あと今回は最初に報告を。このまま書き続けると流石に内容が引っかかるかと思って、タグにアンチ・ヘイトを追加しました。
音が止んだ。弦を弾く音も、歌声も、そして歓声までもが一瞬にして停滞する。それはまるで、時が止まったかのように。
ステージからは驚愕が、客席からは困惑が見て取れる。無理もない。こんな事態、誰一人として予期していた者はいないのだから。
「……っ、……あ……」
ステージ上の彩が何かを言おうとして口を開く。が、声はいつになっても出ることはない。息が詰まったように開閉を繰り返すだけだ。
客席から野次が飛ぶ。恐らくは、ここにいる観客のほぼ全てが把握したのだろう。今日のお披露目ライブは、全部ヤラセだったのだと。
その全容を、ステージ袖から逢瀬は眺めていた。後ろを振り返ればスタッフ達が慌ただしく蠢いている。聞こえてくる言葉の端々から察するに、原因は機材トラブルだろう。
誰が悪いだとか、何が悪いだとか、そういう話ではない。ただ運が悪かった。それだけの話だ。
これでパスパレの評判は地に落ちた。挽回するには相当の苦労が付き纏うということは想像に難くない。
ポケットからスマートフォンを取り出し、SNSアプリを起動した。検索窓にパスパレと打ち込んでみれば、リアルタイムで多数の呟きが上から下へ流れていく。その中に彼女らを庇う意見は少数だ。
かねてより注目されていた一大プロジェクト。可愛さ余って憎さ百倍、とは少し違うだろうが、得てしてこういうものの失敗というのはマイナスイメージが大きくなりやすい。それら全てを払拭するのはどんな手を駆使しようとも困難だ。
それに、本当に大変なのはここから。どこの国にも、有名人の失敗という火種を見つけたら、そこに油を注がなければ気が済まない卑しい人種がいるものだ。ネットニュースや個人ブログの運営者は、今嬉々として記事を書いていることだろう。
そして、これは逢瀬にとっても他人事ではない。事務所が同じなのだから、これから行く先々で身内としてのこの件についての所感を聞かれることだろう。その度に当たり障りのない返答をしていかなければならないと思うと……。
あとは少しばかりの火消しの手伝いだろうか。SNSのオフィシャルアカウントか何かでパスパレを庇う発言をすれば多少はマシになると思うが、それで収まるのはほんの一部だろう。
スマートフォンが振動と共にメッセージの着信を知らせた。広く連絡用に使われる別のSNSアプリだ。開いてみれば、その送り主はマネージャーだった。
『大変みたいね。こっちも大騒ぎよ』
『それはそうだろうね。こんなのは前代未聞だ』
『今からどうやって後始末つけるかの緊急会議が開かれるわ。とりあえずあなたにもやってもらいたいことがあるんだけど、いい?』
『なにかな?』
『ブログとかSNSとかでパスパレのことを庇って。内容は任せるから。と、全部私の上司に言われた』
……予想的中。火消しに駆り出されるようだ。マネージャーだって社会人。上司命令には逆らえない。その割を食うのはいつだって逢瀬達タレントなのだが、それを当の上司連中はわかっているのだろうか。
ため息を吐いてスマートフォンの電源を落とす。何かしら上手い文言を考えなければならない。露骨すぎず、パスパレへの攻撃をやめてもらえるよう暗に伝わるような丁度いい文句を。
ステージを見る。既にパスパレの面々は撤収した後のようで、跡には使われることなくその役目を終えた楽器がひっそりと佇むのみだった。
◇◆◇
――――Pastel*Palettes楽屋。ステージから逃げるように撤収してきた少女達は――一人を除き――皆沈鬱な面持ちでそこにいた。空気が重い。喉が詰まりそうだ。
ドラム担当の大和麻弥の弁によれば、今回の騒動の原因は機材トラブル。電圧の問題が、などと麻弥は言っていたが、正直、専門外なこともあって誰も理解はできなかった。言うなれば不幸な事故。言葉にすれば単純なことだ。
だが、彩はそんな単純な言葉でこの問題を済ますことを是としなかった。詰まる所、今回の事故は本来防げたはずのものなのだ。きちんと練習して、録音した音声なんかに頼らずに正々堂々やっていれば――――。
そんなもしもが頭を過る。その中で思い出されたのは、ステージ袖で出会った瀬田逢瀬の言葉だ。
――――〝緊張しすぎないで、落ち着いて、あとは練習した通りに。そうすれば万事うまくいくものさ〟
テレビが好きな女の子なら誰もが一度は憧れる大スター。王子様だなんて大袈裟な文句だと思っていたけれど、いざ目にしてみればそれはなんの脚色もない言葉だとわかってしまうほどのオーラを持っていた。
そんな人からの応援さえも裏切ったのだと、彩は改めて理解する。同じ事務所というのなら、今後も顔を合わせる可能性は無いわけではない。そんなとき、一体どんな顔をすればいいのだろう。
また憂鬱の種が増えてしまった。彩は顔を暗くして俯く。こういう時ばかりは、今も一切ネガティブな感情を表に出さないギター担当の少女が羨ましく思える。
氷川日菜。常に明るく振る舞う稀代の天才少女。名は体を表すというが、それに則るなら彼女の
そして、日菜ほどではないが彩ほどネガティヴでない少女といえばもう一人。日菜の正面で何か話しているのは、モデルの若宮イヴ。日本人離れしたその容姿からも察せられるように、彼女は日本とフィンランド出身の両親を父母に持つハーフだ。
彼女達の間で話題に挙がっていたのは、先程から彩が憂いている瀬田逢瀬のことだった。
「そういえばさ。ライブの前に会ったあの
……何だと?
日菜の発言は、この場にいる誰しもが聞き流すことの出来ない言葉だった。
気づいていた? この失敗を予期していたというのか、あの男は。
困惑の最中、メンバーの中で唯一、千聖はそれらしき発言を彼から投げられていたことに気づいた。
――――〝君、楽器の経験は?〟
まさか、全てわかっていた上で? ステージで歌う気なんて無いことをハナから見抜いていて?
恐るべき観察眼と言うべきか。その推察の答え合わせは、あの場、ステージの上で明確に示された。
面々がその結論に行き着いたとき、不意に楽屋の扉が開かれる。視線が一斉に集中した。
「さて、何やら此処から僕の名を呼ぶ子猫ちゃんの声が聞こえたが……どうやらタイミングは完璧だったようだね」
そこに立っていたのは、艶めく紫紺の髪を靡かせた瀬田逢瀬だった。不敵な笑みを浮かべて楽屋に入る。
「……瀬田さん」
「おっと、そんなに睨まないでくれよ白鷺さん。何も、僕は君達を責め立てに来たわけじゃない」
逢瀬に千聖が鋭い目を向ける。彼はそれを肩を竦めて諫めた。
「あ、あのっ!」
次に口を開いたのは、誰よりも暗い面持ちの彩。まるで意を決したかのように拳を握り、逢瀬の正面まで歩み出る。
逢瀬は誰もが見惚れるような笑顔で彩を見る。そして「何かな?」と問いかけようとした、その刹那。
「本当に、申し訳ありませんでした!」
彩が頭を下げた。それはそれは見事なまでの謝罪だった。突然の事態に逢瀬は固まる。
「あの……こんなので許してもらえるだなんて思ってないんですけど、本当にごめんなさい! せっかく応援までしてもらったのにあんなこと……」
途中から声に嗚咽が混じる。彩は泣いていた。アイドル研究生としての三年間を、最初で最後のデビューのチャンスを、そして天上人にも等しい大先輩からのエールも、その全てを無駄にした。そんな、言葉ではとても言い尽くせないような重圧が、彼女の細身を押し潰しているのだ。
雫が足元に落ちていく。その様を、逢瀬はただ眺めているだけなんて出来なかった。
片膝をついて、下を向く彩を覗き込んで、涙を拭う。
「泣かないでおくれ、子猫ちゃん。大丈夫。君達の道は、まだ途絶えていない」
その言葉は、一体どれほどの慈愛に満ちていたことだろう。口に出せば陳腐な慰めではあるが、しかしそれでも、彩の涙を一時的に止めるには充分だった。
「たしかに、今回の件は今後の活動に大きく影響するだろう。どれだけ時が経とうとも、いつまでも付き纏う汚名になるかもしれない」
続いて突き付けたのは容赦のない現実。彩を含め、楽屋の雰囲気は再び沈鬱に暮れる。
「
そう言って逢瀬は優しく微笑んだ。
諦める必要はない。悲嘆に暮れる必要はない。前を向け。止まるな、進め。その思いを込めた激励だった。
果たしてその意図が正確に伝わったかはわからない。それでも、彩の顔にもう涙は無かった。
「瀬田さん……」
「いい顔だ、それでこそアイドルだよ」
「……はいっ!」
呼応するように彩も精一杯の笑顔を返す。他のメンバーにもその思いが伝播したのだろう。絶望的な空気はほぼ払拭されている。
これで終わりではない。希望は残されている。それだけでいいのだ。それだけわかれば、歩んでいける。
が、逢瀬の言葉で一致しかけた空気に異を唱える者が一人。
「綺麗事ですね」
全員の視線がその人物の元に集中した。その先にいたのは白鷺千聖。
「そんなに上手くいくものですか。夢物語じゃないんですよ、これは」
それは現実主義の彼女らしい意見と言えるだろう。その考えも尤もだ。何せ、逢瀬の言ったことは所詮全て理想論でしかないのだから。
たしかに汚名を濯ぐことは不可能ではないだろう。だが、確実に出来るとも限らない。もしかしたら今回の件で再起不能にまで追い込まれる可能性だって零ではないのだ。
千聖はそのことを逢瀬に向けて語った。
だが、それを聞いた彩は一つ違和感を抱く。
未だ千聖とは短い付き合い。その
「夢物語に綺麗事……いいじゃないか。綺麗事を語って夢を見せて、それが僕たち芸能人の仕事だろう?」
それに、と逢瀬は目を閉じた。それは何かを思い返すような仕草。記憶の底にある何かを現出させるかのような、そんな。
その時だけ、少女達はたしかに感じた。逢瀬の纏っていた〝貴公子〟のオーラが、その一瞬だけ消え失せたのを。
「
「――――ッ」
まるで見えない何かに気圧されるかのように、千聖は息を呑んだ。それは他のメンバーも同じだ。普段テレビを通して見るのとは違う、瀬田逢瀬の中に潜むナニカを垣間見た。そんな感覚。
しかしそれも一瞬。直ぐにいつもの〝貴公子〟オーラを纏い直した逢瀬は、まるで何も無かったかのように少女達に向けて微笑む。
「まあそういうことだよ子猫ちゃん達。君達にはまだ道が拓けている。茨に覆われていても、傷つくことを恐れなければ進めるはずだ。
お邪魔してしまって悪かったね。それでは、僕はこれで」
そう言って、逢瀬は踵を返し去って行った。
◇◆◇
「お疲れさま、逢瀬くん。後輩への指導は終わりかしら?」
Pastel*Palettesの楽屋を出ると、道の角にマネージャーが立っていた。ああ、と逢瀬は返す。
「心の底から傷心中、という少女は如何せん一人しかいなかったが、それでも僕が行った意味はあると思いたいね」
「それって彩ちゃんのこと? 流石王子様、女の子の扱いは手慣れてるわね」
「そういうわけではないさ。ただ、泣いてる女の子を放っておくのは
「そうね。その通りだわ」
淡々と繰り返される会話。その〝らしくない〟の意味を
「それ、呉々も誰かに聞かれないようにね」
「わかっているとも。抜かりはないさ」
そう言って、逢瀬は不敵に笑った。
ありがとうございました。あまり後書きとか長くしすぎるとクドイので簡潔に。
第一話にも関わらず感想やお気に入りを下さった皆様、ありがとうございます。そして光栄にも10評価を入れて下さったkuufe様に、最大級の感謝を。
それではまた次回。高評価や感想くださると更新速度がナメクジからダイオウグソクムシくらいに上がります。