コホン、とわざとらしい咳が響く。それを発した主はクレア。彼女は口元に拳を置いて、アイリスに言った。
「申し訳ありません、アイリス様。私とレインはそろそろ仕事に戻らなければ」
アヴェンジャーの登場によって中断されただけで、本来二人は未だ仕事をしていなければいけない立場。懸念が解消されたのであれば、戻って続きをしなくてはいけない。
レインも目尻を下げて、
「私も、同僚に投げてしまった書類仕事と、薬の研究をしないといけませんから」
申し訳なさそうにアイリスに微笑む。アイリスはそんな彼女に、小さく笑みを返した。
「わかっています。私も朝食がまだですし……この時間では、昼食も兼ねてしまいますが」
「今日は午後からお勉強ですが、それまでは自由時間です。お好きに過ごしてください」
好きに、と言われてアヴェンジャーを見ようとした瞬間、その彼はこう言って来た。
「それじゃあ俺は霊体になってるから、必要になったら呼んでくれ」
それだけ言うと、さっさと三人の前から消失する。否、マスターであり接続が繋がっているアイリスの目には見えていたが。
「……いるのですか? そこに」
「え、あ、もちろん。やっぱり見えないのですか?」
「見えませんね。あと、触ることもできません。まだそこにいるのなら」
アヴェンジャーのいた場所に手を寄せ、左右に振っているレイン。
ちなみにアイリスの視界には、アヴェンジャーの胸元にレインの腕が貫通して見えていて、かなり心臓に悪い。実際アイリスは悲鳴をあげかけた。
「ア、アヴェンジャー様! すぐに霊体化を解いてください!」
「わかった」
しかし悲鳴に近い声が出てしまい、すぐにお願いする。実体化した時にはアヴェンジャーはレインから離れていた。もし腕が刺さりながら実体化したら、と考えて、アイリスは即座に、己のサーヴァントに命じた。
「私が主の間は、霊体化を禁止します! これは絶対です、無駄だとわかっていても令呪を使うことも辞しません」
「いや、霊体って色々便利なんだぜ? アイリスがいる城内限定だけど、悪巧みしてる奴がいたらバレずに盗聴できるし」
「それでも、です。私はアヴェンジャー様に人間として生活してもらうと決めました。一般的な人間は眠りますし、食べますし、霊体になれません。やれたとしてもやってはいけません。これは厳命ですよ!」
余程先の光景がショックだったのだろう。アイリスはそう言い切り、聞く耳持たぬと言いたげに呆然としている側近二人に告げた。
「アヴェンジャー様はこれから私の側近の一人として城内に留まります。二人は彼を連れて、まず騎士団と宮廷魔法士団、また給仕達にその事を伝えてください。お願いしますね?」
「「は!」」
アイリスに敬礼を示し、クレアとレインはテーブルの上を片付ける。その間にアイリスはアヴェンジャーの背中を押して、できるだけ真剣な顔を作って言う。
「私の父と、兄と。友達と言うのなら……私の『ワガママ』、聞いてくれますよね?」
「それを言われると弱いな。わかった、俺はこれから食べるし、眠るし、霊体化もしない。城内にいても不審を与えないよう挨拶周りもちゃんとしてくるさ」
「はい、それでいいんです」
アヴェンジャーの返答に、アイリスは笑う。意識的には無理なようだが、無意識なら、もう笑みを浮かべられるようだ。
その事に満足そうなアヴェンジャーに首を傾げつつ、三人がいなくなったアイリスは、フラフラと一歩、二歩と下がり、ベッドに倒れるかのように腰掛けた。
取り繕った笑顔を、崩しながら。
「……アレは、嫌です」
全く痛そうでも無かったし、実際何の影響も無いのだろうが。
「胸に、腕が刺さっているなんて。見たく、無いんです」
父や、兄が今この瞬間、そうなっているかもしれないと、何の根拠もなくそう思ったから。頭に浮かび上がってしまったから。
霊体化している時に見せた、あの虚無的な表情が、人間味を感じさせなくて。数百年のほとんどを霊体のまま過ごしている意味を、想像させて。
怖かった。
初めての友達は、あっさりと消えてしまうんじゃないかと思ったから。
嫌だった。
だから、人間として過ごさせると決めた。そうすれば、もう彼はあんな顔をしないで済むと、思ったから。
彼が、彼らしく。誰かと色んな繋がりを作ってくれれば。
「私の前からいなくなるなんてこと、無くなりますよね……?」
部屋を追い出されたアヴェンジャーを連れて歩き出す二人。フードは外したが、それでも首から下を黒いローブで覆い隠しているのと、顔半分を埋め尽くす包帯のせいか、時折すれ違う者達から奇異と不審な視線が向けられた。
ただ本人はそれに慣れているのか気にしていないようだったが。
「全く、我々の気遣いを無下にしおって」
「気遣い?」
「お前とアイリス様を二人きりにして、自由に行動してもらおうと思っていたのだ」
その言葉にアヴェンジャーが眼を丸くした。一番疑っていたクレアがそう言った事を、意外に思っているらしい。
「あれだけ疑っていたのに、随分あっさり信じるんだな」
「ふん、最もだな。レイン、もういいぞ」
「種明かしですか?」
レインに向かって差し出された手の上に、ローブの中に隠していた物を乗せる。それはアヴェンジャーも見たことがあるもので、だからこそ、すぐに納得した。
「嘘を言うと音を出す魔道具、か」
「ああ。『私はアイリス様を主君と認めていない』」
チリーン、と音が鳴る。壊れていないらしいな、とクレアが呟く。
「お前が全て真実を話すとは限らない。だから、レインを連れてくるように頼んだ騎士に、レインにこれを持ってくるようにと伝えておいたんだ」
クレアとしてはすぐに鳴ると思っていた。だがその予想に反して、これは一度も鳴り響く事無く終わってしまった。
「でも、それにしては一度俺の言葉を下らないと切り捨てていたじゃないか」
「この魔道具の唯一の欠点、忘れたとは言わせんぞ」
この魔道具はあくまで『嘘を見抜く』物でしかない。だから、本人がこれは本当だと、本心から信じていれば音が出ないのだ。
また嘘は言っていないが真実でもない、という曖昧な答えでも鳴らない。まあ、そんな答え方をする人間は滅多にいないが。
「おい待て。つまり最初にそう言った理由って、まさか」
「勿論『子供の妄想』と断じただけだが?」
あるいは狂人の戯言と思っただけだが。
ここで初めてアヴェンジャーの頬が引き攣った。流石に頭がアッパラパーな人間だと思われるのは嫌らしい。
「付け加えると、私があの時怒ったのは、これを持ってきたと知っていたからですね」
『話し合いで解決できるのに薬を使うな』と言っていたレインが笑う。ただ、アヴェンジャーとしてはあまり笑えない。
逆に言ってしまえば、それを持ってきていなければ薬を使うのも辞さないと考えているようなものだから。
アヴェンジャーは小さく肩を落とすと、一つ息を吐き出してから、口元を緩めた。
「……とても頼りになる仲間がいて、頼もしいよ」
「私はまだお前を仲間だとは思っていないがな」
ふん、とクレアはアヴェンジャーを睨み付ける。
「私が認めているのは、お前が本心からアイリス様を守ろうとしていること。その一点のみだ」
「私はクレアと違って仲間だと思っているので、そこは安心してくださいね?」
「レイン」
「あら、いいでしょう? クレアだって、味方だとは思っているんでしょうに」
「……ふん。おい、アヴェンジャー。付いてこい。まず騎士達にお前の説明をする」
まだ疑っていると、目を鋭くするクレアが背を向ける。アヴェンジャーは一度レインを見ると、彼女はニッコリ笑ってクレアに手を向けた。
「私達宮廷魔法士と宮廷薬師については後回しで構いませんよ。どの道今日は私もあまり時間が取れませんし。他の事を優先してください」
レインはアイリスの教育も請け負っている。帝王学を始め、その内容は多岐に渡るため、彼女自身教える内容の把握として勉強をし直したりと、忙しいようだ。
アヴェンジャーはレインに礼をすると、既に遠くなった背中へ駆け出した。
そして、最初にアヴェンジャーが降ってきた場所へ戻る。そこにあったはずのクレーターは既に無くなっているようで、騎士達の訓練は滞り無く続いていた。
ただその訓練はどこかおざなりで、彼等が上の空でやっていると一目でわかってしまう。怒鳴りつけようかと一瞬思ったが、その原因がわかってしまうので、今回だけは見逃した。
「へぇ、このレベルか」
眼を細めるアヴェンジャー。その眼球は恐ろしい程の速さで、騎士一人一人を見極めようと動き続けている。
その顔には、先までの温和さはない。優しさを感じられない。
――人としての色を、見れない。
まさに復讐鬼という言葉が似合うモノだった。
ここで初めて、クレアはアヴェンジャーに恐怖を感じた。
「アヴェンジャー、お前は……」
「ん、なんだクレア。俺の顔に何かついてるのか?」
問いかけようと名前を呼べば、すぐにそれは消え去った。人としての色があっという間に戻り、それに拍子抜けさせられる。
「……いいや、何でもない。それより騎士達を呼ぶ。言っておくが私がするのは紹介だけだ。彼等に認められるのは、お前自身でこなせ」
認められなければ、アイリス様の側近は務まらない。
かつて己が通った道を、己よりも不利なアヴェンジャーに課しながら、騎士達を呼んだ。
――結論から言おう。
一ヶ月どころか一週間もいらなかった。アヴェンジャーが、城の者に認められるのにかかった時間は。
これにはクレアどころかレインやアイリスも驚き、どうやったのかと問い詰めてしまった。
アヴェンジャーは特に不思議な事をしていないと言う。
騎士達には、力を示した。一対一、あるいは一対ニ、更には騎士団全員を纏めて相手取って勝っただけだ。
そう、わかりやすく『強い』というのを理解させただけだ。アイリスの護衛、その任を全うできるだけの力があるのだと。
後は彼等が成長できるようにアドバイスしておいた。思うところはあるだろうが、自分よりも強いと認めた相手の言葉だ。それを受け止め、糧にする度量があった。すぐに効果が出るわけではないが、確実に強くなるだろう。
「後は実戦で戦ってるところを見せれば、大体の騎士は指示に従ってくれると思う」
訓練で強くとも、実戦で強いとは限らない。次に魔王軍が王都を襲った時に、お前を本当に認めるかどうか決めるとは、彼等から言われた言葉だ。
「確かに、お前は強かったな」
クレアも一手交えた事がある。ただ、即座に理解した。
――『勝てない』と。
アヴェンジャーは、純粋に『強い』訳ではない。どちらかといえば『上手い』タイプだ。スキルを一切使わなかったので職業はわからないが、剣を振るう技術はクレアの遥か上を行く。
体捌き一つとっても別次元といっていい程差があった。技術と経験が揃った古強者、それがクレアの印象だった。
ここにスキルが加われば、と思いつつ、続きを促す。
魔法使いと薬師達には、知識を示した。外見からはわからないが、アヴェンジャーはこれで数百年も在り続けている。生前はともかく死後はほとんど城内から出たことはないが、それでも、その眼で見知った生の知識は得難いものだ。
特に過去起きた、しかし忘れ去られた出来事、歴史における裏や、間違った記述を指摘できるというのが大きい。
「まぁ、数百年も前の出来事を全て覚えてるとは言えないけどね」
アヴェンジャーの肉体は魔力で形成されている。だからこそ、肉体の老い、劣化というモノは存在しない。常に若いため、記憶力も相応に良い。
ただ完全記憶能力などは持っていないため、どうしても忘れている部分もある。
「それでも、新しい発見をいくつも見つけられました。失伝された薬のレシピも、かなりの数を教えてくれたんですよ」
かつてないほどにご機嫌なレインが言う。昔猛威を振るった伝染病などで消え去った薬――薬師が死んで、技術が途絶えかけた――もアヴェンジャーは覚えていたので、同じ薬師であるレイン垂涎の知識があったのだ。
最初は嘘っぱちだ、信じられるかと言い捨てた彼等も、その根拠や証拠、穴を指摘し訂正すべきだと議論に議論を重ねれば、信じるしかない。
そして怒声さえ交えて言い合えば、お互いに認めるしかなかった。
「宮廷魔法士と薬師は、ほぼ全面的にアヴェンジャーが城に滞在する事を認めています」
最後に、執事やメイドなどの使用人達。
彼等には単純に、人格を認めてもらっただけだ。強さも知識も彼等には示す必要はない。ただ『この人になら仕えてもいい』と、そう思ってもらうだけでいいのだ。
例えどうしようもない欠点があっても、ついていきたいと思わせる求心力。カリスマ性、と言ってもいい。
ただアヴェンジャーにはそのカリスマ性は不足している。
だからこそ、今も少しずつ交流し、人柄を知ってもらい、受け入れてもらおうとしている。
「彼等は『主とは思えないが、同僚としてなら共に働きたい』との言葉を貰っています」
「主はあくまで国王陛下とジャディス殿下、アイリス様だ、って事だろう。別にいいよ、俺は主なんて柄じゃないしね」
……もちろん、全員が認めている訳じゃない。
怪しすぎる、追い出すべきだという声が、決して無くなった訳じゃないのだ。アヴェンジャーが不審な行動をすれば、アイリスの内心がどうあれ、アヴェンジャーは城から叩き出されるだろう。
ただ、それを告げた時にアヴェンジャーはこう言った。
「なら、認めて貰うだけだ。アイリスの傍にいるために必要なら、ね」
少なくとも今すぐ追い出される事がないのなら、それで十分。
満面の笑顔を浮かべるアヴェンジャーは、自信に満ち溢れていた。