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では、どうぞ。
僕達と師匠達のちょうど真ん中くらいまでくると、鶴見はそこで立ち止まる。僕達三人も師匠達二人も鶴見に別段反応するわけではなく、ただ同じ場所にいるだけだった。
葉山先輩は少し困ったような淋しげな笑顔(ざまぁみろ)を浮かべて鶴見を見ていたが、すぐに他の小学生達の相手に戻る。多分、あの頃の僕と姿を重ねてんだろうなぁ。
「じゃあ、せっかくだし隠し味入れるか、隠し味! 何か入れたいものある人ー?」
聞いた者を惹きつけ、自分へと注目を向けさせるための明るい声だ。おかげで鶴見に張り付いていた嫌な視線がばたりと途絶える。残念なものだ。もっと鶴見が苦しめばよかったのに。小学生達は、はいっはいっ! と挙手してはコーヒーだの唐辛子だのチョコレートだのあれやこれやアイデアを披露する。
「はいっ! あたし、フルーツがいいと思う! 桃とか!」
ああ、因みに今、言ったのは由比ヶ浜先輩だ。あの人、何参加してんだか……。流石に最近気づいたが、由比ヶ浜先輩ってアホの子なんだな。
小学生と同レベルで参加しているどころか、アイデアの中でも明らかに一番料理レベルが低そうな発言だった。あの葉山先輩でさえ、表情を子尾ばらせている。
数人と話していた速水はその様子を見てすかさず、由比ヶ浜先輩のもとにいき、何事かを言った。すると、由比ヶ浜先輩が肩を落としてこちらに向かってぼとぼと歩いてきた。多分、やんわりと邪魔者扱いされたんだろう。速水、先輩いると目立たないが、しっかりリア充っぽいなぁ。
「あいつ、バカか……」
師匠が言葉を零すと、そっと囁くような言葉が続いた。
「ほんと、バカばっか……」
鶴見は冷たく響く声で言う。
「はっ」
つい、鼻で嗤ってしまった。
「まぁ、世の中大概はそうだ。早めに気づいてよかったな」
師匠が言うと、鶴見は不思議そうな顔でこちらを見る。値踏みでもするかのような視線を師匠に向けるとは、失礼極まりない奴だ。
鶴見の視線に雪ノ下が割り込む。
「あなたもその、大概でしょう」
「あまり俺を舐めるな。大概とかその他大勢の中ですら一人になれる逸材だぞ俺は」
「そうですよ! 師匠をその他大勢なんていう下等な生物と一緒にしないでください! 師匠を素晴らしいんですから!」
「はぁ……あなたも本当に比企谷くんのことが好きよね。呆れるのを通り越して軽蔑するわ」
「通り越したら呆れそうですけどね……」
ここがぼそっと呟いた。ふむ、流石にここも慣れ親しんできたのだろう。が、その隣の普段ならすぐ馴染んでいきそうな一色は未だ、何も言わない。
僕達のやりとりを鶴見はにこりともせず、黙って聞いていた。
僕達と師匠達、両方に目をやると声をかけてきた。
「名前」
「あ? 名前がなんだよ」
名前という単語だけで名前を訊こうだなんて不遜もいいところだ。まったく、失礼な奴だ。これだから、小学生も傲慢な弱者も嫌だ。弱者なら弱者としての自覚を持てばいいのに。僕みたいに。
鶴見は不機嫌さを露わにして高圧的に言いなおす。
「名前聞いてんの。普通さっきので伝わるでしょ」
「……人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るものよ」
「師匠に対して、失礼だぞ、お前」
肩にかけていた巾着を鶴見の顔面ギリギリでくるりと回し、睨んだ。中学から、かなりの回数巾着を回して遊んでいたおかげで、相当なスピードを出してもコントロールできるようになっている。
鶴見は、僕とそれから雪ノ下先輩のほうを見て、少し怯えた顔になった。おそらく雪ノ下先輩も睨んでいるのだろう。まぁ、礼のなってない子供とか嫌いそうだもんな。
鶴見は気まずげに視線をそらした。
「……鶴見留美」
ぼそぼそと口の中で呟くような声だったが聞き取れないほどでもない。……だが、先ほどの高圧的な声の方が何倍も大きく聞き取りやすかった。ここは指導を……と思ったが師匠が納得したようなのでやめておくことにした。
「私は雪ノ下雪乃。そこのは、……ヒキ、ヒキガ、……ヒキガエルくん、だったかしら」
「おい、なんで俺の小四の頃のあだ名知ってんだよ。最後のほう、俺、蛙って言われてたからな」
「なんて失礼な輩なんでしょう、そいつは!」
師匠をヒキガエルと呼ぶなんて失礼にも程がある。でも蟇蛙って書くと何かかっこいいよな。
「比企谷八幡だ」
師匠が名乗ったので、ここは僕も名乗っておく。
「日木宗八っていう」
「櫻木心です」
「あ、いろはお姉ちゃんって呼んでいいよ♪」
後に続いてここも自己紹介したのだが、一色はもう自己紹介の形を成していなかった。一気にモード変わりすぎて怖い。師匠の顔も引き攣っていた。
「で、これが由比ヶ浜結衣な」
「なに? どったの?」
師匠が近くまで来ていた由比ヶ浜先輩を指差す。由比ヶ浜先輩は僕ら六人の様子を見て、それとなく察したようだ……ってやたら多いな、おい。それでも目立たないのは僕と師匠の存在感の薄さとここの隠密スキル、それから一色の変な様子ゆえだろう。
「あ、そうそう。あたし由比ヶ浜結衣ね。鶴見、留美ちゃん、だよね? よろしくね?」
だが鶴見は由比ヶ浜先輩の声に対して、頷くだけに留める。直視すらしない。足もとのあたりを見ながら途切れ途切れに口を開く。
「なんか、そっちの人たちは違う感じがする。あのへんの人たちと」
主語が曖昧なせいでわかりにくいが、おそらくこの場においては由比ヶ浜先輩と一色以外の四人があの辺、つまり葉山先輩たちと違う種類の人間だと言いたいのだろう。
まぁ、確かに違うわな。今日に関しては一色も違う種類に見えなくもない気がするが、いつもはあの辺とやらに混じっているし。一点あるとすれば、ここも普段はリア充っぽくしてる点だ。そこは小学生だな。
「私も違うの。あのへんと」
自分に宣言することで確かめるためなのか、鶴見はその言葉をゆっくり噛み締めるように言った。由比ヶ浜の顔つきが真剣なものになる。
「違うって、何が?」
「周りはみんなガキなんだもん。まぁ、私、その中で結構うまく立ち回ってたと思うんだけど。なんかそういうのくだらないからやめた。一人でも別にいっかなって」
また鼻で嗤いそうになるのをなんとか堪える。が、胸中穏やかではなかった。
孤高を、孤立の言い訳にするのは僕の好きなことではない。一人でも別にいい? じゃあ、なんでそう言うときのお前は、そんなに暗い顔をしている。
「で、でも。小学校のときの友達とか思い出って結構大事だと思うなぁ」
「そうですか? 僕、その頃の思い出のせいでうなされて寝れないとか今でもありますよ」
「やっぱりそうなんだ……だったら別に思い出とかいらない……中学入れば、余所から来た人と友達になればいいし」
すっと顔を上げる。その視線の先にあるのは空だ。ようやく陽が落ちてきて、薄墨を流しかけたような藍色。点々と星が瞬き始めていた。
鶴見の遠い目は悲しかったが、同時に綺麗な希望が宿ってもいた。
鶴見留美という人間は、まだ期待しているのだ。新しい環境に鳴れば楽しくやれると希望を持っているのだ。仮に小学校の人間がそのまま同じ中学に行っても、きっと変わると。
――ああ、それはまるで僕のようだ。
「残念だけど、そうはならないわ」
「不服だが、そうなるかもしれないな」
僕の言葉と被るように雪ノ下先輩が断言する。
鶴見は僕への驚きの視線と雪ノ下先輩への恨みがましいし視線を交互に向けている。僕はそんな鶴見の視線を差し置いて、雪ノ下先輩を見る。すると、迎え撃つように真っ直ぐな雪ノ下先輩の視線とそれから師匠の視線が向かってきた。
「あら、庇うのかしら? 本当に彼女のことを思うのなら、現実を教えてあげるべきだと私は思うけれど」
「別に庇うつもりなんてないですよ。そりゃ、地元の公立小学校から中学校に進学するってなると、ほとんどの人間関係は持ち上がりです。それは、ぶっちゃけ僕も同じでしたから。でも、それだけじゃないんですよ。その子の学校だと、多分僕も行ってた中学に進学すると思うんですけどね、あの中学だと他の小学校からもくるんですよね。ってか半分くらいはそうですから。『余所からきた人』みたいな感じじゃないんですよ」
実際、僕と同じ小学校だった奴と他の小学校だった奴の人数は同じくらいだった。色んなところからくるおかげで、他のところからきたとしても『余所者』という感じではないのだ。
だが、雪ノ下先輩の瞳は揺るがない。
ここが少し気まずそうに黙る。一色の様子は窺えない。いつもなら、一色あたりが和親条約を結ばせようとしそうなものだが、まあいい。
「それでも、半分は同じ小学校の子がいるのでしょう? なら、他の学校から来た人も一緒になって、同じ事をするだけよ」
「それが、違うんですよねぇ。ま、これは可能性の話ですけどね。本気で変わろうって思う人間なら、環境がろくに変わらなくても変わるんですよ。例えば僕。小学校の頃の関係が持ち上がりになりましたけど、彼女もできましたし親しくしてた人だっていました。中学でできた人で」
「……そう」
「ま、あくまで可能性の話です。僕はあるかも、と言っただけ。ぶっちゃけ、雪ノ下先輩の言ってることの方が起こりやすいですよ。それくらい、分かってるんだろう?」
いつまでも僕が雪ノ下先輩と対立しまくるマンだと思うなよ? 僕だってちょいちょい雪ノ下先輩のことは分かってるんだ。それに、この場合、雪ノ下先輩のほうが現実的だしな。
一気に裏切られたような状態の鶴見は何も答えられずにいた。師匠は、うわぁっという感じの顔をなさっている。今回に関しちゃ、一度味方についてから裏切ろうみたいな作戦ではないので引かないでくださいよ……
返事できない鶴見を見ながら、雪ノ下先輩は何か堪えるように口もとをきゅっと引き結んだ。
きっと、雪ノ下先輩も過去の自分の面影を見出しているのだろう。それは僕と同じ。
「やっぱり、そうなんだ……」
諦めたような声が小さく漏れた。
「ほんとバカみたいなことしてた」
「何かあったの?」
自嘲気味に呟いた鶴見に、ここがしゃがんで尋ねる。由比ヶ浜先輩と別のタイプだが空気を読めるここは、由比ヶ浜先輩よりも僕が作る気まずい空間に慣れているのでしっかりフォローをしてくれているのだ。
「誰かがハブられるのは何回かあって……。けど、そのうち終わるし、そしたらまた話したりする、マイブームみたいなもんだったの。いつも誰かが言い出して、なんとなくみんなそういう雰囲気になんの」
鶴見は淡々と話すが、内容を聞いていると、殺意が湧いてくる。
「それで、仲良くて結構話す子がハブにされてね、私もちょっと距離置いたけど……。けど、いつの間にか今度は私がそうなってた。別に、何かしたわけじゃないのに」
何かしたわけじゃない? なんて思い上がりだろう。十分、色んなことをしているじゃないか。被害者面している鶴見を今すぐ殴ってやりたい衝動に駆られる。
「私、その子と結構いろんな事喋っちゃったからさ」
昨日まで友人だったはずの人間が、次の日には自分の秘密をネタにし、誰かの笑いを取っている。
ああ、それは僕にもあった。小学六年生なら、好きな子だっているのだ。慣れなくて持て余す恋愛感情を誰かに吐露したくもなる。恥ずかしいから親しい人に。信頼できる人に相談の体で打ち明ける。
でも、そんな信頼は幻想なのだ。一瞬で拡散されてしまうのがオチ。
けれどそんなのは結局自分が悪いのだ。
人を信ずべからず。信じた方が負けだ。裏切られる方が悪い。
その悪を他者に転嫁するのは、愚行というものだ。
ああ、本当に腹立たしい。
誰かの尊厳を犠牲にするのも弱さ故の行為。
誰かの尊厳を守るために犠牲になるのも弱さ故の行為。
誰かを犠牲にする弱者が徒党を組むことは悪いことではないのだ。僕が許せないのは、犠牲になる弱者が歯向かわず、降参してはっきりと誰かに助けを求めることもなく、そのくせ被害者面して自分が正義だから助けてくれ、と言いたげな顔で平気に生きていることだ。
誰かに助けを求めることは恥ずかしいことなのだ。捕食する側になれなかったのなら、恥ずかしい思いをしてしっかりと手順を踏んで、助けてもらわなければならない。
だから、腹が立つ。この鶴見留美という存在に。
「中学校でも、……こういうふうなっちゃうのかなぁ」
嗚咽の入り混じった震える声音。なんだよそれ。ふざけんなよ。
「なるな、今のお前なら。絶対に」
――と、言うギリギリで止まれたのは、師匠の鶴見を見る目と僕の肩の巾着を引っ張ったここの小さな手のおかげだった。