「やっぱりここにいましたか、川崎先輩」
翌日のことだ。
放課後になってしまうと、川崎先輩の問題の解決のために動くので忙しい。一刻も早く問題を解決し、依頼をなかったことにしたかった僕は師匠に断りを入れて、川崎先輩がいつも入る場所にやってきた。
どこまでも青い空は、飛び立つことのできない自分を皮肉っているようにさえ思える。吹きすさぶ強風に巾着を揺らしながら、しかし僕ははっきりと川崎先輩を捉える。
奉仕部に依頼がきたのだから、奉仕部でやればいいという思いはある。というか僕としては師匠の解決方法を見たいので奉仕部の一員としてこの依頼の解決に努めたいとさえ思っている。
でも、それを赦さない自分がいた。
それはダメだ、と。このまま、奉仕部の一員としているだけの毎日じゃ結局のところ昔から何も変われない。師匠に頼ってばかりじゃダメなのだ。
師匠にだって将来がある。主夫だなんだといってらっしゃるが、きっと師匠は就職する。おそらくそれなりにいい大学に行って、それなりにいい企業に勤めて、由比ヶ浜先輩か若しくは他の誰かを家族にして生きるという未来がある。
そんな中で、高校のテスト一回というのは軽いようで重い。
雪ノ下先輩にとってはルーティンワークで、容易いテストなのかもしれない。だから、否応なしに依頼を受けたのだ。
だが、強者である雪ノ下先輩のものさしに合わせて活動をしていけば他の人間は桁はずれた苦痛を味わうことになってしまう。今回で言えばテストで点数を下げる可能性が高い。師匠にはまだ秘めていらっしゃる力がある。その力を発揮すれば、雪ノ下先輩に勉強で勝つことさえ可能だ、と僕は思っている。
勉強が全てだとは言わないが、誰かに奉仕することで師匠の可能性が費えるのは嫌だ。
それに、このまま奉仕部の活動が拡大すれば、絶対、後々大変なことになる。それこそ内部分裂のような次元の。そんな未来は嫌だ。僕はあの部屋を気に入っている。四人だけのあの場所を守りたい。
故に僕は今、動くしかない。
「あ? なに、あんた」
「一年Jの日木宗八と言います。あなたの弟さんの先輩です」
「おと……大志っ!」
なんかまるで僕が誘拐したかのような形相で川崎先輩は僕を睨みつけてくる。そのたてがみのような青髪のポニーテールが揺れ、川崎先輩はすぐにでも僕を殴れるように構えた。
「乱暴だなぁ、別に僕は弟さんに何かをするつもりじゃないですよ。むしろ、僕は弟さんの味方です」
「……? 根拠は」
根拠ときたか。よかった、情報をたんまり得ていて。それがなきゃ、この時点でキョドってたわな、確実に。
「さーちゃん♪」
あからさまに顔が赤くなるのを見た。
川崎先輩ってとっつきにくい人みたいに思ってたけど、むしろとっつき易いんだなぁ。いじりやすい、の方が正しいかもしれんけど。
僕が口にした言葉は、川崎先輩の妹の京華が川崎先輩に対して言っているものだ。聞いていると家族思いだなぁと思う。が先輩だって年頃の女子だ。家庭的を飛び越えて母親的なレベルのシーンでの呼び名を適応されれば恥ずかしがる。
……ほんと、あいつの読みは当たるなぁ。
「そ、そ。で、なんなわけ?」
川崎先輩が言葉を搾り出すのを見て、少し和む。うん、川崎先輩はこっち側だ。雪ノ下先輩のようなあっち側とは違う。
「川崎先輩。エンジェルラダーで働いてますよね? 年齢を詐称して」
「よくわかったね。気付かれてないと思ったんだけど」
そりゃ、あいつの情報ネットワークはすごいからな。心の中でだけ呟く。
しかし、すごいな。ばれたのに一切動揺していない。
「やめる気はないんですか?」
「ん? ないよ。……あそこをやめても、他のところで働けばいいし」
川崎先輩は屋上のフェンスの先を睨みながら、しれっとなんでもないことのように言った。
きっと、僕が川崎先輩の働く理由を理解せず止めにきたとでも思ったのだろう。
「あんたにはわかんないよ。別に遊ぶ金欲しさに働いてるわけじゃない。そこらのバカと一緒にしないで」
僕を睨み付ける川崎先輩の目には力があった。邪魔をするなと、そう力強く吠える瞳。だが、それとは裏腹に瞳は潤んでいる。
しかし、それは果たして本当に強さだろうか。誰にもわかりはしないだろうと、そう叫ぶ言葉は理解されないことへの嘆きと諦め、そして理解してほしいという願いがあるように思える。……だって、どっかの誰かさんもそれは同じだから。
自分の苦悩がありふれたものではないと信じたいから。他の人間にとっては大した悩みでもないことで苦悩するほど、自分が矮小な人間だと思いたくはないから。何より、自分は孤独ではないと思いたいから。
だから、理解してほしいと叫ぶのだ。
それは弱者の思想だ。
そして、奉仕部に悩みを相談しにしく者の願いだ。
例えば、由比ヶ浜先輩だ。彼女は周囲に合わせてしまうことを苦悩し、故に師匠への恋心を秘めなければいけないことを苦しみ、理解を求めて相談にきた。そうでなく、ただクッキーを作りたいだけならば、親御さんにでも頼んでクッキーの作り方を習えばいいだけなのだ。
例えば、戸塚先輩だ。彼は周囲の女子に守られ、王子様とされることで男らしくなれないことを悩み、男らしさを求める自分を肯定し男として見てくれる理解者を求めて相談にきた。そうでなく、ただテニスが強くなりたいだけならそれこそテニススクールにでもいけばいいし、筋トレとかのメニューなら今時ネットを調べれば出てくる。
つまり、だ。
弱者というのは。人に悩みを相談する人というのは理解を求めているのだ。由比ヶ浜先輩が悩みを理解した上で肯定、否定してくれる雪ノ下先輩という友達を得たように。戸塚先輩が男友達(仮)として師匠と仲良くなれたように。
じゃあ、僕のやることなんて決まっている。
「分かってますよ。あなたのためにお金を用意するのは難しいですし、あなたが予備校の費用のためにバイトしているのも知ってます。大変ですよね、一番上の姉って。誰にも頼れないんですからね」
そういえば、自分も大変だなぁと思いながら。
弟一人だったが、それでも辛かったものだ。上の子だから。そんな風な固定概念に苦しめられる。まあ、それは下の子も同じだ。
「その中で川崎先輩、やりくりしようとしてるんですからすごいですよね。バイトも、年齢詐称してばれないってことはそれだけの能力があるってことですし」
「……何が言いたいの?」
理解できるなんて傲慢だけれど。でも、理解すべきだ。それが僕の責任だ。
彼女の行動は否定されるべきではない。ただ、上の子としての責任に追われて、結果として深夜にバイトするようになっただけなのだ。
理解すべきだ。深夜にバイトしてまで学ぼうとする彼女の意志を。エネルギーを。
「ようするに――そんだけできる川崎先輩なら、予備校のスカラシップ、いけるんじゃないですか?」
バイトにする時間を勉強に注ぐことができるなら。
深夜にバイトをしてまで勉強しようという気概があるのなら。
ならば、スカラシップくらい取れるのだ、と。
そうして僕が飢えた人に与えたのは魚でも魚の取り方でもなく、生きることができるという希望だった。
× × ×
その日の放課後。
僕たちは師匠のお家の猫、カマクラ様でアニマルセラピーを実行しようとして大志に川崎先輩が猫アレルギーだと聞いてやめたり。
平塚先生に頼った挙句、結婚について言われて崩れ落ちる先生に敬礼したり。
えんじぇるているとかいうメイド喫茶に川崎先輩がいないか確かめに行ったり。
雪ノ下先輩を筆頭に解決に向けて様々な手を打った。
解決したのを知った上での活動はある意味では空しく、悲しいものに映ったが師匠がいらっしゃったので非常に楽しかった。メイド喫茶でたじろぐ師匠の姿は貴重だったしな。
戸塚先輩や生ゴミ先輩も参加し、奉仕部関係者総力戦(生ゴミ先輩とは関係ないが)のような状況になった。なので、僕は解決せずに放置して事の顛末を見ればよかったという気持ちが余計に強くなった。
でも僕は先に解決すべきだと思った。僕には才能がないから、どんなに失敗したっていい。けれど師匠には才能があふれている。ならばこそ、師匠がこの先息苦しくなるのも、変わってしまうのも嫌だ。
今のこの平和を永久に変えないためには、奉仕部にくる依頼なんて排斥するしかない。そうしないと、下手すれば生徒会なんかにも頼られてしまう。
「そうだ、雪ノ下。昨日小町に言われたんだがな、川崎がバイトをやめて早く帰ってくるようになったらしい。大志とのコミュニケーションも取れているからもう、依頼は取り下げでいいとさ」
翌日の部活で、師匠がいつものように本を読みながら言った。
「あら、さぼりたいからって嘘をつくのはよくないわよ卑怯ヶ谷くん。何もないのに、突然そんなこと起こるわけないでしょう?」
「何を言ってるんですか雪ノ下先輩! 師匠の仰ってる事は本当ですよ! 僕も今日、たまたま大志くんに会いましたけど」
「確かに今日、川崎さんいつもと違う顔してたよ? ちょっとすっきりしてたっていうか……」
雪ノ下先輩と師匠が本をめくる手を二人合わせて止めた。
そして、仕草は違えどほぼ同じタイミングで二人とも本を閉じる。二人の、特に師匠の顔は険しい。
打ち合わせをするとは思えない二人が、それでもタイミングが合う行動をしているということはそれだけ二人に共通する何かがあるのだろう。だが、生憎とそれが僕にはわからない。
「比企谷くん。大変遺憾だけれど、今に関してはあなたと考えていることが一致しているようね」
「ああ、遺憾だけどな」
二人が本を読まず、依頼を受けるわけでもなく向き合うのは初めてであるように思う。師匠と意見が合っているのなら喜ぶのが正当な心構えであろうに、本当に雪ノ下先輩は失礼だ。
文句を言おうとする。が、その言葉は喉から上がってこなかった。
平たく言うなら、この僕が空気に気圧されたのだ。
「日木くん。奉仕部部長として命じるわ。奉仕部を退部しなさい」
「は? まったく雪ノ下先輩何言ってるんですか。それじゃあ、僕は師匠のお傍にいられないじゃないですか」
鋭い雪ノ下先輩の声に反論する。そうだ。そもそも僕は師匠のお傍で色んなことを学ぶためにこの部活に入ったのだ。誰に強制されたわけでもないのだから、なにか僕がしたわけでもないのに退部なんてさせてもらえるはずがない。
「それ、今日で終わりだ。師匠師匠って俺を崇めてるけどよ、これまでの依頼、全部お前がお膳立てしてるじゃねぇか。川崎のこととかな。それに、知らないうちにチェーンメールにまで手を打ってるじゃねぇか」
「え……? 師匠、何を?」
「パソコン、見えんだよ俺の位置からだと」
それは盲点だった。まさか見えている、だなんて思っていなかった。見えていると分かっていれば全て家だけでやったのに。そのせいで師匠を不快にさせたのなら、謝るほかない。
「すみません。このような事は二度といたしませんのでお許しください」
「そういうことが言いたいんじゃねぇよ。別に悪いことだって言ってるわけじゃねぇ。今までの全部のことをお膳立てしてこれたお前は素直にすごいと思う」
「そうね。私にもできない芸当だわ。でもね、日木くん。奉仕部自体、そういう場所ではないわ。何もかもあなたがお膳立てして、あなたの自己承認欲求を満たすだけなら、お友達とやりなさい」
辛辣な、辛辣な言葉だった。
けれど否定の言葉は出てこない。
理屈は出てくる。でも、自己承認欲求を満たしていなかったという確証は、どこにある? いや、あるはずがない。
実際、自己承認欲求を満たしていたのだから。
色々と理由をつけていたが、結局のところ認められたかっただけなのだ。テニスの時と変わらない。調子に乗ったのだ。自分の力など何一つ使っていないというのに。
「そう、ですね。すみません。出て行きます。道具だけ、後日取りにきてもいいですか?」
「そうね。構わないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでハチが出」
「ありがとうございます。退部届けは帰りがけに出しておきますね」
由比ヶ浜先輩の優しさが嘘だとは思わない。
由比ヶ浜先輩は実際に優しくて、きっと本当に僕が退部すべきじゃないと思っているのだろう。
でも、その優しさは残酷だ。
「ししょ……比企谷先輩。お世話になりました。すみませんでした」
礼儀よく言って、僕は扉を閉めた。
幸せ。それは本当にむごい。
夜中に見上げた月みたいに、どこまでもついてくるくせに手が届かない。
その距離感が掴めない。
幸せに縁遠いわけじゃない。僕にはここがいる。それだけでも幸せなのだ。
でもやっぱり