鳥のさえずりさえ聞こえない早朝、二葉の意識は覚醒していた。
眠れていない訳ではなかった。
むしろ、目覚めは良好。
いつも通りの朝だった。
リウス・ミラーだった頃から変わらず。
(……やっぱり、おかしい)
二葉はベッドわきに腰を掛け、一度も仕事をしたことのない目覚まし時計を見る。
まだ、太陽が昇るには時間があった。
(起床時間もそうだけど……)
自身の右手を見つめる二葉。
そこには何もない。
その事実が、二葉に気持ちの悪い違和感を
(クソ……落ち着かない……)
その手には、いつ何があっても良いようにデバイスが握られていた。
突然呼び出される可能性があり、何なら、襲撃される危険性すらあった前世。
だからこそ、身を守るためにも……一刻も早く救助に行けるようにするためにも、そこに無ければならなかった。
それゆえに、リウスの右手には、いつだって責任を感じさせる重さがあった。
それが無くなった今、二葉は自分の重要なものを失った感覚に陥っていた。
(……どうして……?)
しかし、その感覚こそがおかしいのだ。
習慣とは体に染み付くもの。
脳のなか、無意識の領域に刻み付けられるものだ。
だが、『リウス』と『二葉』の体は別物。
そのはずだった。
……そうでなければ、ならなかった。
「……なんで、傷は無いんだ……」
自身の頬を押し付けるように、指で撫でる二葉。
子供の身体らしく、弾力のある柔らかいキレイな肌。
そこには、リウスである証の一切が無くなっていた。
眉間にしわが寄るその表情は、怒っているようにも、苦しんでいるようにも見える。
(……そして)
フッ、と鼻で笑い、胸に手を当てる。
「お前は変わらないんだな……」
心臓の、さらに奥深く。
微弱な魔力の源。
嫌というほど周りから蔑まれ、そして、恨んできたもの。
とっくの昔にその呪縛から解き放たれていたと思っていた二葉だったが、先日の出来事で思わずフラッシュバックしてしまっていた。
顔を上げる二葉の目には、眠りこける姉の姿が。
(……案外、未練がましいんだな。私って……)
もはや関わることの無いであろう魔法世界。
にも関わらず、その過去に囚われている自分が……目の前にいる姉に嫉妬の炎が揺らめく自分が情けなく思う二葉。
(……ダメだな……ここにいると、ダメだ)
二葉は静かに立ち上がり、動きやすい服に着替える。
そして振り返ることなく部屋を後にした。
青に染まる家の中は静まり返っていた。
時間が時間なので、親も起きていないのだろう。
しかし、それはかえって好都合だった。
(この時間の外出なんて、許されるはずないしね……)
まだ太陽が顔を覗かせてすらいない時間。
そんな時間に小学生、しかも入学したての子供を一人で外に出せる親はいないだろう。
二葉とて、親を心配させるのは嫌だった。
万が一にも起こしてしまわぬよう静かに玄関の戸を開け、二葉は走り出す。
(……皮肉でしかないな)
心がざわついた時、決まって同じ行動を前世でやっていた二葉。
今回もそれに頼らざるを得なかった。
前世からの呪縛で荒れる心を、前世のルーティンで落ち着かせるという皮肉。
その事実が、二葉という存在を否定しているような気がしていた。
無我夢中で走った先は、近所にある山だった。
山には神社があり、石の階段がはるか高く続いている。
前世では見かける事が無かった神社が物珍しく、よく見に来ていた二葉。
その経験から、ここにはあまり人が来ない事を知っていた。
早朝なら
(
可能性は限りなく低い。
しかし、0%ではない。
そう考えた二葉は、神社から外れた森の中へ駆けていく。
しばらく山を駆け上り、中腹を過ぎた頃に立ち止まる。
それまで走り続けていた二葉は、さすがに息が荒かった。
(……多少落ちてるけど、心肺機能もあまり変わらないのか……どうなってるんだ私の身体は……)
大して鍛えてもいない心肺は、ほぼ思い通りの働きをしていた。
それならば、と右手を回し、顔の前に上げる。
手のひらの上で灰色の光が、小さい球体となる。
それを上下左右、縦横無尽に動かす。
(……見える……追える、な)
かなりの速さで動かしていたが、難なく追えることを確認した二葉。
目を閉じ、一度だけ深呼吸をする。
そして、カッと目を開く。
魔力で作った球体……魔力弾を飛ばし、それを己へ高速で返す。
風切り音とともに、二葉との距離が削られる。
(まだだ……!)
二葉は身じろぎ一つせず、魔力弾を見据える。
10m、5m、1m……
ついに手を伸ばせば届く距離。
だが、それでも二葉は動かない。
(……ここ!)
そして服に触れる直前、魔力弾を上にそらす。
前髪が魔力弾によって上へ巻き上げられる。
魔力弾は、二葉にも服にも触れずに上空へと消えていった。
「……もう少し、いけたな……」
髪が風で巻き上げられる程の距離だったが、それでも二葉はまだ詰められると思っていた。
次に、二葉は腕をまえに突き出す。
上空へと消えた魔力弾を、再度自身へ返すが、今度は己めがけてではなく、少し横へ落とす。
相変わらず風切り音を奏でながら降りてきた魔力弾。
そして肩口にさしかかった時、ソレの軌道を変え、バレルロールの要領で腕にまとうように回転させながら指先へ飛ばす。
時折「チリッ」という音とともに腕に熱が走る。
(あっつ……)
指先を飛びきった魔力弾を留め、手のひらの上へ戻す。
しばらく見つめた後、軽く息を吐く。
「……ま、及第点ってとこかな」
戻した魔力弾を軽く握る二葉。
再び開くと、3つに分裂させたソレを別々の方向へ飛ばす。
そして少しの時間差を持たせて、最初のように自分めがけて飛ばす。
1つを操るのとは難易度が段違いになるが、二葉はそれすらも最初のように、直撃するギリギリでそらす。
(まだいける……!)
さらにそれらを2つに分裂させ、計6つの魔力弾をバラバラに動かす。
そのいずれも、自分に当てることなく操る。
しばらくの間それを続けていたが、集中しすぎたためか、額から汗がにじみ始める。
それを自覚した二葉は魔力弾の速度を落とし、一つにまとめて手のひらの上へ。
手をギュッと握ると、指の隙間から光が漏れ、魔力弾は消滅した。
(……やっぱこれが一番、頭がクリアになる)
ただの訓練ではダメだった。
一歩間違えば怪我では済まない危険性。
それこそがこの訓練の重要なポイント。
魔力の扱いを上達させるためでもあったが、何より、この極限の状態だと余計なことを考えなくて良かった。
「……日が昇って来たか」
気付けば、空が白んできていた。
軽く流すだけのつもりだったが、思いのほか真剣になっていた二葉。
「……なにやってんだか……」
自身の腕に目を移し、苦笑いを浮かべる二葉。
白く細身の腕には、痛々しい赤い腫れが数本浮かんでいた。
それらを撫でるように
その顔は、来た時よりも明るいものになっていた。