ソードアート・オンライン ミッシングメモリー   作:神崎はやて

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第1話 仮想世界のレストラン

 

 

 浮遊城アインクラッド。ゲーム〝ソードアート・オンライン〟における戦いの舞台であり、数千ものプレイヤー達の意識を閉じ込めた牢獄である。100層もの階層に分かれており、それぞれのダンジョンの奥にはフロアボスと呼ばれるボスモンスターが待ち構えていて、それらを打倒し、次層へ続く扉を有効化(アクティベート)することによって次の層に進むことができるようになる。

 こうして最上層である100層に到達し、その最奥に待つ最終ボスを倒す。それこそがVRMMO〝ソードアート・オンライン〟のグランドクエストであり、プレイヤー達の目標となる――はずだった。このゲームが、ログアウト不能のデスゲームとなることさえなければ。

 だが、事実このソードアート・オンラインでは、ゲームの死が現実となる。原因はどうあれ、この世界でHPが0になった者のアバターは消滅し、現実世界に存在する脳はナーヴギアから発せられる高出力マイクロウェーブにより破壊される。それがこの世界における唯一無二の絶対的ルールだ。未だこの殺伐とした世界の中に囚われたままの人々――その数、およそ6000。月日にして、2年。たった2年の間に、4000人もの人々がこの世界だけではなく、現実の肉体に宿る命をも散らせていたのだった。

 

 時は、2024年10月。浮遊城アインクラッド、その74層に人々が到達した、秋のことである。

 

 

 

☆★☆★☆★☆

 

 

 

 アインクラッド、52層。町にほど近いフィールド上の森林地帯を、1人の少年プレイヤーが歩いていた。腰には黄土色の鞘に収められた片手直剣。翡翠色のコートを纏い、胸には深緑のプレートを装備している。鼻歌交じりに時々スキップ交じりに歩き回る度、肩までかかるか否かというくらいの黒髪がさらさらと揺れた。

 アイテムストレージの中身に時々目をやっては、嬉しそうに笑う。

 

「これだけ採れば、当分は大丈夫だよね……。レベルも上がったし、今日もいい日だな」

 

 現在の最前線は74層。ここ52層は、最前線よりも離れているだけあって、攻略組と呼ばれる最前線を戦うプレイヤー達は、それなりの事情がない限りまず現れることはない。レベリングするにしても、安全マージンのとれたもっと上層の迷宮区に籠った方が効率的であるし、素材アイテムも上層の方がより上質のものがゲットできることは必然的だからだ。

 では、少年のレベルは低いのかと訊かれると、それも否である。少年の現在のレベルは82。本来なら、52程度の層に燻っていられるような数字ではない。つまり彼は、本来なら最前線で攻略に関わっていてもおかしくないプレイヤーなのである。

 では何故、彼はこんなところのフィールドで狩りをしているのか。それはこの52層が、少年のようなタイプのプレイヤーにとって非常に〝旨み〟のある場所だからだ。

 

「さて、今日のところはもう……ん? あれって……」

 

 ほくほく顔で少年が町に戻ろうとした――その時。少年が設定した、《索敵》スキルが、遠くで動く何かを捉えた。《索敵》とは、隠れている敵や接近してくる敵をいち早く察知出来るスキル。少年は慌てて近くの茂みに逃げ込むと、スキルが捉えた敵影をじっと見――そして、見つけた。若干離れた木の低い枝の根本で、そっと羽を休める鳥がいた。真っ黒な羽毛を持つそれは、一見して現実世界の鶏を思い起こさせる姿をしているが、最大の相違は鶏冠がないことだろうか。モンスター名、《ダルクチキン》。この層にしか出現せず、しかも滅多にお目にかかれないというレアモンスターだ。

 少年は、チャンスとばかりにメニューウインドウを開き、アイテムストレージから短剣を取り出すと、投擲の構えを見せた。同じくレアモンスターである《ラグーラビット》然り、この手のモンスターはまともに戦闘に持ち込もうとするとすぐ逃げられてしまう。だが、気づかれていない今なら――。

 

(……行けっ!)

 

 金色のライトエフェクトが短剣を包み、まっすぐに《ダルクチキン》へ飛んでいく。

 ソードスキルを発動した刃は寸分の狂いもなく《ダルクチキン》へ命中し、一瞬にしてそのHPを削り取った。

 

 

 

☆★☆★☆★☆

 

 

 

 第48層、リンダース。ここに、少年のねぐら兼仕事場は存在した。

 周囲の景観に惚れ込んで決めたこの場所は、少年程のレベルの人間はほとんどおらず、故に少年も気兼ねなく商売をすることができる。

 転移門をくぐり、一路家を目指す少年。するとちょうどそこに顔見知りがいるのを見かけ、少年は声をかけた。

 

「リズ、こんばんは」

 

 手を振りながらの少年の声に、相手――ベイビーピンクの髪と、頬のそばかすが印象的な少女、リズことリズベットが振り返り、手を振り返した。

 

「あ、ウィルじゃない。どうしたの、またこんな時間まで狩り?」

 

「うん、まあね」

 

 言いつつ、少年ウィルが開いたアイテムストレージをリズベットは横から覗きこむ。

 

「はー、これまた随分集めたわね……って、んん!?」

 

 同じようなアイテムの羅列を前に感嘆の声を上げていたリズベットの目が、とある一点を見て釘づけになった。

 

「こ、これ……《ダルクチキンの肉》!? 本物っ!?」

 

「うん。僕も実物見るの初めてだったから、びっくりしたよ」

 

 《ダルクチキン》というモンスターは、その存在こそ情報屋の情報にて耳にしていた少年だが、ああして実物を見たのは先ほどの戦闘が初めてであった。情報屋曰く、52層にしか出現しないレアモンスターで、しかも数が少なく、出現確率があまりにも低い。しかし運よく遭遇し、かつ倒すことができれば、《ダルクチキンの肉》という激レアの食材アイテムを落とすのだ。

 そして、レアな食材アイテムは総じて、調理すれば味覚エンジンから極上の味を引き出してくれる。無論それには高い料理スキルの熟練度が必要になり、せっかくのレア食材も調理するのが素人では、下手をすれば消し炭にもなりかねないが。

 

「こ、これどうするの……?」

 

「どうって、食べるに決まってるじゃない」

 

「食べるってアンタ……料理スキルは?」

 

「とっくの昔にコンプリート済です」

 

「はぁ!?」

 

 えへん、とばかりに胸を逸らせるウィルの姿に、リズベットは呆れ返った。最前線の攻略組クラスのレベルに到達した彼のような人間の中で、料理スキルを上げている人間など――ましてやコンプリートしている人間など、親友以外には滅多に――否、下手をすれば1人もいないだろうとすら思っていたのに。しかしそういうことであれば、この《ダルクチキンの肉》の調理も確かに可能だろう。

 極上の料理に姿を変えた肉の姿を思い浮かべ、リズベットの喉が鳴った。

 

「ね、ねえ。あたし達って友達よね? あたしにもちょっとお裾分けしてくれちゃったりなんてことは……」

 

 《ダルクチキンの肉》ほどの極上のレア食材を、料理スキルフルコンプリートの人間が調理。美味くないはずがない。食事だけが唯一の娯楽と言えるこのソードアート・オンラインの中で、そんな料理をなんとしても食べてみたいと彼女が考えるのは必然だった。手に入れたウィル自身も、どんな料理にして食してやろうかと、心躍っていたほどだ。

 

「はは、解ったよ。僕の家でもいいかな?」

 

「ほ、ほんとにいいの!?」

 

「う、うん。こんな量、僕1人じゃ食べきれないし……」

 

 リズベットの勢いに気圧され、ウィルは思わず後ずさる。食事以外の欲求が大方抑えられたこのソードアート・オンラインで、これほどのご馳走をちらつかせたのだ。当然の反応と言えるのだが、それにしても普段とは違う鬼気迫る何かが今のリズからは感じられた。

 ウィルの反応に構う余裕もないのか、ガッツポーズで喜びをあらわにするリズベット。その姿を前にして、それほどに喜んでくれるのならばいいか、とウィルは苦笑した。

 

「そういえば、リズはどうしてあそこに?」

 

 道中、何気なく疑問に思ったことを、ウィルは問いかけた。

 

「たまーにね、手に入ったインゴットを安く売ってくれるお得意さんがいるのよ。まあ、今回はそんなに大した掘り出し物はなかったんだけど……。こうしてご馳走にもありつけるわけだし、無駄足じゃなかったってことね♪」

 

「あはは、そうだね」

 

 リズベットはこのソードアート・オンラインで鍛冶職人をしていて、プレイヤー達の武器の強化や、インゴットと呼ばれる素材アイテムを元にオーダーメイドの武器作成などを請け負っている。客の相手も最初は苦手で、NPCに任せていたことも多かったそうだが、ある時を境に吹っ切れたのか、こうして常連プレイヤーの相手をするまでになっている。

 ウィルの家は、そんなリズベット武具店の近くに立っていた。正面口に大きく〝Restaurant〟と書かれた看板がついた家を兼ねた建物の正体は、文字通りレストラン。NPCではない、正真正銘プレイヤーメイドの料理を提供するレストランである。店長はウィル。店員はまだいないため、接客はNPCに任せている。

 

「ん? あれってエギルさんじゃない?」

 

「あ、ほんとだ。何やってんのかしら、あんなとこで」

 

 と、ウィルの家の前に立っていた巨体が目に入って、ウィルとリズベットは揃って首を傾げた。エギル、というのは50層で商店を営んでいるプレイヤーである。褐色の肌に禿げ頭の髭面と、凄めばどんなチンピラでも尻尾を巻いて逃げてしまいそうな外見をしていて、実際それを巧みに使って阿漕な商売をすることもあるが、その実は優しく気さくな人柄で、ウィルも要らなくなった素材などの売却で度々彼の店を訪れることがある。

 何やら沈み込んでいるように見えたので、ウィルは声をかけた。

 

「エギルさん。どうしたんですか、こんなところで?」

 

「お、おう、ウィルか……。いや、大したことじゃねえんだ。キリトがさっき、《ラグー・ラビットの肉》を売りに持ってきてな。買い取りの流れだったんだが、その時ちょうど来たアスナに料理してもらうとかであの野郎、引っ込めやがって……。んで、このままじゃ俺の腹の虫も収まらねえってんで、お前の料理を食いに来たんだが……そうか、今日は定休日だったな」

 

 食材アイテムの買い出しや収集のため、ウィルは店に1日に定休日を設けている。それが今日この日で、だから食材の宝庫とも呼ばれている52層に狩りに出ていたのだ。タイミングの悪さを嘆くエギルを不憫に思いつつ、ウィルはそのキリトというプレイヤーが手に入れた《ラグー・ラビットの肉》に思いを馳せる。ラグー、というのはフランス料理でいう煮込み料理、とりわけシチューに対し用いられる言葉だ。シチューにして食べればさぞかし美味かろう。そしてその《ラグー・ラビットの肉》も、《ダルクチキンの肉》同様、最高級、S級のレアアイテムだった。そんな、このソードアート・オンラインにあと何年囚われても手に入るか解らない程のレア食材を前にして、一口もありつけなかった彼の無念は想像に難くない。

 

「えっと……エギルさん、これ」

 

「ん?……こ、これはっ!?」

 

 すっかり意気消沈してしまったエギルがあまりに不憫に見えたウィルは、アイテムストレージを可視化して見せる。何気なしにそちらへ視線を送ったエギルは次の瞬間、大きく目を見開いてウィンドウに飛びついた。

 

「《ダルクチキンの肉》、だと……!? こんなレア食材に、1日に2つも出くわすなんて……!」

 

 暫く感激に打ち震えながら、アイテムストレージの《ダルクチキンの肉》の欄を凝視していたエギルだったが、ふと何かに気づいたらしく、はっと顔を上げた。

 

「これ、今から……?」

 

「うん、食べようと思ってるんだ。エギルさんもよかったらどう?」

 

「い、いいのかっ!?」

 

 数分前のリズベット同様、身を乗り出してくるエギルだが、体の大きさが大きさだけに、夜の暗さも相まってその迫力には凄まじいものがあった。後ろで「えー、あたしの分が減るー」などと文句を言っているリズベットはとりあえず無視して、ウィルは何度も首を縦に振った。

 

「そうか! 捨てる神あれば拾う神あり、ってのはこのことだなぁ! 遠慮なくご馳走になるぜ!」

 

 はっはっは、と笑いながら、先に家側の玄関である裏口の方へと歩いていくエギルの大きな背中を呆然と眺めながら、ウィルとリズベットは顔を見合わせ、苦笑した。

 

 

 

☆★☆★☆★☆

 

 

 

「さて、どんな料理にしよっか?」

 

 キッチンに立ち、台の上に《ダルクチキンの肉》をオブジェクト化させ、ウィルはリビングのテーブルに座るリズベットとエギルへ向けて問いかけた。家へ入る時まで来ていた新緑の色のコートは既になく、代わりにオレンジ色のエプロンを纏っている。ウィルの問いを受け、まず答えたのは元気よく手を振り上げたリズベットだった。

 

「はいはーい! あたし、パリッパリに皮まで焼いたグリルがいい!」

 

「おお、いいな。ウィル、俺もそれで頼む」

 

「ふふ、了解。ちょっと待っててね」

 

 取り出した包丁を、大きな《ダルクチキンの肉》に翳すと、綺麗に3等分された。《ダルクチキン》自体現実世界の鶏よりも若干大きいが、食材アイテムになってからもそれは変わらず、3等分してもなかなかのボリュームがあった。

 特製のタレを表面に塗り、香草や付け合わせの野菜を添えてオーブンに入れて待つこと数分。頃合いを見て蓋を開けると、香ばしい香りが一気に広がっていった。

 

「おおぉぉぉ……!」

 

 ウィル自身涎が出そうになるのをどうにか抑え、皿に盛りつけてリビングへと運んでいく。既に待ちかねていたリズベットとエギルが、漂う香りに感嘆の声を漏らすのが聞こえた。いただきます、もそこそこに、3人は大きなチキンに齧り付く。

――美味い。これほどに美味い食べ物が、ソードアート・オンラインの世界にあったのか。さすがもも肉の名がついているだけあって、どこを食べても現実の鶏肉のもも肉――否、それ以上にジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。暫し無言で食べ続けていった結果、それなりの大きさがあったはずのグリルはあっという間になくなってしまった。

 

「あー、食った食った……」

 

「幸せ……」

 

 もう思い残すことはない、とでも言わんばかりの至福の表情を浮かべたリズベットとエギルを見て、食後の茶を淹れていたウィルは苦笑しつつも内心で彼らの感想に同意した。確かに、あの肉はとんでもない代物だった。エギルが食べられなかったという《ラグー・ラビット》がどれほどの代物かは知らないが、少なくともウィルがこれまで料理してきた食材の中では、ほぼ間違いなくこの《ダルクチキン》が一番だった。さすがはレアアイテム、というところだろうか。

 

「いやぁ、そう言ってくれると作った甲斐があったよ」

 

「これはお店に出せるレベルね……あー、でもレアアイテムなんだっけ。じゃあ無理か……」

 

「そうだな、商品にするにはまず供給が不安定すぎる。それなら、こうやって自分で食っちまった方がよほどいいだろうな」

 

 ウィルが淹れた茶の香りを十分に楽しんだ後、音もなく口に含みながらエギルがそう商人らしい評価を付け加えた。ウィルもレストランのメニューに付け加えることを一度は考えたが、エギルの言うとおり、常に手に入らない食材を使った料理などメニューにないも同然。メニューにするなら数が少なくてもいいから、せめて安定的に供給されることが必要だ。

 

「なんだか夢みたい……。このソードアート・オンラインで、こんなに美味しいものが食べられるなんて……」

 

「そうだな。この世界へ来て、漸く一息ついた気がした……。こうしていると、時々忘れそうになるな。……ここが、ゲームの中だなんてよ」

 

「うん……」

 

 エギルが何気なく呟いた言葉に、ウィルは俯いた。

 

「あ……すまん」

 

「あ、ううん。いいんだよ、僕にも解ってるから。ただ……やっぱり実感持てないんだ。僕にとっての世界っていうのは、このアインクラッドだけだから。こことは違う外の世界で、本当の自分の身体はその中のどことも知れない場所で永遠の眠りについてるなんて、想像もつかないよ……」

 

 意気消沈したエギルに慌てて両手を振るウィルだが、やはり表情は晴れない。お互い何かしらの事情でそれなりに付き合いのあるリズベットとエギルは、ウィルの〝事情〟も理解している。だからこそ発言にはなるべく気を遣うようにしていたのだが、食後で気が緩んでいたのだろうか。遠い目で、もうすっかり暗い窓の外を見つめるウィルに言葉をなくしたリズベットとエギルは、暫し黙って茶をすすり続けた。

 どこか気まずい静寂が流れること数分。裏口のドアにつけられた呼び鈴型オブジェクトの音が、唐突に鳴り響いた。

 

「ん? 誰かな、こんな時間に……」

 

 まだ寝るには早いとはいえ、日はすっかり落ちて、外は街灯オブジェクトと月が発する光が照らしている以外の場所は殆ど真っ暗だ。不思議に思いながらも、ウィルは裏口のドアを開けた。

 

「遅い」

 

「またいきなり手厳しいなぁ……」

 

 戸が開くなり、両手を腰に当てた姿勢で文句を言うのは、リズベットと同年代程の少女だった。白地に赤色の刺繍で装飾が施された服装が示すのは、彼女がアインクラッド最強と名高い巨大ギルド、血盟騎士団の団員であるということだった。長く麗しい金髪と吊り上がった目に光る赤い瞳からは、まるで獰猛な猫科の動物のような何かを感じさせられるので、巷では〝金豹〟などと言われている。最初こそ一部の人間が口にするだけだったその呼び名も、彼女が血盟騎士団内での序列を高めていくにつれ、副団長アスナの〝閃光〟程ではないにしろ、段々と有名になりつつある。

 

「これでも早く出たつもりだよ。アイナこそ、こんな時間に何の用なのさ」

 

「決まってんでしょ、勧誘よ。今度こそうちのギルドに入ってもらうんだからね」

 

 彼女――アイナのさも当然のような言い様にはウィルも慣れっこだったが、同時に「またか」とも思う。というのも彼女が彼女のギルド、血盟騎士団にウィルをスカウトするのは、これが初めてではないからだ。

 以前ウィルは、珍しいアイテムを落とすイベントボスの情報を聞きつけ、とあるクエストに参加したことがある。情報を手に入れていたのはウィルだけではなかったらしく、多くのギルドやソロプレイヤー達が集まっていた。その中には血盟騎士団の姿もあり、彼女はその時の選抜メンバーだった。

 集まったプレイヤーでボスを攻略することが決定し、血盟騎士団や聖竜連合など、有力ギルドの面々が先頭に立って攻略が始まった。しかし、途中まで情報屋の情報どおりのアルゴリズムを繰り返していたボスが、残りHPがちょうど半分程に差し掛かったところから、イレギュラーな動きが目立つようになった。それにより隊列は崩れ、やがて疲弊してきた彼女に攻撃が降りかかったが、ウィルが身を挺してその間に割り込みボスの攻撃を捌くことにより事なきを得たのである。

 それ以来腕の立つプレイヤーだと思われたのか、事あるごとに血盟騎士団に勧誘されるようになった。今ではこうして、家にまで押しかけてくる積極ぶりである。

 

「じ、じゃあ俺達はこれで失礼するぜ。今日はごちそうさん」

 

「ごゆっくりー」

 

 と、これ幸いとばかりにそそくさと荷物をまとめ、既にいた客2人はアイナの隣をすり抜けて帰っていく。気まずい空気に耐えかねたのだろう。リズベットの言い残したごゆっくり、という意味がよく解らないウィルだったが、どうやらアイナには伝わっていたようで、若干顔を赤くしながらごほんと咳払いした。

 

「えーと……とりあえず、入る?」

 

 ソードアート・オンラインというゲームの世界の中で、更に女性プレイヤーというだけでも珍しいのに、性格はともかくアイナは間違いなく美少女の部類に入る。そのせいか毎度毎度妙に緊張してしまうのだが、今回もその例に漏れず、目を逸らしながら頬を掻きながら、ウィルは未だ戸口に突っ立っている少女へ向けて問う。少女は無言で頷いた。

 テーブルに座らせ、先ほどリズベット達に淹れた茶と同じものを出してやる。

 

「で、こんな時間に何の用? 勧誘……ってだけじゃないよね?」

 

「……これ」

 

 正面に座ったウィルへ向けて差し出されたのは、1つのアイテムだった。

 

「……記録結晶?」

 

 ソードアート・オンラインのゲーム的な特徴として、〝魔法のないRPG〟というものがある。プレイヤーが戦闘で使用できるのは、己の持つ得物のみ。VRMMOというジャンルとしては、自ら身体を動かして戦うことこそが醍醐味であるが故に、この魔法のない剣技だけの世界という設定はRPGとしては奇抜だが、実に理に適っていた。

 しかし中世風RPGという設定故か、使用できる道具には魔法アイテムのようなものが多い。結晶もその1つで、安物のポーションなどと違って値の張るそれらのアイテムは、どれもフィールド攻略において優秀な効果を持っている。彼女の持つ記録結晶もその1つで、効果は録音。一定時間内、周囲の音を録音できるというもので、戦闘には直接役に立たない。

 要領を得ずウィルがどうしたものかと思っていると、アイナは記録結晶を軽くタッチし、音声を再生させた。

 

「これ……」

 

 中身は凄惨なものだった。複数のプレイヤーの悲鳴と、戦闘音。剣戟の音に混ざって、ダメージエフェクトが散る微かな音までもが鮮明に収められていた。

 暫く耳を塞ぎたくなる程の悲鳴と怒号を吐きだし続けた後、記録結晶は光をなくし、テーブルの上に乾いた音を立てて転がった。

 

「……今のは?」

 

 震える声で、ウィルはなんとか問いを口にした。映像がなくて幸いだった。映像もともに見せられていたら、今頃は絶句して何事も口にすることなどできなかったに違いない。それは血盟騎士団員の少女も同様なのか、苦い表情で声を落とし、ウィルの疑問に答えた。

 

「……ゴースト、って知ってる?」

 

「……噂には聞いたことあるよ。すっごく強いヒト型のMobだよね?」

 

「そう。しかも普通のモンスターと決定的に違うのは、階移動をするモンスターだっていうこと。運悪く遭遇してしまったプレイヤーを容赦なく襲い、殺す……」

 

 最初にゴーストに遭遇したのは、中層近くに居を構えるプレイヤーの男だった。彼はいつものとおり仲間たちとフィールドに狩りに出かけ、夕方には町に戻るつもりだった。フィールドを探索中、男はある奇妙なMobを発見した。その階層に湧出するどんなMobとも違う異様な姿。レアモンスターだろうと思い至った彼らは、早速戦闘を仕掛けた。その5分後のことだ。男以外のパーティが全滅し、唯一命からがら逃げ帰ってきた男が、町のギルドに助けを求めてきたのは。

 しかも被害はそれだけに留まらなかった。被害報告は男が狩りをしていた層だけに留まらず、やがてプレイヤー達が攻略済みの全フロアにまで及んだ。

 その状況を踏まえ、大ギルドが主だって協議した結果、1つの仮説が立てられた。ヒト型Mob――仮の呼称として、〝ゴースト〟という名が与えられた――は、モンスターたちの中でも例外的に、層を移動する能力を持った存在なのではないか、ということだ。理由は2つ。1つは、ゴーストがある一層で確認されていた時間、別層での目撃例が一切ないこと。2つ目、目算できるゴーストの大まかなパラメータにそれほど変化が見られないことだ。これらの情報から、各層ごとに設定されている危険モンスターとするより、層を移動すると仮定した方が適当だと、大ギルドの重役は判断したのである。無論その推論を確定的とするだけの根拠はないし、机上の空論の域を抜け出ないものではあるが、ありえない話ではない。

 

「まさか……」

 

「この記録結晶は、最近被害に遭ったギルドの生き残りが持っていたものよ。泣きながら血盟騎士団本部に依頼をしに来てた。……仇をとってくれ、って」

 

「そっか……」

 

「ヒースクリフ団長もこの件は心配してたから、血盟騎士団は早急に討伐隊を編成、ゴーストの目撃情報が最も多い40層でゴースト狩りを行うことに決定したわ。出発は明日の午後1時、40層の転移門広場に集合よ。討伐は基本的には血盟騎士団員が率先して行うことになってるけど……団長はアンタにも来てもらいたいと言ってたわ」

 

 言い終わると茶を啜るアイナの言葉にウィルはやはりか、と思いつつ、膝の上に置いた拳を握りしめる。話の流れから推測して、彼女がそのゴースト討伐隊に自分を加えたいと思っていることは、ウィル自身理解していた。けれど同時に、何故、とも思う。ゴーストの餌食になった被害者の中には、攻略にも加わったこともあった腕利きのソロプレイヤーも混ざっていると聞く。いくら最前線で戦えるレベルに到達し、安全マージンを獲得しているとはいえ、わざわざ血盟騎士団の精鋭達の中に自分を加えるメリットが解らない。人数合わせにしても、自分と似たようなレベルの実力者なら血盟騎士団員の中にもいるだろうし、いざという時の統率もその方が取りやすいだろう。

 まさか――あの男、血盟騎士団団長のヒースクリフは、気づいているのだろうか。自分のスキルスロットに最近追加された、とあるスキルの存在に。一瞬そんな考えが頭をよぎったが、すぐにそんなはずはないと思い直す。ヒースクリフとは、確かに以前にも出会ったことはある。攻略にも何度も参加しているが、何よりも彼はこのウィルの経営するレストランの常連客の1人なのだから。しかし、所詮は料理人と客の関係。わざわざステータスウィンドウを可視化して見せる程の仲ではない。

 

「で、どうする? 危険な任務になるし、断っても全然構わないわよ? 私から団長に話しておくから」

 

「……行くよ。僕も、最近ゴーストのせいで思ったように素材収集出来てないんだ。ここらで討伐して、心の平穏を取り戻したい」

 

「……そ。精々頑張ることね」

 

 そう素っ気なく言い残し、アイナは再び茶を啜り――ふと、目の前の少年が自分をじぃっと見つめていることに気づき、怪訝そうに訊ねる。

 

「……何よ?」

 

「……いや、アイナってやっぱり優しい子だなって思ってさ」

 

「! なっ、ななななっ……!?」 

 

 感情表現が豊かなソードアート・オンラインのシステムがアイナの心に反応し、アイナの顔は一瞬にしてまるでリンゴのように真っ赤に染まった。

 

「な、何を馬鹿なこと言ってんのよっ!? と、とにかく明日来るっていうなら遅れないで来なさいよ!! 遅刻したら……ゆ、許さないんだからっ!」

 

 早口に捲し立て、アイナはカップに残った茶を一気飲みすると、「ご馳走様!」と叫んで速足に裏口から出ていった。

 誰もいなくなったリビングで1人、自分の分の茶を飲み干すと、ウィルはため息をついた。

 ともかく、明日だ。ゴーストに出会い、何が起こるのかは今からは想像もつかない。けれど彼は、何気なく感じていた。

 ゴーストに出会えば何かが変わる、と。

 

「……そろそろ寝よっと」

 

 呟き、ウィルは食器やカップの片付けを始めた。就寝が遅くなり、結果的に遅れたりすれば、彼女の機嫌を損ねるであろうことは間違いない。

 やがて家の明かりも消え、ソードアート・オンラインの夜がまた1つ、更けていった。

 

 

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