「こんにちは、魔術師さん。貴方は赤の側かな? それとも、黒の側かな?」
幼い、声だった。
銀色の髪にアイスブルーの瞳。12、13歳ほどだろうか──私より少し小さいくらいの背の、可愛らしい少女。
立とうとして───無理だ。腰が抜けてしまっている。ガクガクと脚が震えて情けなかった。
左手は血でべっとり濡れている。
頭が一瞬、痛んだ。
「“黒”のアサシン…?」
「そうだよ?」
片手でナイフをクルクル回しながら可憐な声で肯定する“黒”のアサシン。
様々な武器、というか医療用のメス等だろうか? が吊るされたベルト。武装しているものを見る限り、近代の英雄のようだ。
だがおかしい。この英霊は若すぎる。サーヴァントとして召喚される姿はその英霊の全盛期の姿のはずだ。もちろん若くして英霊になるケースはあるらしいが、この子はまだ小さすぎる⎯⎯⎯そもそも近代で幼くして偉業を成し遂げた者なんて、聞いたことがない。
彼女の片腕を見る。
「…腕、痛くないの?」
「うん、痛いよ。とっても痛い」
たぶん、セイバーが先に戦っていた…ようだ。彼女の片腕はちぎれていると言ってもいいほどの負傷だった。骨の断面が見え、筋繊維はズタズタ。
彼女の見た目が小さいせいか、取り乱した思考が落ち着いてくる。ライダーを令呪で喚びたい、のだけれど、この至近距離で下手に刺激して、殺されるのはまずい。
彼女はアサシンだ。
己のサーヴァントからはぐれた隙に、マスターを殺す。
それがこのクラスのサーヴァントの真っ当な戦い方のはずだ。
わたしがまだ呼吸をしていて、
彼女が見せびらかすようにナイフを弄びながら、こちらを見下ろしている。
その事実が
殺すつもりならとうの昔に。
“気配遮断”で喉をかききってしまえばそれで終わりだったはずだから。
「とっても痛いし、おなかが空いてたから、
“黒”のアサシンが指し示した先は見ないようにつとめた。
魔力供給はマスターからで十分のはずなのだが、彼女が街中の魔術師や⎯⎯⎯傍らで転がっている一般人を食い殺してまで魂食いを続けるのはなぜだろう。そこまで大食いなサーヴァントには見えないのだが…
「くんくん……。おねえさん、やっぱりいい匂いがするね」
「そ、そうかな…」
「うん! とっても美味しそう!
今すぐライダーを喚びたくなった。
魔力を求めて殺しを続けるのなら、
“黒”のアサシンのナイフが喉元を過ぎ、心臓の上を撫でる。冷たい刃の気配に体が勝手に震え出した。
「ふふ、こわい?」
「そうね…怖いよ。とても」
「じぶんのサーヴァントはよばないの?」
「わたしが口を開く前に、貴方はわたしを殺しちゃうでしょう?」
あはは、せーかい。と拙く甘い声。
ナイフが心臓から離れたことで、ひとまずほっと息をついた。
「貴方はわたしを殺さないの?」
「おねえさんは、“赤”の人でしょう? サーヴァントもすごく強そう。なら、“黒”の人達と潰しあっててくれれば後始末が楽かなって」
「なるほど…」
確かに。
これは聖杯戦争だ。
真っ当な戦い方ではある⎯⎯⎯
「ああ、でも、でもね?」
「?」
「そのおなかのなかに、隠してあるものは気になるなあ。
⎯⎯⎯
は? と息をつく間もなく、彼女の刃が肌を撫でた。
服は大した抵抗力にもならず、一瞬の鈍痛のあと、どっと赤が溢れ出す。
理解ができ、ない。
思考がおいつ、かない。
いたい、いたい、いた
「え゛ゔ…ッ、……ァ」
「どこかな? ここかな? いったいどこにあるんだろう?」
小さな手のひらが、無遠慮に赤の中に突っ込まれる。
皮を分けて、筋肉をこじ開け、はらわたが外気に晒される。
骨を歪められる。指が内臓を掻き分ける。
脳がいっしゅン、スパー
くして、なにモ、考、え
ら
れ
な
く
な
っ
て
い
く
。
そうだ。
こんなことが、
前にもあったな。
「ア゛、ぅぐ…ッ、ぅゔ、ふッ」
「ああ、ごめんね。胃を引っ掻いちゃった」
耳元で甘く囁かれる。
腸を軽く、いたずらのように引っ張られる。
喉の奥からゴボッ、と勢いよく血液が溢れ出す。
抵抗しようにもあまりにも無意味で、小さな女の子に馬乗りになられたまま、時折「ァ、」とか「ゔ、」とか、そんな言葉にならない呻き声を。こんな目に合わされて無様な悲鳴をあげてたまるかと、ぐっと
「ああ、ほら、やっぱり⎯⎯⎯
おねえさん、直しといてあげたよ。どうやったらこうなるの?」
おびただしい血が、溢れている。
アサシンは二の腕まで飛び散った血を丹念に舐めとって、真っ赤に濡れた唇で笑った。
死んでないのがおかしいんだろうな、と
痛みに苛まれる思考の中で、ふと思った。
アサシンの腕が回復している。
私の血を飲んだからだろう。
気管にまで逆流した血のせいで、咳に水気が混じる。
手足の先の感覚がない。
「でも、心臓がなかったよ? う〜ん、まだ奥にあるのかな〜?
⎯⎯⎯わかった! わたしたちが探してあげるね!」
「……」
刃を持った、細い腕を掴む。
こんな抵抗は無意味だ、そんなことはこの“赤”のライダーのマスターも理解しているはず。
身体中のすべて、もう血に染まりきっていない場所のほうが珍しいくらい、その名に相応しくなった魔術師。
“黒”のアサシンは彼女の腕を振りほどこうとして⎯⎯⎯⎯静止する。
ピクリとも動かない。
「試して、みるか?」
こちらを見つめる瞳孔が一瞬鋭くなる。
濡れたような黒い髪から、何か生えているような気がする。
震えるばかりだったはずの指が、アサシンの腕に食いこんで⎯⎯⎯⎯いたい! いたい! 鋭い爪が食いこんでいく。
“赤”のマスターの身体が起き上がる。
抑えようとして⎯⎯⎯⎯殺そうとして⎯⎯⎯⎯できない。
力の差がありすぎる!
その気配は⎯⎯⎯⎯海の匂い、草の香りをまとって、アサシンは自分に近しいものを嗅ぎとる。
「あなた⎯⎯⎯⎯!!」
「褥の上で私がされるがままだと思うな、餓鬼ッ!!
⎯⎯⎯⎯なにをしている、とっとと来い
細い指先がアサシンの骨を折った。
右手の令呪が煌めく⎯⎯⎯⎯⎯桃の花の形を成したそれが、一角かける。
身を引いたアサシンの首を掴もうとして⎯⎯⎯⎯意識が一瞬、薄れた。
「(チィッ、令呪を使ったせいか……?)」
彼女自身のスキルか、それともマスターが令呪を使ったのか⎯⎯⎯“黒”のアサシンの姿が掻き消える。
それを横目で見つつ、こぼれた内臓を詰め込んだ。
大丈夫、言い訳はできるようにしておいてあげるから。
大丈夫、大丈夫。
何回かこういうことはあっただろう?
すぐ治るよ。
「……マスターー!!?」
そうだね、と返事をした。
光のような速さで現れたアキレウスの瞳に、血の惨状が映る。
敵がいるかの逡巡はなかった。
倒れ伏したマスターの姿。溢れた血液の海に浸った髪を震える指で梳いて、アキレウスは彼女を抱き上げた。
ライダー、ライダー、
あのね、私、ね、
「言いたいことが……、あって……」
「なんだっていい!! 頼む、今は喋るな」
鬼の子。
そう呼ばれることになる、前日の夢を見ていた。