とにかく日木宗八は八幡に憧れている。
高校生になって
一年J組 日木 宗八(ひき そうはち)
比企谷 八幡様を僕は敬愛している。
あの方の目を見たとき、僕は実感した。彼こそ僕を導く者だ、と。心の師だ、と。
あの方の素晴らしさを列挙していこう。
あの方は国語のテストに於いて一年生時、いつも学年三位だった。これは素晴らしいことである。
この総武高校は、かなり偏差値の高い進学校だ。実力テストだって、非常に難しい。入学試験を受けた一年生である僕だからこそ分かる。国語学年三位というのは、偉大な成果である。
また、あの方はいつも孤独である。
この数週間、あの方を時々見かけたが、必ずと言っていいほどあの方は一人でいた。誰かと話しているところを見た事が無い。それなのに、あの方から一切、惨めさを感じない。むしろ活き活きをしている。
そんな比企谷 八幡様に、僕は憧憬を抱いた。
あの方のようになりたい、と心底思っている。
結論。
僕、日木 宗八は比企谷 八幡様を敬愛し、高校生活の全てをあの方に捧げたいと思う所存であります。
国語教師の平塚静は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げた。……はずなのだが、何故か途中からその声にはため息が混じり、最後にはほぼ声が聞こえなかった。
こうして聞いていると、自分の文章力がまだまだだということに気づかされる。小難しい単語を並べれば比企谷 八幡様のような文章が書けるんじゃないかという、どこにでもいる凡人の薄っぺらい思考が見透かされる気分だ。
が、文章の質はともかく比企谷 八幡様への情熱はよく書き込まれていると思う。
さては、そういった比企谷 八幡様への情熱に平塚先生も共感したから呼び出されたのか。ああ、そうだ。きっとそうに違いない。
平塚先生は読み終わると額に手を当てて真剣な声で問いかけてきた。
「なあ、日木。私が授業で出した課題は何だった?」
「え? そりゃ、『高校生になって』ですよ! 何を言ってらっしゃるんですか」
「やたら元気だな……。まあそうだ。じゃあそれでなぜ君はこんな妄言を書き上げているんだ? そもそもこれは本心か? 本心じゃ、ないよな?」
平塚先生は力なく言うと、懇願するように身を乗り出してきた。
おかげで、胸の辺りが強調されて、視界に入る。
そも、女教師という文字列がなんだかエロさがあるように思う。保健室のベテラン女教師とか、もうエロさがぱない。あと、あれね。飛び級して先生になった同年代の女の子とか。リアルにないけど、ぐっとくる。
そんなことを考えていると、紙束がくしゃっと丸まるような音がした。
「もう一度訊こう。本心じゃ、ないよな?」
「いえ、紛れもなく100%本心です!」
「くっ、やめろ。そんなに目を輝かせるな。君の目はあれだな、仔犬の目のようだな」
「そんなに可愛さがありますか。め○ましテレビに出れそうですね」
ひくっと平塚先生の口角が吊り上った。そんなに面白くない返答だったのだろう。ジョークスキルを磨かなければ。
「日木。どうしてあいつに憧れた? 一応確認してやる」
先生がギロリと音がするほどにこっちを睨み付けてきた。一年生なのでさしで話すのが初めてなだけにこういう視線には異様なまでに恐怖を感じてしまう。っつーか、マジこの人怖い。
っていうか、なに? 比企谷 八幡様は憧れてはいけない存在なわけ? なんかかわいそうなんだけど。
まあ、僕はそれでも憧れるんだけど。
「そ、そんなの簡単な話ですよ。近頃の高校生とは明らかに違う目つき! 自意識があまりに大きいその言動! 何よりあの人の作文! そんなの、憧れるに決まってるじゃないでしゅか!」
「涎が垂れてるぞ」
「あ、すみません」
謝ってから、僕はハンカチで口元を拭いた。
いかんいかん。比企谷 八幡様への敬愛が爆発してしまった。普通に自分が好きなものを話すときでも興奮しすぎてしまうことがあるんだから、比企谷 八幡様について話すとなれば尚更興奮してしまうのだ。
「というか、いつ作文を見たんだ?」
「え、ああそれはあれですよ。あの方、ここに来るときに一回、作文を落としているんです。その時に、チラッと見えました」
「落とした時に? そんな近くにいたのか?」
「いえ、かなり距離は離れてましたけど。僕、目は人よりいいんです。あ、なので普通の人なら分からないような先生の皺も」
風が吹いた。
グーだ。ノーモーションで繰り出されるグー。これでもかというくらにに見事な握り拳が僕の頬より僅かに右にあった。
これ、僕の動体視力が人よりよくなかったら絶対頬にかすってたよ。かすってるだけでも痛いよ絶対。
「次は当てるぞ」
「いや、まあ多分避けられそうですけ」
再び風が吹いた。これも、なんとか避ける。けれど、目がマジだった。
「すいませんでした。実際問題、平塚先生の皺は見えませんよ。女子高生レベルの肌で驚いてるくらいです」
謝罪と慰めの意を込めた言葉だった。とはいえ、嘘じゃない。平塚先生が何歳なのかは知らないが、僕の目で見て、皺がほとんど見つからないというのは本当にすごいことだ。若々しい。
平塚先生には満足いただけたご様子。よかった。とりあえず土下座せずに済みそうだ。僕が土下座するのは比企谷 八幡様に弟子入りを頼む時と決めているからな。
「私はな、比企谷と一応、面識はあるんだ」
「マジですか!?」
僕は平塚先生の言葉に瞬時に食いつき、身を乗り出した。
すごい奇跡だ。まさか呼び出しにあったおかげで、あの方のご知り合いと会話することが出来るなんて。雲の上の人だと思っていただけに、感動を隠せない。もしかして、わざわざ言ってくれたということは、あの方について何か話してくれるのだろうか。
だが、平塚先生は残念なことにあの方について話す様子はなかった。
平塚先生ははちきれそうな胸ポケットからタバコの箱を取り出すと、何かをとんとんと叩きつける。両親共にタバコを吸っていたのだが、詳しいことは知らないので今叩きつけたのがなんなのかは分からない。作業が終わると、安っぽいライターでかちっと火をつける。ふぅっと煙を出すその仕草は、両親とはどこか似ておらず、頼れる大人の姿に思えた。
そんな所作に見惚れていると、平塚先生は何か決意したような顔でこちらを見据えた。
「君は部活はやっていなかったよな」
「まあ一年生なんで。これから入る予定もないですけど」
「……友達とかはいるか?」
僕に友達がいないことを前提に聞かれていた。ってか、そもそも友達とかってなに? 戦友とか犯罪仲間とかも含めってこと? そんなのがいる奴、いないだろ普通。
「い、一応いましたよ中学の時は。た、ただ普通にシャイなんで数週間しか一緒にいないクラスメイトにはいないですけど」
「……微妙な返答だな」
「悪かったですね!」
僕は若干涙目になりながら叫んだ。
正直、微妙と言われるのは苦手だ。自分が中途半端だ、と言われて馬鹿にされている気分になる。
なのではっきりさせることにした。僕に友達はいるのかいないのか。
まあ中学の時も胸を張って友達だと言えるような奴はいなかった。それなりに仲がいい奴くらいのものだ。……だからこそ、比企谷 八幡先生に憧れたのだ。
「いませんよ、おそらく。友達の定義によりますけど」
「あー、その台詞! 紛れもなく友達がいない奴の台詞だ。いやぁ、その仔犬のような目を見たときは少し不安になったよ」
不安になったってなんだよ。友達いちゃ悪いのかよ。まあ悪いと思うけど。
平塚先生は納得顔でうんうんと言いながら、僕の顔を遠慮がちに見る。
「…………彼女とか、いるのか?」
とかってなんだよとかって。僕が嫁いるって言ったらどうすんだよ。
気になったので僕は真実を答えることにした。
「将来を誓い合った未来の嫁ならいますね」
未来への希望を一心に込めて言った。
「ははは。そうかそうか。一つ下にか?」
「え、いやむしろ一ヶ月上ですけど」
「は?」
刹那、時が止まったかのように平塚先生が固まった。
その表情は、まるで現実離れした事実を受け止められないような顔だった。
いやいや、それは酷くないか? ってかいないって思ってて、いるって現実を受け止められないなら最初から質問するなよ……。
それから約10秒経っても受け止めらていない平塚先生に呆れた僕は、渋々、バッグから、水色がかった巾着を取り出した。
「これとか、その人に作ってもらったんですよ。中二のときに」
「そうか……」
先生は今度は売るんだ瞳で僕を見つめる。それは明らかにタバコの煙が目に染みているわけでは無さそうだった。おいやめろ。本気で辛そうな未婚者の悩み全開の視線を向けんな。
それにしてもどうして美人な平塚先生が結婚できないんだろうか。別に結婚したくないわけでもなさそうだし。流れが一気にお通夜っぽくなったので、僕は慰めることにした。
「先生。余り者には福があるっていいますし、歳を取ってから好きになってくれる相手の方が、外見だけじゃなくて内面も見て結婚を真剣に考えてくれるでしょうから、まだ諦める時じゃないですよ!」
「ああ……そうだな。がんばる。ありがとうな」
その表情は、悩みを打ち明け、明日への希望に満ちた顔だった。
平塚静(アラサー)は、こうして今日も、いつか結婚できる日を待ち、多くの婚活をする男性とテーブル越しで、多くの生徒と机越し向き合うのだった。とかやれば、感動的物語になりそうだ。
先生は僕の言葉に気をよくしたのか、優しく頭を撫でた。
「よし、こうしよう。君を比企谷に紹介する」
「マジですか!?」
「ああ、もちろんだ」
おお、まさかの棚から牡丹餅! でも棚牡丹っていうとこれじゃない感出るんだよな。やっぱり棚ぼたじゃないと。
まさかの想定外。僕の想像を遥かに超えていた。
「だが、彼は普通に紹介したところで一切君とは話さず他人として認定するだろう。或いは敵かもしれない。なので、君には奉仕活動を命じる」
相当僕の慰めが効いたのだろう。先生は威勢よく、普段よりも元気で嬉々とした様子だった。いやはや、親の愚痴に相槌を打っていてよかった。
嬉しさの余り思わず、そういえば嬉々としてと父として五感が似ているなぁ……と彼女のお父さんに挨拶に行く予定を思い出して、にやけてしまう。
それにしても奉仕活動か……もしかして、比企谷 八幡先生は実は奉仕活動をいつも勤しんでいるのだろうか。放課後はすぐに帰ってしまって、観察していないのでその可能性が高い。
「奉仕活動って……何すればいいんですか?」
つい涎が垂れそうになるのを抑えながら訊く。もうね、平塚先生は怖くない。
「ついてきたまえ」
こんもりと盛られた灰皿にタバコを押し付けると平塚先生は立ち上がる。詳しい説明はないが、その提案は確実に俺に得があるので、俺は平塚先生の真後ろをついていった。
「元気がいいなぁ。若いっていいなぁ」
「平塚先生も若いですよ、あのパンチとか」
「そうだよな!」
平塚先生をおだてながら……ってか普通に若いのに、なんでこの人年齢、気にしてんだろ、まったく。