「君はあれか。悪影響しか受けられないのか」
ちょうど体調を崩して休むことになった調理実習の代わりに課されていた家庭科の補習レポートを提出したら、なぜか呼ばれた職員室。
ものすごくデジャブる。
「先生も大変ですね。鶴見先生に丸投げされて」
「ああ、君達のような不真面目な生徒を私は更生させなければならないからな。でもよく分かったな、私が丸投げされたと」
職員室の隅っこの方で、家庭科教師の鶴見先生が観葉植物に水をやっている。平塚先生はそれをちらっと見てから俺に不思議そうに尋ねる。
「まあ、そりゃさっき師匠を見ていたんで。前だったじゃないですか、師匠にお説教なさったの」
「お前……まさかあいつと同じことをしたかったからサボったとかじゃないだろうな?」
「ま、まさか。流石にそんなことはしないですから」
話を立ち聞きした時は、本当に今度やってやろうと思ったのも事実っちゃ事実なんだけど。でも残念なことに僕は弱虫なので、行動に移さないだろう。ってか休んだ日は僕の方が後だけどサボったの知ったのは今だし。
そんな僕の弱虫度を知らない平塚先生は完全に疑いの目をこちらに向けてきた。
「本当か? 君ならやりかねないと思うんだが」
「いやいや、何言ってるんですか先生。僕は弱虫界のプリンセスですよっ! どんなにやりたいと思っても、実際にはやりませんよ。あまり、僕の弱虫っぷりと馬鹿にしないでください!」
「そんなことを堂々と言うんじゃない、まったく」
心底疲れたと言いたげに、平塚先生は頭を抱えた。なんか大変そうである。もしかしてこの人、色々ストレス溜まってるから結婚できないんじゃね? だとしたら犯人は師匠と僕ということになる。やったぜ☆ 師匠と同じになれた!
「真面目に聞け」
僕の思考を見透かされたのか見透かされてないのか、平塚先生は紙束で僕の頭をはたいた。多分見透かしてないな。見透かしてたら多分、腹パンされてる。
「まあ、君の言葉を信じるとしよう。じゃあ、どうして休んだ?」
「へ? そりゃ、体調不良だったからですけど」
嘘は言っていない。いや、本当だよほんと。ソウハチウソツカナイ……なんで平塚先生はそんな、睨んでくるんだよ。
しょうがない。言っていない事実があることを否定できないので、僕は白状することにした。
「……彼女が体調悪かったので看病してたんですすみませんでした」
更に言うと、師匠と同じことができる! と思った部分があるのも否定出来ない。が、それは言わないでおこう。なんか痛い目に遭う気がする。
「ったく、はっきり言ってそんな理由でさぼらないでほしいものだが、なんか感動的な話で、自ら補習レポートを書くと言い出しているからな……意欲はあるんだよな」
「そうですよ! 僕だってしっかりした調理実習ならやりたいですから! まあ、学校の調理実習は実地からかけ離れているのでやりたくないと思わなくもないですけど」
「比企谷と同じことを言うんじゃない。あいつにも言ったがそれとこれとは話が別だ」
「先生! 師匠が間違ってるって言うんですか! 許せない! これ以上話しても無駄なようですね! しょうがない。こんなこともあろうかと用意した、奉仕部での師匠のご様子をまとめた極秘資料をお見せするしかありませんね!」
そう言い返して、僕はくるりと振り向き、後ろにあるバッグから紙の束を取り出す。
「帰らないんかい!」
「帰るわけないじゃないですか。っていうか、先生、ちょっとテンションおかしいですよ」
「あ……つい若さが出てしまった」
僕のツッコミに平塚先生は嬉しそうに反応した。どうやらさっきのおかしなテンションを若さだと取ったらしい。どちらかと言えば、今のノリは色んなものを知ってノリがよくなった親父のテンションに思える。だが外見は十分若いので今回は言わないでおく。
「で、これは?」
「これは、先ほど言ったように、奉仕部での師匠のご様子をまとめた極秘資料です。会話とかもあるので雪ノ下先輩の様子も入っていますが」
ある意味では議事録のようなものだ。議事録の書き方とか詳しく知らないので、雑ではあるが。
まだ奉仕部に入部してから五日(土日を挟んだので通ったのは三日)しか経っていないし、そもそも会話が少ないので半分以上、師匠の動きを記録しただけのものになっているが、その中にはたまに行われる会話も入っているので読んでいるだけで師匠の偉大さと正しさを理解できる。
「そ、そうか。やっぱり君、好きなものには一直線だな。ん? でも、こんなものいつ書いているんだ?」
「いつって、そりゃ部活中ですよ。今、パソコン置いてありますし」
何を当然のことを。家帰ったら、彼女とメールのやり取りしたり、アニメ見たりしたいんだから部活でやるに決まっているだろうに。
雪ノ下先輩にも活動日誌、という体でパソコンの持ち込みを許可してもらっているのでこれを部活外で書くわけに行かないのも事実なのだ。
「なるほど。それなら……」
平塚先生は、俯いて何かをぶつぶつ言いながら考えている。その顔はどこか面倒事を運んできそうな顔だった。そういう姿を見ていると、やっぱり綺麗な人なんだな、と実感させられる。余計に、結婚できない理由が分からない。
「とりあえず、これを読めば分かりますから! それでは!」
紙の束を押し付け、僕は踝を返し、その場を後にしようとする。今度は帰るのだ。
「こんなものを押し付けて帰ろうとするなコラ。まだ話は終わっていない」
……ばれたか。平塚先生は腕を伸ばすと僕の制服の襟を後ろから引っ張る。子猫を掴みあげるような形で再び平塚先生の方を向かされる。これなら、バッグの中の白紙の束を撒き散らして混乱させている間に逃げればよかったかもしれない。早く、部活に行きたかったから極秘資料を見せたのに。
平塚先生はため息をつきながらレポート用紙をぱんっと手の甲で叩く。すごい、師匠にもやっていた仕草だ。今僕は師匠と同じことを体験しているぅ!
「だから真面目にやれ」
「はぃ、すんません」
僕が渡した紙の束で頭をはたかれた。不服だ。僕の扱いが圧倒的に酷すぎる。
「調理実習の日にピンポイントで欠席してしまったという無礼をここに謝罪し、その意思表示としておいしいカレーの作り方を書かせてもらいます。ん、まあここまではいい。問題はその後だ。1、玉葱はいれない。あんなもの、上手く煮えないとただまずいだけだ。薄くすれば味は染みやすいが、この世の中には薄っぺく、人に影響されやすい奴なんていらないのでカレーも同様に玉葱を取り除く……。皮肉を混ぜる前にまずはおいしいカレーの作り方を織り交ぜろ! あいつより酷いじゃないか」
「先生、師匠より上等なものを求めるのはやめてください……自分でも分かってるのにそういうこと言われるとちょっと辛いです……」
「あ、ああ。そうか。なんかすまん」
平塚先生は心底申し訳無さそうに言う。そんな真剣に謝られるとそれはそれでなんだか具合が悪い。先生は、深くため息を吐きながらタバコに火をつけ、口に運んだ。
「再提出じゃなく未提出、ということでもいいそうだ。体調不良で欠席したからといって成績を下げることはないからな」
「いえ、再提出用のは用意してあるので出します」
「おう、そうか……こっちは随分と作りこまれているな。君は、料理できるのか?」
再提出用のレポート用紙をひらりとめくりながら平塚先生が意外そうな表情で尋ねてくる。心外だ。カレーくらい最近の高校生なら誰でも作れるだろうに。
「まあ、そうですね。将来のことも考えれば」
「なんだ? 君も主夫とか言い出すのか?」
「いえ、流石にそれはないです。思ってたこともありましたが」
「ああ、そうか。あったんだな……」
少し残念そうな顔をされてなんだか罪悪感を感じてしまう。と、同時に平塚先生はじゃあ、なんで? と視線だけで聞いてきた。
「料理できないと、嫁が風邪のとき助けてあげられませんから」
僕が答えると、平塚先生は大きな瞳を瞼で隠し、煙をふぅっと吐き出した。その所作はどこか、寂しさを感じさせる。
「君は主夫になるつもりはないのか。よかった」
「今も魅力的だと思うんですけどね。でも、どう考えてもうちの彼女には家事スキルで勝てないので」
「キラキラと仔犬のような目をしながら夢を諦めるな。せめてどろどろさせろ」
「いや、だからどろどろさせたいんですけど師匠には追いつかないんですって!」
「ああ、そうだな、悪い。っていうか、別にどろどろさせなくていい」
先生は心底気まずそうな顔をする。別にそんな顔しなくてもいいんだけどな……敵わないのは既に分かっているし、弟子入りしてるし。
それはそうと、そんなに僕の目は仔犬みたいなんだろうか。僕は師匠のようなどろどろした目がいいんだけど。
「君と話しているとどうにも調子が崩されるな。参考までに聞くが、君の将来設計はどうなっているんだ?」
あなたの将来がどうなるのかの方が私、気になります! とか言ったらまた泣かれてしまう気がしたので正直に僕のことを話す。
「まあ、それなりの大学に進学しますよ」
頷き、相槌を打つ平塚先生。
「ふむ。その後、就職はどうするんだ?」
「ライトノベルを書くのが趣味なのでそちらを並行してプロを目指しますかね。基本的には」
「君もか……どうせ君もすぐにころころ夢を変えるんだろうな」
「それはないですって! ワナビだってしっかりしてる人しますから!」
「そ、そうなのか……衝撃だ。すまないな。知人、というか生徒に、ラノベ作家志望の奴がいるんだがそいつが駄目人間でな。つい、一緒にしてしまった」
そんな生徒がいるのかよ。平塚先生、本当に生徒思いだなぁ。早く結婚相手見つかるといいなぁ。
真剣に謝罪をしてくる平塚先生を見て、僕の心がちくりと痛んだ。
確かにワナビにもしっかりしている人はいる。けれど、僕はその中には入らないんだと思う。
だって僕はラノベ作家になれなかったときのことを考えていない。どうなるか、という具体的なことを考えているわけでもない。ただ妄信しているだけでしかないのだ。
「あ、もしラノベ作家になれなかったらどうするのか、考えているのか? 教師としてはそういうところを考えさせたいんだが」
痛いところをつかれた、と思った。
別にそれなりの企業に就職する、とかでもいいんだと思う。大学だって別に具体的な名前を出しているわけじゃないんだし。それでも答えられなかった理由は、今の僕には分からない。
「そのときは、主夫になりますよ! 家事、勉強して!」
「それはヒモと言うんだっ! 恐ろしいくらいダメな生き方だ。奴らは結婚をちらつかせて気付いたらいつの間にか家に上がりこんできてあまつさえ合鍵まで作ってそのうち自分の荷物を運び始め、別れたら私の家具まで持っていくんだぞっ! 君はそんな奴にならないでくれ……」
微に入り細を穿ち懇切丁寧にまくりたてる平塚先生の目には涙が浮かんでいる。最後の方とか、本気で懇願していた。きっと、辛い過去があったのだろう。つい、同情してしまう。
「先生! 馬鹿にしないでください! 僕はそんな風にはなりません。絶対に今の彼女と結婚しますから。彼女のためだけのヒモになります」
「そんなオーダーメイドのヒモはいらないっ!」
ちょっと上手い事を言ったかのような顔をする平塚先生を見て、僕は師匠が言いそうなことを考えて理論武装することにした。
「ヒモっていうのはあれですけど。男が家事をするっていうのは悪いことと言い切れないと思いませんか?」
「はあぁ? 聞いてやろう」
平塚先生は椅子をぎしぎしと軋ませて呆れた顔でこちらを見る。ああ、既に師匠、この状況に合ってるんだ……多分、調理レポートの再提出をくらった後に話したんだろうな。僕、その時ちょうど呼び出されたからそこまで立ち聞きできてない。
「今って女性の社会進出が当然のようになってるじゃないですか! まあ、教師とかってなると女性は前からいたでしょうけど。それこそ東京の都知事も女性ですし」
「……まあ、そうだな」
師匠は一体何を言ったんだろうと思いを馳せながら言葉を続ける。
「けど、女性が職場に出てきたら、その分男性が職にあぶれるのは分かりきってますよ。そうなれば、それぞれの職に適正がある人が選ばれるでしょう。餅は餅屋って言いますしね。と、なれば僕は仕事につけるはずがありませんっ!」
「そんなことを自信満々に言う生徒を前にした教師の気持ちを、少しは考えてほしいものだな」
深々とため息を吐き、頭を抱える平塚先生には申し訳ないと思う。いやね、言い始めたらちょっと自分でも怖いくらいにしっくりきちゃってるんですよ……。
「更にっ! なんかロボットが出てきて、仕事をどんどん減らしてってるって聞きますしね。そうなりゃ、仕事自体が減ります。余計に僕は仕事に就けません。僕が仕事に就くよりもっと優れた人が就いた方が社会のためですからね」
「捻じ曲がった概念だが、間違いじゃないな。君が自己評価が低すぎる気がしなくもないが」
「ですからっ! 僕なんかよりずっと長けているうちの彼女が社会に出て、僕が家事をやるって選択肢もなきにしもあらずかな、と。ま、できれば僕が家計は支えたいですが」
「そ、そうか……君のことが少し分かった気がする。別に君は働くのが嫌なわけじゃ、ないんだな」
うんうんと頷きながら、平塚先生は言う。
「そう、ですね。むしろ働くの大好きですよ。なので、今日も奉仕部で勤労してきてよろしいでしょうか! 師匠にお茶をご用意したいのですが」
茶、というのは昨日、僕が運び込んだティーセットで入れる紅茶のことである。そこまで詳しくないので、セレクトは雪ノ下先輩。なので茶葉を持ち込んだのは雪ノ下先輩だ。
僕が用意することになっているのは、僕が後輩で、弟子だからだ。
「は? 茶? そこまで奉仕部は豊かになっているのか……私も、今度行こうかな」
「ええ、ぜひぜひ!」
お茶を入れる技法とかも本当に詳しくないのだが、まあ自分でやったことで誰かが喜んでくれるというのは嬉しいものだ。
なので、平塚先生にも来てほしい。あと、奉仕部にお客さんが来てもいいと思う。
「あ、多分今日、客が行くと思うからよろしく頼むぞ」
「マジですか!? 分かりましたっ! あ、じゃあ帰りにその極秘書類だけとりにきますねっ!」
「あ、ああそうだな」
敬礼をしてから、僕は職員室を出た。
あの師匠と一緒にいられるパラダイス、奉仕部に向かう。部を名乗っているがまだ活動していなかったが、ようやく今日、活動できるかと思うと楽しみだ。師匠のご活躍を見ることができる!
やばい、また彼女に自慢できてしまうぜ。