Olgamally_o_a   作:庭の花

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第7話 Hollow Void Animusphere

 

 回避、回避、前後交代、再接近。

 こちらに代わってセイバーの正面に立ち、彼女の剣を打ち返すマシュ。そして生まれたセイバーの小さな隙を突くように、こちらは上方へ振るわれた盾と地面の間を潜り抜けて再度セイバーの眼前へと踏み込む。しかし続けて振るった短剣は、その死角を利用した攻撃を予期していたかのように、惜しくもセイバーに当たることはない。

 

 あと一歩でセイバーに届きそうで、しかし届かないいくつかの刃。この土地に来てから連続して体験した、快勝の文字などどこにもありはしない戦闘。セイバーとの戦いも例に漏れず、しかしそれでも、私はここに勝利の兆しを感じていた。

 それは藤丸の支援を受けたマシュの協力があってこその実感だが、重要な要素は他にもある。膠着状態に等しかった、マシュたちとの初邂逅時のあの戦闘である。こちらはマシュの守りと藤丸の指示を敵の身としてたっぷりと味わい、反対に彼女たちはこちらの攻め方を嫌と言うほど知っている。だからこそこの急造の連係を、こちらは攻め、マシュたち(あちら)は守りといった一側面だけの組み合わせながらも、一つの戦闘の形として成り立たせることができた。

 

 ――セイバーから距離を取って一度マシュに守りを任せようと行った後退の後に、ふと、私の脳裏をこの土地に来てからの記憶がよぎる。

 

 ぼんやりとした意識の中で最初に判別したことは、確か、自分の頭がつつかれていることだった。

 

 少し間を置いて、普段と比べて格段に鈍くなった判断力が、つつかれているのはあちらこちらからで、私の頭の上部が何度も狙われていると伝えてきた。

 痛みはなく、危険も感じない。もしかして仲間(ペット)の中でも一番の相棒であるあの子がこちらを悪戯ついでに起こそうとしているのかとも思ったが、それにしては位置と頻度がおかしい。わずかながら自身より背丈のある者をつつくにしてもただ起こすにしても、別の場所の方が適しているだろう。それにこのつつかれ具合からして複数人のはずだと、これまたぼんやりとだが勘が教えてくれた。

 

 私は立っている。指先には使い慣れた短剣の手応えがある。足元は固い地面で滑る心配はない。段々とはっきりとしていく意識に指向性を持たせ、必要だと思う情報を優先的に確かめていった。

 

 そしてゆっくりと開かれた目に映ったのは、私の眉間に剣を叩きつける骸骨戦士の姿だった。控えめに言ってもよい気分の目覚めではない。

 

 つつかれていたのではなく攻撃されていた。複数人の存在を感じ取ったのは骸骨戦士が複数だったからで、頭が随分と狙われていたのは晒された急所だったから。そのときのこちらはどうやら立ったまま寝ていたようだからそれはもう、その隙を狙われて然るべきというものであった。

 納得して一つ息を吐き出し、一つ息を吸い込む前に周囲の骸骨戦士全員を斬り捨てた。いくらこの程度の武器と筋力でこちらがつつかれたとしか感じなかったとしても、敵対行動を取られて黙るほどこちらはお人よしではない。

 

 倒す理由がなくて敵対意志もなくなれば手を出さないから十分お人よしにゃあ、とあの子から以前言われたこともあるが、それは我が道を行くどころか我が道を余所にも敷くと言わんばかりの猛者こと廃人級冒険者の価値観に毒されているだけなので、あの子には精神的にも休んでもらいたい。というか以前実際に休ませ家で互いにのんびりしたものだったが、それは今関係ないことのため思考の隅に捨てておく。

 

 その後、骸骨戦士の一部だった残骸を回収して歩き出した。

 

 それから倒壊していない建物の上に立つ青っぽい衣装の人物を一瞬だが見かけたり、骸骨戦士の群れに襲われかけた女性を助けたり、テレポートしたり走り回ったり。この街の一角で目を覚ましてからセイバーとこうして剣を交えるまでの短い時間で色々と動いたものだと自分でも思う。

 しかし悲しいことに、それでも目的はほとんど達成されていないのだ。

 

「卑王鉄槌。極光は反転する」

「真名、偽装登録」

 

 最初から今まで、私の行動指針は帰宅で変わらない。人を見かければついでに助け、帰るための手段を尋ねる。行く手を阻む敵が出てくれば相手もする。調べる価値があると判断すればその近辺を走り回ってでも調査する。しかしそれらは自宅に戻るための行為であって、この土地の住民と友誼を深めるためのものではない。

 

 だがそれでも、と思うのだ。だがそれでも、協力関係が続いているからにはオルガマリーたちの助力をすることに迷う必要はないと、自分の片腕を見ながら思うのだ。

 

 その視線の先では、細く捻じれた鋭い矢が私の腕を貫き、たった今爆発した。

 

「……」

「ほう――ぐ!?」

 

 傷を負った事実から思考を逸らせた頭が、何事かと分析し始める。しかしそれも反射的な疑問でしかなく、すぐさま自答できた。これは彼による、あのアーチャーによる狙撃だと。

 

 今まで彼の狙撃を無傷でやり過ごせたのは、その殺傷能力が火炎や魔法に頼ったものだったからであり、こちらがそれらに対する十全の耐性を獲得していたからである。だから完全な耐性が存在しない、ただ抉り破壊するこの物理的な一撃は防ぎきれなかった。

 

 片肘から先に力が入らなくなり、握っていた短剣も吹き飛ばされた。それでも黒い煙の向こうから感じる第二、第三射の気配を頼りにもう片方の短剣で切り裂き、届かない分はその短剣を投げてでも先んじて防ぐ。そしてすぐさま魔法で土の壁を作るも、壁のほとんどを破壊しても尚伝わる爆発の衝撃に、私の体は一度離れたはずのマシュの近くまで転がった。

 

「だっ、大丈夫ですか!?」

 

 ありがたいことに、状況を理解したらしいマシュが急いでこちらを盾に入れ、声をかけてくる。その位置取りと構えに不安の色が窺えるのは、セイバーの立つ位置とアーチャーの狙撃は別方向になるからか、それともこちらの負傷が不意で武器も手から離れたからか。今でも覚悟と怯えの混ざった目をするマシュならば、後者もあり得る話だろう。しかしそれならば無用の心配のため、私はマシュの視線がこちらに向く余裕のある今の内に治癒の雨の魔法を数回唱える。

 

「傷が……、わたしまで……?」

 

 治癒の雨の魔法は使用者だけでなく、周囲の味方の負傷も治す。マシュは大した外傷もないが、それでも感じた治癒の恩恵に目を見開いて驚いたようだ。

 治癒の雨はそこまでの反応をするほど貴重な魔法でもないのだが、それは知識の差から推して知るべしといったところか。ともかく、今は魔法の効果一つに意識が取られて構わないほどの余裕はない。多少の回復もできるとだけマシュに伝えて素早く立ち上がれば、マシュも察したのか警戒態勢に戻った。

 

「……全く。私の命令に背くとは。生きて戻れと言ったのだ、私は」

 

 こちらの傷の回復とマシュの守護の構え、オルガマリーと藤丸の周囲への警戒。それらは突如参戦したアーチャーを考慮しての自然な行動だが、対してセイバーは平淡な声で呟くだけでむしろ戦意の静寂化が伝わってくる。セイバーの剣を中心にして収束していた不穏な闇はどこかへと消え、霧が晴れるように彼女の黒いドレスを現していく。

 

 アーチャーの狙撃はセイバーに向けた戦闘中断の合図だったのだろうか。それとも、マシュを狙った先程の矢を感知するきっかけになったアーチャーの殺気がしぼむように消滅したことを、セイバーは強い向かい風と捉えたのか。

 どうであれ、この一時の静けさは、セイバーにとっては剣を収めるという意味のものではないらしい。

 セイバーの戦意は凪いでいる。しかしそれはただ静かなのではなく、水が満ちに満ちた山間の湖のよう。辛うじて保たれている水面も、何かの衝撃があれば瞬く間に、山肌を食い荒らしていく濁流となるだろう。

 

「いるのだろう、キャスター」

 

 セイバーの落ち着いた声が彼方へ向けられる。ほぼ間を置かず新たに生じた気配を感じて横を見てみれば、いつの間に来たのか、そこには見覚えのある青装束の男。最初の真面な交流は剣と杖の打ち合い、そして火球という物騒なもので、更には初めて見る魔法でこちらに死の危険を感じさせた熟練の魔法使い。どこへ行っていたのか、セイバーとの戦いにおいて今まで影も形もなかった、カルデア陣営の自称助っ人。キャスターである。

 

「おう、いるぜ。はは、お嬢ちゃんたちも元気そうだな」

 

 マシュとこちらに顔を向け、歯を見せて笑うキャスター。相も変わらず快活な態度だが、彼の上半身は裸である。何があったのだろうか。こちらに対する敵意のなさも気にしたいところだが、上を脱げるだけ脱いで新たに羽織りもしない彼の姿勢も心配である。一部の装備が綺麗になくなった様を見ると駆け出しの頃のアイテム焼失を思い出して微笑ましくなるが、装備品一個単位のエンチャントや防御性能の価値をよく知った今では、装備箇所を持て余す彼の姿は奇妙にも映る。それとも強者の余裕というものか。

 キャスターはこちらの視線に愉快そうな笑みだけ返し、セイバーに対して向き直すと杖を構える。

 

「さあ、決着つけようぜ、セイバー」

「ああ。貴様たちの終わりだ、キャスター」

 

 戦闘再開を告げる鐘のごとき二つの声が凛々しく響く。示し合わせたわけでもないだろうにセイバーとキャスターは揃って動き出し、二人に続いて私とマシュも臨戦態勢を取る。

 

 炎が地面を走り、闇は舞い戻る。セイバーの持つ黒い剣を更に漆黒に染め上げる闇は彼女の周囲にも満ち始め、大きな力のうねりとなって空へと伸びる。それを看過しないキャスターは間髪を容れずにセイバーの足元に炎の円を描き、そこから木の巨人の腕部を召喚する。元が巨人であるだけに片腕だけでも相応のものであり、その手のひらにはセイバーが十分に収められる。そのまま彼女を拘束、あるいは握り潰すのかと思われたが、そう上手くはいかなかった。セイバーは纏っていた闇を爆発させるように一瞬かつ急激に膨れ上がらせると巨人の手の拘束を押し返し、生じた隙間を抜けて弾丸のような勢いのままにキャスターへと突撃する。その途中、未だ闇に染まった剣が振り下ろされると、その軌跡が同様の闇の波濤となってセイバー自身より先にキャスターに襲い掛かる。

 

「任せたぞ、嬢ちゃん」

 

 キャスターの手がこちらの襟首を掴む。セイバーの攻撃にどう備えるのかと考えているところに来た二度目となるその感触に何事かと彼を見てみれば、冗談を言うかのように緩んだ彼の口からたった六文字の指示が語られる。口ぶりはともかく、キャスターの目は真剣そのもの。隙を作れ、そんな単純で難解な彼の依頼に、私は同じような瞳で見返し頷くことで承諾の意を示す。

 次の瞬間、地面が揺れた。盾を構えるマシュの前方に、セイバーの放った斬り裂くような闇に対するもう一枚の壁として、大樹の根のような物体が複数顔を出す。周囲は洞窟の奥だけあって植物の気配がない上にこの出現速度、明らかに天然のものではない。それらしき動きをしていたことと、例の巨人の素材と同じ木という関連から、これもキャスターによる魔法の作用なのだと推測できる。

 もはや召喚の一種と言っていいほどの根っこの出現だが、それだけでは止まらなかった。私の近くからも少し遅れて一本伸び始め、襟首を掴んだままのキャスターによってその先端部に向かって放り投げられる。こちらの足元から生やしてくれれば投擲される必要もないと思うのだが、投げられた先で着地したときに足場が軽くしなったことで理解する。これを利用して跳び上がり、セイバーの不意を突けとキャスターが言っていることに。

 

 そして空中へと身を飛ばす。狙うは当然、セイバー。

 軌跡に沿った闇がキャスターの用意した大樹の根の壁を壊して粉塵を上げる中、セイバーは勢いを落とさずに彼へと突っ込んだ。剣の間合いに入ろうとしたところでマシュがキャスターを守ろうと間に入ると、セイバーは迷うことなくマシュに攻撃の対象を切り替えた。黒い剣を苛烈に振り下ろすこと二度。それだけでセイバーはマシュの守りに綻びを作る。分の悪さを悟ったか、キャスターはマシュに下がるよう指示を出した。セイバーは勿論彼女を追撃しようとするも、一歩を踏み出したときにその真下が爆発。地面、そして火炎の延長線上にあるような破壊と、キャスターのものと思われるその仕掛け。セイバーの苦悶どころか負傷したような声すら聞こえないことから攻撃としては無意味に近いようだが、足が着くはずだった地面が破壊され想定より低くなったせいだろう、セイバーの動きがわずかに鈍る。

 そこへ私が飛来する。爆発の仕掛けの余波の砂塵でセイバーを視認できないが、それはあちらも同じ。探知の技能はその程度で妨げられることはなく、殺気の源である彼女の動きは目に頼らずとも把握できる。しかし、それで容易に事は済む、とは行かないようだ。無差別なものではない、こちらに対する強い殺気をはっきりと感じる。そして砂埃を吹き飛ばして現れるのは、ほとばしる黒の奔流。剣を中心にして束ねられた不穏な闇。セイバーはその剣先を腰よりも下方に向け、上空から来るこちらを迎え撃つ姿勢を取っている。

 

 マシュはキャスターの指示によって後退したばかりで、セイバーの攻撃を逸らすことすら難しいだろう。キャスターの出した木の巨人なら何かできるかもしれないが、彼ほどの実力者が然るべきときに有効な一手を打たないはずがない。つまりこのまま行けばこちらはセイバーの迎撃を受けることになり、こちらの最善手はセイバーをぎりぎりまで引きつけた上での転移になる。それだけでキャスターの要望通り彼女に隙ができるかは、厳しいだろう。

 このまま行けば、だが。

 

「――!」

 

 今まさに剣を振り上げようとしたセイバーの首を、背後から飛んできた一本の短剣が斬りつける。不意を突かれたこと、そして短剣に宿った効力のせいで、セイバーの表情が驚きのまま固まる。そこを、掴み取った得物で追撃する。

 二刀流こそ本領だが両手持ちも最低限修めており、目的はこれ一本でも果たすことができる。それに加えて、アーチャーによって吹き飛ばされたのち、自分からセイバーを攻撃するばかりかこうして私の手元まで戻ってきてくれたのだから、それで何とかしてこそこの短剣の使い手というものだろう。

 

 しかし、このようなことが起きると、この短剣との思い出が蘇ってくるものだ。

 戦闘中に思い返すというのも場違いかもしれないが、一口に武器と言っても様々なものがある。その形状と役割による十一の大きな種別があり、短剣一種を取ってもダガー、忍刀、海賊刀、包丁と、四種に分かれる。素材とエンチャントなどは特にその武器の特徴となり、今握っているこの短剣で言えば素材は鉄で、エンチャントには追加ダメージという追撃効果を発動させるものが含まれている。特に電撃属性の追加ダメージは付随する効果が素晴らしく、相手を一瞬ながら完全に麻痺させるというもの。追加ダメージと異なり付随効果は確率だが、発動すれば戦闘を優位に進められるだろう。

 素材やエンチャントにおける思い入れもあるが、武器について想起する上で最も忘れられないのはやはり、生きているという個性を持つものである。通称、生きている武器。文字通り、武器でありながら生きているものを指す。生きているといっても話すことや生物らしい姿を取ることは決してないが、喜びや不満があれば動きで訴えるくらいはしてみせる。

 この鉄の短剣もその生きている武器の一つであり、今までに多くの敵の血を吸っては成長してきた得物なのだ。だからこそ、この短剣も簡単な動作であればひとりでに行ってくれる。長い付き合い故に時機を見計らって飛んでくるついでに(セイバー)を斬り、そのままこちらの手に戻ってくるということもまた、同じように。

 

「我が魔術は炎の檻――」

 

 キャスターの詠唱が聞こえる。どうやら隙を作れという彼の依頼には応えられたらしい。惜しいのは、ここまでセイバーの不意を突けたというのに彼女へ与えられた外傷のないことか。マシュ、キャスターに続く三人目の物理攻撃への耐性持ちである。追加ダメージこそ通るからいいものの、ここまで連続するとなると自分の腕に些かの不安も覚えるというものだ。普段から大人しい、生きているこの鉄の短剣が尚のこと静かだったのは、その辺りも理由なのかもしれない。

 

「……約束された(エクス)――」

「倒壊するは、ウィッカーマン!」

 

 セイバーの周囲に炎の花が咲き誇る。標的を焼き尽くさんとする灼熱の花畑に一体の木の巨人が立ち上がり、セイバーを掴んで自身の身体という牢へと彼女を放り込む。こちらが与えた麻痺などの行動阻害から復活したセイバーは再び剣に闇を湛えていたが、そこまでだった。彼女が反撃することを許さずに、木の巨人が燎原に倒れ込む。そして生じた天まで届く炎の柱を、私は既に退避していた先から眺めた。

 

 

      ◇◇

 

 

 戦いは終わった。キャスターの召喚した木の巨人はセイバーに止めを刺し、彼女はその体を光の粒に変えて消滅した。無傷のはずのキャスターも何故か同様に消えていったのは、そのような制約の下にある一撃だったからだろうか。相討ち覚悟の攻撃とは粋なものである。

 

 藤丸はマシュの傍に駆け寄り、オルガマリーは何かを考え込むように視線をわずかに落としている。こちらはもう一本の短剣を拾いに行ったついでに離れた場所から彼女たち三人の様子を窺っていたが、この分なら本懐である情報の交換もできると判断して近寄っていく。

 

「あ、貴方! そこの貴方!」

 

 こちらに気付いたオルガマリーから、必要以上に力強く呼びかけられる。もしかして戦闘音でこちらの耳が弱くなっていないかと案じてくれているのか、などと冗談を返してもいいが、今はその時ではないとして自重する。

 なんだろうかと軽く返事をすれば、オルガマリーは躊躇いを見せたのち、少し顔を逸らして口を開く。

 

「これで、四度目ね」

 

 何のことかと思ってこちらが首を傾げれば、察しの悪さを恨むような目つきを彼女から向けられ、セイバーのものと比べれば小動物並の可愛らしい威圧感も伝わってくる。

 

「貴方に助けられるのはこれで四度目だって言ってるのよ。それくらい理解しなさい!」

 

 怒られてしまった。しかし助けるのが四度目、か。そう言われると不思議な気分になるものである。ノースティリスの地で冒険者を始めた頃は似たようなことも言われたが、今となってはしばらく聞いていない。同じ依頼者の頼み事をこなすことももう数え切れないほどで、彼らとは今更回数を気にする仲でもないのだ。それに今回の勝利を私が助けたというには随分と行き当たりばったりで、実戦における助力も大したことではない。懸命に守護に徹したマシュや、策を弄し決着をつけたキャスターの方こそ称賛に相応しいだろう。

 一応、どういたしましてという言葉だけを返す。

 

「そ、そう……って、このわたし相手に気安くないかしら。いえ、今更ね」

 

 一言では足りなかっただろうか、オルガマリーは微妙に不満足そうだ。そうは言っても、こちらにとってはあまり恩義に感じられるとしっくりこないのだが。

 

「そこじゃなくて……いいわ、気にしないで。それより、今度は話を聞かせてもらうわよ。貴方がこの特異点まで来た経緯とか、ここで何をしようとしていたかをね」

 

 こちらが知りたいことのついでにそれも構わないが、答えられることが少ないのはあのときと一緒である。オルガマリーと出会ってから決闘を行うまでで彼女に話したことは、こちらの名前や所属、簡素な地理についてだったか。セイバーとのやり取りでも似たことを話したため、同じ内容を繰り返す必要はないだろう。そうなれば語るべきことは、何をしようとしていたかくらいか。答えは勿論帰宅である。ノースティリスに帰る手段、例えばキャラバンや船の手掛かりを探して街を歩いていたのだ。この土地に辿り着いた経緯については、残念ながら未だ思い出せないままでいる。

 そのようなことを順序立てて説明しようとしたところで、何者かの殺気を感じる。セイバーは消え、見てはいないがアーチャーも死亡したはずだ。この状況でこちらに殺気を向ける存在がいるとすれば、それはアーチャー陣営の生き残りだろう。思えばセイバーが最後の一人だと聞いていたわけでもないため、気を抜きすぎたと反省して武器を構える。

 

「なっ、何を」

「そうだね。是非とも私にも聞かせてもらいたいものだよ」

 

 こちらが収めていた短剣を取り出したことで勘違いしたらしいオルガマリーが慌てかけるも、不思議と響きわたる何者かの声によって彼女の驚きも遮られる。その声音は優しい男のものだが、肌に伝わる殺気が、その声の下に隠された煮え滾るような不快感を露わにする。

 

「いや、まさか君のような者まで現れるとはね。カルデアも存外しぶといようだし、これは計画を練り直さないといけないかもしれないな」

 

 声の主は崖の上に立つ。強い紫色の光を背負い、高低差含めた距離があるせいで、彼の姿をはっきりと確認することは難しい。冒険者として五感には自信のある私ですらそうなのだから、背後に庇うオルガマリーや、少し離れた場所で見上げる藤丸からは、彼が人の形をしていることくらいしか理解できないのではなかろうか。

 

「まあそんなもの、ゴミクズ程度の差異でしかないが」

「レフっ……レフ、レフ! よかった、貴方、生きていたのね!」

 

 オルガマリーが狂喜の声を上げ、こちらの背後から抜け出て駆け寄っていく。レフというのはおそらく、声の主の名前。オルガマリーの反応も合わせて考えれば彼女たちの仲間で、相応の信頼関係といったところか。藤丸たちも既知の間柄であるように名前を呼んでいるし、間違いではないだろう。

 しかし、そうだからといって無防備に傍に向かうというのはどうなのだろうか。実際のところオルガマリーが崖を上ることなどできないだろうから行って崖下までだろうが、それでも短絡的な行動であることは否定できない。声の主の発する殺気は未だ変わらずに残っている。

 

「やあオルガ、君も大変だったようだね」

「ええ、そうなのよレフ! 予想外のことばかりで、頭がどうにかなりそうだった!」

 

 気心知れた仲のような二人の会話を聞き、ふと気付く。もしかして声の主から殺気を向けられているのは私だけなのではないかと。事情を知らず、所長であるオルガマリーの傍に見知らぬ人間がいて、少し見れば荒事の中で生きている者だともわかる。なるほど、そのような理由で彼がこちらを敵対認定することもあり得ない話ではない。

 無論その予測が当たっていたところで、警戒をやめるわけにはいかないのだが。

 

「予想外か。ああ、その通りだとも」

 

 オルガマリーがレフなる人物へと更に近づいていく。こちらからはオルガマリーの揺れる髪しかわからないが、声から容易にわかるように、彼女の表情もまた喜びと安堵でいっぱいになっているのだろう。オルガマリーの様子にだけ注目すれば、感動の再開という文言こそこの状況に当てはまっている。しかしそれを俯瞰したときに違和感しかないのもまた、同じく当てはまるだろう。

 そしてその予感の正誤を告げるように、表面だけ取り繕われた心温まる風景は崩れていく。

 

「君にとって一番予想外なのは、そうだね、君がもう死んでいるということかな?」

「……え?」

 

 オルガマリーの幸せな気持ちが、向けられる相手を失って置いて行かれる。零れ落ちた言葉に感情の色はなく、今までの元気が幻だったかのように、オルガマリーの手足が緩やかに止まる。

 あれほど喜んで駆け寄ったというのに、呆然と立ち尽くすオルガマリーの目には、今のレフの姿がどれほど明瞭に捉えられているのだろうか。彼の声色の裏に潜んでいた蔑みは、彼女の耳にどれだけ届いていたのだろうか。

 

「本当に統率の取れていないクズばかりで頭に来る。ロマニ、君にはすぐ管制室に来てほしいと言ったのに。君もだよオルガ。爆弾は君の足元に設置したのに、まさかこんな形で生き延びるなんて」

 

 レフは動じない。最初に現れた場所からも動かない。近づいてきたオルガマリーの姿は彼にとってきっと、その程度にしか見えないのだろう。

 

「生き延びると言っても仮初だがね。君の元々の肉体は、もうとっくに死んでいる。だからカルデアに戻った時点で、君のその意識も消滅する」

「……レ、レフ? 嘘、よね? わたしが、消える?」

 

 オルガマリーが弱々しく問うも、レフから望ましい言葉は返らない。ただオルガマリーの体が、彼女の精神状態を示すように縮こまった。

 

 この事態はどういうことかと同じカルデア陣営の二人を見てみれば、藤丸は呆然と、マシュは信じがたい敵を前にしたような辛そうな表情でレフを見上げている。彼女たちにとってもこれが呑み込みきれない状況だということはそれで十分に理解できた。

 

「だがそれではあまりにも憐れだ。せめて最後に、君の望みを叶えてあげよう」

 

 崖の上、レフの後方の空中に大きな穴が開く。まるで掛けられていた幕を取り払ったかのような、瞬く間の内に起こった光景の不可思議な変化。生じた穴の向こうには洞窟内の壁すら見えないほど強かった紫色の光はなく、太陽のように真っ赤な球体を中心に据えた天球儀が浮かんでいる。

 

「君の宝物とやらに触れるといい」

 

 その言葉を実現させるかのように、オルガマリーの体が浮き始める。誰かが運んでいるというわけでもなく、まるで自ら望んでいるかのように自然な浮遊。テレポートと言うには非常に遅く、精密な動き。ゆっくりとゆっくりと、そして確実に、オルガマリーは天球儀の浮かぶ場所へと近づいていく。

 

「何を言っているの……? や、やめて! だってカルデアスよ!?」

「ああ。ブラックホールと何も変わらない。それとも太陽かな。どちらにせよ、人間が触れればただでは済まない。生きたまま無限の死を味わいたまえ」

 

 オルガマリーの悲鳴が聞こえる。

 

「いや……いやっ! たすけて、誰か助けて!」

 

 死への恐怖にまみれた彼女のそれは、彼女に間もなく訪れる悲惨な末路を示していた。

 

 死んでいる、生き延びている、消滅する。宝物、カルデアス、無限の死。そして何より、仲間のはずのオルガマリーを殺そうとしているレフなる男とカルデア陣営の関係。それらのことを全く知らない私だが、それでもこれは見守るときではないと悟った。

 死んで蘇生する(這い上がる)ことが簡単で、それを日常の一部として受け入れる者もいる。冒険者のような、強力なネフィアに誤って足を踏み入れただけで軽く命を落とす者もいる。それを私は知っている。身をもって知っている。

 それでも私の信念は譲らない。今のオルガマリーはきっと、放っておけないほど悲痛な顔をしているから。

 

 装備を確認する。支援魔法を唱える。

 横を見てみれば、助けに行こうとする藤丸と、彼女に危険を訴えて押しとどめるマシュの姿が目に入る。マシュの判断は本人も望ましくないものだろうが、間違いでもない。同じく戦力差を感じている私がそれでも踏み出そうとするのは、私が冒険者だからだろう。

 

「ダメです! 彼は普通の人間ではありません!」

 

 背後に置いてきたマシュから焦りの声が届く。こちらも死にかねないことをわざわざ伝えてくれたらしい。優しい子のようだ、マシュという少女は。しかしその心遣いは、荒事に生きる者が止まる理由としても優しすぎる。

 それでも一つだけ、マシュの声でふと思い出すものがあった。それはおまじないのような、戦闘前に仲間へ送っておくべき鼓舞のことである。あの子たちもそれでやる気を爆発させていたものだ。

 

 オルガマリーに向かって、私が助けると声をかける。武器、魔法、おまけの鼓舞。今度こそ準備は整った。

 

「ふむ、彼女に手を差し出すと。それが勇猛か無謀か語る価値もない愚行だとわかっていないのか。しかし良かったね、オルガマリー・アニムスフィア。君にしては珍しく道連れができたじゃないか」

 

 こちらが地面を蹴り、レフは笑う。やろうと思えばこちらが走り出す前からどのような手でも打てただろうというほど、私の勘はレフを強者だと認定している。しかしその実力差故にこちらの動きなど彼にとっては些末なことなのだろう。気が抜けないのと同時、妨害がないことをありがたく思う。

 

「え、あ、貴方……!」

 

 そしてオルガマリーの傍に至る。傍と言っても空中で足場もないため、浮かぶ彼女の脚に掴まる形になる。ここまでは崖の一部も踏み台にすることで辿り着いたが、空を飛ぶ技などないためこの有様だ。それでもこちらの重さでオルガマリーの体も下がらないかと期待するも、少し下方に力を加えても微動だにしないことで無理だと察する。

 仕方がないので、私はオルガマリーに肩車されることにした。

 

「何してるのよ!」

 

 肩車されているのよ。そう返事したらオルガマリーはどんな反応をするのだろうか。無性に確かめたくなるものの、そんな場合でもないため諦める。ちなみに私の勘は彼女が怒るに全賭けである。

 

 冗談はともかく、肩車は理由あっての行為だ。探知と同じ技能の一種である乗馬は名前に反して対象を馬に限定することはない。そして乗られた側を乗った側が庇うことができたり回復がよく行き渡ったりと、支援を行いやすい状態にするのだ。未熟な仲間(ペット)と共に戦いたいときは特に重宝する技能である。

 だからこその肩車。こちらは九割方真面目である。

 

「残りの一割も頑張りなさい!」

 

 うむ、オルガマリーは元気らしい。この浮遊がおそらくレフのものであるため、同じように変な影響を他にも受けている可能性を考慮したが杞憂だったようだ。元気と言っても空元気。精神的余裕もない全力投球のような会話だが、それでも失意の底に埋もれるような先程と比べれば十分に良くなっている。

 オルガマリーに対して、こちらが疑問に思っていた彼女の生死やレフについて尋ねる。この状況で簡単に説明してもらうことは可能だろうか、と。

 

「無理に決まってるでしょ!? それにそんなの、わたしが聞きたいわよ!」

 

 これは難しそうである。少なくとも刻一刻と天球儀、おそらくカルデアスとやらに近づいている中で理路整然と聞き出せる話ではないと判断する。

 しかしそれならばそれで構わない。こちらのしたいように助けさせてもらうとしよう。

 

「え? 助けて、くれるの……?」

 

 おかしなことを聞くものだ。オルガマリーの傍に来る前に声を掛けた通りであり、たった今も繰り返したことである。それにここまで来て助けないのだったら、私は肩車されたいだけの冒険者になるだろう。それも悪くないが。

 

「わたしは悪いわよ! 肩車したまま死ぬだけじゃない!」

 

 上手く行かなかったら私は去るため、肩車したままにはならないのではなかろうか。

 

「なんで堂々と逃亡宣言してるのよ! それより、いいから、早く助けなさい!」

 

 注文の多い依頼主である。助けてほしいとそんなにも強く訴えるオルガマリーに、私は二種類の魔法を説明する。一つはテレポートで、もう一つはショートテレポートだ。両方とも完全無作為にどこかへと自身を飛ばす魔法である。乗馬の技能を使用しているときは乗る側も乗られる側も一緒に同じ場所へ転移できるため、すぐさまここから離れることを優先するなら悪くない選択肢だろう。

 

「転移の、魔法? いえ、今はそれより早くして! もう時間がないのよ!?」

 

 焦らない焦らない。ちなみに両者の違いも話すと、転移範囲である。ショートというだけあって後者はこの洞窟内が限界だろう。テレポートなら街まで跳べる可能性もある。

 ただし忘れてはならないのが、転移先が完全無作為だということ。運が悪ければ一足早く、カルデアスとやらに突っ込むだろう。最悪カルデアス内に転移ということもあり得る。

 

「な、なによそれ!? ふざけないで! 貴方、自分の魔術ぐらい制御してみせなさいよ!」

 

 不可能である。少なくとも現在の魔法技術ではテレポート系における転移先の制御方法は見つかっていない。それに魔法書を読めば誰でも覚えられる魔法を自分のものと呼ぶのは些か躊躇われる。

 

「何を言って、いや、いや、早く、もうこんなに近いじゃない! どうしてこんなコトばかりなのよ! やだ、やめて、いや……!」

 

 天球儀の浮かぶ場所とこの洞窟との境界がいよいよ迫る。天球儀の中心で赤く光る球体の雄姿も視覚上大きくなり、オルガマリーの錯乱が抑えられなくなる。こちらが肩車されている姿勢は変わらないため、掴まるついでに彼女の頭を撫でてみた。

 

「手より詠唱(くち)を動かしなさいよ!」

 

 お気に召さなかったようだ。それに口を動かせと言われたため、いい加減魔法を唱えるとしよう。こちらとしても今こそ潮時だ。

 それではオルガマリー、覚悟はいいだろうか。できていなくても唱えるのだが。

 

「わたしに選択権ないじゃない!」

 

 勿論である。したいように助けさせてもらうと言ったことに嘘はない。しかし説明した魔法のせいで、オルガマリーまで勘違いさせてしまっただろうか。

 

 私は乗馬を解除してオルガマリーに紐を結んでから離れ、重力に従って落下する中で一つの魔法を唱える。その名称は、グラビティ。

 

「……え?」

 

 それまで緩めていた自身の速度を、落下する間に戦闘時並みへと引き上げ直す。そして崖の上に立つレフの隣という、狙った通りの位置に着地するとすかさず得物を振るう。武器の中で一番の相棒たる生きている鉄の短剣と、私の信念を貫くために鍛え上げた短剣の二本がレフの体を六度斬り、四度刺す。声を出す暇もなく行われた奇襲に少しは目を見開くレフの腹をそのまま蹴飛ばすと、彼は吹き飛んだのちに崖の上を転がった。

 生身を斬ったにしては刃の通りが悪かったが、マシュやキャスターたち物理抵抗持ちと比べれば十分に心地よい手応えであった。この土地に来てからすぐ粉砕される骸骨戦士や強力な物理抵抗を持つ実力者としか戦っていなかったため、これには思わず私も笑顔である。生きている鉄の短剣も嬉しさを表わす動きをしていた。

 

「いやああああ!」

 

 あまりにも久しぶりの感触を喜んでいると、最早聞き慣れ始めたオルガマリーの悲鳴が上方から聞こえてくる。見上げてみれば、そこにはグラビティの魔法の効果で落ちてくるオルガマリー本人。他者の浮遊を無効化するだけという使い道の限られる魔法がもたらした成果に、私は使いどころというものを改めて深く学んだ。

 

「いったた……。貴方、貴方ねえ! もっと、ああもう、何なのよ!」

 

 抱き止められたものの生じた落下の痛みと急激な状況の変化のせいか、混乱の見本と化すオルガマリー。何なのよと尋ねたいのはこちらである。

 ともかくオルガマリーに結んだ紐を解いて背後に立たせ、治癒の雨の魔法も唱える。体を壊すような受け止め方をしたつもりはないが、念のために。いざというとき彼女も動かなくてはならない。おそらくどう足掻いても、レフに止めを刺すのは不可能なのだから。

 

「いやはや、これは困ったね。魔術工房(カルデア)に合わせたせっかくの衣装が台無しだ」

 

 傷の存在を全く感じさせない日常的な動作で立ち上がり、はたくついでに自らの服の破損を嘆いてみせるレフ。彼との距離はオルガマリーが焦らない程度には空いているが、こちらの感覚では安心できない。いや、彼の動きに気を配らずに済む距離など、この洞窟内にはないだろう。

 

「しかし人間というのはどうしてこう、定められた運命からズレたがるんだい? 外の世界は死に絶え、磁場で守られるカルデアもいずれ同じように燃え尽きる。それで全てが終わるというのに、愚かなものだ」

「……レフ?」

 

 ついに互いの顔を視認できる距離まで来たことでレフの蔑む視線と殺意から目を逸らせなくなったか、オルガマリーの態度が混乱から困惑へ、自棄が怯えへと変化する。そんなオルガマリーをまだ放っておくわけにはいかないため、私は保管空間(バックパック)から彼女を鎮める準備となるポーションを取り出す。

 

「何を言っているの、レフ。そんなのまるで……」

「敵か元凶か、かい? そんなもの、今更問われるまでもない!」

 

 私は静かにレフを一瞥する。どうやら彼にとっては、こちらの動きなど相変わらず気に掛ける価値もないらしい。オルガマリーの浮遊を止めたといっても夢で覚えただけのグラビティの魔法、隙を突かれても大したことのない攻撃。そこに変哲もないポーション一つ取り出したことが加わったとしても、変わるものなどないのが当然か。オルガマリーのためにしたことも、彼の言葉を借りれば仮初の救出でしかないのだから。

 どうしようもない実力差を再確認するが、だからこそやはり妨害がないのも事実。格下だからこそ得られた機会を利用して、私はポーションの入った薬瓶を振り向いて投擲する。

 そして、背後にいたオルガマリーにしっかりと命中した。

 

「貴方、本当に――きゃっ!? ……え? な、なんで投げたのよ!?」

 

 オルガマリーはポーションを投げられ慣れていないらしく、戸惑いの色が濃い怒りを示す。それはつまり彼女が突然変異や失耐性のポーションを投げつけてくるあれをよく知らないということだ。これがそこそこ活動を重ねた冒険者相手なら危なかったと自分の行いを反省しつつ、私はオルガマリーに説明する。これは貴方を助けるためのポーションだ、と。

 

「わたしを、助ける? ……それなら飲ませなさいとか、服が濡れた文句も言いたいのだけれど、わたしは寛大だから許してあげましょう。ただ肌がすごくぴりぴりするのだけれど、何の薬品なのかしらね?」

 

 オルガマリーの言いたいことはその訝しげな目を見ればよくわかる。オルガマリー自身も確信を抱いているようだから素直に答えると、毒薬である。

 

「ふざけないで! なんで助ける意図で毒薬投げつけられなくちゃいけないの!? 貴方もレフと一緒で敵なのね、そうなんでしょう!?」

「……埒外の小娘、君は私を笑わせたいのかな?」

 

 オルガマリーの怒りと錯乱の抗議に、レフの呆れたように冷ややかな声が交ざって耳に届く。

 確かに敵とはいえ、レフが笑顔になってもこちらに不都合はない。むしろ取り繕ったものでない彼の笑みは個人的に嫌いではないし、笑みの有無や好みで敵を殺すことが変わるわけでもないので問題もない。そのような旨を説明しつつ、私はオルガマリーに毒薬のおかわりを勧める。

 

「……何を言っているんだ、貴様は」

「はいどうぞ、じゃないわよ! 飲むわけないじゃない!」

 

 私一人を相手にしていながら正反対の声量の二人。不思議なものである。

 レフが生きてきた場所は平穏な土地だったのだろうか。ノースティリスであれば笑っていようが泣いていようが敵は皆殺すべしなので、殺し合いの上での表情一つなど蘇生できる(這い上がれる)命以上に安いものでしかない。そしてオルガマリーにしても、飲ませなさいと言われたから勧めただけなのだが。死にかけてこそ救える命もあるのだから、助けると言ったこちらを信じて飲むか当てられるかしてほしい。

 本当にオルガマリーを助けたいのだ。それは私なりの方法になるが、覚悟は決して嘘ではない。

 

「貴方……。わかったわ、わかってあげるから、毒薬の瓶を押し付けるのはやめて頂戴」

 

 説得が通じたようで何よりである。ポーション投擲という行為は不意にやると、やられる側でなくともやはり精神に来るものがある。ポーションを投げてくるあれを嫌うあまり、酷いときは雪国で子供に雪玉を投げられただけで反射的に攻撃魔法を唱えようとしてしまったこともあるくらいだ。

 それはともかく、合意が得られたので毒薬をオルガマリーに手渡そうとする。彼女は少し躊躇ってから受け取り、こちらの目を見る。

 

「毒薬で救われる命って何よ」

 

 そんな正気に戻ったような口調で言わないでほしい。

 

「だってそうでしょ!? 死んで楽になれって、こと……」

 

 オルガマリーの体がふらつき、言葉尻がしぼむ。足に入る力も弱くなって倒れてくるオルガマリーを抱き止めると、おおよその感覚で彼女の残りの生命力を測る。容態と測定結果は、ついに回った毒で彼女が瀕死に近いことを示していた。毒薬一本でここまで効くとは、よほどオルガマリーは毒への耐性がないらしい。

 しかしこれで後は仕上げのアイテムを使うだけとなった。私は保管空間(バックパック)を漁って目当ての物を取り出そうとする。

 

 そしてどこからか小石が落ちてきて転がり、そのまま崖から落ちていった。

 

「だから言っただろう? そんなもの、語る価値もない愚行だと」

 

 レフの言葉が終わりきることを待つこともなく、崖が、洞窟全体が揺れ始める。収まる気配が微塵もない揺れは坂を転がるように激しくなり、落ちてくる石も岩へとその大きさを変え、地面が裂け始める。崖上にある傍の泉は降ってきた岩によって、人の身の丈を容易に超える水柱を生む。

 まるでネフィアが消え、新たに現れるときの地殻変動のような事態。これがレフの力なのか、しかし前触れを感じなかった、そのような思考が答えを求めて脳裏を駆け巡る中、彼は興味もないように明後日の方向を見詰める。

 

「この特異点もそろそろ限界だ。セイバーめ、聖杯を与えられながらこの時代を維持しようなどと、余計な手間を取らせてくれた」

 

 レフの体がオルガマリーのときと同じように浮かび始める。洞窟と天球儀の境界近くまで来た彼はこちら、そして崖下で落下物と揺れに耐えているマシュたちに視線を向ける。

 

「では、さらばだカルデアの諸君。そして埒外の小娘、貴様はせいぜいそこのオルガマリー(死にぞこない)と共に、時空の歪みに呑みこまれるがいい」

 

 空中に空いていた穴は元の景色を映し、レフの姿も光となって消え去る。どうやら彼はテレポートに近い魔法で先に脱出したようだ。殺意は出しても手は出さない、中々に余裕のある人物であった。

 

 石が雨のように降り注ぎ、絶え間なく水しぶきが上がる。この洞窟はもう姿を保てず、遠からず崩れ去ることはこちらも察した。しかしまだオルガマリーに対する最後の仕上げが終わっていない。ここまで毒で命を削った謝罪の意味も込めて優しく、私は彼女の体を縦長の運動器具に紐で吊るす。

 

「地下空洞が崩れます! いえ、それ以前に――貴方も離脱を――」

「あの子も連れ――所長も――」

 

 地響きと進む崩落の音に阻まれ、藤丸とマシュの声も途切れ途切れにしか聞こえない。それでも彼女たちがこちらにも脱出するよう訴えていることは辛うじて理解できた。しかしオルガマリーを放っておくこともできない。治癒の雨の魔法を唱えて毒を除去するとともにオルガマリーを癒す。これでこちらなりの救助は完了した。

 

 しかしまさかこんなことになるとは、と落ちながら考える。崩れた崖の一部をそのまま足場にして落下しているだけだから、運動器具に吊るしたオルガマリーごと上り直すこともできるだろう。ただし戻った先から崩れそうなので意味は薄い。

 それでもオルガマリーの帰るべき場所はある。私は運動器具ごとオルガマリーを抱きかかえ、落下物と地面の裂け目に注意しながら藤丸たちの下へ跳ぶ。

 

「手を!」

 

 一言、力強く純粋な言葉と共に、藤丸がこちらに手を伸ばす。それがオルガマリーだけではなく私にも向けたものだということは、彼女の瞳を見ればわかった。しかし私の帰るべき場所はそこにはない。

 オルガマリーをこの運動器具から離れないようにして連れ帰るべし、それが私なりの助けである。そのようなことをできるだけ大きな声で素早く藤丸たちに伝え、オルガマリーをマシュの胸に預ける。

 こちらの真上に降ってくる大きな岩を、勘に従い後ろに下がって回避する。岩が眼前に来ることで視界が遮られる寸前、意識がはっきりしたオルガマリーの口が動いたように見えたが、音までは届かなかった。

 

 重力と仲良く落下する。予想以上に崩壊が進んでいた洞窟の地面は、先の大岩でもってついにこちらの体を飲み込んだ。足場にするものもなく、掴める場所もない完全な浮遊感。中々に爽快である。

 全くもって胸が躍る危機だが、一つだけ後悔することもある。帰り道を聞きそびれてしまったことだ。この土地に来てからついぞ叶わなかったことに、暢気すぎたかと苦笑する。

 

 落下する中、魔法を唱える。何故か不発し始めたテレポートに代わって使用したのは、帰還の魔法。帰り道など知らずとも自宅に戻ることのできる素晴らしい魔法である。少しして私は笑みを強めると、脱出の巻物と帰還の巻物を使用する。

 そして、落ちる。

 

 そうだとは思っていた。魔法だろうと、巻物だろうと、祝われていようと、呪われていようと、意味などないと。帰還の魔法も二種の巻物も、使ったところで発動すらしないと思っていた。

 いや、知っていた。なにせ帰還第一の者が見慣れない場所だと気付いたとき、帰り道を尋ねるより先にすることなど一つしかないのだから。

 

 きっと目を覚ました後最初に目にするのは、心配そうにこちらの顔を覗くあの子たちの姿だろう。そんなことを考えながら、私は暗闇の中に沈んでいく。

 

 

      ◇◇

 

 

 いってらっしゃい。

 

 そんな夢を見た。

 

 

      ◇◇

 

 

 冒険者の朝は特段早くもない。夜通しネフィアを攻略して日が出た後にやっと外の空気を吸うということもあれば、一日中家に留まり、英気を養ったり所持品の調整をしたりして過ごすだけということもある。つまり決まった用事はなく自由に日々を生きているため、起床時間も様々なのだ。

 冒険者の睡眠事情としてよく語られる話は他にもある。それは成長の助けになる寝具であったり、睡眠中に起こる出来事だったりするが、寝ていようと気配に敏感になるという体験談もよく聞く。いつ敵が来るともわからないネフィア内で寝たり野宿したりと、そのようなことが避けがたい立場のため自然と身に付けてしまうのだ。勿論複数人で交代しながら睡眠を取ったり、設置したシェルターの中で安全に寝たりすることもできるので、必ずしもそうであるとは限らないのだが。

 ちなみに、私はこの手の話は大体当てはまる。ネフィアや依頼のために睡眠を最小限にすることはよくあり、反対に一日中あの子たちとのんびりして過ごす日もある。寝具はできる限り良い物を揃えており、ある神様が夢の中に訪れることを楽しみにもしている。そしてやはり、周囲の気配もまた然りである。

 

 未だ眠りから覚めきらないというのに、私の耳はその音を逃さなかった。珍しく浸るように意識を沈められていたのだからたまには休んでくれてもいいと思うのだが、そうは行かないと考えている自分もいる。殺されるだけなら辛うじて許すが、この期に窃盗や命と共に所持品の一部を失っては笑えない。そうわかっているからだろう。

 

「どうすればいいのよ……」

 

 それは聞き慣れ始めた彼女の声。悲嘆に暮れて怒る気力もなくなり、疲れ果てた先に残る感情の色。彼女の周囲も染め上げるような深い絶望は、確かにこちらの耳に届いた。

 

「起きなさいよ。助けるって、言ったじゃない。ここまで繋いでくれたじゃない。だったら、最後まで、わたしを……」

 

 言葉は嗚咽に代わり、それでも泣いていることを他人に悟らせまいというささやかな抵抗の結果だけが、静かな空気の中に取り残される。

 

 最後まで、と彼女は言った。助ける、と私は既に伝えた。ならばそれが予想していたあの子たちの声でなくとも、起きなければなるまい。

 武器を確認する必要もなく、詠唱する魔法を選ぶこともない。整えるべきはもっと優しい言葉だけでいいはずだ。

 

 そう思わないだろうか、オルガマリー。

 


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