注意!!!!!
日本語「」
イタリア語『』
効果音〈〉
場面転換◆◆◆◆◆
「奈々は激怒した」
突如メロスのような冒頭の切り出しが浮かんだ。
それだ!、と自分の発想に感動する。一方で、ここの部屋にある唯一の窓から、乾いた夜風が笛を鳴らした。イマイチの出来だ、そう囁かれた気がしてならない。
……いやー寒いわ、ここも、自分も。
不貞腐れる心地で、立てた膝に顎を乗せる。
いい加減ツイッターに書くネタを考えるのも、飽きてきた。文豪をパクってどうするんだ。
もちろん異常事態なのは頭ではわかっていた。しかし人間は慣れる。少なくとも私みたいな高校生は特に。いくらヤバい状況でも、慣れてしまえば、無駄に心が穏やかになってしまうのだ。あくまで私の自論でしかないが。
数時間、大人しく体育座りしている。これは、この変な事態に慣れるのに、十分すぎる時間だった。
この夢は一体いつまで続くんだろう。
何度目だか、私はそう狼狽した。
そもそも、ここに来る前はベットで寝ていたんだけれど。こんなコンクリートむき出しの子部屋じゃなく、一般病棟の大部屋の窓際のベットに。
2日前にかかったインフルエンザが、入院するまで悪化したのが原因だった。
これについて、鼻毛の出た医者がねちねち説明していたのを、よく覚えてる。鼻毛に気を取られすぎて、内容はよく分からなかったが、要約すると、ヤバい、らしい。こんな速さで悪くなる、そんなインフルエンザは珍しいと。ヤバいよヤバいよー。リアルガチでヤバいよー。そういうことらしい。
だがそんなこと言われても、高校生の私に当事者の自覚が湧く、わけがなかった。
むしろ、鼻毛でてますよ、そのひとことをいつ言うかの方が気掛かりだった。
つまり暇だったんだ。
いくらヤバくても、病人は寝ることしか、やることがない。暇を存分に持て余した。
昼間文庫本を読みつつ、どうでもいいことに頭を回す。そして気づいた時には寝入っていて、起きれば朝、というのが常だ。
だから、おおむねこれも、寝落ちした自分が見ている夢だと、そう都合良く解釈していた。
まさか一生覚めないものだなんて、考えもしなかった。
ましてや私が【誰】になっているのか、気にするはずがない。
恐ろしいことに、実際はこの時も着々と、かつ静かに、私は絶望に足を進めていた。立っている足場は自分だけを残して、脆くも崩れ落ちていく。そんなことに気づきもしなかった。
書き出しの文を訂正しようと思う。
我輩は人間である、名前はもうあった。
これから名乗るであろう名前が。
【六道骸】
それは私が昔から大好きだったキャラクターだった。
しかしそれに気づいたのはずっと先の話だ。
自分の状況を知ることすら、この時の私はまだ満足にできていない。
数時間前、私が目を覚ました時には、すでにこの場所にいた。
薄暗くて、肌寒い。夜かな、
と目をこすれば、手がやけに小さくて驚いた。それだけじゃなく、顔を上げれば、部屋のドアの前に大きな柵が見えたから、より驚いた。まるでドアと部屋を区切るように、太い柱が並んで、天井から地面に突き刺さっている。
…………特別病棟かな。
かろうじてそう考えた、がその案はすぐ消える。
周りの景色に唖然とした。
長方形の部屋。奥のドアと反対側の壁には、頼りない月明かりが漏れる、小さい窓がひとつだけ。
コンクリートむき出しの内装に、5、6人の人影が角に固まって座っていた。
人影は子供だった。国籍も、年も全て違っている。共通することといえば、目は朦朧として、静かなことだ。子供らしくなくて、不気味。
……………クトゥルフTRPGかな。
そう、もはや考えが及ばなかったんだ。
現実逃避に思考は走ろうとする。
とにかく話が進まない。この部屋で1番大きそうな男の子に近づく。誰かとコミュニケーションをとらなければ、私の脆い理性が今にも吹き飛びそうだった。
「あ、あのー、ここってどこですか?」
『………イタリア語喋れ、外国人』
「…………ヒュッ」
あっ、危な!!!!理性飛びかけた!
なんで日本語じゃないの!?ヤバイ語学の壁が大きすぎる。
明らかに日本語でもなければ、もはや英語でもない。外国人だとは気づいていたが、英語でもないと、コミュニケーションをとることはできない。
…………いや、英語は世界共通だったはず。ていうか英語しか習ってない。知らない。この際ゴリ押しならどうにかなるか。
「お、おーけー、おーけ!!そーりー。
あ、あいむじゃぱにーず、おーけー?」
『…は……………?』
分かっている、不審そうに見ているってことは分かっている。
めげちゃダメだ。なんとか自分に言い聞かせていた。ルー大柴でもテレビ出れたんだから、こんなんでも通じるだろ。
「あー、えっとー、ココハ、ドコデスかぁ?」
『………静かにしてろ、アイツらが来るだろう』
「いえす!アイム、ふぁいん!」
『静かに』
「せんきゅー!!!!!!」
『黙れ』
「あんど、ゆー!?」
『黙れってば!』
よし、完璧な意思疎通が図れた。ガッツポーズ。
ほら、私の自己紹介を経て相手も心を開いたようだ。目を強く見られてるもの。
これは友好の印に違いなかった。
僅かな安心感が気を緩める。
けれど、それは一瞬だけだった。
〈ドンドンッ!!!!!!〉
『うるさい、静かにしてろ!!!』
乱暴なノックに怒鳴り声。ドアの向こうに人がいるらしい。
響いた途端に、檻の中の子達が怯えたのが分かった。
何語か分からないが、脅しだってことぐらい察する。
『………静かにしろ』
「えっと……ごめん」
私は気まずくて、遠慮がちに呟いた。男の子は泣きそうな目で、私の口を押さえたから。
喋っちゃダメなのか、と悟る。
それから長い沈黙が続いて、そして、今にいたった。
隣に座る男の子は眠っている。
相手をしてくれる人もいない。いよいよ暇が極まってきた。どうしよっかな。どうしようもないな。
またぼんやりと窓を見やっていた時だ。
それは突然訪れた。
『起きろ、お前達!!!!』
語調の強い叫びで意識がはっきりする。また、外国語だった。
ドアは大きく開かれていた。
眩しい光を背に、長身の白衣を着た男が立っていた。
『…ヒッ………っ!!』
怒鳴り声に、子供達は背筋を伸ばす。
一人残らず怯えていた。
「え、なに、これなに」
空気が変わる。ただならぬ雰囲気に私だけが取り残され、よく状況を飲み込めていなかった。男見守るしかない。
男が檻の扉を開ける。
『ほら、5番と6番は出ろ。早く』
男の一声に、隣の肩が大きく揺れた。
『っ、………』
「どうしたん?」
青ざめる彼に、疑問が止まらない。何がどうしたというのか、説明がほしかった。
『……………』
しかし男の子は私には目もくれなかった。いや、それどころか目は深い闇に沈んでいた。
縮こまったまま、ゆっくり檻から出る。
私はそれを見送るしかない。
部屋全体が揺れる勢いで、正面のドアが閉じられた。
そこからまたひとりぼっちの時間が再開する。いつ戻って来るんだろう、いつ夢から覚めるんだろう。くせで前髪をとくが、手遊びをするが、不安はぬぐいきれなかった。早く終わるのを待つだけの時間。つまんないわ。そうだ、戻ってくる頃にはまた相手をしてもらおう。しかし、それは叶わなかった。
戻ってきた男の子の姿は、変わり果てていたからだ。
『オラよっっ!!!』
また、何の前触れなくドアが開く。
眩しい蛍光灯の光とともに、何かがこちらに投げ込まれた。
それが何なのか、すぐには分からなかった。
異臭が鼻をついく。
鉄の匂いとカビ臭さが目立つ、寒色系のくすんだ毛と、布、それ以外が赤い塊。そんな奇妙なもの。赤い塊は大きく上下に揺れている。
あの男の子だった。
「ヒッ………」
気づいてから、私の息は止まった。
それからようやく吐き出された息は、長く激しく、高い声を伴っていた。
自分の小さい口を小さい手で覆い、痙攣しながら壁まで身を引いてしまう。
フン、と鼻を鳴らす音を聞いた。
ドアのそばに立つ男が、目を細めて片頬を釣り上げる。私達を見物していた。
人の気も知らないで。その態度に、たまらず私は男を睨みつける。
『……ほう、まだそんな目ができるのか』
「………………」
『クククッ……楽しみだなぁ、お前が期待に応えてくれる日が』
腹立つ。
最初から最後まで何言ってるか分からないけど。それでも表情から、良くないことなのは考えがつく。
男がまた荒っぽくドアを閉めた。
私の視線は再び男の子へ向く。
どうしようもない悔しさと恐怖が、目の奥に押し寄せていた。唇を噛む。だめ。泣くな、絶対泣くな。
「大丈夫………なわけないか、うん」
でも、まだ生きてる。
小説のあるシーンを思い出す。止血するには、確か……
凍てつく手を自分の服に伸ばし、躊躇いがちに袖を引っ張った。袖は思ったよりすぐほつれた。
破れた布切れを、そのまま男の子の方へあてがう。どこから出血しているのか、冷静に見れば分かった。右腕に布を巻く。他からも出ていたけど、右腕ほどではない。
『……何してんだよ』
「喋っちゃだめ!傷が!」
『だから、何語だよそれ』
「……痛いよね。ごめん、右腕しか巻けない、ごめんホント」
『お人好しだなお前……』
「勝手に触ってるけど、嫌…だよねー」
『……………ありがとな』
「……うん、ごめん、静かにするわ」
すごい、完璧に会話できてる。
高校の授業を始めて受けててよかった、と感じた。会話できてた。人間やればできる。イエス!ウィーキャン!黒人大統領が叫ぶのを、その通りですわ、と心で頷いた。
しかし、ほどなくして別の思いが頭に浮かんだ。
もしや、これは夢ではないのかもしれない、と。そして同時にもし、これが現実なら。もう2度と戻らなかったら。
その瞬間、今度こそ言い知れぬ恐怖が、心の底からせり上がってきた。
平常心が音を立てて揺れる。
『……おい』
しかし、なんとか持ちこたえた。
男の子が手を握ってくれていたからだ。
『静かにしてろよ、泣くとうるせーから』
「泣いてる?君もしかして泣いてる?」
相変わらずお互い何言ってるか通じなかったが、心が折れることはなかった。
◆◆◆◆◆◆
パッと眼が覚める。
景色は見慣れた病室だった。その瞬間、今まで感じたことのない安心感が心を満たした。
「いつまで寝てたのよ。まったく」
お母さんの声が横から飛ぶ。五月蝿いはずの言葉が身に染みて嬉しい。
「アンタがフルーツ買って来いってしつこいから、買ってきたよ。ほら」
「きゃっほう!マジでか!さすが初老を迎えた女は違うね!分かってるう!」
「あ"?誰が初老だ?」
「うっ嘘です嘘です、ピチピチギャルのおねーさんっ、ちょーいけてるからマジで」
「はいはい、リンゴ剥くからその減らず口閉じてなさい」
「チョロいわー……」
「あん?」
「黙りまーす」
スーパーの袋から、真っ赤なリンゴがひとつ取り出された。
剥く様を見守りながら、私は不意に夢の話を思い出した。
聞いてよおかーさん、マジで今日の夢見が悪くてさぁ。ホントすぐツイートしたかったぐらいで、とんでもなかったんだから。あれはホントにリアルなさ……
そう切り出そうとした時、ギョッとした。
真っ赤なリンゴが、みるみるうちに溶けていくのだ。
「お、おかーさん、リンゴ!リンゴこぼれてるよ!?」
赤い実のリンゴは剥けば剥くだけ液体に姿を変えた。
しかし、母は少しも動じなかった。無表情のまま、ひたすらリンゴの皮を剥く。
「お、おか、おかーさん!!ねぇ!リンゴ………ヒッ!!」
目を見張る。それはリンゴではなかった。
血の溢れた、肉だ。
肉を切る。その切り目から、また新しい血が溢れてしたたった。
「血、血がちが、」
「血が何よ」
男の声が、そう言った。母ではない。
「こんなもんじゃ、ありませんよ」
聞いたことある声だった。
あなた、もしかして
『起きろ!!!!!!』
「うわっっ!!!!」
飛び跳ねて、頭がふらつく。
視界には薄暗いコンクリートが映っていた。ああ……夢の中で夢見てた。
やるせない疲労と絶望が込み上げてくる。
『来い!!!お前だ、お前』
なんかまた叫んでるわー、と傍観するが、様子がおかしかった。
そうして、気づいた。まさか、これ、私に向かって言ってる?
『早く来いって言ってるだろ!!!』
「うっ」
気づいたが、遅かった。強烈な力が髪を掴み、無理に引きずられる。この時点で私は泣いていた。男の子と繋いだ手だけを頼りに、なんとか踏みとどまる。
『離すなよ!!』
「うん!」
なんて言ったか分からない、助かるのかも分からない。しかし精一杯の力が、確かにその拳にはこもっていた。
フン、また鼻で笑う音が耳に触る。
次の瞬間、私は肩を掴まれ、その些細な抵抗はあっけなく壊された。
「いやだーーーーーーーー!!!!」
子供みたいに、泣き喚いた。
脳裏には、あの痛々しい男の子の姿がよぎる。鮮明に、肉と血が溢れ、流れる。
私は予感していた。
これから、とんでもない苦痛がやってくると。そして、逃げ出すことができないんだ、と。
その予想は、悪い意味で上回った。
ドアの向こうは、広かった。
広くて、ゾッとした。
蛍光灯の光があちこちに散って、そこらじゅうにある機械を照らす。
いくつも部屋は連なっていて、どこに行っても研究者と機械がセットで働いていた。ああ、子供の姿も見えるけど、たまらない。どうしても視界に入れられなかった。
『ここに、座れ』
「いたっ」
髪を離すと、サッカーボールよろしく蹴飛ばされた。尻餅をつくと、痛さがより染みる。
『お前は1番、お前は2番、お前は…』
私を連れてきた白衣の男が指さしをすれば、どこからか他の白衣がやってきた。何をしようとしてるんだろ。警戒心をむきだしにすると、後ろにも同じような子供が4人いることに気づく。
そしてその子達に、白衣の男達はリストバンドをつけた。私も同じ。リストバンドには0069と刻まれている。
私たちは養豚場の豚か。
『今日はここで寝ろ。明日、実験を始める』
そう手短に言うと、白衣達は総じて姿を消した。
ポツンと残される。
何かする準備でもしに行ったのか。
周りには不穏な手術台や機械が、その身を構えているので、十分考えられた。
怖すぎて近づく気にもなれない。
子供達はみんなで固まって、壁に寄った。
茶髪の子、金髪の子、黒髪でメガネをかけた子、髪がダイナミックに逆立った子。私以外みんな男の子だ。ただ、特に後半2人に見覚えがあって、不思議に思う。
気のせいだ、その時はそう思っていた。
『ねぇ、これから、どうなるんだろう』
「えっ」
しばらくして、声をかけてきたのは、金髪の男の子だった。私の英会話Lv99で、いけるだろうか。いけるか。
「お、おーけー、いっつぁ、スモールワールド」
『スモール……えっと、小さい?事?って言ったの?』
「そ、そう!スモール!スモールワールド、イエスイエス!」
『分かる、確かに小さい部屋だね。怖いよ、ホントに』
「ジーザス!」
『そうか、僕の名前はトミー。よろしくジーザス』
「イエス、トマト!オーケー!アイムファイン」
なんと握手ができた。
やはり、簡単な英語なら、相手にも伝わってるらしい。また、同じようにこっちにも伝わった。ひとつわかったのは、この子の名前。名前はトマトらしい。変わってんなー。
緊迫した状況に、少しの余裕が生まれた。
仲間だった。弱々しくも、優しい微笑みを向けてくれた。そんなトマト君にまた自己流イングリッシュで感謝していた。
しかし、それはただの気休めでしかなかった。
数時間後、本当の地獄が始まる。
どういうことがあったか、事細かくここで説明するつもりはない。ただ分かりやすく例えるとしたら拷問だった。後から、これが実験だと知っていても、そう断言できる程。トマト君からもらった心の余裕は、瞬く間に吹き飛んだ。
拷問は1人ずつ、順番だった。
無理矢理連れて行かれ、ぽいっと元の場所に放って置かれる。それの繰り返し。
『ぐっ…………!』
4人目。小さい体が床に打ち付けられた。
残っていた子供が、それに駆け寄る。
『『『トニーー!!』』』
「トマト君ーーー!!!!」
心配する気持ちももちろんある。
だが、3人目の子がそうなった時、いよいよ私だと悟っていた。怖い。他の子を心配する気力が、無い。
-----こんなもんじゃ、ありませんよ
冷えた声が、録音テープをゆっくり回したような重さで、斜め後ろから聞こえてくる。
-------あなたは、いつまで耐えられますか?
本当に聞き覚えのある、冷え切った声。それなのに、どこかでカッコイイと感じていた。頭おかしいんかな私は。
-----どうすれば、終わらせられると思いますか?
誰か、どーにかにかしてくれないかな。
うっとりしそうになる声に、耳を傾ける。
それより、やっぱあなたって……
『最後はお前だ!!来い!』
腕を引かれて、私は意識の外に出た。
私は白衣の男に連れられて別室に移動していた。茫然としていたのが、自分でもわかっていた。
『じっとしてろ』
男が目配せをする。
私は、やっと我に返った。
さっきの部屋と、構造は変わらなかった。
置いてある機械が違うだけ。目の前にある機械は、動物園でよく見た、円柱の水槽によく似ていた。中の水が蛍光灯で光るたび、反射した影がユラユラ怪しく動く。
銃を持った男達が、私を囲っていた。
中に入れと言いたいらしい。抵抗すらさせてくれなかった。銃口は最後まで私に集中していた。
誰か助けて。
-----誰かって、誰ですか?
声が水中で、一笑に付した。
-----あなたは、誰かが助けてくれるまでずっと待ってるんですか?
口に装置のようなものを当てられる。ガスマスクに似ていた。
ガラス越しに白衣の男とスーツの男達が笑っているのが見えたので、癖のように睨み付ける。
『ほう、まだそんな目をするか』
『言った通りだろう』
『ああ。実験のしがいがあるな』
『いい目をしている』
『この目なら、“こっちの目”だって受け入れるだろう』
誰一人として言っていることが分からず、静かに呼吸だけを繰り返していた。
が、次の瞬間、口の装置から酸素が出なくなった。
それどころか、吸い出されていく。
「っ、!!!」
意味がわからない。嫌な予感だけは絶えずしていたけれど、まさかこんなことになるなんて。
必死でガラスを叩くが、まず息を留めておくので精一杯だ。
余力で、死に物狂いにガラスを叩いた。
傍観に徹する白衣とスーツ。無機物を見るように私を眺めている。
苦しい。苦しい。辛い。なんで私がこんな目に。喉を摘まんでも、もう息は続くことはなかった。
『まずは第一段階クリアだ。
死んだあと、目の植え替えを開始しろ』
突然眠気が襲ってきた。まぶたがズンと重くなる。閉じずにはいられなかった。
やっと意識を失う、その瀬戸際に、男のひとりの顔を見た。無数の縫い目のある男だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あんれー、いつの間に。
気がつけば、私は元の病室にいた。
また眠ってたんかな。まあいいか、本読もう。本を。
「何をしているんですか、全く」
いやー、変な夢見たからお口直しに、本でも読もうと。ほら、私本読むのが取り柄だから。
「知りませんよそんなこと」
知りましたよね今。覚えといて下さい。
「面倒くさい人ですね」
そっくりそのまま返しますー。ゲロゲロー。
「ふざけないで下さい」
ぐふっ!!!??刺したぁあ!?き、急すぎません?急すぎません?
「ああ、つい」
つい、じゃねぇえええ!何気軽に、胸を刺してんだアンタは!!馬鹿か!!これ、あ、血が………!!
あれ?でもこのコントの流れ、知ってるような…
私の胸を貫いた槍から、血が止めどなく溢れていた。ベットにも床にも、その鮮血が色を染めていく。
それと同時に、大事な何かが、一緒に潰れ、流されていく感覚がした。
誰か、誰か助けてよ。
--------誰か、なんて待っても無駄です
自分が自分じゃなくなる。
-----クフフフ……早く気づいてください
変わっていくのが、何より怖かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ぶはっっ!!!」
息が急激に流れて、その勢い上半身が跳ね上がる。
『7番、意識が戻りました!』
『心拍安定!検査数値も異常ありません!!』
途端に周りが騒がしくなる。
ああ、さっきのは夢だったのか。
だが、そう思ったのもつかの間。私はハッとして辺りを見回した。
そこには見慣れた施設の部屋。
白衣とスーツの男達、それから
私を囲む不気味な機械。
「っ、!!!!」
割れるように頭が痛い。
水槽からは出されたようだったけど、
手が拘束されて自由も利かない。手術台の上に、寝かされているようだった。
また戻ってきた、恐怖と苦しみ世界。
『7番!ただのショックだ、失敗じゃない!!』
『心拍、400秒ほどで安定するでしょう』
『始めるぞ』
『なっ、無茶です!今の呼吸状況では極めて危険……』
『無茶だと?失敗していないのだぞ。大変な成果だ』
『過去の実験で数回続けての実験で完全に死亡しなかった被験体はいなかった!!
あとは結果さえ出せば、もう兵器として使えるようになる』
『異論は認めん』
『よし、聞こえるか0069番』
『もう一度だ。もう一度死になさい』
痛い。苦しい。辛い。インフルエンザなんかより、ずっとずっと。
ここに来てから、こんな思いばかりしている。楽になりたい。
早く帰りたい。
「ハァ……ハァ……」
『お前に全てがかかってるんだ!』
『大丈夫だ、0069番!お前なら“必ず”成功する!必ずだ!』
私にそう呼び掛ける白衣の男達。
反抗する力はのこってはいなかった。
されるがまま、私は右目に電気コードのようなものを差し込まれる。
声も出ない。痛くて気を失いそうだ。
でも、その直後に襲った電気によって、気を失うどころか私の息が止まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
目を開ければ、昼下がりの病室だった。
面会人は2人いた。あの男と、私の母。
「どういうこと?」
出したことのない冷めた声だ。私は私の声に驚きつつ、平静を装って尋ねた。
男も母も首をかしげる。とぼけないで。
先に喋ったのは男の方だった。
「何が、ですか」
「気づいてないとでも、思ってるんですか?」
奇妙な場面の移り変わり。たしかに私は、死んだはずだ。それなのに、またここにいる。
そして、自分の中から、かけがえのないものが奪われた感覚。
「どっちが、夢なんですか?」
「………クフフ」
「どっちが、現実?」
「……さあ、なんのことやら」
肩をすくめる男は、それでも整った顔が綺麗だ。自然な仕草に見えて、心のどこかで、また喜んでた。
大切なことを忘れていた。そのことには気づいていた。ただ、それが何か思い出せない。
「何か、忘れてる」
「いいんですよ、それで」
男は私の手を握った。
握った手には三股の槍が添えられていた。
私に握らせて何がしたいんだろう。
「さあ、早めに終わらせて下さいね」
刃物は切るものだ。
刃物は刺すものだ。
なんでだろう、なんでなんだろう。
なぜ私は、母を刺してる?
「……ぶはっっっ!!!」
覚醒する意識。それについで吐き気と激痛が私を襲った。
母を殺してしまった、そのショックに涙が止まらなかった。変だ。私は変だ。自覚していた。
『心肺安定化させます』
『次は?』
『畜生道です』
『よし、電流あげろ』
『叫んでいますね、喉を潰しておきましょうか?』
『いや、いい。どうせじきに出なくなるさ』
『0069、心肺停止しました!!』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
男がいた。
またベットに入っている私の顔を覗き込んでいる。溢れた涙が丁寧にすくわれる。そして優しく微笑んだ彼に、胸が高鳴った。
イケメンだなあ相変わらず。
ふと視線をずらせば、男の隣に父が座っていた。
「いやだ」
「おや……まだ抵抗しますか」
「もう殺したくない」
「殺すのではなく、断ち切っているのですよ」
「断ち切る…」
「そうです」
手渡された。その三股に割れた槍に、懐かしささえ感じる。
「どういう……」
もはや質問は続かない。
遮ったのは、またも勝手に動いた自身の手だった。
案の定だ。私は予感していた通り、父を刺した。三股に伸びる刃が、父の腹の肉に食い込む。
腹へ沈む槍に、まだ力がこもっていた。
「……っ、ふぁはっ!……ハッ!……ハッ!」
水面から顔を出すように、空気が肺へ押し寄せてくる。
苦しさは変わらず、手はまだ、あの生々しさを残していた。
『よし、次だ』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから、私は2つの場面を往復していた。
ある時はドラマにあるような、手術台の上。眩しいライトに照らされながら、電気が流れて気絶する。その次は大部屋の病室。変わらぬ窓際のベットの上に、上半身を起こして面会者を眺め、刺し殺した。母、父、弟、友達。隣に見受ける面々は変わるものの、決まってある男が側に立っていた。どうぞ、と渡される三股の槍。さっきも刺したそれは、また綺麗になって私の手に乗せられていた。
何度繰り返した。数えてなかった。100回かも知れないし、案外そんなに重ねていないのかも知れない。しかし私には限界だった。私には途方もない時間に感じていた、たとえそれが5回や6回であったとしても。
「おしい、7回です。今回で」
頭をもたげ、目を合わせれば、うんざりした。
妖艶に微笑まれても、もう、以前のようにトキメキは生まれない。
「おやおや……だいぶん、めいってしまって。顔色が悪いですよ」
「誰のせいで」
「僕じゃなくて、アイツらのせいでしょう。お門違いも甚だしいですね」
男が一瞬だけ、苦虫を噛み潰したように顔を歪めたが、柔らかな笑みが上塗りされる。
「巡るも、抜けるも、君次第です」と、男は青髪に覆われた私の横顔をのぞき込んだ。「さあ、どうします?」
「どうするもこうするも、私は今混乱してる。何が何だか分からない。
そう、まるでグチャグチャのスパゲッティ………」
「ス、スパゲッティ……?」
「これじゃ状況が金太郎飴……」
「金太郎飴……」
「終わりのないざる蕎麦をすすり続けるように……」
「ざるそ………待ちなさい」
「はい?」
怪訝そうな目がこっちを見下ろしていた。
私にはそんな目をされる心当たりはない。むしろこっちがしたいぐらいだった。
「食べ物で例えるとはなんです、茶化してるんですか?」
「まさか。ただ腹が減ってしまって」
「よく減りますね!?僕が言うのもアレですが、こんな状況なんですよ!無神経極まりない!」
「そこまでいわなくても」
「いいえ、この際はっきり言わせてもらいますがね、君がココに来なければ、そもそも僕はこんな目には……」
言いかけたところで、男は声を止めた。
仕切り直すのか、わざとらしい咳払いを挟む。
「そんなことはいいんです、話が逸れました。今言ったことは忘れてください。」
「え」
「あなたは、この研究所から、この状況から逃げ出さなければならない。誰の力でもなく、自分の力で。
この槍を持って、ここを刺す。あとはそれに任せれば済むことです」
ここ、と呼ばれた場所に人が座っていた。
私が座っていた。制服の私を、男が指していた。
「さあ、早く。未練を断ち切りなさい」
「未練?」
「おやまだ気づいていないのですか、面会人の正体に」
「正体?」
単語を取り出して聞き返せど、謎が深まるだけだ。私は男の後ろにテレビがあるのに気づいた。入院していた時、たまにつけてたテレビ。その画面は今、黒く、完全に沈黙していた。
ただし、周り景色が鏡と同様、反射していた。
そこにはベットに座る、男と瓜二つの顔をした子供がいた。
「……え」
誰だろう、この子。
右頬を撫でる。テレビに映る子供が左頬を撫でた。
口を開ける。子供も開けた。
「これ、私?」
「遅いわ気づくのが」
吹き出したのは私だった。
正確には、制服を着て、黒い長髪。椅子に座る面会人。
「あんただれ」
「私は私。あなたこそ誰」
「私は…………」
分からない、思い出せない。
私の名前はなんだっけ。いや、名前だけじゃない。家族の顔も、好きなものも、どれをとっても浮かばなかった。
「君は僕です。安心してください。」
男が幼児の頭に手を乗せた。
どちらも同じ顔だった。
「さあ、こんな所からおさらばしましょう」
持たされたのは、いつものブツだ。
私は首を横に振る。
「誰も殺したくない」
「大丈夫、こんなとるに足らない世界、気にするだけ無駄ですよ」
「でも、それでも」
「大人達が憎くはないんですか」
口つぐんだ。思い出せ、アイツらの仕打ちを。苦しさや痛みが、怒りに変わっていたのは事実だった。
私は逆接を重ねる。それ以上に、人を殺すことが気持ち悪くてたまらない。無理だ、私に大人は倒せない。なんと言われようと、できない。
「それならこうしましょう」
不意に男の手が、槍を握る私の手を包んだ。
「僕がお手伝いしてあげます」
男は不敵な笑みで頷いた。
急激に訪れる目眩。不思議だ。くらむ視界の中で、まだ制服姿の女の子が座っている気がした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ピッ…ピッ…ピーーーーー………
『……』
眠っている一人の男の子に取り付けられた機械が、音を部屋に響かせた。見守る研究者達にため息が溢れる。家電が言う事を聞かなくなった時のような、倦怠感があった。
『1番、死亡確認』
『………処分しておけ』
『はい』
ぐったりとした様子の男の子は、白衣の男によって作業台から下ろされる。
それを見ていた二人の少年は、静かに息を飲んだ。
『トニーが……っ』
『、……』
一人は金髪と顔の傷が特徴的で、
もう一人は黒髪にメガネ、それから頬にバーコードのある男の子だった。
彼らは、トニーと同じく実験をされていたが、辛(かろ)うじて命をとりとめた者。
『クソッ………いつまで続くんだびょん』
『……』
『結局オレ達、死んでくだけじゃ…』
『………』
部屋に残った子供はたった二人。
これからされることなんて、分かりきっていた。
けれど恐怖と不安はおさまることを知らず、二人の体は震え続ける。
……そんな時だった。
『ぎゃぁああああ!!!』
『『!!?』』
男の叫び声。それは自分達よりも後に実験を受けた、少女のところから聞こえてきた。
聞いたことのない男達の悲鳴に違和感を感じて、二人は声のした方へ耳を傾ける。
沢山の叫び声、どうした!?と駆け寄る者たち。その騒ぎは長く続くかと思われたが、しばらくするとフェードアウトしていた。
誰もいなくなった。
恐る恐る、二人の少年はその音のした方へ向かった。殺されるかもしれない、しかし、それは杞憂だった。
「…………クフフ」
ひとりだけ立っていた。
男達の屍とその血にまみれる、一人の少女。薄い笑み。
血のまとわりつく三叉の槍
それを握る手の平には、さらに血で染まっている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
少女は言葉にならない悲鳴を挙げて、手元にあった三叉の槍をひっつかみ男達へと振るった。
一心不乱に暴れ、どうしようもない叫びを八つ当たりのように男達にぶつける。
手術台の周りにいた奴等を片っ端から刺していった。
『やめろ!お前、自分がどういう立場なのか分かっているのか!』
ほぼ全員を殺したあと、目の前に男が立ちはだかった。
何故だか、今は男の言葉を理解できた。
『クフフ………自業自得、ですよ』
驚くことに、流暢な外国語が私の口をついた。いや私は喋っていない。槍が勝手にしていることだ、と言い聞かせる。今はそれどころじゃない。
『よくも………こんな化け物にしてくれましたね』
男の傲慢さがにじみ出ていた時の面影はなく、顔は青くして私に銃口を向けている。
いつもならゴミを扱うように撃てたくせに。今は手が震えているのが分かる。こんなに情けない顔だっただろうか。
『!?』
簡単に腹の奥まで刺せていた。もちろん、槍がひとりでに動いた。私じゃなかった、自分から望んだことじゃなかった。
『ゴハッ!!』
さらに深く刺す。
わたしには出来ないことを、彼が手伝ってくれていた。
『クソッ、……あともう少しだった、のに……』
その言葉を最後に、男は力なく床に崩れ落ちた。
顔の縫い目が目立つ男。
分かってる、貴方も自分の体で実験したんでしょ。
やめときゃいいのに。
しかも最後の言葉が『あともう少しだったのに』。あまりの執念に夢に出そうだ。
『かわいそうに』
私はそっと槍の先を腹から抜き、ゆっくり立ち上がった。これで最後か。
そして、その時目が合った
あの二人と。
「………、」
『『………っ、!!』』
さっきの一部始終を見ていたのか、二人の顔から血の気が引いていた。
怖いだろうな。
男達を皆殺しにした人間がここにいるんだから。
『トニーは………?』
トニー君がいない。気づいたのは私だけじゃなかったようだ。槍も気づいていた。
『えっ……!』
『……』
突然喋りかけた私に、あからさまに怯える金髪の子。
一方黒髪の子は臆することなく口を開いた。
『死んだ』
「っ………!!」
『もう処分された後……』
また私の中で何か崩れた音がした。
ただ数回話しただけなのに、もう情が移っていたなんて。
『そうですか』
『『………』』
それより、と私は残された二人に目を向ける。
涙はもう流さない。
今はたった二人だけ残された少年達の方が心配だ。
『二人だけ?』
『………』
『……うん』
今だ金髪の子は応答せず、黒髪の子が代わりに言った。
『………』
二人だけ。
二人ぼっち。
日本語的におかしいかは置いといて、
心細いのではないかと思った。
仮に『今からから自由だよ』と告げても、二人はどうしようもできないだろう。
そんなの目に見えて分かる。
放っておけない、
『一緒に来ますか?』
ぎこちない敬語のあとこれまたぎこちなく笑ってみた。これは正真正銘、私の言葉だ。
槍を握り直す。
それからは早かった。
二人が首を縦に振ったのを確認したあと、他の子供達を探した。
『今から違う部屋に行きます。君達も着いてきなさい』
こんな強い言い方はなるべくしたくはない。
--------いいんですよ、そういう言い方で。
口を挟まないで。
そう言いたくなるが、今離れると二人にどんな危険があるか分からないから。
とりあえず抵抗できるのは、槍を持つ私だけ。だからそばにいてほしくて、そんな言い方をした。
『……』
さらに怯える金髪の子。
私の言葉に黒髪の子の表情も強ばった。
逆効果だっただろうか。
頬が引きつったが、私が動き始めると後ろを付いてきた。
近すぎずも遠からずの距離を保ちつつ、私は二人を連れてある扉の前に来た。
『君達はここにいてください。
私が扉を開けます』
ぎこちないイタリアで二人に言い、私は改めて扉を見た。
事の始まりは全部ここからだった。
この扉は、私が目を覚ました時にいた部屋の扉。
そして、一番最初に私に声をかけてくれた男の子。あの子もこの部屋いるはずだ。
そう推測し、私は重い扉を押した。
<ギィ……>
『『!!!』』
鉄の柵の向こうで、怯えた表情で私に目を向ける子供達。
人数が減っている。
「…………っ、」
------もう少し僕達が早く来ていればね……
囁く声に、悔しくて唇をかんだ。
その時だった。
部屋の隅の人影が、目に入ったのは。
その人影、それは赤くて汚くて
とても見覚えがあった。
「……うっ…」
吐き気が一気に込み上げる。
自分の無力さにヘドがでそうだ。
すると、人影がピクリと反応した。
『誰だ……』
分かってる。
今はボロボロになって地に転がっている彼だけれどこの声で確信した。やはりこの人影は
私が最初に出会ったあの男の子。
『いや、もう誰でもいい。……オレのことは放っておいてくれ』
「………」
久しぶりに見た顔。とても痛々しい。
巻いてあげた布もよれて、頬も痩けてしまってる。最初に見た生意気そうな顔が嘘みたい。
『死なせない』
『……!?』
『死なせてたまるか』
『なっ、お前は……!』
私の言葉に驚いた男の子は、ようやく私に顔を向けた。
『………助けに来た』
『助けに来たって、まさかお前一人でか?それにその右目……
生きてたのは嬉しいけどよ、何があったか言え』
『…………』
傷は治りかけ、それを目で確かめると私は言った。
『そんな時間はない』
『は?』
-----冷たい言い方ですねぇ
今はそんな余裕なんてない。
『今すぐここから逃げて。他の子も連れて、今すぐに』
『お、おい……急に何言って…』
『その様子じゃ、立てるでしょ。外には大人はいないから、一応大丈夫』
少年に口を開かせる隙も作らず、私は立つようにうながした。
他の子にも逃げるように言う。
『急いで。私は他の部屋の子も助けるから、長居はできない』
子供達は最初警戒してなかなか部屋を出ようとしなかったが、安全を確認するとようやく部屋を出始めた。
そんな中
『ち、ちょっと待てよ!』
私の肩をつかんで少年が叫んだ。
『突然逃げろって言われてすぐに訳ねぇだろ!』
肩に乗せられた手が微かに震えている。分かってる、今までいた環境を出るのは相当勇気がいるってこと。
-----外の世界は怖くてどうしたらいいのか分からないんですよ
『外に出たら、ボンゴレを訪ねて』
『!?』
『きっと貴方を助けてくれるよ』
それが絶対幸せになる、唯一の方法。
私は久しぶりに口角を上げ、微笑んだ。
『他の子にもそう伝えてね』
そう言い終えたあと、こちらの様子を伺う黒髪の子と金髪の子の顔が見えた。
突然次々と部屋を飛び出る子供達にびっくりしているのだろう。
--------もうそろそろ行かなければ。
その通りです。あの二人と一緒に行かなきゃ。
『じゃあ、あとは自分達で逃げて』
『なっ、お前はどうするんだよ!』
背を向けると少年が引き留めるように叫んだ。
黒髪の子と金髪の子がソワソワしている。
--------早くしないと。
はいはい。
『私は……まだやることがあるから』
そう言うと、今度こそ私は扉の前で待つ二人の方へ足を進めた。
『なぁ!最後に聞いていいか!』
掠れた声が背中に染みる。
『名前、教えてくれ!』
「!!」
急に足が止まった。
名前……?私の名前?
苦手いを含めながら口を開いた。私は何も言えない。
『骸、六道骸………』
『そうか。オレは
フラン!フランって名前だ』
「!!」
『またどっかで会おうな』
その言葉に、深く頷く。
いや頷きつつも、まさかな……と思いながら足を急がせた。
あの子と別れれば、見つけた二人に目配せする。
----さあ、早く逃げましょう
「ちょっと待って」
私は誰もが逃げる中、声も制して振り返った。
----何をしているんです、早く。
槍からまた口を挟まれる。うるさい声が。
「私って、六道骸なの?」
確かに男はそう答えた。
私の言い淀んだ問いに、苦笑しながら。
「それってリボーンの、六道骸?」
------まだそんな事を覚えていたんですか
「いや、忘れてる。だからもっと思い出したいんだけど…」
--------きっかけさえあれば、思い出せるかもしれませんね
改めて研究所の中を見回す。
以前は綺麗に整頓され、医療現場を思わせる部屋。今は無惨な死体がいくつも散らばって、目を逸らしたくなる荒れようだ。
うっ、と嗚咽が漏れた。
「これ、全部私が」
-----ええ。僕達が。
「なんでこんな、こんなこと。私は人なんて殺したくなかった」
--------だから手伝うって言ったでしょう?
女のすすり泣く声が聞こえた。
私の声だった。
急に膝が震えだし、沢山の死体に情けないほど混乱する。立っているのが不思議なくらい、力が抜けていった。ただの子供。それが私だ。
--------何をしている、早く逃げなさい。
「ねぇ、六道骸って、こんなのなんですか」
真面目に尋ねたはずだ、男は、いや、六道骸は吹き出した。
わたしには分からない。押し寄せる罪悪感と不快感でいたたまれなかった。それなのに、なんで骸は笑っていられるんだ。
--------マズイですね、君とあの子を断ち切りそびれた
ついていけなかった。無理だ。私は確かに六道骸だ。けれど、これからどうするかは、自由でいたかった。
------やめなさい、はやまらないで
私に迷いはなかった。
--------無駄ですよ。絶対にあなたは、また僕が必要になる。絶対にね。
……あんたには理解できないでしょうね。負け惜しみのような言葉だ。
聞かなくてもいい。私は響く声に、もう耳はかさなかった。
私は化け物になったのは、これのせいなんだ。
------やめなさい!!!!
右手を死体の山のほうへ投げる。
これ以上付き合う義理はない。
ついに声は聞こえなくなっていた。
慣れないイタリアの景色に、リボーンの世界だと思い知らされる。
だが槍を捨てれば、いくらか楽にはなった。
人を殺す罪悪感も嫌悪感もない。そうだ、あの二人を待たせてた。思い出す。
私ははっきり決別をして、
二人のもとへ駆け寄った。
引き止める声は、もうしない。
けれどうっすら、思うことがあった。
私ってやはり化け物か。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ヘッ…クシュン!」
夜の肌寒さに私は肩を抱き、鼻をすすった。
ここは街中の表通りから少し外れた道。研究所のあった森を抜けると、すぐに街に出たので、ひとまず身を隠している。
『………』
これからどうすればいいのか。
とりあえずは六道骸の真似事をしてみるけど、その後のことは考えてない。
そもそも、私は死んだのか?たかがインフルエンザで病死、現実味がなさすぎる。高校生で死人が出たなんて聞いたことないから、なおさらだ。
しかも、そんな私がこれから六道骸を演じることになった。それは、いつまで?
まさか何十年先も元の世界に帰れないのだろうか。そう思うとゾッとした。
それから、ここは本当にリボーンの世界なんだろうか。私はリボーンの世界だと仮定したうえで話を進めているけど、
漫画の世界は所詮、空想の世界。
その世界にいるだなんて夢物語にもほどがある。
そういえば、研究所で別れた他の子供達はどうしているんだろう。
こんなに心配になるなら、一緒に連れてくればよかった。
いやむしろ連れてくるべきだったんじゃ。あんな小さな子供達を置いて行くなんて、見殺しにするようなもの。
あと結局フランと名乗った男の子は、原作のフランとまた別物なのか。それも気になるところだ。
嗚呼寒くなってきた。見知らぬ街中でどう生きて行けばいいんだろう。誰も教えてくれない中で、私達は生き延びれるのか。それともこのまま死ぬのか。
〈ぐ〜〜〜〜〉
突然私の耳に入った、2つの音。
その音はどうやら膝を抱えて座る二人の腹から鳴ったようだ。
「……………」
その途端、頭に浮かんでいた様々な思考が全て消え、無意識の内に私は走り出した。
向かったのは、表通りの市場のほう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一方少年は腹の音がなったことにも気付かず、ただ不安や恐怖と戦っていた。
今思い返しても、他人事のように思えてしまうあの逃走劇。
一生出られずに死んでしまう、と覚悟を決めていたのに
あっけなく現状を破壊されてしまったので、さっきから夢見心地だ。
だから同時に、こんな好機が長く続かないんじゃないかと不安でしょうがなかった。
こんなに都合の良いことが起こるんだろうか。きっとまた白衣の男達が自分の前に現れ、逆戻りになるんじゃないか。
少年はそう思うと、もう気が気でなかった。研究所を出た時よりも今のほうが胸がうるさい。
すぐにでも目の前の暗闇から男が現れそうで、どんどん鼓動が加速する。
<タッタッタッ……>
『『!!!』』
案の定、聞きたくなかった足音が闇の中から聞こえてきた。恐怖で動くこともできない。
静まりかえった夜なので、なおさら足音は耳に響き自分達のほうへ近づいて来ていることが分かった。
もう終わりだ…………
恐怖が最高潮まで達した、その時
なんと姿を現したのは、研究所の大人達ではない。手に抱えきれない数の林檎を持っていた、六道骸だった。
「「………」」
予想外の登場に二人の少年はただ唖然とした。そういえば、ふらりと姿を消したようだったが、恐怖に駆られる少年にそこまで考える余裕はなかった。
「……フッ…ハァッ…ハァッ…」
六道骸は肩で息をしながら二人へ歩み寄り、
ぎこちなく口角を上げて見せた。
『……食べますか?』
林檎を2つ器用に持ち、少年達の前に差し出して言った。
しかし少年達は一瞬目を輝かせたものの、すぐに警戒の色へと変えた。
『食べないの、…ですか?』
不自然な敬語を使いながらも、眉を下げる少女。そんな姿に、少年達は良心が痛んでしょうがなかった
が、受け取る訳にもいかなかった。
『………っ』
差し出され続ける林檎。
それには毒が入っているかもしれない。それか食べている隙にまた連れ戻されるかも。
<ポロ……>
「あ……っ」
そんな考えを巡らせていると、ふいに少女の手に収まっていた林檎が落ちてしまった。
地面に転がり、赤く光っていた実は煤に汚れて黒くなる。もうこの林檎は食べれそうにない。
すると何を思ったか少女は、そのすすだらけになった林檎を拾い上げ
なんと小さな口でかぶりついた。
<シャキ>
みずみずしい音が響く中、二人の少年は目を丸くした。
何故そんなに汚れた林檎を食べる?いや、それこそ少女の作戦かも……
しかし林檎に毒がないと分かると、 そんな警戒心も徐々に薄れ空腹へと変わっていった。
金髪の男の子の方からは、ポタポタと涎さえこぼれ落ちていた。
『『………』』
『………食べなさい』
そう言って少女が真新しい林檎を差し出した途端、
今度は二人共林檎に飛び付いた。
とても懐かしい林檎の味。
そして忘れかけていた『嬉しい』という感情。
それが一気に少年の中でよみがえった瞬間だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
南イタリアに属するナポリ。
そこはピッツァやトマト、陽気な雰囲気といったことが想像できるだろう。
あながち間違ってはいないが、忘れてはいけないことがひとつ。
それはイタリアでも有数の治安が悪い所だということ。
スリがいるのは当たり前。
スラム街や危ないマフィア達の牛耳る地域が存在している。
そして、そんなナポリのある下町でのこと。
『あっ!ちょっとアンタ!!』
「っ、……!!」
『その品物の金は……』
<バッ!!>
『待ちなさい、この泥棒!!』
店の前に並んでいた果物をひっ掴み、一人の少女が駆け出していた。
子供だろうとこんな風景は、ここでは珍しくなかった。
「ハァ…ハァ……!!」
けれどその少女、
いや 私は、
まったくもって今の状況に慣れる気がしないでいた。
私の名前は六道骸。死人のような名前だがしっかり生きている。
すでに6回死んでいるけど。
7回目の人生を迎えた私。なんとか研究所からの追っ手も逃れ、
あの2人と林檎を分けあった夜。
あのあと私達は眠らず、林檎の山をたいらげた
が、
また生きることが危うい状況に気づいた。
下町の細い路地にひっそりと身を潜めるのはいいけれど、食料は当然盗むほかなかった。
だから今もこうして昼御飯の調達をしているわけで。
『骸様……!』
『今日はオレンジだびょん!!』
二人のいる路地へ向かうと元気な声が聞こえた。
一方二人は息をきらした私を見つけると、私の元へ駆け寄った。
私達の寝床はさっきも言ったとおり、細い裏路地の途中にある。
はっきり言って道の上に段ボールを敷いて座っているだけ、なんだけど。
私達には充分だった。
ナポリの街はどこもかしこもゴミが散乱しているので、初日はゴミの隣で眠ることになった。
『ありがとうございます』
『食べていいれすかっ!』
我慢できないと主張する涎が垂れてしまっている。
私はクスリと笑いながら、頭を撫でてあげた。
『いいですよ、私の分は気にせず食べなさい』
そう言うと、二人は間髪入れずにかぶりついた。
黒髪の子の名前は柿本千種。
金髪の子の名前は犬。
千種は日本人で、イタリア観光をしていた時親と迷子になったところを誘拐されたらしい。
犬は実験をされたことで記憶の一部が欠落し、名字も親の顔もどうして自分が誘拐されたのかも忘れてしまったようだ。
二人は最初こそ警戒はしていたが、すぐに打ち解けてくれた。今では距離も縮まり前のような服従を匂わせるものは消えた。
『骸様も食べないんれすか?』
心配そうに言った。
でも私は首をかしげる犬に、微笑んだ。
『大丈夫ですよ、私は』
初めて明かした夜の時もそうだったけど、犬と千種は見るからにガリガリで不健康そのものだった。
それだけじゃない。傷もまだ深いし、戦い方も逃げ方も覚えていない。
自分のことなんてかまっていられないくなる。それに、いくら実験で強くなったと言ったって
所詮は子供。
そこを考慮して、今は私が盗み役を勝手出ている。
二人には盗みは絶対にやらせないつもりだ。
今なんとかこのままで生きていられるし、二人が盗すまなくても私の収穫で事足りているから。
それに私は子供を犯罪に染めさせるほど堕ちてはいない。
どうせ堕ちるなら私だけで充分だ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その日は珍しく雨が降っていた。
とにかく暑いナポリは余計蒸し暑くて少しイライラしながらも、私はカモを探していた。
前の私だと考えられない変わりようだ。最近よく思う。カモなんて言葉、下手したら一生使わなかったかもしれないのに。
最近、人格が歪んでしまったんじゃないかと思ってしまう。
「……、」
そ、そんなことない。
私はそう思い直し出来るだけ考えないようにした。
とにかく今日はスリに専念しないと。
寝床で待っている二人が心配だし、ただでさえ私はスリが下手なのに
今日は雨なので人の数も少ない。
私は大通を見つめながら、しみじみとそれを実感した。
「ハァ………」
雨やどりをしながら、重いため息をついた。とその時
ふと外国人観光客の集団が目に入った。気を緩めている今がチャンス。
私は躊躇うことなく行動に移った。まずは一番後ろを歩く男のポケット。それを狙う。
気づかれないように盗るのは難しいけど、慣れれば盗れないことはない。
手に収まった財布を確かめて、また視線を移す。
今度は隣の女性のバッグ。そこから少しだけ姿を確認できる、細長い財布に狙いを定めた。
大丈夫、きっとうまくいく。
今まで2人連続でやったことはない。でもさっきの成功が自信になり、私は自分にそう言い聞かせてから
手を伸ばした。
慎重に素早く、財布を掴み
あとは逃げる。それだけのこと。
しかし突然、伸ばした手をガシリと掴まれた。
『やめろ』
横から飛び出た大きな手。
そして上から突如として降ってきた声に、私の背中は凍った。
動くのを拒む首を無理矢理使って、その声の主の顔を見る。
「………っ!!」
硬直した。
なんと私の手を横から掴んだその男は
見るからに凶暴そうな顔をした
マフィアだったから。
◆◆◆◆◆◆◆
どうやら神様は、私がそうとう嫌いらしい。
神様なんて信じたことはないけれど、今ならそう断言できる。
私を完全な孤独にさせ、6回も殺し、さらにはマフィアと遭遇させるなんて。
不運と言うには甘すぎる仕打ちではないか。
目の前に大きな影を作って立つのは、そんな不運のひとつである男。
ガッシリとした体格がスーツの上からでもうかがえる若い男だ。さらに何も言わずとも「何人も殺してきました」と顔が物語っている。眼力だけで人を殺せるんじゃないか。
しかしその時、私はそんなことを瞬時に読み取れることなどできなかった。
この男をよく観察するのはもっと先の話で、
今の私は男の顔を見ることが出来ず
それどころか
雨が体を叩き、観光客達が逃げていくのに、私はそれに気づく余裕さえもなかった。立っているので精一杯。
掴まれた手が怖くて縮こまってしまう。
『誰かに頼まれて、やっているのか』
答えなければ殺す。
そう言いたそうな目が、私の首を横に振らせた。
『自分からやっているのか』
いまいちこの男が何をしたいのか理解できなくて混乱したせいか、それとも答えに迷ったせいか分からないが
その質問には首が動かなかった。
別にやりたくてやってるわけじゃない。私だってできればやりたくないし。
でも、
『助ける……ために』
私がやらなきゃ二人が死ぬ。
『………』
私がやらなきゃ[六道骸]という存在が死ぬ。
『……生きるために』
果たしてこれが答えなのか。
というかこの答えで男が満足してくれたのか。
正解なら正解と言ってください。そしてあわよくばその強く握られた手を離して。頼むから。
そう言えたらいいけど、あいにく私はマフィアに逆らうほど愚かじゃない。
ただ男が何か言うのを待ち続けた。
雨が体の温度を奪っていく。
長い沈黙が痛い。
と、そんな時後ろから第三者の気配を感じた。
助かった、咄嗟にそう思った私だったけど
それは見事に宛が外れることとなる。
『ランチア!!』
誰かを呼ぶ低い声。おそらく今、私の手を掴んでいる男の仲間だろう。
すると男は案の定、新たに現れた男に声を返した。
『ボス!!?』
少し驚いたような声だった。
が、今のところ一番混乱しているのは
この私だろう。
ランチア?ボス?一体なんなんだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ランチアが少女の手を握ったのには、少なからずとも理由がある。
そしてその理由を知るには数時間前まで遡る。
事は今日の朝方に起きた。
雨がよく降り、蒸し暑くなるイタリア。
そんな日にランチアは気の向かない任務をするはめになっていた。
任務と言っても、南イタリアのマフィアと取引をするボスのボディーガードをするだけ。
しかもボディーガードは交替で行うので、余った時間は自由に過ごしていいと言われている。
ほぼイタリア観光に等しい。
しかしそんな任務内容であってもランチアの心が上を向くことはなかった。
理由はひとつ。それは任務先が南部だということ。
イタリアの治安の悪さで一、二を争う場所が多く集まる南部。南イタリアと聞いて不快にならないイタリア人はこの世にいるのだろうか?というほど。
幸いランチアのファミリーは北イタリアを拠点としているので、滅多に南部は訪れない。
『…………』
だから道端に放置される大量のゴミの山を見て足を止めた。
慣れない光景に絶句する。
ボスと別行動になった時はいっそのことホテルに閉じ籠っておこうかとも思った。
けれど空は変わらず雨模様。仕方がないのでランチアは外を観光することにした。
有名なピッツィアの店。
唯一の美点とも言えるピッツァでも食べてみようか。
そう思いながらブラブラ街を歩いていった。
『………』
不意に、すれちがった観光客の団体に目が釘付けになる。
いや、正しくはその後ろをひっそりと付いて歩く少女。
その不気味な少女に目を奪われた。
虚ろな目で顔色も悪く、頬もこけている。ランチアは一目でスラムの子だとわかった。
『だが……一体スラムの子供が何の用でここに………?』
そう呟きしばらく見ていると、その少女は雨に濡れることも構わず
男性のポケットに手を伸ばした。
『まさか………っ!!』
そう、そのまさかだった。
なんと少女はそのまま手を伸ばし続け、男性の財布を手中に納めた。
しかも驚くべきことは、それを一瞬でやってのけた技術と度胸。子供とは思えない行動にランチアは少し感心してしまった
が、それもつかの間。
今度は少女が女性のバッグへと手を伸ばす。
『、………!!』
強面な見た目と反して心は温厚で正義感の強いランチア。
当然、少女の二度目の犯行をみすみす見逃すわけもなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『やめろ』
気づいたときには、もう少女の腕を止めていた。どうやら辛抱堪らず飛び出してしまったらしい。
それから少女にいくつか質問をし、どうしたらいいのか考える。
ここまではよかった。
けれど、その思考はある人物の登場によって断たれてしまった。
『ランチア!!!』
聞きなれた声に顔を向けると、何故かそこには
今まさに他のファミリーと交渉しているはずのボスが立っていた。
『ボス!!?』
目を丸くすると、ボスは歯を見せて笑いながら傘を差し出した。
『雨の日に傘を持たねぇなんて、遅めの反抗期か?』
『そんなんじゃない。散歩のつもりで外に出たから傘は持って来なかっただけだ』
『それでこの様か』
『まぁな』
からかわれる中、ランチアは苦笑いを含み改めてボスと見合った。
『それより、ボスはなんでここにいるんだ?たしかコロカッサファミリーとの交渉じゃ……』
『ああ、それならすぐに終わった。なに、手荒なことはしてねぇよ。ちゃんと話し合いでケリつけて、
終わったからホテルに向かおうとしたらお前がいたって訳さ』
そう言って肩をすくめて見せるボスにランチアは、
まさか少女の誘拐しているように思われたんじゃないだろうか、
そんなことが頭によぎり思わず手を掴む力を緩めてしまった。
するとその瞬間、唐突にボスが目の色を変えて少女を睨み付けた。
『逃げるなよ』
ただ一言、脅し代わりの殺気を混ぜながら言った。
どうやらボスはそう思っていなかったらしい。
いや、もっと言うなら少女がスラムの子でランチアがその少女の腕を掴んだ理由までもう察しているんだろう。
ランチアはそう解釈し、次に少女のほうへと目を移す。
「、………っ」
顔を青くして小刻みに震えていた。
無理もない、マフィアのボスに殺気を向けられ平気な奴などいない。
けれどランチアは少し納得ができずにいる。
なぜなら、大のおとな相手に次々とスリを行うこの少女。そんな少女が、この殺気にここまで怯えるとは意外だった。
今にも泣き崩れそうな様子。さっきまでの度胸は嘘だったのか。
ランチアは深まる謎に首をひねった。
今、少女は何を思っているんだろう。
そんな疑問を浮かべながら。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私の人生はとことんツいていない。
否、六道骸はろくな人生を歩んでいないと言える。だからあんなに性格が歪んでたんだろう。
つくづく私はそう思った。
今はマフィアのボスが登場し、身動きのとれない状況。
「逃げるなよ」と脅された時は殺されると悟った。逃げようと思う余裕なんてないのに、睨むなんて度が過ぎている。
いや、もしかしたら私に大事な用があってそう言ったのかも。
もしそうなら、その大事な用が【殺すこと】じゃないのを願うばかりだ。
『それにしても、ランチア。お手柄だな』
ボスは震える私から視線を移し、男へと向けた。
お手柄、とはどういうことだろう。
『なんだ、その顔は』
『ボス……お手柄ってどういう意味だ?』
『ん?まさかお前………、この少女のこと知らずに捕まえたのか?』
その問いに頷く男。
するとボスは軽く笑いながら続けた。
そして私はその後の言葉に唖然とした。
『その少女、今 巷で噂の
極悪スリ犯だぞ』
『『!!?』』
巷で噂!?極悪スリ犯!?
そこまで目立つスリをしていたか?
私はその言葉を受け入れることが出来ず、過去のスリを思い返していった。
『なんでも、普通のスリとは違って気配がほとんどねぇって噂だ』
確かに、気配を消す練習は充分にした。
『しかもそれを利用して、金持ちやマフィアにも手を出すらしい』
それは間違えて盗っただけで………
そもそも、イタリア人なんて最初の頃はみんな同じに見えたし。
『だからそんな極悪スリ犯を捕まえる依頼が、オレ達のファミリーにもきてたのさ』
『…………』
背筋が凍った。
依頼とはつまり、スリ犯の私を殺…
『殺すのか?』
その時、黙っていた男が口を開いた。
『この娘を、殺すのか?』
冗談には聞こえない、真剣な声。
私と同様にそれを感じたらしいボスは、少し驚いて問い返した。
『なんだ……お前、このスリ犯に情でも移ったか?』
『いや、それは………』
『………』
焦りを隠し目をそらす男に、どうしたものかと手を顎に添えて考えている。
そしてふと、ボスは私を見た。
目があって思わずうろたえたが、なんとか私も男を見つめ返す。
すると唐突に、そのボスは言った。
『なら、こういうのはどうだ。
この娘を………オレ達のファミリーに入れるってのは』
緊張と殺気が満ちた空気の中、陽気な口調で放たれたのはとんでもない言葉だった。
『オレを睨み返すなんていい度胸だ。それにいい目をしてやがる』
「なっ………!」
しかも、目については良いように言われたことがないので思わず耳を疑う。
『勇気も覇気もあり、なおかつ絶大な野望に満ちている』
『ボス……』
『ランチア、お前の小さい頃とよく似てると思わないか?』
『!!』
この男の小さい頃、話についていけない私はただ首をかしげるばかり。するとそんな私に、ボスは尋ねた。
『なぁ、お嬢さん。人生を大きく左右する質問だ。よく聞きな』
まさか
私の顔を覗き込むボスに、何かを直感してより強くボスの目を睨んだ。
『オレ達と一緒に来るか?』
『………』
ガシリと捕まれた視線に、殺気が少し混じっているのを感じる。
『………いやだって言ったら?』
『お前が想像している通りだ』
『…………』
手に汗が滲んできた。
私がとっさに思い浮かべたのは、犬や千種のこと。
もし私がここでYESと答えれば、二人はどうなるだろう。
無知な子供が治安の悪い場所で放っておかれればどうなるか。そんなのたかが知れている。
だからってNOだと答えれば、文字通り消される。
『……わ、私の仲間も一緒に入ってはだめ、ですか…?』
なんとか震えを抑え、声を絞り出す。
恐いなんて思っていられない、もう頼むしかないんだから。
しかし一瞬でも二人を連れていけるかも、と思った私が甘かった。
ボスの言葉のあと、私の中の希望は
音をたてて崩れてゆく。
『あいにく、オレ達はボランティアで子供をスカウトしているわけじゃない。
使える奴は使う。使えない奴は使わない。それだけだ』
『っ、………!!』
つまり、連れていけないってことだ。
唯一の望みは消えた。
そして残された選択はふたつ。
YESと答えて二人を見捨てるか、
NOと答えて死に二人を置き去りにするか。
単純な話、生きるか死ぬか
その瀬戸際に立っている。
『………』
『どうだ、答えは決まったか』
選択肢は二つ。それなら私は
『行く』
生きてみせる。
『行く……というのはつまり?』
『一緒に来るのか?』
私は二人の念を押すような声に、「行く」とだけ呟いた。
うつむく中、少し喜びを含んだ言葉が二人から聞こえてくる。
『そうかそうか』とか『………好きにしろ』という一見素っ気なくも見える言葉だったが、殺気がなくなったことにより少し肩の力が抜けた。
しかし私は再び気を引き締め直す。
なぜなら、いちかばちかの賭けを行うからだ。
気づいただろうか?
私がまだ
「行く」としか言っていないことを。
結局、何が言いたいかというと
「行く」というのは『付いていく』という意味ではなく
逃げる、という意味である。
<ドンッ!!>
『『……!!?』』
私は地を蹴りあげ、駆け出した。
瞬間二人は言葉を失ったが、ハッとして私の後を追い出す。
『待て!!』『どういうしたんだ!』
背中に迫る足音と声に、いちいち肩が跳ね足はもつれそうになった。
けれど私は走ることを止めない。
意地でも犬と千種のもとへ帰ってやる。そんな思いだけで、私の足は動いていた。
生きて二人を置いていくか、
死んで二人を置いていくか。
そんな選択肢なら、私はどちらも選ばない。私は生きて二人のもとに帰る。
その一択だけを選らんだ。
この選択は偽善や同情とか、そんな感情からではなくて
ただ二人の傍にいたいという思いで選んだ。
いつの間にか、二人の存在が私の中では必要不可欠になっていたらしい。
少し照れくさいが、今はそんなことを言っている場合ではなく
私はひたすら雨の降り続ける路地を駆け抜けた。
目指すのは二人のいる、あのゴミだめみたいな路地裏。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『あーあー、こりゃ明日も降ってるびょん』
犬は雨に顔を濡らしながら、空を仰いでそう言った。
『……濡れるよ』
『うるへー、もう濡れてるし』
『………あっそ』
一方、口数の少ない千種は唯一雨をしのげる屋根の下にポツリと座っている。
今日一日降り続いた雨。
珍しいく、犬にとってそれは不吉に思えた。
不安が犬の中で少しずつ膨れていく。
今日は骸の帰りが遅い。
それに犬の不安をさらに募らせるように、雨も段々と激しさを増していた。
『骸様…まだかな』
灰色の空を目を細めて眺め、
早く無事な姿を見せてほしいと願っていた。
するとちょうどその時、
「ッハァ……ハァッ……!!」
雨の音に混じって、何やら気になる音が聞こえた。小さいけれどよく聞いてみれば、息を吐く音に似ている。
骸様…………!!
犬は途端に顔を輝かせ、音の聞こえる方へと目を向けて待った。
しかし、音が近づくにつれ、犬の表情はどんどん険しくなっていく。
そしてそれに気づいた千種は、
めんどい、と呟きながらも犬と同じく不安を感じていたので、顔を向けた。
『…………!!?』
顔を出した瞬間雨が降っているのにも構わず、その方向へと駆け出す。
なんと犬と千種の目に飛び込んだのは、
ずぶ濡れになりながら目の前に倒れこむ骸の姿だった。
『骸様…………!』
『千種…』
苦笑いを浮かべて安心させようとしているのだろうが、
千種や犬にとっては逆効果である。
頬や額に張り付いた前髪に、真っ赤に腫れた目。苦笑いをされると余計弱々しく見えてしまう。
『何があっらんですか!?』
『………』
少し考えた様子を見せる骸。
しかしすぐにいつもの笑みを浮かべて、『何でもありません』と言った。
けれど二人の中の警報はよりいっそう甲高く鳴り続ける。
顔は青いのに抱えた腕から伝わる体温は燃えるように熱い。
『骸様、正直に答えてください』
『だから、大丈夫で…ゴホッ…ゴホゴホ』
全然大丈夫じゃない。
『犬、屋根の下まで運ぼう』
『当たり前だびょん!』
二人は『自分で行けます』と言い張る骸を制して、屋根の下へと移動させた。
まずは骸を休ませることが先。
何があったのかは、落ち着いてから聞くつもりだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一方、大通りでは
『見つけたか!?』『いや、こっちにはいなかった』
二人の男が揃いも揃って肩で息をし、少女の背中を追い続けていた。
『ランチア、あの娘を絶対にファミリーへ迎え入れるぞ』
『……ボス?』
唐突に呟いた言葉に、ランチアは驚きを隠せなかった。
殺すことが目的ならまだしも、ファミリーに入れると強く言っているのだから。
しかも先ほどまで苦虫をつぶしたような顔をしていたのに、今となっては口角が上がっている。
『どうしたんだ……あの娘がどうかしたのか?』
『どうかした、どころじゃないだろ』
『?』
目をパチクリするランチアに、ボスは驚きのあまり目を疑った。
『まさか、気づいてなかったのか?』
『……なんのことだ?』
またしても顔をかしげるランチア。
するとボスは今度こそ吹き出してしまった。
『ブッハハ!!ま、まさかランチア本当に気づいてなかったのか!?もしそうなら、北欧最強の名が泣くぞ!』
腹を抱えるボスに、ランチアは余計頭を混乱させる。
『教えてくれ、あの娘が何をしたんだ?』
『ああ、教えてやるさ。
あの娘はな
幻覚を作れる、術士だ』
平然と言ってみせたボスと対称的に、ランチアはしばらく言葉は失った。
『術、士……?』
『そうだ。
オレ達から逃げている時、無意識かどうか知らんが、前から木箱が転がってきただろう?』
『いや、確かにそうだが……』
『ありゃ幻覚だ。少し透けたから一目でわかった』
『!!』
『他にも、追っている途中に不可解なことが多々あった。どうりで男二人が探しても見つからねぇはずだ』
『………、』
『まだ力は弱いが育てればお前と互角に戦えるかもしれん。もう一度言うが、あの娘を絶対に入れるぞ。ランチア』
ボスの声に返事ができないでいたランチア。
ボスはその様子を気にすることなく、探すことを続けた。
『藍色の髪をした少女、知らないか?』
もう空は暗くなり、人通りも増え始めた中、ボスは通行人に尋ねていく。
『ああ、それなら……』
そう言って、一人の通行人が指したのは……
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雨に打たれる屋根の下。
そこからは少女のかすれた息が、聞こえていた。
『ハァ……ハァ……ッ!!』
骸の容態は倒れこんだあとも、目に見えて悪化している。
『骸様っ、やっぱり変だびょん…』
『……何とかしないと』
『どうするんら?』
『知らない』
そう、2人は知らなかった。
苦しそうな骸を救う方法を。
【風邪】だという判断をしようにも、二人には【風邪】についての知識がない。
そしてもっと言うと、
この街に医者がいて風邪を治してくれることさえ知らない。
なぜなら、それは全て骸のせいだった。
食料調達、寝床の整備、その他諸々やっていたのは骸であり、買って出たのも骸自身である。
しかも、二人には一切の外出を禁止して、なるべく二人のもとから離れないように行動をしていた。
だから二人は、骸が何も出来ない今、何も出来ることがなかった。
出来ることと言えば、骸の手を握り髪を拭いてやることだけ。
二人は何もできないもどかしさに、唇をかむ。
『なんで……っ、なんで……っ』
いつもほんの少し思っていたことが、今になって強い叫びに膨れ上がる。
今さらだが、改めて問いたい。
なんで自分達を守るのか
なんで自分達にそこまでしてくれるのか
そんな思いがただ、犬と千種の頭を占領する。
最初は、見返りとして何かよこせと言ったり、なつかせてから研究所に連れていくんだ
そう思っていたが
骸はいつまでも優しかった。
一見素っ気ないように思えたが、自分達のことを守ろうとする。
それに、骸の取ってきた果物が自分達の口に入るところを、あんなに嬉しそうに眺めている骸を、ほんの少しでも疑っては悪い。
徐々に疑う気持ちは消えていった。
『骸様………』
何回目か分からない名前を呼んで、犬は握っている手に力を加えた。
『痛い、です』
苦笑いする骸。声も枯れていて変な汗がたくさん出ているのに、骸は笑おうとしていた。
見ているこっちが辛い。
『…………っ、』
『………ここか、』
その時だった。
バシャッと、水を跳ねさせてこちらに向かう足音が2つ。
そして雨の中、こちらを見て発した低い声が犬と千種の耳に響いた。
いっきに二人の肩が強張り
急いで骸を背中に隠す。
そして暗闇から顔を見せたのは、
長身にいかにも殺人鬼という風貌の男と、
人の良さそうな貫禄のある中年男性であった。
顔のみで判断すると一般人。
しかし二人はしっかりと目向け確信した。男達に共通して着ている
黒いスーツを見て。
『……っ、』
マフィアだ。
そう認識した瞬間、二人の中から恐怖と怒りが同時にわき出た。
よくもあんな仕打ちをしてくれた、そんな思いが普段はあったが、今となっては男の迫力に気圧されて、思わず息を飲んでしまう。
『……やっぱりこの娘だな』
『ああ』
何やら骸を見て話を進めている。
けれど当の骸は必死に荒い息を繰り返していた。
すると、それに気づいたようで
背の低い中年男性の方が、骸へと歩み寄った。
近づくにつれて鼓動は高まり、結局犬と千種は固まって易々と骸のもとに近寄らせてしまう。
『……熱を出している……』
男は骸を見ていった。
でも、その言葉の意味がよくわからず、困惑の表情が浮かぶ。
『あれだけ雨に濡れりゃ……当然かもな』
『ボス、早く治療してやろう』
『そうだな』
勝手に進んで行く話。
いくら知識のない犬や千種でも、今の状況はなんとか把握できた。
骸が連れていかれようとしている。
『いっ、行かせねぇびょん!!』
『……っ、!!』
咄嗟に叫んだ声は、情けなくも恐怖で裏返り
無言で両手を広げ骸を後ろへ庇う千種も、その両腕は細かく震えていた。
怖い。でも、骸が居なくなることに比べたら、そんな恐怖はちっぽけなもの。
『『!!』』
一方、そんな姿を目の当たりにした二人の男はなんとも言えない、複雑な思いでいた。
仕方なさそうに、男が言う。
『でもな、このままだとこの嬢ちゃん
死んじまうぞ』
『『っ、!?』』
二人の顔が青くなった。
『お前達が嬢ちゃんを大事なのは分かる。だがな、今のお前達に嬢ちゃんを救えることが出来るか?』
救えない。
多分、どんな能力を持っていても、自分達では救えない。
だって自分は今まで、ずっと骸に頼って生きてきたのだから。
『 』
返す言葉もなく、二人の目は地面へと落ちていく。
するとその様子を見た男は
呆れることも、嘲笑うこともせず
ただ軽く二人の頭に手を置いた。
『それでいい』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それでいい、その言葉の意図が理解出来ず二人は男の顔を見た。
『何もできない、そんなの当たり前だ。お前達はまだ子供で、それこそ今から学んでいく時期だ。
今は沢山学んで、生きる知恵を身に付けろ。今度はこの娘に頼らずにな』
『………』
『………』
最後の文、【今度はこの娘に頼らずにな】その意味が頭の中に重く響き、
二人は悟った。
まさか、そんな思いに答えるように男は続ける。
『嬢ちゃん、連れていくぞ』
やっぱり、そうなのか
涙目の二人は、その現実が受け入れられずそう思うことで精一杯であった。
『オレなら、この嬢ちゃんを救える。
オレの屋敷にはこの嬢ちゃんを救う方法がいくつもある』
そう言いながら、骸を実験に使う気なんだろう。もしくは高値で売り飛ばしたり、酷いことを山ほどするのか。
しかし、例えそうだったとしても、今骸を救う方法はこの男に骸をあずける以外にない。
それが心の底から悔しくて、犬も千種も拳が小刻みに震えていた。
『連れていっても、いいか?』
嫌だ、絶対嫌だ。
でも、
骸が死ぬのはもっと嫌だ。
『………』
二人は小さく顎を引く。
そして、それを確認した男はまた二人の頭に手を置いて
『いい子だ』
そう言い残してから、颯爽と骸を抱えて消えてしまった。
その後、犬と千種は鼻をすすりながら、一晩中泣き続けた。寂しい路地裏で二人きり。自分達の無力を恨みながら。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雨が止まない。
そのだけが、強く頭に残っていた。
あの時、誰かが私達のもとに来たのは分かったけれど、その後から記憶には靄がかかっている。
『行かせねぇびょん!!』
『………っ、!!』
二人の険しい表情がうかがえ、近づこうとしてみる。
けれど、またその映像も見えなくなった
離れたくない。
あの子達は、私がいないと
私がいないと、生きていけないのに。
私にとって二人はとても大事な、仲間なのに
そう言って、もがけばもがくほど二人の姿が遠のいていった。
そして次に見えたのは、
雨の上がった裏路地で、二人寂しく泣き崩れる姿だった。
骸さま、骸さま
声は聞こえないのに、そう呼んでいるような気がして手を伸ばす。
けれどその手は届かない。
骸さま、骸さま
そう、私は六道骸。強くて賢くて二人を守れるのが当たり前なんだ。
なのに私は、守ることができなかった。むしろ泣かせてしまっている。
私なんて骸と呼ばれる資格はなんじゃないか。いや、それ以前に
一般人と犯罪者。高校生と中学生。日本とイタリア
骸と私を比べれば、いくらだって違いは生まれる。
つまり
私は完全には骸に成れない。
臆病で見栄っ張りでお人好しな私。
こんな私が、
六道骸に成れる訳がなかった。
なら一体、これから私はどうすれば____
<____バッ!!>
「っ、ハァ……ハァ…ハァ…!」
その瞬間、意識が引き戻されるように、勢いよく上半身を起こした。
肩で息をしてしばらく放心状態になる。しかし、朦朧する意識をフル活用しなんとか状況把握はできた。
私はさっきまで夢を見ていたらしい。
それにしても不吉な夢を見た。
二人と離れてしまうなんて。改めて、あれが夢でよかったと思う。
息もようやく整い、安堵を笑みに含みながらそう思っていた。
と、そこで違和感に気づく。
なんと私は、ベットに寝かされていた。
「!!?」
しかも、白く大きな清潔感漂うベットで、だ。
それによく見れば部屋も見知らぬ場所であった。おしゃれなアンティークに、貴族を思わせるようなインテリアの数々。
そのどれもが、見覚えのないものばかりで、急速に不安や恐怖が沸き立つ。
私は一気に縮こまり、まるで小動物のように震えた。
するとそこで、急に重そうな扉のドアノブが回った。
そこから顔を見せたのは、
『おお、もう気がついたのか!』
見覚えのある、中年の男性であった。
そう、見覚えのある
あのマフィアのボスだ。
『気分はどうだ?まだ吐き気がするか?』
私が混乱していることも知らず、優しく尋ねるボス。
しかし私はその態度さえも恐くて、余計に混乱と恐怖は増していった。
『うちの治療班は優秀だろう。お前の怪我や病気を、あっという間に治してくれたんだからな』
そう言われてみると、服も清潔なワンピースに変わっており
薄汚れ、傷の絶えなかった体も何処かへ消え去っている。
『こ、ここはどこですか……?』
下手くそなイタリア語を、ようやく喉の奥から絞り出してみた。
すると一瞬キョトンとしたものの、気前よくボスは答えてくれた。
『ああ、ここはオレの屋敷だ。安心しろ殺すつもりはない』
今まで殺すつもりだったのか!?
とっさに私は言ってしまいそうになるが、なんとか飲み込み、話を続ける。
『何のために、私をここへ?』
まさか、実験とかじゃないだろうな。
しかし、ボスは以前として敵意を見せず、穏やかに言った。
『あの時、雨に打たれ続けたせいで風邪を引いていたんだ。しかも酷い傷もたくさんあったんだぞ。
一度治療するためにここへ連れてきた』
理由はだいたいわかった。
でも今の言葉、少し引っ掛かるところがある。
『あの時……?』
『ん?覚えてないのか?
まぁ、無理もないだろう。なんせ息をするのがやっとの状況だったからな』
………そうだ
あの時雨の中、私はランチアに捕まったが、なんとかこのボスから逃げて、無事千種と犬のもとに着いて、安心して、気が抜けて、そのあと……
【そのあと】?
『………?』
おかしい。そのあとの記憶がまったくない。きれいさっぱり、消えてしまっている。
まさか………
どんどん押し寄せる不安。
私はたまらず、声を挙げて聞いた。
『犬と千種はっっ!?』
嫌な予感がする。
『………』
『教えてください、二人はどこに!?』
『……』
なかなか教えようとしない。気まずそうな顔で眉を寄せている。
そしてしばらく沈黙がつづいた後、やっと小さくだが呟いた。
『………ここには、いない』
『はい………?』
信じられない言葉に、思わず聞き返してしまう。けれど、返ってくる言葉は同じだった。
『………ナポリに、置いてきた』
『………………』
愕然とする。
どうやら、さっき見た夢は
正夢だったらしい。
「 」
私は言葉は発するよりも先に、手を出した。
『何するんだ、痛いじゃないか』
『黙れ』
私はギリギリとボスの胸ぐらを高く掴み上げる。
後先の事を考えず、マフィアのボスの胸ぐらを掴み上げればどうなるかなんて知ってる。
でも、この時私はそんな恐怖や緊張感を忘れてしまうほど、頭に血がのぼった。
『何故置いてきた』
『黙って置いてきたのは謝る。まずは落ち着け』
『嫌だ。私を犬と千種のもとに返して。あの子達は私が居ないと…………』
『落ち着け』
重い手のひらが、私の肩に置かれた。
一瞬にして自分のしてしまったことに気づく。
なんて事をしてしまったんだ
そう思ったとて、もう私は止まらなかった。無言でボスを睨み続ける。
背中に冷たい汗が流れたのには、気づかない振りをして。
『聞け。オレが子供の面倒を見るのが苦手だから置いてきた、それな理由じゃない』
『説明してください』
『だが、今はまだ言えないな』
ヘラリと笑って見せる姿に、私はますます顔を赤くした。
からかわれているようで腹が立つ。
『いずれ二人を置いてきた意味が分かるさ』
『止めて……私は二人の元に帰りたい』
『帰りたきゃ勝手に帰っていいぞ』
その言葉に少し希望の光が見えかかる。けれどボスは「ただし」という言葉を続けた。
『この北イタリアからナポリまで歩いて帰れるなら、の話だがな。』
『!!?』
驚愕が期待していた気持ちをかき消して、目の色は変わった。
『途方もない距離を何日もかけて帰るなんておすすめ出来ねぇが、どうしてもと言うなら止めない。
いつでも出ていってくれ』
何キロも、この折れてしまいそうな細い足で歩く?
そんなの………無理だ
『…………っ、』
『無理だろう?なら、残った選択肢はひとつだ』
目の前にピン、と人さし指をたてて
ボスは屈託のない笑顔を浮かべながら言った。
『オレのファミリーに入ることだ』
突然の提案。
頭がついていかず、ただ呆然としてしまった。
するとそんな私を見たボスは、何を思ったのか背中をバシバシ叩きながら言った。
『心配するな。一見むさ苦しいのが多いが、ファミリーの奴らは優しい者ばかりだ』
安心させるような微笑みを向ける。
しかしそれとは裏腹に、その口ぶりは入ることを前提にしているようにしか聞こえない。
ご、強引だな……
『脅しじゃないぞ、これは』
『はぁ………』
念を押すように言う。
「…………、」
私は少し返す言葉を考え
躊躇いながらも、口を開いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『ランチア、噂は聞いたぜ』
ファミリーのみんながよく利用する、いきつけの飲み屋。
そこで軽く飲んでいたオレは、身に覚えのない噂を聞いた。
『なんのことだ』
『なんのことって、そりゃ……ナポリでのことだよ。ほら、お前…ボスの護衛で行っただろう?その時に……』
『ああ……』
そういえば、あったな。スリを働く少女を連れて帰った。よく考えると、ハタから見れば大ニュースに違いない。
今頃、オレが少女を連れて来たという噂が出回って……
『とうとうお前、一般人に手を出したそうじゃないか』
『ブハッッ!?』
その言葉に、思わず酒を吹き出した。
耳を疑ってしまうが、今たしか……一般人に手を出した…と言った気がする。
『なんだその反応。まさか知らないとか言うんじゃないだろうな』
『知らない』
『嘘つくな、もうみんなにも回ってんだぞ。しらばっくれるのは無駄だぜ』
どうやらオレの想像してた噂とは、内容が違っているようだ。
いや、もしかしたら違っているどころの問題じゃないかもしれない。
オレは眉間にシワを作りながら話を聞こうと、グラスを置いた。
すると、そのタイミングを図っていたかのように入り口の扉が開きボスが顔を見せた。
『よう、お前達。また酒飲んでんのか』
呆れた顔をするボス。
いつものようにオレ達の隣に座って飲むのか、と思いきやそうではないらしく、入り口から離れようとはしない。
『実はお前達に紹介したい奴がいてな』
そうボスがいうと、後ろにいた奴も前にいた奴も、全員がボスに目を向けた。
たちまち、店内は静かになる。
『ほら、入ってこい』
そんな中、ボスに手招きをされて誰かが店の戸を押した。
小さな影、日に当たった髪は一見黒にも見えたが、綺麗な藍色に輝いている。
『あ!アイツだ、アイツが噂の……』
その姿を見た瞬間
後ろで仲間が声をあげて驚いた。
『ランチアが一般人に手を出しちまったから孤児になったっていう女の子じゃないか……!』
『………!?』
その時オレは、少女が現れたことよりも噂の内容に絶句し
声さえ出なかった。
『ほら、名前言ってみろ』
『………』
ボスに背中を押された少女は、少し前に進み小さい声で言った。
『………骸』
可愛らしいソプラノが聞こえて、周りの空気が変わる。
しかし、この少女は声こそ聞いたことがないものの、ナポリで起きたけっこう大きな事件(オレ達ファミリーにとって)で姿は把握していた。
それほど周りより驚きはしなかった、が
『おお、あれがランチアに両親を殺られた少女か……』
『違う』
『だから…嘘なんだろ?いい加減諦めな』
もはや何を言っても無駄か。
この噂をきいてまだ数分しか経っていないけれど、まるで誤解を解ける気がしない。
でもこれだけは言いたかった。
オレは何もしていない、と。
『実は今日からファミリーに入ることになった。急だが、仲良くしてやってくれ』
『おい、ボス。その嬢ちゃんは……その……』
『ああ、身寄りのねぇ……みなしごさ』
その言葉をあとに、騒ぎかえっていた店内はたちまち静まりかえった。
でもボスはそれにかまわず、話を進めようとしている。
『それではまず、骸に教育係を付けねぇとな!』
歯を見せて笑うと、辺りを一通り見回し、オレと目が合うと目を逸らさず言った。
『ランチア、お前に頼めるか』
やっぱりな。
心のどこかで自分ではないか、そう思っていたのでさほど驚ろかず
むしろオレがしたいと密かに思っていたところもあったので、願ったり叶ったりだ。
しかし、後ろから不安を唱えるような声がぞくぞくと聞こえてきた。
『おいおい、ボス正気かよ……』
『よりにもよって、親の仇であるランチアを選ぶなんて……』
またその話か……っ!!!
根も葉もない噂だ。
そろそろ鬱陶しく思えてきたので、
オレは突き刺さる視線を払い除け骸の前に歩み出た。
『ランチアだ、よろしく骸』
『………』
少女は少し戸惑ったあと、軽く会釈をしてた。
その時少し見えた腕が細いことに気づく。骨に皮が張り付いたような弱々しい腕は、これ以上見ていられない。
『ボス、屋敷を案内してやってもいいか』
『ああ。好きにしろ』
オレはボスの了承を得たあと、骸を連れて店を出た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
たどたどしいイタリア語は、なんとか通じたようで男は私の名前を読んだ。
返事をする気にはなれない。
今だ私自身、この状況を受け入れられていないせいでもある。
けれど男に声を返さなかったのには、決定的な理由が一つあった。
『ランチアだ、よろしく骸』
マフィア。
男がそう呼ばれる人間だったから。
私はその姿を見ただけでも、あの悪夢を思いだし身震いしたほど。
確かに、この人は優しい。
原作を見た私は、ランチアという男がどんな人なのか知っている。
にも関わらず皮肉なことに、私はランチアが恐くて憎くてしかたがない。
どれだけこの人がいい人だと言い聞かせても、殺したいという気持ちが収まらないでいる。
今、ランチアの後ろを着いて廊下を歩いているが、この瞬間だって自分を押さえるのに必死だ。
『骸、気分が悪かったら言うんだぞ』
誰がアンタなんかに言うもんか、
そう言いたいのは山々でも軽く頷くだけにした。
『…………』
「………」
さっきの言葉を最後に、会話が終わり足音だけが耳に響く。
そしてその途端に私は自分の世界にまた戻った。
考えることはひとつ。
どうやってここから出るか。犬達が待っているので、出来るだけ早く脱走したい。けれど今はボスに従っておいたほうが身のため。味方の振りをしたほうが吉と見える。それにしてもお腹減った。
となると、ボスが離れた今しかチャンスはない。でも私はランチアをだし巻くことは出来るのか。それこそ問題だ。たしか北欧最強のランチア、下手すると私は死ぬ。それにしてもお腹減った。
じゃあ私は、どうやって逃げれば……っ!
『着いたぞ』
と、その時だった。
ランチアがある扉の前で足を止めたのは。
『骸、ここが
食堂だ』
『…………』
その瞬間、私の腹の音が廊下に大きくこだました。
『遠慮せずに食ってくれ。おかわりは沢山ある』
目の前にある豪華な品々を見て、私が固まっているのは、決して遠慮しているからではない。
『………』
久しぶりに皿に乗った料理を見た。
ここ最近、私を取り巻く環境のせいでろくな食事をとっていなかったからだ。以前の私なら見慣れていたはずの料理が、今となっては豪華な品々に見えてしまう。
『……食べてみろ』
また腹が鳴りそうになったので、警戒はするものの私は仕方なく料理に口をつけてみる。
「……!!」
イタリア料理は初めてだったけど、もう食べられれば何でもよかった。
私は一口食べた途端、無我夢中で料理を口に詰め込む。
『……うまいか?』
『………』
反射的に頭を上下に振る。
すると男は安心したように柔らかい笑みを浮かべ、ポツポツと喋り始めた。
『あの二人を置いてきたこと、恨んでいるか』
手が止まる。
『答えなくていい。ただ、二人を置いてきたことにはボスなりの理由があった。
そのことをちゃんと知ってほしいんだ』
何故だか聞きたくなくて、私はまた手を動かし始めた。
『よく考えてみてくれ、お前は才能があり防衛技術もある。でもあの二人は違うんだ。
もし、お前と一緒にマフィアの屋敷に連れてきてみろ。誰が二人の命を守る?』
私が。
そう言いそうになったが、ふと気づく。
『分かってるだろ、お前は自分の命を守るので精一杯なのに二人のことなんて守れるはずがない』
『つまりボスは、危険なマフィアの世界に足を入れるのは
才能のあるお前だけでいい。そう考えたんだ』
『……っ、』
そんなつまらない理由で……
私の意志なんてまるで考えていない。
『……そんな顔をするな。それにな、ボスが二人を置いてきた理由はほかにもある』
『!!』
『だが、今はまだ言えない。これはもっと先に知るべきだ』
私の眉間にシワが寄る。
『とにかく今は食べることに集中しろ』
そんな無茶苦茶な。
そうは思ったけど、驚くほど私は食べることに集中できた。