「落ち着いた?」
「は、い。すいません、こんなに泣いてしまうなんて」
静かながらも長く泣いていたからか、アイリスの目は真っ赤に充血していた。頬も涙の跡が強く残っている。
そんな彼女をフェイスタオルで優しく拭くと、謝られてしまった。
「別に謝って欲しい訳じゃないさ」
困ったように笑うアヴェンジャーは、ありがとうと言って欲しいと言う。
「どうせならすまなそうに謝ってもらうより、笑顔でありがとうの方が俺も嬉しいよ」
「え、あ……う……」
笑顔。
どうするんだっけ、と子供らしい、だが子供らしくない思考が浮かぶ。笑顔なんて浮かべたのはいつ以来だろう、と。
そんな風に思い悩むアイリスに、アヴェンジャーは彼女の頭を撫でた。
「無茶言ったな。その内でいいさ」
アイリスから離れ、クレアとレインの両肩を叩く。そのままアイリスにバレないよう、口の動きだけで、
――聞いたなら少しは思い直せたか?
実は二人が聞いていた事を見抜いていたと、言外に告げて二人を固まらせる。その後三人は素知らぬフリで椅子に座った。
一方アイリスは椅子を立つと、少し悩んで、何かを決心して、椅子の背もたれを持って動かし始めた。
王族に相応しい椅子はそれなり以上の装飾が付いており、その分重い。そのためアイリスは若干苦心しながら、それをアヴェンジャーの隣に引き寄せた。背もたれがくっ付くくらいにまで寄せると、アイリスは椅子に乗って、アヴェンジャーの腕に体を傾ける。
「……♪」
表情はほとんど変わらないが、どことなく満足そうだ。本人なりに『甘えて』みているようで、
「ぷっ」
つい、笑ってしまった。
「な、なんで笑うんですか? 甘えてもいいって言ったのはアヴェンジャー様でしょうに!」
「い、いや、もっと無茶なお願いも覚悟してたし……」
それこそ王都中を散策したい、とか。あるいは父や兄のところに行きたい、とか。
「いやぁ、アイリスは可愛らしいなぁ」
くすくす笑うアヴェンジャーに、アイリスはぷいっと顔を逸らした。そんな拗ねた態度を見るのが初めてなクレアとレインは眼を丸くしたが、悪いことではないだろうと苦笑を零す。
アヴェンジャーが空気を変えるように菓子を一つ取ると、アイリスに差し出した。その仕草をすぐに理解したアイリスは、拗ねていたことなど忘れたかのように口を開ける。
ここでサッと手を引いたら面白そうだったが、それはやめてその小さなお口の中にひょいっと放り込む。
「……ええ、やはりレインのお菓子はとても美味しいです」
「ありがとうございます。アイリス様は素直に褒めてくれるので、作り甲斐がありますよ」
「へぇ、これってレインが作ったのか」
「はい。こういうと微妙な顔をされるのですが、薬の調合も料理を作るのも、そう大差は無いので。私の一族は大体料理上手で有名なのですよ?」
お一つ如何ですか、と差し出しかけたところで、ふと思った。
「魔力で作られた体で、何かを食べたり飲んだりとかはできるのですか?」
「人間ができる事はできるよ。ただしなくてもいい。実際数十年くらい飲まず食わずだった時もあるし」
アヴェンジャー曰く、サーヴァントにとっての飲食はそれに含まれた魔力を吸収する作業で、多少マスターの負担を軽減できる程度でしかない。睡眠も似たようで、消費量を減らせる。
「食事はともかく睡眠はする気は無い。寝ている間にマスターが殺されたら本末転倒だからな」
「ダメです!」
「え?」
真っ先に反対の声をあげたのは、アイリスだった。アイリスはアヴェンジャーの片目を睨み付けるように覗き込むと、
「食事も睡眠も、人間として必要不可欠な事です」
「いや、昔やってたから別に平気だって」
「少なくとも私が主の時は、私と一緒に食事と睡眠をしてもらいます」
「その隙を突かれたら俺は死んでも死にきれな」
「ダメです」
「あの」
「ダメです」
「アイリ――」
「……令呪を持って命じ――」
「待った待ったわかったわかったわかったから!」
その命令は、流石に無駄が過ぎる!
「そんな事に令呪を使うな! するから! 食事も睡眠も!」
「良かったです。私も無理矢理は嫌ですから」
「……言っておくけど、今の場合は令呪を使っても意味がないからな?」
え、とアイリスの口が開いた。
「ど、どういう事ですか?」
「どういうも何も。令呪の魔力だって無制限じゃないんだ。無期限の命令を遵守させるなんて不可能に決まっているだろう」
要するに、何となく食事をしないとだめだな、と思うだけで、絶対に食事をしなきゃ、と思い込ませる強制力は発揮し得ない。
「無限のエネルギーなんて存在しない。だから、非現実的な命令や、あまりに長期に渡る命令は令呪を無駄に使って終わりだ」
説明し損ねていた、とアヴェンジャーは頭を掻いた。
「その令呪が無くなれば、お前はマスターである資格を失う」
「それはどういう事だ、アヴェンジャー」
「令呪はマスターである証なのさ、クレア。三つ全てを消費したり、腕を切り落とされたりして結果的に令呪を失う状況に陥ると、接続が切れるんだ」
前者ならまだマシだ。アヴェンジャーが消えるだけだから。
後者はマズい。何せ令呪を奪われるという事は、サーヴァントの支配権を奪われるということ。
「最悪俺が敵に回ることになる。……短絡的な事はするな、という事だ」
「じゃあ、私達があなたの事を欠片も知らなかったのは」
「国王に強力な使い魔が傍にいて、それを奪える可能性がある。この国を崩したい人間にとって俺を奪うのは、直接チェックメイトできるチートを得られるって事だ」
なるほど、とレインは頷いた。今のところ話の筋は通っている。
「……国王は。アイツは、俺という存在をアイリスの守護と、成長を促すために遣わした」
「私の守護と、成長?」
「ああ。俺を己の護衛、部下として。アイリス自身を主、上に立つ者として。守る者と守られる者、それをより明確にするためにな」
アヴェンジャーは全力でアイリスを守る。そこに嘘はない。だが、アヴェンジャーの行動がアイリスに左右されるのは事実だ。
「将来的にはともかく今は『守られる者』という自覚を養え、という事だ。守られる側が下手な行動をすれば、守る側が途方もない苦労を背負う。それを避けるためにどうすればいいのか、常にマスターは考えなければならない」
『下手な行動』における最悪は、令呪の強奪。そうされれば、アヴェンジャーはアイリスを殺すことになるかもしれない。
そうならないよう、『マスターとして』どう行動するかを、アイリスは常に考え続けなければならないのだ。
「甘やかす事だけを考えられないのが、国王って立場の辛さだろうな」
まぁ滅多な事ではアイリスに手出しすらさせない、とアヴェンジャーは言い切る。
「そういえば、お前の強さはどれくらいなんだ? 強い、と言い切ってはいるが」
「初代国王とタメを張れるくらいには強いぞ? そうだな、魔王と直接対峙できるような状況にでもなれば、確実に勝てるくらいだ」
「……信じられん。嘘を言っている訳ではない、とはわかっているのだが」
「だろうね」
「あの、それほどの強さを持つのなら、あなたが直接魔王軍と戦うわけにはいかないのでしょうか?」
手を上げて質問したのはレイン。
彼女の疑問も当然だ、とアヴェンジャーはこう返した。
「マスターの魔力が保たない」
「国王陛下程の魔力でも? 陛下の魔力は一般的な『アークウィザード』達よりもよほど多いと聞いていましたが」
「俺の体は魔力で構成されている。つまり、怪我を負えばその分新たな魔力を必要とする。その上で戦闘時に消費する魔力を考えると……」
例えばそれが魔王軍幹部や魔王そのものと戦うだけならば何も問題はない。マスターの魔力が尽きる前にどうとでもできる。
だが、国王や第一王子が未だに戻れない最前線のような、長期間戦闘終了の目処が立たない場所では、アヴェンジャーは戦い続ける事ができない。
「そもそもアイツは自分が戦いに行ったんだ。俺と自分自身、二人分の魔力消費を賄うなんてのは不可能だ」
「だからお父様は、アヴェンジャー様を私に?」
「ああ。王族であり、戦闘を行わないアイリスは、俺を受け継ぐのに最適だった」
娘の護衛と、王族としての実利。
「ま、その他にも色々事情はあったが、大部分はそういう事だな」
「なるほど」
頷くクレアとレイン。直接その強さを見ていない以上完全には信じきれないが、アイリスを守るという点においては心強いと納得したらしい。強くは突っ込んでこなかった。
「そ、そういえば! クレアも言っていましたが、どうして『復讐者』と名乗っておられるのですか?」
ポン、と柏手を一つしながら話を変えるように問いかける。この疑問、実は最初に彼が己をアヴェンジャーと言った時からの疑問だった。
復讐者にしては理智的すぎるし、何より面倒見が良すぎるような気がする、と。
「それは文字通り俺が復讐者だからさ」
だから、そんな事を言われてもハテナマークが頭に浮かぶくらい想像できなかった。首を傾げている様子からそれを悟ったのか、アヴェンジャーは続けて、
「生前、幼かった頃の俺は生まれ育った小さな村を壊滅させられた」
――あっさりと、そんな重苦しい事情を語った。
「え?」
「たまたま村の外に遊びに行った俺はその襲撃を避けられてね。命だけは助かった」
淡々と語るその顔に、嘘は見られない。親を、もしかしたらいたかもしれない兄弟を、故郷の者を失った時の絶望感を悟らせぬかのような、貼り付けた無表情。
「……まぁ、その時は復讐どうこうなんて考えなかった。故郷を失わせた下手人の顔を知らなかったからな。どうやっても不可能だ、手掛かりがほとんどない」
そうして何もかも失って途方に暮れた時に、一人の女性がアヴェンジャーを拾ってくれた。
「今俺がここにいるのは、その人のお陰だ。感謝している。とても……とても」
その女性の話をしている時だけ、アヴェンジャーからは今でも慕っているとわかる笑顔と、そこに宿る苦々しい後悔を宿していた。
「その人のところで生きていて、全てを失った絶望も癒えた頃に、そいつがやってきた」
――『やぁっと見つけたぜぇ? 全く面倒な事させやがってよ』
「魔術師の男だった。それも超を付けていい程の、一流の『アークウィザード』」
勝てる道理はなかった。逃げる暇さえ与えられなかった。ゴミ掃除をするように、アヴェンジャーは殺されて、そのまま家族と同じように、死ぬ――はずだった。
「あの人のお陰で生きられた。……代わりにあの人が死んだ」
確かに攻撃を受けて。体が焦げて溶け落ちるような感覚があって。でも、目覚めてみれば無傷だった。
それだけなら喜ばしい事だろう。
――目覚めた横に、何故か
「一度目と、二度目。俺から全てを奪ったあの男を、俺は決して許せなかった。決定的に弱かった自分を鍛え上げて、『アークウィザード』であるあの男を、殺すまでは」
結果的にアヴェンジャーはその男を殺しきれた。
「ま、その後も色々あってね。お前の先祖、初代勇者と出会ったのもこの頃――っておい、アイリス、どうしてそんな泣きそうに。クレア、レイン、お前らもどうして顔を逸らして目頭を押さえているんだ」
それはアヴェンジャーの真に迫るほどの話を聞いていたからです。とは誰も言えず、軽い考えで聞こうとしたアイリスとクレアは自己嫌悪で自分の首を絞めたくなった。
伊達や酔狂でアヴェンジャーを名乗る訳が無い。紅魔族でもあるまいに、と。
当のアヴェンジャーは三人の反応に困惑しつつ、締め括るようにこう纏めた。
「俺の人生は、その大半を暴力によって何とかするものだった。敵がいれば殺すか殺されるか、殺しきれずに封印をしたこともあったけど、殺伐としたモノだったね」
その経験から言わせてもらう。
「アイリスは、俺のようになるな」
「私が、あなたのように?」
目尻に浮かぶ雫を指先で拭いながら、アイリスはアヴェンジャーを見上げた。見下ろすアヴェンジャーの瞳には慈愛の色が浮かんでいて、本心からアイリスを想っているとわかる声音で、こう言った。
「お前には、色んな可能性がある。だから、俺みたいに、力で全てを解決しようと考えるな」
――そのために、俺はここにいる。
そう言って笑う彼の顔は、ずっと目に焼き付いて離れなかったと、後のアイリスは語った。