時よ止まれ、お前は美しい   作:クトゥルフ時計

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 とある諸事情により、私の書いていた作品全てを一ヶ月ほど全編非公開にしておりました。ご心配をおかけしてしまった方々がいらっしゃれば、この場を借りて謝罪致します。

 今回はコメディ。コメディだよ。コメディの練習なんだから本来全編こうあるべきなんだよ。わかってるかおい私。シリアス好きだから仕方ないね。


第十三話

 インクの染みた紙。描かれた過去の断片は鮮やかに、どこかの時代に起きていたはずの情景を写し出す。

 

 頁を捲る。想起せよ、そこに在る過去を。

 

 頁を捲る。回起せよ、かつて見た過去を。

 

 頁を捲る。喚起せよ、いつか居た過去を。

 

 潮騒のように走るノイズを、◾️◾️◾️◾️として定着させよ。

 

 喧騒のように響くノイズを、◾️◾️◾️◾️として固定させよ。

 

 ◾️◾️◾️◾️は健在である。◾️◾️◾️◾️は健在である。◾️◾️◾️◾️は健在である。

 

 そう示せ。そう顕せ。それこそが、◾️◾️◾️◾️の成すべき至上命題である。

 

 演劇を踊れ。歌劇を謳え。◾️◾️◾️◾️という理想は、◾️◾️(理想)を舞ってこそ美しい。

 

 故に、さあ────舞台装置の糸を引こう。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 とある日の昼下がり。テレビ局の楽屋の一室。逢瀬はワイドショーの撮影を終え帰路に就こうとしていた。

 

 その日出演したのは料理番組、そのゲスト枠である。『毎週違うゲストを呼んでその人物に料理人の助手をやらせる』といったコンセプトの番組で、今週白羽の矢が立ったのが逢瀬だったのだ。

 

 中々上手くできたと、逢瀬は先の己の手際を思い出す。料理人本人よりも目立っていたと撮影終了後にディレクターから苦笑いで言われたが、逢瀬という個性故にそれは仕方ないことだと勝手に納得されていた。

 

 いつもは行く先々に同行するマネージャーは今日はいなかった。行きまでは一緒だったのだが、片付けなければならない急な要件があるとのことで一足先に事務所に戻ったのだ。

 

 予定を書き込んである手帳を開いてこの後特に何も予定がないことを確認する。荷物を纏めて楽屋を出ようとしたとき、ポケットに入れていたスマートフォンが着信の振動に震えたことがわかった。

 

 見ると、送り主は以前連絡先を交換した丸山彩であった。

 

『今時間ありますか?』

 

 端的な文章。彩からこうしてメッセージが送られてくるのは初ではなく、また、さして珍しいことでもなかった。

 

 最初に電子上の言葉を交わしたのは連絡先を交換した二日後。その日のレッスンを終えたのであろう彼女から、パスパレの面々がそれぞれの練習に打ち込んでいる様子の写真が送られてきたのが始まりだった。

 

 以来、逢瀬と彼女は度々言葉を交わしている。彼の方から送ることは少ないが、何か向こうから話しかけられればそれに返答する程度のことなら日常的にやっていた。その中で、彩から「時々瀬田さんの公式アカウントの方に間違えて送っちゃうんですよね」と言われたことをよく覚えている。

 

 再びメッセージのポップアップが画面上に飛び出す。

 

『お時間があるなら私たちの練習見てもらえませんか?』

 

 逢瀬はスマートフォンの画面上方に記されている時間表示に目を向けた。時は十四時半ほど。事務所内のホワイトボードに書かれていたレッスンルームの予定表によれば、たしかこの時間帯はパスパレがそこを使用すると記されていた。

 

 その記憶通りならば、彩を含むパスパレの面々は今現在練習中なのだろう。

 

『勿論いいとも。子猫ちゃんの頼みとあらばね』

 

 断る理由もなかったため、逢瀬は二つ返事で了承した。すぐに既読の文字がつけられ、『事務所で待ってます』との返信が届いた。

 

 スマートフォンを仕舞い楽屋を出る。窓の外に立ち込める暗雲を見上げ、一雨来そうだと嫌な感慨を抱いて、逢瀬は事務所の方へ足を向けた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 暫し電車に揺られ、事務所の中と外を隔てる自動ドアを(くぐ)る。結局ここに至るまでに雨に降られることはなかった。その幸運に感謝して、彼は右手にコンビニのビニール袋を提げて事務所の廊下を進む。

 

 季節は未だ六月下旬であるが、どうやらこの島国の気候というものは最近になって四季と加減という概念を忘れたらしい。梅雨明けの宣言が為されていないにも関わらず外の空気は蒸すように熱されていて、その対策の為か、事務所内の空調はこの時期にしては珍しくフルで稼働していた。

 

 彼の持つビニール袋の中に入っているのは数本のスポーツドリンクだった。楽器の演奏には体力も神経も日常生活以上に酷使されることは想像に容易い。そこに何か栄養源となるものを注がなければ疲労とストレスが溜まる一方である。

 

 レッスンルームの前まで辿り着き、扉を叩く。返事はなかったが、間隔を空けずに中から──恐らく日菜のものと思われる──笑い声が聞こえてきた。

 

 きっと何かに気を取られて気づいていないのだろうと判断し、逢瀬は扉を開いた。そしてそこで見たものは────

 

「……あっ」

 

 人差し指を一方向へ向け、手を胸の前に掲げ、片足を挙げてウィンクする謎の姿勢を取った彩であった。

 

 先の『ヤバイ、見られた』というような音色を含む声を発したのは、逢瀬の方を向いて微動だにしない彩だった。その横では日菜が腹を抱えて大笑いしている。更に視線を横に動かせば、どのように反応したらいいのか困っているであろう麻弥と、何故か目を輝かせて彩を見つめているイヴの姿があった。

 

 逢瀬はそれぞれに視線を巡らせる。最後に彩に目を固定し、僅かな空白の時間の後、逢瀬は己の胸に左手を当て、キザに微笑みながら告げた。

 

「ああ、実によく君の魅力が表現されているポーズだ。それは君というアイドルをこれ以上なく愛らしく魅せるものに他ならない。ミロやボッティチェッリがこの世に(あらわ)したヴィーナスでさえ、僕の心にここまでの印象(しるし)を刻むことはなかったとも。

 ……うん、だから、その……その顔をやめてくれないか」

 

 普段通りの歯が浮くような台詞だったが、最後の言葉尻は困ったような声音だった。そして、逢瀬がこのような声を出したのには当然理由があるわけで。

 

 その発端たる彩は現在、顔色をわかりやすく赤や青に塗り替えながら、恥ずかしさと混乱の最中(さなか)にいた。

 

 研究生時代からずっと改造と改変を繰り返してきた己の必殺ポーズを見られた。それ自体にさして問題は無いはずなのだ。事実、パスパレメンバーに披露した時は──各々に妙な反応をされたとはいえ──恥ずかしさなど微塵も感じなかった。

 

 それが今は違う。ただ見られたのが逢瀬であるというだけなのに、心の中には先程までは全く存在しなかったはずの〝恥〟という概念が渦巻いている。その理屈がわからなくて、彩は余計に混乱してしまう。

 

 彼の顔が真っ直ぐ見れない。何故自分はいつも、憧れの人に恥ずかしい一面を見せてしまうのか。そんな一寸の後悔が飛来し思考の暗黒に消える。

 

 最終的に、彩の目の端に浮かんだ涙が導いた結論は、現状からの逃避だった。

 

「うわああああああああん!!!」

「丸山嬢────!?」

 

 火を吹きそうなほどに熱を持った顔を覆って、逢瀬の横を通過し彩はレッスンルームの扉を飛び出した。その背中を逢瀬の困惑の声が追いかける。だが、それを大人しく聞き届けるだけの余裕は、残念ながら今の彩には存在しなかった。

 

 走り去る彩の背中を眺め、逢瀬は唖然とした表情で立っていた。果たして自分は何かしてしまっただろうか。疑問の答えは脳内で決議されることはなく、それでもきっと自分が原因なのだろうという確信だけが、逢瀬の中に募っていた。

 

「あー、泣かせたー」

「人聞き悪いこと言わないでくれるかな!?」

 

 日菜から茶々が飛ばされる。彼女は先と同じくとても楽しそうに笑っていて、今眼前で行われている不定形な茶番劇を外野から眺めて野次を飛ばすことを至上の喜びとしているように見えた。それらしく言うなら「るんっ♪ てきた!」というところだろうか。

 

「なるほど! これがサナダノブユキとサナダユキムラの涙の決別ですね!」

 

 そう言って、一人少々別の方向性で興奮しているのが若宮イヴである。外国人特有のズレた日本かぶれを内に宿す彼女には、彩が混乱の末走り去っていったこの構図が、第二次上田合戦に至るまでの真田兄弟の葛藤にでも見えているのだろう。

 

 それは少し……否、だいぶ違うのではないかとその場にいる誰もがイヴに対しそう思った。逢瀬は一度息を吐き、ビニール袋からスポーツドリンクを一本取り出すと、残りを日菜に渡した。

 

「僕は丸山嬢を探してくるから、君たちはそれでも飲んでいてくれ。根を詰めるのも悪いとは言わないが、それで君たちの身に何かがあれば僕の心が痛む。休息は必要だよ」

 

 告げ、逢瀬はレッスンルームを出た。彩がどこに行ったかは定かではなくとも、精々が屋内である。近場から(しらみ)潰しに探せばいつかは巡り会うだろう。たとえそうではなくとも、彼女から自発的にレッスンルームに戻ってくれれば御の字だ。

 

 通路を右へ。階段を上へ。通路を左へ。階段を下へ。行ったり来たりを繰り返し、歩き回ること凡そ十分ほど。レッスンルームの存在する階層の二階上の自販機スペースのベンチに彩は座っていた。その顔は何処と無く暗い。

 

「見つけた。人を惑わせるのが得意な子猫ちゃんだね、君は」

 

 近づき、スポーツドリンクを差し出す。彩は一瞬それと逢瀬の間に視線を彷徨わせた後、おずおずと受け取った。

 

「走って疲れただろう。栄養補給は重要だよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 礼を言い、彩はペットボトルに口をつけた。細い喉を上下させ、渇いた身体に生命の潤滑油を流し込む。わざわざ己を探してこれを持って来てくれたという彼の優しさが、彩の心に少しばかりの軋みを齎す。

 

 逢瀬が彩の隣に座った。本来ならレッスンルームを飛び出して来てしまった彩を連れ戻すのが彼の目的であるのだが、その行動を見るに、恐らくは自分が落ち着くまで待ってくれるのだろうと彩は推測する。

 

 本当に、人がいい。他人の身勝手にすら付き合おうとするなど、少々献身的が過ぎるのではないか。ペットボトルを両手で握る。少し(ぬる)くなった冷たさが心地いい。

 

「ああそうだ。一つ聞かせてくれないかな」

「なんですか?」

()()だよ。練習を見てほしいから来てくれ、とのことだったけど、どうして僕なのかな」

 

 逢瀬から投げられた疑問。先のメッセージは、客観的にはただリスナーを欲しているだけにも見える。それならコーチで事足りるだろうし、それでダメなら事務所内を歩いている暇そうな誰かを捕まえればいい。

 

 それが彼には疑問だった。

 

「えっと、それはですね……」

 

 彩の説明によれば、どうやら事の発端は逢瀬のマネージャーらしかった。

 

 彩が偶然事務所の廊下でマネージャーと遭遇し、世間話がてらそういった話をしたところ、「ならそろそろ撮影終わる頃だし、逢瀬くんに頼んでみたら?」と言われたらしい。

 

 彩としては、こんな駆け出しアイドル──というよりアイドル未満──の我儘に超有名人を付き合わせていいのか恐れ多い気持ちだったが、考えてみれば弱音を吐いたり連絡先を聞き出したりと、割と我儘はやらかしていた。

 

 ならば後は、その我儘の数が二から三になるだけである。彩だって、()()()()()()()()()()()()()()()()出来ることなら見てもらうのは逢瀬がよかった。もっとも、それは口には出さないけれど。

 

 あとはそう、もう一つ。

 

「瀬田さん、ダンスお得意だって聞いたので。マネージャーさんが言ってました」

「……彼女は随分僕の個人情報を漏らしてくれるね」

「あははっ。それで、迷惑でなければ私にも教えてほしいなー、なんて……」

「昔取った杵柄だが、僕に教えられることなら喜んで教えよう」

 

 彼のマネージャーが言っていた一つの事実。逢瀬は過去にとあるPVでダンスを披露する機会があった。その時に鍛えたテクニックが彼には身についているとのことだ。

 

 逢瀬の運動神経は悪くなく、むしろ相当いい方だ。流石にアスリートには及ばないが、一介の成人男性と比べればその身体能力は飛び抜けているといえる。

 

 多大な私情が混ざっているとはいえ、彩が逢瀬を呼び出す大義名分はそれで十分だった。

 

「それじゃあ、戻ろうか、丸山嬢」

 

 逢瀬が席を立つ。彩もそれに続いた。

 

「ああ、それと、まだ聞きたいことはあったんだ」

 

 レッスンルームに向かう途中、思い出したように逢瀬が言った。

 

「結局、君はどうして逃げたんだい?」

「……聞かないでください」

 

 言えない。「必殺ポーズを見られたのが恥ずかしくて逃げました」などと、口が裂けても言えるものか。

 

 失態の記憶が二度目の恥ずかしさを再来させる。気まずい沈黙を保ったまま、彩は顔を赤くして、早くレッスンルームに辿り着くことを願うしかなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 彩を引き連れレッスンルームへの入室を果たした逢瀬は、彩への指導に先立って羽織っていた上着を備え付けの椅子に放り投げた。続いてポケットからヘアゴムを取り出し、(なび)く長髪をポニーテールの形に纏める。最後に髪を指で流して頭を軽く揺らす。その動作だけで、まるで洋画のワンシーンのように辺りの空気が輝いたかに思えた。

 

「いやー、あの人本当にすごいっスね。ジブンと同じ人間なのか、なんだか信じられなくなりそうです」

 

 逢瀬の準備を見てそう(こぼ)したのは麻弥だ。物語の中から飛び出してきたかのようだ、という前評判に違わぬのは以前の接触で既に確認済みだったが、何度見てもそのオーラというものには目が()かれる感覚が拭えない。

 

 その麻弥の発言を知ってか知らずか、逢瀬は彩の前に立った。どこか熱っぽい視線を輝く雰囲気の中心に居る逢瀬に送り、心此処に在らずといった風体(ふうてい)の彼女と逢瀬の対比は、逢瀬自身の堂々とした態度も相まってひどく格差があるように見えた。

 

「さあ、呆けている時間は終わりだよ、丸山嬢」

 

 その一言で彩の意識が現実に引き戻される。そこで漸く逢瀬が目の前にいることに気づいたのか、「はわっ!?」と間抜けな驚愕の声を放って後ろへ飛び退いた。

 

「ふふ、そう逃げないでおくれ。何も取って食おうというわけではないよ」

「あっ……す、すみません」

「謝らなくてもいいさ。まずは深呼吸とリラックスからだ。精神状態とパフォーマンスはリンクしているからね。

 さあ、瀬田逢瀬のダンスレッスンの始まりだ!」

 

 大仰に両手を広げ、逢瀬はそう宣言した。

 

 彼が彩に最初にやらせたのは、普段コーチの(もと)でやっている基礎の練習からだった。まずは相手がどこまで出来ているか確認する。それは誰かに物事を教えるという行為においての最優先事項であったからだ。

 

 それを繰り返させること、凡そ数分ほど。

 

 彩がいつものメニューをこなし終えて逢瀬に目を向けると、彼は困ったような顔で眉間を揉んでいた。

 

「丸山嬢……言いにくいんだけど、君実はそんなに運動得意じゃないね?」

「……やっぱり、わかっちゃいます?」

 

 あはは、と苦い笑いを浮かべる彩。彼女の身体能力は、実を言えばそれほど高くない。

 

 跳び箱を例に挙げるとすれば、彼女は小学生でも跳べるような段数で引っかかる。足が速いわけでもなく、年度初めのスポーツテストの五十メートル走では、並走する出席番号が隣同士の友人に置いていかれることもしばしばだった。

 

 決して輝かしいとは言えない、己が過去に積み重ねてきた失態を思い返し、彩は少しばかりの沈んだ感情に支配される。

 

 しかし逢瀬が何よりも目についたのはそこではなく、彩の身体の柔軟性についてであった。

 

「身体が硬い。そうなると五体を動かせる範囲も限られるし、他人の目に映る君の見栄えも悪くなる」

 

 運動全般に言えることだが、こういったものは一朝一夕で改善できるものではない。

 

 日々の反復。出来ていないなら出来るようになるまで、癖がついていればそれを矯正するまで、有効な改善策を講じ続けることが最も重要な事項である。彩とてこれまで全く何もしなかったということはないだろうが、それでも不得意を覆すほどの〝回数〟が足りていない。

 

「今日からでも出来ることとして、とりあえず風呂上がりに十分くらい柔軟体操をしてみるといいよ。身体を柔らかくする方法としては有名だろう。すぐに効果はわからないだろうけど、繰り返してれば(じき)に何かが変わるはずだ」

 

 ならばまずは回数(それ)を増やす。闇雲にやればいいというわけではないが、かと言って動かなければ進展など望むべくもない。

 

 彩もそれは承知の上なのだろう。露骨にではないが、僅かな悪感情が表情から滲んでいる。

 

「じゃ、じゃあ、一つだけ! ……お願い、聞いてくれませんか」

 

 その悪感情の苦味を吹き飛ばすように、彩は逢瀬に迫った。彼女の心臓がその脈動を早める。顔が熱を持ち、喉を締められるような緊張が彼女の決意を縛り付ける。

 

 その全てを振り払い、彩は意を決して言葉を紡いだ。

 

「その……毎日、私にそのことを言ってください! 連絡してください! そうすれば絶対忘れないので!」

 

 言ってすぐ、彩はハッとした。ひょっとして、自分は今とんでもなく無礼なことを口走ってしまったのではないか? 

 

 また我儘を重ねてしまう。かつてした身勝手と同じように、また頼りたくなってしまう。先程感じていた恐れ多さはどこへ行ったと己の浅慮を恥じた。

 

 急いで謝ろうと思った。誤魔化すように手を振って「違うんです!」と要領を得ない弁明を繰り返す。

 

 しかし、それに対する逢瀬の反応は、彩の予想の中で行われていたものとはかけ離れていた。

 

「なんだ、それくらいなら喜んで役目を背負わせてもらおう」

 

 一瞬の逡巡すらなく、逢瀬は二つ返事で了承した。「へ?」と、彩の口から状況理解を成し得なかった脳が発したメッセージが漏れ出る。

 

「え、えっと、いいんですか?」

「いいとも。シンデレラに定刻を告げる鐘の役だ。責任を持ってやり遂げるさ」

 

 頼まれたことはただ連絡をするだけなのだが、逢瀬が『する』と言うだけで、それがまるで運命を左右する重大な出来事かのように彩には思えた。

 

 シンデレラ云々はよく理解出来なかったが、要するに請け負ってくれるということだけははっきりと理解出来た。そしてすぐにそれが意味するところを察する。

 

 それはつまり、憧れの人と毎日遣り取りができるということで────

 

 それに気づいた瞬間、彩は本日何度目になるかもわからない赤面を晒した。涼しい屋内にいるというのに、熱中症にでもなったかと思うほどの見事な赤だった。

 

 燃え上がる。混乱と情念が渦を巻いて、茹で上がる意識の中で炎の螺旋を描いて混ざる。

 

 もう限界だった。脳がオーバーヒートを起こして沸騰し、早まる脈動が全身を駆け巡る。彩は遂に己の重みを支えることすら困難になり、(もつ)れた足が子鹿の如く奇怪なステップを踏む。

 

 そして最後、とうとう耐え切れなくなって床に倒れ────

 

「おっと、大丈夫かい?」

 

 ────そうになったところを、逢瀬が抱き留めた。自然と近くなる物理的な距離。かつて眺めることしか出来なかった美貌が、今、自分と密着して顔を覗き込んでいる。

 

 紫紺の瞳が桃色の瞳と交わる。その刹那に満たない視線の交差を、彩は永遠に等しく感じていた。

 

 早くなる鼓動。渦巻く思考。この場を切り抜ける最適な方法を脳が検索する。どうしよう、どうすればいい、どうするべきだ。無限に繰り返される果てなき(まわ)灯籠(どうろう)の回帰が導いた結論は一つだった。

 

 即ち、

 

「……きゅう」

「丸山嬢? ……丸山嬢────!?」

 

 意識を手放し、思考を放棄する。詰まる所、気絶だった。




 私が〝人間〟を書くと、誰かしら何処か振り切れてしまう。すまんな丸山。

 ここからは評価者の方々。
☆10 百式短機関銃様、フンババ様
☆9 暁ネズミ様、まさに外道様、黒鵜様、Alan=Smitee様
☆8 梅屋様、アオン様

 あなた方に最大の感謝を。

 感想、高評価などお待ちしております。来ると作者が喜びます。

 次の更新は私がゲッテルデメルング終わらせてからです。
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