それきり雪ノ下先輩は僕に一切関心を示さない。まあ、平塚先生は僕の面倒を見ろとは言っていない。ここにおけ、と言っただけなのだから関心なんて持たないのだろう。それは比企谷 八幡様も同様なようで、ぺらりとページをめくる音が二つ、別々に聞こえた。
二人とも、カバーの生で何を読んでいるかは分からないが、きっと素晴らしい文学的ものを読んでいるのだろう。特に比企谷 八幡様。かなり高度な文を読んでいる可能性がある。
雪ノ下先輩が一切姿勢を崩さずにお嬢様や優等生っぽい姿勢で読書をするのに対し、比企谷 八幡様は頬杖をついて、時々僅かに動いて読書をしていた。その姿の方が、なんだか気張っていない感じがあるが、実際の話をするなら雪ノ下先輩も別に気張っているわけじゃないのだろう。
似ているように見る人もいるかもしれない。けれどかけ離れている。二人はまったく別の存在だ。
だって、比企谷 八幡様は僕のこと小さいとか言わないし、無茶苦茶カッコイイし。
それで思い立つ。折角、比企谷 八幡様が近くにいるのだ。出来るだけ観察して、彼女に土産話をしてやろう。
「はぁぁ」
つい、ため息が漏れる。彼の吐息、僅かな動きにさえ見惚れてしまう。、
「え……なに?」
「いえいえ。なんでもございませんっ!」
「お。おう」
あー、戸惑う比企谷 八幡様もカッコイイ。なんか、もう幸せすぎてやばいなぁ。いや、でも別に僕はアイドルのおっかけではないのだ。僕は弟子入りを頼みにきた。そうだそうだ。マジで危うく忘れるところだったぜ。
「あ、あのっ!」
「どうしたのかしら、日木君」
「あなたになんて話しかけてませんっ! 引っ込んでいてください!」
「なっ……」
絶句。まさかの絶句だった。まさか雪ノ下先輩が絶句するとは思わなかった。いい気味だ、と思っていると比企谷 八幡様は一生懸命笑いをこらえていた。
「すげぇなお前。くくっ。やばい、最高すぎる……。えっと、日木、だったか?」
「はいっ! お褒め頂き光栄です!」
やった! 頼られるだけじゃなく、褒めてもらえた。このまま行けば、弟子入りもいけるかもしれない。ささやかな希望を胸に、僕は口を開いた。
「あの、すみません。ここって何部なんなんですか? どうしてあなた様と雪ノ下先輩が一緒にいるんですか? 共通点なんてぼっちってことくらいですよね?」
「お。おう……お前、どうして雪ノ下がぼっちだって分かったんだよ。こんだけの美少女だぞ?」
比企谷 八幡様は意外そうな顔をした。雪ノ下先輩も、ちょっと気になったのか、本を読むフリをしながらこちらを見ていた。なんか鬱陶しいなぁ……まあ、いいんだけどさ。
それにしてもどうして比企谷 八幡様は当たり前のことを訊いてくるのだろうか。もしかして、もう弟子入り試験は始まっているとか? 崇高な比企谷 八幡様のことだ。可能性はある。
「いや、そこまでの美少女じゃないですけど……でもまあ、経験則ですかね。人はみな完璧じゃないですから。弱くて、心が醜くて、すぐに嫉妬し蹴落とそうとします。不思議なことに優れた人間の方が生きづらいんですよ、この世界は。だから雪ノ下先輩は、人の輪から外れています。あ、もちろんあなた様も」
言っている途中、雪ノ下先輩は一度、本を落としそうになっていた。本当に失礼な人である。人が話しているときに静かにすることも出来ないのか。
ただ、僕が言い終えたとき、比企谷 八幡様がすごく面白そうな顔をしてくれたのでとりあえずチャラにしてやることにした。
「すごいな……よかったじゃないか、雪ノ下。お前と同じ考えのやつだぞ。お前も、世界を変えようとかしてるんだろ? しかも人ごと」
「へ? 何を言ってらっしゃるんですか。そんな面倒臭いことするはずないです。僕は、ただあなた様のようになれればいいんですっ! 世界とか正直、どうっでもいいです」
僕には比企谷 八幡様の仰っていることが分からず、申し訳なかったがなんとか僕の思いの丈を言うことができた。何故か、比企谷 八幡様と雪ノ下先輩はドン引いた表情になっている。
「なるほど。日木君の異常な点がようやく理解できたわ」
「ああ……不本意だが、分かった」
二人は、目を見合わせてうんうんと頷いた。え? なんなんだろ……。僕自身、分からないのでぜひ、教えてほしい。
「え? なんですか? 私、気になります!」
「お前、そのネタは女子が……いや、思いのほか、お前がやるといいな」
「その台詞。前に読んだ小説に出ていた気がするわね」
「まあ、有名だからな、色んな方面で」
おお、流石比企谷 八幡様。僕のネタを拾ってくれるとは。雪ノ下先輩も知ってたのは驚きだが、まあ今はラノベじゃないしな。確かあれ、最初はスニーカーから出てたと思うけど。
「で、なんなんですか? 僕の異常なところって!」
異常であることはすごくいいことだと思っているので、一刻も速く知りたい。身を乗り出して訊くと、さしもの雪ノ下先輩も僅かに姿勢を崩した。
「んんっ……異常なところって、そんなのあなたの、比企谷君への愛に決まってるじゃない。別に男同士の愛が悪いわけではないけれど、あなたのその愛はなんというか、普通の愛を超えているわ」
「随分はっきり言うな。まあ、そうだ。後輩に慕われるのは〝いい先輩〟である証拠になるから嬉しいがそれはちょっとな。悪いが俺はそういう趣味ないんだ」
二人はマジで僕から数歩遠ざかっていた。いやいや、それそういう趣味の人に、失礼だろ。比企谷 八幡様は、自分が狙われていると思ったんだししょうがないというかむしろ適切な判断素晴らしいという感じですが、雪ノ下先輩はただの差別だろ。許せん。
っていうか、ちょっと二人の発言は困るので訂正しておくことにした。
「やめてください。僕が抱いているのは愛ではなく敬愛です。尊敬です」
「どうかしらね」
「隠す奴もいるらしいからな」
「いや、本気でやめてくださいって。僕、もう将来を約束した人がいるんですから」
言うと、比企谷 八幡様と距離を置かれてしまう気がしたので言いたくなかったが別に恥ずかしいことではないのでいっそのこと言ってしまうことにした。このままホモ認定よかよっぽどマシである。
「ああ、俺もいるぞ。お前と同じく一つ下にな」
「なんですかそのネタ流行ってるんですか!?」
平塚先生といい、比企谷 八幡様といい同じネタを使うとか息ぴったりすぎるだろ。しょうがない。さっきと同じ手でいこう。バッグから水色がかった巾着を取り出す。僕の名前の刺繍があるところを優しく撫でながら、差し出した。
「これ、彼女に作ってもらったやつです。言っておきますが、彼女は三次元ですからね」
「「…………」」
絶句。まさかのダブル絶句であった。
比企谷 八幡様……ちょっとそれは酷いですよ。そりゃ、僕も今の彼女じゃなきゃ、彼女なんて一生出来なかったと思うけど。
「まあ、今の彼女と出会えたのが幸運だっただけです」
「そうね……比企谷君。きっといつかあなたを好きになってくれる虫が出てくるわ」
「蓼食う虫も好き好きってか。酷いな、おい。っていうか今は日木の話だろ。なんでそんなリア充様が俺に憧」
刹那、教室に椅子のがたがたという音が響いた。それがなければきっと僕は自分が立ち上がったことに気付くこともなかっただろう。
「リア充だなんて、そんなこと言わないで下さい。あんな奴らと一緒にしないで下さい」
真っ直ぐに、比企谷 八幡様の腐った目を見つめる。静寂の間、時計の秒針の音が場違いにうるさくなっていた。
「違うのか?」
「違います。確かに彼女はいるでしょう。でも、それはあの子が僕を好いてくれたからこそ成り立っています。それにそこらのリア充みたいに考えてないわけでもない。だからこそ僕はあなたに憧れたんです。孤独でいることを決して嫌わず、気高く生きるあなたに」
「そうかよ……それなら雪ノ下のがあってるだろ」
僕に気圧されたのか、比企谷 八幡様は目を逸らした。でも、僕は彼の視線の先にいよう、と思い移動する。
「いいえ、違います。あなたじゃないと駄目なんです。あなただから、いいんです。あなたのようになりたいんです。だから、お願いします。弟子にしてください」
喋りながら、ズボンの皺を払うようにびしっと直し、右足、左足と順々に折って床につけた。そして言い終わったとき、僕は頭と床が一センチの距離になるようにする。床に頭をこすり付けないのが、正しい土下座の仕方だ。これを勘違いするから素人はいけない。
「お願い、します」
改めて言う。その言葉にはいつか、彼女と喧嘩して謝罪したときと同じくらいの力をこめる。
「流石卑怯ヶ谷君。下級生が土下座をしても尚、頼みを聞かないのね」
「おまっ、そんなわけないだろ……。分かったよ。弟子入りって言っても、うちの部に入るくらいのことだけどそれでいいならな。むしろ、なんかわざわざ教えるなんて無理だ」
「それでも構いません」
「そうか。なら弟子にでもなんでも勝手になれ」
言われて、僕は全身全霊で感謝の言葉を叫び、頭を上げる。するとそこには少し恥ずかしそうに顔を背けている比企谷 八幡様がいらっしゃった。
「でも、ただ弟子入りというのもつまらないわね。やる気も能力もない人が入っても、部を混乱させるだけでしょうし。そうね……じゃあゲームをしましょう」
言う、雪ノ下先輩の顔は嗜虐的だった。ああ、なるほど。さっきから僕が色々言ったから根に持ってるんだな。負けず嫌いそうだもんなぁ、なんか。
ゲームか。まあ、楽しそうっちゃ楽しそうだ。なんか比企谷 八幡様も嬉しそうにしているし。でもその前にここ、何部なんだろうか。さっきから読書しかしてなかったのに、ここにきてゲームってことは文芸部でもなさそうだし。
研ぎ澄まされた刃物みたいな視線を向けてくる雪ノ下先輩のことは一旦置いて、考える。なんか気になるし。
気になるといえば、結局奉仕活動ってなんだったんだろう。謎でしかない。まだ、奉仕要素ゼロなんだけど……ん? ああ、そういうことか。
この教室には特別な機具がない。人数がいなくても廃部にならない。つまり人に利益を与えているわけだ。なら簡単な推理。「あれれー、おかしいよー?」とか言いながらヒントを出してくるメガネの小学生がいなくてもこれくらい朝飯前だ。
「あ、つまり奉仕部の入部試験ってことですね!」
答え合わせの意味も含めるが、まあ確信に近い。だって、平塚先生、奉仕活動って言ってたし。
「……そう。もういいわ。入部で」
「へ?」
なんだか更に雪ノ下先輩が不機嫌になった。比企谷 八幡様はすっごい楽しそうに笑ってるので、よかったのだが、なんか初日から部長さんを怒らせまくるというのも具合が悪い。
ま、これで小学生呼ばわりしたのはチャラってことでいいか。
「ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ、日木君」
という雪ノ下先輩は心底歓迎してない様子だった。すっごい嫌われたなぁ。まあ、比企谷 八幡様の弟子になれただけで満足だ。
「ありがとうございます! あ、すみません。師匠って呼んでもいいですか?」
「え? ああ……まあ勝手にしろ」
たじろぐ師匠は、やっぱりものすごくかっこよかった。絶対彼女に自慢してやろう。ってか、僕もこれくらいかっこよくなりたい。
「師匠!」
「……なんだよ」
「言ってみただけです!」
「そうかよ。ならあんまり無駄な口を叩くな。うるさい奴は破門だ破門」
「はいっ!」
破門はまずいので、口を噤む。
さっきと同じように雪ノ下先輩と師匠は読書をする。二人は言葉を交わすこともなければお互いのことを見ることさえなく、ただ刻々と過ぎるときを同じ空間で過ごしているだけであった。
別に、僕は沈黙が気になるわけではない。だから、僕も師匠に倣い、読書をすることにした。と、言っても僕はラノベしか読まないのだが。
読みながら、僕はふと思いを馳せる。
問い。
僕も、師匠を、雪ノ下先輩も友達はいない。
けれど、僕は雪ノ下先輩を堂々と嫌えるし躊躇したせいで本音を言えない、なんてことはありえない。それはきっと師匠と雪ノ下先輩も同じだと思う。相手を慮り、空気を読む故に本音を封じ込める、ということを師匠も雪ノ下先輩もしないはずだ。
それは、おそらく今の僕も同じ。
かつての僕は、違っていた。
強調して騙し騙し、自分と周りを誤魔化しながら上手くやっていた頃の自分の姿が頭によぎる。そういう生き方をするのは本当に楽で、世の中の多くの人間は実際にそうやって生きているのだと思う。
勉強が得意だったのにテストでいい点を取ったときまぐれだのヤマが当たっただのと言ってきたように。短距離走の速さで褒められたとき自分の体力のなさや自分より上の人間がいることを主張したように。
きっとそういう生き方を雪ノ下先輩も師匠もしない。
自らに決して嘘を吐かない。
師匠は当然素晴らしいお方だが、雪ノ下先輩についてもその点だけは評価してやらないこともない。
かつての僕が手が届かず、今の僕が必死になることでようやくたどり着いている場所だから。
二人は似ても似つかない姿勢で文庫本に目を落としている。完全な個の空間。それを見て僕は、不思議な気分になる。
――きっと僕は二人と別種の人間だ。折角弟子になったのに僕はそんなことを思ってしまった。
――故に、今はこの沈黙がとてもつもなく心地いいと、そう感じていた。
――いつかと同じくらい、自分の鼓動が速くなるのを感じた。心臓の刻む律動は秒針の速度を追い越して〝そこ〟に行きたいと、そう言っている気がした。
――なら。
――なら、今、僕は。
「師匠には無礼かと存知上げますがその上で言ってもよろしいですか?」
「あ? 別にいいぞ。どんな罵倒も慣れてる」
「なにかしら、その謎の頼り甲斐は。かっこいいことでもなんでもないじゃない」
いやいや、十分かっこいいだろ、今の。雪ノ下先輩の目は節穴でございますか? って感じなんだけど。ま、一人、師匠のかっこよさを分かってらっしゃる人もいるし、分かって貰う必要も無い。
咳払いをしてから、言葉を続ける。
「もしよろしければお二人とも、友達にな」
「それは無理だわ。比企谷君とは絶対に無理だわ」
「お前、酷すぎるだろ……ってか、どうして俺が振られた感じになってんの」
雪ノ下先輩は断固拒否した。しかも、師匠を馬鹿にしたような顔をしている。
やっぱり、雪ノ下先輩は可愛くないし評価もできない。師匠とのラブコメとか展開しないな、これは。
雪ノ下さんは、もうこういう扱いから抜けだせないでしょうね……別に雪ノ下さんに恨みがあるわけじゃなく、むしろいいキャラだと思っているんですがね。
今回のように、中間の部分が変わっても最後には帳尻が合わされる(友達にはなりえない、など)というスタイルで行きます。