蜃気楼より、小さな物語を。   作:逆立ちバナナテキーラ添え

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 なにも変わっていないリビング。おれにある記憶と寸分違わぬディテールを再現したリフレイン。

 実家の間取りは他の家とたいして違うところがあるわけではないと思う。一軒家の6LDKで、広めのリビングダイニングキッチンにベージュのソファがあって、おれはそこでよくうたた寝をしていた。暖かい日溜まり、白根宮藤奈の領域を占領して、頭を小突かれるのを期待していた。

 夢というのは記憶の再生と再処理過程で生じる、と仮説を提唱した学者がいた。深い睡眠下の中で蓄積された記憶の数々をリプレイして、エディティングして確固なもものとして固定化させるための作業というらしいが、その夢の内容とリプレイされる内容が一致しているという臨床データはない。

 逆に夢は不要な記憶を消去するために見る、という仮設もある。睡眠中に不要な記憶を削除して神経回路を整理する。ストレージの空きを作っているのだ。そして大事なシナプスだけを繋げる。けれども、この説では結合するシナプスを減少させる動きをレム睡眠ではないノンレム睡眠中の徐波によるものだとしていて、併せて特定のシナプス結合を減少させているのではなく、一様に減少させているとしている。見た夢との関係性については推定されていない。

 こんな風に、夢について、古くから様々な研究がされてきたが、未だ明確な答えは出ていない。夢の役割だったり意味という分野ではこの瞬間にも研究が進められていて、我ら人類の精神の深淵と神秘を暴き出そうとしている。そんな崇高な学術研究とは縁遠いおれだが、個人的に夢には意味はないと考えている。調べればそういう説もあるようで、夢とはレム睡眠中に生じるランダムな脳内の皮質活動の副産物であるらしい。他にも生存に必要な行動プログラムの作成とシミュレーションがレム睡眠中に行われるせいで夢が発生するという説もあるが、やはりおれは夢には何の生物学的意味はないと思う。

 ずっと昔から似たような夢を見ていて、それが毎度毎度恐ろしい代物。はじめはおれも何かおかしいと思っていた。でも、余りにも単調で相反するような作業染みた、しかし激情に駆られたようなそれは目覚めを悪くはさせたけれど、何ら体調や精神面に影響を与えることはなく、至って普通の生活を送っていた。深く考えてもどうしようもなかったというのもある。

 おれの考えと似たような説──活性化合成仮説とやらが言うように、夢を見るということはレム睡眠に付随する現象なのだろう。意識や精神活動は脳のニューロンの電気的活動に基づいたものだが、意識が覚醒状態にある際の行動の大部分が意識には上らない──無意識の脳活動の影響を受けている。深い眠り──レム睡眠中の夢では自己意識はない。そういった夢の中で、自分は夢を見ていると自覚、認識することはごく稀なケースである。

 だから、これは明晰夢だ。これは夢だ、とおれは自覚している。おれは実家に帰ってきた覚えなどない。

 明晰夢というものは特異なシチュエーションである。レム催眠にあって、覚醒まではいかなくても限りなくそこに近い場所になくてはならない、と実験から仮定されている。前頭葉の半覚醒状態とも。

 たゆたっているのだ。微睡みと現の狭間で、大脳皮質が作り出した悪夢の世界に囚われている。それに恐怖を感じるわけではない。ただ、自意識がある今、この夢はいつもの夢のままなのか、と感じるだけであって。

 

 「いつもの夢、というわけではないだろう。きみの現状はこれまでのものとは、明らかに違う。そう、自分で認識しているだろうに」

 

 向かいに座って、本のページを捲りながら白根宮藤奈は言った。今までの夢と同じ構図、容姿ではあるけれど、彼が言葉を発したのは初めてだった。おれは少し驚いて、無言で頷いた。紛れもないおれの意思で。

 

 「こうしてあなたの声を聴いて、言葉を交わすのは、いつぶりなのかな……」

 「そうだね。凡そ十年弱といったところかな。尤も、ぼくは本物のぼくではないけどね」

 

 白根宮藤奈は笑って湯気を上らせるティーカップを持ち上げ、口へと運んだ。茶葉の薫りがおれの鼻腔に入り込んで、それを良い薫りだと感じる。現実のように、嗅細胞が匂いを電気信号に変換して脳がそれを認識しているようだった。余りにもリアリティに溢れていて、これが夢でないようにも思えてくる。でも、おれはどうしようもなく、これを夢であると確信していて、それがおれの意識を曖昧なこの場所に固定している。

 

 「あなたは偽物、ってことなの……。夢の産物だから」

 「天の邪鬼な物言いだけれど、そこに真贋が存在するならば、ぼくはそのどちらにも当てはまる。ぼくは確かにぼくで、白根宮藤奈であるときみは確信出来る。きみが定期的に犯し、汚してきた白根宮藤奈だよ。ぼくは、論ずる余地なく、きみのよく知る白根宮藤奈で、このぼくがきみの大脳皮質が作り出したオリジナルの転写だとしても、ぼくは本来の、きみが知るぼくと何の差異もないと断言出来るよ」

 「どうして」

 「きみが作り出したぼくがぼくだから、としか言い様がないな。オリジナルと百パーセント同じ個体が、オリジナルと入れ替わったとして誰がそれを見抜ける。完璧な複写を真作と並べて、見分けがつくと思うかい。記憶、経験、クオリアまでもが同一性を持ったもう一人の自分。クローンでは到底、不可能だ」

 「あなたは、どちらでもあるということ……。難しいな」

 「そうだね。夢の中だからこそ在る偽物として。きみの知る、()()()()()()()()を完璧にトレースした本物として。流石に現在のぼくとは情報を共有しているわけではないけれど。まぁ、この御時世、何処にでも自分を作り出すことが出来る。ここにぼくがいてもおかしくはないだろう……」

 

 おれは確かに、と納得して白根宮藤奈の発する言葉を噛み締める。懐かしい感覚だ。おれが小さい頃は、こうやって色んな話をしてもらった。楽しい思い出。一人じゃない家の暖かさ。目の前を紙飛行機が通り過ぎていく。

 

 「ぼくを追いかけているようだね」

 「またあなたに会いたいから。迷惑かな……」

 「いいや」白根宮藤奈は優しく笑んでみせて、「ぼくの元までおいで。きみの大きくなった姿にはきっと興味があるから……」

 「うん。背もあなたに届きそうなんだ……。たくさん本を読んだから、あなたの話にも付き合えると思う」

 

 おれは一線を越えない。自分の意思で触れようとしない。それを自ら禁じる。そのクオリアの塊は手を伸ばせばたぶん触れられるけれど、皮質と白質の間にそっとしまいこんで、おれは優しい夢に浸る。視点が低く感じた。

 十年前の白根宮藤奈。思い出(おもかげ)のままの彼。もう少し一緒にいたかったけど、窓の外が陰ってきた。夢の終わり。意識が浮上を始めたらしい。

 

 「起きる時間のようだね」

 

 白根宮藤奈は本をぱたり、と閉じておれと目を合わせた。

 窓の外を見ると、そこは空の上で、藍と蒼しかないツートーンカラーの世界。ときどき、白がそこを邪魔していく。そんな世界を紙飛行機がふわふわ飛んでいた。

 

 「またあなたに会えるかな」

 「きっと会えるさ」

 「違うよ、あなただ。今、おれの前にいるあなただ」

 「どうだろうね。きみがまた、この夢を見れば嫌が応にでも会う羽目になる。きみの考えでは、夢というのはランダムな現象だ。明言は出来ない。次は何時ものようにぼくを殺すかもしれない」

 

 世界が暗く閉じていく。焦げ臭く、誰かさんたちの遺骨と残骸になったみんなが大好きなISを雷雲が絡め取って、ごちゃ混ぜにしながら。

 

 「でも、きみは言ったはずだ。夢に意味はない、とね」

 

 

 

 

 目を覚ますと、貌がすぐ近くにあった。鼻先がくっつきそうな近さで、これが可愛い女の子だったなら役得と思えたのだろうが、生憎とそれは同居人の貌だった。目覚めは悪かった。

 

 「やっとお目覚めね。もうすぐで着くわよ」

 

 同居人がおれの貌を扇子であおぐ。茶に染めた髪が目に掛かって、起きがけの神経を逆撫でさせる。同居人は代わり映えのしない綺麗なペルソナを貼り付けて、優雅に機内サービスのペリエを飲んでいる。

 目蓋をしっかりと開けると、機内のオルタナティブに目的地、シャルル・ド・ゴール国際空港まで三十二分、とフライトコースと一緒に表示されていた。

 

 「どんな夢を見てたの……」

 

 同居人が訊ねてきた。おれはサービスに新しく頼んだ熱いコーヒーを流し込んでから、答えた。それはそれは、無愛想に。

 

 「別に何だっていいでしょう」

 「冷たいわねぇ。良いじゃない、教えてくれたって」

 「関係ないでしょう、あなたには。そんなこと知ったって、何の足しにもなりはしないのに……」

 「ひとつ屋根の下で暮らす女の子として、個人的興味として知りたいのですよ」

 

 ひとつ屋根の下で暮らす女の子、個人的興味。卑猥にも、色っぽくも聴こえず、どうしてかその裏に策謀を見てしまうのは、おれのせいではない、と思いたかった。何かを隠すための、巧妙なカバー。その極小の綻びのような。そういった物が隠れきれずに垣間見えてしまう。

 

 「あなたに首を絞められる夢を見た。あなたはその後おれの頭を綺麗に切って、前頭葉を摘出したんだ。おれは意識が戻っていて、眠ってる間にロボトミーをやられてしまったんだよ。そうしたら、あなたはおれの目の前でおれの脳にパン粉をまぶして揚げて食ったんだ……」

 「それ、あなたが寝る前に見てた映画でしょう……。寝起きで、女の子に対してそんな嫌味を言うなんて、あなた相当寝起きが悪いのね」

 「だったら、起きがけに余り絡まないでくれ……。時差もあるんだから」

 「もう」とむくれて、同居人は、「じゃあ、当ててあげるわ」

 

 そう言って、顎に手を当てて、悩んでいるポーズを取り始めた。おれはそれから目を逸らして、窓を見た。そこに写る自分をぼんやりと、微妙に合わないようなピントで捉えていた。

 ジェームズ・ボンドになれ、と言われて、手始めにおれは髪を染めることになった。生まれて初めて自分の容姿を弄ることに対して、突然だなという戸惑いの他には、別段、感慨というようなものは湧かなかった。黒髪には馴染みがあったけれど、固執していたわけでもない。姉が余りそういった髪色を好まなかったから、生来のものにしていただけだった。弾が夏休みに派手な色にして家に遊びに来た時、姉は僅かに眉を潜めたことがあったことを覚えている。

 茶髪にして、耳にかけるほど伸ばしていた髪を短く切って、鏡を見ると、自分が何処にもいないような不思議な感覚に陥った。でも、それはものの数秒で修正されて、鏡に写る別人が新たな姿として再定義された。アップデートされたように。

 それ以外にも度のない眼鏡をかけたり、オルタナティブや網膜認証を騙すコンタクトレンズを着けたりして、おれは別人に成り済まして──思うより自分を偽ることは簡単らしい──ビジネスクラスで半日と少しの旅に出た。ドライブの二日後。学校はそれらしい理由がでっち上げられて、臨時休学している。単位や日数もカウントされるようだ。

 

 窓の向こうを見ていると、おれはこれから何をするんだろう、という漠然とした不安に駆られてくる。昔の小説家みたいに、それ自体が自分を死に至らしめることはないが、クラスメイトの故郷でおれは今から一人の男を巡る諜報戦争──大いなる足の引っ張り合いのど真ん中に突っ込む。それがどれ程危険なことなのか、素人であるおれがそれを知っているはずもないが、政治が、軍事が動く潮流は容易くおれを押し流してしまうだろう。

 時たま、自分の立っている場所がいまいち分からなくなる時がある。色んなことに巻き込まれて、死にかけて、大っぴらに面を晒しているはずなのに、裏方の情報(スクープ)同居人(スプーク)が持ってくる。おれは何処にいて、どう歩いているか、忘れそうになるのだ。正道とまではいかなくても、自己をきちんと規定して、確固たる我を持っていられているのか。恐らくは、現状、おれは目も当てられないほどにぶれているのだろう。色んな物がおれの中でない交ぜになって、『おれ』と迷子になっている。

 

 

 この御時世、何処にでも自分を作り出すことが出来る。ここにぼくがいてもおかしくはないだろう。

 

 

 夢の中で白根宮藤奈はそう言った。確かにその通りで、夢の中でもおれは同意した。

 ならば、おれは何処にどれだけいるんだろう。何処の、どのおれが本当のおれなんだろう。遠い場所から、問い掛ける声が聴こえる。ふらふらして、ぶれた残像の一つが、その残像を捉えた場所で叫んでいる。

 幼い頃、姉に抱き締められたのは、何処の誰なんだろうね。

 

 「いっぱいの女の子と、淫らに生活するいやらしい、思春期丸出しの夢とか」

 

 熟考の末に同居人が導き出した答えはどうしようもない物だった。

 おれはそれを鼻で笑って、残っていたコーヒーを飲み干した。シートベルト着用のランプが点灯して、一言一言を確かめるようなアナウンスが流れ始めた。

 

 「ばかじゃないのか」

 

 同居人は舌をちろり、と出して笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 少しはSFっぽい感じが出てるかな……?出てると良いなぁ……。

 需要が無くても俺は止まんねぇからよ、お前ら(執筆)が止まんねぇかぎり、その先に俺はいるぞ!だからよ、止まるんじゃねぇぞ……。(モチベーション)

 感想評価よろしくお願いします。
 
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