この街についてどう思う。
帰り道で通りすがったバーの前で声を掛けられた。見れば、薄い印象を携えた、何処にでもいそうな男。初対面かと思い、貌を見てみれば、その男は飯田だった。神経質そうな眼鏡を外して、量産品のブルゾンとジーンズを身に付けた彼はほんとうに特徴のない、幽霊のような男だった。
何かの勧誘めいた言葉に、綺麗だね、と言う。すると、飯田は背を預けていた扉に体重をかけて、中へと入っていった。シックな黒塗りのドア。おれは掌を押し付けて、続いた。
扉の向こうは誰もいない、廃店舗だった。飯田はボックス席に安物のウィスキーを置いて、おれを待っている。ぐるりと店を見回してから、飯田の正面に座った。
何を飲む。飯田はそう言ってカウンターを見た。ずらりと並ぶ酒棚には大抵のものが揃っていた。ソフトドリンクらしきものから、飯田が飲んでる安物とは比べ物にならない高級品まで。だが、気分ではないから遠慮した。この男と飲むというのは、ちょっと想像が出来なかった。
「で、観光ガイドの編集をするわけではないんでしょう。何ですか、急に話しかけてくるなんて」
「労いのつもりだったんだがな。迷惑だったか」
「あなたみたいな人にいきなり声を掛けられて驚いただけですよ。心遣いはありがたく受け取っておきます」
つっけんどんな物言いに嫌な貌せず、にこやかな、それでいて次の瞬間には思い出せないような好意的ととれる表情を浮かべることが出来る飯田は、先日とは纏う雰囲気をがらりと変えていた。棘のない、どんなカタチにもフィットするクッションのような。その内、身体の延長と誤認するようなちょうど良い感じ。それで、何の用、と改めて訊ねる。
「この街は綺麗だよなぁ。景観もそうだが、清潔だ。ごみの一つも落ちちゃいない」
飯田はグラスを回しながら、照明に翳した。
「日本では厚生省、公共衛生局の清掃ドローンが街頭を彷徨いてそこらに転がっているごみを拾ってる。最近はそうそう、路地にごみがあるなんてことはないが、まぁそれでも、人間ってのはみんながみんな、模範的な行動をするわけじゃない」
軍事に限ったことじゃない。人々の生活のあらゆる所に無人化、オートメーション化の手は伸びている。
テクノロジーが進歩すればするほど、工程に於いて人間が携わるプライオリティは低くなっていった。ごみの回収だって、無人運転の収集車にごみ箱が独りでに中身を提出する時代だ。単調な精密作業は全て機械が賄えるし、ヒューマンエラーが起こることもない。
かと言って、全てが機械に委ねられたわけではない。プライオリティが低くなっただけで、必ず何処かで人の手は入る。かつて、スティーブン・ホーキングが語った人工知能による人類の滅亡は起きなかった。性能の悪い人間を殺す、呪うべき人工知能は今のところは存在していない。はず。
あらゆる人間には有用性がある。社会を運営するための労働力として。こう聴けば、どことなくディストピアみたいに聴こえるけれど、おれたちはあらゆる組織の構成員としてそれを体現している。学校で、職場で、国家に帰属する民として。おれたちは意識せずにその役割を果たしている。価値の優劣はなく、職業に貴賤はない。
「過ごしやすくていいじゃないですか」
「まぁ、そうだな。過ごしやすくて、見映えがいい」
でも、と飯田は区切った。
「これ、気持ち悪いとは思わないか」
「気持ち悪い、ですか……」
「面白い話がある。フランス国内の思層人口分析、有り体に言えばどれだけの人間がどういう思想を持っているかを纏めたやつだ。国防総省が集積したデータによれば、このフランスで大幅な層の変化は観測されていない。一定の層が、一定に織り重なって、凝り固まっている。フラットなままなんだよ、あの壁が作られてからな」
「つまり、それ以前は、それなりの振れ幅があった……」
「大きな被害を出したテロが発生したとする。そのテロの主犯はイスラム系の難民で、被害者は大勢の民間人。街中で銃を乱射して、最後は射殺されて、最後にお決まりの言葉を吐いて終結。民衆は、民意はどう流れる」
「難民への反発」おれは何かの講義みたいな問いに返して、「ヘイトクライム、難民に対する暴行や犯罪行為が急激に増加するでしょう。マスメディアによる情報の拡散はそれを煽ってしまう」
ドイツで、ベルギーで、繰り返し以前、難民の排斥運動は苛烈を極めた。家を燃やす、一族郎党みな殺し、デモがヒートアップした暴動が街で難民の集団と衝突して、家から持ち出した銃で小さな子供の頭を後ろから撃ち抜いたり。それに警備にあたっていた警官が参加したこともあったというから、驚きだ。
彼らにプライバシーなんてものはなく、内戦染みた惨状は全世界に拡散されて、国境を越えてポップコーンは弾け続けた。
ずっと、大昔の話だ。
「人種的、宗教的憎悪は加速する。そいつらが何かをしたわけじゃなくとも、テロリストと同じ人種だから、同じように移り住んできたやつだから。そういう理由だけで十分なんだ。それだけで、難民に対する憎悪は膨れ上がっていく。思層分布はヘイトに傾いて真っ黒になるはずなんだが……」
「フラット、というのは……、まさか、ここの人間が一定の憎悪を保ち続けていて、それと釣り合うだけの層も保たれている……」
飯田はグラスを置いて、頷いた。
おれは、何か、よく分からない気持ち悪さが胸を濡らしているような気がして、背中を冷たい指がなぞる感覚に震えていた。
「勿論、きょうび、この国でもテロの一つや二つは起きる。未遂で捕まって、朝刊に載ることだってある。また移民かよ、て具合に憤る市民もいる。どれだけ殺されても、例え自分の恋人が殺されても、その憎しみは頭の中から消えてしまって哀しみだけが残る。そうやって安定した割合を維持しているみたいだよな。爆発しない手前でぎりぎり踏みとどまっているようにさ」
矛盾している。
戦争を呼び込もうとする意思と、戦争を押し留める意思。その二項が、共存している。あの壁を介して。
暴発する群体から意識を奪って、調和させている。個がなくなって、役割を遂行するだけの人形たちの街。
大仰に聴こえるその景色は、それだけ見れば何もおかしい場所のない日常だった。みんなが等価値で、みんなに等しいロールの与えられた
「だから、綺麗だ。整頓されている。そういう風に、あるべき姿を投影されている。基礎的な倫理観に基づいた人格がそう判断するからな」
「でも、それは推測に過ぎないでしょう。そんな馬鹿げた話、ありえない」
ありえないことばかり。
「人間が想像出来ることは、すべて実現可能。ISなんてロボットで人間が空を飛ぶ時代が来たんだぜ。何もおかしくはないだろう。官邸の一部は大真面目に頭捻ってるよ」
「何のために、そんなことをするんです。フランス政府がこれを。そうしたら、シャルロットも人形ということになる」
「どうだろうな。もし、シャルロット・デュノアが人形だったとして、お前はこれまでの付き合いの中で違和感を覚えたのか。レスポンスが遅いとか、言語能力に異常が見れたとか。人間らしくない箇所があったのか」
それは。
おれは言葉に詰まってしまった。喉で音が反しに引っ掛かったように、つかえて、咳き込みそう。
口角が上がって、目元がとろり、と垂れて、可愛い笑みが咲く。山吹かマリーゴールド。きっと、どんな男もあの笑顔には勝てないだろう。
じゃあ、その笑みは彼女の意思で浮かんだものか。
彼女の恥じらいは、怒りは、喜びは、涙は。彼女のこころだったのか。
おれにはそれを──彼女が現行人類であると証明することは出来ない。
「まぁ、わたしもデータの詳細は知らないし、これもおまえの言うように、推測に過ぎない。ただ、考えてみろ。どうして
「すべて、繋がってると」
「さぁな。けれど、おかしな街に、さらに輪をかけたおかしなやつが入り込んだ。世界中に戦争を振り撒いている死神がここに来る理由はなんだ。消えたやつは何処に行った。おまえという餌を設置する場所は、答えは。全部、壁の向こうだよ。分かりきった話だ」
飯田はその言葉の持つ鋭利さ、剃刀のような浮遊した危うさを隠して笑ってみせた。不適ではない、その羅列に相応しくない対称な口角の上がり方だった。
「あぁ、それと」飯田はグラスの中のボールアイスを転がして、「あの女には深入りするなよ」
「あの女って……、更識……」
「あいつはな、お前が思うよりおっかない女だ。線引きをちゃんとしないと、骨の髄まで搾り取られて、最期には……」
おぉ、怖い怖い、と肩を竦めて、飯田は店を出ていった。最後のは冗談のつもりだろう。おれにとっては、どちらもおっかない相手に変わりはないし、職業柄怖いことをしてるだろうと想像はつく。飯田と肩を組んで仲良しこよしで飲むよりは、ずっとリアリティに溢れていた。
伽藍としたバーに一人残されて、おれは暫く天井を見ていた。気付かなかったけれど、天井にはオルタナティブに投影された海の中でイルカが泳いでいた。何匹も、力強く。子供の頃に、何処かで食べたイルカの肉を思い出した。味は、まぁ、すごかった。そんなことを頭の中で泳がせていたら、口の中が渇いてきて、身体が酒棚の方に動いた。
棚から高そうなラベルの瓶を取ってカウンターに座った。飯田が飲んでいたものよりうんと高そうなやつを選んだ。開けてみれば琥珀色の蜜が垂れてきて、甘いシェリーの薫りが鼻先を撫でた。
予想外に、おれの身体は重く、疲れていた。ジェロームと食事をして、飯田と話しただけだというのに、全力で百メートルを走りきったような倦怠感がのし掛かっていて、どうにも上手く身体を動かせそうになかった。
一人でいると、色々なことを考えてしまって内省的になる。おれの場合は子供の頃を思い出して、へんに淋しい気持ちになることが多くて、その都度どうしようもなく人肌が恋しくなってみたりするけれど、どれもいまいち違うような気がして、もやもやする。そういう感傷は人それぞれだろうし、だから姉は誰もが死んだように眠る夜の底で一人、柳の下みたいにアルコールに身を浸していたんだろうか。おれには何も分からないけれど。
分からないこと。ありえないこと。ろくなことが一つもない。
アルコールに逃げるのは賢い手段だと思う。この、定期的に身体に注入しているナノマシンがなければ酩酊がおれを優しい海に放り投げてくれる。今も愛すべき働き蟻たちがアルコールを親の仇のように分解している。お優しいことだ。ドイツの女の貌が浮かんだ。
だから、おれは素面のまま、グラスに映る自分の貌とにらめっこをしている。すっかり、自分の貌として馴染んでしまった誰かの貌だ。黒髪の頃を思い出すのは、少し苦労する。
そうであるとは言えないし、違うとも確定出来ない。そんな悪魔の証明はおれの身体を今も疲れさせている。仮にシャルロット・デュノアがおれとは違う、『人間』という真性の社会的
完璧な複写。些か違うが、少し近くはあるように思える。良い具合に溶け込んでいる。
でも、そこにクオリアがないとしたら。
おれは何かを見出ださそうとしているのかもしれない。そこに何かがあると信じたいのかもしれない。エモーションとか、そういう部分に訴える分かりやすい音楽のようなものを欲している。
考えて、考えて、少しでも、何かすとん、と落ちるような意味を。意味のない意味が探せば落ちていると思っている。おれが知るシャルロット・デュノアはたぶんこれからもずっとシャルロット・デュノアのままで、それは一種の永遠性を持っている。しかし、それだけでは物足りなくて、色んなものに名前を付けて、かこつける人間の悪い癖を発揮しかけているのだ。
死者には遺言から発生する遺思がある。生ける者はそれを受け取って、咀嚼して、
ワイドショーやドキュメンタリーを見ていると、過剰に死者の遺思を持ち上げているように思える時がある。過大に盛った文句がテロップになって涙を誘う。ピアノの哀しいコードが涙腺をちくちく刺す。そうやっておれらは偉大なる死者の大きさをお茶の間で教えられて、畏敬の念を抱く。
四分の三オンスが遺したメッセージにすら意味を無理矢理見出だす。この言葉はおれに向けたものだ。生前ジョンさんはわたしに生きる意味を与えて下さいました。彼はぼくにとっての第二の父でした。その生涯全てに意味があるという風に囃し立てる。意味はあるのだろう。けれど、無駄もある。ただ、気持ちよさに浸っていた時間が誰にだってあるはずだ。
ニヒリズムを気取っているわけではないけれど、要するに、おれたちは無意味というものに滅法弱い生き物だということだ。
見てみろ。この街を。人形だらけでも、この街は、箱庭は生きてるぜ。無意味でも、クオリアがなくても、『人間』は生きていけるんだよ。飯田ならへらへら笑いながら言うだろう。実に『人間』的だ、と。おれはもう、飯田の貌をはっきりとは思い出せない。
壁だ。この街にも、あの家にも壁があった。分かつもの。別つもの。
壁の向こうの人間に会いに行こう。なんだかおかしくなっておれは一人、笑った。からから、へらへら。
冴えた頭で考える。矛盾した二項の意思を、そこにあるであろう意味を。出来すぎた陰謀論のような構造と、見え隠れしている繋がり。
そうしていると、時計は日付を跨いで、ボトルは空になった。しっかりとした意識と感覚は、ナノマシンが正常に機能している証拠だ。最後に注がれたスコッチを飲み干すと、少しだけ虚しくなった。
おれはシャルロット・デュノアを悼んでいた。
時々、インフィニット・ストラトスを書いていることを忘れそうになる……。
文庫で言えば、50ページぐらいは書いたのかなあと、思うので、区切りです。
次から第二部行くと思います。たぶん。
すごい、SFガチ勢の方々に怒られそうな拙作ですが、今後ともよろしくお願いします。
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