湯上がり。冷えないようにきちんと髪を乾かしてから花園家を後にして氷見家へと移動してきた二人。すっかりこれまで通りの雰囲気を醸しながら茜はテーブルの上を片付けフォークや飲み物を用意し、愛真は手際よく調理を進めていく。茹でたパスタとキャベツを、鶏胸肉を焼いていたフライパンへ移し市販のペペロンチーノソースを加えかき混ぜる。しっかり味が絡んだらトングを使って皿へよそり、レタスとマカロニのサラダを添えてテーブルに並べる。
「じゃ、食べよっか」
「おう、いただきます」
お互い学校の印象なんかを伝え合いながら和気藹々と食べ進めていく。
「明日から早速授業があるんだから教科書とか忘れちゃダメだよ?」
「ぬあ? そうだったな。何の授業だっけ?」
愛真に比べれば茜は学力面でやや難ありだ。これまでも愛真にかなり救われている部分がある。
「勉強も一緒に頑張ろうね」
「ああ。極力赤点になんないよう頑張るわ」
低めの目標を笑顔で語る茜に苦笑しつつも、二人きりで茜に勉強を教える自分を想像して少しだけ鼓動が高まる愛真である。
「あ、そうだ。明日の朝ご飯は大丈夫? 小父さんと小母さんは何時に帰ってくるって?」
愛真が言う小父さんと小母さんは茜の両親であり、同様に茜が小父さんと小母さんと言えば愛真の両親である。
「二時か三時には帰ってくるってさ。まぁ、食パンも残ってるし大丈夫だよ」
「そっか。なら良かった。あ! お弁当箱!」
家に帰って以来ごたごたしていたため、愛真はまだ茜のお弁当箱を回収していない。
「食べ終わったらこのお皿と一緒に流しに入れて。洗っちゃうから」
「悪いな。頼むよ」
しばらくして二人とも食べ終えると、愛真はキッチンペーパーを少しだしてペペロンチーノの皿を拭い始めた。ペペロンチーノは油ものであるから先に拭っておいた方が洗いやすいのだ。
「あと私やっとくから、茜ちゃんはゆっくりしてていいよ」
「ん、悪いなほんとに」
「いいのいいの。私がやりたくてやってるんだから」
愛真にとって洗い物をしながら、ソファでくつろぐ茜を眺める時間は密やかな楽しみであるのだ。バラエティ番組を見ながら一喜一憂する茜の、普段は見せない子供っぽさにどうしても頬が緩む愛真。ゆったりとした時間が過ぎていき、夜九時になったタイミングで愛真は茜の分のお弁当箱を持って氷見家をあとにした。
「また明日ね、おやすみ茜ちゃん」
「あぁ、おやすみ愛真」
愛真が不意に見上げた空はやや曇り気味で、春の宵の月はその姿を見せてはいなかった。
「明日……雨かな?」
愛真が思ったように四月八日は雨模様だった。愛真は水色にドットの傘、茜は赤と黒のツートンの傘を差し、郵便局まで歩いていた。
「発達した前線の影響で全国的に雨ひどいって。雷雨になるかも」
「そりゃ大変だ。走れないしじめじめするし、雨だとバスも混雑しそうだしな……」
バス停には昨日より多くの人が並んでいた。時間より少し遅れて来たバスにも既に相当数の乗客が乗り合わせていた。ほぼ満員状態のバスに二人も身体をねじ込むように乗車する。
「こりゃ立ってるともやっとだ。ほら、愛真」
「あ、茜ちゃん。傘の水で濡れちゃうよ?」
昨日の帰りと同じように愛真を抱き寄せる茜。愛真が言うように傘の雫で茜の足下が濡れてしまいそうだが、茜は気にかけない。
「そんくらい平気だ。それよりも、今日は降りる時に転ばないようにな?」
「あぅ。……平気だもん、多分」
昨日より時間をかけて高校に着き、愛真は転ばずに降りられた。昇降口に傘を置き、上履きに履き替えて教室へ向かう。席は出席番号順に並んでおり、花園、氷見、降旗と並んでいる。
「おはよう、降旗さん」
「おはよ、降旗」
「え? あ、おはよ。花園さん、氷見さん」
声をかけてきてくれたことが嬉しかったのか、降旗は昨日の集まりでの顛末を楽しそうに話してくれた。
「今度は私も……行ってみようかな。茜ちゃんと一緒に」
「……あたしもか。まぁ、愛真が行きたいならあたしも行くけど」
そう二人が言うとますます嬉しそうに笑顔を浮かべる降旗。
「ほんと!? やったー。次の土日とかどう? なんなら女子だけにしよっか。そっちの方が楽しそうだし! JKらしい休日過ごしたいもんね!」
「あはは。降旗さん雨でも元気だね」
「えへへ。よく言われる。あ、
「晴陽ちゃんって言うんだ、可愛いね!」
「えへへー愛真ちゃんも可愛いよ!」
可愛い談義で盛り上がり、勢いあまって愛真を正面から抱きしめる晴陽にモヤモヤを隠しきれない茜の剣呑な雰囲気を察して離れる晴陽は、
「いやー可愛い愛真ちゃんと格好いい茜ちゃんが並ぶと絵になるね。お似合いって感じ」
むしろ茜を持ち上げてすり寄ろうとする。
「いきなり馴れ馴れしいな。降旗」
「えー名前で呼んでよ。そして名前で呼ばせて」
「ダメだ」
こういう対応をするから愛真に威圧感があるなんて言われるのだろうが、どうにも茜からして晴陽は苦手という印象を抱かずにいられなかった。
「氷見さんでしょー。ひーちゃんとか」
「余計に馴れ馴れしい!」
そうこうしているうちに先生がやってきてホームルームとなり晴陽は席に戻った。もっとも、茜のすぐ後ろなのだが。
「まぁまぁ仲良くしてね。氷見ちゃん」
「わぁったよ降旗」
愛真以外の人から茜ちゃんと呼ばれるのが気分良くない茜にとって、氷見ちゃんはかろうじて妥協できるラインと判断した。そんなこんなで高校生活二日目は進んでいき、放課後を迎えた。
「本降りになってきたな……」
雨脚は強く春の嵐といっても過言ではない勢いになりつつある。
「傘……壊れないといいな。お気に入りだし」
「だったら差さずにあたしの傘入ってけ。その方がいいだろ?」
学校からバス停、バス停から家までの短い期間ではあるが相合い傘で歩く愛真と茜。
「茜ちゃん、肩……」
愛真の方へ傘を傾けているため茜の肩ははみ出してしまい雨に濡れている。バス停も並んでいる人が多く屋根のある部分はもう埋まってる。
「大丈夫だって。ほら、バス来たぞ」
朝と同様に満員状態のバスに無理矢理乗り込み、入り口側で立つ二人。郵便局までの道のりがいつも以上に遠いように感じられた。降りる時も茜が先に降り、傘を愛真に差し出す形で待った。おかげで家に着くまでほとんど濡れずに帰ってこられた。
「ありがとう茜ちゃん。お風呂湧かすから今日も入っていってよ」
朝のうちにお風呂を洗っておいた愛真がお湯を張ると、茜は着替えを取りに行くと言って自宅へ戻ろうとしたが……。
「あ、昨日の……結局こっちで洗ったからその……平気」
用意よく袋を持ってきていた茜だったが、お風呂場での諸々に混乱して結局置いてきてしまったのだ。
「そういや忘れてたな……。サンキュ」
リビングは冷えないように暖房が点けられていた。しばらく温風に当たりながら愛真が戻ってくるのを待っていた茜。すると愛真が脱衣所の方に手招きしてきた。
「制服、乾かしちゃわないと」
言うが早いか愛真は制服を脱いでハンガーに掛けた。脱衣所は除湿器がかけられており、ハンガーとハンガーの間には湿気取りの新聞紙も吊されていた。
「雨脚はこれからもっと強くなるみたいだから、明日は学校お休みかもね」
そんなことを言いながら昨日よりもてきぱきと脱いでいく愛真に、茜はきょとんとしながらも倣って制服を脱ぎ始めた。二人分の制服を掛け終え、洗濯物はカゴに入れた。すっかり裸になった二人は浴室へ入り、未だお湯は張り終えていなかったものの浴槽のお湯を桶で汲みかけ湯をして湯船に入った。
「さっきね、お父さんもお母さんも雨が強くて帰れそうにないって連絡がきてさ……それで、その……今日はこっちに泊まって欲しいなって」
昨日と同じように背を茜に委ねた姿勢の愛真が上目遣いで尋ねる。断る術など持ち合わせていない茜は二つ返事で了承した。ほっと一息つく愛真の胸の上下に視線がさ迷う茜だが、それで先ほどの愛真のぎこちなさに合点がいった。
「そう言えば昔もこんなザーザー降りの雨の日に一緒に風呂入ったっけな」
「覚えてるよ。その後停電しちゃって茜ちゃんがびくびくしてても私をぎゅって離さないでいてくれたの……嬉しかったなぁ」
暗がりが怖い中必死に愛真を護ろうとしたのを愛真が嬉しく思ってくれていたことが茜にとっても嬉しかった。照れながら頬をかく茜がぼそっと呟いた。
「……今日は停電しないといいんだが」
その台詞を人は……フラグと呼ぶ。