月饗祭五日目、最終日の夕方。最後の予約者も帰って、食材も使いきったので初日の約束通り早めに閉めた。
「お疲れ様、一色」
「お疲れ様です。司先輩」
「それじゃあ行こうか」
私たちは着替え終わって店から出た。まだ開いている他の山の手エリアの店の灯りに沿って歩いていく。
「そういえば今日はリボンなんですね」
たしかに学校では基本的に制服指定のネクタイ姿のことが多い。なので慧君にリボンをつけている姿を見せるのはこれが初めてかもしれない。
「ああ、うん。今日はなるべく早く着替え終わりたかったからこっちの方がいいと思って。…似合わない?」
「似合ってますから大丈夫ですよ」
そんな他愛ない会話をしながら歩く。
なんだか視線を感じるなーと思っていると慧君がこっちを見ていることに気が付いた。
「私の顔になにか付いてる?」
「いいえ、何も」
「…ならいいんだけど」
もし本当に変なことになっていたらまずい。二年生に進級してからというものの、ストーカーによる被害は一旦落ち着いたがいつ再発するのか分からないのだ。弱味を見せて今度はそれで脅迫なんてされた日には…。それに私の見た目は目立つので、もし何かあって遠スポなんかに載せられたりしたら…「新聞の人」とかって後ろ指さされるんだろうか…そんなの嫌だ。
内心そんなふうに考えながらみんなの店を目指した。
――――――
「結構回りましたね」
「ん、十傑の所は回りきったしね」
どれも美味しかったなー。元一席と元四席の…誰だっけ?まあいいか。その人たちに怯えられたけど二席の木久知先輩には歓迎されたし、コースのデザートにおまけでもう一品付けてもらう(そのうえ席は一番眺めのいい特等席と言える所に通された)という破格の待遇でもてなされた。あの人気が弱そうだからあの二人に色々鬱憤とか溜まってたんだろうな…。
大体そんな感じで山の手エリアを抜けて現在いるのは中央エリア。寧々ちゃんが出店しているのはこのエリアであり、ついさっき食べてきたばかりである。寧々ちゃんは私の店を手伝えなかったことに申し訳なさそうにしていたけど、別に気にしなくていいよ。蕎麦美味しいし。寧々ちゃんの店の回転率を下げないためにも名残惜しいが食べ終わってすぐに店を出た。
そこからしばらく歩いていくと―――人の行列がまさしく蛇のように長くうねり続いている。
「すごい行列だね」
「ああ、そういえばこの近くには久我くんの店がありましたね」
「……久我、くが…えーと、一色と同じ一年生、だっけ?」
「そうですよ、僕たちと一緒に紅葉狩り会にいた―――この間司先輩と食戟した一年生です。」
「…ああ!あの中華の子か」
やっと顔と名前が一致した。あの子の中華も美味しそうだったなー。審査員が病み付きになって食べてたのを見てたからどんな味なのか気になってたんだよね。
私の忘れっぽさに苦笑している慧君。いやごめんね、人覚えるの苦手なんだよ。
「あれ?でも個人出店者に久我君の名前はなかった気が…」
「中華研で出してるんだから当たり前っしょ」
不思議に思って慧君に聞こうとしたらどこからか声がした。振り返るとそこには――――――この間食戟した一年生、久我照紀君がいた。
「やあ、久我くん!元気そうでなによりだよ!」
「うるさい一色!…珍しくお前が誰かと来てると思ったら、まさか女王様のエスコートしてるなんてね。俺もびっくりして思わず飛んできちゃった☆…でうちになんか用?女王様」
「いや、私たちは通り掛かっただけなんだけど」
「へえ~、通り掛かった、ねえ?ふーん…」
うわあ、見るからに敵意剥き出しなんだけどこの子。こういう時なんて言ったらいいんだろう。
「彼女の言ってることは本当のことだよ。僕らは山の手エリアからここまで食べ歩いて来ただけさ。そしたらこの長蛇の列を見掛けて立ち止まったんだ。ね、司先輩」
「うん、そう、なんだけど…この行列って一体…」
「ああこれ?ぜーいん俺特製の麻婆豆腐目当てに並んでる客だよ」
「これ全部…」
「君は作業に戻らなくていいのかい?」
「大丈夫大丈夫。特訓して中華研のほぼ全員俺の麻婆豆腐作れるようにしてあるから、今十人体制で厨房まわしてんの」
「凄い…」
「まあね…で、食べてくの?」
「僕はちょっと食べ歩きで入りそうにないから遠慮しておくよ。司先輩は?」
「私は食べてみたい、かな」
私がそう言った瞬間、久我君の目がキラーンと光った気がした。
「へえ、いいよ。じゃあ女王様は特別に俺が直々に作ってあ・げ・る」
「え、ええと…ありがと…?」
いきなりとてつもない笑顔を向けられて困惑気味の私をよそに久我君は背を向けて再び私の方を見た。
「ついてきなよ。俺の麻婆豆腐、食べたいんでしょ?」
――――――
言われるがままに従業員用の入り口から席(おそらくVIP)に案内された私たちは麻婆豆腐がやって来るのを待つ。
「はーい、おまたせ。」
「わー、あ?え…」
「俺特製麻婆豆腐スペシャルバージョン―――召し上がれ~」
ちょっと待って
さっきチラッとみた店内のお客さんの麻婆豆腐と色違うくないかこれ。どうみてもこっちの方が色濃くないかこれ!?豆腐との色の対比がしっかりしているね!目と鼻に沁みるくらい!!消化器官全部爛れそうだね!!
ギギギ、と麻婆豆腐から視線を上げて久我君を見る。
「く、久我君…」
「何してんの?早く食べないとせっかく出来立ての熱々が冷めちゃうよ?」
「け、けどこれ…」
「いいから、俺の奢りなんだしがっつりいきなよ。ほら」
最後の助けと言わんばかりに慧君を見た。でも慧君は苦笑し肩を竦めた―――あ、これダメなやつだ。
「辛いのなんて一瞬だから。一口いけばもう後は…ね?ほら早く食べてよ。さあさあさあさあ!!」
怖いくらい満面の(真っ黒な)笑みで迫ってくる久我君に押されて覚悟をきめ、蓮華を構える。
「――――――いただきます。」
香辛料香る深紅の一口を口に入れた瞬間から
「っ―――ぁ、あぁっ」
焼けるような辛さが痛みが―――後に来る旨味が身体を駆け抜けて―――そのあとの事は覚えていない。
「ひ、ぅあ―――あ…?」
気が付いたのは全て食べ終わって水を飲んだ時。空になった皿を見て自分を褒め称えたくなった。というかよく完食したな自分。
汗と涙の量が尋常じゃなかった。いつの間にかブレザーの上着脱いでるし、調理場でもないのにリボン外しちゃってるし。余程熱かったんだろう。汗のせいでシャツもぐっしょりで気持ち悪いし。
「ごちそうさまでした。」
カラン、と蓮華を皿に置いた。―――んだけど周りからの反応がない。どうしたんだろうと顔を上げると、二人は固まっていた。
「い、一色ー?」
「は!?あ、ああうん。食べ終わったんだね」
「うん」
敬語じゃなくて素に戻ってるよ。もうあの赤い怪物は私の胃の中で渦巻いているというのになぜ固まる必要があるんだろうか。
「久我君。麻婆豆腐ありがとう」
「え?!い、いや別に!?…コホン。こっちもおかげでヒーヒーいってるあんたを見れたし…まあこれでひとまず八つ当たりはやめておくか」
「?」
「なーんでもなーい。…こないだの食戟では負けたけど、次はそうはいかないから。首洗って待っててよね。来年絶対に十傑入りしてあんたを引きずり降ろしてやるからさ」
「…うん」
ああ、この子は、こんな私さえ目標の一つにしてくれるのか。負けず嫌いで頑固。―――強くなるな、この子。
「じゃーね、
「うん、それじゃあまたね。久我君」
こうして私たちは中華研の模擬店を後にした。
――――――
模擬店を一通り回って極星寮に着く。ふみ緒さんは快く受け入れてくれて、それどころか元の私の部屋まで貸してくれた。
「私がいた時と全然変わってませんね」
「そりゃあそうだよ、いつ戻ってきてもいいようにしておいてるんだから」
「そうなんですか!?ありがとうございます、ふみ緒さん」
「ふん、いいよそのぐらい。そのかわり、あんまりハメ外すんじゃないよ!特に一色!あくまでも私はあんたたち二人の祝勝会としてこの部屋を貸したんだ…何かあったらタダじゃおかないよ!!」
「心得てますよふみ緒さん。それに僕も同意なしは嫌ですし」
「ああそれと、あんたの癖は出さない方が賢明だろうねえ。少なくとも司に嫌われたくなけりゃ、大人しくしてるんだよ」
「はい」
「そういえば、ほら司」
ふみ緒さんに差し出されたのは―――私が恋しく思っていたブリ大根だった。
「お、覚えててくれたんですか!?」
「昨日作っておいたのを思い出してね、ま、肴の一つにでもすればいいよ」
「ありがとうございます!!」
「それじゃ私はもう行くけどなるべく静かにしなよ、あんたたち以外にも中等部の寮生が帰ってくるんだからね」
「はい」
そうしてふみ緒さんは扉を閉めて去って行った。
「それじゃ、始めようか」
「そうだね」
運よく残っていた私の店の食材で作った料理を並べていく、大型のランチボックス持ってきといてよかった。全部並べ終わったらそれをつまみながら色々な話をする。昔の事、近況、今の極星寮の事、料理の事―――
「ね、一色は―――何のために料理を作ってる?」
「え?」
「何でもいいの。誰かのためとか思い出とか、自分のためとか―――そういうの」
私の雰囲気を感じ取ったのか慧君は真剣な、けれど優しい目で答えてくれた。
「―――僕は楽しいのもそうだけど、たった一人のために作り続けてる。今も昔もずっとね。」
「そっか、もしかしてそれって好きな人?」
「そうだね…」
なんとなく聞いてみると慧君は少し言い淀んでいるようだった。…図星か。
「ああ、ごめんね。詮索するつもりはなかったんだ」
「ううん。いいんだ。その子はきっと僕のことをそういう対象として見てないから」
「…友達、みたいな?」
「うーん、もうちょっと近いかな。でもそのせいか、そういう眼中に入ってないみたいなんだ」
「ふーん…かっこよくなったのに、勿体無い。」
はは、と慧君は力なく笑った。友達より近い…となると私、寧々ちゃん、あとは寮生の子たちだろうか。
まず私はないな。男の人は守ってあげたくなる子の方が好みらしいし、私は確かにこの数年間で前にもまして弱っちくなってしまったが、そういう可愛いらしいものじゃない。周りが気を遣うほどの情緒不安定であり非常に面倒くさい性格だ。それに年上としてもあまり頼りにならないので巷で言う姉さん女房には成り得ない。というかそもそも慧君が「一色家の落ちこぼれ」とか言われる一端を担っているのはおそらく(というかほぼ確実に)創作料理を教えた私である。
次に寧々ちゃん。よく一緒にいるし私より可能性がある。ただなんていうか、幼馴染とか友達とかそういう雰囲気しか漂ってこないんだよね。いや真面目な寧々ちゃんをからかう慧君が寧々ちゃんにキレられるというケンカップルなんていう可能性もあるか?あ、でも一時期その噂が流れて不愉快そうに同級生を冷徹とも言える態度で論破していた寧々ちゃんを見かけたから無しか。
そういえばこの間、私の店でリンドウと楽しそうに話してたな。リンドウも猫みたいなのらりくらりと食えない性格をしてるのでニコニコしている者同士で案外うまくいくのかもしれない。
次に寮生の子たち。って言ってもその子たちどころか慧君が入寮する前に極星寮から退寮してしまっているので詳しくは知らないのだ。慧君によればみんな努力家でいい子らしい。でも口ぶりからして普通にお兄さん的な先輩として接してる感じなんだよね。誰かの話をより長く詳しく話してるわけじゃなかったし。
とりあえず候補としてはリンドウと寮生かな。まあ慧君は校内では料理の腕とかルックスとかで結構有名だからファンの子は結構いるだろうし…考えても迷宮入りしそうだな。というかこんなほぼ完璧な慧君からの好意に気付かない子って一体…
「一色はいい子なのにね」
「…いい子?僕が?」
「うん、昔からずーっといい子。周りにどう見えてるかなんて知らないけど、少なくとも私にとっては大切な人には変わりないよ」
「…そっか」
「そうだよ」
よしよしと頭を撫でる。年頃の男女のくせに距離が近すぎる、と言われても仕方がない。私と慧君なのだから。
頭は昔より大きくなった気がするけど触り心地は昔と変わらずふわふわのクセっ毛のくせにツヤツヤのサラサラである。羨ましい。そのアホ毛引き千切りたい。
「ねえ、でもなんで『何のために料理をするのか』なんて聞くんだい?」
「んー…今なんていうかスランプに近い状態でね。ちょっと、聞きたくなって…あ、別にストーカーとかに遭ってるわけじゃないよ?ただ…」
ただ
「―――『美味しい』の言葉が、薄っぺらく感じちゃうだけ」
「!」
慧君が息を吞む。私はそんな彼と視線を合わせたくなくて料理に視線を落としたまま続ける。
「この間私の店に来てた美食家の―――なんて言ったっけ。…そうそうウィリアムス・アスクル氏が来てたんだ。あの人はこの間十傑の仕事で料理を振舞った人の一人でね。『十傑の第一席の私の料理は美味しい』って。でも、美食家って言う割に何も感想をくれないの。みんなそんな感じ。それでもゆっくり味わって食べてくれたらよかったんだけど、よく噛みもしないで味わわないまますぐに次を要求するの。そしたらさ、もう料理に拘ることもより美味しいレシピを開発することも、なんだか意味のない空しいものに思えてきちゃって、ね―――ダメね、私」
それを料理を楽しく真剣に取り組む慧君に言ってしまうあたりも、人としてどうなんだろう。情けないな。
「でも、僕は瑛璃ちゃんの料理、好きだよ」
「え?」
「竜胆先輩にも聞いてごらん。きっと同じことをいうと思うから」
「……そっか」
その時、窓の方が光った、とそれにつられるようにして轟音が響いた。私と慧君は窓を開けて外を見上げる。そこには―――夜空に咲く大輪の花火がいくつも花開く幻想的な景色があった。
「今年は豪勢だね。誰かのリクエストかな?」
隣で言う慧君に目を向ける。誰かの…『たった一人のために作る』。今の私にそんな相手はいないけど…いつか、いつかそんな人が現れたその時は、私もこのジレンマから抜け出せるのだろうか―――。
「今日はありがとう、一色」
この明るい夜空を見上げながら、私たちの今年の月饗祭最終日は過ぎていくのだった。
ちなみに一色先輩は主人公と本当の二人きりになると敬語と先輩呼びは解除されます。
主人公救済フラグが立ちました!