時よ止まれ、お前は美しい   作:クトゥルフ時計

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 前回に引き続き、伏線張る回。


第七話

 泣いていた少女がいた。その手には無惨にも切り刻まれた何かの残骸が握られており、その断片に描かれた文字や絵から、それが元は教科書だったのだとわかる。

 

 下手人は、例の悪ガキ。少し目を離した隙に、少女の机の中にあった教科書の全てを切り裂いた。防ぎようのない悪意に、少女はただ涙するしかない。

 

〝どうしよう◾️◾️◾️……お母さんに怒られちゃうかな〟

 

 ◾️◾️◾️と呼ばれたのは、少女より幾分か年上に見える少年。不安そうに俯く少女と切り裂かれた残骸を交互に見遣り、暫し考え込んだ後、名案が浮かんだかのように手を叩く。

 

〝まだウチに同じものが残ってたはずだから、それをあげる〟

〝……いいの?〟

〝いいよ。だから泣かないで〟

 

 ね? と少年は少女に笑みを向ける。

 

 少女は少年の笑顔を見て、涙を流すことすら忘れた。次いで浮かんだのは、同じく笑顔。目元が赤くなって少し不格好ではあるけれど、少女が泣き止んでくれたことが、彼にとっては何よりも嬉しかった。

 

〝ねえ◾️◾️◾️?〟

〝何かな◾️◾️◾️〟

〝あなたは、いつまでも私の◾️◾️でいてくれる?〟

 

 少女は少年に問う。一つの疑問、ある意味では、彼女が抱いていた漠然とした不安の現出とも言えるものを。

 

 この前だって、自らが傷つくことすら厭わずに助けてくれた。痛かったはずだ。まだ幼い子供である彼が、血を流すことを嫌わないはずがない。それでも、彼は助けてくれたのだ。傷ついてまで。

 

 いつか見捨てられるんじゃないか。少女には上手く言葉に出来ない感情ではあるが、それは少女の心に住み着いて離れない悪魔のようなものだ。その〝もしも〟を考えるだけで胸が痛む。

 

 止まっていたはずの涙がまた流れた。

 

〝……変なこと聞くね、◾️◾️◾️。そんなの決まってるじゃないか〟

 

 そう言って少年は、少女の目から滴る雫を拭う。

 

〝◾️◾️え◾️◾️◾️全◾️◾️◾️◾️◾️◾️し◾️◾️、◾️だけ◾️◾️の◾️◾️◾️◾️る◾️◾️◾️◾️◾️。◾️は◾️◾️、◾️◾️◾️◾️て◾️◾️◾️だよ〟

 

 それは、優しい言葉だった。少女の心を曇らす悪魔を滅ぼすには十分な程に。

 

 少年と少女を結ぶ誓いの、その一つ。かつてした優しい約束の残滓。幾星霜の時を経ても、決して滅びることはないと信じていた、いつかの真実。

 

 そう、信じていたのだ。

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 窓から差し込む朝日で目が覚めた。明かりに慣れない瞳を細め、逢瀬は今見た夢の内容を回想する。

 

 よくわからない少年。よくわからない少女。よくわからない言葉。何故あんな夢を見たのだろう。軽く思考を巡らせるも、それが一番解せなかった。

 

 寝惚け眼で時計を見た。時は朝の七時。出来ればもう少し寝ていたいが、仕事がある以上それは出来ない。だが、事務所に行く時刻までに、せめてシャワーくらいは浴びておかなければならないだろう。

 

 そう判断し、起き上がろうとシーツに手を置く。ふと、指先に何か当たった。

 

 そういえば、昨日は()()の途中で寝てしまったのだったな、と逢瀬は思い至った。ならばこれはその名残、片付け損ねた残滓だ。どうやらそのまま共に一夜を過ごしていたらしい。誰かに見られる前に片付けなければ。

 

 頭痛は治まっていた。身体に怠さも残っていない。健康体そのものだ。これならば誰かに怪しまれることもないだろう。

 

 そうして、〝復習の残滓〟を片し終えた逢瀬はバスルームへと向かうため、ドアノブに手をかけた。

 

 ……かけたのだが。

 

「おはよう我が兄! 今日は仕事だろう、さあ起きたまえ! 昨日の夕食を食べ損ねているのだから、朝食には少し豪勢な物を用意したぞ!」

 

 盛大な音を立てて扉を開けた薫によって、逢瀬は部屋の中へ弾き飛ばされた。薫がそれに気づき「あっ……」と呟いたのを、後頭部を強打した逢瀬は聞くことができなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「本当に済まなかった兄よ。まさかこうまで間が悪いとは思っていなかったのだ」

「気にすることはないぞ妹よ。別に怒ってはいないのだから」

 

 その後、何事も無かったかのようにシャワーを浴びた逢瀬は、テーブルを挟んで謝り倒す薫にそう返した。

 

 偶々そういう風になってしまったのだから仕方ないだろうと彼は言う。故意であれば当然注意程度はするが、そうでないなら責め立てる必要もあるまい。

 

「貴方がそう言うのならば……」

 

 その空気にあてられた薫も、これ以上謝罪を繰り返しても無意味だと直ぐに悟った。この埋め合わせはまたその内別の形でしようと決意する。

 

 このように誰かを責めたりせずに許せる辺り、やはり逢瀬はお人好しなのだろう。そのお人好しも度が過ぎると悲劇を招きかねないので、彼には早急に程度というものを覚えてほしいと薫は願う。

 

 ()()()から少しは収まったとは思うのだが、それでも度々彼は誰かの困難に介入してしまう。魂に根付いた宿業か何かだろうか。

 

 お人好しと言えば、と薫は昨夜の千聖の来訪を逢瀬に伝えた。

 

「昨日千聖が来ていたよ。なんでも、礼がしたかったそうだ」

 

 曰く、丸山彩に関してのことだそうだ、と告げると、逢瀬は逡巡することもなく嗚呼と納得した。

 

「律儀な娘だね。なら、昨日出れなかったのは悪かったかな」

「とは言え仕方ない。訳を話したら帰ってくれたから、多分今日にでもまた言われるんじゃないかな」

 

 実際は部屋に突撃しようとした千聖を何とか踏み留まらせただけなのだがそれはさて置き。同じ事務所で顔を合わせるなら、千聖の性格を鑑みてもそれは必定だろう。

 

 会話はここで打ち切りかな、と薫は箸を手に取った。

 

「それよりも、だ。取り敢えず食べれるだけは食べてしまおう。朝を抜くと頭が働かないからね」

 

 それに、昨夜はゴタゴタ続きでただでさえ空腹が酷いのだから、さっさと食べてしまいたい。その思いが伝わったのか、それとも単に逢瀬も薫と同じ心境なのか。二人はどちらともなく食前の定型句を言って、朝食に手を着けた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「あら、逢瀬くん?」

 

 時は午前八時三十分。所属する事務所の前で逢瀬はマネージャーと偶然にも鉢合わせていた。

 

 打ち合わせの予定時刻まであと三十分。逢瀬は時間をしっかりと守るタチなので少々早めに事務所に着いたが、それはマネージャーも同じだったようだ。そこは最低限の社会人のルールと言うべきか。

 

「おはよう、マネージャー。こんな朝から君と出会えるなんて、きっと今日はいい日に違いない」

「逢瀬節はいいからさっさと中に入りなさい。目立つわ」

 

 いつものように貴公子然とした口調で話す逢瀬だったが、マネージャーにあっさりと両断される。それにショックを受けた様子も無く言われた通り彼は事務所に入り、指定された会議室へと向かった。

 

 此度製作されるドラマは、前情報によれば在り来たりな学園モノだ。主人公がいて、ヒロインがいて、クラスメイトがいて、教師がいて。彼らの周りに起こる様々な問題を解決していく。もう散々やり尽くされたんじゃないかとも思ったが、どうやら脚本家にはまだ引き出しがあるらしい。

 

 主人公の配役は逢瀬。クラスメイトや教師役にも見知った顔は大勢いる。中でも逢瀬の事務所からの選出が多く、今回はその面々を集めての打ち合わせだとか。

 

 そして、ヒロイン役は白鷺千聖。これまでの経歴や本人の技量を考えると当然の選出と言うべきだろう。

 

 が、逢瀬には一つ不安材料があった。

 

「ねえマネージャー。白鷺さんは出しても大丈夫なのだろうか?」

「この前のパスパレの騒ぎの事言ってるの? なら大丈夫なんじゃない。まだ鎮静化はされてないけど、放送されるのなんてどうせ数ヶ月先なんだし」

 

 当然ながら、物を作るのには一定の制作期間を要する。ドラマに関してでも、撮影やら編集やら、その他権利や様々な分野との兼ね合いなど必要な工程など幾らでもある。役者が関わるのは撮影のみで、あとは見えない大勢の裏方がその全てを組み上げるのだ。

 

 このままパスパレが消滅、なんて末路を辿らなければ、事態が収束した後に世間にお披露目という形になるだろう。その点では逢瀬の心配は杞憂というものだ。

 

 ならよかった、と逢瀬は胸を撫で下ろす。

 

「それならいいんだ。安心した」

「後輩思いな先輩ねえ。逢瀬くんにそう言ってもらえるならあの娘たちも報われるわね」

「僕の言葉なんかでいいのなら、幾らでもあげるさ」

 

 逢瀬は薄く笑った。演者は言葉を吐くもの。その程度、息をするより容易い行為だ。

 

 そんなことを話していれば、いつのまにか二人は会議室の前に辿り着いていた。時間にはまだ余裕があるが、先に席についていて損はない。そう思い、逢瀬は扉を開けた。

 

 中にいたのは一人だ。多数の椅子が並べられた長机の端に、誰も連れずにポツンと座っている、パステルイエローの少女。白鷺千聖に他ならない。

 

「おはよう、白鷺さん」

「おはようございます、瀬田さん」

 

 その対面になるように逢瀬は座った。マネージャーは書類を取ってくるといって席を外している。この会議室にいるのは逢瀬と千聖の二人のみ。

 

 会話はない。千聖は公私を使い分ける人間だ。ただの仕事仲間を装っているように()()()()()彼にこの場で親しく話しかけようとはしない。

 

「あの……」

 

 それでも、公として言わなければならないことがあった。それは彼女の同僚である丸山彩についてだ。

 

 千聖自身、一体彩に何があったのかの詳細は知らない。ただ、見るたびに背負う空気が重くなっていった彼女が、昨日突然元の明るさを取り戻したかのようなメッセージを送ってきたのが不思議で堪まらなかったのだ。

 

 『心配かけてごめんね皆!』と、何の変哲もない文章だった。だが、千聖は気になって問うたのだ。『何かあった?』と。

 

 返ってきた返信は『バイト先で瀬田さんに会ったんだ!』だった。そこで千聖は確信したのだ。彼が彩という少女を救ってくれたのだと。

 

 何を言ったのかはわからない。それでも、彩が救われたのは確固たる事実なのだ。なら、礼を述べねばなるまい。

 

「彩ちゃんのこと、本当に、ありがとうございました」

 

 そう言って、千聖は対面の逢瀬に向かって頭を下げた。逢瀬は特に驚いた様子は無い。事前に薫から事の次第を聞いていたからだ。

 

「頭を上げて、白鷺さん。僕は特別なことは何もしてないんだからさ」

 

 瀬田逢瀬という人間にとって、先日の彩との対話は何ら特別なことではない。そう彼は告げた。事実、彼にとってはそうなのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう本心から信じているからこそ、逢瀬はそう言える。

 

 お人好しだ、と千聖は思った。彼は何処までも演者で、何処までも役者で、何処までも人に対して善性を捨てきれない。

 

 だから、彼は()()()も────

 

 それをここで口に出すのは憚られた。それは公私の私に値する部分だ。〝白鷺千聖〟が軽々しく言っていいことではない。

 

 それでも、ほんの少しだけ〝私〟が顔を出した。

 

 我儘な自分。子供っぽい自分。昨日彼の家に行った時、彼が具合を悪くして寝ているというのに、直接顔を見たいと思ってしまった。それと同じような幼児性が、理性の狭間から顔を覗かせる。

 

 公私の切り替えはしなくてはならない。だが、それでも。

 

「あ、あのっ、この後────」

「はァい、お待たせお二人さん。今回の書類持って来た……って、あれ?」

 

 千聖の言葉を遮るように扉を開けたのは、先程書類を取りに行った逢瀬のマネージャーだった。すぐさま会議室内の空気に気づいたのか、口を開けたまま固まってしまった千聖と神妙な顔の逢瀬を交互に見遣り、一言。

 

「えっと……もしかして、お邪魔だった?」

「いえ、その……お気になさらず」

 

 千聖はそう返すのが精一杯だった。

 

 その後、続くように他のタレントやマネージャー達が会議室に入り、打ち合わせが始まる。特筆すべき内容ではない。ただの確認事項や演じる役のキャラクター性を述べ連ねるだけの作業だ。

 

 時間にして約三時間ほどだったろうか。時計の針は正午を回り、腹の虫が不機嫌を訴える頃、漸く全ての事項が終了した。

 

 議長を請け負った事務所の所長の一声で各々が解散する。仲のいい者同士がこの後何処で昼食をとるかなどの算段を立てて会議室を出て行く中、千聖は一人、それに紛れて会議室を出た逢瀬の後を追っていた。

 

 逢瀬は会議室のすぐ近くの廊下にいた。幸運なことに他の者たちは既に何処かへ行ったのか、付近には誰もいない。これなら、〝私〟を出しても構わないだろう。

 

「あのっ、()()()!」

 

 そう呼べば、彼はすぐさま振り向いた。紫紺の髪が宙に靡く。

 

「この後……時間ある、かしら?」

 

 その問いに返って来た答えは、肯定だった。




 千聖のオリ主に対する好感度が高いのには勿論理由があります。そして度々出てくる〝四年前〟という言葉。果たして何があったのかは追々。

 ここからは評価して下さった方々のご紹介。

☆10 スノー。様、屍姫赫様、蜜柑音様
☆9 石幻果様、勇者4649様、しにあく様、アテヌ様、中スキピオ様、月影零士様
☆8 マイペース系様、蜘蛛簾桜酒様

 以上の方々に最大限の感謝を。依然この更新ペースを保っていられるのは皆様方のおかげです。本当にありがとうございます。

 それではまた次回。感想、高評価いただけると更新速度がナメクジからオウムガイくらいには上がります。
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