アヴェンジャーが城に現れてから、結構な時間が過ぎた。
現れ方が大分酷かったせいで大半の人から向けられる感情は完全に悪く、トドメにアイリスのサーヴァントと名乗った事で、当初はさっさとここから出て行けと言わんばかりの眼をされていた。
しかしそれも過去の話。出て行けという目線は、少しくらいなら、とアヴェンジャーを認める形になった。
それどころか気安く接してくれる者もいる。
……気安すぎる相手もいたが。
アイリスは勉強、レインがその教師をしていて暇だったアヴェンジャーが、廊下で同じく暇をしていたメイドの一人と会話をしていた時の事だ。
「アヴェンジャーじゃ長すぎるので、アーちゃんはどうでしょう?」
「ア、アー、ちゃん?」
「はい! アヴェンジャーさんではいくらなんでも不審過ぎますし、それならいっそあだ名で呼ぶのはどうかなと」
どうですか! と満面の笑顔を浮かべる相手に、アヴェンジャーは頬が引き攣る。そこに、偶然通りがかったクレアが、ぶふっ! と吹いているのが見えた。
「わ、悪くないんじゃないか、その提案。なあアーちゃん?」
「やめろ」
服の上からでもお腹が痙攣している様が見えたアヴェンジャーが真顔になる。クレアの言葉に笑顔を輝かせていたメイド、アーシャだが、アヴェンジャーの冷たい声音に、それを沈ませた。
「ダ、ダメでしたか? 良い考えだと思ったんですけど」
「ふむ、アヴェンジャー。彼女を泣かせるのか? 最低な男だな」
「何か段々良い性格してきてないかクレア」
出会った当初の頑固さが薄れてきているような気がする。かといってアーシャの提案を受け入れてアーちゃんと呼ばれるのは、と思って、言った。
「アーヴェ」
「はい?」
「アーヴェ・ルシア。……アヴェンジャーがダメならこれでいいだろう」
「ただアヴェンジャーを捩っただけか。安直だな」
クレアの嫌味に、アヴェンジャー改めアーヴェは取り合わない。その顔には、不本意だという言葉しか無かった。
アーニャはそれを見抜けなかったようで、曇らせていた顔をまた輝かせる。
「アーヴェ、アーヴェ……私、いいと思います! これからはそう呼ばせていただきますね」
「ならば私もそうさせてもらおう。アヴェンジャーよりは大分――」
そこで、クレアの言葉が止まった。
『緊急! 緊急! 魔王軍が攻めて来ました! 冒険者の皆様は装備を整えてギルドに待機、指示に従い行動をお願いします!』
「……どうやら、遊んでいられる時間は無くなったようだな。アーシャは仕事に戻れ、私もアイリス様の元へ報告したあと騎士団へ行く」
「は、はい! わかりました、お気をつけて」
息を吐いて言うクレアに、アーシャは一つ礼をすると足早に去っていく。それを遠目に見つめた後、クレアがアーヴェに向き直った。
「お前も来い。念のためアイリス様の護衛を頼む」
「言われるまでもない」
頼まれなくてもアイリスを守るつもりだった。その答えに満足そうに頷くと、アーヴェと肩を並べてアイリスのいる部屋へと赴いた。
ノックをし、掛け声が帰ってくるのを待ってから扉を開ける。中にいたアイリスとレインは、クレアとアーヴェの姿を見て安心したように口元を緩めた。
「アイリス様は無事ですね。私はこれより騎士団を率いて魔王軍と戦闘を行います」
「わかっています。私は城で待機、万が一があれば秘密の脱出路を使って逃げる。ですよね?」
「はい。レインとアーヴェが護衛につくので、逃走している間も安全でしょう」
アーヴェ? と首を傾げて疑問符を浮かべるアイリス。そこでこの呼び名はまだ二人しか知らないと思い至ったクレアが、指でその相手を示した。
「アーヴェはアヴェンジャーの略称です。アーヴェ・ルシア。まぁ、偽名ですがアヴェンジャーよりはマシでしょうと」
「では私もこれからはアーヴェ様と呼ばせていただきますね」
その言葉を聞くと、クレアはでは、私はこれでと頭を下げて部屋を出て行く。彼女は騎士達の準備が出来次第すぐに出撃しなければいけないので、あまり時間が無いのだ。
その背を、アイリスが物憂げな表情で見つめている。レインも、目尻を下げていた。いつもの事とはいえ、クレア一人を戦場に立たせるのに思うところがあるらしい。
それを横目で眺めながら、アーヴェは問うた。
「……で、どうする?」
「え?」
「いや何、本当にこのままここで待機してればいいのかな、と」
そんな事をアーヴェは言う。けれど、アイリスはそれに何も答えられなかった。
アイリスにはわかっていたからだ。自分は戦えない。戦えるだけの経験を持っていないから。
その事を、アーヴェが理解できていないはずがないのに。
「アーヴェさん、アイリス様に戦えとでも? あなたの役目はアイリス様の護衛でしょう」
肩を怒らせて詰め寄るレイン。その目はアーヴェが初めて見るほどキツくなり、彼を射抜いている。
「別に戦えなんて言ってないさ」
「ではどういう意味ですか」
「……『戦闘』を間近で見てみないか、と思っただけさ」
戦闘を? とオウム返しにアイリスが呟く。アーヴェはそれに頷き、続けた。
「アイリスは将来女王になる可能性がある」
その言葉の真意を一瞬で理解したアイリスが顔を歪め、だが頷く。
「お父様とお兄様が死んでしまえば、そうなるでしょうね」
「その場合、お前は二人がやっていた事を継ぐ事になるだろう。……意味がわかるか?」
「アイリス様は、戦場へ出なければ行けない時が来る……?」
レインが疑問を口にすると、アイリスはアーヴェの思考が読み取れた。
「そういえば、アーヴェ様の役割は私の護衛だけでなく、私の成長も担うことでしたね」
「ああ。……クレアやレインのやっている事も間違いじゃない。だけど、籠の中に閉じ込め続けて、布を被せて外を見せないのは、違うだろう」
それでは、人の両手両足を縛って、部屋に監禁しながら『守っています』と言っているのと何一つ変わらない。
ただ守る事だけが人の為になるわけじゃあないのだ。
「俺はお前が成長できるようにしなきゃいけない。何故ならお前は、王女だから」
矛盾している。レインはそう言いたかった。
アーヴェはアイリスに子供らしくいて欲しいと言っていた。ワガママを言って欲しいと、甘えて欲しいと。守りたい、と。
でも、レインの貴族としての立場が、その言葉を封じ込めた。
王族として、貴族として。相応の特権を甘受しているのなら、相応の責務があるはずだから。
「日常で、私的な状況でなら、俺はお前を子供として扱う。だが非日常で公的な状況なら、俺は一切お前を甘やかすつもりはない」
それを宣言した上で、もう一度問おう。
「お前はまだ、ここにいるのか?」
アーヴェの言葉を受け止めたアイリスが、一度眼を閉じる。ここを出て何を見るのか。何を聞くのか。
……人の、モンスターの死だ。
……彼等が今際に放つ、断末魔だ。
そして、それが己や、己の近くにいる誰かの者でないという保証はない。
「……行きます。戦場へ」
そこまで理解してなお、アイリスは言った。
リスクはある。だが、それ以上のメリットがあるとわかっていた。
最前線へ行ってしまった国王と、王太子。散発的に襲い来る魔王軍。それを不安視している王都の民。自身の立場。
そして現在と、将来の状況。
「今はまだ安全です。ですが、将来本当にこの王都を置いて逃げない保証はない。そしてそんな状況に陥ってから私が戦線に立っても、兵や冒険者を鼓舞できるとは思えません」
少なくとも一度逃げた王族に対し、兵はともかく冒険者が付いてくるとは考えにくい。理屈がわかっても感情がついてこないだろう。
王族に忠誠を誓う騎士達とは違うのだ、彼等は。
「ですが、私が今から戦場へ立っている姿を見せれば、話は変わるでしょう」
幼いながらも立場から逃げない王女。戦えない、逃げるだけのハリボテ、そのレッテルが貼られる事は避けられる。
同時に民達に、国王は居らずとも王族はここにいると知らしめる事ができる。国王不在という状況を晴らす一手になるだろう。
「終わったと一度でも判断した人は、脆い。……逆に言えば、まだ『次がある』と思えたら、人はそれに後を託せる」
その次を担うのが、アイリスなら。
「私は、今逃げることは許されない」
眼を開けたアイリスが、アーヴェの顔を見た。そこに宿っているのは、期待と喜び。
「何故なら、私にはあなたがいるから。私の剣。私を守り、私の敵を打ち払う剣」
少なくともクレアとレインしかいない状況でなら、アイリスが戦場へ出ることなど無かっただろう。だが今は、彼がいる。
アイリスを支えてくれる、最強の剣が。
「あなたは、魔王さえも倒せる『剣』なのでしょう? たかが魔王軍の尖兵、当たり前のように薙ぎ払えますよね」
じっと、アーヴェを見つめる。嘘は許さない、と。
「ああ。……当たり前だ、俺は最強だからな」
アーヴェが不敵に笑う。そこに嘘は見えず、だからアイリスは、それを信じた。そしてアーヴェから視線を外すと、傍にいるレインへ。
「レインは、反対しますか?」
「ここで反対したら、私はアイリス様を閉じ込める悪い魔法使いになるでしょうに。……どこにいたって変わりません。私レインは、全力を持ってアイリス様を守りますとも」
事実上の許可に、アイリスははにかんだ。それをすぐに引き締めると、二人に対し初めて、王女として『命令』を下した。
「私を戦場へ連れなさい。そして、私を全力で守りなさい」
「「Yes,your highness!」」
アーヴェは拳を、レインは手のひらを胸に当て、片膝を着く。それはアイリスを庇護対象としてではなく、主として守る事の証左だった。
けれどそれも一瞬で、三人はすぐに表情を緩めてしまう。
何となく合わないな、と思ってしまったのだ。
「ではそろそろ行きましょう。クレアが『私を仲間外れにするとは何事だ~』と怒ってしまいますから」
おどけていうレインに、アイリスもその姿が想像できたのか、クスリと笑ってしまった。口元を手で押さえて小さく笑うアイリスに、アーヴェも笑みを浮かべた。
「なら、急いで向かうとしよう。アイリスはこのローブを被ってくれ」
と、アイリスの全身を隠せるだけのローブをどこからか取り出すと、着せる。何故そんな物を着せるのか不思議だったが、素直に着たアイリス。
「……何故でしょう。嫌な予感がします」
逆にアーヴェから一歩下がったのがレインだった。それに勘がいいと思ったアーヴェだが、既に遅い。
「んじゃ、しっかり捕まって。あと口は閉じたほうがいいぞ。舌噛むから」
「「……え?」」
ひょいっと、アイリスとレインを脇に抱える。女性と少女とはいえ人を二人抱えながら歩いているというのに、アーヴェの動きには淀みがない。
そのままアーヴェは窓に近寄った。
「えっと、アーヴェ、さん? あの、素直に扉から行くというのは」
「アイリスを連れて行く時点で止められるのは目に見えているから却下」
「……口を閉じろ、というのは」
「飛び降りて悲鳴をあげていると、着地した時噛み千切るかもしれないから?」
質問に答えている間に、アーヴェは既に窓枠に足をかけていた。顔が青くなるアイリスとレインの二人は、噛み千切るという言葉に全てを諦め、口を閉ざす。
「この高さなら城壁に乗って行けるだろ。後はまぁ、屋根伝いかな。『――』」
ポツリと小さく呟いて、アーヴェが跳んだ。恐らく何かのスキルで跳躍をブーストしたのだろうが、緊張で頭が真っ白になっていた二人はそれを聞き逃してしまう。
「「~~~~~~~~~~ッ!??」」
落下に伴い、風が顔面に叩きつけられ、フードの中で髪が舞う。それでも暴れず、また叫びもしなかったのは、そうすれば後で自分が地獄を見るとわかっていたからだ。
後で絶対アーヴェに文句を言う、と心に誓いながら、二人は早く終われと願いつつ、アーヴェにしがみつくしかなかった。