時よ止まれ、お前は美しい   作:クトゥルフ時計

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 この話は第九話から日を跨がずに投稿されています。第九話をご覧になっていない方はそちらからお楽しみください。

 前話を読んでナマコの口を調べてしまった人は素直に手を挙げなさい。


第十話

 流される。抵抗も出来ず、戻ることも出来ない。一つの館内放送を契機として起きたそれに、花音は何かアクションを以て反応することが出来なかった。

 

 我先にと人々が大水槽の前へと殺到する。さすがにこの中を走り抜けるような非常識な輩はいなかったが、しかしそれでも、巻き込まれた一人の少女が困惑の表情で流されていくのを気に留めるような者がいるわけでもない。

 

 逢瀬とはぐれてしまった。方向音痴の彼女が一人で道を戻り再び彼に合流することは不可能に近い。元より水族館は薄暗く、それが更に不安を加速させている。

 

 どうしよう、どうしようと思考を回す。しかし何か案が浮かぶわけではなく、その間にも人波がやむことはない。

 

 その時、鞄の中に入れていたスマートフォンから軽快な通知の音が響いた。花音は人にぶつからないよう細心の注意を払いながらそれを取り出し、画面を見る。そこにはメッセージアプリのポップアップと逢瀬の名が書かれていた。

 

『今何処にいる?』

 

 わからない。それがわかれば彼女は方向音痴などになっていない。

 

『わかりません』

『なら、そこから何が見える?』

 

 具体的な質問だ。恐らくはそれを目印にでもして探すのだろう。花音は辺りを見回す。何か目印になるようなものは……

 

『水槽が見えます!』

 

 水族館なんだから水槽くらいあるだろう。直感だが、今どこかで逢瀬がずっこけた気がした。直ぐ様次のメッセージが届く。

 

『他には何かないかな?』

『人が沢山います!』

 

 水族館なんだから人くらいいるだろう。またどこかで逢瀬がずっこけた気がした。

 

 漫才のような遣り取りを繰り返していく内に、花音は人波の進行が止まったのを認識した。スマートフォンから目を上げると、そこには(くだん)の大水槽があった。大勢の人が餌やりが始まる瞬間を今か今かと待ち構えている。

 

『大水槽の前に着きました』

 

 そう明確な位置を伝えれば、逢瀬からすぐに『了解』という一言が送られてきた。やはり連絡先を知ることは大事だと、彼女は誰に向けるでもなく安堵の息を漏らした。

 

 スマートフォンを仕舞って大水槽を見上げる。ガラス一枚隔てた向こう側で悠々と泳ぐ魚たちを見ていると、楽しそうだと思うと同時に窮屈だと感じてしまう。所詮彼らに先は用意されていない。閉じられた楽園で好奇の目に晒されるだけの生を全うするのみだ。

 

 ……こんな魚相手に何を考えているのだろうと、花音はその思考を放棄した。一人でいるのが心細いからだろうか。だとすれば、一刻も早くこんな状況が終わってくれるのを願うのみ。自分からも逢瀬を探しに行くべきだと思い立ち踵を返そうとするも、その時再びスマートフォンが震えた。

 

『絶対そこから動かないでね』

 

 行動パターン、読まれてた。

 

 念押しされては仕方ない。言われた通りその場に踏み留まる。確かに方向音痴が好き勝手動いてしまえばどうなるかは自明。花音は肩を落とし反省した。

 

 再び大水槽を見上げる。薄い青が眩しい。そして暫く経った後、花音の手に別の手が触れた。軽く引っ張られる感触。逢瀬かと思い花音はその方向へ目を向けた。しかし、

 

「……えっと、君は?」

 

 そこにいたのは、逢瀬ではなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 大変なことになった。まず頭に浮かんだのはその一言だった。

 

 人波に流され見えなくなった花音を探す為、逢瀬は彼女が消えた方向に歩みを進めていた。彼女は比較的背が低い。更に明かりも乏しい館内だ。ただ闇雲に探して見つかる可能性などゼロに近い。

 

 ぶつかりそうになる人影を避け続け、その隙間を縫うように進む。その間、すれ違い目に入る全ての人間を花音の特徴に照らし合わせて判別するが、当然そう簡単に花音が見つかるはずもなく。

 

 放っておいたらまた彼女は何かしらのトラブルに巻き込まれる可能性がある。故に監視の目として自分が同行したはずだ。しかし現にその役目を果たせていない。なんたる体たらくかと逢瀬は自らを叱責する。

 

 そういえば。逢瀬は立ち止まってスマートフォンを取り出した。駅に着いたとき、今後のことを考えて花音の連絡先を聞いていたことを思い出す。彼女本人から居場所を聞けば全てが解決する。そう思い至った逢瀬は画面に指を走らせた。

 

『今何処にいる?』

 

 送った数秒後、メッセージの吹き出しの横につく既読の文字。しかし返ってきたレスポンスは『わかりません』という言葉。方向音痴である彼女に直接居場所を聞くことは出来ないと彼は判断し、聞く内容を変えメッセージを送る。

 

『なら、そこから何が見える?』

 

 これならどうだ。目立つ展示か何かがあればそれでいい。それを目印にして彼女の足跡を追える。そう思っての発言だった。この場においてこれこそが最適解であることは疑うべくも無い。

 

 が、しかし。花音は彼の予想を超えていく。

 

『水槽が見えます!』

 

 うん、水族館だからね。そりゃあ水槽くらいあるよね。

 

 危うく漫画のように転んでしまうところだった。もう少し普通の返答を期待していたのだが、花音もやはり〝ハロー、ハッピーワールド!(変人集団)〟の一員ということか。肝心なところでポンコツが顔を出した。

 

 しかしこの程度で驚いてもいられない。常と違う人間など今まで何度も見て来ただろう。そう自分に言い聞かせて気を取り直し、逢瀬は他に何か手掛かりがないか問う。

 

『他には何かないかな?』

『人が沢山います!』

 

 うん、水族館だからね。そりゃあ人くらいいるよね。

 

 だが違う。聞きたいのはそういうことではないのだ。せめてもう少し明確なモノを教えてほしい。花音から送られる内容はどれもこれもが抽象的に過ぎる。

 

 何か他にいい聞き方はないものか。花音がポンコツを発揮しないほどに具体的な答えを出させるようなものは。そう逢瀬が頭を巡らせ唸っていると、手の中でスマートフォンが震えた。

 

『大水槽の前に着きました』

 

 そのメッセージを目にして彼は思い至る。そういえばこの人波は皆大水槽の餌やりを目当てに移動を続けているのだから、それに流されていった彼女は最終的にそこに辿り着くはずなのだ。考えてみれば単純な話だった。

 

 逢瀬は早歩きで大水槽へと向かった。薄暗い館内で、走らないとはいえ速度を出すのは危険なのだが、それよりも花音を一人で放置する方が圧倒的に危険である。彼はそう判断した。

 

 その最中、花音に向けとあるメッセージを送る。

 

『絶対そこから動かないでね』

 

 先の乗り継ぎ駅での経験。花音と満員電車で分断されるという現在と似たような状況を既に味わっている彼は、こういうとき何より重要視すべきことをわかっていた。

 

 即ち、すれ違いの回避。花音のことだから、どうせ自分からも探しに行かないとなどと考えて好き勝手動くことだろう。それをされてしまうとお互いがお互いを見つけにくくなってしまう。それだけはなんとしても避けねばならない。

 

 そして、彼のその考えは実に正しかった。彼が大水槽の前に到着したとき、人混みの中で揺れるスカイブルーの少女を発見することは、きっとそのメッセージが送られていなかったら相当難しかったことであるからだ。

 

 やっと見つけた、と逢瀬は花音に近寄った。どうやら彼女は逢瀬に背を向ける形でしゃがんでいるようで、その視点は逢瀬の腰ほどしかない。何故彼女がこんなところでそのような行動に至ったかはわからない。それはまるで小さな子供に目線を合わせているかのような行動だ。

 

 いや、待て、子供?

 

「何をしているんだい、松原嬢?」

 

 声をかけつつ花音の横から彼女の正面を覗き込む。そこにいたのは────

 

「……いや、本当に何をしているんだい、君は」

 

 凡そ六、七歳ほどの子供だった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 手を引いていたのは小さな少年だった。

 

 歳は小学校低学年になるかならないかほど。大きな瞳に涙を滲ませ、潤んだ瞳で花音を見上げている。

 

 この子も迷子だろうか。ならば不安に違いないはずだ。きっと親とはぐれてしまって途方に暮れていたところを、同じく一人でいた──更に言うなら同じく迷子でありそうな──花音を見つけ、子供心で危険ではないと判断した彼女の手を引いたのだろう。たしかに花音からは思春期特有の刺々しさというものが感じられない。『この人なら安全だ』と思い、宛ら誘蛾灯に惹かれる蟲の如く近づいたのだ。

 

 困ったことになったと、時と場所は違えど逢瀬と同じようなことを花音は考えた。この手を振り払うわけにはいかない。それは流石に人としてどうかと思われる。しかしこのまま手を握って突っ立っていても解決はしない。どうしたものかと思案しながらじっと見つめていると、少年の瞳に溜まる涙の粒が大きくなっていく。

 

 これはまずいと直感した。花音は慌て、何か泣き止ませることができるようなものがないかと鞄をまさぐる。そう都合のいいものなど入っていないと半ば諦めながらの所業であったが、どうやらいるかもわからない神は花音に味方をした。指先に軽い感触が齎される。摘んで引き出す。それは以前水族館のペアチケットと同じく福引で当てたミッシェルのお面だった。

 

 それを見た花音の行動は早かった。直ぐ様お面を頭に着け、目線を子供に合わせ、とびきり明るく振る舞って、

 

「み、ミッシェルだよー」

 

 正直な話、恥ずかしさで死にそうだった。穴があったら入りたい。

 

 しかし花音の恥は無駄にはならなかったようで、少年の瞳から零れそうだった涙は落ちる寸前でその質量を増すことを停止した。よかった、と一息。

 

 だがこれからどうしようか。彼女一人ではどうすることもできない。せめて逢瀬がいてくれたら相談することも出来たのに。そう願わずにはいられない。

 

 そして今度も、神は花音の味方をした。

 

「何をしているんだい、松原嬢?」

 

 後ろから聞こえてきたのは逢瀬の声。彼は花音の横から顔を出し、子供と花音を交互に見比べ、

 

「……いや、本当に何をしているんだい、君は」

 

 それは私が聞きたいです。羞恥に顔を赤らめ、頰を膨らませて逢瀬を可愛らしく睨む。なんの迫力もないそれだったが、それでも逢瀬に少しばかりの罪悪感を感じさせるには十分だった。すまないと一言謝り、再び視線を子供に移す。

 

「それで、この子は? 見たところ迷子のようだけど」

 

 花音はこれまでの経緯を説明した。大水槽の前まで流されたこと、そこで子供に手を引っ張られたこと、……そしてミッシェルのお面を着けている理由も。聞き終えた逢瀬は顎に手を当て思案顔をする。

 

「とりあえず迷子センターまで連れて行こう。館内放送で親を探してもらえるはずだ。それが最善────」

「いやっ!」

 

 最善だと思うよ、と言う逢瀬の言葉を遮り、これまで黙っていた少年が叫んだ。突然の事態に逢瀬と花音の動きが止まる。

 

「それはまた何故?」

「いやなものはいやなの!」

 

 どうあっても拒絶の意思を曲げない少年の言葉に、逢瀬は一種の真剣さを見出した。言葉は幼稚だが、この声に込められた感情は本物だ。何か言いたくない理由があると見るのが妥当だろう。

 

 ならば捨て置くか。否、それが出来ないのが逢瀬という人間性である。彼はその場にしゃがんで片膝を突き、少年に目線を合わせる。

 

「そう、わかった。ならそこには行かない。僕が君の親御さんを探してあげよう」

 

 人の良さそうな笑みを浮かべて、逢瀬は少年にそう告げた。少年は少し複雑そうに俯きながらも、小さく「わかった」と答える。

 

 腰を上げ、逢瀬は花音に向き直る

 

「なら決まりだね。ごめん松原嬢。勝手に決めて」

「大丈夫ですよ。私も放ってはおけないです」

 

 でも、と花音は苦笑した。

 

「お人好しですね」

「……うん、自覚はしてる」

 

 逢瀬は目を伏せ花音の言葉を受け止めた。気を取り直し、再び少年へ目を向ける。

 

「君、名前は?」

 

 短く発せられた質問。その問いに少年は一瞬、果たして正直に告げていいものかと迷いを見せる。きっと自己防衛に関しての教育の賜物だろう。

 

 しかしそのままでは状況が進まないと彼も何処かで理解しているのだ。直ぐ様それを断ち切ったように頭を振って、意を決したかのように己の名前を告げた。

 

「……()()藤井蓮(ふじい れん)、です」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 歓声と感嘆。大水槽の前に集まった人々は皆一様にその青を見上げ声をあげる。彼らの視線の先に見えるのは、水槽の上方から降ってくる餌の断片と、それに食らいつき泳ぎ回る無数の海洋生物達だった。

 

 そんな神秘的とも言える光景を、花音は瞳に映し脳裏に刻んでいた。視界の端から端を移動する魚達。水の青に照らされたそれらの光が目を刺激していく。

 

 こういった海洋生物の捕食シーンなど滅多に見られるものではない。これが見れただけでも相当に貴重な体験だと言える。人波に流されてここまで来てしまったのも無駄ではなかったと、花音は不運から生まれた幸運に感謝した。

 

「みーえーなーいー」

「なら肩に乗るかい?」

「乗るー!」

 

 そんな花音の横で、大水槽が見えないと文句を言う蓮を、逢瀬が肩車していた。逢瀬は花音に比べ頭一つ程度身長が高い。そんな彼が子供とはいえ蓮を持ち上げれば、蓮の視点は人々の中でも突出する。嬉しそうに目を輝かせる蓮を見上げ、花音は逢瀬に言った。

 

「なんだか親子みたいですね」

「そんな歳じゃないんだけど……そう見えるのかな」

 

 困ったように彼は笑う。興奮した蓮が「おおー」などと騒ぎながら彼の紫紺の髪を叩き掻き乱す。整った逢瀬の頰に冷や汗が一筋流れた。苦労人だなあ、と花音はその様子を眺め思う。

 

 アナウンスが流れる。今大水槽内ではどのような魚がどういったモノを食べているのかなどの内容だ。投下された餌が見る見るうちに消えていく。ぼんやりと見ていただけでも既に佳境は過ぎ、そろそろこれも終わりの時間だと告げる女性の声が拡声器越しに響く。

 

 人が散っていくのが見えた。時間にすれば凡そ五分ほどのショーではあったが、それでも有意義な時の過ごし方だったと思える。

 

「楽しかった?」

 

 逢瀬が蓮に向けてそう問うのが聞こえた。逢瀬の肩の上にいる蓮は、まだ余韻が残っているのか口が半分閉じていないながらも、直ぐにその顔を笑顔の色に染めた。

 

「うんっ!」

 

 快活な返答。たった一言ではあるが、その声に含まれた喜色が、蓮が今どのような気持ちでショーを眺めていたのかを物語っている。

 

「そう、よかった」

 

 逢瀬も短くそう返し、蓮を降ろす。楽しんでもらえたならそれで良いとばかりに彼も微笑んだ。

 

「さて、まだ終わりじゃないよ」

 

 逢瀬は蓮に手を差し出す。蓮はその意味を理解出来ていないのか、頭の上に疑問符を浮かべ首を傾げていた。

 

 逢瀬は微笑みの中でウィンクを飛ばし、告げる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉の意味を蓮は正しく理解した。つまり逢瀬はこう言っている。〝一緒に水族館を楽しもう〟と。

 

「今日だけは、少し悪い子になってしまおうか」

 

 そうして、蓮は逢瀬の手を取った。




 私、基本的にサブキャラやモブキャラに名前つけない主義なんですよ。だから度々登場するマネージャーにも名前が無いんです。ですが彼にだけはつけないといけないと思った。だって思いついてしまったんだもの。

 そしてまた増える文字数と話数。まさかここまで伸びると思ってなかった。次の話はまだ書いてないので予定は未定です。

 ここからは評価してくださった方のご紹介。

☆9 ソウソウ様、ナルカミトオル様

 投稿から六時間しか経っていないのに二人の方が評価してくださいました。嬉しいことです。小躍りしてますもの、私。

 それではまた。感想、高評価いただけると更新速度がナメクジからエチゼンクラゲ程度には上がります。
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