「お前にはショートランドに行ってもらう。現地の泊地からの要請だ」
「ショートランド?」
佐世保鎮守府所属、睦月型駆逐艦五番艦皐月(改二)上等兵相当兵が司令官に呼び出されて言い渡されたのは、ショートランドへの派遣要請だった。駆逐艦一隻にピンポイントでくる命令としてはかなり珍しいと言えるだろう。
しかし、続いての司令官の命令に至っては珍しいどころの話ではなかった
「ショートランドの近くに無法者の巣となっている町がある。そこに潜り込んで対象を討伐せよ」
「え? 何それ? ゲームの話」
「当然、違う」
司令官はノートパソコンの画面を皐月に向けると、動画の再生ボタンを押した。
「よく見ろ」
どこかの防犯カメラの映像のようだ。そこまで広くない事務所の内部を映しているように見える。映像は荒いうえ、事務所そのものがあまり明るくないようだ。人の細かい動きまでは見えない。
「なにこれ」
「どう見える」
「何か、小さい事務所? どこだこれ」
その時、映像の真ん中にあるドアが開いた。
「……こいつ」
皐月は入ってきた人物に引っ掛かりを覚えた。自分と同じ年頃の子供だ。褐色の肌に、短く刈り込まれた緑色の髪、そしてそれと同じ色の瞳。表情は険しいが、どこか冷淡だ。
服は取り立てて特徴がないが、リュックサックを背負っている。そして何より手には拳銃を持っていた。
何語かわからない号令とともに、カメラの映像に閃光が何度も割り込んだ。それに伴うのは絶え間ない破裂音。
銃声だ。
向けられたのは防犯カメラの中央、今しがた事務所に入ってきた子供である。
「えっちょっこれ」
「よく見ろ」
司令官が映像の中の子供を指さす。もちろん言われなくても見ている。おそらく事務所の中で待ち構えていた連中が子供に弾丸の雨を叩き込んでいるのだろう。それだけでも十分ショッキングな映像だが、それ以上に不可解なことがあった。
降り注ぐ銃弾は、すべて子供に届いていなかった。このカメラの荒い映像でも子供が動じていないのが分かる。彼女の目の前に壁があるようにはじけ、浅黒い肌へは決して届かない。
たっぷり十秒は銃撃が続いただろうか。少女の方がとうとう攻撃に移った。その口元が得意そうな笑みを浮かべていることを皐月は察した。
のんびりと拳銃を構えて狙いをつけ、一発。雨あられと響く敵側の銃声に紛れそうな軽い銃声とともに、画面の外から呻き声が上がる。その後も一発、二発と狙いを変えて打ち込むたびに声がある。三発目になるころには、生き残った男たちが事態を理解したのか、何かを叫びながら一層激しい銃撃を叩き込む。
しかし無駄だ。少女は悠々とすべての敵を仕留めると、銃声の止んだ事務所を闊歩していく。一度カメラの外に出、そして戻ってきた時には何やらアタッシェケースをぶら下げていた。そして何事もなかったかのようにドアを開け、事務所を後にした。
映像が終わった。
「どう思う」
「どうって、そりゃ」
今の光景は何か。それを皐月は否応なく理解していた。少女の眼前で弾かれる銃弾。それを皐月は日常的に体験している。
しかしシチュエーションが違いすぎる。陸の上で、銃弾で、なにより人間相手だ。
「あれは……艦娘なのかい?」
「そうだ。もちろんモグリだが」
「討伐対象はこいつ?」
「そうだ。ほかに気が付いたことは?」
「……こいつ、『長月』だ」
「そうだ」
肌の色も髪型も違うが、その髪色と瞳の色は、以前見かけたことがある別の鎮守府の『長月』によく似ていた。
「今のは、現地の中国系マフィアの事務所に設置されていた監視カメラの映像だ。見てのとおり、どうしてかはわからないが――このGARDENと呼ばれる町に、艤装を使った始末屋が最近幅を利かせているらしい」
「ガーデン? そっけない呼び名だね」
「本当は現地語での呼び名があるはずだが、もうほとんど呼ばれてないらしい。GARDENという呼び名も符丁が根付いただけのようだ」
「ふうん。それより、艤装なんてどこから手に入れたんだい? あれは軍の技術がないとまともに動かせないはず」
「それをどうにかしたんだろうよ。その結果がこれだ。完全無敵の始末屋。逆らえば死、だ」
司令官はもう一度映像を再生した。皐月はそれを眺めながら話を聞く。
「俺たちは深海棲艦に対抗するため、本来軍隊を持てない日本において例外的に作られた組織だ。だから国外のマフィアの小競り合いに首を突っ込んだりしないし、そんなことしたら現地政府からお叱りが来るもんだが……今回ばかりは例外だ。うちのメンツにかけて、艤装を違法に使うやつは放っておけない」
「メンツとか、どっちがヤクザだよ。……で、どうしてボクに?」
「ショートランドの司令官の要請だ。白兵戦が可能な駆逐艦が欲しいとさ。まあ言い分はわからなくもない」
皐月が出撃時に腰にさしている『武功抜群』と銘打たれた白鞘の日本刀のことだろう。
「本来白鞘は実践に向かないが、艤装の一部となっているおかげで、そんじょそこらの名刀にも負けない耐久力と切れ味を持っている。何より、艤装が展開するフィールドに干渉できる」
「艤装による攻撃以外は、今の映像みたいに弾かれるもんね」
「……しかし、どうにもキナ臭いな。ショートランドには刀剣を含む艤装を持った『龍田』も『日向』もいるはずだ。それに『響』も本来の用途とは違うとはいえ、錨でぶん殴るくらいできそうなもんだが……」
司令官がいぶかしげに言うが、皐月としては乗り気だった。いつもと違う状況が高揚感を誘っているのか、あるいは自分と同型の艤装を悪用されて気分を害されているのか。自分でもよくわからないが、行く気でいる。だから司令官に念を押すように聞いた。
「でも、無碍に断る気はないんだね?」
「ああ。一応確認するが、行く気はあるな?」
「もちろん」
「そうか。なら一つだけ言っておく」
司令官は声色を変えて言う。
「これは民衆を守るための戦いじゃない。組織のメンツをかけた、言ってしまえば私闘だ。しかも相手は日常的に殺しをしているようなギャングだ」
「わかってる。でも命令とあらば、ボクはやるよ」
「……不安だな」
「何だって?」
皐月は少しカチンと来た。こっちはすっかりやる気なのに、不安と来た。
「確かにボクは普段から白兵戦をするようじゃないけど、格技の成績はいいんだよ? それに改二だ。経験も足りてる」
「それは知ってる。だがそういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題なのさ」
「心構えの問題だ」
司令官は即答した。しかし皐月としては心構えが十分なつもりだ。
「やる気ならある」
「やる気……ねえ」
司令官は席を立つと、のんびりとこちらに歩いてきた。
「ん? なんだい?」
「……今からお前が行くところは、普段と何から何まで違う。相手も、戦い方も、事情も、必要な心構えもだ」
「わかってるって」
「そうか。なら」
あと一歩。あと一歩近づいたなら、司令官相手でも流石に皐月が身構える距離――その一歩外側から司令官は一気に踏み込んだ。
「ちょっ」
「やはり、不安だ」
虚を突かれた皐月はろくに抵抗できなかった。あっという間に接近を許し、腕を極められる。ぎりぎりと込められる力に抵抗できない。艤装を接続していない状態では、艦娘といえど成人男性と同じ程度の身体能力しか発揮できない。
「いきなり何すんのさ! 痛いって!」
「やはり、不安だ」
司令官は繰り返す。
「こうしてあっさり腕を取られ、折られそうになっているのにその態度とは」
「お、折る? マジで?」
その時になって、皐月は司令官の言う心構えをおぼろげながら理解した。
「いい薬だ。よく覚えておけ。これからお前の行くところでは、味方だろうと気を許してはいけない。まさかと思うことがまさかではなくなる」
「ちょっ――」
「それが必要な心構えだ」
嫌な音がして皐月の腕がへし折れる。
「い、ぎゃ、ぐ、ひ」
「これからお前が行くところでは、こうなったら負けだ」
痛みのあまり悲鳴も上げられずに床に崩れた皐月に、司令官が冷たく言う。
「死にたくなければ殺す気でやれ」
*
釣り竿のケースに忍ばせた日本刀を携え、皐月はGARDENの道なき道を行く。
都市開発計画など皆無のこの街に親切に設けられた緑地などない。道なき道とはすなわち、建物の屋上を伝って目的地へと最短でたどり着くルートだった。
「よっと」
軽く飛べば高さにして二メートル。幅にして五メートルほども渡れる。一つの建物を二歩でまたぎ、大通りも軽い助走でクリア。あっという間に目的地が見えてきた。
「よし」
ビルの屋上から飛び降りながら日本刀を取り出し、ロッドケースを放り出す。艤装を背負っているため若干重い体重が地面に降り立ち、派手な土ぼこりを立てた。すでに右手は日本刀の柄にかかっている。
「さて」
前を見据える。そこにターゲットがいた。
監視カメラ越しに見た姿そのままだ。通信によればまたぞろヤクザの事務所を襲撃した帰りらしい。硝煙のにおいがまとわりついており、いつぞやのように手にはアタッシェケースを提げていた。
皐月は奇妙な感覚を覚えていた。カメラ越しでは感じなかった、奇妙な連帯感のような、同属嫌悪のようなものが背筋を撫でる。相手も同じものを感じているのか、片目を細めて怪訝そうな顔をする。
こいつは睦月型だ。
皐月が確信する一方でターゲットが口を開く。やはりというか、英語だ。
『……何者だ?』
『名乗れないんだよねえ、これが』
問いかけを拒否しながら皐月は相手を見据えた。
緑の目と髪は知っての通りだが、褐色の肌と薄汚れたジーンズとパーカー、スニーカーはかつて見た他所の鎮守府の長月にはなかったものだ。
しかし、これはこれでいいのだ。こうするべきだという格好。この街の始末屋という位置にすっきり収まる格好だ。
それに対して自分はどうだ。セーラー服にローファー。日本から飛び出してきたままでここにいる。手にある刀はさらに時代錯誤と来ている。さぞ周りからは浮いて見えるだろう。
だからこそ、相手にはわかるはずだ。
わざわざ来てやったのだと。お前に差し向けられた刺客なのだと。
『こっちこそ聞きたいね。キミは何者?』
『名乗る義理は……無い!』
神速の抜き打ち。『長月』のだらりと下げられていた右手が跳ねあがり、一ミリのブレもなく皐月の心臓に9 mmパラベラム弾を打ち込んだ。
弾丸は皐月の残像を貫いた。引き金が引かれる一瞬前にスタートダッシュを決めた皐月は日本刀を抜き、『長月』の右腕を切りにかかっていた。
対する『長月』も無防備ではない。皐月の動きに一瞬驚いたものの、脅威だと判断して意識を切り替えたようだ。自分から見て右側に迫る皐月に対し、拳銃を胴体に引き寄せながら小さくステップ。皐月のふるった剣先は相手の服をわずかに切り裂くにとどまった。
『…………!!』
しかし『長月』が息をのんだのを皐月は察した。余裕綽々だった表情が一気に警戒を帯びる。皐月の攻撃が自分に届いたことに驚いたのだろう。
『長月』の動きが鋭さを増す。素早く拳銃を構え治し、さらに引き金を引く。
皐月はそれに構わず最短距離で『長月』に食らいつく。銃弾をよけるたび距離を詰め、斬撃を送り込む。足は止まらない。
『ちっ』
舌打ちした『長月』は背に壁を背負う形になった。手に持っていたアタッシェケースを放り出すと、片手で扱っていた拳銃を両手持ちに変え、しっかりと皐月へと狙いを定めてくる。
それに対して皐月はやはり踏み込みで対応した。相手から見て右側へと食らいつき、外へ外へと回り込む。『長月』の狙いも皐月を追う。
至近距離での偏差打ち。皐月の右目を狙うそれを察し、皐月がさらに踏み込みを鋭くする。外へ逃げ切れる。そのはずだった。
『はっ』
『長月』が小さく笑った。皐月の予想した瞬間の銃撃はなかった。視線と指先の動きを使ったフェイントに皐月がかかったのを見て、皐月の出した速度に合わせてさらに早く銃口を動かす。動いた先は過たず皐月の右目に食らいついた。
「ぐっ」
目の前で閃光と銃声が弾け、思わず皐月が片目を閉じて身を固くする。一瞬の隙が命取りだった。『長月』は垂直に二メートル弱も飛び上がると、真上にあったエアコンの室外機に指先を引っかけ、さらに上方へと自分の体を飛ばした。自分もさっき似たようなことをやったが、さらに更に速い。まるで猿だ。
『あばよ』
「待っ」
『待ってくれ』
捨て台詞を言う余裕すら残し、『長月』の姿が建物の上へと消える。皐月は慌てて追おうとしたが、ヘッドセットから聞こえた声に制止された。
『もういい。追いつけないよ。それよりアタッシェケースを確保してほしい。状況終了だ』
「くそっ」
通信の相手は至って冷静だった。腹が立つくらいに冷淡に現状を分析する。皐月は刀を鞘にしまい、鞘の先でアタッシェケースを拾い上げた。
「おつかれ。してやられたね」
声に目をやれば、相手が皐月に先ほど放り出した釣り竿のケースを投げてきた。
ショートランドに所属する駆逐艦、響だ。戦後にロシアにわたった艦を原型とするためか、白銀に輝く髪と肌は南国の地にミスマッチな怜悧さを振りまいていた。おまけに本人の性格もクールで、その冷ややかな目が皐月にはどうにも苦手だった。
皐月はケースに刀をしまいながら弁解した。
「悪かったよ。油断した」
「そうかい」
相手は無造作に腰の後ろに手を回すと先ほどの『長月』の再現のように抜き打ちを披露した。狙いはやはり、皐月の右目だ。
「ちょっ」
完全に戦闘を終えた気分だった皐月は、それでも何とか反応した。身を投げ出す勢いでステップを踏み銃弾を回避する。
頭を逃がせても髪は遅れた。二つに結んだ皐月の髪の一つに放たれた銃弾が衝突する。
固い音。艤装の発するフィールドに阻まれ、9 mmの銃弾ではキューティクル一つ傷つかない。
「わかるかい」
さらに相手は自分のこめかみに拳銃を押し当てて引き金を引いた。『長月』のものより少々重たい銃声が再び響き、銀髪の小さな頭がほんの少しだけ揺らぐ。小さな音がして、ひしゃげた銃弾が彼女の足元に落ちた。
「これが今の私たちだ。君はこの豆鉄砲にひるんでターゲットを取り逃がした。油断がなんだ? 言い訳になるのかい?」
「……だから、悪かったって言ってんじゃん」
響の背には、皐月や『長月』と同様にリュックサックがあった。彼女も皐月と同様に艤装を改造したが、有効な攻撃手段がないということでバックアップに回ってもらっている。
「身のこなしは大したものだけど、心構えがなってないね」
「心構え、か」
司令官にも言われたことだ。思わず皐月が考え込んでいると、響が空気をリセットするように手を二度叩いた。
「少し意地悪な言い方をしたね。ごめん。撤収しようか。さすがにそろそろ警察も来る」
あたりの建物からは、荒事が終わった空気を察したのか人影がちらほらと見え始めた。しかし皐月の気分は晴れない。
「……心構えかあ」
「人の話を聞いているかい? 引き上げるよ」
「あ、うん」
響と二人、またしても道なき道を行く。少女たちが去った街角には、ひしゃげた銃弾だけが取り残されていた。
*
GARDENの港近くに用意された安宿に帰り着いたころには日が傾いていた。息がかかっているらしい主人は、金髪と銀髪の二人組の少女を不審がることもない。顔に大きな十字傷を持った中年は新聞を読みながら、ちらりと一瞥をくれただけだ。
「さて」
響は部屋に入るとさっそく机に向かった。そこには安宿に不釣り合いな本格的な無線機がある。
「こちら響。司令部、応答願う」
響は司令官と何度かやり取りをした後、そのまま報告を終えて通信を切った。そして割り当てられたベッドに座ると艤装を解除し始めた。皐月もガワだけのリュックサックを外し、その下にある艤装の火を落とす操作をしながら響に聞く。
「ボクは報告しなくていいの?」
「君の役割じゃない」
ここの司令官はショートランドの泊地に皐月が到着した時も事務的な挨拶をしたのみで、さっさと響と皐月を船に乗せてGARDENに送り出した。通信も響のみと行い、皐月とは必要以上にコンタクトを取らないつもりでいるらしい。
皐月としてもありがたい。佐世保の司令官からの前評判と、実際会った時の印象を合わせれば、あまり関わり合いたくない相手だったからだ。
響は艤装に燃料を補給し終えると、自分も補給だと言わんばかりにウィスキーを一杯やり始めた。そのまま飲んだくれてくれれば皐月としては楽だったが、こちらに絡んできた。
「……しかし、退屈だな。そう思わないかい」
「何さ、いきなり。ボクは飲まないよ。ビール党なんだ」
「あげないよ」
「そんなつもりで言ったんじゃないよ」
「ビールが飲みたいなら自分で買ってきたらいい」
「一人で出かけろって? 夜に、ここを?」
はっきり言ってこの街は異常だ。話には聞いていたが、治安がどうこうという話じゃない。
昼前にこの安宿に荷物を下ろし、無線機を設置してすぐ、『長月』が姿を見せたと報告があった。そのまま少し離れたところで待機していたが、その道中ですら顔をしかめたくなる光景がいくつもあった。
殺し、酒、薬、女、汚職、金、武器。その負のイメージがすべてそこにあった。昼間の往来ですらそれだ。夜の、しかも繁華街ともなればどうなることか。
「金ならある」
響は先ほど回収してきたアタッシェケースを開けると、米ドルの札束を一本投げてよこした。皐月は受け取りもせず手の甲で叩き返し、アタッシェケースに返却した。横領はごめんだ。それを見て響が短く口笛を鳴らす。
「やるじゃん」
「キミの方は何なんだよ、やけに馴染んでるじゃないか。ここの出身じゃないだろうな」
艦娘というのは艤装に適合した人間だ。簡易的な遺伝子検査で適性が分かるということもあり、あちこちの国で日本の特別軍が希望者を募っている。艦娘による防衛能力を提供する代わり、泊地を置いた国から人材を募る。そして国外から日本へ送り込まれた適合者は戦うすべを叩き込まれて艦娘へと生まれ変わるという寸法だ。日本の艦の艤装に適合すれば、日本語も自動的に習得できることもあり、よくよく聞けば日本以外の出身の艦娘というのも案外多い。
「まさか。私は日本出身さ。ただ、この街に馴染みがあるというのも事実だよ。例えばこれとか」
今度は響が拳銃に手を伸ばし始めた瞬間から皐月は身構えた。それを見て響は小さく笑みをこぼすと、撃つ気はないとでもいうようにバレルのほうを持って皐月に見せびらかした。
「ПЯ」
「ぺーやー?」
「MP-443 グラッチといった方が通りがいいかな。私は響になる前からロシアにハマっていてね。ショートランドの娯楽の少なさに飽き飽きして、趣味に没頭しているんだ」
「……そういやそうだ、なんで拳銃なんて持ってるのさ。支給品じゃないだろソレ」
「買った。この街では簡単なことさ」
つまりは違法な横流し品ということだ。皐月は呆れてしまった。
「……バカじゃないの」
「何だと」
響は素早く拳銃を持ち変えると発砲した。皐月はよけた。艤装を取り外している状態なのでアシストはない。命からがらの回避だ。我ながらよくやったと思う。
「この、バッ――撃つなよ! ステイステイ!」
「ごめんよ」
響は軽い調子で言う。うわさには聞いていたが、『響』の適合者というのは熱しやすく冷めやすいらしい。メリハリが効くと言えば美徳に聞こえるが、そこに彼女本来の気質が上乗せされた結果、だいぶエキセントリックな性格に仕上がったようだ。
艤装に適合した少女は成長が止まり、艤装ごとに決まった傾向へと外見と中身が変化していく。髪、目、肌の色、体格、性格、口癖に至るまで、すべてだ。最終的に多少の個性は残るが、同じ艦を由来とする艤装に適合した艦娘たちは、双子以上にそっくりな存在となる。そういう意味ではあの浅黒い肌の『長月』の適合は完全ではないのだろう。
下手な質問をすればまた撃たれるのではないか。皐月は戦々恐々としながらも拳銃について響に聞いた。
「違法じゃないの? 大丈夫なの?」
「こいつはバレなかったよ」
「違法かどうかを聞いてるんだよ!」
響は意に介さず話をつづけた。
「こいつだけならよかったんだが、どうしても大物も欲しくなってね。そっちは
「バレて、どうしたのさ」
「今ここにいる」
その口ぶりからすると、ショートランドの司令官としてはこの任務は罰にあたるらしい。ならばわざわざ呼び出された皐月としては文句を言ってやりたかった。
「断ったらただじゃ済まなそうだったから引き受けたんだけど……まあ、任務である以上はちゃんとやるさ。さて、もう一杯……」
響は荷物からつまみを取り出すとウィスキーをもう一杯追加した。皐月としてはちゃんと夕飯が食べたいので抗議する。
「ご飯食べたいからついてきてよ」
「私はいらない。一人で行きなよ。金ならある」
「二度ネタはいらない」
「ネタじゃなくて。一人で出かけるのが嫌なら携帯食料で済ますんだね」
「他に何か無いの」
「ないよ」
「つまみはあるのに?」
「優先度の問題だ。それにつまみもあげないよ」
何を言っても無駄だと悟り、皐月は支給されたレーションを開封した。もともと日本で作られたものだから味は悪くないが、やはり物足りない。
環境も同僚も待遇も最悪と来た。
「絶対さっさと終わらせてやる……!」
皐月は決意を固くした。
*
『長月』はセーフハウスにたどり着くと、電話で雇い主に抗議した。
「どういうことだ。あんなのがいるなんて聞いてないぞ」
『私も予想外でしてね。申し訳ない』
慇懃無礼な雇い主は相変わらずの調子だった。電話越しの無個性な声では、彼がどんな感情を抱いているかを察することはできない。
『とはいえ、この仕事に予定通りなどあってないもの。横やりであろうと、目的のブツを置いてきてしまったのはあなたの落ち度です』
「片手で相手できるやつじゃなかった。いや、両手が開いていても……」
表向きは余裕ぶっていたが、『長月』としてもギリギリの戦いだった。アタッシェケースを左手において相手を右側に誘導し、ぶっつけ本番のフェイントで不意を衝く。そして得意分野のパルクールで離脱。あの金髪は間違っても平地でのんびりと戦っていい相手ではない。あっという間に距離を詰められ、動きに割り込まれて真っ二つにされる。
『あなたにそこまで言わせるとは……まあ、聞く限りでは相手もあなたと同じ艤装を身に着けていたようですし』
「やっぱりか」
あのリュックサック。おまけにあの日本刀も艤装の一部だろう。掠っただけのため威力のほどはわからないが、トミーガンの集中砲火すら無効化する艤装のフィールドを突破してきたのは事実だ。
『できればデータが欲しいところですが……余裕はなさそうですね』
「オレの仕事じゃない」
『まあそういう契約ですしね……とはいえ、次に『仕事』を失敗すれば、飛ぶのはあなたの首です。それは覚えておいてください』
「わかってる」
電話を切ると『長月』は苛立ちをキャビネットにぶつけた。艤装により強化された脚力により、『長月』と同じ背丈の家具がひしゃげて吹っ飛び、派手な音を立てた。
「くそっ」
武器がいる。もっと強い武器がいる。今までの仕事など、拳銃で十分だったし、そうでなければ軽機関銃とナイフがあれば怖いものなどなかった。誰も自分を傷つけられなかった。だというのに、あんな時代錯誤な日本刀一本がこの身を脅かすのか。
「次は、殺す。ただじゃ済まさない。オレのプライドを踏みにじりやがって……!」
『長月』は決意を固くした。
ソロモン諸島の夜が更ける。