あ、まずは御礼を。第二話を閲覧してくださった皆様、ありがとうございます。あとお気に入りが60を超えました。これまでの三年間でもかつてない伸び。次は目指せ日間ランキング。
あの事件から数日後。逢瀬は羽沢珈琲店にいた。紫の縁の伊達眼鏡をかけ、紫紺の長髪を簡素に首の後ろで縛った変装用の格好でだ。
手元に置かれたコーヒーカップから上る湯気に混ざる芳ばしい香りが鼻先を撫で、店内を流れるクラシック音楽に耳を楽しませる。普段のように〝貴公子〟として振る舞うのも悪くはないが、こうして一人静かに珈琲を飲むのも逢瀬は好きだ。
謂わば安らぎの時間。普段が公ならこちらは私。貴族の息子がお忍びで出かけるようなものだ、とは逢瀬の言。
しかし、安らぎの時間というには逢瀬の表情は固かった。その原因は左手に持つスマートフォンの画面に映る文字。
『新進気鋭のアイドルバンド〝Pastel*Palettes〟、活動自粛を発表』
表示されていたのは一つのニュースサイト。やはりこうなったか、と逢瀬はコーヒーカップに口をつける。あれほどの騒ぎになったのだ。これから先、下手な動きは出来ない。早々に活動自粛の判断を下した上層部はむしろ有能と言うべきだろう。
口を離すと熱を帯びた吐息が漏れた。再び画面に目を戻す。下にスクロールしていくと、憶測混じりの編集者の意見やユーザーコメントが並んでいた。
今回の件に関して、まだ事務所からの公式の見解は発表されていない。それがますます世間の想像を膨らませているのだ。暴走した空想が尾ひれをつけて有る事無い事騒ぎ立てる。つくづく嫌になる国民性だと逢瀬は嘆息した。
更に下へと指を進める。そこから先は延々と同じような内容が続くばかり。見ていて気分の良いものではないし、有益なことが何か書かれているわけでもない。ブラウザーを切ろうと指をホームボタンの直上まで動かしたとき、店の入り口付近から声が聞こえた。
「あら、オーセじゃない!」
視線をそちらへ向ける。そこでは、宛ら陽光の如き煌めく黄金を湛えた少女が笑顔でこちらに手を振っていた。その横ではダウナーな雰囲気を醸し出す少女が軽く会釈している。
二人とも逢瀬の知り合いだ。弦巻こころと奥沢美咲。〝ハロー、ハッピーワールド!〟というバンドのメンバーで、以前とある縁から知り合った少女たち。
〝弦巻〟ーーーー人として生活を営むのなら知らない人はいないであろう大財閥の名だ。弦巻こころという少女はその名の示す通り、この財閥の血縁。自由奔放純粋無垢を体現したような少女である。平々凡々、如何にも普通といった奥沢美咲とは何故共に行動しているのか些か疑問ではあったが、それは彼女らの手に提げられた紙袋が示していた。
大方、こころが「買い物というものをしてみたいわ!」などと言って美咲を振り回したのだろうな、と推察する。大変そうだね、と言いたげに美咲を見れば、彼女は乾いた笑いで肩を竦めた。どうやら正解のようだ。
そんな逢瀬と美咲のやり取りを知ってか知らずか、こころが逢瀬のテーブルに近づく。
「相席してもいいかしら?」
「勿論だとも、弦巻嬢。こちらからお願いしたいくらいさ」
「ならよかったわ。美咲ー、こっちよー!」
「はいはい、聞こえてますよー」
本当に正反対の少女たちだと思う。
ふと窓から外を見れば、三人ほどのサングラスをかけた黒服が電柱や建物の陰から様子を伺っていた。その内の一人とサングラス越しに目が合う。表情は読み取れなかったが、取り敢えず変なことはしないという意味を込めて軽くウィンクを送っておいた。意図が伝わったかは不明だ。
こころと美咲は並んで逢瀬の正面に座り、寄ってきた店員の少女に各々の注文をして逢瀬に向き直った。
「それで、君たちはどうしてここに?」
「あー、さっきこころと一緒に出かけてまして。まあご想像の通りですよ」
「それでお茶でもしようかとここに寄ったらあなたがいたのよ!」
……数奇な偶然だ。たまたま出かけた先に知り合いがいる確率なんて、街があまり広くないことを加味してもたかが知れているというのに。
しかも会ったのが
こころの魅力はまさにそこだろう。いるだけで空気を明るくする。つられて笑顔がこみ上げる。太陽とでも形容すればいいのだろうか。そういった人格性なのだ。
「あ、やっと笑ったわね、オーセ」
と、こころがそんなことを言った。当の逢瀬にしてみれば何を言われたのかわからない。頭に疑問符を浮かべた。
「だってオーセ、さっき笑顔じゃなかったもの。何かあったのかしら?」
「……君は人をよく見ているね、弦巻嬢」
どうやら先の沈鬱な気持ちというのは顔にまで出てしまっていたらしい。そこをこころに見つかったということだ。本当に偶然というのは恐ろしい。
「僕本人に何かあったわけではないさ。ただまあ、これを見てくれればわかるかな」
逢瀬は左手のスマートフォンを器用に指で弾いてこころと美咲の前に滑らせた。それを受け取った彼女らは暫く画面を眺めていたが、ある程度スクロールしたところで逢瀬に返却した。その顔は、先の逢瀬と同じく少しの翳りを見せている。
最初に口を開いたのは美咲だった。
「なるほど。たしかに、見てて面白くはないですね」
「そういうことだよ奥沢嬢。仕方のない糾弾とはいえ、愉快なものではない。特に僕みたいな者からしてみればね」
「そういえば瀬田さん、事務所同じなんでしたっけ。先輩ってのも大変なんですね」
まったくだ、と逢瀬と美咲は二人合わせて息を吐く。
美咲にしてみれば、このニュースサイトに列挙された意見だって理解できなくはない。逢瀬の言う通り、これは仕方のないことだ。どんな言葉で取り繕おうと、大勢を騙したのは事実なのだから。
が、それでも人の悪意の塊というのは見てて面白くない。それだけは確固たる彼女の意見だ。それがわかっているから、逢瀬は美咲に同調する。
そういえば、と逢瀬は美咲の隣に座るこころの方を見た。こういうとき一番何かを言いそうな彼女が、これまで全く会話に入ってこないことに違和感を覚えたからだ。
こころは珍しく神妙な顔をして、コップに入った水に浮かぶ氷を眺めていた。
「……すまない弦巻嬢。気分を害してしまったのなら謝らせてくれ」
もしや先のモノを見せたことでこころに嫌な気分を味わわせてしまったかと憂いた逢瀬はすかさず謝罪を述べた。それを聞いたこころは一瞬困惑の表情を浮かべたが、すぐに逢瀬は悪くないと告げる。
「違うわ。別にあなたのせいじゃないわよ。ただ、ちょっと思ったの。そこに載ってた人たち、きっと笑顔じゃないんだわ、って」
こころは言う。何故誰かを責める必要があるのだろう。何故誰も幸せにならない悪口を言うのだろう。そんなことをしても何にもならないのに、と。
〝世界を笑顔に〟
初めて会った時、逢瀬はこころからそんなことを告げられたのを思い出した。なんて無茶なことを、と思いもした。事実その通りだ。それは無茶なこと、実現するのにどれほどの夢物語を重ねればいいのだろう、と。
それでも、逢瀬はその時そう告げなかった。
夢物語を魅せるのが僕の仕事だと言って憚らない彼は、その夢を語るこころを否定したくなかったから。そして、それに加担する
誰よりも笑顔に拘る弦巻こころという人間は、他者の笑顔をも尊ぶ。故に、彼女は誰かを責めるという行為を是としない。それは何の生産性も無いと、思考の何処かが理解しているから。
だからこそ、こころが次のような結論に至るのは自明の理と言えるのだ。
「そうだわ! ここに書き込んだ人を皆集めてライブを開きましょう! そうすれば、この人たちも笑顔になれるはずよ!」
「それは流石に無理がある」
それでも、この発言は否定させてくれ。
いや、だって、無茶だろう?
「瀬田さんの言う通りだよこころ。流石に無理がある」
「美咲までそんなことを言うの!?」
「言う。第一、どうやってコメントした人を探し出すの。それに、一体何人が書き込んでると思ってるのさ」
こういうときばかりは、良くも悪くも常識的に過ぎる美咲の言葉が刺さる。
ネットの海から不特定多数の特定個人を見つけようとすることがまず問題であるし、よしんば出来たとしてその全てにライブを見せることなど……。
チラリと窓の外を見る。黒服たちが各々何処かに連絡を取っているようだ。やめろ、洒落にならない。
弦巻とはそういうものだ。不可能を可能に、不可逆を可逆にする。彼らに覆せないものなど人の死くらいなのではないだろうか。
美咲は諦めの悪いこころを何とか収めようと必死の説得中だ。本当に、どうして一緒に行動出来るのだろう。このままでは美咲の胃に穴が開くのも時間の問題と思える。
暫くその様を眺めていると、どうやら漸くこころが引き下がったらしい。渋々ながら、といった様子だが。黒服たちもそれに応えるように連絡を取り止める。よかった、これでまた一つ弦巻の起こす事件の火種は潰えたようだ。
「まあなんだ、弦巻嬢。君たちがこれからも活動を続けるなら、いずれ彼らとも出会う日が来るだろうさ。彼らに笑顔を届けるのはその日までおあずけ、というだけだよ」
「……そうね。そうよね。世界を笑顔にするんだもの。いつかきっと、この人たちも私たちの力で笑顔になれるわ」
納得してくれて何より。見れば、美咲もやれやれと言いたげに息を吐いている。
弦巻こころはブレない娘だ。彼女がやると言えば、本当に、いつかきっと成し遂げる。どんな無茶だとしても。そして、彼女はそれを信じて疑わない。
いい子、なのだろうが……。
ーーーー
いつの日か、彼女は全てを置き去り先に行ってしまいそうな、そんな空気がある。というより、既に美咲は彼女の勢いに着いて行けてないのではなかろうか。
そう考えると、なんだか暴走する犬と握った手綱に振り回される飼い主のように見えてきた。好き勝手動く
「あっ……」
そんなことを考えていると、こころが店内の時計を見て声をあげた。見れば、長針は彼女らが此処を訪れてからとうに一周を過ぎている。想像以上に長居してしまったらしい。
逢瀬もそろそろ引き上げる時かと荷物をまとめる。逢瀬は元から大荷物は持ってないので身軽だが、少女たちはそうではない。持ってきていた紙袋はそれなりの大きさがあるし、いくら楽器を操る腕力があろうと、少女の細腕にそれを持って歩かせるのは酷だろう。
美咲は普段から着ぐるみの中で動ける程度の体力はあるので心配は無いだろうが、こころはボーカルだ。まず楽器を持っているわけでもなかった。運動は得意と聞いたが、まあそれとこれとは話が別。〝王子様〟は、女の子に余計な苦労をさせることを是としない。
「それは僕が持って行こう。この後特に用があるわけでもないしね」
「いいんですか瀬田さん?」
「勿論だ。責任を持って、君たちと共に送り届けよう」
「そういうことならまあ、お言葉に甘えて。こころー、瀬田さんが荷物持ってくれるってさ」
「本当? ありがとう、助かるわ!」
花の咲いたような笑顔で、こころは礼を述べる。二人の荷物を両手に抱えた逢瀬は流れるような動作で三人分――こころと美咲の分も含めて――の会計を済ませ店を出た。出たところで二人から「代金を払わせろ」といった内容の抗議を受けたがそれを受け流す。
「ここで会ったのも何かの縁、君たちのような見目麗しい乙女と茶の席を共に出来たんだ。むしろ足りないくらいさ」
「瀬田さんって、よくそんな歯の浮くような台詞がポンポン出てきますよね」
「本心だよ」
ふふ、と目を伏せ逢瀬は笑う。
事実、こうして彼女らに尽くす理由の
そして、もう半分は。
「それに、普段妹が世話になっているからね」
彼の妹に大きな楽しみを与えてくれた少女たちに対しての、兄としての礼だ。自らを表現するのは演技だけではない、音を以ってして誰かを笑顔にすることが出来る。そしてそれは、きっと自らも幸せにしてくれるのだと。そう彼の妹に教えてくれたから。
些細なお返しだけれど、これが僕の気持ちだから、と。彼はそう伝えたい。
どれほど歩いていただろうか。太陽が美しい橙を湛え始めた。黄昏時に差し掛かる。彼らの眼前に、巨大な門が見えた。弦巻邸だ。
こころと美咲の弁によれば、彼女らはこれから少しばかり此処で練習をしていくらしい。なら付き添いはもういらないだろうと、逢瀬は持っていた紙袋を手渡した。
「ありがとうオーセ。おかげで助かったわ」
「ふふ、お安い御用だ弦巻嬢。こちらこそ、素敵な時間をありがとう」
黄昏の中にいても翳ることないこころの笑顔に、逢瀬も同じく笑顔で返した。
「それでは、僕はこれで失礼するよ。さようなら、子猫ちゃん。いつかまた会う時まで」
そう告げて、逢瀬は黄昏に背を向け歩き出す。
――――願わくば、どうか。
逢瀬は願う。どうか、彼女たちの歩む未来に、妹の姿があればいい、と。
「
君たちは君たちの道を共に進め。
世界を笑顔にする日を、僕は見てみたいから、と。
第二話で感想やお気に入りを下さった皆様に感謝を。そして、光栄にも9評価を下さったブーーちゃん様、Sounds様に最大限の感謝を。たいへん励みになります。本当に。
感想や高評価を下さると、更新速度がナメクジからシャクトリムシくらいに上がります。それではまた次回。