コロッセオから離れたある一軒家に三人は居た。
「ラグナ……ラグ、な……ラグナァ!!!」
彼に寄り添い、美しかった顔立ちを涙に歪ませたアストリッドは必死に彼の名前を叫び続ける。
「そのまま呼び続けろ!……灰薔薇の呪詛を直接流し込まれている。まずいな……」
クレオは呪詛を流し込まれたであろう右足を念入りに調べていた。
呪詛——————それも私に掛けられた呪詛より強力で、この呪詛を組んだ奴は相当捻くれた執念深い奴と改めて解る致死率一〇〇%の呪詛。
調べれば調べるほど異常しか出てこない。
肉体が死滅していく。
精神さえも蝕み全てを呪って逝く。
まずは体の自由を
そして、精神を根こそぎ
言うなれば、心さえ強く持てば当分死なない。
「いいかよく聞けよ金薔薇。どんなに手を尽くしてもあんたの思い人は助からない。浄化とか解呪とかコレはそんな生易しいモノじゃない。
「そ……そんな……?!」
「あ~~、一々泣くな!まだ説明の途中だ。いいか?今はまだ白薔薇様と銀薔薇様が戦っている。あの七人は御二方と灰薔薇を……エクリヴァンを結界に閉じ込めている。結界自体もそう長くは持たないだろうな。持って……三、四十分くらいで結界は解ける。それまでに蒼薔薇を甦させる」
「……?ど……どういうこと?」
「蒼薔薇は確かに死ぬ。けどそれは生物学上の死ではなく生まれ変わるんだ。肉体的に。魂の質も。生まれ変わるんだ」
「……可能なの?」
「それしか選択が無い」
目元を強く拭いほんのり赤く腫れた眼で決意の意思を承諾する。
恋した女は強いとよく言うが、経験のないクレオにとってその感情がほんの少し羨ましいものに感じた。 クレオは注射器を取り出すと自身の胸に深々と刺しこむ。
注射器の容器がドロドロと紅い液体で満たされる。
「それは……」
容器で満たされた紅い液体は血液ではない。
これは——————
「この液体は賢者の石だ。私が今まで隠し持っていた最後の切り札だ。血管の一部を他と混ざらないよう隔離し保管していた」
賢者の石がまだあったことに驚きは勿論ある。だが、ああやっぱりと此奴なら何処かに隠し持ってても不思議じゃないと開き直る。
「賢者の石は魂の結晶体だ。その力は理論上
金薔薇に最終確認を執る。金薔薇に最後の許可を執らなければならない気がしたから。
コレは気持ちの問題だ。
「いいよ。体抑えればいい?」
「……そうしてくれ。そこの人形も見張りはいいから抑えるの手伝え、二人じゃ抑えきれない」
急いで駆け寄る二体は足と胴体を固定する。
アストは頭を護るため小さな体で包み込む。
「いくぞ……」
腕の関節部内側の血管に針を刺しこむ。
賢者の石が——————入った。
☦ ☦ ☦ ☦ ☦
アツイ。
あついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい熱い熱いアツイァッィあつい。
魂が
血が止まらない。
足に力が入らない。
膝から下は筋肉繊維は潰れ、ズタズタに引き千切られている。
左腕は灰薔薇に斬られもう存在しない。
あるのは止めどなく流れる紅い鮮血のみ。
声が響く、頭に、肉体に……魂に……。
五月蠅い。
押し潰されそうだ。
内側から引き裂かれる。
崩壊する。
削られて行く。
自分を構成している重要な何かがゆっくりと……確実に。
傷口に圧がかかる。
これは——————手当てされているのか?
――――――て——————
なんだ?
——————して——————
俺を呼ぶ声がする。
――――――ラグ——————
雑音が激しいが何処か聞き覚えがある。
――――――意識を——————
どこかおちつく声。
――――――はっきり——————
この声は……
『ラグナ!!!』
脳まで響くこの声はアストリッドだ。
何故だろう?この
もっとハッキリと聞きたい。
そのソプラノの聖歌を耳元で囁いてほしい。
透き通る白い肌に指をくいこませたい。
女性の匂い……けどそこにはアストリッド特有の俺を虜にする甘い香りを独り占めしたい。
俺は——————
お前を——————
此処は何処だ?
アレは夢だったのか?
水の流れる音がする。
ポタポタと仄かに温かい雫が頬を濡らす。
冷え切った体にはそれは心地好く、何とも言い難い温もりが広がる。
重力で重い瞼に全神経を注ぎ暗闇に一輪の光が差す。
アスト……アストリッドなのか?
君は眩しい。
俺の人生の分岐点はあの仮装舞踏会。
魔力も魔術も自動人形も金も地位も女も、アスト……君に比べれば……。
君を抱きしめたい。
この体で君の体温を感じていたい。
君の全てを俺は欲しい。
アスト……。
アストリッド・セト。
君は——————泣いているのか?
こんな俺に君は泣いてくれるのか?
それはダメだ。
君の表情はどれも多彩で魅力的だけど……涙はいけない。
気品に溢れた美しく眩い姿に霞が掛かってしまう。
君に涙は似合わない。
俺に微笑んでくれ。
悲しみに顔を歪めないでくれ。
ふしぎだ……。
人間の心を数値データ化出来れば、管理できれば感情何て唯の"0"と"1"でしかなくなる。
証拠だの証明だの証だの理由だの……。
心は不思議だ。
感情は科学では解明できない何かがある。
俺は君に傷ついてほしくないんだ。
その白い肌が返り血に染まり、硝煙と泥の匂いが入り混じった戦場で孤高に戦う姿に憧れた。
生まれてこの方出来ない事を探すのに苦労した。
一つの事に一生懸命に命を懸ける姿に嫉妬した。
だからこそ俺は君を護る。
傷つき。
損壊し。
抉られ。
刻まれ。
どんな絶望の中にいようが……。
"最後は必ず助けてやる"
あぁ……やっと、やっとわかったよ。
"材料"何て元々
気付いてしまえば簡単な事だ。
この気持ちは——————
この感情は——————
この心は——————
☦ ☦ ☦ ☦ ☦
「……きだ…………好きだ……アスト」
前が見えない。
どうしようもなく奥から溢れ出るこの想いが耐え切れず零れ落ちて行く。
彼の前では泣いちゃだめだ。
彼に泣き虫なんて思われたくない。
彼とは対等でありたい。
涙など弱者の流すものだから。
だから——————
だから——————
何時までも湧き出る想いの泉が容量を超え零れ落ちる。
いっその事ぶちまけてしまった方が楽なくらいに。
此処で見せるのは泣き顔なんかじゃない。
「……おかえり、ラグナぁ……」
ちぐはぐな精一杯の笑顔。
だからこそ——————
「ただいま……アスト」
アストをより一層美しいと感じた。
二人は自然に顔を引き合う。
それが当たり前のように。
此処には誰も咎める者はいない。
そして——————静かに触れった。
☦ ☦ ☦ ☦ ☦
気分が心地好い。
C-MOON以上に重力が軽く空気が美味い。
強化魔術を使用するまでもなく体に力が漲る。
視界も良好、逆に見えすぎるくらいだ。
「今なら魔剣"
「さっきまで死にかけていた人間には見えねーな」
「感謝してるよクレオ。貴女が居なければ俺はあそこで死んでいた」
「そうかそうかなら私の事をもっと敬い———」
「これで貸し借り無しだろ?誰だったか、灰薔薇に殺されそうな所を助けたのは?」
「ほんと生意気だね、あんた」
もう勝利のビジョンしか視えない。
俺が勝ち。
灰薔薇が負ける。
力を使い果たしたクレオが壁に背持たれている。
今のクレオには何の能力も警戒する力もない。
顔色も思いの外青白い。
遠目で判るほど結界の限界か綻びが目立ってきた。もう一、二分で結界は解ける。
白薔薇と銀薔薇は確かに強い。
挑むのが馬鹿らしくなるくらい完成された強さがある。
だから灰薔薇には勝てない。
対抗策を練る時間を与え過ぎたんだ。後手に回った時点で幾つものプランを用意している灰薔薇には勝てない。この日の為に磨いたた刃、あの二人にだけ突き刺さる刃を用意しない筈がない。
その点俺とアストは未知だ。
灰薔薇のプラン通りならクレオは初期の段階で死んでいる人間だ。
シュプリッターも生きていたし、こんなに焦らずに済んだ筈だ。
何より灰薔薇は俺達の底も天辺もまだ測り切れていない。
何より——————俺とアストが負ける道理が無い。
「クレオ、聞いて欲しい」
「なんだい藪から棒に?」
「ありがとう」
なに驚いている。そんなに意外か?
これでも命を救ってくれた相手にはちゃんと感謝ぐらいするぞ。
「とっとと行け。行って黒薔薇様を助けてこい」
「最後に何か言い残すことはあるか?」
「そんだな……黒薔薇様に約束を破ってしまい申し訳ありませんって伝えてくれ」
「それでいいのか?」
「……やっぱり——————って伝えてくれない」
「そのくらい任せろ」
「そう……ありが、とう」
クレオは口にしなかったが、白薔薇に掛けられた魔術が切れ、呪詛が肉体を蝕んでいるのに気づいていた。
白薔薇がクレオに魔術をさく余裕がなくなったのか殺られたのかまでは分からないが、クレオは死ぬ。
「俺だけじゃ此処まで来れなかった。奮闘してくれたアストもそうだが貴女の培われた技術と度胸が無ければ此処まで来れなかっただろう。俺は敬意を払うよクレオ、貴女の忠義に。だから安心しろ、必ず黒薔薇を助け出す」
「…………」
救われたように眠りやがって、人の死は幾度となく体験してきたが俺も人の子だ。
約束は必ず果たす。
その血肉ともいえる技術の結晶を——————錬金術の新たな進化である俺は証明しなければならない。
「……往くぞ、アスト」
「……うん!!」
やっぱり君には笑顔がよく似合う。
その笑顔を絶やさぬために、エクリヴァン・B・ヴィシーを斃す。
結界が限界を迎える。
砕けて飛び散った。
それと同時に飛来物が近くの一軒家に激突する。
「エーインか!」
「ちょっちもう限界……肉体体力死ぬ…………イルクと銀薔薇様は生きているが、正直厳しい……俺を含めた七人も動けない。援護期待すんなよ」
「はなから俺とアストで決めるつもりだ。心配するな」
「……ち、余計なお世話だったか。……見つけたんだな、<愛>を」
「嗚呼、ご教示頼むぜ先輩」
「そんな柄かよテメェー、人が変わったな。俺にもそんな時期があったから少しは共感できるぜ」
「愛の力か?」
「愛の力だ」
男同士こうして馬鹿話するのも悪くはない。
エーインをそのまま放置しエクリヴァンの元に駆ける。
彼奴なら自力で何とかするだろ。
何よりいいモノを拝借した。
戦場を染める水と炎。
万の軍勢に魔術師二人。
何を如何すればあんなバケモノが同じ時代に二人も生まれ落ちたのか疑問が尽きないが、まだ持っている事に称賛する。
「"此方ラグナ・ブラットレイ。生きてるなら防げ、白薔薇なら防げるだろ"」
『何でエーインのもって———』
通信を切る。
指輪型の通信機とは、ラブラブだな。
この攻撃は白薔薇に完膚なきまでに防がれてるから大丈夫だろう。
「知性のねー生塵共を掃除するぞ。C-MOON——————<グラヴィティ・ダウン>」
魔術発動のパスワードを呟いた瞬間、世界の理が捻じ曲げられた。
重力が何倍、何百倍にも重くなる。
潰れろ。潰れてしまえ。無残に重力の枷を受け入れた獣よ——————
俺が解き放ってやる。
苦しいだろ?
悲しいだろ?
そんな入れ物に魂ぶち込まれて。
体だけでなく魂までも好き勝手に玩具にされて。
悔しいだろ?
安心しろ。
エクリヴァンは俺が斃す。
「流石ですね御二方、銀薔薇は死んかと想ったんだがどっちが化け物か分かったもんじゃない。はは、その水便利ですね。俺に分けて貰えませんか?」
白薔薇と銀薔薇は白薔薇が発生させた水で<グラヴィティ・ダウン>を防いでいる。
「……殺すぞガキ」
あらら、気性が荒くなってるよ白薔薇。
「灰薔薇の情報を教えろ。それだけ戦えば能力くらい把握しただろ?」
二人ともボロボロ、傷を負っていないヶ所を探すのが難しいほど怪我をしている。
命に係わる損傷は見受けられないのが幸いか。
「……終章の獣は戦えば戦うほど適応する。唯の剣じゃもう傷つかない……水と炎にも適応してきている」
体力の消耗を押させる為簡潔に説明する白薔薇。
成程。剣や槍といった分かりやすいモノは簡単に適応し、白薔薇の水と銀薔薇の炎などの特殊なモノには時間を有するか。
まだ効力のあるC-MOONの<グラヴィティ・ダウン>もメタトロンの光線もアストの腐毒も時間さえあれば適応される危険性があると。
もう光線は適応されかけてるがな。
「それじゃーさっさとやった方がいいな。<グラヴィティ・ダウン>が効いてる内にな」
世界蛇が三匹重力の影響を無視し迫り来る。
この重力場で巨体に物言わせ突っ込んできたか。
大地を抉り引き裂きながら城を丸呑みする咢。
「弱点を曝け出してんじゃねーよ蛇が、その図体と鱗の強度が武器だろアホが」
メタトロンレーザーが大口開いた蛇の体を内部から蒸発破壊する。
灰薔薇との距離は二八〇〇メートル。
ギリギリ射程制空権、重力の支配下にある。
「不味いな……早すぎる。もう重力に適応してきたか」
ワームが地面を割って這い出てくるが斬り捨てる。
魔力も体調も万全な俺に通じると思うなよ。
「あまり距離は縮められなかったが、狂獣は一匹残らず察処分しないとな」
お披露目と行こうアスト。
当然俺等の身体能力、魔術データは解析されてもいい頃合いだ。
死に掛けていたさっきまでの俺のデータだ。
違いに驚きな灰薔薇。
より強くなった人狼が地を踏みしめ牙を尖らせる。
唯突っ込んでくるだけの人狼を魔靭で切り裂いた。
「どうせ斬れないとでも考えていたんだろ?さっきまでの俺じゃ皮膚さえ斬れない強度にして」
更に距離を詰める。
「そこで待ってな灰薔薇。今から殺しに逝ってやるから」
残り二三〇〇メートル
残り二話と言ったな・・・・・・あれは嘘だ(振るえ声)
やっと主人公無双が書けるぞ!!