。サンドイッチとペリエ片手に夜明けを迎えた。そして、更識簪にそう言った。会長の妹かな、なんて思ったのと同時に宣戦布告。誰が悪いと言われれば大人が悪いとしか言いようがない。彼女の気持ちも分からなくないが。
「酷いやつですね」
「ほんとうにね」
再生資源のコーヒーカップの中身はからっぽになっていた。道理で、やけに軽い訳だ。
おれはトレーに食器とカップを載せて席を立った。入り口の向こうからかしましい声が聴こえる。
「待ってくれないのかしら」
「待つ謂われはありませんよ。何でもかんでも、あなたのペースに乗せられっぱなしっていうのは面白くないですから……。朝ぐらいは好きにさせてもらいますよ。じき、妹さんも来るでしょうから、どうぞごゆっくり」
「そう。いってらっしゃい。また、夕方」
トレーを返却口に押し込んで、部屋で派手な制服を着込んで、校舎へ向かう。歩きながら携帯端末で予定を確認すると、今日は実機実習が入っていた。
校舎の中に入るとおれは休憩室のソファに座って、月額制のムービーサービスで溜めている映画を時間いっぱいまで見る。おれは更識楯無のことを偉そうに言うことは出来ないのかもしれない。ピンクの壁紙、ハートのステッカーが張り付けられた自販機。ハートロッカー。ここだって、そうだ。
硬い感じで行きたい所存。
SFを目指します。
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