そういえば日間ランキング10位に入ってました。ありがとうございます。
今回も伏線張る回……なんですが、慣れない日常の場面書いたのでとても書きにくかったです。どれだけ困難を極めたかは文章の乱れ具合でわかりますね。
瀬田逢瀬にとって、白鷺千聖とは仕事仲間だ。
同じ事務所の同僚で、芸歴も同じ程度に長く、歳も近いだけの、ただの仕事仲間。特筆すべき関係でもなく、よく外野からは幼馴染という属性も相俟ってその間柄を疑われることもあるが、それでも特段逢瀬は千聖に好意的な感情を向けているというわけではない。
そうなるように、この四年間接してきたのだ。他ならぬ逢瀬自身が。とある
故にこそ、彼は今心の内でこう叫ぶのだ。
────どうしてこうなった。
そう思うのも無理はない。何故なら今、彼は千聖の自宅にいるのだから。視線を横に流せば、そこでは千聖が台所で料理を作っている。その表情は普段の彼女よりも何倍も嬉しそうで、上機嫌に鼻歌まで歌っている。
もう一度言おう。どうして、こうなった?
その発端は一時間前、逢瀬が事務所から帰ろうとしていた時にまで遡る。
◇◆◇
「あのっ、逢瀬君!」
打ち合わせ終わりの帰り。マネージャーは仕事があると言って別れてしまったので、特に誰かとつるむ予定もない逢瀬は一人で帰宅しようとしていた。
そんなとき、後ろから聞こえた呼び声。聞き覚えのある声に何かと思って振り向けば、そこにいたのは白鷺千聖。
「この後……時間ある、かしら?」
投げられたのはそんな問いだ。その問いを脳が咀嚼し飲み込んだとき、逢瀬は言い様のないデジャヴに襲われた。否、デジャヴとは少々意味合いが違うが、なんだか最近もこんなことを経験した気がするのだ。具体的には昨日、ファストフード店で。
僕の周りの女の子は言葉の最初に〝この後〟とつけるのが好きなのだろうか、という的外れな思考を頭から追い出し、逢瀬はその問いに肯定を返した。
たしかにこの後予定が無いのなら、それは時間があるということになるのだろう。先の打ち合わせで何か不明点でもあったからそれを確認しに来たのだろうか、などと逢瀬は千聖の行動の理由を推察するが、当の千聖から与えられた答えはそれとは全く別のものだった。
「もしよかったら、お昼ウチで一緒に食べない?」
待て、何故そうなった。
逢瀬は疑問と驚愕に揺らされる脳髄を何とか頭蓋に押し留め、千聖の言葉の意味の解釈を開始する。
昼食の同席というならまだわかる。同僚同士がそうするのは常識の範囲内であるし、それが男女であっても特段不思議なことではないだろう。傍目から見れば逢引のようにも思えるかもしれないが、それは逢瀬自身が否定する。
だが、それでも普通男を自宅に呼ぶだろうか。何かと物騒な世の中だ。噂によれば、以前ニュースで報道されていた通り魔もまだ逮捕されていないというし、隣の御宅が実は、なんてケースも有り得なくはない。人の内に潜む魔性なんてものはわからないのだから、千聖にはその辺りの危機感をどうにかしてほしいのが本音だ。
それとも、と逢瀬はまた別の可能性を考えてすぐに振り払った。まさか千聖が
ならば何故。人の内面を見つめることは得意な彼であるが、この時ばかりは
思考が渦を巻く。解釈が不明すぎる。答えは何だ。
「えっと……逢瀬君、どうかした?」
逢瀬をその思考の螺旋から引きずり出したのは、不安そうな瞳でこちらを覗き込む千聖の声だった。
その瞳の色を見たとき、逢瀬は内心嘆息した。千聖に対してではない。その対象は、他ならぬ逢瀬自身。
千聖の今の表情を端的に表すならば〝捨てられた子犬〟とでも言おうか。不安そうに、それでも健気に、何かを訴えようと潤んだ瞳が揺れる。そんな顔をされたら、
元より千聖の誘いに乗るか乗らざるかの選択肢など与えられていないのだ。演技派女優と呼ばれる千聖のことだから、それさえももしかしたら計算され尽くしたものなのかもしれない。だが、その表情が演技であろうとなかろうと、既に彼は千聖のペースに乗せられてしまっているのだ。
「……わかったよ。お言葉に甘えさせてもらおう」
故に、こう言うしかない。こんなだから薫にもお人好しと言われるのだろうな、などと自らの浅慮を省みるが、そこはやはり生来の気性。そうそう簡単に治るなら苦労はしない。
だが、それでも一定の成果はあったらしく。
千聖の表情は先の不安の色は何処へやら、一転して明るいものへと変わっていた。
「そう、わかったわ! それじゃあ、行きましょう」
そう言うと、千聖は全身から喜悦に滲ませながら逢瀬を引っ張るように歩き出した。果たしてその時の表情は演技か、はたまた素か。その判断はつかない。
たったこれだけのことで、何故君はそうまで喜べるのだろうな。
解せぬ感覚だ。彼女をここまで突き動かす情動は何処から生まれる? 何故それが僕に向く?
直ぐ様逢瀬はその思考を無意味なものだと切り捨てた。今必要なのはこれではない。そうだろう瀬田逢瀬。求めるべきは
らしくあれ。そうしてきたのはお前自身だ。斯く在れかし。仮面を被るのは得意だろう? この状況で動じるほど、お前は甘くなかったはずだ。
……だが、それにしても、この状況だけはなんとかしたい。
「ねえ、白鷺さん」
「何かしら?」
「……手、離してもらえるかな?」
「えっ? ……あっ」
逢瀬の視線が示すのは、彼の左手。先程歩き出した千聖が勢いで──さらに恐らくは無意識で──握り締めた、繋がれた互いの手だった。
流石に往来の中で芸能人が手を繋ぐのはまずいだろう。その意図が伝わったのか、千聖は慌てて手を離す。その顔が羞恥に染まっていたのは、きっと見間違いではないはずだ。
そのまま家に着くまでの間、二人は何となく気まずい雰囲気で道を歩いて行った。
◇◆◇
そんなこんなで、彼は今此処にいるというわけである。先程さりげなく薫を呼んでもいいか聞いてみたが拒否された。両親は出払っているということなので、この家には正真正銘逢瀬と千聖の二人しかいない。
普通こんな状況なら身の安全でも警戒すべきだろうに、千聖はそれでも尚嬉しそうにしている。危機管理が甘いと言うべきだろうか。しかしそれを男の方から告げるのも憚られる。
そんなことを考えていたのも束の間、千聖が出来上がったものをテーブルに並べ始めた。彼女の料理の腕は見たことがなかったが、どうやら人並み以上にはあるようだ。
食前の定型句を告げ、並べられたもののうち一品を口に運ぶ。味は言わずもがなだろう。
そして、食べることもせずじっと逢瀬が食べる様を見つめる千聖。これはアレだろうか。感想を聞かせろと言っているのだろうか。視線がそう訴えている。
「うん、美味しいよ白鷺さん」
そう告げれば、千聖はまた輝くような笑顔を浮かべた。安心半分喜び半分、そんなに大それたことは言っていないはずなのに。
「そう、よかった」
そうして、二人の時間は過ぎていく。
◇◆◇
それで、何故僕はこんなことをしているのだろう。
千聖の家で昼食を食べ終え、一言礼を言って帰ろうとしていたのにも関わらず、今現在リビングにいる逢瀬はふとそんなことを考えていた。
といっても、帰ろうとしていたのはもう三十分も前の話。今彼は千聖と並んでソファに座りながら二人で映画を観ている。それも、とびきり空気が甘くなるようなラブロマンスを。
もう一度言おう。何故僕はこんなことをしているのだろう。
その原因は、現在彼の隣に座す千聖に他ならない。帰ろうとした逢瀬を無理矢理引き留め、リビングまで引き戻したのだ。『観たい映画があるから一緒に観てほしい』という大義名分を引き連れて。
断ることは出来なかった。またあの不安そうな瞳で見つめられてしまえば、彼にはどうすることもできないのだ。逢瀬としては一刻も早く
一回映画が始まってしまえば逃げ出すことは不可能になる。誰かを長時間拘束するにはもってこいの方法だ。それに、先程千聖の持っていたパッケージを見たが、この映画はなんと三時間以上ある。長すぎだろう。どれだけラブとロマンスを求めるつもりだ。
映画の内容としては、これまたよくあるものだ。好き合う男女が数多の障害に直面するも、時には手を取り合い時には反発し合い、そして時には互いに愛を囁きながら微睡みへと溶け、そして最後に結ばれる。端的に言えば濡れ場なんていうものも用意されている作品だ。こんなものを二人きりで観ようとするその神経が知れない。気まずくなるとか考えないのだろうか。
まだこの上映会が始まって三十分しか経っていないからかそういったシーンには差し掛かっていないのが現在の救いである。しかし、前述の通り抜け出すことはほぼ不可能。気まずくなるのはもう諦めろということか。
そして、この空間を作った元凶である千聖はと言えば。
「……」
胸元にパステルイエローのクッションを抱き寄せ、画面に映る恋人同士のやり取りを頰を赤くして眺めていた。演技派と呼ばれる女優であろうと、その実態は年頃の少女。恋の物語に胸をときめかせるその姿に一切の虚飾を見出すことはできない。
本当に、そういうところが
その後も映画は進行した。主人公に嫌味を言い、ヒロインにいい態度を取るライバルも、世間を騒がす一大事件も、その他彼らを阻む幾多の困難を乗り越えて、二人の愛は一つとなる。そして、ホテルの一室で彼らの影が重なり────
むず痒い。甘く染まった空気に息が詰まりそうだ。嫌気が顔に出そうになるのを堪え、恋人の影が重なる画面を見つめる。対照的に、隣の千聖は時折熱のこもった吐息を漏らしながらロマンスに瞳を輝かせていた。彼女のクッションを抱きしめる手に力が篭る。
しばらくして、映画がエンドロールに差し掛かった。下から上へと流れて行く名前を眺めていたが、もう付き合う必要はないと判断し席を立つ。
「あっ……」
千聖が名残惜しそうな声をあげる。もう帰ってしまうの? とその視線が訴える。
「楽しい時間をありがとう、白鷺さん」
その視線から逃げるように、逢瀬は玄関へと向かった。彼のお人好しが顔を出す前に、一刻も早くここを抜け出さなくては。そうしなければまた囚われてしまうことを、彼自身わかっていたから。
リビングを出ればすぐそこが玄関だ。ただ数歩進むだけでいい。その数歩で、彼の
だが、それが叶うことはなかった。阻まれたのだ。リビングを出ようとした瞬間、それは起きた。
背中に感じる柔らかな圧と、腹に回された細腕。それが千聖のものだと気づくのに一秒とかからなかった。
千聖が逢瀬の背中に抱きついたのだ。逃がさないとでも言うように。多少身体を捻れば解けるような緩い拘束であったが、生憎とそれを無理矢理振り払えるような無慈悲さを逢瀬は持ち合わせていなかった。
「……今日あなたを呼んだのはね、この前のことを謝りたかったからなの」
「この前って……」
「私達のお披露目ライブのとき、逢瀬君、あの後励ましに来てくれたでしょ?」
背中に貼り付いたまま、千聖は言う。
二週間前、彼女たちの初動は失敗に終わった。これ以上ないほどに最悪の形で。だからこそ逢瀬はパスパレの面々が立ち直れるように激励を与えに行ったのだ。
千聖が言っているのはその時のこと。
「あなたが折角くれた言葉に、酷いことを言ってしまって……謝りたかったのに、なんだか顔を合わせづらくて……」
そう言われて漸く逢瀬は千聖の言いたいことを理解した。
あの時、千聖は逢瀬の言葉に異を唱えた。綺麗事、夢物語、それが実現する保証などどこにあるのかと。千聖はこの二週間、そんなことを言ってしまった後悔を胸に秘めていたのだ。
実際、千聖には千聖の思いがあった。逢瀬がお人好しで綺麗事を好きなことを知っているからそう告げたのだともわかっていた。だが、
だが、それでも。千聖という少女は恐れていた。これを契機に彼に嫌われてしまうのではないか。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
悲壮な声だ。これが彼女の素の姿であろうことは疑うべくもない。
逢瀬は自分が此処に呼ばれた理由を、何か仕事に関してのことだと思っていた。プライベートでの接触を四年間極力絶ってきたのだから、彼女が自分に個人的な面を見せることはないだろうと。そう思っていた。
思えば、ヒントは最初からあったのかもしれない。事務所で逢瀬を呼び止めたときの彼女の様子からも、ある意味ではそれは明らかだった。
焦ったような表情も、やけに切羽詰まったような声音も、そして何より逢瀬に対する
「私、今日はどうしてもあなたと話がしたくて……だから頑張ったのよ? あなたが昔好きだと言ってくれた料理も作ったし、長い映画だって見つけてきて……でも勇気が出なくて」
弱々しい。女優としての〝白鷺千聖〟しか知らない人間が見れば、これが本当に同一人物なのか目を疑うだろう。
「白鷺さん……」
「これだけ言っても、まだあなたは
あの頃。その言葉が脳に届いた瞬間、逢瀬の頭に激痛が走る。『思い出すな』『考えるな』と脳内の誰かが警鐘を鳴らす。
昨日に引き続き今日もか、などと思いながらその頭痛をおくびにも出さないよう堪える。どうやらその甲斐あってか千聖に異変は気づかれていないようだった。
「……なんでもないわ。忘れて」
言いたいことは言い尽くしたとでも告げるように、千聖が背中から離れた。微かな重みから解き放たれた身体が前へつんのめる。
振り向いて千聖の顔を見た。その表情は、どこか悲しそうに笑っていた。
「引き留めてごめんなさい。でも、それだけ言いたかったから」
そう言うと、千聖は玄関まで見送りに来てくれた。どこか物憂げな空気を忌むように逢瀬が外と繋がる扉を開けると、千聖がまたねと手を振る。
外に出て、扉を閉める。内側から鍵のかかる音が聞こえた。
────僕は。
逢瀬は痛む頭に手を当てて空を仰いだ。その空は、彼の苦悩を嘲笑うかのようにどこまでも紺碧で、どこまでも澄み渡っていた。
「……
その呟きは誰にも聞き届けられることはなく。
髪を揺らすそよ風が、今はどうしようもなく鬱陶しく感じられた。
最後の2000文字を書きたいが為に用意したお話。下手なことするもんじゃないですね。幾つも伏線張った中に一つだけ明確に矛盾してる記述があるんですが、わかりましたかね?
ここからは評価してくださった方々のご紹介。
☆10 αναγνώστης様、ようやくサラダの逆様、Ryusei様、snow2002様
☆9 refl様、森の人様、以来気光様、赤茄子 秋様、あっつ様、いとしゅ様、逆立ちバナナテキーラ添え様、ガチャ男様、そんだい様
☆8 久住大河様
また、ひとりアリス様、再評価ありがとうございます。
以上の方々に最大限の感謝を。皆様のおかげで総合評価2000が目前となって参りました。本当にありがとうございます。
それではまた次回。感想、高評価いただけると更新速度がナメクジからナポレオンフィッシュくらいには上がります。