家出娘と美形お兄さんの珍道中〜   作:藤涙

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Part.8:パンドラの箱

「変なの」

「どうした?」

「獅子劫さん電話出ないの」

 

2つ折りの機械を見ながらマスターはぷく、と頬を膨らませている。

シギショアラの街は濃い朝靄に包まれていて、外から見ればまるで白い塔のよう。

二人は街に入ろうとして───

 

「マスター、待て」

「毒…?」

「いや、宝具だ。できるだけ吸い込むんじゃない」

 

どうやら、もう始まっているようだった。

彼女は手のひらの中の機械に目を移すと、心配そうに眉根を寄せる。

白い闇と形容していいこの霧はまるで二人を誘うように蠢いている。

 

しまった、気づくのが遅くなった───とアキレウスは伺い見れば、マスターは顔をしかめただけで、なにかしらの対策を講じるそぶりはない。

この程度なら平気らしい。

 

「行くか」

「うん」

 

霧の中は音も光も通さない。世界遺産に登録されている中世の街並みは何も見えない。

少しその静けさが怖くって、自然と歩みが早くなるヒマリ。

それを襟首を引っ掴んで元のスピードに戻したアキレウス。

 

「わたし、犬じゃないんだけど……」

「へえへえ」

 

服が伸びちゃうでしょ、と不満そうな顔でくぐもった声を出すヒマリをアキレウスはあしらうように頭を撫でた。

 

「なんで子供扱いするのかなー、わたし、成人済みなんだけどなー」

「今でも信じられないな…本当か?」

「…本当だよ? うへへ」

 

間延びした声で笑った顔に、アキレウスは面影を見た。

先程一瞬、あのカフェで観た白昼夢。

断絶したフィルムを埋め合わせるように、記憶にある姿を当てはめていく。

 

マスターも、あれをみたのだろうか。

 

「…。どうかしたの、ライダー?」

⎯⎯⎯『どうしたんだい、アキレウス?』

 

霧のせいか、少し⎯⎯⎯ぼうっとしていたみたいだ。

マスターは気まずそうに、こちらを伺いみている。

能天気そうなふりをして気にしいな、繊細な娘だから、“なにかあったのか”と目が雄弁に語っている。

 

「アキレウス、あの、わたし、言いたいことが⎯⎯⎯」

 

「パ⎯⎯⎯」

 

名前を、呼ぼうとした。

とうの昔に、呼ぶことがなくなった親友(とも)の名を。

 

「(ああ、そうか)」

 

少しだけわかった。

聖杯が彼女を引き合わせた理由。

 

 

 

 

『■■、■■⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯こんな、こんなもの、こんなものが、こんな結末が……ッ‼』

『お前が何を思おうと、これが私たちの⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯いや、私の■だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんただってそう思うでしょ?

騎兵(ライダー)

 

思い描いた記憶の中の■■に、聞いたことのあるような声で、そう問いかけられて、アキレウスは総毛立った。

 

雨が降っている。

細かい雨は一粒一粒が針のように、冷たく体をかすめていく。

刃を握る手は震えている⎯⎯⎯⎯⎯⎯俺の手か? いや⎯⎯⎯⎯⎯⎯

光を失っていく瞳を見つめている。

 

何度。

 

 

 

何度。

 

 

 

何度も。

 

 

 

きっとこれから何度だって。

 

 

 

きつくこぶしを握り締めた⎯⎯⎯⎯⎯⎯誰が?

誰かが名前を呼んでいる⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯マスター(パトロクロス)だ! 俺を探している!

痛みで一瞬目の前が白く陰る⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯どっちが夢だかわかりゃしない!

 

⎯⎯⎯⎯⎯⎯『ライダー…!』

 

マスター(パトロクロス)の、声がする。

声がした方向を見る。

斜め後ろを振り返る。

 

いくら探したって、どこにも(かのじょ)の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ライダー?」

 

一瞬、目の前が白く陰って、私とアキレウスの間を呑んだ。

目が少し痒い⎯⎯⎯⎯⎯⎯しょぼしょぼする視界が彼を見失わせて、それきりとなった。

何度か名前を呼んでも、音を霧が吸収してしまうようで、彼がそばに来る様子はない。

 

迷子、という言葉が漠然と浮かぶ。

思考が濁っている気がする⎯⎯⎯⎯⎯⎯この霧のせいか?

 

敵地に独りきり、という感覚が背を撫でた。なんだかとても恐ろしいことをしているような覚えがして、手が震えた。

 

令呪はある、三画そろっている。

彼を呼ぶために、使おうと思って⎯⎯⎯⎯⎯⎯やめた。

この程度で使うのは憚られる気がする。

 

白い霧が風に吹かれたように揺らめて、かすかに家屋の姿を浮かび上がらせる。やっと間近で見れた中世の家屋に興味を惹かれ、ドアの方向に近づいていった。

なんとなく、ドアノブに手をかけ開けようと───かちゃり、開いた。

ドアノブはいとも容易く侵入者を許し、そのまま緩やかなスピードでドアは開く。

 

「おじゃま、しまーす」

 

こんな時に家に鍵をかけないのを異常と考えないのは何のせいか、ヒマリにはわからない。

身に危険が迫っているときに、身を隠そうとするのは本能だ。

脳を支配しているのはそれだけで、玄関を進み、リビングへのドアを開けようと…

 

すん、とどこか鉄臭い臭いが鼻についた。

 

ダメだ。ここはダメだ、と脳が警鐘を鳴らす。

開けちゃえ、開けちゃおうよ、と誰かが耳元で笑っている。

 

震える手を押さえ込んで、ドアに手をかける。カチカチと歯がなっている。腰は引けている。

だめだ、だめだ、開けてはいけない。頭ではそうとわかっているのに、手はドアノブから離れなくて、涙腺から液体が滲んだ。

少女の震える手でもドアノブは容易く折れ、ぎいぃーーっと古びたドアが開く。

 

“そこにあったのは”女性の───心臓が抉られた───床を染める流れ出た血と、光を失った黒い瞳と、死の際の壮絶な表情と───お腹の、下腹部の、あれは───

 

脳が処理しようとしたことがらを一旦白紙にした。だめだ、記憶に残してはだめだ、疵になってしまう。

吐きそうになって、床に手をつくと左手にぴちゃり。赤い血がついてゾッとする。

 

逃げなければ、逃げなければ。

急いで、早く、今すぐに。

 

───だってあの血の温度は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

立ち上がって走り出そうとした瞬間、なにかに足をとられて転んでしまう。

真横から、くすくすくす、と。幼い少女の嗤う声がした。

 

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