宇宙色の髪   作:水里露草

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作業BGM/嘘つき魔女と灰色の虹(そらる) etc.


前編

 僕の五感は、絵具に溺れている。

 

 高い空を視たことがあるし、風の音を聴いたことがあるし、花の香を嗅いだことがあるし、清い水を味わったことがあるし、人の肌に触れたことがある。

 そんな知覚の線は収斂しながら染まりゆく。

 高い空には薄紫色が滲んだ。風の音はオレンジ色に融けた。花の香は真っ赤に染みた。清い水はエメラルドグリーンが流れた。人の肌に触れると、桜のように焼ける。

 フィルターを通って色鮮やかに染まりゆく。

 まるで、絵でも描くように。

 

 

 

 

 

 テレビで特殊な技能を持つ人間の特集が組まれることがある。

 それは天国と交信し霊と話せるとか神の声が聴こえるとかの心霊現象にまつわるもの、見えるもの全てが数式に変換される視覚を持つなんて脳の神秘に迫るもの、他には身体能力も思考能力もずば抜けたわかりやすい天才とか。

 ――そういう天才が持つ特殊な感覚は、一体どんな色なんだろう。

 いつか小説で読んだ台詞曰く、特殊な視界を持つ人は、一般人とは付いているチャンネルが違うのだと。みんなと同じ番組を観ていれば輪に混ざれるけれど、知らないから話を合わせることすらできない。

 天才は孤独だというけれど、きっとそれはここに起因している。

 見ているものが違うのではなく、見られるものが違う。

 普通という基準に合わせないのではなく、その基準が見えないから合わせられない。

 だからきっと、僕が天才と出逢うことは無いのだと、出逢えたところで打ち解けることは出来ないのだろうと。大して興味も抱けないほど遠い彼らに対して、僕は漠然とそう思っていた。

 

 今、この瞬間までは。

 

 彼女は、人気のない教室の窓を開けていた。

 外の天気は大荒れだ。間断無く篠突く雨を、唸る風が散らかして暴れている。

 そんな春の嵐を一身に浴びているのが彼女だった。

 

 篠ノ之束。人呼んで、手に負えない天才。

 

 こちらに背を向けて、制服も床も長い髪もずぶ濡れになりながら、それでも身じろぎ一つしない彼女について知っていることは実のところほとんど無い。

 強いて挙げるなら他人に対して酷く無関心、というか傍若無人であること、フィクション以外では中々見かけないとても長い髪に、僕はマゼンタ色の印象を受けるということくらい。

 その髪にしたって、たった今上書きされた。

「…………宇宙」

 強い風雨に晒されて乱れる()()、これまではマゼンタ色に見えていたその髪が、今は全く違って見えた。

 どんな物でも受容して気にも留めず、光を孕みながら神秘と共に膨れ上がっていく、数多の色を宿した黒。

 まるで、宇宙みたいな黒髪に。

「……ぁ、…………っ」

 どっ、どっ、どっ、と心臓が爆ぜ続ける。

 名画が破り捨てられて、即座に更なる名画へと書き換えられていくのを見ているような、暴力的なまでに美しい光景だった。

 次第に()()がせり上がって来ている。凄絶な風巻(しまき)は純白とクリアブルーに色付いて、なおも深まる宇宙色の向こう側は炎のような橙で。

 眼前に描かれたそれは、世界の終わりだった。 

「わっ……!?」

 持っていた本を落とした音で僕はハッと我に返る。世界の終わりが掻き消えて、ときどき色相がブレるだけの見慣れた知覚を取り戻した。

 ……ただし。思わず上げた声が大きかったせいで、篠ノ之にも気付かれてしまったらしい。

 窓の側にあった机は引っくり返って床は水浸し、滅茶苦茶になった髪もそのままに振り返った顔には、ただ不快感だけがあった。

 唯一消えないマゼンタがうねりを増して色を深めていく。

「…………ハッ、なに? 見るからに馬鹿そうな顔しちゃってさ。私がこんな真似してるのがおかしい?」

 心底苛立たしげな藍色の声に射抜かれた。評判通り他人への思いやりとか無さそうな態度、剥き出しの悪感情が帰ってきてギクリとした。

 僕はただ、雨に打たれる姿に見惚れていただけだ。だがこんなにも不機嫌な人に向かってそれを言ったところで、火に油を注ぐだけな気がしてならない。

 あーだのうーだのと言葉を探すこと少々。何故か律儀にも待ってくれた篠ノ之に言い訳をするのも嫌になって、結局本心をそのまま伝える事にした。

「その、髪が」

「なに? 聴こえるように喋ってよ」

「か、髪を見てましたっ!」

 外から入る強風の音と恥ずかしさを振り切るように叫んだ。

 すると、篠ノ之は先程の不機嫌さを少しだけ引っ込めた。それから何の感慨も見て取れない無表情で、独り言のようにぼそりと言う。

「……髪? ああ、これ」

「……風に靡くのが、綺麗でっ。見惚れてました!」

「ふーん」

 僕が勝手に叫び声までレベルアップさせただけとはいえ、聴こえるようにと言っておきながらその返事はあまりにも無体じゃないか……?

「お前みたいな奴からしたら珍しいのかもね」

 俯いた僕の耳が青を受け取った。

 少し棘が落ちて色合いが淡くなった、言ってしまえば好意も悪意もない無感情の声に首を傾げる。

「珍しい……?」

「違うのかよ。そうでもないと、あんな場面をまじまじ見たりなんてしないだろ」

「……まあ、そうかも。そこまで深い色の黒髪なんて、初めて見たから」

「は?」

「え?」

 篠ノ之は街中で猿でも見たかのように目を丸くした。

 いや、確かに焦げ茶とかではない純粋な黒髪は珍しいけれど……そこまでのものかな?

 首を傾げていると、乱れた髪を更にかき乱した彼女は声を紺色に荒げる。

「……おい、もっかい叫べ」

「な、何をでしょうか……?」

「お前が、見た、髪の色! 風下なんだから私の声は聴こえるだろ、ちゃんと聴けよ! どいつもこいつも耳付いてないのかよ!」

「理不尽すぎる……!」

「はぁ!?」

「聴こえてんじゃないかよぉ! ああもう、黒髪が綺麗だと思ったんですーっ!」

 僕は恥を忍びつつも再び叫んで。

 篠ノ之はぴしゃりと窓を閉めて。

 二人揃って間抜けな顔になった。

「……くろ?」

「……黒」

 ここを開けろと言わんばかりに窓を叩く風。さっきよりはずっと静かになった教室に、素っ頓狂な薄紅色の声はよく染みた。

「……詳しく」

「え、これ以上に……?」

「どんな黒髪に見えるの、私の髪」

「どんな? ……んー、どんな、かぁ」

 篠ノ之束は天才だとかなんとか聞いたことがある気がするけど、人から見える印象とかが気になるお年頃なのは僕らと変わらないのだろうか?

 言葉は選びつつも、また思ったことをそのまま告げた。

「……じゃあ、僭越ながら。焦げ茶とかじゃなく完全な黒髪で、しかも不思議なくらい艶があるのに、かつらみたいな不自然さがない。人の髪じゃなくて、えーと……」

「…………」

「……もしも、宇宙を(くしけず)って伸ばすことができたら。そうしたらきっと篠ノ之の髪みたいな色になるんだろうなって、思った」

 言い切った。

 言い切ったけど、死ぬほど恥ずかしい……!

 心なしか視界が桜色になっていくのを自覚しながらうじうじと後悔していたが、ふと、篠ノ之からの反応が無いことに気付いた。

 さっきまでの僕みたいに俯いた彼女は、何やら震えている。

 瞬間蘇る、彼女の髪に関するポエミーな感想。多分赤かったであろう僕の顔は、たった今真逆の色に切り替わったのだと自分でもわかった。

「あ、あの……篠ノ之? もしかして、というか僕もしかしなくても変なこと言ったよね!? ごめん、決して変な意味ではなくって」

「…………ふ、ふふっ」

 ……笑っ、た?

「ふふっ、ふ、あははははははははははっ! う、宇宙みたいって、ぷふっ、どんな色なのさ!」

 朝日の色に近い、薄く透き通った金色が弾けた。

 大笑いながら息苦しそうにお腹を抑え、目尻に浮かんだ涙を拭う他愛もない仕草が、何だか小さな子どものようにあどけなく見えた。

 一頻り笑って息を整えた篠ノ之は、さっきまでの不機嫌面はどこへやら。人懐っこいにこやかな表情で僕に言う。

「よーし、気が晴れた! 誰か知らないけどありがとうっ」

「知らなかったのか……」

「うん。だから教えて欲しいな」

「……名字は一文字で(つむぎ)。名前は秋の水って書いて秋水(ときなか)

「トキナカ! 捻った読みだね。……それにしても『紬』で『秋水(しゅうすい)』か。うんうんっ、運命的だあ!」

 何に納得しているんだろう? 朝日色が赤みを増していくのが眩しくて目を少し細めていた僕へ、篠ノ之は更に深まった笑顔と共に右手を差し出した。

「これから君はとーくんだっ! とーくん、私は君が知りたい。だから……」

 自信満々で話していた篠ノ之が突然表情を暗くした。

 その顔は、良かれと思って失敗した子供が叱られるときの顔に似ている気がする。

 ――ただのクラスメイトでしかなくても、そんな顔を見ていて良い気分のやつなんていないよな。

「あ……」

「篠ノ之の事はよく知らないし、これで合ってるのかもわからないけれどさ」

 噂では大層な天才なのだと聞いている。また他人には酷く無関心で、少しでも関わろうとすれば素気無くあしらわれると。傍若無人な振る舞いで、凡人のことなど気にかけないのだと。

 でも僕は噂しか知らない。

 彼女のことはそれ以上、何も知らないのだ。

 だから。

「僕も、君が知りたい。それなら友達になるのが一番だと思うんだけど……どうかな?」

 握られた手を呆けた顔で見た篠ノ之は、莞爾とした笑顔を浮かべた。

 

 もう完全下校時刻も近いので、教室を大雑把に片付けた僕らは昇降口へ向かっていた。

 今にもスキップし始めそうな足取りで数歩先を行く篠ノ之は、「あ、そうそう」とこっちを向いた。

「とーくんさ、さっき私のこと宇宙みたいな黒髪って言ったじゃん」

「……それ掘り返すの? 結構恥ずかしいんだけど」

「嘘はついてない?」

「え? ……もちろんだけど。嘘つく理由も特に無いし」

「ふぅーん……ねえ、とーくん」

「んー、ってうわっ!? 篠ノ之、何を――」

 反応する間もないくらい一瞬で僕の耳元まで顔を寄せて、

 

「私の髪ね、マゼンタ色なんだよ。知ってた?」

 

 ――心臓が止まった。

「んふふ、それについても明日じっくり聞きたいから……今後ともよろしくね」

 そう、蠱惑的に囁いて。

 不思議の国へアリスを連れ去る兎みたいに、篠ノ之はぴょんこぴょんこと走り去っていく。

 それを追いかける余裕もない僕は立ち尽くして、やがて壁に寄りかかるようにへたりこんだ。

 雲間から覗く日で夕焼けた校舎内。橙色の上にノイズじみた荒い灰色――強い焦燥と後悔の入り混じった色が、べったりと塗りたくられていく。

「…………、……いや、だって、マゼンタが地毛だとは思わないじゃん……」

 誰に言い訳したってもう遅いのだが、そうぼやかずにはいられなかった。

「見間違えたことなんて無かったから油断した……どうしよ」

 天才は持っている感覚のチャンネルが違うという。

 だが、天才同士ですら分かり合えるとは限らないように。一般人でも妙なチャンネルのついてる奴はいるのだ。

 僕の五感は、絵具に溺れている。

 見えるもの、聞こえるもの、五感を通して受けとる全てが色付いて見える。

 そんなチャンネルが僕には備わっていた。

 

 

 

 

 

「おはようとーくん!」

 玄関のドアを開けたら薄紅色だった。

 ニコニコと陽気な顔の篠ノ之だった。

「…………え、なんでいるの」

「お迎え! ふふーん、束さん直々のお迎えなんて宝くじ特等よりレア物だからね。スルメばりに噛み締めるべきだよっ」

「いやいや待って待ってそうじゃない、君天才なんだからこっちの意図くらいわか……あ」

「うん。君凡人だけど、こっちの手段くらいわかったでしょ? なら言うまでもないよねー」

 悪辣ににやける篠ノ之が、高校のクラスメイト以前に天才だということを思い出した。

 この人と話してると血の気が引くのにも慣れそうだなぁ、なんてくだらない事と一緒に出てきた答えを返してみる。

「……あえて聞くよ。ハッキング?」

「フロー、イング、ストーン!」

「天才の褒め言葉って随分斬新なんだね……」

 流石って意味でいいのかな。

「もういっこ。何でハッキング? 他にも手段あっただろうに」

「…………さぁ?」

 ニヤケ面を更に深めてはぐらかされた。

 ……もしかして住所はついで、というか僕の素性を洗う一環で手に入れた情報なんだろうか?

「最後にひとつ、別に怒ったり嫌ったりはしないから聞かせてほしいんだけど」

「なにかな?」

「どこまで知った?」

「…………そうだね、歩きながら話そっか。長くなりそうだし」

 長くなりそうなほど掘り尽くしたのか……。

 誰かと登校するのは何気に初めてだということに気付いてちょっとドギマギしながら、僕らは自分たちの出逢った場所へ向かった。

 

「どこまで、って一言でまとめると全部なんだけどさ」

 身も蓋もない物言いから、成果の発表は始まった。

「私さ、頭の中にゴミ箱フォルダがあるんだよ。興味ない人間の情報はそこに放り込んで、必要なことだけ記憶する。そうじゃないと溢れちゃうし」

「もうのっけから意味分かんないんだけど……まあいいや、自己暗示で脳機能カスタマイズとかそんなとこだろうし。ごめん、続けてくれる?」

「おや、結構惜しいね? ……まあつまるところ、どうでもいい他人のことを全く記憶してない訳じゃないんだ。同じクラスにはちーちゃん――私の親友もいるし、あの子が関わってる有象無象がどんな連中なのかくらいは把握してるよ」

「篠ノ之の親友、か。そっちは社交性あるの?」

「クラス委員長やってられるくらいにはね。ちーちゃんそんな立場だから、どこでどんな迷惑被るかもわからないし。クラスメイトの自己紹介のときは私いなかったから知らないけど、周りの話し声から、そいつらの性格くらいはざっくり把握してたんだよ」

 他人嫌いという噂は知ってたけど、口振りから察するに嫌いなんじゃなくて人だと思ってないなこれ。

 思わず頬が引き攣る。

「……献身的だね。ウサギみたいだ」

「ちーちゃんのためなら火に身を投げることも吝かじゃあないかなっ!」

「……ところで、また話の腰を折るけど」

「いーよ、凡人はそういうもんだって知ってるし。何?」

「ちーちゃん、って可愛らしいあだ名だけど、まさか織斑のことなの?」

「そうだよ?」

 なんともミスマッチ。

「あの人がそんな呼び方を許すイメージ無いなぁ……よっぽど仲良いんだね」

「いえーっす! そう、私とちーちゃんは最大の理解者にして親友っ、盟友、共犯者なのだあっ!」

「盟友まではギリギリわかるけど共犯者とは……」

 ぴしりとした姿勢、刀のように鋭い雰囲気。真面目な狼って感じの織斑が共犯者とは、一体どんな関係なのやら。

 目を輝かせる篠ノ之に再び謝って、本筋の続きを促した。

「おほん。どこまで話したっけ?」

「本当にごめん、もう口挟まないから」

「はーいはい。それで、同じクラスにいるのは大体どんなやつで、ちーちゃんの足を引っ張る可能性があるかどうかは知ってたんだ。……とーくん以外」

「えっ」

「すごいね、ゴミ箱フォルダから記憶引っ張り出してもとーくんの情報がろくに無かったんだよ。誰とも話してなかったらボッチがいるって噂が出るはずだから、それなりに人付き合いはしてたんだよね?」

「……それなり。うん、それなりには」

「多分ほんっとーにそれなりでしかないもんだから、誰の印象にも残ってないんじゃないかな」

「ちょっとそこの川に身投げしてもいいかな」

「まだ死んじゃだめ」

 まだって。

 その二文字があまりにも冷淡だったので男泣きに留めた。

「そういう訳で一から調べ直そうと思った、っていうのが経緯だね」

「さいで……」

 いくら篠ノ之が美少女とはいえ、ボッチだったお陰でお近づきになれたのだと喜べるほど悲しい感性はしていない僕だった。

「で、どこまでかっていうと」

「うん」

「まずとーくんの家族構成とか口座番号とか、そういうデジタルな手法で保存されてる記録は全て」

「そこまでやって『まず』なの……?」

「うん? うん。手段が無ければ作ればいいんだし、これくらいならそんなに手間じゃないよ」

 恐ろしさは乾いた緑青色をしているのだが、それが色濃すぎてそろそろ篠ノ之の顔が見えなくなってきた。

 サビまみれの篠ノ之は、大真面目な真鍮色の声で続ける。

「とーくんクイズとかあったら余裕で全問正解できると思うよ? あ、でも『二年前の高校入試初日、国語の問題を二十分で解き終えた秋水君がシャーペンをしまって鉛筆を取り出したときの心境を答えなさい』とか言われたら無理かも。主観的な情報は日記でも見なきゃ知りようがないし」

「そっかー。ねえ、ついでに調べてほしいことがあるんだけど」

「ん? なにかな」

「僕のプライバシーの居所」

「――それはね、心の中にあるんだよ」

「誰の? それもしかしなくても篠ノ之の心の中だよね、僕の中からはいなくなってるやつだよね? あの、ちょっと? せめてこっち向いて?」

 しょうもないことを話しながら、ふと思う。

 篠ノ之はこうやって、冗談混じりに雑談するようなごく普通の女の子なのに。その相手になり得る織斑という友人だって同じクラスにいるのに。

 どうして彼女の噂には、明るいものがまるで無いのだろう。

 

 教室に着く頃には、馬鹿話がすっかり満開だった。

「まだ小三だって言うのに剣道場では格好良く竹刀を振るってるんだけどね、練習が終わって胴着を脱ぐ瞬間は小さく『ぷはっ』って言って、そのあと気恥ずかしそーにキョロキョロするんだよっ! 周りに誰もいなくってもそうするのがTHE乙女って感じでもう可愛くって可愛くって」

「妹好きだなぁ篠ノ之。鬱陶しがられない?」

「だいっじょーぶ! そもそも顔合わせてないからね!」

「あれ、急に犯罪色強まったよ?」

 なんて妹自慢を聞きながら扉を開けると、教室はシンと静まり返った。

「……え、何ごと?」

 誰も彼もテロ現場に出くわしたかのような驚愕一色の面持ちだ。無数の色が濃く混ざり過ぎて若干気持ち悪い。

 特に織斑なんて、普段のクールビューティさをどこかにすっ飛ばし目に見えて動揺している。

「……お、お前、誰だ? 本当に束か?」

「あ、ちーちゃんおっはー! 大丈夫? 私以外の何に見えるのさ」

「赤の他人に話しかける時点で束である筈がないだろう! 誰だお前は!」

「ごもっともだけど失礼すぎないかな!? 私だって友達には相応の態度を取るよ!」

「……………………友達?」

「ごめん、そこで僕の方を見られてもちょっと困る」

 軽く吐き気がしてきたので一人に焦点を絞る。織斑の整った顔に困惑と猜疑が入り混じると、どうやら明るい緑が浮かぶらしい。知りたくなかった。

 油性絵具をパレットでぐちゃぐちゃにしたみたいなさっきの絵面よりは幾分マシだけど、ホウ素を放り込まれた炎みたいな色に包まれる美人もそれはそれで見たくないよ。

「織斑、篠ノ之が誰かに話しかけるのってそこまで珍しいの?」

「珍しいなんてものじゃない。これでも小学生からの付き合いだがな、こいつが誰かに友好的な態度を取った相手なんて、数えようとすれば片手で事足りるくらいしか見たことがない」

「……最低でも六年、長く見積もれば十年くらいあって片手?」

「そうだ。だからこれは、ちょっとしたどころじゃない珍事だよ」

「……あぁー」

 昨日の大惨事な教室を思い出せば納得の行く話だった。

 織斑の率直な評と僕の相槌を聞いた篠ノ之は、垂れ目をわざとらしく吊り上げながらぷくっと頬を膨らませた。

「しょうがないじゃんかー、有象無象の凡人共が束さんに追いつけないのが悪いんだよ。どいつもこいつもちょっとは頑張れよ」

「ほう? ならそいつは違うと?」

「さぁて、どうだろ。これからわかるかなぁって感じ」

 ……もしかしてすっごい過大評価されてるのでは?

「あの、僕は別にそう大した人間ではな」

「そうだとーくん、例の話の続きだけど」

「いんだけ……ど……」

「紬と言ったか? 諦めろ。こいつは友人の話ですらあんまり聞かない」

「そうする……で、続きって妹の話?」

「昨日言ってた話」

「…………」

「昨日? 束、昨日こいつと何かあったのか?」

「おっとちーちゃん嫉妬ですかな? 心配しないでよー私はいつだってちーちゃん一筋なん」

「心配はしているが、それはお前ではなく紬をだ。何かされたらすぐに言えよ、この知識しか詰まってない頭に拳骨を落とすくらいはしてやれる」

「ありがとう織斑……じゃあ早速一つ、頼みごとをしてもいいかな」

「む、なんだ。もう何かされていたのか? それなら……」

「いやいやいやいやちーちゃん!? まだ何にもしてないよ私!」

「うん、何もされてないよ。頼みっていうのは拳骨じゃなくてね」

 怪訝な顔をする織斑はクラス委員長だ。こんなことを言うのも心苦しいけど、見逃してくれないと困る。

 できるだけ申し訳無さそうな色になるよう気を付けながら、僕はその頼みごとを打ち明ける。

「僕らと一緒に、今日の授業をサボってほしい」

 

 

 

 

 

「…………くっ、く、くふふふっ」

 誰にもバレないよ、と篠ノ之のお墨付きを頂いた空き教室についた途端、それまで無表情を貫いていた天才はとうとう声を漏らした。

「ぶっ、あーっはははははははははははっ! 無理、ちーちゃんに向かってサボり頼むとかおかしいってははははははがふっ!?」

「いい加減にその口を閉じろ……!」

「ゔぇっ、ごほっ、げほっけほっ…………ぷふ」

「束ェ!」

「あ゛ーっ待ってちーちゃん待って首はまずい! アイアンクローは頭にやるべきで首にやったらそれ絞殺以外の何者でもないよちーちゃん!? って頭でもちーちゃんのは痛いからヤダよ!? 助けてー! 助けてとーくーんっ!」

 襲い来る織斑に押し倒されつつも、その手をしっかり掴み抵抗する篠ノ之。

 鮮烈なエメラルドグリーンに染まった必死の懇願が鼓膜を打つが、昨日の嵐に負けず劣らずの暴威を纏う織斑に対抗する術を持たない僕は無力だった。

「ごめん……ホントにごめん篠ノ之……流石に不特定多数には知られたくなかったんだ……ッ!」

「口封じのためにここまで持ち込んだなら天才だって認めてもいいかな! もうこの時点でそう認めてもいいから早く助けてーっ!?」

「ぐぉぉ、ぉ、ぉ、ぉあああ……束ェ……私の、手を、離せェ……!」

「ヤダヤダヤダ無理無理無理! 離したら死ぬよ殺意が満ち過ぎてるよ未だかつてないほどガチの目してるよ! まだなんにもしてないのにぃ!」

「私だけに迷惑を掛けるならまだ良い……だが無辜の民を巻き込むとは見下げ果てたぞ……!」

「ちーちゃんも大概人の話聞いてないよね、てかどの立場からの台詞だよあまりにも大上段から来てるよ! とーくん! 全ての元凶のとーくんヘルプミーっ!」

 剣道部である織斑の身体能力が凄まじいのは知っていたので、それに対抗出来ている篠ノ之の耐久性を信じて彼女にスライディングキックをかましたところで事態は収束した。

 

「……紬。お陰で溜飲は下がったがな。流石に頭へスライディングはどうなんだ……?」

「ごめん。僕そこまで運動得意じゃないから、狙い通りの場所に蹴り入れたりとかできないんだ」

「ぶっちゃけちーちゃんに首締められるよりは、とーくんの貧弱キックの方が断然マシだから構わないよっ! グッジョブ!」

 友達の頭を蹴って褒められたのは人生で初めてだ。軽く引く。

 一方、あれだけ殺意剥き出しにしておいて何事もなかったかのようにすまし顔の織斑は、腕組みしながら神妙に頷いた。

「束があそこまでやられても怒らないあたり、どうやら本当に友達らしいな」

「すごい判断基準だ……」

「それで、不特定多数に知られたくないという事は裏を返せば、束の友人である私には話しておこうと言う訳か」

「うん。悪いね、付き合わせて」

「お前は謝ってばかりだな? 別に構わないが、もっと気楽にしてくれて良い。普段バカのわがままに付き合わされているからな、腰が低すぎても調子が狂う」

「……わかった。じゃあ、ありがとうって言うことにするよ」

「それでいい」

 男前だなぁ姉御よ。

 見惚れる僕に、篠ノ之は一つ咳払いをした。

「じゃあとーくん、質疑応答に入ろうか。ちーちゃんはちょっと待ってね? 私も目星はついてるけど正確にはわかってないし、何より一緒に聞いてればわかるだろうから」

「おっけ」

「束が分からないこと、なぁ。……まあ、わかった」

 形から入るタイプなのか、篠ノ之はそこら辺に積まれた椅子をこちらに寄こしてきた。

 カウンセリング宜しく向かい合って座る。

「ててんっ、問一。君は今、私の髪が何色に見えてる?」

「……ちょっとグラデっぽいマゼンタと、光がちらつく宇宙みたいな黒。混ざるんじゃなくて、違う色が重なって見えてる」

「色眼鏡で左右違う色を見てるような感じ?」

「……そうだね。多分それに近いと思う」

「ちなみにちーちゃんのは?」

「うーん、篠ノ之みたいな神秘的なものじゃないけど、漆みたいに綺麗な黒だ。それとガスバーナーの外炎みたいな青……織斑の地毛は黒の方だよね?」

「ああ、その通りだが……どういうことだ」

 そりゃあ困惑するよね、普通は髪の色なんて一目瞭然なんだろうし。

「問二。さっき教室でみーんな驚いた顔してたけど、あれはどう見えた?」

「……篠ノ之、イラストソフトとか使ったことある?」

「使った事はないけど知識ならあるよ。それで絵描けって言われたら使えると思う」

「じゃあ話が早いな。下描きのレイヤーの上に、別のレイヤーで色付けるだろ? 黒やら焦げ茶やらの髪、顔や首には肌色、その後に背景とかなんとか」

「うんうん」

「さっき見えたのはそんな感じの着色レイヤーと、それから別のレイヤーで適当に油っぽい質感の色を掻き混ぜたものを高速で切り替えまくってる感じ」

「……うわぁ、なんか想像したら気持ち悪いね。汚いものと普通の景色を交互に見せられるんだ」

「しかも高速だからだんだん混ざって見えてくるし、しばらくすると懐疑心とか出てきて変な色がもっと変な色になるし。結構グロテスクで吐きそうになる」

 流石に十八年生きていれば多少は慣れるものだけど、あれだけの人数だといまだに駄目だ。

 吐き気がぶり返してきて口元を押さえている内に、織斑が秘密の内容に思い至ったらしい。

「……つまりお前は何かを見ると、実際のものとは違う色も見えるのか?」

「惜しい。正確には五感全部」

「うぁーちーちゃーん、もう答えちゃったよ。とーくんもさらっとネタバレしちゃうし! ……でも、そっか。それなら多分」

「篠ノ之?」

「とーくん、問三。ちょっと一回立って、ちーちゃんの前に」

「あ、はい」

「従順だな紬……」

 逆らっても仕方がないし……。

 プライドとか欠片もない僕に、篠ノ之はまだ質問、というか指示をしていく。

「よし、その場で正座」

「かしこまりました」

「……なあ束。必要なのはわかるがな、ここだと、その、スカートの中見えないか?」

「大丈夫、とーくんあんまり背高くないけどそこから見えるほどでは無いから。……姿勢良くしてれば」

「紬、気を抜くなよ。私がお前を殴り倒さないためにもな」

「怖過ぎて気抜けないから安心してよ」

 黒い錆のような色がじわじわ滲んでくるので必死に背筋を伸ばした。

「次は……ちーちゃん、適当にパンチ」

「えっ」

「わかった」

「えちょっ、躊躇いとか無ひいっ!?」

 目で追えないくらい素早く、そして後ろ足の膝が床につくほど深く踏み込んだ織斑は、とんでもない風切り音を轟かせながら拳を打ち出した。

 ……僕の耳をギリギリ掠めるように。

「まさか。本当に当てたりはしないさ」

「威力高過ぎて少しも安心できない……!」

「私だって気を抜けないと言われても安心できなかったよ。お互い様だ」

 ぐうの音も出ないがカチカチと鳴る歯の音は出た。芯から震えおののいていると、恐怖の大王シノノーノはさらなる指令を下した。

「とーくん、今のには色感じた?」

「……一応。黒錆っぽい色と、あと殴られる瞬間はドドメ色」

「そっか。ちーちゃん、限りなく同じ動作でもう一回パンチいける?」

「心掛けはしよう。また外せばいいのか?」

「わかってるねー、流石ちーちゃん。ツーといえばフー!」

「カーだろ、痛風なんぞなってたまるか。では紬、もう一度行くぞ」

「よ、よよよよっ、よし! こい!」

 ズバァッ、とえげつない風切り音に乗って弾けるレモンイエロー。

 ……あれ?

「今度は何色だった?」

「…………黄色。レモンイエロー」

「うん、大体わかったよ。とーくんは共感覚、シナスタジアって言葉は知ってるよね?」

「……もちろん」

 シナスタジア。

 それは何かを見たときに認識している実際の色とは別の色――例えば篠ノ之の髪を見て黒を想起したり、音や匂いのような視覚以外の情報に色を感じたりする特殊な知覚現象のことだ。

 僕のは多分それなのだろうと思って、一時期調べていたことがある。

 そう説明すると篠ノ之は手間が省けたと笑い、織斑は気まずそうに顔を逸らした。

 ……こんなの調べようと思わなければ知りようがない類の知識だし、知らなくてもしょうがないよね。うん。

「例えばアルファベットのAという字に色を感じるシナスタジア持ちでも、一人はそれに赤を、もう一人は青を感じることがあるそうなんだ。だけど、いつどんなタイミングでどの文字を見せても、その文字に対して認識する色が変わることはないらしい」

「ふぅむ……つまりは、一般的な五感に加えてもう一つの感覚が付いているようなものか? だから個人差こそあれど、見えているものが全くの別物になることは無い」

「そうなる。実際シナスタジア持ちには、色の想起を始めとした特殊な知覚を便利だと思ってる人が多いみたいだし」

「だけど、とーくんの場合は五感……というより、印象に色がついてるっぽいね。だから、同じような場面でも違う色が見えたり、逆に全く違う場面で同じ色が見えたりする」

 ……あぁ、五感じゃなくて印象に対して付いてたのか。

 他人事みたいに頷く僕を見て、織斑が不思議そうにする。

「さっきから伝聞形が多いな」

「……だって僕、他のシナスタジア持ちと違って、これを特別便利だと思ったことないしね。ちゃんと調べようとしたことはなかったんだよ」

 少なくとも友達を作るのには邪魔でしかなかった。

 

『トキナカくん、りんごは水色じゃないよ』

『せんせーっ、トキナカくんがまたウソついてるー!』

『あれサクラだよ、緑色なわけないじゃん!』

『ウソばっかり。みんなと違う色が見えるって、さっき言ってたのと違う色言ってるじゃん』

『ウソつき』

 

「……知覚現象っていうこの上なく主観的なものを証明するものは、本人の証言しかない。その証言が二転三転するんじゃ信用できないよね」

「うん? 信用できるよ?」

 篠ノ之は不思議そうな顔をしていた。

「…………いや、篠ノ之。話聞いてた? 客観的な証拠が出せないのに変なこと言うような、傍目にはウソツキにしか見えない奴を頭から信じられる奴なんて」

「うーん、まあそういう子に心当りがないわけじゃないけど。私が否定したいのはそこじゃないよ」

「……客観的な証拠なんて、ってところ? いやそれこそまさかでしょ」

「そっか、とーくんは私のことあんまり知らないのか。……そっかそっか! ならば見せつけねばなるまい!」

 不敵に笑う篠ノ之は、ガツン、と椅子に片足を掛けて。

 

「私が! 天! 才で! あることをーっ!」

 

 掲げた指を高らかに鳴らした瞬間それは光り輝き、()()()()()()()()()()()()()()()()()P()C()、更には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()まで出現した。

 

「――はぇっ!? えっ、何今の!? 格好良いっ!」

「へっへーんそうでしょ、そうでしょ!?」

「指パッチンでアイテム呼び出すとかロマンだよロマン! すごい、すごいよ篠ノ之!」

「ふわーっははははは! もっと! もっと褒めて! 褒めて伸ばして宇宙まで!」

「篠ノ之すごい! 最高! 時空一!」

「いえーいっ! ……ごめん、ちょっと恥ずかしくなってきた。それにまだ前座だし」

「前座? これ以上があんの!? 見たい見たい!」

「私はとっくに恥ずかしい……」

 織斑の消え入りそうな声で正気に戻った僕、高校三年生。

 この場で一番恥ずかしい生命体は静かに土下座した。

 

「昨日さ、私の髪色について耳打ちしたでしょ?」

「あ、そういえば。ビックリしたよあれ」

「はははー! ビックリさせるのが目的だったからね」

 そう言って篠ノ之はPCを起動し、何やら抽象画じみたテイストの風景が画面に……ん?

「……ねえ篠ノ之、これ僕の視界にそっくりなんですけど」

「そうだよ! とーくんの視界を傍受してるからねっ!」

「ど、どうやって……?」

「昨日の去り際、ビックリさせた瞬間にナノマシンをぶち込みまし」

「ふんっ!」

「ダッ」

 織斑の拳骨は隕石のような威力だった。

 そのまま倒れ伏すことすら許さんと言わんばかりに首根っこを掴み、織斑拷問官は篠ノ之を締め上げる。

「お前、人の体に奇妙なものを入れたり、勝手に改造するような真似はやめろと、何度も、言った、よなぁ……!」

「ちーちゃんストップ……酸素、酸素が、束さんのジーニアス脳みそに酸素がいかない……知性失われちゃう……」

「織斑落ち着いてっ、ここで殺したら話が聞き出せないっ」

「とーくんも酷いよ!?」

 織斑がノータイムでここまで殺しに行くような所業してる篠ノ之が一番酷い、というのは言うまでもないと思う。

 閑話休題。

「ごほ、ごほっ……それじゃあ続きだけど」

 クラス委員長様の鋭い眼差しを浴びながら、篠ノ之は表示されている画像をぺちぺちと叩く。

「このナノマシンはね、とーくんの視覚情報をモニタリングしてるんだ。大脳皮質の電気的活動を読み取って記録する、要はB(ブレイン)C(コンピューター)I(インターフェース)に近い概念だよ」

「SF映画なんかで機械を使わずにインターネットへ繋いだり、電脳空間に意識を送ってそこで情報を見聞きするシーンはよくあるが……あんな感じか?」

「そうそうそれそれっ、ちーちゃん冴えてるぅ!」

 織斑は満更でもない薄紫の顔をした。

「とーくんはさっき、客観的な証拠がないって言ってたけど……手段がないなら作ればいい。私は君を信じる手段を、ここにちゃーんと用意した。だから……」

「束」

「……いいんだよ、ちーちゃん。どう転んでもこれっきりにするから」

 昨日、篠ノ之の手を取ったあのとき。

 あのときも、こうして言葉を切った。

 彼女は今、その言葉の先を口にする。

「……だから。束さんのこと、認めてくれる?」

 期待と恐怖の色の太極図、原色の赤と青の螺旋がゆっくりと回る視界。

 ――篠ノ之の色は、なんだか不思議で、とても純粋だ。

「篠ノ之は、すごい。素敵な人だ」

 視界が薄桃色になるくらいの感謝と、少しの気恥ずかしさを詰め込んで。

「ありがとう。認めるもなにもとっくに僕の完敗だ。おみそれしました」

「……えへへ、そっかー。ふふ、束さんは……天才だから、ねっ。常勝無敗なのだぁっ」

 篠ノ之は褒められた子供みたいに照れくさそうに泣いて、織斑が何も言わずに彼女を抱き締めた。

 僕は背を向けた。泣いてるところなんて、誰も見られたくはないだろうから。

 

「とーくん。もうこっち向いていいよ」

 泣いて、泣いて、やっと泣きやんだ篠ノ之に呼ばれて振り向く。

「えいっ!」

「うぐっ」

 抱きつかれた。

 ……抱きつかれた!?

「あのっ篠ノ之!? 篠ノ之さん!? なにしてんの!?」

「ちーちゃん、今何色?」

「水色……いや、ほのかに橙が混ざっているな。さしずめ暮れかけた午後の空か」

「ふぅーん? 体温のイメージ……いや、あくまでも勝手に想起されるだけだから、一般的な色のイメージとは結びつかないのかな? ……ねぇ、とーくん? 今どんな気持ち?」

「いやもう何がなんだか……!」

 男心を弄ばれつつも役得過ぎて振りほどけない複雑な気持ち、とは流石に言えない。

 はぐらかしたら、目と鼻の先にある篠ノ之の顔は悪辣に歪んだ。

「……ふーん? ほらほらとーくん、胸板に押し当てられてるこれ、何かわかる?」

「…………」

「――束さんはおっぱいが大きいのです。知ってたかな?」

 耳元で囁かれて、背筋にぞくりと電流が走った。 

「……おや? にひひ、とーくんも男の子だねぇ。ちーちゃーん、今は何色だったー?」

「一瞬だけくすんだ丹色になったな。ちょうどお前のとこの鳥居の色に近い」

「興奮は鳥居の色、と」

「分析するのやめて!?」

 R18すれすれの漫画みたいなイジメられ方をしていると、篠ノ之は抱きついたまま色鉛筆の金みたいに真面目な声色で言う。

「だめだよ、いっぱいする。君のその目を、私はもっと知りたいんだ」

 思わずまじまじと彼女の顔を見る。

 どことなくデフォルメされた羊を連想させる、愛らしい笑顔をしていた。

「一緒に色んなところに行こうよ。色んなものを見て、色んなものを聞いて、触れて、嗅いで、味わって。そうして感じる色を、君が見てる世界を、私も知りたいんだ」

「……なんだか、プロポーズみたいだよ? それだと」

「……はっ!? だ、駄目よワタシ! ワタシにはちーちゃんという心に決めた生涯の伴侶がいるもの!」

「誰が伴侶だ」

「あぅっ」

 ぺしりと織斑に叩かれる篠ノ之は楽しげで、織斑もどことなく穏やかな表情で。

 彼女らと見る景色はどんな色なのか、僕も少しだけ気になった。

「……うん、悪くないかもしれないね」

 呟くと、篠ノ之はいたずらっぽくニンマリした。

「篠ノ之、それとできれば織斑も。僕と一緒に、色んな景色を見てくれる?」

「……いや、ただでは頷けんな」

「えっ」

「うんうん、そうだねぇちーちゃん。何事にも対価は必要だよね!」

「えぇっ、頼んできたの篠ノ之なのに!?」

 これ断られたら僕がただただ恥ずかしい奴になるじゃん、などと怯えていたら、織斑が仕方ないなとでも言いたげに溜め息をついた。

「名字ではなく名前で呼べ。それが対価だ」

「篠ノ之も織斑も、私たち以外にいるもんねー?」

「ああそうだな、いずれ紹介せねばなるまいし、いつまでも名字では紛らわしい」

「……まったく、二人揃って男前な」

 僕の立つ瀬がないじゃないか。

 立ち上がって、僕はおもむろに両手を上げる。

「束、千冬。これからよろしく」

「ああ、よろしくな。秋水」

「よろしくねっ、とーくん!」

 ぱしん、と軽やかにハイタッチして。

 僕らは今日、友達になった。

 

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